借りパクを五年越しに幼馴染が利子をつけて返して、と要求してきた
教室に、他クラスの女子がやってきて、俺の机に手をつけた。
「貸したよね、本…・・・ミステリ小説」
実崎シオンの言葉の意味を理解することは容易だったが、全く身に覚えがなかった。
ミステリ小説――少しフリーズして記憶を探っても、何も出てこない。そもそも高校生になってから、本を借りた記憶がない。少し、疎遠になっていたし。
「ハヤナミシリーズ、6巻『迅浪リッカと模型人形』」
ん、そのシリーズって、小学生の頃に読んでいたやつだよな。
シオン、いったい、いつの話をしているんだ。貸したって、まさか、数年以上前の話なのか。
中学の頃は、教科書やノートを借りた憶えはあるが、たしかに小説なんて借りたのは、それ以前――。
「・・・・・・ごめん。分からない。えっと、借りてたっけ」
「憶えてないんだ。人から借りておいて。へー、そう。まさか捨てたりしてないよね」
本を売ったり捨てた記憶はないけど、小学生の頃読んでいた本がどこにいったのか。自分の部屋の中でも定かではない。もしかしたら、母親の部屋や物置に行ってるかもしれない。
「その本って。大事だったりする」
数年前だし、なければないで仕方ないと、許してくれないかな。まさか絶版だったりする。思い入れのある本なのかな。初版かどうかとかは気にはしないはず。
「すごく」
「わ、わかった。探しておくから」
結論――――なかった。
シオンが貸したと勘違いしているということはないのか、と疑いを差し挟みたくもなるけど、シオンは、ほぼ毎日日記をつけるぐらいマメだし、いつ借りたか確認したら、まさか日付と場所まで言われてしまった。まぁ、言われても時の彼方で、何も脳のアーカイブから出てこないけど。
実は返してたりしないのか、と自分に都合のいい言い訳が、探していて見つからなさすぎて浮かぶけど、本棚に、その巻だけないのだから、こちらの分が悪い。
「なかった。ごめん。新しく買うから許してくれないか」
「ふーん。ないんだ。新しく買わなくていいよ。自分で買うし。――その代わり、これだけ長い間、正確には、1873日、借りたんだから、利子があるよね。ちなみに複利」
シオンの残念そうな顔は、後半、少し嗜虐的な笑みに変わっていっていた。
「え?」
「なにをしてもらおうかなぁ、10個ぐらいは言うこと聞いてもらわないとっ」
シオン、なければないで、俺に何かさせられると、考えていたな。
まぁ、10個ぐらいなら、聞いてもいいよ、幼馴染のよしみで。楽しそうにしているし、それに、今までも世話にはなってきたのだから。
「軽いものなら」
「まずは、そう。買い物に付き合ってもらおうかな。重いもの持ってね」
「何冊買うつもりだよ」
「本は一気に買うものだよ、荷物持ちもいるし」
一緒に買い物なのに、ラノベのような美味しいイベント――ファッションショーのような服選びもペアの何かを購入――のようなものはなく、ただ本屋についていく。ショッピングモールではなく、七階建ての駅前の大型書店。予想の範疇だったけど。
「紙の本って重たいよね、どうしても。あっ、二つ目のお願いは、部屋の模様替え。本と本棚の移動、手伝ってね」
「はいはい。読書家さん」
なんか小学生の頃と全然部屋変わってなさそうだ。本ばかり。申し訳程度に、女子っぽい小物があるだけで。小遣いの大半が、本につぎ込まれているのだろう。
「中古で買えば、節約になるぞ」
「あんまり好きじゃないんだよね。咳とか鼻水とか出るから。アレルギーかな」
「もっと高尚に、出版文化の維持みたいな愛書家的な理由でも言うかと思った」
中古本よりも、きっと新品を買った方が、作家や出版社には利益が多そうだし。実際、どうなっているのかは、知らないし、調べる気もしないけど。
「わたし、図書室の本とか読んでる。安い方が嬉しいよ、学生だし。今日も、ほぼ文庫本。ハードカバーはお財布にやさしくないから」
シオンは、さらに、同じ作家の本を5冊、俺の両手の本の上にのせる。作家読みという、気に入った作家の本を、一気に読むというやり方。俺は、代表作一冊読んで終わりたい派なんだが。シリーズものとか、もう全く読む気がしない。
「マンガとか買わないでいい?」
「俺は、これ以上、荷物を増やす願望はない」
小説を薦めないあたり、マンガぐらいしか読まなくなっているのは、バレているらしい。
俺たちは、そのまま、シオンの家に向かった。二つ目のお願いも、さっさと聴いておいたほうがいい。
本の整理。
案の定、シオンの部屋は、小学生の頃と変わらず。壁の三面を本棚に支配された部屋。圧迫感を感じてしまう。これだけ本があったら、俺の場合、もう生涯、本を買わないですみそう。
これは、引っ越し作業の時、大変そうだなぁ。
「本の匂いがする」
「女子高生の部屋の感想が、それなの」
「じゃあ、ちょっとベッドにでも、寝転がって」
「座ってもいいけど。寝たら、わたしからの三つ目のお願いが、ひどいことになるかもね」
あ、やめときます。すみません。
もう小学生ではないからな。さすがに、やりません。
「今、とりあえず、読む本が、こっちの小さい本棚。あとは、出版社別なんだけど。ちょっと、あいうえお順にしてみようかなって」
いや、今の方が、見た目よくないか。背表紙そろってるし。あいうえお順だと、ぐちゃぐちゃにならないか。
「まぁ、気分だよ。不快に感じたら、また考える。ジャンル別とか、お気に入り順とか」
「へいへい」
あれ、ハヤナミシリーズあるじゃん、全部。全9巻。
六巻だけリッカの方で、妹視点。他は、ハヤナミリンネの兄視点。
「買ったの、6巻」
いや、でも――本の後ろ見ると、版が、古いし。
まぁ、突っ込むのはやめとこう。どっちみち、決定的な証拠にはならない。まさかミステリ小説を貸した人が、こんな初歩的な証拠を残すわけもない。
シオンの日記に、何か、書いてあるかもしれないけど、見た瞬間に、幼馴染関係が崩壊するかもだし。もし、悪口のオンパレードの感情吐き出し用だったら大変だ。俺の中のシオンのイメージまで、総崩れ。
別に、借りパクが嘘だったとしても、勘違いだったとしても、こうして一緒にいることに、そんなに悪い気はしない。無茶な要求もないし。
「そういえば、6巻って、どういう内容だったか」
小説って、読んでもあんまり記憶に残ってないんだよな。
読んだはずなのに、主人公の名前すら忘れたり、ミステリでもトリックを憶えてなかったり、ひどいときだと犯人も忘れてる。
「もしかして、読んでない?」
シオンは、その可能性に気づいたのか、口元をゆるめる。
それもあり得る。借りておきながら、積ん読という最悪な暴挙。1から5巻は、朧げながら、なんとか、曖昧に、うっすらと――。
「借りてく。児童書だし、文字大きいし、あんまり長くないよ。また、返ってこないかもだけど」
「やめとくよ。きっと図書室か図書館にあるから。読みたくなったら、それで読む」
「あはは、きっと、読まなさそう」
いや、そうだろうけどさ。
もうフィクションを読めない。マンガで限界。あとは国語で、読むぐらいで満足です。
それから、黙々と、本の移動をした。
終わったあとに、お茶とお菓子をもらっていると、シオンの母親が帰ってきて、夕飯まで食べさせてもらった。シオンの母親が、意味深にニコニコしていたが、別に、彼氏彼女の青春恋愛しているわけではないですよ。
それから、一緒に食堂に行こうとか、映画を見に行こうとか、お願いをきいていた。まだ残り三つぐらいある。ちゃんと数えてないから、いくつ聞いたか、どうだろう。
「最近、実崎さんと、仲いいの」
朝、新堂アスカは、隣の席に着きながら、尋ねてくる。
アスカは、シオンと同じく小学生の頃からの仲だ。でも、シオンほど親しくはなかった。中学、高校と同じクラスが多かったから、今では、アスカの方が、親しいのかもしれないけど。
「前から、幼馴染だよ」
「知ってる。けど、最近は、特に仲良さそうじゃん。この前、二人で出かけていたでしょ」
「ああ、ちょっと。借りパクしていたから。その借りを返してた」
「なに、借りてたの」
「本。ハヤナミシリーズの六巻」
「あれ、それって、結局読むのやめたって言ってなかった。主人公違うからって」
女子の記憶力、高すぎないか。というか、そんな日常会話を詳細に憶えていることに、恐怖すらおぼえる。いや、間違っているかもだが。それに、アスカには、そう言ったけど借りている可能性も。
でも。
これは、結婚とかすると、男子は記憶に無いけど、女子は憶えていて、ケンカになるというのが分かるような――。
ん、アスカが、こちらから目を離して、教室のドアの方を見ている。
シオン――。
こっちに近づいてきて、アスカの手を引っ張っていった。
あの二人で、あんまり話しているところ見ないような。まぁ、実際、子供の頃を知っている者同士だと、恥ずかしいことも筒抜けかもだしなぁ。
アスカが戻ってきた。シオンは少し、遠くから、こちらの様子を伺っている。
「そういえば、わたしも、貸しっぱなしだったものがあるなぁ」
「それ、本当か」
さすがに、嘘っぽいんだが。シオンにアドバイスされたんじゃないだろうな。二匹目のドジョウ。
まぁ、聞こう。聞いてから判断しよう。シオンと違って、そんな借りたりした記憶はない。
「消しゴム」
「時効で」
そんな些細なものの記憶あるわけない。だいたい借りてパクるものなのか、それ。もうあげたことにしてくれないか。
「うわー、借りたもの返さないなんてひどくない」
「それは、捏造だろう。存在しない過去だ」
「いや、わたしは覚えてるよ。シオンの日記にも、借りたって書いてあるみたいだし」
なんだ、そのアカシックレコードのような日記は。あらゆることの記録でもしているのか。全何巻だ、シオン日記。
「借りても返してるだろう。おそらく」
「その記憶はないんだよね」
「だったら返したんだろう」
「ねえ、この議論、不毛だよね。それで、わたしのお願いも聞いてくれる」
俺は、いったい、どれくらいのものを借りたんだろう。シオンの日記には、今までの貸借対照表が、ツラツラと書いてあるのか。負債額は、いくらなんだろう。
「わかった。ただし、一個だけだ」
「やりぃ。絶対命令権、一個ゲット」
そんな過度な命令は、却下するがな。債務者にも人権はあるんだ。というか、そこまで大きな借りではない。
「じゃあ、シオンにお願いされたことは、全部、わたしにもすること。以上」
「おい、それだと実際——」
「一個は、一個だよ」
ちゃっかりしてやがる。
シオンを見ると、ビクンっと反応して、首をフルフルと振っていった。そして、逃げていった。わけわからん。
とりあえず、本の整理はいらなさそうだが……。
最後の三つのお願いは、滞っていた。
その間に、アスカにはシオンと似たようなお願いを叶えてあげたけど。本屋はやめてショッピングに。本の整理は部屋の模様替えに。映画は映画だったか。
「お願いしなくていいのか」
「残しておこうかなって。その方が、ずっと記憶に残りそうだし」
「意地悪な幼馴染だ」
幼馴染が借りたものに利子まで付けるのだから。ずっとストックしないでくれよ。
「シオンの花言葉知ってる。——あなたを忘れない、追憶。忘れないようにね」
「俺が忘れないように、全部シオンの日記に書いておけよ」
「なんか、婉曲な告白みたい。でもね、この日記は、改竄が容易だからね。歴史は、文字で紡がれるけど、真実とは違うかもだよ」
やっぱり6巻なんて借りてないんだな。予想通りだけど。犯人が自白したようなもので、ミステリ的にはアウトだ。
「あらゆる物語に、演出はあって、そうしないと、誰も覚えていてなんてくれない。好きに書けばいい」
どのみち過去をたしかにする術は、タイムマシンでもないと無理だ。曖昧な記憶頼みでは。特に、個人の雑多な生活なんて。
「一つ、お願いできたかも。シオンの日記は、誰にも見せずに、燃やすこと」
「それは、婉曲な告白だったりするのか」
「上手いでしょ。アスカがズルいから。こっちも」
俺はシオンの日記を燃やしていく。
五十年分以上の彼女の記録が灰になっていく。
分かっていることは、彼女がいつも表紙に書いている言葉のみ。
『愛とは記憶である』
お読みくださり、ありがとうございます。
気づけば、500ptを超えている。
ブクマ、評価ありがとうございます。