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侵入者

 同時刻。

 某高層マンションにて。


「お父さま。電子ロックの強制解除を申請いたします」


 そう呟く、全身を黒に包んだ少女がいた。


 すぐに、いくつかの音声が重なり合ったような、辛うじて男性のものということだけが分かる不思議な声が、クロネの脳内に直接返答する。


『そこが、雪那くんが連れ込まれた部屋かね』

「映像を確認した限りではそうです。昨夜部屋主と思われる男性が神薙雪那と思われる女性を連れて帰宅しました。それ以降、部屋を出た映像は確認されておりません」

『映像では、ね』


 男はやや納得しかねたような声でごちる。


『まぁ、入ってみれば分かることだ。手をかざしなさい』

「はい」


 黒の少女は従順に手を電子ロックに重ねる。その手のひらには電子端末が埋め込まれている。端末からは少女の身体を這うようにして配線が伸びており、そのまま頭部と接続されている銀色の機械に繋がっていた。


 かちゃり。

 何秒もせず、ドアが開閉可能になったことを知らせる音が、静かな通路にこだました。


「ありがとうございます、お父さま」

『無感情な礼とは、こんなにも人の心を逆撫でするものなのだね。中に入って状況を報告しなさい』

「はい」


 扉を開ける。ぱっと玄関の明かりが灯るが、自動でつくよう設定されているものらしい。玄関先には靴がひとつもなかった。


「室内に人の気配はありません」

『ふむ、やはりか。監視カメラにアクセスできなくなったタイミングがあったし、ループ映像でも使ったのだろうね』


 特にイラついた様子もなく、男は冷静に状況を分析する。


「わたしもカフェの包囲に加わりますか?」

『いいや、室内をもう少し調べたら、彼らの帰宅まで待機してもらう』

「はい、お父さま」


『帰宅したら奇襲をしかけなさい。二人とも撃ってかまわない』

「はい、お父さま」


『成功したら、雪那くんの脳髄を持ち帰りなさい。途中で再生するだろうから、定期的に切断するのを忘れないこと。失敗したら、できるだけ接近した後に自爆して、二人を巻き込め。無力化できたらドロッセルに回収させる』

「はい、お父さま」


『……まったく、自分で生み出したとはいえ、あまりの感情の抑揚のなさに逆に感動してしまうね』


 呆れたような呟きを残し、彼はそれきり通信を送ってくることはなかった。


 だが、問題はない。彼が通信を切ったということは、必要な情報は伝え終えたということだ。

 命令は実行可能。ならば、実行するのみ。


 クロネは受けた命令に従い、靴のまま室内に上がり込んでいく。


 一歩目を踏み出し──しかし。


 二歩目が踏み出されることはなかった。


「っ!」


 ぎいいい。


 足を載せたフローリングのタイルが、不自然なほどに沈み込む。それは、他のタイルとは少しだけ色が違っていた。

 クロネがその違和感に飛びのくよりも一瞬早く、右手側から強烈な衝撃。


 踏ん張ることすら許されず、襲い来る何かに押されるがまま、その身体がおあつらえ向きに配置された左側の部屋のドアを突き破っていく。勢いは衰えることなく、クロネはトイレの便器に思い切り叩きつけられた。便座やらの部品が粉々に砕け散る。


 トラップ。

 それを理解した頃には、もう遅かった。


 すぐさま、目の前にどこからか透明のアクリル壁が現れ、今しがた吹き飛んできた穴と廊下とを完全に隔絶する。

 脳が大きく揺さぶられる気持ち悪さを感じながらも、クロネは自分自身だけで対処できる状況を超えている、異常事態であると判断した。


 再度、指示を受けた男との通信を試みる──無反応。


 通信の優先度レベルを三つ上げる。再々度通信を申請──無反応。


 チャンネルを緊急回線に変更。再々々度、通信を要求──無反応。


 音声は送信できない。それどころか、いつの間にか自分自身がネット回線からも切断されていることに気づいた。


「……ジャミング」


 この部屋の住人はどこまで用心深いのか。少なくともトイレ内は樹海レベルで電波が遮断されている。


 事実を突きつけられながらも、クロネの感情が波立つことはない。そのような機能は付随していない。


 ただただ客観的に、状況を分析。

 最も可能性がある手段を思索する。


 だが、このトラップを仕掛けた主がそんな時間も隙も与えるはずがなかった。


 極めつけに、密室となったトイレに、天井の換気口から白い気体が噴出された。


 みるみるうちに、視界は白に染まる。


 窓はない。出入口は密閉。換気口は、クロネの身長では届きそうもない。

 思考している間にも、気体は濃度を増していく。もはや自分の手すらも見えなくなってしまっている。


 成分不明。だが、危険。

 そう判断し、気体をできるだけ吸わないよう、体勢を低くする。


 しかし、その空間に気体の逃げ道など存在しない。


 クロネがその部屋に叩きこまれてから一分もせず、真っ白な気体が部屋を満たした。


 得体のしれない何かが容赦なく体内に侵入してくる。


 肺に強烈な痛みが走ると共に、視界がゆらめき、セピア色になっていった。


 くらり。意識が急速に遠のく。


 ようやくクロネは自分が完全に捕縛されたことを理解し。


 その場で意識を失った。

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