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報復準備

「んで、尻尾撒いて降参か?」

「んなわけねぇだろ」


 目の前のカップを乱雑に掴み、俺はその中身を一気に呷った。砂糖とミルクを入れるのを忘れたことを、真っ黒な液体を完全に飲み干してから気付く。慣れない苦みが舌を刺激し、脳を活性化させる。


 店は節電という名目で臨時休業にしているらしく、俺の他に客はいない。照明を絞った店内にいるのは俺と中島、エカテリーナの三人だけだ。


「でもなぁ、今のところ、お前の姉ちゃんに直接関係するかどうかは怪しいもんだろ? それともあれだけご執心だった姉ちゃんはほっぽって、胸の貧相な嬢ちゃんに乗り換えか? らしくねェな」


「そんなんじゃねぇよ。単純にやられっぱなし、何も知らないまま蚊帳の外が気に食わねぇ。そういう性分なんだよ──お前こそ、元軍人の名が泣くんじゃないのか? あんな女子供相手に人質とられて、いいようにされてよ」


「風穴開けられたいのかオマエ? つか、オマエだってオレたち兵隊のお仲間みたいなもんだったろうが」

「さあ、どうだったかな」


 エカテリーナがコーヒーのお代わりを差し出してくる。


「無茶しちゃやぁよ。雪那ちゃんだけじゃなくてワタルもいなくなるなんて、考えるだけで涙が出ちゃうんだから」

「お前的には、雪那よりは俺が消えた方がマシだったかもな」

「こら。そんな話じゃないでしょぉ」


 カップを受け取って、角砂糖入りの陶器をさかさまにする。白い塊がひとつ残らずコーヒーに波紋を描き出し、艶のある黒色の中に飛び込んでいった。


「クソ……俺は、女に守られてばかりだ」


姉と雪那。

彼女たちは、自分の身を犠牲にして俺のことを助けてくれた。

俺は、そんな二人に報いなければならないんじゃないのか。


「こんなザマじゃなきゃ、俺もちょっとはやれたかもしれんがな」


 中島が感触を確かめるように右手を握ったり閉じたりする。連動するように動く4本の指と、何かに阻害されているようにぴくりとも動かない人差し指。


 身内で唯一、正式な軍事訓練を経て入隊し、実戦経験の豊富な中島。だが、残念ながら彼への期待は泡と消える。


「あれからしばらく経つが……まだ、撃てねえか」

「ああ……オレはもう──引き金を引けねェ」


 悔しさを隠そうともせず、舌打ちする中島。

 呑気にカフェを運営しているようで、彼にも後ろ暗い過去がある。記憶が指にまとわりついて、ほんの少しの動作をすることも許さないのだ。


 泥のように重みのある空気が流れる。


「こーらぁ、男ども二人してそんな顔しないの。おっぱいとお尻揉む? マスターとワタルなら一度に相手できるから喧嘩にならないわよぉ」


 どうにか沈みきった雰囲気を打破しようとするエカテリーナのセリフすらもむなしく消える。珍しく表情を暗くして、俺の隣の席に腰を下ろした。


「……って、人質に取られたアタシが言うのもアレなんだけど。ワタル、まだ雪那ちゃんのこと諦めたわけじゃないんでしょ? だったら少しは前向きになった方がいいと思うわぁ」

「ま、それはそうだな……とりあえず状況を確認するか」


 カフェインが回り始めて冴えた脳を回転させ、思考を整理する。


「まず、雪那は奴らの研究施設に連れていかれた可能性が高い」

「研究施設だと」


 パソコンの画面に、クロネから手に入れた見取り図を表示する。


「地下にはクローン工場と思われる空間があるが、地上部にも複数部屋があって、かなり大きな建物のはずだ。あいつらがここを拠点にしている可能性は高い」

「クロネちゃんたちはクローン人間だった、って話だけど。どおりでみーんな同じ顔をしてたわけだわぁ。同一人物百合というジャンルに興味があります」


 エカテリーナの発言は黙殺される。


「同じ顔してる、って言うが、俺にはイマイチ分からねえんだよな……そんなに似てるか?」


「オマエが人の顔にも自分の顔にも興味がなさすぎるだけだ。10人に写真を見せたとしたら、10人が姉妹か、下手したら同一人物だって言いかねねぇ勢いで似てるんだがな」


「……そんなもんかねえ」


「んな話はどうでもいい。この建物の具体的な場所は分かってるのか? 内部の地図だけじゃ、構造は分かってもどこに存在してるのか分かんねェだろ」

「ああ。そこで、こいつだ」


 図を閉じ、新たに位置情報アプリを起動する。


 碁盤の目を模したようなそれは、再開発によって区画を一新された東京の地図だ。その上をひとつの赤い点が、点滅を繰り返しながら移動している。


「GPSタグか。ドロッセルとかいう女に仕掛けたのか?」

「アホか。あいつに触れる隙すら無かったさ。これは俺の部屋に侵入してきたクロネの一体に仕込んだやつだ」


 ここまでの移動ルートを描画させる。赤い線が俺の住むマンションから伸び、一本の道筋を示していた。どこまで進むのかはまだわからないが、概ねかつて永久機関があった方角に向かっているようだった。


「こいつの命令系統に、さっきの施設──箕土路研究所に帰るように書き込んである。これで場所の問題は解決だ」


「命令系統に書き込みってどういうこと、ワタル?」


「あいつら全員、謎の機械を頭に着けてるだろ? あれが通信機になってて、上のやつが直接命令を下してるらしい」


「ただの通信機にしてはデカすぎないか?」


「ま、詳しい話は無事に帰ってこられたらしてやるよ」


 それよりも、と話を切り替える。 


「ドロッセルは、永久機関の話もしてたんだよな……その口ぶり的に、あいつらは永久機関を直そうとしてるらしい」


「そういえば、ちょうど修理が始まったらしいわよぉ」


 エカテリーナがテレビリモコンを手に取り、電源を入れる。


 テレビの中では、崩壊した東京都永久機関の修繕工事が始まった、という旨のテロップと、ロボットが忙しく部材を組み上げている様子が映されていた。


「直す、とは言うけれど、永久機関の技術は失われたはずじゃなかったかしら。それとも、雪那ちゃんを連れ去った奴らなら作り直せる、ってことなのかしらね?」


 今まで構造が公開されていなかったということもあって注目されているようだが、今のところ無機質な機械たちが積み上げているのは、よく見覚えのあるグレーの外壁部分だけらしい。内部は完全に人の目を断ってから建造されるのだろう。


「さあな、俺にはさっぱりわからん。だが、手を付けてるってことは修復の目途が立ってるってことだろ」


「だとしたら敵の規模がデカすぎだ。たとえ乗り込んで嬢ちゃんを助け出せたとして、いつかどうにかして消されちまうだろうな。オレが万全でも勝てる気がしねぇ」


 中島が片手間に、熱した油の中に何かを放り込んだ。油が跳ねる音。


「そういえば、”唯”ちゃんの方は大丈夫なのかしら。マスターが、ワタルが”唯”ちゃんのところに向かったって喋っちゃったけど」


「あー、多分……? この辺の監視カメラは予め情報をシャットアウトしていたらしいから、俺を追うことはできなかったはずだ。具体的な場所を言ってなければ辿り着けやしないんじゃないか?」


「そもそもオレは情報屋がどこにいるのか知らん」


 一応、”唯”に俺の無事と雪那が捕まったことを知らせるメッセージを飛ばしておく。

 すると三秒もせずに、サムズアップの絵文字だけが返ってきた。


「無事らしいぞ」

「ならいいんだが──ほらよ」


 中島に差し出された皿を見ると、きつね色のフライが大きなパンに挟まったものが載っていた。


「カツサンドか? 注文してないが」


「ま、ゲン担ぎだと思って食えや。奢りだ」


「ベタすぎるだろ……奢りならもらうけど」


 そういえば、ここのメニューの上の方にやけに強調されたカツサンドがあった気がする。食事に金を払う気がない俺は食べたこともなかったが。


 一口、口に運ぶ。


 いつも口にしている完全栄養食のパンとは似ても似つかぬ柔らかな生地を越えると、揚げたてのトンカツがその衣の中に閉じ込められた肉汁を迸らせる。大雑把なソースの塩味と相まって、生物としての本能的な満足感を覚えるような味が口いっぱいに広がった。


「美味いな、これ」


「当たり前だ。もちろんリーナのコーヒーも最高に美味い。うちの店に来る奴はちゃんと味が分かってんのさ」


「じゃあAI任せにするのやめろよ……」


 笑い合う。その声は薄暗い店内を、ひいては沈み切った俺の気持ちを、少しは明るくしたと思う。


「つか、俺は止められるかと思ってたよ。この騒動が始まった、永久機関が爆破された時みたいにさ」


「ま、本当なら止めるところなんだが……」


 いつになく真剣に、中島は腕を組む。


「ちゃんと目的を持った上で、死んでもいいって覚悟で戦いに出る──そんな男を止める権利は、オレには無いわな」

「死んでも、ね……」


 俺は普段食べる量の2倍以上あるパンを、瞬く間に胃に詰め込んだ。


 死ぬかもしれない、という実感は、ドロッセルと対面したときに嫌というほど味わった。その上で、再び同じ人物が待つ場所に挑む。


 死を意識するなというほうが難しい話だ。


 あの氷点下の眼差しをした少女を前にして、俺に何ができるのか。

 分からなくとも、このまま終わりにするつもりはない。


 その意志だけは、変わらずに持っていられるという確信があった。


「あとは装備だな。いつも頼って悪いが」


 テーブルに手をついて立ち上がる。


 中島は軍人時代のコネを利用し、裏で銃火器などを売り買いしているブローカーなのだ。元々趣味として集めていたらしいコレクションの売買履歴を俺が嗅ぎつけたことが発端となり、それが金になるとわかるや、善人悪人を問わず、金さえ払えば手に入る限りの装備を売ってくれるようになった。今やカフェで得られる収入が霞む程度には稼ぎがあるという。


「残念ながらそっちは奢らねぇからな。きっちり耳揃えて払ってけや、スカンピン」

「この守銭奴のクソ野郎が」


 俺たちは悪態をつき合いながら、倉庫内に隠された武器庫に向かった。

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