磁石人間
「ヨーロッパの南部地域ではオリーブやオレンジなどの栽培が盛んで……」
四時間目の授業中。まるで呪文のような先生の声は生徒には届いていない。お昼前という時間帯なのも相まってか、生徒のほとんどが居眠りをしているか、昼ごはんのことを想像してソワソワしているのだった。でも、俺の眼中に昼ごはんなど無い。俺の視線はずっと、クラスメイトのスズに釘付けになっていた。俺はスズに恋をしていた。
昼休みに入ろうと、俺が考えているのはスズのことだけだった。今日もスズは可愛い。俺には誰にも負けないくらいスズが好きな自身がある。でも、俺の恋が叶う可能性はかなり低そうだ。それはスズが超人気だからだ。好きな人を聞けば、どの男子もスズと答える。それに加えて、女子の中でもスズが好きな人は多いらしく、スズの恋人枠は過激なレッドオーシャンになっている。
まあ、他のみんながスズを好きになってしまう理由も痛いほどわかる。第一にスズは顔が整っていて可愛いし、性格がめちゃめちゃ良い。第二に成績も優秀で、勉強のみならずスポーツも万能、絵も料理も上手いし、手先が器用で楽器も弾ける完璧超人。そして、そこに加わるたまに出る天然ボケや、どこかミステリアスな雰囲気が、彼女の魅力を増幅させ皆を虜にしてしまうのだろう。それにも関わらず、いまだスズに恋人ができたことが無いというのだから、そこは不思議で仕方が無かった。
ある日の放課後、俺は校舎裏のゴミ捨て場にゴミを捨てに行った。ゴミをコンテナに放り込んで、さあ帰ろうかと背伸びをすると、非常階段に誰かが座り込んでいるのが見えた。
「こんなところに人がいるなんて珍しいな。」
俺は非日常感と少しの好奇心から、人影にこっそり近づいた。
「何か変だ。」少し人影に近づいたあたりで、俺の脳内に違和感が走った。その場に立ち止まって、違和感の正体を確かめる。どうやら俺はその人影に少し見覚えがあるようだった。目を凝らしてその顔をよく確認する。首から顔にかけてのライン。少し下がった目尻に、くっきりとしたまぶた。これはスズの特徴と完全に一致している。(たぶんいつも見ている俺でなければ気づけないだろうが)
「あれは、スズなのか?」
視覚情報はスズだと認定しているが、その雰囲気がまるで違った。普段の人を引き付けてやまないようなあの魅力的なオーラが全くない。というよりむしろ、人を寄せ付けないような嫌悪感すらあたえる負のオーラがあふれ出ている様に感じる。
俺はさらにその人影に近づこうとした。だが、足を前に出せば出すほど、それを跳ね返す様な力が体全体にかかる。それも尋常じゃない強さのだ。俺は歯を食いしばって、全身全霊で前へと進む。一歩、また次の一歩。まるで磁石の斥力のような反発力を押しのけながら、必死に前へと進んだ。
「もしかしてユウタ君?」
その人影は近づく俺に気づいたようで、顔をあげてそう言葉を発する。それと同時に謎の力は一気になくなった。俺はその反動で前によろけた。あたり一面が、いつも感じているあのオーラで満たされる。そしてだんだんと鼓動が加速していくのを感じる。顔をあげると、そこには見覚えのあるスズの姿があった。
「えーと、そ、そうです。」
「ユウタ君、こんなところで何してるの?」
甘くて、聞き心地のいい声が俺の鼓膜を揺らす。俺は緊張しながらも、必死に言葉をつないだ。
「ええと、ゴミ捨てに来たら、非常階段に誰か座っているのが見えて、それが気になって……」
「ああ、そうだったんだ。こんなところに誰か来るなんて珍しかったからさ。」
そう言うと、スズはスカートについた埃を手で払い立ち上がった。
「私、もう部活行くね。ユウタ君と話せてうれしかった。」
俺はどうしても気になった。あの時感じた嫌悪感のこと、負のオーラのこと、まるで別人のような雰囲気のこと、そして何よりも謎の斥力のこと。
「あ、あの!」
俺はスズを呼び止めた。
「どうしたの、ユウタ君。」
「さ、さっきまで雰囲気が違くなかった? もしかして、何かあったとか……」
スズは一瞬俯いてから、俺の質問に答えた。
「別に何かあったわけではないよ。心配しないで。ただ、人には見せられない一面があるってだけ。その一面をみせることは、周りの人を遠ざけることになっちゃうから。」
しばらくの間、あたりを沈黙が占める。
「だからね、今日のことはユウタ君と私だけの秘密にしておいてほしいな。」
その出来事があってから、俺はスズから離れることができなくなってしまった。まるで、くっついた磁石の様に。しかし、思いは一歩通行に変わりなかった。
そして俺も思うのだった。「この一面はスズにはみせられないな。」と。