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神薙雪那

 悪い癖だとは思う。


 何かが起きればすぐに、その全てを知っていたいと考えてしまう。


 俺が一人、何かが起きた永久機関を目指しているのは、その程度の動機でしかなかった。


 知的好奇心などという高尚な精神ではない。

 ただ単に、世界で何が起きているのか知らないことが怖いという、受動的でネガティブな感情に従っているにすぎない。


 そこには正義感や、ほんの少しの野次馬根性さえも絡まない。

 きっと、あのトラウマがそうさせるのだと思う。得体のしれないものがあるということ自体への恐怖。その不確定要素を自分の心から弾き出すため、俺は今バイクを走らせている。


 路上には、電気自動車が気持ち悪いくらいに同じ間隔を開けて走っている。どの運転席にも人の姿はない。自動運転が普及した今、車はほぼすべてが無人タクシーと化した。


 電気自動車の群れが坂道をえっちらおっちら登っていく。そのノロマの間を、バイクのギアをトップに入れてすり抜けていく。これだから電気自動車は馬力がなくていけない。


 停電によってネット回線も死んだらしく、スマコンに出てくるはずの経路案内も表示されない。

 なんとなくの記憶を頼りに、俺は東京の永久機関があったはずの場所に辿り着いた。


 しかし──そこには何もなかった。


 「なっ……」


 ただただ、むき出しになった土の地面が広がっている。そこにあったはずのコンクリート製のキューブはどこにも見当たらない。生み出されたエネルギーを送り出すための設備もない。まるで最初からこの場には何もなかった、と、空間そのものに主張されているかのようだった。


 そして足元の土には、僅かにだが強い風によって作られたと思われる波のような模様が残っていた。


 「……」


 現場には近づくな、というニット帽の警鐘がリフレインする。


 そしてそれを打ち消すほどに湧き出てくる恐怖。


 選択肢は──一つしかない。


 バイクのタイヤは、コンクリートの道路から舗装されていない地面へと進んでいく。


 細かな石も混じっていない滑らかな土が続いているようで、ハンドルを取られるようなこともない。波状の模様を頼りに、まっすぐに中心部に向かっていく。


 人の気配は全くない。それどころか警備するAIロボットすらも見当たらないのが不気味だった。


 百メートルほど進んだだろうか。

 ようやく、俺は何かが遠くの地べたに蹲っているのを発見した。

 

 近づいて気づいた。そこは、三百六十度全てに向かって、爆風による波が発生している場所。

 つまり、爆心地だ。


 その真ん中にいたのは……いや、あったのは、ひとつの肉塊だった。


 人間らしい肌色をしたそれは、膜のようになっている物体の内側から何かが蹴り飛ばしているように、様々な方向へぶよぶよと蠢いていたのだ。


 「なん、だ……これ……」


 俺が呆然と見つめる中、その肉塊の変化は次の段階へと進んでいった。


 それはやや細長い長方形に近い形態をとり、四隅からさらに細い部位が伸びる。伸びた先端が五つに枝分かれした。かと思えば、長方形の短い辺からもう一つの塊が作り出され、いびつな球を作り出した。それはみるみるうちに細かく情報が書き加えられていき、二つの穴が空いたところに眼球が出来上がり、耳が生え、口と思しき裂け目が生まれた。


 つまり、その肉塊は──

 ──人の形をとり、変化は止まった。


 それは少女だった。


 吸い込まれるように黒く艶めいた髪と光を跳ね返すほどに白い肌色。肩から足までがすらりとして、まるで芸術家の描いた会心の曲線のようだ。地に倒れ、一糸もまとわぬその姿は、精巧に作られた人形と区別がつかないほどに整っているように見える。


 その目は固く閉じられているが、同じく希代の造形師によって設計されたかのように美しい顔立ちであるのが分かる。


 「んぅ……?」


 その女の子は、俺が声をかけずとも意識を取り戻した。


 すぐに、目の前にいる俺に気づき、出来上がったばかりの口を開いた。


 「今はいったい……西暦何年なのでしょうか?」


 「え……」


 言葉が詰まる。


 目の前で起きたことが信じられず、少女の簡単な疑問すら脳が処理しきれない。


 それを見て、少女は頬にかかった髪を払う。隠れていた顔は、得心したような表情をしていた。


 「その様子だと、一部始終を見られてしまったようですね。お見苦しいものをお見せして申し訳ありません」

 「い、いや……」


 落ち着いた静かな声。意図的にそういう声を出したのかはわからないが、その声を聞いて俺の動揺は少しずつ収まりつつあった。


 彼女はまるで久々に手足を動かすかのように、少しずつ感触を確かめるようにしてからゆっくりと立ち上がった。自分が何も身に着けていないことも、靴を履いていないことも一切気に留めない様子で、裸足のまま棒立ちになっている。自らが持つ女性的な部分を隠そうともしない。


 「申し遅れましたが、わたしは神薙雪那(かんなぎせつな)と申します。16歳です」

 「あ、ああ……俺は千野ワタル。25歳だ」


 お見合いか、と突っ込みたくなるようなやり取り。

 

 かと思っていたら、雪那と名乗った少女はいきなり噴き出した。


 「ぶふっ……え、あの、本当に25歳です……? なんというか、その」

 「黙れ。老け顔は自覚してる」

 「いや、そんな失礼なことを言うつもりでは……あ、あの、茶髪パーマとおひげ、似合っていると思います」

 「クソが。ほっとけよ」


 素っ気ない対応で返す俺に、雪那は軽く頭を下げる。


 「気に障ったなら申し訳ありません。千野さん、ですね」


 言いながら、まじまじと俺の姿を見ている。


 「あ、背! 背が大きいです、とても!」

 「身体的特徴をけなした罪は、身体的特徴を褒めても帳消しにはならんからな? ……とりあえず、これでも着とけ」


 羽織っていたバイク用のジャケットを投げてやる。別に欲情したりはしないが、このままでは目のやり場に困る。雪那は小さく礼を言うと、ぶかぶかのジャケットに袖を通した。


 「それで、繰り返しになりますが……今は、西暦何年なのでしょうか?」

 「まるで記憶喪失みたいな言い方だな……」

 「そうですね、そのようなものです……あ、ちょっと待ってくださいね。こんな感じで言ってもらえます?」


 少女はそう言うと、俺にしゃがむようにジェスチャーしてくる。膝を折って目線の高さが合うと、その小さな顔を俺の耳に寄せてきた。


 「はぁ。よくわからんが、お前が言ったとおりの流れで話せばいいのか?」

 「私が起き上がるとともに、神妙な表情でお願いします」


 雪那はにやにやとしながら地べたに寝転がり、まるで今起きたと言わんばかりの表情を作って、がばっと起き上がった。


 俺は囁かれたセリフをなぞりながら、病状を告げる医者のような表情をイメージして視界の左上にある日付を読み上げる。


 「いいですか、落ち着いて聞いてください。貴方が眠っている間に、世界は2221年になりました。」

 「ありがとうございます」

 「なんだったんだ、この流れは」


 雪那は白魚のように細い指を折ったり伸ばしたりして、何かを数えている様子だ。


 「ええと、196年……だいたい2世紀ですか」

 「2世紀?」

 「私が眠っていた時間です。2025年の記憶が最後ですので……といっても、その間は本当に深く深く眠っていて、時間が過ぎ去った感覚がありませんから、全く実感がないですけれども。あ、ちなみにさっきやってもらったのは、あなたから見て200年前のインターネットのネタです。ご協力ありがとうございました」


 雪那がぺこりとお辞儀をするが、俺はその意味をまったく理解できずにいた。


 200年もの間眠っていた?

 2025年?


 理解できないのは先の現象もそうだ。


 あの肉塊が、映像を逆再生されたかのように目の前の少女になり、それが生きていて言葉を発している事実が、自分の目が信じられない。まだ悪い夢と言われた方が信用できるくらいだ。

 今更になって、中島の「何が起こるかわからない」という言葉がよぎる。


 雪那はまだ開ききらない大きな瞳で周囲を見回して、感心したように呟く。


 「二百年も経つと景色も変わるものですね。知っている建物がひとつもありません。東京スカイツリーとか、なくなっちゃったんですかね?」

 「スカイ? ツリー? 空飛ぶ木か?」

 「当時は634メートルの高さの電波塔で、世界一の高さだったんですけど……」

 「スカイツリーとやらは知らんが、今時その程度の高さの建物なんか珍しくないぞ。そのくらいの高さの部屋に住んでるやつを知っているが、マンション全体でみると中層階だな」

 「すご! 人類の進歩すご! 耐震性とかどうなっているのですか!?」


 無邪気に興味を示す雪那を見ていると、逆に俺の頭は冷静になってきた。

 冷静になると共に、彼女のことを何も知らないという現実に、身体を搔きむしりたくなるほどの嫌悪を感じる。


 「それよりも、俺はお前について説明を求めたいんだが……」

 「あ。やっぱりそうですよね」


 雪那は眉尻を下げて苦笑する。


 「話したくないのか?」

 「いえいえ。状況的にも説明しないとなー、とは思っていますよ。わたしが自己再生するところもご覧になりましたもんね?」


 自己再生と、それがなんでもないことのように言ってのける雪那。


 「……やはりあれは、自分の力で身体を治していたということになるのか……」


 「そうですね。この時代でもやはり驚かれてしまうのですね」


 2221年となった現代医療では、幹細胞を用いた臓器や筋肉、皮膚の再生は実現している。自分の幹細胞を利用して作り出したものだから拒絶反応は出ないし、AIが手術の大半を担うようになった今、移植が失敗したという話の方が珍しいくらいだ。


 「100年だか前までは他人の臓器を移し替えるとか、別の場所から皮膚を切り取って移動させるとか、ちょっと信じられないようなことが行われていたらしいけどな」

 「それ、当時は最先端だったし何の疑いもしなかったですけど、冷静に考えたらかなりグロいですよね」


 たはは、と雪那が笑う。

 

 しかし、この女はそういった医療すらも用いず、自分の力だけで再生しやがった。

 普通じゃない。この女は明らかに普通じゃない。


 そもそも何故ここにいる?

 永久機関の周囲は立ち入り禁止区域のはずだ。

 いや、そもそもなぜ、どうやって永久機関が破壊されたのか。


 もしかして、眠っていたとかいうのは嘘で、この状況はこの女の仕業なんじゃないのか。


 死ぬような状況になっても再生できるのならば、例えば自爆覚悟で爆弾を起動するなど、自分の身を顧みない作戦をいくらでも実行することができる。


 200年間も眠っていたなどという言葉も、鵜呑みにできない。


 神薙雪那と名乗った少女が自分を欺かないと言える保証はどこにもない。


 そんな発想が次々と湧いてくる。


 「おっと。そんな話をしてる場合じゃなくなったみたいですね」


 雪那の視線が微妙にずれた。

 見ているのは……俺の背後。

 俺が飛びのくようにして振り返ると、そこには別の少女が突っ立っていた。


 光を吸い込みそうなほどに漆黒の瞳と髪。その顔には何の表情も宿していない。そして右目から右側頭部までを覆うようにして、大きなインカムのような形の金属がくっついている。そこから伸びるアンテナじみたパーツは、少女の頭頂を超える高さにまで達していた。


 身体を包むのは黒い一枚の布。一見するとチャイナドレスのようだが、よく見るとそんな華美なものではない。面積自体は大きいが、布の真ん中に穴をあけ、それを頭からかぶっただけ。裾はボロボロで、生地も傷んでいるのがわかる。


 「……!」


 その姿を見た瞬間、頭痛を伴って、俺の最悪の記憶が紐解かれた。


 「クソがっ……!」


 脳が頭蓋骨を内側からぶん殴るように暴れる。


 胃液が出口を求めて食道を駆けあがってくる。


 あのトラウマが、蘇る。


 意識が混濁する。強制的に引きずり出される記憶。


 気持ちが悪い。


 両親が。溶ける。黒服たちに囲まれて。


 ぼやけた記憶の。


 ピントが、合っていく。


 記憶の中で俺たち家族を蹂躙する黒服。その姿に──


 ──今眼前にいる少女のあどけない顔が……重なった。


 その瞬間、一気に俺の意識が現実に引き戻される。


 ひどい乗り物酔いになったようなだるさの身体に無理やり命令を下して、俺は腰の膨らみに手を突っ込み──拳銃(M1911)を抜く。


「っ何者だ!」


 銃口が揺れる。

 いや、俺が揺れているのか。

 俺の視界だけが揺れているのか。


 わからない。だが、銃口は逸らさない。


 空いている左手で、まだズキズキいっている頭を左目ごと押さえつける。


 今、それはいらない。黙れ。黙れ。


 さっきまでせこせこ考えていた雪那犯人論は一旦封印することにする。明らかに、より危険な人物がここにいる。


 拳銃を向けられても、真っ黒の少女は何の言葉も発しない。


 返答の代わりに、少女は服の中に手を突っ込み──その小さな手に、黒く光るものが握られているのが見えた。


「抜かせるわけねえだろ!」


 俺の拳銃が撃ち出した弾丸が、少女の靴から数センチのところを穿って土埃を上げた。


 硝煙の匂い。


 さすがに一瞬怯んだ相手を警戒していると、背後から雪那の声がした。


 「もう撃たないでください! さっきまでフラフラだったのに、銃なんて撃ったら危なすぎます!」

 「うるせえよ。デカい声を出すな、頭にガンガン響いてクソみたいな気分だ」


 肩越しに雪那を睨む。一瞬の視線の交錯だったが、俺に駆け寄ろうとしていた足がびくりとして、止まった。


 多分、俺の瞳孔は開ききっているのだろう。邪魔者もなく降り注ぐ日差しがやけにまぶしく見える。今鏡を見たとしたら、別人のような自分がそこにいるに違いない。


 そんな大男の顔を見てなお、少女に相変わらず表情はない。俺の放った威嚇射撃をどのように受け取ったのかすら読み取ることはできなかった。


 それでも俺は射線でその少女を捉え続ける。


 遮蔽物となるようなものは一切ない。銃は、絶対に抜かせない。


 膠着する状況。


 俺たちの間合いの真ん中を横風が通り抜けていく。


 「お前に、聞きたいことがある」

 

 「……」


 少女は言葉を発しない。


 「あの時、俺の姉貴を、どこにやった。答えろよ!」 

 

 「……」


 答えは、沈黙だった。


 「……クソ野郎が!」

 

 「落ち着いてください!」


 しびれを切らして二発目を放とうとした俺を、いつの間にか近づいてきていた雪那の手が止めた。


 「お前もあいつの仲間か!?」

 「ぶべっ」


 華奢な手を振り払いざま、肘打ちをかます。鼻柱の骨を砕く嫌な感触がする。

 普通の人間ならばそれだけで地面に突っ伏すようなクリーンヒットだったが、雪那は手を放そうとしない。


 そうだ、こいつには再生能力があるのだった。


 「だから、落ち着いてくださいってば!」


 俺が追加で裏拳でもぶち込もうかと考えていたのを読み取ったのか、雪那が必死に声を上げる。


 「アレは、クロネといいます。彼女と会話することはできません。そのような命令は受けていないでしょうから……」

 「クロネ? 命令? 一体何の話をしている?」


 雪那の言葉に意味を感じない。ふつふつと沸き立つ頭には、喧騒にしか感じられない。


 それでも、雪那は必死に説得しようとしていた。


 「あとで説明します! あなたと彼女の間に何があったかは分かりませんが、とにかく、クロネからはあなたが知りたい情報を引き出すことはできません。どんなに痛めつけて脅したとしても、あの子は何も話しません」

 「そりゃあ、やってみなきゃわかんねぇさ」


 煩わしい。


 考えてみれば、俺とこいつは出会ったばかりで、名前くらいしか知らない。


 その言葉を信じる義理などない。


 俺は再び引き金に指をかけ──手始めにと、クロネの大腿部に狙いをつけて撃つ。

 しかし、その弾丸がクロネに届くことはなかった。


 「ぐっ……!」

 「っお前!?」


 銃口とクロネを結ぶ一直線。

 その間に割り込んだ少女の胸の中心に、鮮血の花が咲いていた。


 その花が形を保っていたのは一瞬だった。前のめりに倒れる雪那の胸から夥しい量の血液が零れ落ちる。絵のように美しい瞬間にも思えた。小さな体のどこに、こんなに血液を貯めこんでいたのか。


 ああ。

 俺は彼女の心臓を穿ったのだと、初めて気づいた。


 右手に握る銃の冷たさが、腕を通り、全身に広がっていく。

 それに同調するように、俺の煮えたぎった怒りは冷めていった。

 

 「……お、落ち着いて、いただけましたか」

 「……クソ」


 雪那はまだ傷口から血を流しているが、俺を支えにするようにしてよろよろと立ち上がった。その流血は既にほぼ止まっている。早くも再生が始まっているのだ。


 「クロネの狙いは私です。千野さんが私を置いて去れば、あなたに危害を加えたりはしないと思います」

 「なに……?」


 自分を狙ったわけでもない攻撃に割り込み、常人ならば死ぬような傷を負って、それでも少女は冷静に言った。


 自分を見捨てて逃げろ、と。


 関わるな、と。


 冷えた頭が、遅れを取り戻すように急速に回りだした。


 クロネと呼ばれた少女は二十年前、俺の家族を殺し、姉を攫っていったかと思えば、今度は一人の少女を狙っている。

 

 姉と、俺が撃ってしまった少女は無関係だ。


 こいつを助けたところで、姉が返ってくるわけではない。


 雪那が姉に重なったわけではない。


 だが。


 俺は呼吸を整える。まだ僅かに泡立っていた精神が凪ぐ。


 「了解した。意地でもお前を連れて逃げてやる」

 「わけがわからないよ」


 雪那が目を丸くして、動物のイラストみたいなωの口をしている。


 「なんだ、急に口調変わりやがって。また200年前のネタか?」

 「お、よくわかりましたね。今の声真似には自信があります」

 「多分、それが伝わるやつはもう全員死んでるからな」


 ふんす、と得意げな鼻息の雪那。


 「って、そうじゃなくてです。あなた一人なら絶対に安全に逃げられます。バイクに乗るまでの時間は私が稼ぎますから」

 「黙れ。決定事項だ」


 俺は頑として譲らない。


 改めて、黒服の少女と対峙する。


 無尽蔵に湧きあがろうとする怒りは、トラウマは、理性で無理やりに押さえつける。


 「ヤツを無力化する手段に心当たりはあるか? なければ殺す」

 「頭の機械を破壊すれば、彼女は動けなくなります」

 「オーケー」


 仕組みはわからないが、ひとまず彼女の言葉を信じてみることにする。


 精神の落ち着きを保ちながら、雪那が言う機械に照準を合わせた瞬間──クロネが消えた。


 否。消えたのではない。自然かつ驚異的な速度で膝の力をガクンと抜いたのだ。重心が崩れて倒れ込む作用を利用して駆け出し、もう俺たちとの距離を半分以下に詰めている。


 手には彼女の二の腕ほどの刃渡りをもつナイフ。刃が太陽の光を受けて煌めく。


 腕を顔に巻き付けるようにして構えながら突っ込んでくる──!


 「くっ……」


 なんとか反応してこちらもナイフを抜き、まっすぐ首を掻き切りに来た斬撃と切り結ぶ。勢いはあったが、クロネ自身には見た目通り力がなかった。わずかな時間の拮抗。ブラックホールのような目が至近距離に迫る。まつ毛が触れ合いそうになったのを、彼女の身体ごと押し返す。


 「すみません、5秒だけ時間を稼いでください!」


 数メートル離れた位置から声がした。返事の代わりに、俺は前に出る。


 突進を跳ね返されて体勢を崩しているクロネに対し、躊躇なく三度引き金を引く。飛び出した弾丸の一つは頭部の機械に当たるかと思われたが、咄嗟にかぶりを振ったクロネの生身の部分に阻まれた。左目尻をかすめ、片耳が引きちぎれる。飛び散る赤い液体。


 痛みに顔を歪めることもなく、クロネはお返しとばかりに今度こそ銃を抜いた。発砲音。銃弾は空気をうねらせながら俺の背後に逸れていく。


 腕の細いクロネは銃の反動を制御しきれなかったらしく、無理やりに地面を転がって勢いを殺す。土まみれでよろよろと立ち上がった彼女の右腕が、肩からだらりと垂れていた。どう見ても肩が外れている。それでもクロネは冷や汗一つ見せない。


 戦闘内容で言うなら俺が押しているはずだった。


 なのに、気味が悪い。


 自分が優勢であるという実感がない。


 むしろこちらが冷や汗を流しているのではないかと錯覚してしまう。


 そんな嫌な空気を、気合の入った声が切り裂いた。


 「おまたせしましたっとぉ!」


 バゴンっ。


 それは、雪那が突撃のために地面を蹴り飛ばした音だった。


 そのひと蹴りで地を這うようにクロネに接近する。彼女が立っていたはずの場所には、小さな爆弾でも破裂したかのような亀裂が残っていた。


 クロネが何か動きを見せる隙も与えない。反応すら許さない。ネコ科動物のような低い体勢で一直線に突っ込んでいく。ソニックブームを纏っているかのような雪那は寸前で踏み切り──裸足の左足を振り抜く。


 「せぇぇぇぇぇぇいっ!」


 気合一閃。絶大な威力の蹴りが、鈍い色の金属に突き刺さり──


 ──ウソのように、クロネが顔面から地面にめり込んでいた。


 そのすぐ横に、蹴り足とは逆の足でふわりと着地する雪那。

 

 「……はぁ?」


 蹴りが直撃した謎の機械はひしゃげ、ぷすぷすと黒煙を燻らせている。


 突然のあっけない決着に、思考が追い付けていない。


 確かに、その機械さえ破壊できれば無力化できるとは言っていたが。


 「……普通に、その蹴り食らったら死なねえか?」

 「アシクビヲクジキマシター」


 そのまま片足でケンケンと跳んでくる。それを見て気づいた。蹴撃を繰り出した方の足がぐにゃりと変な方向に曲がってしまっている。青紫色で痛々しい痕があの一撃の反動を物語っていた。


 「人間って、普段は全力の何割かの力しか出せないらしいです。本当の力を発揮すると自分の身体が耐えられない場合があるから、と言われています。私は今、そのリミッターを無理やり外して攻撃しました」


 「外して、って、簡単に言うがな……」

 「その辺は長年の功ということで。普通の人にはそうそうできません」


 人差し指を立て、唇に当てる雪那に、俺はやれやれと肩をすくめた。


 「……なるほどね。不死身なりの戦い方ってわけだ」

 「痛いは痛いんですよ、一応」


 骨折と痣がじわじわと治癒していく。その過程すらも傍から見ていられないほどに痛々しい。

 

 それを見ていると、撃たれても脱臼しても悲鳴も上げなかったクロネの異常性もまた際立つ。


 俺は時々痙攣を繰り返している少女に歩み寄り、埋まっている頭を引っ張り出した。


 深淵のような黒い瞳は、雪那に蹴り飛ばされてなお変化を見せなかった。近くで観察してもその目に意志は感じられず、ただひたすらに空虚さだけを映している。意識があるのかないのかすら判別がつかない。


 「なんなんだ、こいつは……?」


 およそ生物とは程遠いように見えるのに、左耳があった場所から未だ流れ出る血液は間違いなく人間のそれである。頬に触れれば体温もある。


 そして、俺の記憶が確かならば──


 俺を抑え込んでいた黒服も、姉を捕まえていた黒服も、両親を囲んでいた黒服たちも、両親を跡形もなく溶かしたあの液体を使った黒服も。


 想起されたトラウマの中にいた黒服の全てが同じ顔──つまり、クロネだった。


 「クソっ……なんでこんな違和感を忘れてやがった、俺は……!」


 土埃に汚れた膝を叩く。


 そんな俺の隣に、足が完全に治りきった雪那がしゃがみ込む。


 「色々説明する、と言っておいてなんですが……私も聞きたいことがありますね」

 「というと?」

 「いや、なんで銃とかナイフ普通に持っているんですか? とか、日本の治安ってこんなに悪化したんですか? とか……あ、もしかしてそういうお仕事ですか? 私服警察官とか」


 雪那が手を銃の形にしている。


 「あー……心配しなくても、俺はしっかり銃刀法違反だ」

 「普通に犯罪者カミングアウトしないでもらっていいですか? 人狼ゲームじゃないんですから」

 「人狼ゲームとやらは知らん。お前がいた時代のことはよくわからんが、この時代でも日本に銃持ってる奴なんかいない。俺はまぁ……事情があってな」


 俺はナイフと拳銃を腰にある革製のホルダーに戻す。これだけでは目立つが、雪那に貸している上着を羽織ることでホルダーまでしっかり隠れるようになっている。


 このままでいるのはリスクもある。それでも、俺の老けた見た目で全裸の女の子と一緒にいるよりはマシだろう。


 「それより、クロネのことを話してもらう。あいつは一体何なんだ? なんでお前のことを狙ってる?」

 「もちろんお話しするつもりです。ですが、今はここをすぐに離れた方がいいと思います。クロネの仲間が集まってくるかもしれません」

 「ちっ……確かにお仲間はたんまりいるらしいからな」

 「私としては、千野さんがなぜクロネのことを知っているのかも気になりますが……」


 雪那が言葉を切ると、呼応するように彼女の腹から空腹を訴える音が鳴った。


 「すみません、おなかが減りました。ご飯が食べられるところでお話しませんか?」


 「……了解」


 俺たちは力なく倒れるクロネを背に、バイクにまたがってその場を後にした。

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