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万事休す

 部屋についたのは、俺たちの方が早かったらしい。

 オートロックのはずの玄関は開いたまま。その時点で非日常が浸食してきていることを実感する。


 玄関を抜けると、バキバキに砕け散った木製のドアが真っ先に目についた。

 木くずを踏まないようにすり足で進んでいくと、左手に旧トイレ、現即席の監獄となった場所がある。


 厚いアクリル板で仕切られた向こう側には、床に伏して気絶するクロネの姿があった。


「……想像していたよりはひどくなかったです」

「そうか? 多分肋骨とか折れてるぞ、これ」


 端末を操作してアクリル板の仕切りを上げる。


 横たわるクロネの元にしゃがみ込み、特徴的な頭部の機械を観察する。肩上まである髪に隠れているが、そこから背骨をなぞるルートを通り、さらに全身に配線が伸びているらしい。しかもただ張り巡らせてあるだけでなく、皮膚と一体化するようにびっしりと埋め込まれているといった様相だ。


「どこと接続されてるんだ、これ?」


 一体化しているかのように張り付く配線を追いかけ、髪をかき分けていくと、真っ白な頭皮が露わになる。しかし、その先を無骨な金属パーツが覆い、追及の目を遮っていた。


「なんというか、不気味ですね。クローンというよりも人造人間みたいです」


 雪那が背後から覗き込む気配がする。

 彼女の素直な感想の通り、クローンというには、目の前の少女はあまりにも機械的すぎた。

 

 何よりも興味を引くのは、やはり右側頭部を覆い隠すインカムを太らせたような機械だ。アンテナのように上へと伸びているだけではなかった。取り外そうとしてみるがびくともしない。どこかでがっちりと固定されていることが分かった。


「いや、そんなことはどうでもいい」


 頭を振り、ノートパソコンに格納されている外部端子ケーブルを引っ張り出す。


 クロネの頭部パーツには、なんの用途か、まるでパソコンのように複数の端子を接続するための挿入口がある。そのうちの一つに、ケーブルを差し込む。

 すぐさま、俺のパソコンの画面でウィンドウが複数立ち上がり、夥しいほどのデータが書き出され始めた。それらは表示されたかと思えばすぐに新たな文字列に追われ、画面外へと流れていってしまう。人間の目では追うことすらできないほどの速度で、無尽蔵で無作為で無限の文字列が現れては消えていく。


「よくサイバー系の映画なんかで見る光景ですが……それは、何をしているんですか?」

「こっちはデータの書き写しだ。この機械に保存された情報を根こそぎ移して解析してる。あとは、可能ならいろいろ仕掛けを残しておきたいんだがな……」


 フォルダ分けされたいくつものデータが画面を埋め尽くす。


「殆どは音声データか……後回しだな」


 一つ一つを確認している時間はない。拡張子から音声データと判別できるものは根こそぎ弾いていく。

 次に目についたのは画像のまとめファイルだった。こちらは音声ファイルに比べて数が少なく、サムネイルを一瞥するだけでもある程度内容が理解できるはずだ。時間がない今、漁るならこちらだろう。


 次々に表示されていくサムネイルに目を通しながらスクロールしていく。


 比較的少ないとはいえ、そのデータ量は一般的な人間が生涯で撮影する写真の数をはるかに凌駕しているように思える。時々飛ばしながら眺めていると、『箕土路研究所 map』と書かれたファイルに目が留まった。


「箕土路研究所……」


 ”唯”の手で掘り出されたホームページを思い出す名詞だ。

 ダブルクリックで展開してみると、それはファイル名の通りどこかの建物の構造図だった。


「これは……」


 普通の建物ではない。直方体を大きく削り取ったような不自然な形状。一つの建物として考える二はかなり異質な形をしているように思える。ページを進めていくと、研究所はいくつかの階層で構成されていることが分かった。

 

 地下階層の地図が表示された瞬間、その違和感は確信に変わった。三階にもなる地下の構造はアリの巣のように張り巡らされていると共に、その外周は地上階で欠けていた部分を補うように、きっちりと長方形を描いていた。素直に考えるならば、地下は地上よりも多くの面積があることを示している、ということになる。


「この部分……なんだか、何かの生産工場みたいに見えませんか?」


 横から画面を覗き込む雪那の声。


 地下三階の間取りの大半を占めていたのは、雪那の言う通り生産ラインのようなブロックと、保管庫と書かれた、だだっ広いだけの部屋であった。


 もし、それが本当に何かを作り出すことを目的としている、工場のような役割を果たしているとしたら、真っ先に考えられるのは──


「──クローンの製造、だろうな」

「っ──」


 状況的にも、クロネを大量に生み出すための設備、と考えるのが自然だ。


 人間のクローンの製造は国際的に禁止されている。人道的でないという理由に加え、過去に違法に作られたクローンが長く生きられなかったことに起因する。


 そもそもクローンを製造できたとして、人間とほぼ同じ活動ができるようになるまでの生存率が10%を切ると聞く。大半の個体が培養液の中から出ることすらもかなわず、成長途中で死亡してしまうのだ。その一割を運よく乗り越えた個体も、雪那の話によれば半月程度で全滅するということだ。


 逆に言えば。


 大量のクロネが活動していることから、この施設が現役で稼働している可能性は高い。

 さらに、この施設の名は研究所であり、製造所などではない。クローンを作り出す機構だけの施設とは考えにくいだろう。

 十中八九、敵の本拠地だろうと俺は予測を立てた。


 マップデータをコピーし、バックアップを複数とって保存しておく。構造さえ押さえておけば、”唯”に情報を回して建物の位置を特定することができるはずだ。


「画像は……あとは役に立たなそうだな」


 ファイルの中には俺や雪那の鮮明な顔写真までもが残っていた。監視カメラに映っていたものを再現したにしては精度がかなり高い。

 何の意味があるかは分からないが、一応削除しておく。


 続けてイヤホンを繋ぎ、放置していた音声データに手を付ける。

 更新順に並べていくと、一時間以内に複数の記録が残っていた。


『いいや、室内をもう少し調べたら、彼らの帰宅まで待機してもらう』


『帰宅したら奇襲をしかけなさい。二人とも撃ってかまわない』


『成功したら、雪那くんの脳髄を持ち帰りなさい。途中で再生するだろうから、定期的に切断することをわすれないこと。失敗したら、できるだけ接近した後に自爆して、二人を巻き込め。無力化できたらドロッセルに回収させる』


 展開すると同時に、ノイズと複数の人間の声が交じり合ったような人工音声が再生された。


「こいつがクロネどもの親玉か……」


 ”唯”に頼めば声紋認証である程度の年齢や外見が特定できるかもしれないが、感覚として高齢の男性の話し方であることが想像できる。


 さらに音声の内容からして、そう遠くないうちにドロッセルという人間がここに現れる可能性が高い。少なくともクロネよりは上位の人物であると考えるのが妥当だ。


 デスクのパソコンを起動してマンション前の監視カメラに接続する。が、そこまで操作して思い出した。


「クソ、奴らは監視カメラに映らねえんだったな……面倒くせえ」


 クロネの仲間ならば、ドロッセルも同じ扱いとして考えていいだろう。


 代わりにエレベーターシステムに侵入し、二つあるエレベーターのうち、一つを俺たちがいる階層に固定。もう一つを俺たちが今いる階層に止まらないようにシステムを書き換える。さらにセキュリティとして、外部アクセスを自動で弾くファイアウォールを設置。これで少しは時間が稼げるはずだ。


「雪那、この映像を見て、無人のエレベーターが動き出したら教えてくれ」

「わ、わかりました。千野さんは?」

「上手くいけば、味方を一人増やしてやる」


 雪那をデスクトップパソコンの前に座らせておき、急いでクロネの元へと戻る。


 いくつかの音声データを回収し、合成音声を作成できるソフトに片っ端からぶち込んでいく。

 肉声に比べ、元々が情報体である合成音声は比較的再現が容易だ。すぐさま解析が始まり、自動で調声が行われる。


 クロネは音声データに残った命令内容を記録し、それを行動原理としているようだった。


「つーことは、それと全く同じ音声で新たなデータを挿入すればその通りに行動させることができるかもしれない……ってか」


 完成した即席の合成音声を再生すると、少なくとも俺の耳には作成前の音声と聞き分けができないように聞こえた。

 その音声を編集し、『今まで出した命令は全てキャンセル。箕土路研究所に帰ってこい』と喋らせたデータを、記憶領域の最新部分に挿入しておく。


 上手くいくかはわからない。だが、成功すれば、”唯”の手を煩わせることなく、こいつらの本拠地が突き止めることができるはずだ。


 通信ルートを確保しておくのは危険だろうか。


 遠隔で命令を下せるならば、研究所を特定するだけでなく戦局を有利にできる可能性がある。反面、ジャミングの外に出た時点で逆探知をかけられ、こちらのIPを捕捉されてしまうリスクもはらんでいるのだ。


 リスクとリターン。今後起こりうる状況を想定し、思慮を巡らせる。


「千野さん、無人のエレベーターが動いています!」

「了解」


 時間切れだ。


 思考の結果、俺はクロネのシステムに割り込めるバックドアを残すことに決めた。


 データの海に潜りこみ、痕跡を消し、その奥深くに小さなきっかけを残しておく。

 彼女の脳内をひっくり返して漁らなければ見つからないような、小さな綻び。


 それが、いつか楔となることを願いながら、思いを込めてエンターキーを叩く。


「OKだ! 雪那、行くぞ!」

「はい!」


 クロネの頭からケーブルを引っこ抜き、靴を履きながら雪那を呼びよせる。

 俺たちは放たれた矢のような勢いで部屋を飛び出した。


 すぐに逃走用に固定していた方のエレベーターに乗り込む。再びシステムに侵入し、通常通り動作するようにロックを解除。ついでに、部屋に残してきたデスクトップパソコンは遠隔で電源を落とした。


 エレベーターが動き出し、音もなく浮遊感に包まれる。

 階層を表す液晶の数字が少しずつ減っていくのをじれったく思う。


 隣の雪那が、拳を静かに握っていた。


 液晶の数字が1となり、目の前の扉がようやく開いた時。


「……まぁ、エレベーターには人数制限があるから、こうなるよな」


 俺は思わず苦笑いする。


 その理由は、俺の目の前に広がる景色が物語っている。

 地上1階は居住スペースのないフロアであるため、ホテルのエントランスを思わせる面積を要している。そこには、数えるのも嫌になるほど大量のクロネがひしめいていた。

 深淵の底から見上げるような瞳がすべて、俺たちに向けられる。


 最悪だ。


 状況もそうだが、またトラウマが蘇ろうと記憶のドアをぶん殴っている。

 頭痛が始まりそうな頭を軽く殴って、できるだけ意識を逸らす。今そんなものに付き合っている暇はない。


 今ならまだエレベーターには戻れるかもしれない。しかし上階に昇っていった敵と鉢合わせになることは必至だ。


「ど、どうするんですか千野さん!?」

「落ち着け……どうにかして突破するしかない」


 口ではそう言ったものの、生憎この人数差を覆せる道理は持ち合わせていない。


 腰に携えたM1911に触れる。頼りになる装備はそれだけだ。早撃ちで数体は仕留められるかもしれないが、とてつもない頭数が集っているクロネ相手に実行したところで、大した意味があるとは思えない。


 背筋を冷汗が伝う。唾液が引いていく。唇が乾く。


 クロネたちは戦慄の表情を浮かべる俺たちに対し、何の動作も起こそうとはしない。ただ、暗い目でこちらを射抜いているだけだ。

 そんな中、クロネの波を割って、黒のドレスの人物が現れた。他のクロネたちに比べ、明らかに身分の差があることが一目でわかる。


「お父さまの庭たる地球を這いまわるゴミムシの皆様、ごきげんよう。わたくし、お父さまの忠実なる下僕、ドロッセルと申します……まずは、そのエレベーターから這い出て、薄汚い姿を晒して戴きましょうか」


 ドロッセル。その女性の口から、クロネの音声データに残されていた名前が告げられた。

 脅すでもない。ただ、それが当然であるかのように、命令を下す。

 完全に包囲された俺たちはその声に従わざるを得ず、ゆっくりと歩みを進めた。


 背後でエレベーターのドアが、死刑宣告のように閉じた。


 もう退路はない。


「はっ、こいつらの上司だから人間なのかと思ってたが、お前もクローンなのかよ」


 自分の右こめかみを指さし、口だけでにやりと笑う。

 ドロッセルは示された部位にある金属を撫でながら、厭らしい笑みを返した。


「嗚呼、我々がクローンであること程度はご存じなんですのね。そこの尻軽女に教えてもらったのでしょうが、はて、知能の足りないサルに情報が渡ったとて、何を懸念すればいいのか見当もつきませんわ。IQが違いすぎるのが原因とお見受けしますが?」

「口、悪ぅ……」


 会話が成立したかと思えば、その口からは罵倒しか出てこない。


「お父さまは非常に聡明で効率を求める方です。オスザルに対しては殺せとしか命令を受けておりませんの。長ったらしく会話をしろとも、情報を引き出せとも仰せつかっておりませんわ。──ただ、そこの実験動物(モルモット)を差し出して戴ければ結構」


 スカートの中から片手で取り出された折り畳みのアサルトライフルが、がちゃりと音を立てて本来の形を取り戻し、まっすぐ俺の心臓を狙う。


 短めのストックが二の腕に当たる構えで、つまりこいつは片手で発砲する気だ。そしてその構えからは美しさと絶対の自信を感じる。

 舐めているわけでも、加減をしているわけでもない。これが彼女のスタイルなのだと思わせる説得力があった。


「……ずいぶん自信があるようだが、お前の部下は5メートル先の的にも当てられんヘタクソだったぜ? もう少し新人教育を丁寧にやった方がいいんじゃないのか?」


「この子たちの貧弱な身体能力では、一番軽く撃てる銃でも反動を制御できませんの。それにどうせ長くない命なのですから、いちいち鍛えさせたり練習させたりというのも時間の無駄というやつですわ。爆弾を持って敵陣に突っ込む方がよっぽど向いています」


 空の手で髪をふわりと撫でるドロッセル。


「おしゃべりは終わりです。心配せずとも貴方ごとき、嬲って殺すほどの価値もございません。せめてわたくしの時間をドブに捨てさせないでくださいまし」


 がちゃり。

 銃口が、まっすぐに俺の正中線を捉える。


 絶体絶命か。

 俺がこぶしを握り締め、そう覚悟したとき、


「──私が目的なんですよね」


 雪那の声は静かで、しかしはっきりと聞こえた。


「私がついていけば問題ないんですよね? 私が抵抗せずに従ったら、この人は傷つけないと約束してください」

「薄汚いモルモットが。交渉できる立場だとお思いなので?」


 無慈悲な銃口と雪那がにらみ合いになる。


「貴方たちを無力化して目的を達するなど、わたくしには容易いことですわ。そこのデカブツをみすみす見逃す理由がどこにありまして?」

「聞き入れてもらえないなら、私は私にできる最大限の抵抗をして、この場にいるクロネを出来る限り殺します。千野さんが殺されてしまったら、こういうものも使えますから」


 雪那が腰に手を回し、プラスチック爆薬を取り出す。それには見覚えがあった。

 いつの間に回収していたのか、俺の部屋で伸びていたクロネから剥ぎ取ったものだ。雪那はそれを手に、横柄な態度に立ち向かっていく。


 だが、それでもドロッセルは余裕の姿勢を崩さない。


「その程度の浅知恵で怯むとでも? 少なくともこの木偶の坊たちはいくらでも替えが効きますので、せいぜい後から来るであろうここの掃除係に、少しの迷惑をかけるのが関の山でしょうに」


 そんなことはこの場にいる全員が理解している。俺は雪那が何を狙っているのか判断しかねていた。


「いいえ、それはこの状況においては違います」


 雪那はそれでも言い淀まない。むしろその言葉を待っていたかのように反駁する。


「この街では今、永久機関が止まっています。自然エネルギーによる補完である程度は賄えているようですが、民間でもエネルギーの節約が推奨されています。そんなエネルギー不足の状況の中でクローンを製造するなど、可能とは思えません」

「問題ありませんわ」


 だが、ドロッセルも怯まない。


「モルモットさんの小指の爪ほどの脳みそが捻りだした通り、確かに現在、永久機関の停止により新たなクロネを作り出すことができておりません。しかし、それもお父さまの御手によって永久機関の再稼働が実現すれば解決することです。──それとも」


 ずっと薄ら笑いを湛えていた口角が、頬が裂けたかと思うほどに持ち上げられる。


「──それとも、モルモットとサルごときの低能が、お父さまの偉大なる作品である我々を全滅させて、逃げおおせることができるとお考えなので?」


 その言葉とともに、全てのクロネが銃を構える。

 雪那の爆弾を握る指に力がこもる。


 交渉決裂。万事休す。


 俺もせめてもの抵抗を演じるべく、銃に汗ばむ手をかけ、視線だけで照準を定める。

 無数の銃口を前に、どの方向に転がれば致命的な負傷を避けることができるか。約束された痛覚への刺激をどれだけ無視できるか。そんな思考が頭を支配する。


 ──しかし、その銃を抜くよりも前に。


「──はい」


 ドロッセルの口から、気の抜けるほどに無感情な声が聞こえてきた。

 何も読み取ることが出来ないほどの無表情。


 注意が俺たちから外れた。

 その視線は俺たちを見ているようで、見ていない。


 クロネと同じ目だ。


 頭の機械を通じ、何者か──恐らくはお父さまと呼んでいる人物と通信を交わしているようだった。


 ドロッセル一人の注意が外れたとしても、無数の銃口は俺たちを捉えたままだ。

 包囲網から逃れることはできず、俺はその顛末をただ見ていることしかできずにいた。


「はい──はい? よろしいので?」


 その表情が突如色を取り戻し、驚きに変わる。


「しかし──あっあっ」


 次の瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。その視線の先には何も映っていない。


 ふっ……と、一度瞼が閉じられ。


「……」


 次に開かれたとき、俺にはその奥に誰かの影があるかのように思えた。


 纏っていた雰囲気が一変している。

 まるで別人のように感じられるその瞳が、俺たちをまっすぐに見据える。


「神薙雪那を引き渡し、我々を追跡しない。今後関わることもしない。この条件を飲みなさい。飲めるならば、その男の命は保証するわ」

「──は?」


 予想もしていなかった言葉に、俺の口から間の抜けた声が漏れた。

 その言葉が意味するところに理解が及ぶまでに数秒を要した。


 纏う雰囲気どころか、高飛車で罵倒の絶えない口調すらも冷酷に変わっている。まるで何かが乗り移ったかのように。


 そして何より──俺はその話し方に覚えがあるように感じていた。


 「──っ」

 

 吐き気が湧き上がってくる。


 この感覚は知っている。

 だが、何故今、この瞬間なのか。


 抗えないほどの強烈な頭痛が襲い来る。


 眼前の光景が霞む。記憶に引きずり込まれていく。


 痛い。平衡感覚が失われていく。立っていることもできない。


 手足と舌が痺れ、自分のものではなくなる、ような……


 体中の感覚器が狂いそうな中──ふ、と。

 ドロッセルが突然、元の傲慢で尊大なオーラを放った。


 呼応するように、頭痛が、吐き気がしぼんでいく。

 俺のトラウマは再び深い眠りについていった。


「一体、何が……」


 状況を全く理解できない俺を前に、ドロッセルは巻き戻しのようにアサルトライフルを折りたたむ。その手つきは乱雑で、先ほどまでの優雅さはどこにもなかった。


「ああもう。こんな動物以下のゴミども、ここで八つ裂きにしてしまえばいいと思いますわよ。ですが、お父さまがどういうわけか、そのようにしろと仰いましたの。命令に背くつもりはございませんわ」


 まだぼんやりとする頭に、高飛車な声が響く嫌な感覚。


 お父さま。クロネの記憶を覗き見たときに聞いた音声の主のことを言っているのだろう。

 しかし、さっきドロッセルに乗り移ったようであった誰かとは、明らかに話し方が違うように思えた。


 俺を殺して雪那を手に入れろというのが、こいつらのボスの人物の命令だったはずだ。今更俺を見逃す理由などあるだろうか。


「信用できません。私がおとなしく従ったあとに千野さんを殺すための方便にしか思えないので」

「まだ選べる立場だとお思いで? 実験動物は思考回路が実に愉快でございますこと。──条件に不満があるなら、銃弾が飛び交うだけのことですけれど」


 スカートがふわりと持ち上げられる。 それは誘惑ではなく、脅迫だ。


「……」


「千野さん」


 わかっている。

 選択肢は、ない。


「悪い」


「いいえ、千野さんはできることをしてくださいましたから」


 雪那が力なく笑う。


 それを見て、俺は構えていた腕をだらりと下げた。


「賢い方が長生きできるとよく言いますが、選択肢がないことに気づく程度が賢いというのは、逆説的に相手を侮蔑した表現だと思いませんこと?」


 クロネたちがどこからか麻縄を取り出し、前に出た雪那を取り囲む。

 彼女が無抵抗なまま、後ろ手にきつく縛りあげられていくさまを、俺はただ見ていることしかできなかった。


 ドロッセルがヒールの音を立てながら優雅に近づいてきた。

 クロネたちの真ん中で自由を奪われる雪那を顎で示し、嘲笑を混ぜ込んだ声で言う。


「もちろん、我々にそういった意図はございませんけれども──こういった趣向は、若い男性にとっては垂涎といった状況なのではなくて?」

「……ねぇよ。胸の小さい女は守備範囲外だ」

「あら、わたくしの胸には興味がある、ということでよろしいので?」


 たゆん、と、ドロッセルが服の上から自らの胸を持ち上げる。

 豊満に見えるそれは、しかし、俺の目をごまかすことはできない。


「生憎だが、俺の目は偽物に騙されるほど腐っちゃいない」

「不愉快ですわ。やっぱり殺してしまおうかしら」

「敵に配慮する気はない」


 鼻息を鳴らすドロッセル。


 少しは会話する気があるらしいので、俺は慎重に言葉を返した。


「お前は他のやつとはだいぶ違うようだな。よく喋るし、自由意思があるように見える」


「もしかしてあの貧弱なクローンと比べているのですか? わたくしはエリートなのですから、この者たちより、もちろんサル以下たる貴方よりも優れているのは当然のことです」


「エリートね……」


 クローンといえども序列があるらしい。


「もしかして、クロネが失敗作で、お前みたいなのが完成形だったりするのか? クロネの寿命が短いって言ってたが、つまりお前の寿命は他のクローンとは違うってことだよな」


「さあ? サルにわざわざ知恵をつけてやる義理はありませんわね。第一、貴方はもうこちらとは関わらないという条件の対価としてその羽根よりも軽い命を拾ったのですから、詮索する必要はないと考えますが?」

「……そうだな」


 雪那の拘束が終わり、外に横付けされている大きめの作業車のような車両に詰め込まれていった。続いてクロネたちがすし詰めになるほどに続々と乗り込んでいき、すぐに雪那の姿は見えなくなる。


 あれだけいたクロネたちは、わずか3台の作業車にすっぽりと収まった。中がどうなっているのか想像もつかない。


 最後にドロッセルが、クロネの一人がハンドルを握るバイクに横向きで腰掛ける。


「では、ごきげんよう。──永遠に」


 そう言い残し、そのバイクを先頭に、彼女たちは去っていった。


 俺には、その車を黙って睨みつけることしかできなかった。

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