永久機関
時は2221年、人類は喫緊の課題であったエネルギー問題を克服していた。
化石燃料を掘り尽くすまで秒読みとなっていた2020年代、とある一企業が科学的に不可能と言われていた永久機関を作り出すことに成功したのだ。
かつて、永久機関を定義した者がいた。外部からのエネルギーを一切必要とせず、それ単体で新たなエネルギーを永続的に生み出すことができる装置。数多の科学者が夢に見て、そしてことごとくその意志を折られてきた人類史上最大の理想。
それを生み出した天才科学者は言った。
──このシステムはまさしく永久である。
曰く、それは外部からの作用を得ることなく永遠に稼働し続け、その仕事によって大量のエネルギーを生み出し、なおかつ人の手によるメンテナンスすらも必要としない。
人類や環境に影響する有害物質を排出することもなく、既存の人類文化を破壊することもない。
たとえ人類の生命がひとつ残らず途絶えようとも、この地球が終わりを迎えようとも、動力を作り出し続けるだろう、と。
たったひとつだけ、問題はあった。
その天才は、人類救済を成し遂げうるその成果物に使用した技術の一切を、公開しようとはしなかったのだ。
当時、電力の大部分を担っていた火力発電に代わって世界各地に建設された永久機関は、すべてその科学者が自ら作り出したものであり、その全貌は巨大なコンクリート壁によって秘匿された。
批判はもちろんあった。その時代では固定観念となっていた永久機関の不可能性、さらに定期的な点検すらも必要とせずに動き続けるシステムなど前代未聞であった。
情報を公開すべきだという論調もあった。その科学者が浴びるべきものが賞賛なのか嘘つきの烙印なのか、それを判断する材料すらどこにもなかったのだから。
世界は大きな疑念に包まれた。
しかし事実、永久機関は稼働し続けた。
二酸化炭素を大量に排出する火力発電はもとより、事故の危険やメンテナンスが必要な原子力発電すらも、永久機関に比べればデメリットとリスクを孕んだ欠陥品である、という考えが、徐々に世界中に染みこんでいった。
さらに、時代とともに進歩したAI技術、ロボット技術によって、農業、畜産、水産、製造、運送、娯楽に至るまで──人類が生存するために必要な殆どのシステムを、機械のはたらきに置き換えることに成功した。
それらの大黒柱となったのは、やはり永久機関であった。
ロボットやAIの普及は加速するごとに、乗算的にその本領が発揮されることとなった。車は自動で走り、料理は自動で作られ、人間の元へ自動で届けられる。その全ての源たる永久機関は、もはや人類に欠かせないものとなった。
そして遂に、人類は労働という苦痛から解放されることとなる。労働と称される動作のほぼ全てがロボットによって置き換えられ、それは実質的に永久に仕事をし続けることができるのだから、それは必然であった。
現在では、一部の自然エネルギーを利用した発電を除き、人々は一人の天才が作り出した永久機関に生活をゆだね、労働の必要がなくなった世界を生きている──
云々。
俺はホログラム映像の中でそんなことを語るアナウンサーの声が耳に飛び込んでくるのを自覚して、おもむろに顔を上げた。
「悪いな。朝からグロい映画流しちまった」
カウンターの向こう側から聞き馴染んだ男の声が聞こえてくる。
「昨日SNSで絶賛されてたのが気になってダウンロードしといたんだけどよ……巨大化したハエの消化液で人間が跡形もなく消化されるシーンとか、朝食と一緒に鑑賞するもんじゃなかったわな。おかげで店の雰囲気が最悪だ」
ニット帽を深めにかぶり、似合わないエプロンをかけたガタイの大きな男は、ジャグリングするようにリモコンをくるくると弄んでいる。チャンネルを無難なドキュメンタリーに切り替えたのは彼らしい。
こいつは中島という奴で、俺が毎朝通っているカフェ── Lune & Ember の店長だ。意味は確か……英語で月と残り火だったか。
彼は元軍人とかいう話だが、こんな希望たっぷりの眼をしたやつに人殺しなどできるか、と俺はその経歴を半分疑っている。
「気づいていたならもっと早くチャンネルを変えろクソ野郎。それだけがお前の仕事だ」
「チャンネル係に成り下がったつもりはねェぞ。オレにはこのカフェのマスターって立派な肩書がある」
「実際飯作ったり寄越したりしてんのはロボットだろうが」
俺は眼前にある半透明の水色をした仮想モニターを操作し、ろくに映し出された内容も見ずに手癖でいつもの朝食セットを選択する。
仮想モニターというのは、本人にしか見えない画面を空中に表示させたものだ。拡張現実とかいうよくわからない技術を利用しているらしい。
両眼に入っている特殊なコンタクトレンズ──スマートコンタクト、略してスマコンが俺の視界の端にさまざまな情報を表示してくれているのだ。左上から左下にかけては時計、現在地、天気がリアルタイム情報として表示されているし、右側を見ればメッセージボックスやSNSの通知欄を確認することができる。それらの情報はポケットに入っている携帯端末を通じて無線送信されている。
そして、その端末がカフェの椅子に座った瞬間に公共回線に自動接続され、俺の目の前にメニューが表示されたというわけだ。
仮想モニターを手でどう操作したか? 知らん。初期設定でやたらと目の前で手を振ったり前後させたりさせられたから、多分その辺で距離感や角度を把握して、うまいこと認識しているんだろう。
注文を終え、手持無沙汰になった俺は店内を見回す。
個人経営のカフェとしては破格の土地面積を有し、席数もそれに応じてちょっとしたフードコート並である。
装飾は割と凝っているように見えるのだが、その効果は大して見込めていないようだ。
シカの剥製とか、謎の古時計とか、21世紀の西洋の意匠を取り入れることによって作り出した独特の雰囲気は、十分にひとつの世界を作り出していると俺は思う。なのに──
「客入りはちらほら。それもほとんどが一人で悲しくメシをつついてる。相変わらずシケてるよなぁ」
「仕方ねぇよ。この時間から活動してるヤツらの絶対数が少なすぎる」
古時計は9時過ぎを指している。おんぼろな見た目に反して、内部にはしっかりAI技術が組み込まれ、正確に時を刻んでいる。
「つい200年前まで、人類は9時から17時まで働いてたらしいぜ」
「信じられねェよな。ま、その時代の連中からしたら、今のオレたちの堕落した生活の方が信じられねェんだろうけどよ」
日本人が真面目で勤勉で熱心だったのも、今は昔の話。
ドキュメンタリーで語られた通り、この時代で定職に就いている者など全体の一割も存在しない。暇つぶしに働く者や、機械化された伝統技術に対して牙をむくように腕を磨く職人気質な者。そんな奴らのほうが珍しいのだ。
働かなくても食っていける。その事実が、俺たち現代人の労働モチベーションを地の底まで叩き落とした。
今や衰弱しきった社会を当時の人々が目にしたら、俺たちが作り上げた未来の有様がこれか、と、激しい嫉妬と怒りを抱くことだろう。
「そういや、お前はなんでこのカフェやってるんだっけ? わざわざ軍辞めてまで店を構えたんだろ?」
中島の厚い胸板が、カフェらしい厚手のエプロンをぎちぎちに押し上げている。 お世辞にも様になっているとは言えなかった。
「趣味であり夢だな。筋トレしまくってはシバかれる生活よりよっぽど面白ェ」
「マジか中島。その動機で、一応は働いてるお前のバイタリティがクソ羨ましいよ」
「その回文、好きだよなァお前」
「おまたせ いたしました」
そんな会話で時間をつぶしていると、自然だがぎりぎり人間のものではないとわかる合成音声が聞こえた。配膳ロボットが俺の席に食事を持ってきたのだ。
一応は人型を模した真っ白な手から、音もたてずにトレーが滑ってくる。その上に用意された食事はいつも見慣れたものだ。
クロワッサンの形をした栄養分と、薄いココアの見た目をした栄養分。
これは俺が特別朝食に冷たいとかではなく、文字通りの表現だ。
20代男の飯としてはかなり不安になる量だが、実はこのボリュームで一日に必要なカロリー、栄養素の1/3がきっちり含まれている。完全栄養食とか言うらしいが、名前にも組成にも心底興味がない。散々食ってきたこれの原料がハエだとか言われても、俺は明日も黙ってこの味気ないパンを食らうだろう。それどころか俺は、どういう仕組みか腹持ちもするというこの超効率的食料を好んでいた。
金を出せばもう少しいいものが食えるのだが、この店では俺と同じか、大差ないものを口に運んでいる奴がほとんどだ。
理由は簡単。
AIによって管理されている一日分の栄養素を満たすまでは、無料で食事をとることができるのだ。生存権という観点から、食に限らず、俺たちの命や生活に関わるものは金を払わずとも得られることになっている。
完全栄養食に含まれている栄養素はきっかり一日分の1/3。これほど効率のいい食事はない。
「毎日毎日、完全栄養食ばっかで飽きねェのかよ? たまにはウインナーとスクランブルエッグとコーヒーみたいな追加注文をしていけよ。人件費もタダじゃないんだぜ」
「最後のが本音だろ? その優雅な朝食セットをこのクソ文明最先端のボソボソパンと同額で提供してから言ってくれ。あと人件費ってのはな、人を雇ってから言うもんだ。調理から配膳までAIロボットにやらせてるだろうが」
「優雅な朝食セットが無料で出てくると思ってんなら、お前の頭は朝からハッピーすぎだ。クラッカーで空まで吹っ飛ばしてやろうか?」
そもそもスクランブルエッグセットは優雅ですらねぇよ、と、手を拳銃の形にして、自分のこめかみに突き付けるようにする中島。
もちろん金を出せば、こんな悲しい朝食にもオプションを追加して彩りを増やすことはできる。中島が言った他にもベーコンやスープ、ヨーグルトなんかも注文さえすれば出てくるし、値は張るが朝から生クリームたっぷりのケーキだって食べられるのだ。
だが俺はそれらの魅力的な食事をいつもあえて無視する。この店で無料分以上の食事をとったことはほとんどなかった。メニューを見ていたら誘惑に負けそうになってしまうので、俺は店内に視線を移した。
「そういや……一応、この店はもう一人店員がいたはずだよな。見当たらないが風邪でも引いたのか?」
「リーナのことか? 奴ならオレのベッドで伸びてる。ま、朝からあいつが店内うろついてたら、客のアレが立ち上がって、逆に席から立ち上がれなくなっちまうからな」
「このパンほどもうまくねぇよ」
適当な会話をしながら、出された料理を手早く胃に詰め込んでいく。口の中の水分を根こそぎ奪っていく最悪のクロワッサンは二口で、砂漠となった口内に若干の潤いを取り戻させるココア風飲料は一息に飲み干した。感慨深くもない薄い甘みを感じつつ、空になった皿とコップを通りがかった配膳AIに押し付ける。
唯一テーブルに残ったお冷を手に取ろうとした時──
──爆音とともに、コップの中の水面が激しく揺れ始めた。
「っ!」
水だけではない。店全体を揺るがすような強烈な揺れ。大きな窓ガラスがガタガタと音を鳴らす。配膳ロボットがバランスを崩して倒れ、床と激しく衝突する。どこかの卓から食べかけの皿が落下し、甲高い音を立てて破片が放射状に飛び散った。
数秒が経過して、その振動は収まった。
一瞬の出来事ではあったが、店の雰囲気は一気に緊迫していた。
「な、なにが起きた……?」
地震とは違う。
体感したことのない衝撃に、俺を含めた客たちは困惑し戸惑う。
「おい、あれ見ろ!」
中島が指さしたのはホログラム映像の方向だった。先ほどまでやっていた永久機関ドキュメンタリーは中断され、赤いテロップの緊急ニュースが流れていた。
『東京都の郊外にある永久機関の周辺で爆発が起こった模様です。被害状況は──』
その言葉が結ばれることはなかった。
それだけではない。
ブツッと音を立てて、同時に店内照明が落ちる。
薄暗い店内に光を届けているのは、窓から入り込む太陽光だけだ。
停電したのだと理解した俺は、すぐさまバッテリーが組み込まれたノートパソコンを鞄から引っ張り出す。数秒で光が灯った画面にコマンドプロンプトを呼び出し、指を躍らせるようにしてコードを打ち込んでいく。
しかし、俺が目的としていた画面が映ることはなかった。
「No Signal……停電したんだから当然か」
「監視カメラに接続したのか?」
「ああ。いくつかアクセスしてみたが……無事に動いているのはなさそうだな」
公開されているサイトだけでなく、永久機関周辺の企業や、警察の捜査に使われるような本来公開されないカメラにまで範囲を広げてみるが、ひとつとして映像が出力されることはなかった。
「さっきのニュースの通りだとしたら──この東京の生活を支える、永久機関が吹っ飛んじまった、ってことか」
中島が呆然と呟く。
電力供給が止まっているこの状況こそが、報道されていた内容の裏付けだった。
俺はなんの情報も得られないパソコンをさっさと畳み、席を立つ。
「……ちょっと見てくる。俺のバイクなら15分だ」
「おい、待て」
駆けだそうとする俺の肩を、常人の二回りは大きな手が掴んだ。
「問題ない、ちょっと見てくるだけだ」
「危険すぎる。他国から仕掛けられた攻撃かもしれないだろ。迂闊に動くべきじゃない」
その手はガクガクと震えていた。俺はそれを軽く振り払う。
「元軍人が聞いてあきれるな。先制攻撃されたらビビッて頭引っ込めるのが戦争か?」
「その元軍人からの忠告を素直に聞いておけ。いいか、もし本当に先制攻撃だったとして、日本は島国だ。もし他国からミサイルが飛んできたんだとしたら、沿岸にある自動迎撃装置がぬかりなく仕事するんだよ。防衛システムが同時にハッキングでも食らってない限り、超遠距離ミサイルの攻撃じゃない」
「だから?」
「現場には永久機関を何らかの手段で爆破した犯人がいる可能性が高い。今近寄るのは危険すぎる。素人が野次馬しに行く場所じゃねェってこった」
引き留める手を払われようとも、中島は冷静だ。その表情には一片の冷やかしもない。
「……お前のクソみたいな忠告を聞いたうえで、俺は行く。一応こいつもあるしな」
腰あたりにある膨らみを叩く。
俺の様子を見た中島は煮え切らない表情で腕を組んだ。
「……わかった。だが絶対に現場には近づくな。そもそも、永久機関ってやつが何なのかさえ俺たちは何も知らねェ。何が起こるかわからないことを肝に銘じていけ。原因が分かったら……いや、わからなくてもすぐに戻ってこい」
真剣さの伝わる口調に、俺は投げやりに返す。
「死んでも悲しむやつなんかお前くらいだよ。どうせ──天涯孤独の身だ」
「それが遺言になったら、俺はお前を一生許さねェ」
返事の代わりにひらひらと手を振って、俺は未だ混乱の残る客の間を抜けて店の外に出た。
足早に自動ドアをくぐり、レンガ造りの外壁に横付けしてあるバイクに跨る。
アクセルを蒸かす。調子の良い駆動音が、無音の街に響き渡った。
俺はエンジンが温まりきるのも待たず、一気に速度を上げた。