急変
『監視されているから避けるはずだったのに、本当に帰っても大丈夫でしょうか?』
ヘルメットに内蔵されたヘッドセットを使って、背後で抱き着いている雪那が話しかけてくる。表情は見えないが、その声色は硬い。
”唯”の隠れ家を出た時には、事態が進展するまで適当な廃墟にでも立てこもるつもりでいたが、話が変わった。
気付かないうち、中島から返信があった。メッセージはなし。添付されたスクリーンショットを展開すると。
「……最悪の光景だな」
いつものカフェとは雰囲気が一変していた。まばらなはずの客席が、ひとつ残らず埋まっていたのだ。──今しがた俺が警告した、黒い髪の無表情な少女によって。その中には、クロネによく似ている、しかし、明確に違いを持った、華美な服の少女が一人、映り込んでいた。
少なくとも襲われているような様子ではないが……思ったより状況は悪い。
加えて──
『うちに侵入してきたやつがいる。恐らくクロネか、その仲間だ』
俺はたった今スマコンに届いた情報を雪那に伝える。その通知を受け取った瞬間に、進路を180度変更して自宅を目指すことに決めたのだ。
『な、なんでそんなことが分かるんです?』
『家の電子ロックがハッキングで解除された。もう侵入されている』
『なっ!?』
雪那の驚きの声がヘルメット内に響く。
『驚くことでもない。さっき話した通り、俺たちのねぐらは敵にバレてたわけだ。昨夜のうちに動きがなかったのが不思議なくらいだ』
『で、ですが、今向かったらクロネと鉢合わせてしまうのでは』
だろうな、と頷く。
『──俺の部屋に上がった時、色の違うタイルを踏むなって言ったの覚えてるか? 実はあれは対侵入者用のトラップなんだが、今ヤツはそれに引っかかってる』
『あの、床が抜けるとか言っていたタイルですか? まさかそんな仕掛けがしてあったとは……ち、ちなみに、あれを踏んでいたらどうなっていたんですか……?』
『エグい勢いでトイレにシュートされて閉じ込められ、催眠ガスで最低5時間は眠る』
『……最悪ですね』
姉のことを探り始めた時から、いつか自分の元に危険が及ぶのではないか、という疑念は常に持っていた。それこそ、両親が殺されたあの日、クロネたちは突然家に踏み込んできたのだから。
実際にトラップが起動したのは初めてだったが、どうやらうまくいったらしい。
トイレのウォシュレットを頭から浴びながら気絶する姿でも想像したらしく、俺の胴に抱きつく雪那の腕がぶるっと震えた。
『ガスが切れても通信ジャミングがあるから、外と連絡されることはないんだが……』
『……通信が途切れたことを察知されたら増援が現れる可能性が高い、ですね』
『そうだな』
相手は情報戦に長ける。作戦行動こそ迅速であるとは言えないが、今そこに向かっているのが自分たちだけと考えるのは楽観的過ぎるだろう。
エンジンが唸りをあげる。景色が背後に流れる速度が上がっていく。
カフェの方は後回し。とにかく、うちで伸びているはずのクロネの一体をどうにか先に確保し、少しでも情報を手に入れたい。
『雪那、戦える準備だけはしておけ。十中八九、鉢合わせになる』
『わかりました──ときに、千野さん』
『なんだ?』
『さっき、2人きりで何してたんです? やけにびちゃびちゃと水音が聞こえていましたけれど』
俺は黙ってバイクのギアを上げた。