所長室
「ほ、ほんとに行くんですか……?」
「当たり前だ。ここでお前を連れて逃げても、相手が電脳世界に巣食う存在である以上、絶対に地の果てまで追いかけられて詰みだ。その前に決着をつけんだよ」
俺は背にしがみつく雪那を半ば引きずりながら、照明によって白く照らされた通路を進んでいく。ついでに、さっきまで武器庫の入り口を警備させていたハッキング済みのクロネが、先導するように前を歩いている。
やはりさっきの戦闘で残っていたクロネはほとんど殲滅してしまったようで、俺たちのほかに人の気配はない。不気味なほどに広い建物に俺たちの足音だけが響き渡る。
「戦わなければ千野さんが納得しないのは、もうわかりました……それで、私たちはどこを目指しているんです?」
「一応、まずは所長室だな。ドロッセルがいるとしたらここか、永久機関のある場所に繋がっている地下通路のどっちかだろ」
ところどころ、天井付近に設置されている監視カメラが目につく。
「相手は、脳みそをコピーして生きてるとか言ってたな」
「は、はい。本来なら彼は死んでいるはずなんですが、脳に高電圧スキャニングをして、意識を電脳世界に移すことに成功したと言っていました」
「だとしたら、監視カメラの特定のデータをリアルタイムで削除できていたのもそいつの仕業だな。思考が直接コンピューターの回路に乗って、そのまま実行されるみたいなイメージか」
かつて、人間の脳を接続して動かすパソコンの開発が行われていたことがあるらしい。指などを使った入力の速度を超越し、考えたことをそのまま入力として処理することができるシステム。興味があって調べたことがあったのだが、思考を読み取ることの難しさと、肝心な接続の方法が課題となって計画は頓挫したと聞いた。
もし雪那の話が事実であれば、そのコンピューターが実現されたのと同等以上の意味を持つことになるだろう。
とはいえ、果たしてそんな異次元の処理が可能なものだろうか?
起きた事象は既に俺の理解可能な範囲を超えている。この違和感が正しいのかすら判断がつかない。
「あのカメラを通して、ずっと見られているんだろうな……気分はよくないな」
レンズを見つめてみても、当然人間と目が合っているような感覚にはならない。そこには無機質なプラスチックと金属で構成された物体があるだけだ。
「私はどちらかというと、連れているクロネが突然ハッキングし返されて、急に振り返って千野さんを撃ち殺さないかが心配です……」
「何言ってんだ。はじめは自爆させる予定だったのに、何かの役に立つかも、って代わりに自爆したのはお前だろうが」
「そ、そうでした……」
今のところクロネは俺の命令通りに動いてくれている。相手の力量や考えが読み切れない今、人数は少しでも多い方がいい。そう考えて連れてきたのだが、雪那の言う通り彼女がリスクとなる可能性は十分に残されている。それも踏まえて殿を任せることは避けた。
「……さて、着いたな」
通路の一番奥に、他の部屋と変わりのない一枚のドアがある。目線ほどの高さに所長室という文字が書かれていた。
ごくり、と、雪那が唾を飲む音が聞こえる。
俺は手振りだけで、入り口の直線上から離れるように指示する。雪那とクロネがそれぞれドアの両サイドで身を縮めたのを確認して、俺は銃を抜いた。
閉じているドアに銃口を向け……一発。二発──七発。
扉の向こう側で待ち構えている可能性がある敵を狙う、制圧射撃的な発砲。ドア抜きというやつだ。
M1911のマガジンに入っている弾は全て放った。すぐに空になった弾倉をはじき出し、再装填。
「開けろ」
その声で、クロネが穴の開いたドアのノブを握り、ゆっくりと引いた。
一見、そこは誰もが想像する書斎部屋のようであった。来客用の四角く無骨なテーブルと、その両側に置かれた革製のソファ。その奥にはこの部屋の長のものであろう木製のデスクがあり、銃弾を受けていくつか痕が残っていた。壁際には無数の本や書類を挟んだファイルが整理されており、ここを使う人物の研究熱心さと几帳面さをうかがうことができた。部屋内は薄暗く、やや埃が溜まっているように見える。
「雪那たちはまだ入るな」
「わ、わかりました」
少なくとも、視界の中に動くものはない。慎重に侵入していく。
部屋の隅にも誰の人影もない。続いて、死角となっている正面の机の裏に回ろうとした、その時。
『まったく、人の部屋に入る前にするのは、銃を撃つことではなく、ノックだとは思わんかね?』
デスクの上あたりから合成音声が語りかけてきた。聞くだけで不快感を与えるような、何人もの声を組み合わせたような不協和音。
背後で雪那の纏う雰囲気が一変したのを感じる。
「……お前が箕土路櫻帥だな」
『自己紹介の手間が省けたことは嬉しいね。誰も、何においても、知らぬよりは知っている方がいい。それが早ければ早いほど、正しい判断を下すことができるからね』
「黙れ。会話をする気はない」
よく片付けられたデスクには一枚のモニターとスピーカーが置かれている。どうやら声はここから聞こえているらしかった。そこから伸びる黒色の配線は、奥の壁に寄せるように置かれた巨大な情報処理装置に繋がっていた。その本体は天井付近までを埋め尽くし、今も稼働音を立てている。並列的に接続された水冷装置がごぽりと音を鳴らした。
『まぁ、そう焦ることはない。今の私が君たちにできるのは、言葉をぶつけるくらいのものなのだからね。そしてそれは君たちも変わらないさ。なあ、雪那くん?』
「っ」
開け放ったドアの向こう、雪那が動揺して息を呑む。
『時間が省けたのでね、もう少し詳しい紹介をさせてもらうとしよう』
櫻帥は楽しそうに声を跳ねさせる。
『かつてはね、この研究所にはパソコンルームが別に用意されていたんだよ。当時としてはハイエンドなコンピューターがいくつも連なって、毎日24時間上がってくる研究結果を細部まできっちりと処理し、保存する。その昔、円周率を百兆桁まで計算した巨大コンピューターがあったらしいがね。我々が普段使いしていたものは、一台一台がその能力を上回っていたと断言できる。だが──』
本体のインジケーターランプが、不気味に不規則に点滅を繰り返している。
『そのパソコンルームすらも、わたし一人……いや、一台の働きにまったく及ばない。いやはや、まったく無駄な投資をしてしまったものだ』
「スペック自慢は済んだか? 具体的な数字を出してもらわなきゃコメントのしようもないな」
話を聞きながら、デスクに用意されたビジネスチェアに腰かける。モニターには脳をモデリングしたような3D映像が映っていた。声のトーンと呼応するように、映像にノイズが走る。
俺はその脳に向かって言う。
「まあ、俺はお前の性能など、お前が口にしたほど大したものではないと考えているがな」
『それは興味深い考察だね』
その声だけで、彼が興味深そうに眉をひそめたのが伝わってくる。
「永久機関が吹き飛んだ時も、俺の部屋にクロネを送り込んだ時もそうだが。何故かクロネを一人しか送り込まなかったよな? 最初に部隊としてクロネを送り込んで入れば、あの場で雪那を捕まえることができていただろうが、お前はそうしなかった」
『ふむ。何故だと思うかね?』
俺は感じていた違和感をつらつらと言葉にしていく。
「原因は監視カメラの映像処理だな。カメラに映り込んだクロネや雪那を瞬時に認識し、リアルタイム映像として流せるほどの速さで処理を行う。こんなぶっ飛んだ芸当、どんな性能のコンピューターでもそれなりにリソースが必要なはずだ。そんな負荷のかかる処理を、同時に何人分も行えなかったんだろ?」
全てのカメラの通信ルートに割り込んで、顔が隠れていても服装が変わっても存在を認識し、影も残さず違和感のないレベルで映像から姿を消す。電脳空間に意識を持つ櫻帥であれば、その命令を入力すること自体は一つの電気信号を放つだけで一瞬で完了するのだろう。だがそれを現実のものとするのにはとてつもない仕事量がかかる。それが俺の見解だった。
『だが、君の行きつけのカフェには大多数のクロネくんに加えて、ドロッセルくんも送り込ませてもらった。そこはどう考えているのかな?』
「あっちには作業車で乗り付けてたしな。元々人目の多い店でもねぇし、全員で乗り込んだ、みたいな感じか」
『ふむ……まぁ、起きたことについてはあまり重要ではないね。どちらかというと今の話で重要なのは、君がそれなりにそっち方面に強そうだ、という考察だ』
ばちん。
「千野さんっ!」
俺の目の前で、紫色の電撃のようなものが火花を散らしていた。ちょうど、来客テーブルとデスクを隔てる位置に、激しく火花を散らすプラズマの障壁が生まれている。迂闊に触らない方がよさそうだ。
『仕事柄、厄介な客人が出入りすることもあってね。あくまで彼らを追い返すためのシステムなわけだが……このような使い方をしたことはないが、なかなか便利だろう』
「そんなに俺と二人きりになりたかったのか? 頭のいい奴の趣味はわかんねえな」
『正直、雪那くんよりも君の方が厄介だからね。この場にクロネくんがいたら手榴弾でも投げ込ませたいところだ。──そういえば、ちょうどそこにクロネくんを連れてきてくれたのだったね」
「雪那!」
俺の叫びとほぼ同時、雪那が跳躍しながら身体を大きく捻る。空中で流れるように一回転するとともに、ムチのようにしならせた足がクロネの頭に突き刺さっていた。
目を見開いたまま。静かに崩れ落ちるクローンの少女。
『ふふ。判断が早くて素晴らしいね。だがその浅慮さは考え物だ。もし私がクロネくんの制御権を取り戻せるとしたら、悟らせるようなことを言わず、後ろから君たちを撃ち殺させて終わりにしていたさ』
「クソ……」
櫻帥の言葉は、俺にハッキングさせたクロネを取り戻す術がなかったことを意味する。
俺たちは彼の口車に乗り、早とちりで味方を一人減らしてしまった。
『クロネくんの扱いは意外と難しいのだよ。特に生体部分と頭のデバイス──わたしは欠けたる王冠と呼んでいるが──その接続が課題でね、本当は彼女の脳に直接命令を下したいのだが、脳が放つ電気信号をあのサイズの機械では再現できなかった。代わりに、薬品と電気信号で自由意思を奪って音声命令に従わせる形に落ち着いたわけだが……君がそうしたように、一度ハッキングを受けてこちらとの通信を切られてしまうと終わりだ。なんとも使い勝手が悪い』
俺は彼の早口を無視し、雪那に呼びかける。
「俺はここで櫻帥をここのシステムから追い出す。お前はドロッセルを叩きに行け」
「お、追い出すってどうやって!?」
「電子戦、つってもお前にはわからんだろ。お前がここにいても役に立たねぇし、ただ敵に居場所がバレているだけだ。もしドロッセルがやってきて、本当にグレネードでも投げ込まれたら、俺は死ぬ」
櫻帥がこの障壁を起動したのならば、彼の管理するシステムに侵入できれば解除も可能なはずだ。むしろ、それ以外にここを突破する方法はないように思われる。
「で、でも、私もドロッセルがどこにいるのかわかりません! 入れ違いになってしまったら──」
俺たちの会話に、櫻帥が言葉を割り込ませてきた。
『ドロッセルくんならば、永久機関の修繕の陣頭指揮を執っているよ。クロネくんたちだけに任せるには荷が重すぎる。かといって、私が現場に行くこともできないのでね、彼女に現場監督をやらせているよ』
「何故そんなことを教える?」
『わたしはね、効率の悪いことが大嫌いなのだよ。ここに誰かを呼び寄せて君を爆死させるなど面倒の極みだ。第一、ここにあるコンピューター、ひいてはわたしも無事では済むまいよ』
「お前をぶっ壊せばこのプラズマも解除されたりしてな?」
俺は銃口を巨大なコンピューターに押し当てる。その行為はこめかみに銃を突き付けているのと同じ意味を持つ。そう思っていたが。
『それは希望的観測と言えるね。このセキュリティ装置はスタンドアローンだ。そうでなければセキュリティの意味がない。君がここから出るにはわたしを電子戦でねじ伏せる必要がある。それ以外に方法はない』
「……ということらしい。とにかく先に行け。必ず後から追いつく」
「……千野さん」
「んな悲しそうな顔するなよ。お前は不死身だ。俺が行く頃には死んでました、なんて事態だけはありえないからな。そこだけは安心できる」
予定外の流れだが、ここは敵地のど真ん中。臨機応変な対応を要求されるのは当たり前だ。
言葉を咀嚼するように、雪那はゆっくりと頷いた。
「……そうですね。では、私はドロッセルを探し、倒します。どうか、無事で」
「何かあったら連絡しろ。通信機はいつでも取れるようにしておけ」
やけに名残惜しそうな表情を見せつつも、彼女は進んできた廊下を引き返していった。
永久機関に続く地下通路を目指して。
その姿をプラズマ越しに見送り、やがて姿が見えなくなった頃。
『……よかったのかね? 一人で行かせてしまって』
いたずらっ子のような口調。
「お前が障壁を解除してくれるのなら間違いなく単独行動なんかさせないがな。この状況ではこれが最善だと判断しただけだ。お前らの思い通り、永久機関の核にさせるつもりはない」
俺が決然と告げるが、櫻帥は無感情に笑いだした。
『君──ワタルくんと言ったかな。ワタルくんの中ではそうなのかもしれないが、どうやら君には判断材料となる情報が足りていないようだ』
「そりゃあ、お前らのことなんて大して知らねえからな」
『わたしが言及しているのは雪那くんの話だよ。そもそもわたしは、永久機関をもとあったように戻すために、雪那くんを取り戻そうとしたわけではないのだよ』
「……何?」
その言葉に、苛立ちから貧乏ゆすりを繰り返していた俺の手が止まる。
『不死身の人間が永久機関の核となる存在であることは知っているのだろう? 確かに200年前、彼女は世界初の永久機関を成立させるための燃料となった。だが、それは彼女でなくても良かったのだ。わたしの手元には別の不死身の人間のストックがいるからね。今直している永久機関にはその中の一人を放り込むつもりで、輸送を開始しているところだ。──雪那くんを手に入れたのは、あくまで二百年前と同じ、彼女の身体を調べ尽くすためだった』
「何故そこまで雪那にこだわる? そのストックの不死身のやつで実験したらいいだろうが。それとも肉のついていないカリカリのガキがお好みか?」
『わたしに肉体があった頃から、雪那くんにも、他の誰にも性的魅力を感じたことなどないさ。わたしにとって人体とはただの実験材料だ』
「だったら何が目的だ? まわりくどいんだよ、お前の話は」
口調も相まって、苛立ちが沸き立つ。それすらも彼の手のひらの上なのかもしれない。
『雪那くんにこだわる理由。それはね、彼女が不死身であると同時に、記憶を保持することができる唯一の人間だからだよ』
櫻帥が満を持したように告げるが、俺は首をひねった。
「お前が何を言いたいのかわからん。記憶なんか、人間だけじゃなく動物にだって残るだろ。雪那に限った話じゃない」
『と、思うだろう? しかし不死という性質を持った者たちは違う。君は記憶がどのようにして脳に刻まれるか、知っているかね』
櫻帥は授業でもするかのように、俺に問う。
「さあな。脳にシワでもできるんじゃなかったか?」
『幼い子供に教示するくらいならその説明でいいだろう。正確に言えば、感覚器官を通じて得た経験、情報は海馬に一時的に保存され、そこで情報の取捨選択が行われる。必要だと判断された記憶は大脳皮質に転送されて整理、統合され、最終的にはシナプスという神経細胞の連絡点が形を変えることによって、ようやく完全な記憶となるのだよ』
「……ご高説をどうも」
『──だがね、不死性を持つ人間の脳は違う。このシナプスの形状変化が起きないのだよ。正確には、一時的には変化するのだが、彼らが身体を元の状態に保とうとする性質により、その変化はなかったことになってしまう。これにより、不死身の人間は記憶を長期的に保持することができないという特性を有している。雪那くん以外の全ての不死身の人間が、だ』
俺は雪那との会話を思い出していた。彼女は幼少期の話や、櫻帥の人間の所業とは思えない実験のことをよく覚えていた。だからこそ苦しんでいたのだから。
『だからわたしは彼女にこだわる。記憶を保持できる、不死身の肉体が必要なのだ。わたしの意識を移すにしても書き込むにしても、その記憶を維持できなければ意味がない。彼女のクローンを作って雪那くんと同じ性質の人間を生み出すことも目指しているが、クロネくんに不死性が宿ったことはまだない。やはり現実世界に干渉できないというのは不便でね、ゆくゆくは私自身の意識も不死の肉体に移したいと考えているよ』
櫻帥が、雪那についての身の毛もよだつような講義を締めくくる。
「……ずいぶん長話をしてくれたな。俺にそんなことを教える義理はないんじゃないか? それとも俺をここから出さない絶対的な自信があるのか?」
『確かにそれもあるね。多少のうんちくはあるようだが、電子の海という、文字通りわたしの庭で君にチャンスがあるとは思っていない。だが、別の理由もある。例えば、時間稼ぎであるとか』
「……時間を稼いでなんになる」
『君は質問が多いね。少しは自分で考えてみてはいかがかな? 我々研究者は、いつだってそうしてきたのだから」
「……」
違和感はある。何かが自分の中で、食い違っている気はしていた。
俺はついさっきの雪那との会話を思い出していた。直前の記憶だ、まだ鮮明に思い出せる──
雪那は不死者の中では特別な存在で、それ故に度重なる実験を受けることとなった。
そして、その指揮を執っていた櫻帥は電脳世界で実質的な寿命の概念を超越してまで、その実験を続けようとしている。
彼は200年前、永久機関が完成した時も、不死身となるための実験を続けたかったはずだ。当時から不死者のストックを持っていたのだとすれば、核として使うのはそれらの人間で構わなかったのだから。
いや、ストックは持っていたのだろう。世界各地に永久機関を作り出すことができたのだから。
──つまり。
──箕土路櫻帥が200年前、雪那を永久機関の核としたはずがない。
では、誰がその意志を裏切り、彼女に核の役目を背負わせたのか。
記憶の中の雪那が言う。
”脳がなければ考えることすら放棄できます。無意識のまま、ふわふわと漂っているような時間が続きました。その時間は、今まで味わってきた苦しみから逃げ出せる、最高の時間に感じられました”
待て。待て。待て。今何を考えた。
雪那は核となって過ごした時間のことを、悪からず感じていた。
それどころか、苦しみから逃げることができたと、最高の時間に感じられたとまで言っていた。
もし雪那が、核となる前から、そうなることを知っていたとしたら?
これは推測でしかない。でしかないが──もし、これが200年前の事実だとしたら。
「雪那は……自分の意志で永久機関の核になった、っていうのか……!?」
辻褄が、合う。合ってしまう。
雪那の言葉の裏の真意も、櫻帥がわざわざ情報を開示してまで会話を長引かせ、時間を稼いでいた理由も。
恐らく雪那は俺に自分の過去を語った時、自ら選択して核となったという情報を敢えて隠した。俺には知られたくない情報だったからだ。彼女を助け出そうとしている、俺にだけは。
つまり。
もし雪那が単独でドロッセルを倒し、永久機関に一人で辿り着いてしまったら──
──その時彼女は、再び核として、メルクリウス溶液に身を灼かれ続けながら眠りにつく道を選ぶ。
呆然としながら、俺はなんとか言葉を紡ぐ。
「……雪那はお前の残虐な実験から逃げ出したくて、自殺でもするつもりで永久機関に飛び込んだだけかもしれない。俺がお前に勝ち、救い出すことさえできれば、そんなことをする必要はない。前例があるからと言って同じ結果になるとは限らない」
『そうかもしれないね。だが、彼女にとってこの200年は眠っていたようなもので、体感、脳内では殆ど時間が経過していないはずだよ。その少ない時間で、雪那くんの破滅的な、彼女にとっては甘美な救いでしかないその考えが、変わっていることを期待するのかい?』
「……そもそも、なんで俺の足止めをする? 俺は雪那を永久機関の核にするつもりなんかない。雪那がそうするのを防ぎたいなら、俺たちの目的はある程度一致しているとも言えるだろ」
『いくらドロッセルくんといえど、君たちと2対1で戦っては状況が悪くなることも考えられるからね。もし隙でも突かれて雪那くんが永久機関に落ちて行ったらまた状況は振り出しだ。そんな分かりやすいミスはしない』
背筋を冷汗が伝っていくのが分かる。
俺は歯噛みしつつ、通信機を取り出した。
「おい、雪那! おい!」
無音。応答なし。ノイズすら流れてこない。
通信機から、雪那の声が聞こえてくることはなかった。
「……ウソだろ」
合成音声が無感情に告げる。
『さて、わかりやすく時間制限がついたところで、そろそろ我々の戦いを始めようか? 雪那くんの意思に関係なく、君がここから出られなければ、君も雪那くんもここで終わりだ』