第38話 コンビニの棚、昨日と違う
毎朝、通勤前に寄る駅前のコンビニ。
俺はいつも、棚の左上段に置かれたカツ丼弁当を手に取る。それがルーティンだった。
だけど今朝、カツ丼のパッケージに奇妙なシールが貼られていた。
「※この商品を選ぶと“3分間の過去”が手に入ります」
え、何これ。新手のキャンペーンか?
誰もいない店内、店員もスマホに夢中でこっちを見ていない。
少し迷ってから、俺はそのカツ丼を手に取った。温められた弁当の湯気を嗅ぎながら、レジに持っていく。
「ピッ、598円です」
普通の会計。普通の袋。
何も起こらない。やっぱり、ただの冗談だったのか?
が、店を出て信号待ちしていたとき。
背後から飛び出してきた自転車が、俺の足元すれすれを通過した。
「うわっぶな!」
咄嗟によけた瞬間――視界がふっと暗転した。
そして次の瞬間、俺はコンビニのレジ前に立っていた。
「ピッ、598円です」
……え?
同じ会話。さっきと同じ流れ。
ポケットを確認すると、レシートはなく、カツ丼は未会計。
信号に戻ると、自転車がちょうど同じ道を走っていく。
間違いない。3分間、過去に戻っている――。
その日からだった。
全ての弁当に、謎の“能力”が付くようになったのは。
次の日。棚の弁当には、それぞれ説明書きのようなシールが貼られていた。
・のり弁:「記憶操作(対象1名/10分間)」
・おにぎりセット:「透明化(体のみ/5分)」
・唐揚げ弁当:「その日一日、全ての人から好かれる。ただし、翌日には全員に忘れられる」
俺は誘惑に勝てなかった。
その日選んだのは、唐揚げ弁当。
社内に入った瞬間、女子社員たちが口々に話しかけてくる。
「おはようございます、近藤さん! 今日髪型いいですね!」
「最近、筋トレしてます? すごく背中が頼もしいっていうか……」
「実は、今度お昼でも……」
昼休み、同期と食べた弁当も味が染みててやたら美味い。
会議ではプレゼンが拍手喝采。上司が肩を叩きながら「やっと気づいたぞ、俺たちは君を過小評価してた」などと言い出す。
けれど、翌日。
「……あの、俺、昨日さ……」
「え? 話しかけてましたっけ?」
「近藤さん? あぁ、いたっけそんな人?」
昨日の笑顔は、跡形もなかった。
翌週、俺は“のり弁”を試した。
記憶操作という言葉に魅かれて、好きだった後輩・奈緒に告白した夜を“なかったこと”にした。
過去の恥ずかしい失敗、上司との口論、全部なかったことにできた。
でも、そのぶん現実が空っぽになっていく。
大事な失敗までなかったことにしてしまったから、俺はどこにも“存在しない”人間になっていった。
透明化機能付きのおにぎりセットを使った日は、つい覗いてはいけない会議を盗み聞きした。
自分がリストラ候補になっていたことを知り、そのまま何も言えず帰った。
気づけば、俺の生活はコンビニの棚で決まっていた。
毎朝、どんな能力を得るか。
それだけが、俺の世界を動かす基準になっていった。
だけど――今日。
棚の中央に、新しい弁当が置かれていた。
白いパッケージ。ラベルには、こう書かれていた。
「“本当の選択”を望むなら、これを手に取りなさい」
俺はそれを見た瞬間、背筋が凍った。
なぜなら、その弁当は――
昨日、自分が透明になっていたときの自分の姿が、パッケージに映っていたからだ。
まるで、棚の向こう側が“監視カメラ”だったみたいに。
俺はまだ、コンビニを出られていないのかもしれない。
この日常が、誰かに選ばされたものだとしたら。
ふと、レジを見ると、いつもスマホに夢中だった店員が、こちらを見て言った。
「今日は、どれにしますか?」
その声が、やけに低く、遠くから聞こえた気がした。




