強襲
……ぱす。……ぱす。
サプレッサーの音が、俺の手元から鳴った。
その二発は警備係としてドアの前に立っている二体のクロネの頭にまっすぐ吸い込まれていく。気取られることもなく、二つの頭に風穴を開けた。
冷たい夜風が耳元を通り過ぎていく。
木陰から月明かりの下に姿を晒した俺は研究施設の入り口に近づき、残りのマガジン内の弾で鍵穴を破壊する。
空になった弾倉をてきぱきと入れ替えながら、俺は星空の下に鎮座する巨大な研究施設を見上げた。
表面上は薬品製造の工場として建設されたことになっているが、それはあくまで表向きの話。
俺が目の当たりにしているこの入口は、製薬工場の見取り図には存在していないはずの位置にあるのだ。
事実、”唯”に頼んで手に入れてもらったこの工場の見取り図とクロネから奪った施設の見取り図を重ね合わせると、見事に合致した。内部構造的には繋がっていないようなので、はじめから裏口を通る必要があった。
侵入前に端末を開く。
内部に入り込んでからはいつ落ち着けるかわからない。俺は予め組んでおいたAIプログラムを起動する。
俺の部屋に侵入したクロネ──あいつを遠隔操作するためのプログラムだ。仕掛けたバックドアが潰されてさえいなければ、状況を一気にひっくり返すことができる可能性がある。むしろその一点に頼り切った作戦でもあった。
背負った装備がずっしりと重い。
中島のアドバイスをもとに、実際の兵士が携帯すべき装備の中から、必要となる可能性が低い荷物や重量を占める道具を弾き出し、少しでも荷物が軽くなるよう選定してもらった。
それでも、普段肉体を使うような動作を一切しない俺が背負って歩くにはかなりの重さだ。中島にも、状況を考えて不要なものはその場で捨てろ、と助言を受けている。
とにかく、やれることはやった。
その言葉には、死の覚悟も含まれている。
既に半開きになっていたドアを蹴破り、雪那を救い出すための戦いが始まった。
予想していたことだが、侵入したその瞬間にけたたましく警報が鳴り響いた。
心臓を縛り上げるかのような不快な音を無理やり無視し、俺はまっすぐな通路を小走りで進んでいく。
地形的に、遮蔽のないこの通路に長くとどまるのは危険だ。クロネが集まってくる前に駆け抜ける必要がある。
ふと、枝道から、黒い髪が僅かに見えた。
「っ!」
走りながら両手で拳銃を構え、クロネが顔を出した瞬間に引き金を引く。
その弾丸は、俺の視界に描かれた一本のラインをぴったりとなぞり、狙い通りにクロネの頭に吸い込まれていった。
研究所に攻撃を仕掛けるにあたり、俺は予めできる限りの準備をしてきたつもりだ。
その一つに、軍事用スマートコンタクトの存在がある。
視界内に入り込んだ銃口や照準器を基準とし、携帯端末を通して周囲の風や気温などの条件を計算させて弾道の予測線を表示させることができるのだ。射撃において大事なのはもはや照準の技術ではなくなった。この予測線をいかに早く相手の急所に向け、相手よりも先に引き金を引くか。それだけが重要だ。
この技術は主にライフルなどの長距離射撃に使われることが殆どらしい。軍隊に於いては、中、短距離でこのような補助を必要としなければ弾を当てられないような人間が戦場に立たされることはない。
それでも、俺のような素人にはありがたい話だ。
綺麗な眉間から血が噴き出す。彼女が床に倒れるよりも早く傍を駆け抜け、背後を確認することもなく先に進んでいく。
頭の中に建物の図面を思い描く。
俺がまず目指すべきは、地下二階に存在している武器庫だ。
エレベーターはあるが、電子戦に長けた敵がそんなルートを使わせてくれるとは思えない。マンションでの一件を思い出す。乗り込んだ時点で立派なハチの巣となることが確定すると言っていい。
加えてこの施設は、階段の位置が階層ごとにバラバラになるように配置されている。俺のような侵入者が現れることは前提で、奥深くまで招き入れないような構造になっているのだ。
「……ま、そんな正面突破をかますつもりは毛頭ねぇけどな」
俺は何個めかの分かれ道を、脳内の図面でこの階の下り階段がある位置とは離れるように進んでいく。その先にあるいくつかの部屋の中で、第三研究室と書かれた部屋に躊躇なく転がり込んだ。
俺の部屋の二倍くらいの広さのそこは、薄暗くあまり物は置かれていない。特に部屋の中央付近のスペースが開けているのは重畳だ。
一階における目的地にたどり着いた俺は、荷物の中からヒートチャージャーと呼ばれる爆弾を床に設置する。別名成形炸薬弾。床や壁を破壊するための指向性を持つ爆薬だ。
この下は地下一階、そしてこのほぼ真下には地下二階へ続く階段がある。
俺はできるだけ部屋の隅に寄って爆薬から離れ、端末から爆破命令を送った。
インターバルは3秒。その間に俺は目をつぶって耳をふさぎ、口を開けてしゃがむ。
意識が吹き飛ぶかと思うほどの、轟音。
塞いだ手を貫通するほどの爆発音とともに、竜巻のような爆風が俺を殴りつける。
これでも指向性だというのだから驚きだ。
しかし、その威力は絶大だった。空気を焼く匂いを残した炸裂弾によって、部屋の床には隕石が落ちたかのような大穴が空き、大量の瓦礫が落下している。下の階の階段付近で張っていたクロネを巻き込んだようで、ところどころから血が流れていた。
自分が飛び降りる前に煙幕弾を投げる。もくもくと広がっていく白煙の向こう、クロネがわらわらと集まってくるのが見えたからだ。
大穴から身体を引くと、さっきまで俺が立っていた場所を複数の銃弾が通り過ぎていく。
白い煙が十分に広がってから、砕け散った瓦礫の上に降り立った。
同時に、軍事用スマコンの拡張機能を起動。
煙の中に、オレンジ色の人型が浮かび上がる。
一人目。二人目。三人目──
サーモセンサーによって浮かび上がった人影の頭部を確実に撃ち抜いていく。真っ白な視界を、俺の放つ銃弾の軌道が突っ切る。次々に倒れる人影。
煙が晴れた時には、地下一階の廊下は死屍累々といった様相だった。そこで立っているのは俺一人だけだ。
心臓は強く鼓動を打っているが、まだ、走れる。
構わず、俺は振り返って階段を下っていく。
ここまで来れば、あとは一本道の廊下を突き進んでいくだけだ。
辿り着いた武器庫の入り口に、リュックから取り出した特殊補強壁を設置する。
金属製の薄い壁がドアを覆っていく。クロネが持っているようなプラスチック爆弾で簡単に破ることはできない程度には強度が担保されている。
強引に前進したせいで、俺の背後にはクロネの群れが出来上がっている。下手な鉄砲も数を撃てば当たるというが、今のところ被弾はない。
ひとまず第一目標は達成だ。
何度もトリガーを引いた右手をじっと見つめる。
落ち着くまでは考えないようにしていたひとつの事実が、じわじわと心の内に湧き上がってくる。
──クローンとはいえ、俺は今日初めて、他の人間の命を奪った。
銃の引き金を引いたことは何度もある。
それでも、その弾が人を殺したことはない。
その感触は、最悪だった。
銃という発明は、人を殺すという行為を限界まで簡略化するために生まれたという。
力は必要ない。相手に近づく必要もない。ただ人差し指を少し動かすだけで、命に終わりを迎えさせる。まるで一つの文章にピリオドを打つ程度の労力で、一人の人生が終了する。
この武器は、世界を本に。自分を物書きに。人間を文章にする。
それほどの力を持っている。
俺は、あの時俺の両親を奪っていったクロネたちと、全く変わらない行いをしたのだ。
どんな大義があろうと、相手がクローンであろうと、それだけは変わらない。
その感覚を絶対に忘れないよう、俺は強く右手を握りしめた。
「──いや、違うか」
思い直す。俺が致死の弾丸を放ったのは初めてではなかった。
俺が初めて殺したのは、神薙雪那だ。
放った弾丸は、意図していなかったにしても、彼女の心臓を貫いた。
雪那がぴんぴんしているので、ついその事実を忘れてしまっていた。
俺は彼女に、そのことを謝ってもいないのだ。
「そのことも、ちゃんと伝えないとな」
もし雪那と無事に合流できたら、話をしよう。
俺は銃弾の衝撃を受ける補強壁を背もたれにして座り込み、端末を取り出して追跡アプリを起動した。