3回目だという主人とその想い人
最終話になりました。
私はザザラス。第二王子・エリンヒルド殿下の乳兄弟にしてその側近を恐れながら務めさせて頂いている。殿下は悪い方では無いし、公務も執務もきちんとこなして側近としては有り難い主人。だが、かのお方は男性も女性もその……恋人にする方で。そこが問題と言えば問題だろう。王族として伴侶を得てもらい、子ももうけてもらわなくてはならないお方なのだ。王位継承争いの可能性は考えなくて良い。基本的に男女問わずに第一子が王太子であり、第一子が身体的・精神的・学力等に些か問題が有る場合は、第二子が王太子に決まる。それも余程の事が無い限り、だ。第三子以降は上の2人に余程の事が有ったら王太子の位が回ってくるだろう、という所。
つまり第二子以降は王位継承権は有るものの争いなど起こらない。もし起こすとなれば、第二子以降が王位に執着しているか、第一子が余程の事で王太子の位から蹴落とされたかという事で。第二子以降が王位継承争いを起こした場合は、即座に国王及び王太子への叛逆と見做されて問答無用で捕らえられて処刑される。第一子の場合も同じ処分だが、第一子の場合は公開処刑という重罪人扱いだ。何故なら己に問題が有ったために王太子の位を辞す事になったのに、それを認められなかった愚か者、という恥を晒しているのだから。叛逆に加え王家に泥を塗る行為により重罪人扱いで公開処刑。
ここまで法で決まっているのに、王位継承争いを起こす者など殆ど居ない。だから殿下が子をもうける事には誰も反対しない。というより、ある程度は王族が居ないと困る。この国の王族は、私でも知らないこと(つまり王族以外には秘すべきこと)が多いが、その中には王族を絶やさない事も含まれている。それは多分、ある日私の主人であるエリンヒルド殿下がご自身が3回目の人生を歩んでいる、と仰った事にも関係しておられるのだろう。
その事を打ち明けて下さったあの方は、王族しか知らない儀式みたいなもので神に祈って繰り返している、と仰った。普通ならば到底納得出来ず、そのような事を言い出す相手の正気を疑うが、この国の王族は秘す事が多いので、そのような事が有る、と言われても疑う事が出来ない。そのような事が有った、という証拠も無ければ、そのような事は無い、と否定出来る証拠も無いので。
そしてそのような事が有った、という証拠というより証人が出てきた。私と同じ殿下の側近として引き立てられたコールマンとその妹のジュネーヴェラである。コールマンの方はそうらしい、という曖昧なものだが、ジュネーヴェラ嬢はまさに殿下と同じ記憶を持った女性で、殿下の発言の強力な証人だった。
そして、こんな事を私が言うのもなんだが。もしかしたら、エリンヒルド殿下の伴侶となるべき運命の女性、なのではないか、と期待した。
彼女は2度の婚約者の裏切りからの死を経て、3回目の今は、婚約者とは自分から解消したのだという。そうしてこう言ってはなんだが、コールマン以外の家族とも縁を切り、自分の居場所を自分で確保するべく、コールマンと共に殿下と話し合いをして……結果、彼女は殿下の側近候補という立場に落ち着いた。そんなに簡単に側近になれるわけは無いし、どちらかと言えば側近であるコールマンの補助に近い立場で、彼女はそれを嬉々として受け入れている。
コールマンの仕事の手助けは、結果的に私の手助けにもなり、殿下の手助けにもなるので私も殿下もかなり助かっている。そして、殿下はどうやら彼女を伴侶にしたいと望んでいるようで。かなり分かり易くアプローチをされているのだが、とうの彼女は、バッサリと切っている。……王族の、それも婚約者の居ない第二王子殿下のアプローチを切る、なんて、物凄い度胸だと思うのだが。どうも彼女は、殿下が自分に声をかけているのは、殿下の兄・コールマンを恋人にしたいから、その気を惹きたくてわざとだ、と判断しているようだ。
確かにコールマンは、殿下好みの頭の切れる人間だし、一時期は本気でコールマンを口説こうとアレコレとアプローチをしていたが、現在はジュネーヴェラ嬢に本気だと思う。それはコールマン自身も理解しているようで、可愛い妹を主人といえど、数多の恋人が居た殿下の伴侶にする気はない、と殿下の恋路を邪魔していた。
「コールマン」
「なんだ?」
以前、コールマンからジュネーヴェラ嬢についてどう思うか尋ねられた事がある。その時に殿下の伴侶に良き女性では、と答えたし、その私自身の気持ちも尋ねられたが、その際に私は何故か殿下と一夜の誤ちを犯した事をコールマンに話してしまった。だが、コールマンは一瞬動揺しただけで、今までと変わらず接してくれている。それは本当に有り難い。
「その……お前がジュネーヴェラ嬢に幸せになって欲しいのは知っている」
そしてコールマン自身は、そんな妹であるジュネーヴェラ嬢から令嬢を紹介されて近頃婚約までしていた。幸せそうで何よりだ。
「もちろんだ。当然だ」
「だが、その、お前がそう思うのと同じで、私もエリンヒルド殿下に幸せになってもらいたい、と思っている」
「そうだろうな。それは解っている。だが、ジュネーヴェラを、可愛いジュネを殿下の伴侶になどせんぞ」
「し、しかし! 令嬢にとって殿下との婚約・婚姻は幸せになるのでは……」
「それは、一般の“令嬢”の括りであってジュネの幸せに繋がるとは思ってない」
殿下の乳兄弟で側近である私としては、殿下には幸せになってもらいたい。男女問わず恋人にしてしまう殿下だが、どうにも長続きしないのも確かだった。何故なのか、ということは私も解らない。そして女性の恋人が出来ても伴侶に迎えたい、とは思わなかったようで。だからこそ、ジュネーヴェラ嬢を伴侶に迎えたいと思って行動されている殿下の想いを遂げさせてあげたい、とも思う。
だが、一方で。
ジュネーヴェラ嬢の気持ちも確かに無碍にするわけにはいかない。
そして残念な事にジュネーヴェラ嬢の気持ちは、殿下には向いていないようだ。コールマンはシスコンだが、ジュネーヴェラ嬢が選ぶ相手は大切にする、はずだ。そしてジュネーヴェラ嬢が殿下を選んでない以上、コールマンは殿下の恋を邪魔しているのは解っている。解っていても、それでも殿下のために。私は何度もコールマンにこの話をしてしまう。
「ザザラスにとって、エリンヒルド殿下は大切な方だと解る。家族のような気持ちなのかもしれない。だけどな、俺にとって、もう家族はジュネしか居ない。あんな屑共とジュネを引き離し、俺も屑家族とは切った。だから家族はジュネと婚約者だけになる」
「コールマン……」
ジュネーヴェラ嬢から聞いた2度の人生では。コールマンとジュネーヴェラ嬢の母君が亡くなって間もなく、父であるファラン侯爵は、愛人を妻に迎えて更には異母妹もやって来た。そしてそちらばかりを可愛がり、ジュネーヴェラ嬢は蔑ろにされて来ていた。コールマンは侯爵の跡取りとして学院に入ったくらいからジュネーヴェラ嬢との関わりが極端に減った。学院卒業後は領地の方に意識を向けさせられ、領地の管理等に忙しい中でエリンヒルド殿下の側近も始めていて……。
その忙しさでジュネーヴェラ嬢を気にかけていても、会う事すらままならない状況で。そういう中でジュネーヴェラ嬢の婚約者は異母妹と恋仲になり、婚約破棄を突き付け……更にジュネーヴェラ嬢は婚約破棄をされて修道院に送られ殺される人生だったという。
3度目の人生では、義母と異母妹がやって来る前日だったそうで、妹を可愛がるコールマンが領地へ行かされる寸前だったとか。そしてジュネーヴェラ嬢はコールマンと色々と話して今の状況になり……。
そう。ジュネーヴェラ嬢から婚約を解消して殿下……というか、コールマンの側近補佐になった時点で、コールマンが殿下の手を借りて父である前ファラン侯爵及びその妻を侯爵家から追い出した。ご丁寧に貴族籍から抜いたので平民だ。前ファラン侯爵とその妻は、コールマンに暴言を吐いたが、殿下が立ち合っているのに礼儀知らず、と殿下の怒りも買って、その場で貴族籍を剥奪、という処分にされてしまっていた。どうやら2人はコールマンとジュネーヴェラ嬢を懐柔して甘い汁を吸いたかったらしい。夜会で領地に引っ込むようにコールマンに言われ、親子の縁を切ると言われたのに、冗談だろう、と思っていたらしい、その軽い頭に、本当に侯爵と後妻とはいえ侯爵夫人だったのか、と疑いたくなった。そういった諸々も含めての剥奪処分なのだろう。貴族籍から抜くだけなら、その後の2人の状況次第で貴族籍に再び入ることも有ったかもしれないが……剥奪では、その限りなく低い可能性は無くなった。
殿下が立ち合っているにも関わらず、そんな態度を取ったのだから自業自得だ。前ファラン侯爵とその妻は、殿下からついでに王都追放の刑にも処された上で、その旨を記された文書を作成して貴族院と国王陛下に提出されて了承も得られたので、即刻叩き出された。その際、コールマンが父に「いくら気に入らない女の子だからと言って、俺とジュネはアンタの子でも有ったのに、蔑ろにするからこんな目に遭ったんだ。自業自得だ」と言い放っていたのは覚えている。ようやく自分のやらかした事の報いだと解ったらしいが、既に時遅し、だった。
そして異母妹の方は、予定通りジュネーヴェラ嬢の元婚約者の元に嫁いだが……。実は息子のやらかし具合に、ジュネーヴェラ嬢よりも数段劣る異母妹を見た公爵家の当主夫妻が、このまま元婚約者を跡取りにしてゆくゆくは当主にするのは危険、と判断し、国王陛下の命令で2人を結婚させたものの、廃嫡して領地送り、と決断したらしい。元婚約者の2歳下の弟は優秀で、ジュネーヴェラ嬢を正しく評価していた、とも聞いている。その弟を跡取りとして届け出る事を元婚約者と異母妹の夫婦に告げたら、元婚約者は逆らわなかったようだが、異母妹の方が暴れたらしい。
もうファラン侯爵家とは縁が切れているのに(コールマンが当主になって異母妹が結婚した時点で縁を切った)ファラン侯爵家で生活する、と宣ったとかなんとか。現実を見ない異母妹に、元婚約者の父である公爵は、現実を突き付けた上で、そんなに両親と共に在りたいならば……と、こちらも国王陛下に許可を得て貴族籍を剥奪し、王都追放になった。更に公爵領もファラン侯爵領も立ち入り禁止にした、とか。
今はどうしているのか知らないが、別に興味もないから探す気もない。
そんなわけで本当に家族と縁を切ったコールマンとジュネーヴェラ嬢は、たった2人の家族……コールマンが結婚すれば3人だが……という事で、互いの気持ちを尊重し合っている。そんな2人である以上、私もアレコレとは言えないのに、ついつい殿下の恋が気になってしまって、結果余計なことをしている気もしていた。
「ザザラス。本当に、殿下のためを思って、ジュネが殿下を受け入れるように思うなら、それはそれで構わない。それはザザラスの気持ちだ。だから。そこまで思うのであれば、ザザラスがジュネを直接説得すれば良い。俺に話を持って来て、俺に説得させよう、なんて甘い考えじゃなくて、な」
ガツン!
という音がしたような気がした。
ーー俺自身でジュネーヴェラ嬢を、説得、する?
そう言われて、驚いた。いや、驚きじゃない。それは……疑問だった。
ーー何故、俺が?
という疑問。
ーー何故、俺は疑問に思う?
疑問に思う事すらおかしい。交渉ごととは、自ら説得するのが当たり前だ。だからコールマンの言う事は何もおかしくない。寧ろ、今までは、率先して殿下の為に俺は動いてきたはずだった。それこそ、殿下が望むなら……と貴族達への根回しも恋人にしたい相手との交渉も。
なのに。
ジュネーヴェラ嬢にだけは、それをしていない。いや、出来ない? そうだ。していないのではなく、説得をしたくないのだ。それは何故か。……いや、これ以上は考えるな。考えてはいけない。
「分かった。……無理を言ったすまない」
辛うじてそれだけをコールマンに言うと、足早にその場を去る。俺は卑怯にも逃げた。考えることを放棄して殿下の為に行動することも放棄して。情けないことに、気付いてしまった己の感情を見なかったことにして。
現状維持という結論に達してしまった。
きっと誰かが知れば卑怯者と笑うだろう。お前はそれで良いのか、と煽動する者も居るかもしれない。だが、初めての事で。
俺は、私は、女性を好きになったのが初めてだから。どうしていいのか解らなかった。それも恐れ多くも殿下が愛して伴侶に望む女性だと言うのに。見なかったことにしたくせに、殿下の恋を応援出来るような気持ちにもなれなくて。どっちつかずの中途半端な想いをしたのは、初めてかもしれない。行き場の無い想いを抱える事になったのも、初めてだった。
迂闊にも自分の気持ちに気付いてしまい、見て見ぬふりをしたまま時ばかりが過ぎていき。ある時、殿下が俺とコールマンを呼び出して切り出した。
「私は、私の身勝手が原因で。神に罰を与えられた。私の身勝手については、聞いてくれるな。ただ、神から与えられた罰は、本当に愛する者と結ばれる事は出来ない、というもの。実際、これだけアプローチをしているにも関わらずジュネーヴェラに振り向いてもらう事が無い。だから。神に祈って身勝手による罰は別のものにしてもらい、私がジュネーヴェラを愛し伴侶に望んでいる事をジュネーヴェラに理解してもらいたい、と願った。神は気持ちを操る事は許されぬ事だが、お前がそこまで必死ならば伴侶に望んでいる事を理解させるまでは願いを聞いてやろう、と仰られた」
殿下がそこまでジュネーヴェラ嬢に本気である事が嬉しいと思う。同時に嫉妬で心の中がドロドロとしている。相反する感情を笑顔に押し隠して、俺は「殿下の気持ちが届きますよう、影ながら応援させて頂きます」と、祝福する。
「ありがとう、ザザラス。だが、神からは強引な罰の変更故に、お前が伴侶に望む相手がお前を受け入れたならば、その後の人生でお前に試練を与える。その試練はその時が来たら教えよう、と仰られた」
「それですと、我が可愛い妹のジュネが殿下を拒否した場合にも、何やら有りそうですが」
殿下の続けられた言葉に、コールマンが疑問を抱く。
「ああ、お前が伴侶に望む相手が、お前を受け入れなかった場合は、お前の心からその相手への恋情を消す、と」
さらっと何でもないように殿下は仰るが。それはつまり、あれだけ好きだと思うジュネーヴェラ嬢への愛が消される事だ、と言葉を失った。
「で、殿下っ、それはリスクが高いのでは⁉︎」
「そうか? ジュネーヴェラが、私を好きなら何のリスクにもならないだろう。その後の試練とやらは解らない以上、今からどうこう考えても仕方がない」
「それは、そう、ですが。万が一、万が一ジュネーヴェラ嬢が殿下を受け入れなかったら……殿下の恋が消えてしまうんですよ⁉︎」
「ザザラス、お前、何気に酷くないか? 俺の恋心が消える前提の話をするなよ。俺は俺の出来る事をして、ジュネーヴェラを手に入れたいだけだ」
“私”ではなく“俺”という一人称だけで、どれだけジュネーヴェラ嬢を想っているのか理解する。それほどまでに、殿下はエリンヒルド様はジュネーヴェラ嬢を望んでおられる、というのか。
乳兄弟として、従者として、側近として、友人として、ならば、これ程嬉しい事は無い、のに。
一方で、その相手がジュネーヴェラをだと思うだけで、胸がチリチリと痛んでジクジクと疼く。
「かしこまりました。ジュネーヴェラに殿下の気持ちが理解出来るまでならば、仕方がないので認めてあげましょう。尤も我が可愛い妹が殿下を選ぶ可能性なんて爪の先程も有りませんけれどもね」
黙ってしまった俺とは反対に、コールマンがあっさりと頷いて偉そうに許可を出している。普通ならば不敬では有るが、殿下は私的な場としているから、そんな事を咎め立てはしないだろう。
「何を言う。ジュネーヴェラが私の気持ちを理解したならば、私を受け入れてくれるに決まっている。お前を義兄と呼ぶのが楽しみだぞ」
「そんな未来は有り得ないので、この場限りの妄言だという事にしておきます」
「それが主に対する発言か」
「なんとでも」
そんな軽口を俺は笑って聞いていられるだろうか。痛む胸を疼く胸を、殿下に気付かれていないだろうか。
「それで」
急に重くなった空気に、ハッと殿下を見る。
「殿下?」
「お前は、私のために、身を引くのか。それとも、お前自身のために、私と正々堂々戦うのか」
ヒュッ
と呑んだ息は、俺のものだろうか。気付かれていた。瞬時に理解してしまう。
「殿下、あの」
「私のために身を引くのなら、今後一切、ジュネーヴェラに必要以上に近づくなよ」
「わ、私、は、そんな、必要以上に近づくなど」
「なんだ、自覚が無いのか。コールマン教えてやれ」
殿下の言葉が理解出来ない。殿下は嘆息し、コールマンを促す。コールマンも「そこからか」と嘆息してから、俺を見た。
「ザザラス。お前、同僚というだけの関係以上に接しているんだ。ジュネに。例えば書類の仕分け。ジュネの仕事だが、その量が多ければ手伝っている。いいか? 今までのお前なら、それが仕事だ、と手伝いを申し出られるまでは、自ら手助けしないで、見守っていた。解るか? 例えば城内ですれ違った時。お前は女性から挨拶されるまでは、会釈で足早に通り過ぎる。だが、ジュネの場合はお前自ら近寄って挨拶の言葉を交わし、共に執務室に来る事も有れば、城内に賜っている俺とジュネの部屋までジュネを送り届けている。未だ嘗てお前が女性に対してそんな態度を取った事が有るか?」
コールマンの指摘に呆然とした。
言われてみれば心当たりがある。
全く意識していなかったが、俺はジュネーヴェラ嬢だけを特別扱いしていた。
彼女への気持ちに自ら気付く前から、俺は、彼女だけが特別だった。
でも。
ジュネーヴェラ嬢は殿下の想い人で。伴侶に望む相手で。
ーー俺が、殿下と対等な立ち位置で正々堂々と彼女を手に入れるべく争う、と? 俺が?
今までの俺だったら無理だ、と思って諦めていた。
しかし。
振られる事が決まっていたとしても、殿下の為と思って身を引いて、殿下の隣に立つ彼女を、俺は見ていられるのか?
何にも行動せずに、彼女を失って、そして殿下の隣に立って幸せそうに笑う彼女を?
ーー出来そうもない。
今まで、爵位が低くて諦めた事がいくつも有った。結婚もそのうちの一つで。殿下の側近としての立場から見合いの話も有ったけれど、それすら、殿下に会いたい為の手段だった事を知れば……笑顔で妻になど受け入れられなくて。
彼女のことだって、諦めようと思ってた。だって彼女は侯爵家の令嬢で。俺は殿下の乳兄弟だけど実家の爵位が低い上に嫡男でもないから、継ぐ家が無い三男だから城内に部屋を賜り、殿下の側近として仕事をしていて。
それなのに、俺が? 殿下と対等に? 彼女を欲するのか?
「兄としての意見だが。爵位とか跡継ぎとか権力とか地位とか富とか名声とか、そんなので結婚を決められるような妹じゃないぞ。家の為の結婚は受け入れるが、爵位だの富だので結婚を決める女じゃないから、それなら一生独身を通すぞ。だからそんなので諦めるなら、ジュネを馬鹿にしているのと同じだからな」
コールマンに言われて納得する。そもそも婚約者に裏切られてしまった彼女は、そんなものをチラつかせても無視するだろう。だったら。
「エリンヒルド様。私は……俺は、あなたと正々堂々と戦ってジュネーヴェラ嬢に愛を乞いたいと思います」
その瞬間、殿下がニヤリと笑った。
「どっちが選ばれても選ばれなくても、文句は無しだ」
「もちろんです。コールマン、俺はジュネーヴェラ嬢を幸せに出来るか解らないけれど。それでも、この想いを口にしたい」
「それは認めてやる。が、殿下。ザザラス。どちらかがジュネに選ばれたら、私に殴られて下さいね」
爽やかな笑顔のコールマンが、怖い。だが、まぁそれで認めてもらえるなら、とその条件を飲み込む。
「まぁどちらも振られたら潔く諦めて下さいねー。ジュネは私と婚約者、後の妻で幸せにしますからー」
本音は、それか。
「取り敢えず、殿下とザザラスは別の日にジュネに想いを告げて下さいね。同じ日にされたらジュネが混乱するので。ジュネからの返事は2人の立場が対等になるように1ヶ月程後という事にしておきましょうか。告白する日も1ヶ月先にしましょう。ジュネ自身、殿下とザザラスと向き合う日が必要ですから。だから何度かデートしてその上で告白、ということで」
サクサクとコールマンが決めていく。さすがの殿下も口出しが出来ないようだ。そして今から2ヶ月後にジュネーヴェラ嬢からの返事をもらう、という事まで決定した。もう、自分の気持ちから逃げている場合ではない。
「じゃあ、そうですね。エリンヒルドもザザラスも5回ずつ、ジュネとのデートを設定。日にちはこちらで決めるから、場所やプランは2人で考えてくださいねー」
そんなわけで、コールマンがジュネーヴェラ嬢とのデート日まで決めてしまい、今更ながらにジュネーヴェラ嬢の気持ちも考えないで決めて良かったのか、心配になった。だが、コールマンが言うには、これくらい積極的に決めないと、ジュネーヴェラ嬢は気乗りしない。と断る可能性が高い、とのこと。
兄として、妹が幸せになるのなら、これくらいはやるらしい。
「ま、ジュネが結婚して夫と子どもを愛し守り手助けする暖かい家庭だけが、幸せだとは思わない、と判断するなら、ジュネの意見を全面的に肯定するから、ジュネと後の妻と我が子は俺が養いますけどね。それでジュネは俺たちの子の面倒を見ながら、一生を終えるのも有り……いや、それが一番良い? あ、やっぱりこの話は無かった事に」
「ならないだろ! 折角俺とザザラスを認めたんだ! 最後までやり遂げろ!」
「いやだって。この、コールマン・ファラン以上にジュネーヴェラ・ファランを愛している男なんて居ないでしょう」
「お前は、兄、だろ!」
「兄ですが、俺とジュネの父はクズだから。母は既に亡くなってるし。俺とジュネだけが互いの家族。……ほらやっぱり俺以上にジュネを愛している男なんて、居ない」
「こ、コールマン! お前程愛せるとは言わないが、せめて想いくらいは伝えさせてくれ!」
俺としても初めて恋した女性だ。いや、愛する人、だから。譲れない。コールマンは溜め息をついて、俺と殿下を交互に見た後、「仕方ない。一度くらいはチャンスを与えるか」ともう一度大きく溜め息をついた。
***
さて。今日は1回目の殿下とジュネーヴェラ嬢のデート日だ。殿下は、朝から機嫌が良い。ジュネーヴェラ嬢の方は……と言うと、あまり乗り気では無さそうに見えるが、気のせいだろう。仕事を終わらせたら、ということで午後から出かける予定らしい。公務は無いし執務も調整が付けられるからだ。何処へ行くか、など聞く気もないし聞いても話してもらえないだろう。
とはいえ。俺の方はそもそも女性と最低限の会話くらいしかしたことがないし、デートなんてしたこともなければ、贈り物だって母や義姉くらいなものだ。未婚の令嬢に何を贈れば良いのかなど考えた事もないので、ジュネーヴェラ嬢に年齢が近い義姉に相談したら、その日のうちに家族中に俺に恋人が出来た、と騒がれてしまった。……未だ恋人ではないが、そうか、もしジュネーヴェラ嬢とそういう関係になったのなら、家族にも紹介する、ということになるのか。
そうなると……もう乳母の役目はとうに返上しているが、殿下を育てた母が何を言い出すだろうか。殿下から伴侶となるべき女性を奪った、とかそんな事を言われてしまったならどうしよう。ーーいや、早まるな。未だそういった段階でもない。
そんな事を考えながら瞬く間に日が過ぎていき、俺とジュネーヴェラ嬢とのデートの日を迎えた。取り敢えず、何の計画も立てていないが(情けないとは思うが、本当に思い浮かばなかった)城内にあるコールマンとジュネーヴェラ嬢の部屋へ迎えに行った。現れたジュネーヴェラ嬢はクリームイエローという明るめのワンピース姿で、可愛い。
なんだこの生き物。
可愛過ぎないか?
コールマンがジュネーヴェラ嬢を可愛い可愛い、嫁にやりたくない! と叫ぶ気持ちが解る。
「ザザラス様、今日はよろしくお願いしますね」
「あ、ああ、その、こちらこそ」
「ザザラス様、いつも殿下の側近として落ち着いた服装を心がけていらっしゃいますの?」
「えっ、服装?」
「本日のお召し物は年相応と言いますか……。あ、失礼しました。いつもは年上に見えますが、今日は若返った……なんて言ったら益々失礼ですわね。でも、本当にそんな感じですので。良くお似合いですわ。普段の落ち着いた服装も本日の爽やかな服装もお素敵ですわね」
ニコニコとジュネーヴェラ嬢が褒めてくれる。兄や義姉の助言を聞いて良かった! と思いつつ好きな女性から褒められる事の破壊力に、頬が熱くなる。……はっ。照れている場合じゃない。俺も何か言わなくては。
「そ、そのジュネーヴェラ嬢も、に、似合ってる」
この一言を言うのに、これほど緊張するとは思わなかった。おまけに、もっと気の利いたことすら言えない。女性に慣れてない事をこれほど悔やんだ事はない。ジュネーヴェラ嬢は、不服だと思っていないだろうか。
「あ、ありがとうございます」
真っ赤になって受け入れてくれた。……可愛い。こんな拙い褒め言葉でこんなにも照れてくれるのか⁉︎ いやもう、可愛過ぎてどうすればいいか分からないのだが。何故、殿下はあんなにも軽やかに男女問わず口説けるんだろう……。
「い、いや。慣れていないので済まない」
「まぁ」
私が慣れていない、と告白すればジュネーヴェラ嬢はコロコロと笑い声を上げた。続けて
「寧ろエリンヒルド殿下のように慣れていらっしゃる方でしたら、お世辞ですわね、としか思いませんから、ザザラス様が女性を褒め慣れてなくて良かったですわ。本音だ、と思って聞けますもの」
そういうものか? 女性は皆、殿下のような方が良いのではないのか? 多分、そんな疑問が顔に出ていたのだろう。ジュネーヴェラ嬢は「人それぞれですわ」とニコッと笑った。……確かにその通りだ。それから、俺の肩から力が抜けて。仕事の延長とは言わないが、それでも仕事の時のように気楽に会話を楽しめた。ジュネーヴェラ嬢も、楽しいと思ってくれていれば良いが。
街に出て買い物をしたりお茶をしたり。そんな在り来たりのことしかしていないはずなのに、あっという間に過ぎて夕暮れになって城の彼女とコールマンが賜っている部屋まで送り届けると。
「今日はとても楽しかったですわ」
と、彼女が言ってくれた。女性が喜ぶような気の利く会話などしていない。無言だった時間も多かった。偶に話してもいつの間にか仕事に関連した話題になっていたはずなのに。
「私も、楽しかった」
本当に彼女は楽しかっただろうか。こちらを気遣っただけではないのか。そう思いながらも、俺も楽しかったと言えば、彼女は嬉しそうに「良かった」と微笑んでくれた。それからコールマンが決めた日に俺と殿下はそれぞれ彼女と時間を過ごして、とうとう彼女に想いを告げる日が来ていた。
先に彼女に告げるのは殿下。
後が俺。
ジュネーヴェラ嬢は、殆ど毎日会っているのにわざわざ殿下と別に会うなんて……と、いつだったかコールマンに話しているのを聞いてしまった。だが、今日の告白で殿下に対する見方が変わるはず。真摯な殿下の告白を受けて彼女は、どう変わるのだろう。それは後に続く俺の告白にも影響をする……かもしれない。
その日、殿下は花束を抱えて告白をした、と後から殿下に教えられた。
「色々と有ったし、私は様々な者と恋人関係にもなってきた。だが、ジュネーヴェラ。これからは君一人を愛し、伴侶に迎えたい」
そう、告げたら、ジュネーヴェラ嬢は本当に驚いた表情の後。
「エリンヒルド殿下が私をそのように想っていた事が本心だと考えてもみませんでした」
と、話した後で「では、きちんと殿下との事を考えさせてもらいますわ」と言ったらしい。随分と前向きな発言だ。尤も返事は1ヶ月後で、という殿下のお言葉が有ったからだろう。じっくりと考えるはず。そんな彼女に、俺も想いを告げて良いのか迷ったが。折角殿下と同じ場所に立つ機会が与えられた。こんなチャンスはもう無いと思えば。
「ジュネーヴェラ嬢」
「ザザラス様、本日もよろしくお願いしますね」
ジュネーヴェラ嬢は殿下から告白されたというのに、いつもと変わらず俺に接する。貴族令嬢として培ってきた本音を見せない教育の成果なのか、それとも俺への態度が変わらないのは、俺が彼女にとってその程度の存在だからか。
どちらでもいいか。
俺は俺の気持ちを告げるだけ。
今日のために色々考えた。殿下のように花束を抱えて告白するべきか。それとも遠出をして景色の良い所で告げるべきか。或いは恋人同士の訪れる場所として有名な観光地とか。
色々色々考えた末に。
人生の殆どを過ごして来た城の一般開放されている庭で、告げる事にした。特別な場所に行けば、聡い彼女は気付いてしまう。
いや、本当は俺が緊張して何も告げられないと思う。だったら、普段の俺で居られる所で告げるのが一番だ。
「まぁザザラス様。本日は一般開放されている庭園ですのね」
ニコッと今日もジュネーヴェラ嬢は愛らしく笑う。この笑顔を見ても地味だの、可愛げが無いだの、そんな事を言っていたらしい元婚約者は、きっと目が悪いに違いない。
「ジュネーヴェラ嬢」
「はい」
「その。俺は、下位貴族の三男で。継ぐ爵位が無いから、結婚も恋人も必要無いと思っていた」
「……はい」
一般開放されているから、平民とか貴族とか関係なく人が居る。こんな中で告白するのもなんだか恥ずかしいな、と今更ながらに思う。もしかしたらジュネーヴェラ嬢も恥ずかしいかもしれない、と思い至って、失敗したか、と思うが今更だ。幸い皆は庭園や自分達の事に集中していてこちらに注意は向けてない。このまま言ってしまう方がいい。
「その、実は殿下と一夜だけの過ちもあって」
「……まぁ」
急にこんな事を聞かされても困るだろう。でもこの事を話さないのは、フェアじゃない気がして。
「お互いそのような気持ちは無い。酔った勢いなだけ。だが、その。余計に結婚など考えてもいなかった」
「はい」
「だけど。ジュネーヴェラ嬢に会って。コールマンを支えながら俺も気遣ってくれて。殿下に怖気づくことなく、自己主張をはっきりして、それでいてきちんと殿下を尊重する、そんなあなたに、いつの間にか惹かれていた。身分で言えば俺では釣り合わないのは解っている。けれど。全く考えていなかった結婚を、あなたとなら、したい。女性を喜ばせる事一つ出来ない男だが。あなたが好きだ」
ジュネーヴェラ嬢を真っ直ぐ見たいのに、何を言われるか分からなくて、気付けば俯いていた。
「ザザラス様。お気持ちありがとうございます。考えさせて頂いてもよろしいでしょうか」
「あ、ああ。もちろんだ。急な事で済まない。その戸惑うだろう。ゆっくり考えて欲しい」
慌てて付け加えれば、ふふっと笑って彼女は頷く。それ以上、彼女の側に居るのは、俺が耐えられなくて。結局想いを告げるだけで今日を終わらせてしまった。
だが、ここでようやく気付いた。返事は一ヶ月先。だが、殆ど毎日顔を合わせているのだ。明日からはどうやって彼女に接すれば良いのだろう。殿下は場慣れしているからか、告白した後も彼女と変わらずに接していたが。俺は初めてだからどうしていいか分からない。
ーーああ、明日から平常心で今まで通り仕事が出来るだろうか。
そう考えていた俺の気持ちを他所に、ジュネーヴェラ嬢はいつも通りだ。しかも、コールマンが常に付き添っているから、殿下とも俺とも2人だけにならない。良いのか悪いのか分からないが……。とにかく今まで以上に兄妹は寄り添っているので、殿下が嫉妬しているし、俺もあまり良い気分ではない。コールマンがこれ見よがしに得意顔なのもムカついた。同僚としても友人としても良い男だが、この時ばかりはコールマンに苛立ったのは確かだ。
そうしてあっという間に、その日を迎えてしまった。
「エリンヒルド殿下。ザザラス様。お二方への返事をさせて頂いても?」
仕事が終わったジュネーヴェラ嬢が、明日の予定を確認するかのごとく流れるような口調で、切り出してきた。俺も殿下も「ああ」と答えつつ、俺の心臓は痛いし、音は大きいし、辛い。いくら彼女が殿下を選ぶことが解っていても、それを聞くのが、こんなにも辛くて怖いのだ、と初めて知る。
「エリンヒルド殿下もザザラス様も、婚約を解消した私などにもったいなくもお気持ちを下さりありがとうございます。でも、私はお二方を選ぶことは出来ません。どちらか、或いは両方、お断りをさせてもらう、事しか」
2人揃って断られる可能性は考えていなかったな。だが。彼女の強い表情はもう決めてあるという決意の表れ。殿下と2人で断られるか、殿下を選ぶか。どちらにせよ、俺は断られるのだから、いっそのこと早く言って欲しい気もする。
「お二方の真摯なお言葉に、色々と考えて私の気持ちも考えました。殿下。お気持ちはとても嬉しいものですが、私は貴方様の伴侶にはなれません」
ジュネーヴェラ嬢の言葉が耳に入っているのに、素通りしていく。殿下を無意識に見れば呆然としている。それは、そうだろう。殿下程の人を断るなんて中々居ない。という事は、2人揃って断られるのか。
「ザザラス様」
「は、はい」
いよいよ俺だ。
「まだ結婚は考えられませんが、仲を深めていくために恋人から、で、構いませんか?」
結婚は考えられません。
そうだろうな。あー、やっぱり2人揃って断られる……ん?
仲を深めて?
恋人から?
「えっ……と、は?」
俺は言っている意味が分からなくてポカンとしていた。クスクスと笑いながらジュネーヴェラ嬢がもう一度言う。
「恋人として、よろしくお願いしますね」
「こい、びと……」
繰り返してみて、顔が一気に暑くなる。彼女は、まさか、俺を選んでくれたのか⁉︎
「ザザラス様、よろしくお願いします。私の事はジュネって呼んで下さいませね」
「じ、ジュネ」
「はい」
信じられないまま、愛称を口にすれば、彼女はあの愛らしい笑顔で、返事をしてくれた。どうやら夢では無いみたいで。現実だと理解したのは
「ジュネを泣かせたら殺すぞ」
と、コールマンに腹を殴られて、からだった。
「泣かさない」
慌てて頷いて、ハッとしてエリンヒルド殿下を見れば、悔しそうに顔を歪めながらも
「ザザラスでは仕方ないな」
と、苦しそうに笑った。
俺は、この方の分まで、ジュネを幸せにしようと愛らしい笑顔に誓った。
(了)
お読み頂きまして、ありがとうございました。
なんだかんだで5話にもなりました。シリーズ設定してありますので、読み返される方は、よろしくお願いします。
これにて3回目シリーズ完結です。
ご愛読ありがとうございました。