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独白

「……千野さん、ごめんなさい」


 私は走りながら、どうにかボタンを操作して通信機の接続を切りました。


 既に千野さんと別れてから、事前に聞いていたルートを走り続けて五分が経過しました。もう彼の声が耳に届くことはありません。


 元々、彼が助けに来ることは想定していませんでした。


 ドロッセルと対峙し、この身を差し出した瞬間が、彼との関係の終わりだと思っていたのですから。


 再び櫻帥に身体をいいようにされるとして、自分は死ぬわけではない。


 また、あの日々に戻るだけ。


 それで、彼の命が助かり、日常に戻れるのなら。

 それで構わないと思っていました。


 私の運命だというのならば、甘んじて受け入れましょう。


 研究所内にいれば、どんなに厳しく監禁されたとしても、きっといつかあの時のようにチャンスだって生まれるはず。


 私は、永久機関を動かすための犠牲で構いません。


 200年ぶりに意識を取り戻してから、私の目に映り込んだ世界。

 それは不完全なものでした。


 動くはずの機械が、システムが、道具が、エネルギー不足を理由に動いていない姿をたくさん見てきました。それによって不便を強いられる人々の姿も。


 東京には今や、何千万という人間が暮らしているらしいです。

 永久機関が再稼働することがなければ、その人々が東京で暮らしていくことができなくなる、ということでした。


 顔も知らぬその人たちに迷惑をかけるくらいなら、自分ひとりが犠牲になるくらいなんだというのでしょう──


 ──いや。


 詭弁だ。

 後付けの言い訳だ。そんなものは。


 私は余計な考えを振り払うように、首を強く振る。

 私の人生は苦痛ばかりだった。


 記憶の殆どは受けたくもない人体実験に晒されただけの禍々しい思い出。その壮絶さに、幼いころの記憶など片隅に追いやられてしまって、今や思い出せることは多くない。


 私はただ、そんな記憶から逃げたかった。自分の呪われた運命から、死のうとしても死ぬことすら許されないこの身体から、ただ逃げ出したかったのだ。


 そんな思いで、200年前のあの日、私は自らメルクリウス溶液の海に飛び込んだのだから。


 永久機関の中にいる時間は狂おしいほどに無であった。飛び込んだ瞬間こそ、神経を灼く痛みと脳髄を直接撫でつけるぞわぞわとした感触をいやというほど味わうという最悪の体験をしたものの、脳さえ溶け込んでしまえば、そこには痛みを感じる器官すら存在しない。苦しいと考える器官さえ存在しない。

 そこにあっても切り刻まれるだけの指も、抜かれるためだけに存在している歯や爪も、潰されること以外能のない肉も折り放題の骨も麻酔なしで何度も摘出された臓器も目の荒いやすりで撫でまわす用の神経も子供が扱うおもちゃのように遊ばれた脊髄も散々弄り回されて身体が勝手に反応するのを面白がられた脳も、ない。


 ただひたすらに、光のない空間を魂だけで漂うような感覚。


 無、だ。


 私を救うのは無以外に、ない。


 私を、救ってくれるのは──


 彼の顔を思い出した。

 私を一人で送り出した、二十代にはとても見えない老け顔の彼の、その真剣な顔を。


 動悸がする。走っているからではない。私の身体に息切れ、疲れという概念はない。


「何を考えて、いるのですか」


 身体が熱くなる。無意識に、駆ける足が回転数を増していく。


 一度は諦めた、千野さんとのたった数日の関係。

 その楽しかった記憶が頭をよぎる。


 ……もし、彼が私が再び永久機関の核になるよりも早く、櫻帥の拘束を逃れて私の前に現れたら。


 その時、私は──

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