雪埋めの皮むき
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
今年はこのあたり、雪が降るかねえ?
例年、温暖化がどうのと言われているけれど、僕にとっては地球極端化だと思うよ、うん。
このあたり、お父さんお母さんの時代じゃ雪が降るのはレアケースもいいところだったって。
それがここ10年程度じゃ、雪を目にしない年のほうが珍しくなっている。子供のころは、その限られた機会ゆえに神秘さを感じていた降雪も、頻度が増してくると危うさや、うっとおしさの方が募るようになる。
ロマンは、あえて日常から遠くに置き続けた方がいいかもなあ、と思う。
素敵なものは手元に置いておきたく思うけれど、仕組みや手の内が分かってくると飽きにつながっちゃう。限られた情報から、いろいろ想像で考えていたあの時へは、戻れなくなるんだ。
目で見て、音で聞き、それでいて嗅ぐことも、触れることも、なめることもかなわない。
限られた五感の情報から足りなきを補い、ときにその内容は正体を越えていく。
世にいうお化けたちはそうやって生み出されたのかもだけど、そうとでもいわないと説明がつかない現象がままあったのだと思う。
僕がおじさんから聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?
それはおじさんが、熱に浮かされて家で寝込んでいた数時間の間のできごとだったという。
身体がそこまで強くなかったという、子供の頃のおじさんにとって、夏の盛りも冬の深まりも大敵だった。
体調不良がつきまとい、その日もまたインフルエンザにかかってしまって、出席停止というありさま。すでに熱は引いていたものの、まだ外へ出るのは許されない日だったとか。
どうにか自力で歩けるけれど、ふらつきは完全に取れていない。勝手知ったる家の中でも、気を抜けば転んでしまいそうだった。
自分の部屋とトイレとの行き来くらいしかままならず、おばあさんがときどき、枕もとへカットしたリンゴを持ってきてくれる。
おじさんの好物であるし、病人食の定番のひとつでもあった。その時もおじさんはごろりと寝返りを打ってうつ伏せになると、また枕もとのリンゴに向き合う。
楊枝の刺さる一切れをとり、口へ運んだ。ぬるくはあるが、蜜がたっぷり入っていて、口の中を瞬く間に満たしていく。
いいリンゴだ、としゃくしゃく口の中で転がしていると、トントントンとおばあちゃんが不意に階段を上がってくる音がした。
「雪が降ってきたんだよ」
おじさんの部屋の戸を開けながら、おばあちゃんはいう。
横に長いベランダは、おばあちゃんたちの寝室とおじさんの部屋にまたがっている。竿に引っかけた位置によっては、おじさんの部屋から洗濯物を取り込んだ方が都合がよかった。
ベランダへのガラス戸をあけるおばあちゃんの背を追うように眺めれば、確かに白いつぶつぶが窓の外を待っている。
雨が降り落ちるのとは違う、緩んだ早さの軽やかさ。その動きを踊りにたとえた先人の発想もむべなるかな。
おばあちゃんが洗濯物を取り込み終えた後も、干すものがなくなって明瞭になった視界の中を、雪たちは舞っていく。
回数こそ少ないが、おじさんもこれまでに何度か雪は目にしていた。
それは話に聞くものより、ずっと小さくて、地面に着くやたちまちその白を失い、溶け込んでしまうようなものばかり。
おじさんの考えるような、ファンタジーめいた気配はない。現実など、こんなものだよなと、なかばあきらめていたとか。
けれど、この時の雪はほどなく大粒のそれになった。
いまや窓の外の半分以上は、次々と流れ落ちる白い雪に覆われていく。
ベランダにも、張り出した屋根にも、先駆者たちが身を溶かしてしまうより先に、後から後から重なって、その姿を上書き……いや、上塗りしていく。
もっと大きく。もっとはっきりと。
自然のもたらす無常に負けまいと、常なる白さのために新鮮を注ぎ込んでいくんだ。
しかし、おじさんもそれを長くは見続けられなかった。
すでに陽も落ちる時間帯になり、冷え込んできたゆえか、気持ち身体が熱を帯びてきたような気がしたからだ。
事実、軽いめまいを感じておじさんは布団へ横になる。掛布団は3枚をかけているが、身体自身もほてっているために、どれほどが布団の恩恵なのかは分からない。
そろそろおばあちゃんが、晩ご飯に動き出す時間のはず、とおじさんは思う。
症状は軽くなったとはいえ、日中にあまり身体を動かしていないから、お腹はさほど減っていない。
このまま、またひと眠りしようかなと、目を閉じてしまってからしばらくして。
おじさんの耳に、届く音があった。
まずはスズメのような小鳥のような鳴き声がいくつか。続いて、リンゴの皮を刃物で削るような音が続いたんだ。
またリンゴを切ってくれるのか、とおじさんは最初思ったらしい。
けれども、続く音へ耳を澄ませていくうち、違和感を覚えていく。
この音、家の中からではない。外から響いているのではないかと。
しかも、更に集中すれば、そこには押さえ込まれるようにして漏れ出す、小鳥たちの声が混じっているじゃないか。
おじさんは、跳ね起きようとしてぐらつき、いったんは布団へ突っ伏してしまう。
身体がなお火照りを増し、肌が内から焦げ付くかと思うほど。当然、脳もゆだっているようで、平衡感覚もまともに働かない。
だからそれは、熱に浮かされて見た、幻だったかもしれないとおじさんは語る。
真っ白く積もった雪の中、そのところどころに血だまりと羽毛、わずかばかりの皮たちが散らばり、その主たる鳥とおぼしきものの姿はまったく見当たらなかったのだとか。