早乙女さんの憂鬱
「それは違うと思いますわ。」
早乙女さんは漆黒のストレートヘアーを振り乱しながらきっぱりと言った。
「でもさ、早乙女さん、しょうがないよ。」
僕はそうやって早乙女さんを諌めながらも心のどこかに何か挟まった様な違和感を感じていた。
「でもこのお芝居を楽しみにしていた人達はたくさんいるはずなんですわ。その人達に申し訳ないですわ。」
そうやって肩に力を入れる早乙女さんの身体は小柄だが、芯が通っている感じがするのは気のせいだろうか。
「でもあんな事件があった後じゃ・・」
『あんな事件』とは我らが劇団が拠点としている下北沢で先月起きた殺人事件である。被害者の男性は視覚障害者で、加害者は未だ捕まっていない。
「事件は関係ないでしょお。このお芝居は昔のイギリスにもそういう障害者の人が生きてたという事実に基づいているんだわ。それを無視したらむしろ可哀想だわ。」
本公演はイギリスの古典戯曲で、悪徳商人に殺された視覚障害者の息子が仇討ちを成し遂げるというものであった。
「そうかもしれないけど、何もこのタイミングでやることはないんじゃないかな。また別の機会にやることもできるし。少し早乙女さんは真面目すぎるよ。ほら、いいとこの出だから、芦屋だっけ?」
少し白熱しすぎて余計なことを言ってしまった。しまったと思った。
「芦屋じゃないわ。芦屋の隣町。全然違いますわ。」
「僕達関東の人間からしたら同じ様なもんだよ。」
「ありえへん!」
早乙女さんはわざとアクセントを強調する様に言った。僕は少し吹き出した。
早乙女さんはいたずらっぽく笑って
「これだから関東の男はいけませんわ。ボケるならもっとオモロいこと言ってや。」
まるでテレビタレントの受け売りの様なことを言う。そんな安直さが早乙女さんのかわいらしい所でもある。
「関東にも面白い人はいっぱいいるよ。早乙女さんが知らないだけで。」
「嘘ですわ。私ら近畿の人間はそないなことで笑わへんてなことでこっちの人は笑いますわ。ぎょうさん芸人さんとか見てきたけどやっぱり笑いは関西ですわ。ほんまに。」
早乙女さんの関西弁リミッターが外れてきた様でトークは絶好調だ。
「だいたい東京は食べ物の味がしょっぱすぎますわ。ほんまに。醤油の味しかせんでほんまに。出汁とかそういう概念ないのかアホほんまに思うわ。マジで。一回こっち来てみ?ションベンちびるで。うん。あんな、だいたいラーメン一杯900円とかあるやろ?何?あれ?ありえへんやろ?大阪来たら500円でめちゃめちゃ上手い中華ぎょうさん食えるで。うん。まー他にもいろいろあるけどな。・・アカン!食べ物の話してたら腹減ってきたわ。ほなワイ飯食ってくるわ。おおきに!」
そういって早乙女さんは劇場から出ていってしまった。
僕はやれやれと溜息をついた。
早乙女隆二というのはああいう男なのだ。