カゲロウ消える時
「あっちゃん、かーげふーんだ!」
夕暮れの中、長く伸びた影を踏み鬼が交代する。やられたー、と笑う友達。秋は影が長い、夕方に遊ぶと踏みやすくてスリルがある。
「たっ君手加減してよ、僕一番足遅いのに」
「手加減とかシツレーだろ、本気でやってないってことだから! 俺はいつでも全力だ!」
「そうそう、いつだって俺たちはホンキなんだよ!」
「ねえ、あと一回遊んだらもう帰ろう」
市内には「暗くなる前に帰りましょう」という放送が流れている。本当はもっと遊んでいたいが、暗くなってしまったら遊ぶ内容も限られてしまう。
「そうだね。あ、そういえばさ、こんな話知ってる? カゲロウの伝説」
「カゲロウ? ウスバカゲロウのこと?」
「いや、なんかね、遠くがゆらゆら揺れて見える事なんだって。本当は夏とか暑い時期に見えるらしいんだけど」
「ふうん。でも何が伝説なの?」
「カゲロウっていう、影が現れるんだって。カゲロウが出てくると遠い所だけじゃなくこのへんもゆらゆら揺れて見えて、夕焼けの中に閉じ込められちゃうらしいよ」
「こわー」
「だからさ、もう帰ろう」
「あ、疲れて帰りたいから言ったな!」
「ばれた? だって走りっぱなしだよ、疲れたよ」
しょうがないなあ、と笑いながら今日はもう解散することにした。日が沈むのは早い、こうして話している間にも暗くなってきている。
「じゃ、また明日な!」
バイバーイ、と手を振って全員家がある方向に向かって歩く。彰だけ東側、他のみんなは西側に家がある。あ、そういえば明日の宿題やった? と聞こうと振り返った。四人の影が長く伸びている。しかし、一人だけ。
「え」
一人の影だけ、薄くてゆらゆら揺れていた。まるで水面に石を投げ入れたかのように、輪郭がゆらゆら、ゆらゆら。
誰の影だろうと見ようとしても、逆光になっていてわからない。その場に呆然と立ち尽くしていると、チリンチリンと自転車のベルが鳴らされる。振り返ると鳴らしたのは自転車で帰って来た中学生の兄だった。
「何突っ立ってんだこんなところで」
「え、あ、兄ちゃん」
もう一度みんながいる方を見れば、暗くなったせいで影が見えず何か話で盛り上がりながら歩いているのが見えた。
その日以来、全員帰って来ていない。
兄も彼らの後姿を見ていてくれたおかげで、正確な時間と足取りは捜査の結果わかった。信号のない十字路を右に曲がった後、行方がわからなくなったようだ。田舎の夕暮れ時、当然目撃者などいない、変質者がいたという情報もない。そもそも一人ではなく複数人だ、全員変質者により誘拐されたとは考えにくい。
息子の帰りを待つ保護者達は必死に探し、彰のところにも他に何かなかったかと必死に聞きに来た。覚えていることはすべて話し、その中でふと思った。
「おばさん、ナオ君が言ってたんだけどカゲロウの伝説って知ってますか」
「カゲロウの伝説? 知らないわ、どんな話なの?」
直哉から聞いた話を説明すると、一緒に彰に会いに来ていた他の保護者達も首を傾げる。聞いたことがないらしい。
「彰君、その伝説の通りみんなおかしな世界に行っちゃったって考えてるの?」
「……はい」
「そうね、そういう可能性も考えないとね、ありがとう教えてくれて」
心配そうに言う直哉の母親、そして他の保護者達も信じていないだろうなと思った。そんな馬鹿な話あるわけないと。でも頭ごなしに否定せず聞いてくれたことは嬉しかった。信じてなさそうなので、影が一人揺れていたことは言えなかった。
直哉が言っていたカゲロウ。では、直哉は誰から聞いたのだろう。
あれから十年、彰は二十一歳になっていた。大学卒業後は就職も決まっている、都心のIT企業だ。今はアルバイトで、ある劇団の大道具係としても働いている。
高校卒業と同時に都心で一人暮らしをしているが、毎年秋のこの時期は帰って来る。皆がいなくなったあの日、あの時間に。
「あ」
皆を見送ったあの場所に行くと、直哉の母親がいた。向こうも彰に気づくと小さく微笑んで会釈をする。
「今年も来てくれたのね」
「はい」
複雑な表情をする彰に、直哉の母親も苦笑だ。
「自分だけ助かって、罪悪感みたいのがあるんでしょう? あなたが悪いわけじゃないのに」
「誰からも責められたことはないです、当時は皆さんから随分心配してもらいましたから」
地域は団結し、見守り通学が増えた。保護者達は彰に何かあったら大変だとだいぶ気にかけてくれた。友達全員を失い学校を休みがちになった彰がまた学校に行けるようになったのは、友人の保護者達がお見舞いにきてくれたからだ。
「あれからもう十年。早いのか遅いのか。もう帰ってこないってわかってるんだけど、なんかこうしちゃうのよね」
「……俺もです」
「ねえ、直哉の夢って覚えてる?」
「正義のヒーロー、ですよね。戦隊ヒーローのレッドになるんだって、芸能人になってやるって意気込んでました」
「彰君が劇団でバイトしてるのって、その影響あるの?」
「そうですね。ナオ君がなりたかったもの、見たかった世界に興味が湧いて。俺が役者になりたいわけじゃないので、大道具ですけど。彼らの迫真の演技を見ていると、舞台が彼らの生きる世界なんだなって胸を打たれます」
口元だけ小さく笑う彰に、母親も小さく笑う。
「それで思い出したんだけどね。いつだったか直哉言ってたのよ、ヒーローに変身できる方法を見つけた! って。何言ってんのかわかんなくて、たぶん私はへえ、とか大した返事をしてなかったと思うんだけど。確か、そう。あの時直哉が言ってたヒーロー名が、カゲロウ戦隊、だった気がするの」
カゲロウ。その言葉に彰は目を丸くする。
「カゲロウ伝説を教えてくれたでしょ。あの時は全然頭の中で結びつかなかったんだけど、夕焼けを見てたら思い出したわ。もしかしたら、本当にあの子は夕焼けの向こう側に行っちゃったのかもね」
変な話してごめんね、と言って母親は家に帰って行った。それを見送り、ふとみんなが歩いて行った方を見ると。
ゆらゆらとゆれる影が四つ。その光景に彰は固まってしまう。影たちは、信号のない十字路を右に曲がっていく。
「待って!」
走る、必死に全速力で。十字路を曲がると、そこには。
地面に映っている揺れる影と、立っている黒い塊たち。墨で塗りつぶされた絵のように真っ黒でどれが誰だかわからない。
「悟、拓海、直哉」
呼んだのは、三人。それはそうだ。友達は彰を入れて四人だったのだから。「あ」きら、「さ」とる、「た」くみ、「な」おや。「か」がいれば五人揃って戦隊になれるのにな、と直哉が言っていた。
「か」。
カゲロウ。一人増えて五人だ。
「返してくれ、俺の友達を」
もう帰ってこないのはわかっている、それでも。
「……あっちゃん?」
影がしゃべった、この声は直哉だ。
「違うよ、あっちゃんこんな大人じゃない。こいつ偽物だ、悪い奴だ、やっつけよう!」
聞いたことのない声の影がしゃべる。こいつだ、コレが陽炎。
「へーん、しん!」
四人が同時に叫ぶと、黒い塊だったものがゆらゆら揺れる。揺れていた影はなくなり、目の前のものが「影」となった。彰を囲み、何か攻撃をしかけてきそうな雰囲気だが。
「違う」
彰は涙をこらえる。いや、こらえきれない涙があふれた。
「こんなの、ナオ君がなりたかったヒーローじゃない。ヒーローはカッコ良くて、真っ赤なリーダーが特にかっこいい。銃も、剣だってかっこいいし、変身した姿は五色でキラキラしてる。今の皆は、ただの影だ。ヒーローなんかじゃない」
その言葉に、三つの影は動揺したように動きを止める。しかし一つだけ、ダンダン、と足を踏み鳴らした。
「なんだコイツ、悪の組織のくせに! 変な事言うな!」
「……。ああ、そうだな。悪の組織は、敵は、道理を説かないよな。そうだった、ルール違反だった。じゃあ倒してくれ、俺を。正義のヒーローたち、世界を救うために」
泣きながら両手を広げる。抵抗も攻撃もしない。そうすることで彼らが満足するなら、救われるなら。……報われるのなら。それでいい、自分が悪役でいい。
「行くぞみんな、ひっさああつ!」
カゲロウの言葉に、他の三人は躊躇ったように少しのろのろした動作だったが、キメポーズをする。
黒い炎のようなものが、彰の体を突き抜けた。
「……! あ、彰君! 大丈夫!?」
泣きそうな顔で叫ぶのは直哉の母だ。
「すごい音がして、駆けつけてみたら君が倒れてるから! 救急車呼んだから、今お家にも連絡したからね! 痛いところはある!?」
心配そうに言う彼女の顔を見て、大粒の涙があふれた。
「やっぱり痛いの!? 大丈夫だからね」
「ちが、違うんだ……おばさん。俺、みんなに会って」
その言葉に直哉の母は息をのんだ。
「みんな、カゲロウ戦隊になってて。大人になってた俺は偽物で悪の組織の手先だって。それでもいいんだ、それがみんなの“生きる”意味になるのなら、倒されたかったんだ。でも、倒されなかった」
しゃくりあげながら、二十一にもなって大泣きしながら言う彰に、直哉の母は涙を浮かべて頭を撫でる。
「何で……? 直哉たちが、助けてくれたの?」
「違う。一人、足りないから。戦隊ヒーローは、五人いないと足りないから。俺が、足りない。俺だけ、大人になったから」
彼らは、ヒーローとして生きることもできない。夕暮れの中を中途半端な存在として彷徨い続ける。救う事ができない、何もできない。
「そう、そうだったのね。ごめんね、彰君には、いろんなもの背負わせて」
泣き続ける息子の友人の頭を、救急車が来るまで撫で続けた。自分達には何もできない。どうしようもない。遠くから近づく救急車の音が、彰の嗚咽をかき消した。
新しく始まる戦隊ヒーロー番組「カゲロウ戦隊」の記者会見。主演に選ばれたキャスト陣がしゃべり終わり、最後に原作担当兼監督が質疑応答に応じる。若い監督に記者団は興味津々だ。
「監督、何故カゲロウ戦隊は四人なのですか? 普通は五人ですが。まさか、シークレットで後から一人増えるのでしょうか」
「いいえ、四人です。最後の一人は、番組を見てくれている皆さんなのです」
「なるほど、ヒーローは皆というコンセプトなのですね、素敵です」
カゲロウ戦隊が流行ると、彼らは自分達の偽物が日本全国にいると知ることになる。四人しかいない中途半端なヒーローと、自らを五人目のヒーローと言ってはばからない子供たち。子供たちはちゃんとした五人目なのだ、どちらが強いかなんて言うまでもない。
あの日、倒されそこなった彰はまだ倒されていない「悪の組織」だ。だったら徹底的に戦うまでだ、ヒーローたちと。暗い笑みを浮かべて、彰は記者会見に応じ続ける。
――見てくれよ、悪の組織はこんなに立派になったよ。これからどんどん増える、カゲロウ戦隊を名乗る「悪」がたくさん、たくさん、たくさん。
――子供の「悪」なんて、いなかったもんね? 悪いやつに騙されてるんだって思うよね。カゲロウはどうだか知らないけど、他の三人は躊躇っちゃうよ、みんな優しいから。そんなバラバラな意見でチームワーク保てるかなあ。
――さて、カゲロウ戦隊のみんな。君達はいつまで、ヒーローごっこを続けられるかな? そのうち倒されちゃうかもね。
――手加減は、しないよ。シツレーだもんね? 本気で行くよ、だって僕らは友達なんだから。
”悪の組織のボス”となった彰は、笑顔で記者会見をしめくくった。
「イベント開催も決まっています。僕の生まれ育ったところで行うショーが第一話となっています。ご期待ください。チケットはありませんので、お子さんと一緒に是非見に来てくださいね」
多すぎる「敵」に、カゲロウ戦隊は、いつか。
敵一人に対して戦隊一組で戦うのがセオリーなのに、たった四人で数十、数百の「敵」を倒さなければいけないカゲロウ戦隊は、いつか。
いつか。カゲロウたちは。
END