第24話 お風呂の説教おっさん
「は〜〜……生き返るわ……」
東京の隅っこのオンボロアパート、風呂なし・トイレ共同生活を脱出し、ついに風呂付きの1Kに引っ越した俺――野口圭介(35)は、念願の湯船に毎晩つかっては至福を噛みしめていた。
狭いながらもユニットバス。しかも追い焚き機能付き。
これぞ文明。
スマホもテレビも手放して、お湯につかりながらぼーっとしていると――
「……ふぃ〜〜〜〜……やっぱぬる湯が最高だよなぁ……」
「……は?」
誰もいない風呂場に響く、聞き慣れないオッサンの声。
しかも、どこか間延びした、妙にリラックスしたトーン。
振り返ると、湯気の中――
浴槽の表面に、うっすらと人の顔が浮かんでいた。
それは、ツルッとした頭、分厚い眉、優しげな笑顔を湛えた“中年の男の顔”。
「やっと気づいたか。おう、圭介。よく来たな」
「……誰だよ!!裸見んな!! つーか顔出すな風呂から!!」
「俺は“お湯の精”。この湯船に長年棲んでる存在だ。ちなみに関西出身」
「知らんがな!!精霊ならもっと神秘的な出方しろよ!なんだその寛ぎ感!!」
お湯の表面でぷかぷか揺れる顔面は、どう見ても関西の立ち飲み屋でチューハイ3杯目に入った陽気なオッサン。
「しかしお前……最近ちょっと腹回りヤバくないか?」
「なにいきなり体型ディスってきてんだよ!!誰がメタボや!!」
「いやいや、言っとくけど俺、お湯だからな。お前の体、全部浸かってっから。腹の肉、ぷにゅって全部、感じ取ってんの」
「お湯に包まれてんのにそんな悪意ある分析いらねぇよ!!」
「……でもな、圭介。その贅肉を抱きしめたくなるんだよな。あったかくて、柔らかくて……包み込む系っていうか……」
「やめろォォォォ!!風呂の中で気持ち悪いこと言うなァァァ!!」
以来、湯船に入るたびにお湯の精が現れるようになった。
「今日もよく来たな。体、冷えてたろ?」
「……はぁ。どうせまた説教か下ネタかどっちかなんだろ?」
「ちゃうちゃう。今日は褒める日や。仕事頑張ったやろ?」
「……まぁ、残業2時間したけど」
「よしよし。偉い。偉いけど、帰ってきてカップ麺はあかん。塩分過多。風呂で塩抜きしてもチャラにならんからな」
「なにその“健康監視型湯船”!!」
「しかもよ、風呂入ってる時ずっとスマホ持ってるやろ。防水カバーしてまで。あれ、集中できてない証拠。せっかくの癒しの時間、もったいないで」
「やかましいわ!!こちとら現代人なんだよ!!」
「ちなみに、最近スマホの画面見すぎて右肩ちょっと前傾になってるで。俺、肩の角度からわかる」
「何その繊細な湯感知能力!!余計なお世話や!!」
ある日、会社で理不尽なことで怒られて、帰りのコンビニでビールとから揚げをドカ買い。
やけ食いした後、風呂で泣きそうになりながら湯に浸かった。
「……もう俺、ダメかも……」
湯気の中から、そっとオッサンの顔が浮かんでくる。
「……なあ圭介。お前、よく頑張ってるって俺は思うで」
「……」
「いつもよ、文句言いながら、愚痴言いながら、でもちゃんと働いて、風呂にも入って……なかなかできへんで。ようやっとる」
「……お湯の精のくせに、急に優しいこと言うなよ……」
「俺はな、“心の毒”も一緒に流すのが仕事なんや。ぬるいだけの存在ちゃうねん」
「……ありがとな」
「で、言うとくけどな――そのまま寝たら風邪ひくぞ。頭も洗え。あと股間もちゃんと流せよ。くさいぞ」
「最後の一言で全部台無しなんだよ!!」
それから、俺は湯船に入るのがちょっと楽しみになった。
なんとなく疲れが取れる気もするし、説教が妙にツボに入る日もある。
もちろん、まだ腹は出てるし、仕事も大して変わってない。
でも風呂に入るたび、なんだか“誰かに見守られてる”ような気がして――ちょっとだけ、生きるのが楽になった。
湯気の中で笑う、おっさんの精霊は、今日も言う。
「……お前、ほんま人間って面倒な生き物やな。でも、それがええとこでもあるんやで」
「……うるせぇな」
だけど――その声に、少しだけ、救われてる。




