最終話(上) 『俺は勇者じゃない。勇者アークだ』
最終話(上) 『俺は勇者じゃない。勇者アークだ』
――フゥ
妙にテカテカした俺は未だ賢者モードのまま、朝を迎えた。実に清々しい朝だ。俺は洗面所で顔を洗うと一階の食堂へと降りて行く。
そこで朝食を取ったら早々に村長の家に行こう。そして、長かったような短かったようなこの旅の終わりが訪れるのである。
「おはよう」
三人は既に着席していた。そこで俺は妙に爽やかな挨拶をする。いつもであれば、イリアが『おはようございます、勇者様!』なんて元気よく挨拶を返してくるのだが今日は違った。イリアは頬を膨らませて何かに拗ねていたし、他の二人は、んー、なんというかモジモジしていた。
「おはよ……」
オリビエはなんて俺に返すと頬を朱に染めてそっぽを向いてしまう。俺が横に座るとウィズは椅子をズズっと横にずらし、何か言いたげな表情で俺の方に視線を向けたり、反対側にそれを向けるを繰り返し妙に挙動不審であった。
昨日から、この三人はどこかおかしい。俺が嫌われたというのであれば分からなくはないが、どうやらそうではなさそうだし。まったく意味が分からない。
このまま会話をしても、微妙な空気が増すだけだと判断し俺は四つ朝食を注文すると、それが到着するまで再び微妙な重い空気にさらされる。
何だろう? 『この空気、悪くないぞ』なんて本能が告げていた。
「あー、早く暴れたいわ!」
「ボクもそうです!」
「珍しく、ウィズも同意なのです!」
食事が終わると早々に彼女たちは妙にテンションを高めて宿を出る。
本来、オリビエの役目なのだろうが交渉事は俺の役目となる。道行く人に村長の家を訪ね、ようやく到着。
長い顎鬚を垂らした誠実そうな男性であった。俺はクエストの内容について確認する。鉱山の村であるコマルはいくつかの廃坑を抱えている。その一つとその周辺にモンスターが大量に発生したとの事。そこで、まだ実害があるわけではないが放置するのも危険なので退治を依頼。簡単に纏めるとこんな感じである。
オリビエから聞いていた話と全く一緒である。しかし、流石田舎の人間と言うか、のんきと言うか……、困っている感じもなく。更には「折角来てくれたのだから退治は明日にして、今晩はささやかではあるが村の皆でもてなしたい」なんて言ってくる始末だ。
嗚呼、なんとなく歓迎されている感じがする。そう言えば、と俺は回想する。村長の家を道々で尋ねたのだが、村民たちの態度は実に友好的で親切であったのだ。
ずっと、ニートとして生きてきた俺にとってそれは心地よくも、気恥ずかしいものでもあり。本来、勇者というものはこうやって迎えられるのだろう。なんて考えると耳の辺りが熱くなるのを感じてしまう。
「いいものだな」
村長宅でお昼を御馳走になり、トンテンカンと櫓らしきものを組んでいる村人たちを眺めつつ俺は呟く。どうやら宴の会場を作ってくれているようだ。
「こんなに歓迎してくれるんだ。明日は絶対に勝とうな」
珍しくやる気満々の俺は再び呟く。実際は呟いているつもりなどはないのだが、今日は誰も俺の話に乗ってきてくれない。無視されてしまうと、折角の上機嫌が台無しになってしまうので俺はずっと呟いている事にしていた。
「さて、何もしないのも居心地が悪い。現場の視察にでもでようか。うーむ、しかし俺一人だと心細いな。誰かついてきてくれないものか……」
などと、白々しいにも程がある呟きを洩らす。そして、目的地へとゆっくりと歩みを進める。
――ふむ、やはりそうだ。
ミニマップより俺を示す青い点のすぐ近くで三つの点が後を追っていた。それで、確信する。彼女たちに嫌われてない。だが、三人のよそよそしい態度はなんだ? 意味が分からん……。かと言って、どうやってそれを確かめていいかが皆目見当もつかない。困ったものだ。
まあ、と俺は心の中で呟く。彼女たちの気持ちを理解してやるにはコミュニケーションの経験値が決定的に足りない俺はなんとなく良い風が俺に吹き始めているのだと勝手に結論付ける。
そして、歩みを止めると彼女らに手招きした。
「これは、モンスターハウスだな……」
「そうね」
俺はゴクリと唾を飲み込んで呟くと、オリビエが短く同意を示した。
ミニマップの端に赤い点が映ると、俺たちは用心深くそれに近づいて行く。徐々に増えていく赤い点。更に用心深く、それらが目視出来るところまで近づき手頃な岩陰に隠れる。
モンスターを召喚するモンスターホールはランダムで現れる。ランダムである故に稀にこういう現象が起こるのだ。つまり、ホールの近くに別の――それも複数のホールが出現してしまう現象。それを俺たちは『モンスターハウス』と、呼んでいた。
軽くモンスターの数を数えると、俺たちは素早くその場を撤収した。
「おい、オリビエ。これ、本当にレベル1のクエストなのか?」
クエストどころか冒険自体が初めてである処の俺は思いっきりしかめっ面でそう尋ねる。
「そうよ。今回は何と言うか――運が悪かったわね」
オリビエは説明した。クエストの難易度は目撃者の証言から決定される。これを必要そうであれば国が調査し難易度の最終決定がなされる。
今回の場合は『コボルト大量発生につき、これの殲滅』がクエスト内容である。最下級のモンスターであるコボルトごときには一々、監査が入らないそうな。
「だとしたら、これはひどい!」
俺の抗議はもっともであった。
あの場で見えた数、約三十。坑道の入り口付近にも敵が見えた事から廃坑の中にも敵が潜んでいると見て間違いはない。すると、推定四十から五十……。洒落にならない数字である。
「数は多いとは言ってもコボルトなら……」
「冗談じゃない!」
イリアの言葉を俺の怒声がそれを遮る。
今回の俺は真面目だった。臆病風に吹かれたわけではない。確かに、コボルト数匹の集団を倒したら次、倒したらまた次。みたいに、連戦方式でいけるならどうにかできる可能性が高い。
だが、今回は駄目だ。間違いなくアドる。アドってのは簡単に言うと俺たちの用語で戦っている最中に別の敵が参戦してくる事を意味する。四対数十匹。何度も言うが実質、三対数十……。考えるまでもなかった。仮に、序盤優勢であったとしても後半で押し返される事は明白であった。
では、とりあえずやってみて、振りを悟ったら逃げよう。なんて考えはもっての外である。大乱戦の中で逃げ出すなど、死期を早めるだけだ。
「冗談じゃない!」俺はもう一度、大きな声を出すと思いの丈を一気にぶちまけた。「いいか? 確かに、俺は経験値を必要としている。このクエストはやり遂げたい。何せ時間ももうそんなに残っていないからな。しかしな、それにどんな価値があるって言うんだ。それを得る対価として、イリア! それともウィズか? もしくは俺かもしれない。いや、あるいは全員かもしれない。いいか? そんなちっぽけな事の為に、それら大事なものを失うだけの価値はあるのか? 俺は『ない』と、断言する。もし、世界がそれに価値があると言うのであれば、俺はそんなものいらない。一生ニートのままで十分だ。一生ニートのままで周りから馬鹿にされて生きた方が遥かにましだ!」
「なら、私だけでも――」
オリビエの言葉が俺の怒りを加速させる。
「オリビエ、お前もだ! ふざけるんじゃないぞ。勇気と蛮勇は別のものだ。もし、その続きを言ってみろ。この場で押し倒してメチャクチャにしてやる! この間なんてもんじゃない。メチャメチャのグチャグチャだ。お前が二度と馬鹿な事を言い出さないように、徹底的に汚してやる。それでもいいなら続けてみろ!」
俺の感情の爆発に三人は押し黙り、俺は涙した。
それは以前の悔し涙ではない。それはもっと、もっと純粋な涙であった。
そんな中でも、厭らしい俺は考えていた。『仲間たちを失いたくない』これは間違いなく本心からである。しかし、経験値も捨てがたい。そして、村人たちも助けてやりたい。これも本心であった。そんな厭らしい俺は捨てかねている。
「少し――宴の時まで時間をくれ」
だから、俺はそう言い残し部屋へ籠った。