1ー2 身に降りかかる火の粉の避け方 その一
5月の連休なるものが終わって、儂が幸次郎になってから初めて高等学校に行く日が来た。
我が家は、九幌市南区墨河4条4丁目にあり、徒歩と地下鉄(墨河駅から城北24条駅まで)を使って、正味45分程の時間を通学に要する。
為に、朝7時半過ぎ頃には自宅を出るのが幸次郎の日課である。
姉の洋子も同じ時間帯に家を出るのだが、幸次郎の通う城北高校よりは城南高校の方が距離的に近いので15分から20分程遅く出ても間に合うようだ。
朝の食事は、祖母の聡子70歳が用意してくれている。
祖父は、五年前の67歳の時に交通事故で亡くなって久しいが、祖母聡子は元気いっぱいである。
両親たちは、幸次郎たちが出かけてから食事をしても十分に職場に間に合う。
何しろ自宅の隣が自分たちの職場である医院であり、渡り廊下で繋がっているから職住接近というやつなのじゃ。
医者というのは、日本ではかなり収入の高い職業らしく、佐島家では金に困っている様子はない。
5月4日の日に調べたところでは、幸次郎の通学定期は通学カバンの中にあったが、財布はどうしても見当たらなかった。
止むを得ず財布を落としたという言い分けで臨時のお小遣いをもらったのじゃ。
中学では給食があったようじゃが、高校では給食が無いので弁当を持参するか若しくはコンビニなどで昼飯を買うことになる。
我が家では弁当を作らないので、学校の購買又は通学途上にあるコンビニで昼飯を買うタイプなのじゃ。
祖母に頼めば或いは弁当を作ってもらえるかもしれないが、そもそも儂の気持ちの中に肉親という感情がどうも希薄なので実のところ付き合い方に少々戸惑っているところなのじゃよ。
幸次郎も4月の高校入学以降、通学に際して弁当は持って行かなかったようじゃ。
専ら朝の通学時に学校近くのコンビニで昼飯を買っているのじゃ。
5月6日午前8時20分頃、「城北24条駅」近くのコンビニでサンドイッチと飲み物を買い、そのまま幸次郎の記憶にある学校へと向かう。
儂が1年D組の教室に入った途端に絡まれた。
「佐島ぁ~っ。
お前、8時には出て来いと言ったのに、遅ェじゃねぇか。」
そう言った男は、幸次郎の記憶では山岡と言い、茶髪で妙な髪形なのだが、角刈りという髪形だそうじゃ。
他にも三人ほど儂の周りを取り囲んでいるが、確か、志賀、岡島、沢村といずれも面相が悪い奴らばかりじゃな。
そう言えば幸次郎の記憶では、この四人組にいつも学校でいじめられていたようじゃ。
どうやら、いつものように脅して「カツアゲ(?)」というものをしようとしているようじゃ。
「そんな約束はした覚えがないが、何か用事か?」
「てめぇ、何だその口ききは。
いい気になるなよ。
また、痛い目を見たいかぁ。」
「うるさいぞ。
皆に迷惑だから、教室の中で騒ぐな。」
「上等じゃねえか。
廊下に出ろ。」
「断る。
お前たちに命令を受ける謂れはない。」
「佐島ぁ~っ。」
そう叫びながら山岡は手を伸ばして儂の学生服の襟を掴もうとしたが、一瞬のうちに儂は身体に魔力を通して身体強化を行い、その上で帝国武道の身体術で、逆にその手を軽く捻って関節をキめてやると、山岡は「イテテッテッ!」と悲鳴を上げた。
幸次郎の身体は、これまであまり鍛錬をしていないので、そのままで無理に筋肉を動かすと筋を色々痛めてしまう恐れが高いのじゃ。
だから、筋肉や骨を保護し、動きを速めるために若干の身体強化を行ったのじゃ。
取り敢えず、通常の三倍ほども強化しているから、幸次郎の身体は少々の事では怪我もしないだろう。
次いで、他の三人が慌てて殴りかかってくるのを躱して、こちらの世界で言う合気道の技に似た武術で三人を次々にその場に転がした。
一瞬の間に三人が床に転がると、流石にクラスに居る者の目が儂に集中する。
だが、委細構わず、儂は山岡を突き放し、既に決められていた幸次郎の席に座ったのである。
山岡ら四人は、これまで反抗したことも無い幸次郎がいきなり歯向かって来た上に、あり得ない形で制圧されてしまったので、儂をどうすべきか決めあぐねていたようじゃが、偶々1時限目の授業開始15分前のチャイムが鳴ったのを契機に、悔し気な表情を見せながら教室から出て行った。
隣に座っていた女子生徒である岸川玲子が不安そうに言った。
「佐島君・・・。
大丈夫なの?
あいつらしつこいわよ。」
「まぁ、大丈夫だろう。
心配すんな。」
「だって、いつもイジメられてるでしょう?」
「そうだね。
まぁ、それも今日以降は無いと思うよ。」
そんなことを気軽にしゃべっている内に、担任の吉川教諭が教室に入って来て、ホームルームが始まった。
岸川玲子は、左程親しい間柄ではない筈だが、どうも幸次郎のことを心配してくれたようだ。
彼女はクラスの委員長をしているから、或いは同じクラスの者が他所のクラスの者にいじめを受けていることを気にかけているのかもしれないな。
記憶によれば、幸次郎がいじめを受けていることを知っていても、クラスの者は誰も庇ってはくれないらしいのじゃ。
むしろ自分に迷惑がかかるのを極度に恐れているし、教師も気が付いていながら見て見ぬふりをしているような素振りがある。
まぁ、帝国でもそのようないじめが結構横行していたとは聞いている。
宮廷魔導師の間でもかつてはそのような蛮行・愚行が行われていたようじゃが、儂が止めさせた。
百害あって一利も無い慣行など、無くさねば魔導師の権威が失われよう。
まぁ、いずれにせよ、この学校でもそのようなことがはびこっているのであれば、膿を出さねばなるまいな。
当面の儂の目標の一つができたみたいじゃ。
ホームルームの後の1時限目は、古典の時間じゃった。
古典の教師が、七面倒くさい理屈を並べて、古代の文章の意味を滔々と説明しているのだが、もはや死語と化した古代の文章を習って何をしようとしているのか、その目的が今一つ儂にはわからぬ。
温故知新なる言葉があって、「古きを温めて新しきを知る」を勧めているのかもしれないが、中学の授業である「道徳」で人の生きる道を教える時間ならばともかく、未だ倫理の確定していない時代の教科書のごとき漢文や古代文学を呼んで、若者たちに何をせよというのかが理解できないのじゃ。
武家社会における朱子学は、その時代にはそれなりに意味があった。
だが、民主主義なる思想の社会で、朱子学を学んでも意味は殆どない。
それらの思想や教えの中から現代にも通じるものを取捨選択できる能力を与えた方が余程良いと思うのだが、教育方針は必ずしもそうはなっていないようじゃ。
むしろ、大学受験のために只管文章を暗記し、その意味を現代語に変換する力のみが求められているようじゃな。
そもそも、高校なり大学なりを卒業してから普通の職に就くに際して古典なるものが実務で役に立つとは左程思えない。
察するに高校での教育とは、未だ確たる職人能力が定まっていない者に対して様々な道筋の可能性を提示する場なのかもしれぬな。
実際に職に就いてから必要な教育が施されるのであれば、それでも構わぬのだが、一方で非常に無駄な時間を費やしているとも言える。
前世の様に15歳で成人を迎える場合には、その時点で職を見出さねば生きては行けぬ。
仮に、自分に合う職がその時点では見つからぬ場合でも、取り敢えずの職に就いて更に探し求める機会はあった。
儂は、その方が余程合理的とも思えるのだが、この世界では無駄とも思える時間を費やして役にも立たぬ教育を施しているらしい。
但し、今の儂では、教育制度に多少の批判ができたにしても、その体制を変える立場にはなく、何ら影響力を及ぼせないから、黙っているしかないのだが・・・。
1時限目の古典の授業は、教師から質問を浴びせられることも無く無事に終わった。
2時限目の授業は、幸次郎の不得意とされていた英語である。
そう言えば、英語の辞書は一読し、教科書も一読した。
ついでに話し方の勉強をするために、衛星放送の洋画を見て英語の話し方も聞いた。
たまさか姉の洋子が英会話のCDセットを持っていたので、それを借りて5月5日の半日をかけて全部聞いた。
早回しの二倍速で聴いたので半日で終わったのじゃが、おかげであらましの英会話はできるんじゃないかと思っておる。
流石に洋画に出て来た訛りの方の再現は厳しいかもしれない。
地域によっても多少違うようじゃから・・・。
そんなわけで、臨んだ英語の時間。
英語の教諭は、日高将司という日本人教諭と、補助教員として米国人のバーバラ・ブルック講師がおる。
よくわからんのじゃが、日高という教諭は、幸次郎に対して何か思うところがあるのか、英語の授業中に必ず一度は幸次郎に質問をするのである。
幸次郎の一月足らずの記憶では、これまでに16回を超える質問を投げかけ来ているのだが、簡単な質問は殆どない。
逆に幸次郎の記憶にある限り、そのほかの生徒に対する質問は左程難しく無い様な気がする。
そうしてこの日も質問というか課題が出された。
教科書の中頃のページを言ってそれを読んで訳しなさいと言うのだ。
高校に入って一月ほどしか経っていないのだから、当然に授業では、そこまでは進んではいないので単なる嫌がらせなのじゃろう。
まぁ、仕方がないから言われたページをかなりの早い速度で読み、喋り、翻訳してやった。
最後にちょっとした西部訛りで嫌味を言ってやった。
途端にバーバラ女史一人が噴き出していた。
彼女はオレゴン州の出身じゃから、西部訛りを良く知っているのじゃろう。
英語の教諭である日高先生と言えば、儂の早口英語をびっくりしたように聞いていたが、翻訳の後、最後に付け加えた訛りが強い早口の嫌味は、流石に聞き取れなかったようだ。
気になったのか聞いてきた。
「ウン、最後に何を言ったのかね?」
「あ、すみません。
単なる独り言です。」
それを聞いてバーバラ女史がまたも吹き出しそうになって両手で口を押えていものじゃ。
儂が言ったのは、「しょうも無い質問をするな。ボケ。」だった。
「バーバラ先生はわかっていたようでしたが、何と言っていたのですか?」
とは流石に聞かなかったのぉ。
補助教員は、英語の本家本元であるとはいえ、給料が安い部下のようなものだ。
そこに尋ねることは、おそらく日高教諭の面子が許さなかったのじゃろう。
因みに、この日以降、日高教諭が儂に質問を投げかけることは無くなった。
尤も、いじめ(?)の対象が、別の生徒に変わっただけの様な気がするよ。
授業が終わって、バーバラ女史が近づいてきて、儂の耳元で囁いて行った。
「あなたの英語はネイティブ並みね。
西部訛りも上手だったわ。
先月までは英語が不得意だったようだけど、あれはそう装っていたのかしら?
何れにしろ、暫くは楽しめそうね。
今後ともよろしく。」
勿論、英語で喋ったのだが、最後に見事なウィンクをして行ったわい。
うん、バーバラ女史は、意外とお茶目のようじゃのぉ。
幸次郎より10歳も年上だけど、何となく儂の好きなタイプじゃな。




