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Luna&Emberにて

「邪魔するぞー」


 時刻は昼過ぎ。雪那を後ろに乗せてバイクを飛ばし、今朝飛び出してきたカフェに戻ってきた。


 「あら。いらっしゃぁい」


 そんな俺たちを、さっきまではなかった女性の声が出迎えてくれる。


 声の主はエカテリーナだ。持ち前のブロンドふわふわ髪と碧眼が日本人の枠を大きく逸脱している。中島が看板娘としてどこからかスカウトしてきたらしく、開業当時から二人三脚でこの店を経営してきたそうだ。


 太陽の昇っている時間帯にしては、彼女の服装は過激だった。ベースはレースをあしらったメイド服なのだろうが、豊満な乳が協調されるように胸元がぱっくりと空いていて今にも零れ落ちそうだ。両サイドが床につくほど長いくせに正面と後ろの布地が明らかに足りていないフリルスカートは、給仕として忙しなく動いているうちに下着が見えたとしてもおかしくはない。そこから伸びる魅惑的な絶対領域と、同じく肉感のある太ももを無理やり押さえつけて今にもはじけ飛びそうなニーソックスが目を引く。


 そんな煽情的な姿を見て、


「う、うわぁ!? 露出狂の方ですか!?」

「お前人のこと言えないからな?」


 雪那が顔を真っ赤にしながら自分の両目を手で覆っていた。


「あら? あらあらあら?」


 その様子を見て、エカテリーナがスカートを危なく揺らしながら、ものすごい速度で近づいてきた。


「なぁぁぁにそのかわいい子! どこで攫ってきたの、お顔見せて見せてぇぇぇ!」

「ひぎゅっ!?」


 瞬く間に雪那の顔を隠す両手が引っぺがされる。そうなると当然、雪那の目にはエカテリーナのあられもない姿が映ってしまう。まぶたを閉じるという簡単な動作を忘れてしまうほどに、雪那は顔を真っ赤にして動揺していた。


「お、おてて返してぇ……」

「ちっちゃくてかわいいぃぃぃじゃないの! ちょーっとお姉さんにもふらせてねぇ、ちょーっとだけだから! 先っちょだけだから!」

「どこの先っちょを狙っているのですか!? な、なんで服の上から的確にっ……あっ……!」

「このワンピース選んだやつセンスあるわぁ~~~、ほら、ここがええのんか、ええのんか~~~⁉」


 買ったばかりのワンピースの上から、その控えめな胸を撫でまわされている。その指が白い生地に沈み込んでいくたび、雪那の口から切ない喘ぎが漏れる。


「やっぱこうなったか」


 単純に、エカテリーナはかわいいものが好きだ。目の前にすると我を失ってしまうくらいには。


 止める理由も特にないので傍観していると、雪那の顔の赤色がどんどん濃くなっていき、目に涙を貯めながらびくんびくんと小さく痙攣したところで、ようやくエカテリーナの手が止まった。そのまま空いている席に連れて行くと、腰が抜けたように動けなくなってしまった雪那を膝の上において、人形のようにかわいがっている。


「ワタルー、この子かわいいねぇ。うちの子にしてもいーい?」

「やめとけ、多分エロ耐性がなさすぎていつか死ぬ」


「あん、いけずぅ」


 俺はきゅう……と目を回している雪那の首根っこを掴み、まだモフり足りないといった様子のエカテリーナからどうにか引きはがしてやる。


「中島は?」


 店内を見回して聞いてみる。


朝とは違って、エカテリーナの劣情をそそり立てるような姿を一目見るべく、客層はほとんどが男性だった。ろくに飯も食わずにコーヒー一杯で粘っているようなものもいる。当の本人は見られていることに対して興味もないようで、下着が見えるのも構わずに足を組んで、目もくれずにひらひらと手を振った。


「昼休憩だって。アタシにも休憩くれたらいいんだけど、マスターったら休ませてくれないのよぉ」

「仕事だけってよりは、夜の愚痴も入ってそうな言い方だな」

「そうなのよねぇ。昨日も遅くまで激しかったせいで、さっきまでベッドでグロッキーだったんだからねぇ」


 フラワーレースのチョーカーを指でずらすと、そこには赤黒い痕がいくつも残っていた。それを見た客どもは露骨に嫌そうな顔をする。


「生々しいからやめろ。いつも言ってるだろ? お前らがベッドでどんな風に遊んでいるかなんて、興味あるやつはいない」

「そう? 棒が足りないから今度参戦してもらおう、ってあの人も言ってたわよぉ」


 もはや何も守っていないスカートが煽情的に揺れているが、俺はそれには目もくれずにカウンター席に座った。掴んだままの雪那も隣の席に置いてやる。


「御託はいいから仕事しろ。働かないで客の席に座ってたら、さすがに中島がブチギレるだろ」

「マスターも人のこと言えないけどねぇ」


 口ではそう言いつつ、エカテリーナは立ち上がってカウンターの裏に回った。

 慣れた手つきで手袋をはめ、ラベルが貼られた麻袋からひと掬いのコーヒー豆を取り出し、それを焙煎機にかけ始める。10分ほどそうしていると、焙煎機からぱちぱちと音が聞こえてくる。


 殆どの工程が自動化した今、人の手がかかったものを──それも、少なくとも俺の口にはAIが淹れたもの以上に美味しく感じられるコーヒーを口にできるのは稀だ。それが例え、昨夜知り合いの身体を隅から隅まで撫でまわしたであろう手で作られているとしても。


「ちょちょっと、ごめんねぇー」


 キッチン内で休みなく作業をこなしている調理ロボットの間を縫って、エカテリーナは粉にした豆をコーヒーサイフォンにセットしていく。フラスコと逆さのガラス瓶が組み合わさったような器具で、下のフラスコ部分の水を熱すると、沸騰した蒸気圧でお湯がガラス瓶の方に移動する。数ある抽出方法の中でも、このやり方で出来上がったコーヒーは特に香りが素晴らしく、抽出中の様子を視覚的に楽しむこともできる。


 エカテリーナの言うところによると、約400年前から変わらない、完成された淹れ方なのだとか。雪那に200年前にも使われていたのか訊いてみたい気もするが、まだ心ここにあらずといった様子だった。


「ほいっと、これサボりの口止め料ってことで」


 湯気を立てたカップが、角砂糖の入った陶器とともにテーブルに置かれる。


「いつも悪いな」


 俺は黒く揺れる液体に、添えられたミルクをとぽとぽと注ぎ、容赦なく砂糖の塊を投下していく。


「いやんっ、せっかく美味しくできたのに、白いので汚しちゃうなんて。せっかく熱々なのに、一口くらいはブラックのまま飲んでくれないとアタシ悲しいなぁー」

「別にいいだろ。これが一番美味いんだよ」


 身をよじるエカテリーナを横目にコーヒーを啜る。キリっとした苦みと絡みつくような甘みが同時に口内に広がっていく。 


「アタシが豆の銘柄とか淹れ方にこだわってることなんか言及もしてくれないし。少しはアタシにも甘ぁいアメが欲しいよぅ」

「コーヒーは俺にとっては糖分をとるための飲み物なんだよ、ほっとけ」

「そんなこと言って、ちょっと手抜いたやつを出したら黙って残していくんだから」


 油断できないのよねぇ、と肩をすくめる。


 そんな会話をしていると、隣の席にもたれるように座らせておいた雪那が、


「うぅ……」


 などと声を漏らしながら起き上がってきた。


「な? 働いているヤツがマトモとは限らないだろ?」

「こ、これは流石に外れ値だと思います……」


 モフられまくって乱れた髪を撫でつけている雪那。まだ膝が生まれたての小鹿みたいに震えていた。


「一体わたしは何をされたんでしょうか……」

「アタシはかわいがってあげただけよぉ? なんなら足りないくらいだけど。いっとく、もうひとモフり?」

「けけけけ結構です! 先っちょだけで大丈夫でした!」

「それは、先っちょだけならまたやってもいいってことかしらぁ?」


 両手をわしわしさせてエアパイ揉みを披露するエカテリーナに、ひぃ、と肩を抱いて震える雪那。顔色が赤と青のまぜこぜになっている。


「嫌われちゃったかしらねぇ。──はい、どーぞ」


 エカテリーナはそんな雪那にも、湯気の立つカップを差し出した。


「え?」


「お近づき兼お詫び的な感じで、一杯飲んでもらえると嬉しいわねぇ。それともコーヒーは苦手だったかしら? 紅茶はマスターの領分だから、そっちがよかったら期待しないでほしいんだケド」

「い、いえ、大丈夫です。いただきます」


 雪那はカップを手に取り、慎重に口を付ける。一口飲むと、雪那はほわっとした表情で驚いていた。


「あ……なんか、すごくいい香りがします」

「あら、分かる? 南米の方の、香りにこだわった豆を使ってるの。この残念男は興味がないみたいだけど」

「それに、苦みが少なくて飲みやすいです。私ブラックなんて初めて飲むのに……」


「そうなのよぉ! 香り出すために深煎りしてるし、本来ならかなり苦みが強い豆なんだけれど、挽くときに粗めにすることで味が濃ぉく出ちゃうのを抑えているのよね! しかも、うちではサイフォンを豆の種類ごとに完全に使い分けていて、味や香りが混ざりあわないように気を付けることで──」


「な、なるほど……?」


 手を取り、熱く語りだしたエカテリーナに困惑する雪那。

 堰を切ったように溢れ出すコーヒーうんちくに適当に相槌を打っていると、店の入り口のベルが鳴った。


「ただいまーっと。ワタル戻ってたのか」

 

 新たな来客ではない。中島が、煙草を咥えて現れた。


「なかなか戻ってこないから心配してたんだが……まあ、まったく何もなかったって感じでもねェか」


 中島が鼻をひくつかせる。自分が吸っている煙草や俺や雪那が飲んでいるコーヒーの匂いの中から、的確に俺にこびりついた硝煙の匂いを感じ取ったらしかった。


 その辺りは職業病だなぁと思わされる。


「ああ、ちょっと……そういや、店の停電は?」

「あのあとすぐに、東京全域がサブ電力に切り替わったらしい。一時間もしないうちに元通りさ。ま、街全体として電力が足りないって話だから、ロボットはあんま動かしてねぇけどな」


 言われてみれば確かに、普段は数台がかりで配膳と清掃を行っているロボットが、今は一台しか動いていなかった。 照明も心なしか、点いている数が少ないように思える。


「一応確認するが、永久機関が吹っ飛んだってことは間違いねェんだよな」

「ああ、間違いない」


 中島がリモコンを操作してニュース画面を表示してくれる。


 いつもの報道番組が流れ始めた。ちょうどスタジオのアナウンサーのバストアップから、さっきまで俺と雪那がいた東京都永久機関の爆発現場を映したリアルタイム上空映像に切り替わったところだった。


 上からの映像を見ると改めてわかるが、やはり永久機関が存在していた地点を中心として放射状に、そこにあったはずの何もかもが跡形もなくなっていることが確認できる。


 ニュースキャスターが、未知の物質による被害だとか、今後のエネルギー的課題だとか話している。それに対して専門家と銘打たれた白髪の人物が、より大きな問題は永久機関を作る技術がロストテクノロジーであることだと語っていた。


「どっちもわかっちゃいねぇさ。永久機関がなくなったらこの街には住めねぇ。だから他の街への大移動が始まって、ここは人っ子一人いねぇ廃墟地帯と化す。そんだけだ」 


 この店も終わりだな、と、中島が煙をくゆらせる。


「意外だな。もっとこの店に愛着があるもんだと思っていた。新装開店した頃は客入りがなくても一日中カウンターに立ってたろ」

「愛着はある。だが、現実が見えないほどバカにはなりきれねェ。東京自体に未来がなくなっちゃァ、致し方がねェよ」

「そうか」


 ニュースに視線を戻し、俺は甘ったるいコーヒーを啜る。


「そんなどうにもならん話より、リーナと喋ってる子は連れか? ……まさかお前、停電中に子ども攫ってきたのか?」

「クソ野郎が、なんでどいつもこいつも俺が人攫いみたいな言い方をする……あの現場で出会ったんだよ。行く当てもなさそうだから連れてきた」


「それは一般的に誘拐と言われても言い返せんだろ。一緒に歩くには身長差が不自然すぎる」

「いいや言い返すね。本人の意思確認了承済みだ。雪那」


 声のボリュームを上げて呼ぶと、会話中の女性陣ふたりがこちらに向き直った。


「こいつ、ここの店長の中島な。下の名前は知らん」

「オイ」

「んで、こっちは雪那な。上の苗字は知らん」

「私さっき言ったばかりですよね!? 神薙です!」

「そうだったか?」


 中島は俺たちの様子を見て腕を組んだ。


「しかし、お前が女なんて拾ってくるとはな。もっと胸のデカい女が好みと思ったが」


 顎で示した先で、自慢の胸部装甲を腕で持ち上げているエカテリーナ。

 雪那がお世辞にも平均並みとも言えない自分の胸元を見て、悲しそうな顔をする。


「そういう目的で拾ってきたんじゃねぇよ。ケツのデカさ基準でエカテリーナを採用したお前と一緒にするな」


「女のケツのサイズは何よりも重要だろ。童貞は女との思い出がママしかないから乳しか見ちゃいねェから困る。いいか? 大事なことを教えてやる。人間ってのは母親とセックスはしねェ」

「ああそうだ、男ってのはその乳に母性を感じるのが本能ってもんなんだよ。ケツなんてのはな、おっぱいのニセモンだ。尻フェチってのはおっぱいがないから仕方なく尻を揉んでるだけだ。本能ではおっぱいを求めるが故の行動だ。乳より尻が好きなヤツは哺ケツ類だ」


「カップ数のアルファベットが増えていくだけで興奮できるのは立派な才能だ。今後も英語の教科書でおっ立てて一人遊びを楽しんでくれ」

「そもそも尻は排泄機関なわけだが。つまり人間はケツに興奮するようにはデザインされていない。おめでとう人間卒業」


「この二人は何を言い争っているのですか……?」


 男の尊厳を懸けた論争がヒートアップしかけたところで、俺と雪那の腹の虫が鳴った。


「し、失礼しましたっ」


 雪那の顔が、先ほどとはまた違う羞恥の色に染まる。

 中島が軽快に笑った。


「構わねェよ。一応メシ屋だし、好きなもん食って行けよ」

「一応メシ屋なら、客の前で煙草はやめろ」

「……」


 構わず、煙を輪の形にして吐く失格カフェ店長。


「ごはん、いただきます! ──えっと、メニューは……あれ?」


 視線をふらふらと彷徨わせる雪那。

 しかしテーブルの上にはメニューは存在しない。


 そうか、時代が違うとこうなるのか。


 はてなマークを浮かべながら、ありもしないメニュー表を探してテーブルの下やらを物色し始めている。その様子を怪訝な目で見る店員組に、


「雪那は機械音痴らしい。だから自分の携帯端末とか持ってないらしいぞ」


 とごまかしを入れておく。


 二百年前から眠っていたとかいう俺もよく理解できていない話は、飯の前に話すような内容ではないだろうな。長くなりそうだし。


「え、雪那ちゃん、本当に端末もなにも持ってないの? ってことはスマコンも入れてないってことよねぇ?」

「す、スマ……?」


 遠慮もなく叩きつけられる謎の単語に、雪那はクエスチョンマークを浮かべることしかできない。


「あー雪那はそういうの本当にわからんから」

「だが、端末もないなら注文ができねェぞ。戸籍情報に紐付けされてないわけだからなァ」


 中島は雪那ではなく俺に向かって話しかけている。

 言いたいことは分かっている。

 状況は道中で服を買った時と同じだった。


 俺たちが生まれた瞬間に登録される電子戸籍。

 名前や住所、健康状態、銀行口座、一日に摂取した栄養分まで、俺たちを管理するために必要なあらゆる情報が紐づけられており、決済の際は俺が服を買ってやった時のように、虹彩や指紋を提示すれば自動で引き落としが行われる。


 本来は全人類が戸籍情報の管理下にあるはずだが……200年眠っていたと自称する雪那には、それがなかったのだ。


「お前だって知ってるだろ? メシは一人ひとり、推奨摂取量を元にしてAIに管理されてる。戸籍もない嬢ちゃんに無料提供っつーわけにはいかねェんだよ。それともお前の夕飯分を差し出すか?」

「それは絶対に嫌だ。頼むよ、服が思ったより高かったんだ」


「黙れスカンピン。その嬢ちゃんの分は金を出しな」

「……スカンピンなのは雪那のほうなんだぞ」


 俺は自分の分の完全栄養食(ペペロンチーノ)を選択する。

 

 スマコンを付けていない、そもそも携帯端末すらも持っていない雪那には仮想モニターが見えていない。俺はポケットに入っている予備のスマコン一セットを取り出し、雪那の前に滑らせる。


「それがスマコン──スマートコンタクトだ。とりあえず目に入れてみろ」


 雪那はケースから、透明な表面に細かい回路が走っているコンタクトを取り出す。


「これ、目に入れるんですか……? 眼球が傷つきそうで怖いんですが」

「俺らも全員入れてるがまったく問題ない。そいつがないと注文できんから、とりあえず入れてみろよ」


 本当はスマコンを通さずとも、俺の端末を貸してやるだけで料理の注文はできる。この時代に慣れてもらうための方便だ。

 俺の言葉を聞き、雪那は大げさにビビりながらも、その大きな瞳にコンタクトを入れた。


「んじゃ、接続するからな」

「接続って……ん? んんん?」


 端末を操作し、連携しているスマコンを俺がつけているメインから予備のものに切り替える。すると俺の視界の端に表示されていた情報がぷつりと消えた。代わりに雪那の視界に同じ情報が表示されているはずだ。


「な、なんだか不思議な感じです。ゲームの中に入ったらこんな感じなんですかね?」

「で、下の方にメニューがあるだろ? タップしたら開くからな」

「下、下……あれっ」


「雪那ちゃん、首ごと動かすんじゃなくて、目だけ下を見る感じよぉ。首から下を向くと、メニューも下にいっちゃうからね」

「こ、こうですか」


 雪那のかわいらしい顔が寄り目になったり、顔を固定しようとして顎に手を当てたせいで変顔みたいになったりしている。カウンターを挟んで正面からそれを見ていた中島は、後ろを向いて肩を震わせていた。


「あ、あ、できました!」

「んじゃ好きなの注文しろ。料理の下に書いてある数字は気にしなくていいから」

「あ、はい。えっと……」


 雪那はおぼつかない手つきで空中をスクロールしていく。 

 何回か手を往復させたところで、その動きが止まった。


「お、オムライスは200年経っても存在しているんですね!? オムライスは永遠……」

「よくわからんがオムライスでいいのか?」

「はい、購入押しちゃいますね」


 雪那の謎の感動についてはよくわからなかったが、とりあえず自分が食べるものは注文できたらしいので、予備のスマコンは回収させていただく。

 慣れないコンタクトを外して目をシパシパさせている雪那に、吸いきった煙草を灰皿に放った中島が訊ねた。


「ところでちょっと聞こえちまったんだが……200年経ってもって何? 嬢ちゃんは200歳越えってことか? ババアなのか?」

「バっ……!」


 雪那が机を叩きながら立ち上がった。


「そ、そんな風に見えますか!? 自分的にはぴちぴちな10代の女の子なつもりなのですけど!」

「見えない、見えないから落ち着け!」


 先刻クロネに食らわせた飛び蹴りを再度繰り出そうと、呼吸を荒げはじめる雪那を慌ててなだめる。


 その情報を公にしていいかどうか迷っていたので黙っていた俺だが、雪那から開示したのであれば俺に責任はあるまい。この機に乗じ、俺も気になっていたことを問いただすことにした。


「てか、そこは俺も気になってた。200年眠ってたって話はさっきも聞いたんだが、信用する根拠がなくてな」

「ふむ、根拠ですか……」


 指で顎を挟んで考え込む雪那。


「どう説明したものか難しいですよね。未来から来たとしたら、これから起こることを言い当てれば信用してもらえるのかもしれませんが、私の時代で起きた過去の出来事を話しても証明にはならないでしょうし……」

「そりゃそうだ」

「そもそもババアであることを証明しろってェのはだいぶ酷……なんでもないです」


 かわいらしい目に睨みをきかされた中島が言葉を引っ込める。


「それで言うと、あの身体が回復する体質ってのも、簡単には説明のしようがないよな」


 その言葉に、雪那の悩み顔は引っ込んだ。


「あ、そっちは簡単に説明できますよ。例えば──ちょっと刃物借りていいですか?」

「先に言っとくが、赤はご法度だからな」


 俺は言われるがまま、雪那にナイフを渡してやる。


「ちょっとここ持っておいてもらえます?」

「ああ」


 俺は言われるままに雪那の髪を握る。絹糸のような柔らかい感触。


 雪那は空いた手で俺とは少し離れた部分を持ってぴんと張ると、鋭い刃を使って二人の手の間にある部分をぶつり、と断ち切った。

 俺の手に、雪那から切り離された側の髪が残る。雪那が持っている側は他の部分に比べて毛先が荒くなり、短くなってしまったわけだが……


「……?」


 様子を見ていると、驚くべきことが起こった。


 切断されたはずの髪束がぐんぐんと伸び始め、元の長さに戻ってしまったのだ。

 代わりに、俺の手に残っていたはずの髪束はいつの間にか跡形もなく消えている。


 落としてしまったわけでもない。膝の上にも床にも、本当にどこにもない。


「こんな感じですかね。今現在の私の身体から、少しでも傷つけられたり形が変わったりすると、今見せたように元に戻るんです。これは、身体のどの部位でも同じです」

「……信じられん」


 中島もエカテリーナも、先ほど目の当たりにしていた俺でさえも、手品としか思えないその現象に全員が目を丸くしていた。


「どうしても信じられなければ、指切ったりとか、心臓を抉ったりしてみてもいいですけれど」

「赤はご法度だって言ったろ。これから飯が来るのに食欲がなくなっちまう」

「あ、ですね。失礼しました」


 雪那が俺にナイフの柄を向けて差し出してくる。俺はそれを受け取り、くるりと回してホルダーに戻した。

 

 その様子を見て、雪那が不満げな顔をする。


「というか、私としては普通に武器を携帯している千野さんのことも気になりますよ。銃とか撃ち慣れているみたいでしたし。なのに無職なんですって、絶対ヤバい人ですよね?」

「だから今の時代に無職は珍しくねぇって……銃は売ってくれる奴がいるんだよ。護身用に持ち歩いてるだけだ」

「護身用、ですか」


 腑に落ちたような、納得しきっていないような、微妙な態度で首をひねる雪那。


「そうだなぁ……例えば、今この瞬間にクロネが五億人乗り込んできたとするだろ? 相手は全員銃を持っていて、殺す気満々だとする。それでも丸腰の方がいいと思うか?」

「そ、それは……極論過ぎませんか?」

「かもな。だが、もし本当に抵抗手段がないせいで殺されるような状況になったら、きっと俺は最期に自分が武装してなかったことを呪う。ま、無駄に準備がいいやつだとでも思っといてくれよ」


 やがて、俺たちの前に、配膳AIが二皿の料理を持って現れた。

 黄金色の卵にデミグラスソースが惜しみなくかけられた、明らかに美味そうな方の皿を隣に滑らせてやる。


「ほらよ。200年後の味が口に合うか知らんが」

「ありがとうございます、いただきます!」


 雪那はテーブルに備え付けてある中で一番大きなスプーンを手に取ると、湯気をあげるオムライスを大きくすくって口に運んだ。AI的ベストオブ半熟な卵とケチャップライスをめいっぱいほおばると、すぐにその卵と同じくらいにとろけた表情になる。どうやらお気に召したらしい。


「好きなのか、オムライス」

「ひひへ、好ひへはありふぁへん」

「飲み込んでから喋れ。にしては、だいぶ美味そうに食ってるように見えるがな」


 小さな口の容積限界まで詰め込んでいたオムライスをどうにか嚥下した雪那は、やけに真剣なまなざしをしていた。


「私は全てのオムライスを愛することはできません。私が愛するのは、おいしいオムライスだけです」

「……はい?」

「千野さんにもわかってもらえると思いますが……例えば、千野さんは巨乳がスキなんですよね。逆に言うと貧乳はそこまで好きではない、と」


 俺の視線が自然と、雪那の顔から下にずれる。横から見るとそのサイズ感がより浮き彫りになる。エカテリーナという比較対象がいるのだから尚更に。


「まぁ、そうだな」


「私の胸を見ながら言わないでほしいんですが……ですから、千野さんは大きなおっぱいが好きなだけで、おっぱいという存在を博愛的に愛しているわけではない、ということになるわけです。私もそれと同じで、美味しいオムライスは大好きですが、卵がボソボソ、ライスがべちゃべちゃのオムライスまで愛することはできないということです」


「わかったような、わからんような……?」

「……私、今さらっと自虐してしまいました。心が痛いです」


 胸元に手を当てて肩をがっくりと落としている。


「まあ、要はうちのオムライスは美味いから好きってことだろ?」

「はい! 卵がとろっとろで、濃い味のソースと絡まってとってもおいしいです!」

「嬢ちゃんみたいにかわいい子なら、毎日食いに来てもいいんだぜ? どうせこいつの奢りだし」

「AIが作ってるんだからどこでも同じ味だろ。ここで食う必要はない」

「とか言ってお前は常連だろうが。いいだろ、毎日バイクに乗っけてくるだけだ。若い女の子は他の男の味なんて覚えなくていーんだよ」

「毎日俺の金が減るだろうが」


 オムライスを夢中でがっつく雪那を見ていると、視野の右上にあるメッセージボックスがぴこん、と震えた。

 焦点を合わせると受信箱が開く。いつの間に打ち込んだのか、差出人は中島だった。

 本人は何食わぬ顔で雪那を口説くような文句を口にしているが、内容は全く違うものだった。


『これからどうするつもりだ』


 いうまでもなく、雪那のことだろう。

 ポケット内で端末を操作すると、視界内に文字が記述されていく。


 隣のオムライスオタクはいかにバランスよく卵とライスとソースを掬うかに異常な信念を注いでいるが、そうでなかったとしても気づかれはしなかっただろう。 それくらいの手際は持ち合わせている。


『”唯”のところに連れていくつもりだ』

『行くのはいいが、戸籍情報もないのに調べがつくかね?』

『姉貴に関係している可能性があるからな』


 そう送信すると、コンマ01秒だけ中島の表情が固まった。オムライスに夢中な雪那は気づきもしない。


『つーことはお前、ついに止まっていた時が動き出すってわけか』

『なんだその表現。似合わねぇな』


「おかわりでーす!」

「おわ!?」


 雪那がスプーンを掲げて立ち上がる。手元の皿には米粒一つ残っておらず、それどころかソースの跡すらほとんど残っていなかった。


「お前……皿舐めただろ」


「細かいことはいいじゃないですか! 私はまだおなかが空いていますよ!」


 ペロリと舌を出して、どや顔でスプーンをこちらに突き出してくる。


「メシ食ったとたんに元気になりやがって……参考までに聞くけど、今で腹何分目だ?」

「まだ一分目なので余裕でーす! 私の胃袋は無限なので! どんどん持ってこーい!」

「大食い大会じゃねぇんだが!?」


 この店のオムライスは一皿の量だってそこそこある。完全栄養食ばかりで胃が縮んでいる俺が以前オムライスを注文した時には、一度に食べきれずに二食に分けて消費した記憶がある。


 しかし事実、白い布一枚を隔てた彼女のお腹を見てみても、まったく膨らんでいる様子はない。


 まさか、自分の身体の形を保つという彼女の力が、食べたものを胃の中で消し飛ばしているのではあるまいな。


 そんな懸念を抱きつつ──


「……中島」

「おう」

「……こいつが満足するまで食わせてやってくれ」


 俺は予定外の散財を覚悟してため息をついた。

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