第3話 畳の上の同居人
都心の片隅、築70年の木造アパートに越してきた浩介。
大学近くで家賃2万円という破格の物件に飛びついたのが運の尽きだった。
「まぁ、古いけど広いし。なにより静かだしな」
そう高をくくっていた初日の夜。
畳に寝転びスマホをいじっていると、障子がカラリと開いた。
「……おい、ドア閉め忘れたか?」
ぼそりと呟いた直後、部屋の中に何かがぬるりと入ってきた。
茶色いもこもこの丸い何か。
次の瞬間、それはぺたりと正座し、にやりと人間のように笑った。
「どーも。ここの家主、化け狸のタヌ吉です」
「…………は?」
「おどろいてる? そりゃそうだよねー。最近の人間、オカルト耐性ないもん」
狸はひょうひょうと話しながら、ちゃぶ台にちょこんと座った。
「この部屋、狸の神様が守ってるって話聞かなかった?」
「不動産屋さん、そんなの一言も……!」
「まぁまぁ。大丈夫だよ。追い出したり祟ったりなんて、めんどくさいし」
狸は短い手で腹をぽんぽんと叩く。
なんだか愛嬌があって、気づけば直哉は腰を下ろしていた。
「……で、何しに?」
「いや、退屈で。誰か住まないかなーって100年待ってたんだよ」
「100年……」
狸は人懐っこい笑みを浮かべ、次々と話しかけてくる。
昔この家でどんな人が暮らしてたか、戦時中の話、街並みの変化――。
話は面白く、ついつい夜更かししてしまった。
翌朝。
狸が炊いたという味噌汁の匂いで目が覚めた。
「おはよ。朝飯作っといたよ。食え食え」
「……狸が?」
「おい、人間だって元は猿だろ? 似たようなもんさ」
味はびっくりするほど普通だった。
それからというもの、狸はすっかり同居人のようになった。
「おい、タヌ吉。郵便受けの中、見てきてくれよ」
「しょうがねぇな。最近の若いのは、狸をパシリに使うのか」
ぶつぶつ言いながらも、郵便物を抱えて帰ってくる。
夜は狸がこっそり持ち出してくる古酒を一緒にあおり、
酔っ払って川の字で寝転ぶ。
(……まぁ悪くないかもな)
そんな風に思い始めていた。
ある日、浩介はアパートの前で見知らぬ不動産屋らしき男に声をかけられた。
「ここねぇ、近々取り壊しなんですよ。住んでる人にはまた改めて通達行きますけど」
「……は?」
狸はどうなるんだろう。
その夜、畳の上で狸に問いかける。
「なあ、取り壊されたらお前、どうすんだ?」
「……ああ。そしたら、またどっかで、待つんだろうな」
狸は少し寂しそうに笑った。
「人間はあっという間だもんな。俺なんかからしたら、一晩の夢みたいなもんさ」
「……バカだな。だったらしばらく夢見させてやるよ。うち来いよ」
狸の目がほんのり潤んだ気がした。
「おう。じゃあ新しいとこでも、飯作ってやる」
こうして、事故物件ならぬ狸付きアパートで始まった奇妙な同居生活は、
引っ越しても、どこまでも続いていくのだった。