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君が「好き」と言ったから

作者: はるやま

好きになった彼は、とても愛が重たかった…。

それを純愛と呼んでいいのか、それとも狂愛と呼ぶべきか。


いずれにせよ、私はもう引きずり込まれて戻れない。



※エロくないヤンデレをめざす短編集第二弾。

※ヤンデレ要素を含みます。苦手な方はご注意ください。


※縛られる愛が好きな方へ。




※こちらは先に「魔法のiらんど」で執筆したものになります。

※投稿先模索のため「エブリスタ」にも投稿しています。

 薄暗い教室。初夏のにおいが鼻をかすめる中、私は教室でひとり、彼を待っている。

 今日は部活が自主練習の日で、いけないとは思いながら、そっと音楽室から抜けてきた。生徒会執行部である彼――太田千秋くんを待つために。

 正面を見ると、もうすぐ約束の時間になることがわかる。胸の高鳴りがやまない……彼はちゃんと、下駄箱に入れた手紙を見つけてくれたかしら。訝しがらずに、現れてくれるかしら。ああ、不安で胸が苦しい。でも、落ち着け私。彼に会ったら、まず言うの。あなたが「好き」ですって。

 聞こえないはずの「カチ」という音がして、時計は約束の時刻、五時を指した。と、そのとき、前の扉が音を立てて開いて、彼が――太田くんがクラスへやってきた。

 私はそれを見て、慌てて立ち上がる。まるで、居眠りを注意された生徒のよう。耳から熱くなっていくのを感じながら、それでも彼から視線が逸らせない。

 彼はなんでもないようにして、すっと手をあげ合図した。

「お待たせ」

「ううん、待ってない。時間ピッタリだもの。むしろ、忙しいところ呼び寄せてごめんね」

「いいや、ちょうど書類も片付いたところだったし」彼は朗らかに笑う。

「手紙読んだよ。今時、メッセージじゃなくて下駄箱に手紙が入ってる、そんなフィクションが現実にあるなんて思わなかったけど」

「だって、私は太田くんの連絡先、知らないから……」

「それもそうだね。俺たち、中学の時から顔なじみなのに、普通に話すだけで連絡先を交換することもなかったもんな。ありがとう、貴重な体験をさせてくれて」

「ううん」顔が熱くてたまらない。思わずうつむいてしまう。

「それで……お話ってなにかな?」

 彼は、前の席に座って私を見上げた。その顔も優しさがいっぱいで、私はこれから罪を自白させられるような気持ちになる。それでも――

「あのね、太田くん。私――」息が苦しくなってくる。胸に手を当てて、空気を吸い込む。太田くんが、優しい目で私を待ってる。私の、のどに詰まってなかなか出てこない、次の言葉を。

 数秒開けて、吐き出すように言った。「――私、太田くんが、好き、なの」

 音が何もしなくなったような気がした。また聞こえないはずの時計の音が、カチカチと大きく響いて聞こえてくる。彼の顔が見られない。口から出た言葉が、まだ宙を漂い続けていて、彼に届いていないような気さえしてくる。

 そのとき「ほんとう?」と、上から声がした。

「長谷川さん、それって、恋人になりたいという意味だと、とらえていいのかな?」

 私は声にならなくて、下を向いたまま頷く。

 すると、腕が伸びてきて私の頭を持ち上げ、抱きしめた。それが太田くんだとわかるまで、しばらくかかった。

「嬉しい――今日はなんていい日だろう」彼は私をぎゅっと抱きしめたまま離さない。「俺も、長谷川さんが好き」

 願ってもない言葉に、私の目から涙があふれてくる。本当? と聞きたいのに、声が出ない。

 向き合うと、ほほに伝うそれを太田くんが指でなでた。そのまま、手が私のほほに添えられる。

 夕日のせいか、太田くんも顔が赤く染まって見えた。

「長谷川さんに言わせちゃうなんて、頼りないね。だから、これは俺に言わせて。――長谷川さん、俺と、付き合ってください」

「……はい!」ほぼ声にならないそれを聞き届けると、太田くんの唇が重なった。重なったまま、彼の腕が私を抱きしめ、私も抱きしめ返した。

 短くて長いようなキスを終えると、私たちは見つめ合って笑った。

「はあ、こんな幸せ初めてだよ」太田くんが私の手を握りしめながら言う。「幸せ過ぎて、長谷川さんを部活に帰してあげられない。まだ、こうして傍にいたい」

「私も……」太田くんで満たされて、まだこうして手をつないでいたい。

「でも、いけないよ。吹奏楽部は夏のコンクールが間近でしょ? 俺、応援してるんだから」

「本当?」

「本当だよ。こう見えて、長谷川さんのことほんっと、前から……中学の塾で一目ぼれしてから、ずっと好きなんだ。なんなら、学校での定期演奏会も、秋の運動会でのパレードも、いつだって目が離せなかった」何言ってんだろ、と照れ臭そうにする太田くん。

「俺、長谷川さんが楽器を吹く姿も、その音も、大好きなんだ。生徒会室にいながら、長谷川さんの音だってわかるぐらい……たまに、息抜きに出かけては、姿を見つけて盗み見たりしてた」

「私だって、生徒会として一年生の時から壇上できびきび動く太田くんや、先輩に付き添いながら真剣に仕事をこなすのを見てたよ! カッコイイって、頼もしいって、思う反面……」

 そのあとの言葉を言うのはためらわれた。声はか細くなっていったのに、太田くんが「半面?」と聞くので、私は小さな声で「私が隣にいられたらいいのにって……」と言った。

 私が今日、太田くんを呼んだのは、太田くんと生徒会の先輩が仲良さそうにしているのを見ているのが耐えられなくて、自分の気持ちを抱えているのが辛くて、虚しくて、勝手にぶつけて終わりにしようとしたからだった。

 でも、今は違う。太田くんの気持ちを確かめてしまった今は、嫌われたくなくて仕方ない。でも、この醜い気持ちを吐露すれば、太田くんは身を引くかもしれない。なのに、一度抱えてしまった毒は吐き出さずにいられなかった。

 私が次にくる言葉に震えていると、ふいに太田くんが笑い出した。私は何事かと、目を丸くした。

 太田くんは嫌そうに身をひくどころか――私の言葉を恍惚として受け止めていた。

「ああ……そんなに想ってくれていたんだね。早く気付いてあげられたらよかったのに……」

「太田くん……引かないの?」

「引く?」太田くんは不思議そうに首をかしげる。「何に?」

「私、嫉妬してたんだよ……? 太田くんは、ただ先輩と仲が良かっただけなのに」言えば言うほど、汚い部分を見せつけるようで嫌になる。「太田くんの幸せを願えなくて、今日は私は気持ちを押し付けて終わりにするつもりで……願ってない返事が来ていまは嬉しさで溶けてしまいそうだけど、でも……でも私はこんなに利己的なの……」

「利己的? そんなふうには、俺は思わない。むしろ、嬉しいとさえ思ってしまったぐらい」

 そういって、太田くんは私を抱きしめた。そして、よしよし、と頭をなでられ、私は嬉しいやら恥ずかしいやら、身が固くなってしまう。

「長谷川さん――いや、結。俺は、それを利己的だなんて思わない。そんなの、誰にだってある感情だよ。俺だって、結はただパートリーダーとして後輩をまとめているだけなのに、その笑顔を独り占めできないことに身が焼けるような思いだった。それはたぶん、こうやって気持ちが通じたとわかってもそう。でも、結は我慢していられなかったんだね。砕ける前に、俺にぶつけてくれてよかった。結の勇気に感謝しなきゃ。ありがとう」

 なでられながら下の名前で呼ばれて、私は今、顔が真っ赤であるに違いない。それでも、太田くんが受けとめてくれたことがうれしくて、私も「ありがとう」と言った。

「なんの……こんなの当たり前すぎて、俺の方が恥ずかしい。だって、俺の方がその何倍も、きっと結にどろどろした感情を向けちゃう。そんな気がして恐ろしい」

「どろどろした感情?」私が見つめると、太田くんは辛そうに流し目になって、少し考えたそぶりを見せた後、ふと「結なら……受け止めてくれるかな」と聞くでもなく呟いた。

「言ってみて。私は、知りたい」

「後悔しない?」

「しないよ」

「絶対?」

「絶対」

「言ったら、俺は引き返せない。それでも?」

 〈引き返せない〉という言葉に引っかかりを感じたが、私は頷いた。私の泥のような部分も受け止めてくれたのだから、私だって受け止めたかった。

「言って?」

 私が催促すると、太田くんは周りに人がいないのを確認して、私を引き寄せた。そして、耳元で小さく、でもはっきりと、こう言った。

「俺は、結を閉じ込めて、その笑顔も泣き顔も、誰にも見せたくない。全部、俺のものにしたいと思ってる……結のすべてを、俺だけのものしたい」

 私がきょとんとしていると、反応がないのに気付いたのか「だからつまり、ずっと嫉妬深いってこと」と彼は苦笑いしながら付け足した。

「それなら、私だって嫉妬するし……おあいこだね」と私も笑う。

「おあいこの程度が全然違う気がするけど……まあいいか?」そういうと、また最初の優しい笑顔を見せてくれた。

「じゃあ結、俺は結のものだし、結は俺のもの。いいね?」

「うん。いいよ、太田くん」

「それから、これからは〈千秋〉って呼んで?」

「ち……千秋くん」突然のことに私がどもると、彼はふふと笑って、まあいいかと言った。

「君が好きって言ってくれたから、許してくれたから、もう俺は遠慮しないことにするよ」

 千秋くんは、つかんでいた私の手を、指を絡めるようにして握り直した。

「結……大好きだ」


 *


 私と千秋くんが付き合っているという話は瞬く間に広がっていった。私は友達にチヤホヤされるのが恥ずかしいので隠していたかったのだけど、千秋くんが許してくれなかった。

「それに……虫よけにもなる。いらぬ誤解を招かないためにも、必要なことだよ」って、千秋くんは言った。


 告白をした日、二人で約束したことがある。

 それは、隠し事を絶対にしないこと。


 あれから一ケ月ぐらい経って、私の所属する吹奏楽部のコンクールが終わり、三年生が引退、本格的に二年が先頭に立って部活を引っ張っていくことになった。コンクールは地区大会を通過したものの、県大会であえなく敗退。悔し涙を流す先輩たちに背中を押され、私も身の引き締まる思いで今はパートリーダーを務めている。

 地区大会・県大会共に同級生の応援が来るほど吹奏楽部は学校の中でもさかんな部活で、もちろんそこには千秋くんの姿があった。コンクールが終わってホールに出てくると、待っている学校関係者の中に千秋くんがあり、すぐに駆け寄ってきて「お疲れ様」と抱きしめてくれた。県大会の時、先輩の前ではこらえていた涙が千秋くんの前では止まらなくなってしまって、彼に抱えられたまま延々と泣いてしまった。

 帰るまでがコンクール、とはよく言うもので、毎度送迎バスが準備され、コンクール後は吹奏楽部全員がひとまず学校へ戻る。関係者用の席はないのだけれど、実は生徒会トップは各部活動の審査も請け負っているため同行する。そのため、千秋くんもたまたま同じバスに乗っていた。

「先輩、生徒会の人と仲がいいんですか?」と声をかけられたのはそんな時。

 パートごとにバスに乗る中で、隣に座ったのは寺島くんという後輩だった。

 私は照れながら「仲いい……というか、実は彼氏なんだ」と打ち明けた。

「そうなんですか!」と、とても驚いて見せる寺島くん。私が、声が大きいと苦笑いで注意すると、今度は後ろから、よいっと男の子が顔を出して「テラシー、知らなかったのかよ」と言う。

 彼は確かサックスの矢幡くん。

「全く、テラシーは盲目だから本人しか見えてないんだもんなあ。もっと視野を広げなきゃ勝てないぜ?」

「バ……! カズマお前それ、今ここで言うなよな!」

 私があわあわと見ていると、顧問が立ち上がって「矢幡、着席!」と声が飛び、それが聞こえると後ろから引っ張られるように矢幡くんが消えた。

「矢幡の言ったこと気にしないでくださいね、あいつすぐに茶化すから……」と、言いながら寺島くんは照れ臭そうに目をそらした。

 ふとその視線の先を追ったら、ちょうど対角線上に生徒会が座っているのが見えた。距離が離れているので座席で隠れてわからないけれど、少しだけ千秋くんの横顔が見えた。

 生徒会は厳しいけれどとても仲の良いことでも有名で、千秋くんが笑って何かを喋っているのを微笑ましく感じた。けれど、一緒に楽しく話しているのが緑橋先輩だと気が付いて、心から血がじわじわと流れてくるような感覚を覚えた。

 緑橋さんは副会長で、会長の矢幡先輩を補佐する別名「美人秘書」。ちなみに、会長である矢幡先輩は、さっき顔を出した矢幡くんのお兄さん。

「先輩、どうかしました?」と寺島くんに聞かれて「なんでもないよ」と答えるも、気にしだしたらずっと耳につく二人の会話に、傷ついた心からとめどなく悲しさがあふれてきて、私はずっと黙っていた。

 学校に戻って一斉解散の後、地区大会同様に千秋くんが校門で待ってくれていた。

「お疲れ。結果は残念だったけど、よく健闘したと思うよ」

「なにそれ、すごい上から目線。さすが、生徒会」

 せっかくねぎらってくれた千秋くんに毒をついてしまう。

「いや、そんなつもりはないんだけど……なんかごめん」千秋くんは横に並んで、申し訳なさそうに眉をハの字にした。  

 私は、つい出た言葉にどうしようと思っていたけれど、口から出てしまったものは元には戻せなくて、半ばやけくそに「べつに、気にしてないよ」と言った。

「そっか……」

 千秋くんは、ここで珍しく沈黙した。

「そういえば、明日からお盆に入ることもあって、他の部活動もひと段落するから、生徒会は夏休み明けるまでお休みなんだって」

「ふうん」それは緑橋先輩から聞いたの? と言いそうになって黙る。

「結のほうは? お盆も部活?」

「それはさすがにないけど……でも明けたら部活は再会するよ」

「そっか、さすが吹奏楽部だね。夏休みも休みなしってかんじ」

「うん」

 ここでまた沈黙。

「お盆休みは、結はどこか行くの?」

「たぶん……でもなんで?」

「よかったら、一緒にどこか出かけない?」

 千秋くんは今日一番の笑顔で私に言った。思わずキュンとしたのだけれど、本当に私はへそが曲がっていて、いらぬことを言ってしまいそうな口を間一文字に結んで黙った。頭の中で、そんなんじゃだめ! っていう私と、気をつかわなくたっていいよ、だって私は嫌な気持ちでいるんだもの、という私が短い間にせめぎ合って、結局「お盆はおばあちゃんちに行くから難しいかも」とトーンを変えずに言っていた。

「そっか……まあそうだよね」と、千秋くんは本当に残念そうに言って、私の心はどんどんどす黒くなっていった。

 そして、その日は結局、手も握らずに、さよならをした。

 それが一週間前の話で、あれから千秋くんとは数通メッセージを送ったくらい。考え出すと、もしかしたら緑橋先輩と楽しく遊びに行ったりしているかも、と根拠もない不安に襲われてしまい、そう考える自分が嫌で、今までにないくらい自主練に励んだ。

 バンッという爆音を出したサックス音で振り向くと、「すごい熱心ね、パートリーダー」と皮肉を言う彩音が立っていた。

「なにヤケになっているのかわからないけど、音が楽しくなさ過ぎ。後輩怖がっちゃうよ? せっかくの秋のパレード曲なのに、まるでお葬式みたい」

 彩音に的確に言われて、口ごもる。指摘されると、自分でも必死さがありありと感じられて、休憩もとらずに鳴らしていたクラリネットを膝にのせた。

「あらあら、なんだかいつにも増してしおらしいわよ? 長谷川さーん」ずるずると椅子を引っ張ってくると、彩音が私の隣に座った。

「なんか……調子が出なくて」

「あらあらー! それは大変。こーんなに熱心に楽譜さらって、もう譜面はだいたい読めちゃってるのに、音に覇気がないのはそのせいなのー?」おどけた調子で彩音は言う。

 私がキッとそんな彩音をにらむと、どこから持ってきたのか自分の譜面を私の譜面台にのせた。

「周りの子全然譜面さらえてなくて退屈してたんだよね。お葬式でもいいから、ちょっと一緒に合わせない?」

「彩音と合わせたら絶対負ける、お葬式だもの」

「何言ってんの。私の陽気なサックスにつられてパーティーになるに決まってんでしょ」

 ほら、と言って彩音が一小節目を吹く。その性格みたいに明るいサックス音に重ねて私のクラリネットが続く。こいよこいよ! と手招きされているような音に、楽しくなって、粗削りなパレードを一周した。

「あースッキリ! やっぱりアンサンブルするとちょっと気分がよくなるね」

「綾香、この曲好きすぎでしょ」

「当り前じゃない! 半分が私とトロンボーンのソロなのよ? 超カッコよくて久々にわくわくが止まらないもの」

「コンクールは静かなワルツだったもんね、自由曲」

「そう! 課題曲がいつもお堅いのに自由曲もお堅いから、この数か月はしおらしい私だったんだから。パレードは私ことサックスのお祭りみたいなもんよ!」

「違うと思うけど」と言いながら思わず笑う。

「コンクールといえば、結は終わったころから元気ないよね。先輩が引退したの、そんなにさみしかった?」彩音は心配そうに私をのぞき込む。

「いや、そうじゃないんだけど……」

「じゃあ何よ」

 私が口ごもっていると「まさか太田のことじゃないでしょうね?」と的確に指摘されてドキリとし、でも隠しようがなくて目も合わせぬまま頷いた。

 それを見てか、彩音は大げさにため息をつく。

「あんなに好きだった太田くんと付き合えて毎日ハートマークいっぱい飛ばしていたのにどうしたのよ。ダメな恋は人間を腐らせるよ?」と言われて、私はモヤモヤする胸の内を吐露した。

 彩音は私がとりとめもなく話すのをじっと聞いていてくれた。

「――それで、しばらく太田と会っていないどころか連絡も取ってないうえ、緑橋先輩のことがきになってしょうがないと」

「うん……」

「そんなの直接ちゃんと言わなきゃわからないじゃない。言いにくいかもしれないけど、相手を混乱させて変な誤解が生まれるだけだよ?」

「そうだよね……」正論を言われてぐうの音も出ない。

「まあ、思い立ったら吉日! 今日にでもメッセージとか送ってみるしかないね」

「そう……だよね」

「うん! あと、まあいいタイミングだし」彩音が何かひらめいた様子で二ヒヒと笑う。「ちょっと気分転換に意識そらしてみる、っていうのもいいかも」


 *


 生徒会の仲の良さにひけをとらないぐらい、吹奏楽部だって仲良しだ。中規模の部活なので、クラリネットだけでも一、二年合わせて十人いるが、その十人で遊びに行ったりご飯を食べたりもする。吹奏楽部の中で少ない男子の一人がクラリネットにいて、それがこの間席が隣になった寺島くん。男の子だから遊びには一緒に来られないかと思っていたけれど、そんなことはなく、女子にひけをとらないぐらいスイーツが好きで、夏休みもいつも一緒にご飯が食べられるほど馴染んでいる。

 そんな寺島くんがお昼にこそっと声をかけてきた。「先輩今、よかったら」と言われて音楽室から出ると、隣の空いている教室に入った。

「どうかした?」と私がきくと、ややあって「こんなこと聞くのはおこがましいと思うんですけど」と言いながら続ける。

「何か悲しいこと、ありました?」

「え?」予想外の質問に声がひっくり返る。「なんで?」

「いや! その……先輩はパートリーダーで目立ってるから気づいたっていうのもありますけど、沖住先輩とカズマ経由でそんなことを聞いて……」

 実はコンクールから帰るバスの時から様子がおかしいと思っていたといわれ、自分のふがいなさと沖住先輩こと綾香の口の軽さにため息が出た。

「ごめんね……なんか情けないね、私」

「そ、そんなことないです! 悲しそう、とか言いましたけど、そんな素振り見せないくらい先輩ちゃんと指導してくれましたし! 単に俺が気になっただけで……余計なお世話だったらごめんなさい」まくしたてるように言う寺島くんが面白くて、失礼とは思いながらも、ふふっと笑ってしまう。

「後輩に心配かけちゃうなんて、先輩なのに。でもありがとう」

「いや、でも平気そうでよかったです。俺、先輩が暗いの、辛くて見てられなかったので」

「やだ、そんなに私暗かった? ごめんね」

「謝らないでください。俺もちょっと余計なお世話でしたし」

 寺島くんはそういうとニカッと笑って見せた。普段は落ち着いているので、思い切り笑うと見慣れない写真みたいに止まって見えた。それでというわけではないけれど、ふとした思い付きで、それじゃ、と教室を出ようとした彼を呼びとめた。

「よかったら、心配かけたお詫びに、帰りなにかおごるよ。駅前のドーナッツとか!」

 そういうと振り返った寺島くんが、目を輝かせて「ほんとですか!」と言った。

「うん。せっかくだし、矢幡くんと綾香も誘おう」

「わかりました! カズマに声をかけておきます」

 そういって寺島くんはクラリネットが休憩している場所ではなく、サックスが休憩している場所に駆けていった。

 私もあとに続いて、綾香のところへ行き、何言ってんの! と小突いた。それで、寺島くんとの約束の話をした。

 弱冷房の中での練習は微妙な暑さが延々と続くので余計に消耗している気がする、と矢幡くんはぼやいていた。なので、ドーナッツではなくアイスを買って、めずらしく4人並んで帰っていた。

 矢幡くんはどうしても冷房の温度を下げたいと躍起になっており、私が毎年先輩たちが顧問に直談判しにいくも惨敗していると教えると、悔しそうに騒ぐので、通行人の注目の的になってしまった。

 太田くんと付き合いだしてからは彼と帰ることが多かったこともあって、こんなに賑やかに帰るのはとても久しぶりだった。矢幡くんと寺島くんの男の子二人が実は抱えていた悩みとかを聞いているとあっという間にお別れになってしまい、次の日も、そのまた次の日も、私たちは一緒に帰った。

 その日は結局、千秋くんへ連絡は取らずじまいだった。毎日「おはよう」と「いってらっしゃい」「お疲れ」「おやすみ」は欠かさないけど、肝心なことには触れないでいた。四人で帰っていると、部活で発散しているのも相まって、そのうちどこかで消化されそうだったから、もう忘れてしまおうと思ってさえいた。

 それに加えて、矢幡くんが矢幡先輩に聞いてくれたということもあった。先輩の意見としても、特段二人がとても近いということはないと聞いて、ホッとしたのだ。それに今は生徒会がないから変に見てしまうこともないし、安心していた。

 気にしないでいようと思ったら、ここ最近は部活中にメッセージを確認することもなくなった。前は数時間ごとに連絡がきて、そのたびに返信したりしていたけど、一番熱い熱は冷めたのかもしれない。そういうと薄情な気もしたけど、考えないようにしよう、としていることもあって、あまりメッセージを意図的に見ていなかった。

 だから、全然気が付かなかったんだ。

 連日の通り四人でまた帰ろうとしていると、校門を過ぎたところで名前を呼ばれた。

 振り返ると、私服の千秋くんがスマホを握りしめて立っていた。

「結、部活お疲れさま」と言うものの、目が笑ってない。灼熱でアスファルトの照り返しもばかにならない中、ずっと立っていたのかと思うとゾッとした。

「千秋くん、もしかしてずっと待ってたの?」

「うんまあね。結から全然返信ないから、いつ終わるのかもわからないし」

 そういわれて自分のスマホを見ると、確かに昼すぎからメッセージが入っていた。

『今日迎えに行こうと思ってるんだけど、いつ終わる?』

『もしかして、みてないかな?』

『とりあえず、校門で待ってる』

「連絡くれてたんだ……ごめん、見てなかった」

 私は彼に駆けよって謝った。明るい声で「だろうね!」とは言って見せるものの、近くで見れば見るほど目が貫くように冷たくて身構える。こんなに暑いのに全く汗をかいていない様子も不気味さを際立たせていた。

 気まずいのを見せるのも嫌だし、また心配されると思って、三人には先に帰ってくれるようお願いした。

「随分仲良しだね。いいの? 先に帰らせてしまって」

「うん、だって千秋くんいるし」

「そっか、そっかそっか」そういうと、少し機嫌を直したようで、私たちも歩きだした。

 手を繋ごう? と言われて、手を伸ばすと、ぐいっとつかまれて引き寄せられた。手を握るのも、こんなに距離が近くなるのも久しぶりで、心臓が音を立ててなった。

「結、今日何の日だかわかる?」

「えっと……八月二八日?」

「そうだね、俺たちの二か月記念日だ」

「あ……そっか」

「結ったら忘れちゃってたの? 自分が告白した日なのに、お茶目さんだね」

「ごめん……部活が忙しくてすっかり……」

「まあ、思い出してくれたしいいけど」彼に引かれる手はがっしりと握られ、揺れることもない。

「一ケ月記念日のときは学校があったから帰りにお茶することにしたけど、最近は会ってなかったからさ、もっとゆっくり二人きりになりたいんだよね」

「というと?」

「よかったら、俺の家にこない?」


 *


 よかったら、という誘いではなく、強制連行だろうと思うような強引さだった。でも、なんだか様子がおかしいし、確かにちょっと避けていた罪悪感もあって、引かれるまま電車に乗り、彼の家に着いた。

 学校と行き帰りで一緒だったし、部活も忙しく、学校のある日以外で彼に会うのは付き合いだして行った初めてのデート以来。久しぶりに緊張して、玄関で立ち尽くしていると、彼に上がるよう促されて、しんとした彼の家に踏み入った。

 ダイニングに通されると、千秋くんは飲み物とケーキを持ってきた。

「誘おうと思って、ケーキ買ったんだ。甘いの好きだったよね? チョコレートケーキなんだけど」

「嬉しい! なんだか、すごくお祝いされてるみたい」

「お祝いだよ、記念日なんだから」

 一ケ月の時もそうだったけれど、千秋くんはそういうのを本当に大事にする人のようだ。ありがたいやら、恐れ多いやらで頭が上がらないなと思う。

「ほんと、愛されてるなあ」

「そりゃあ、もちろん」

「綾香に、そんなマメにしてくれる人、いまどきいないよって言われた」

「それ褒めてるの? けなしてるの?」

「褒めてるの」

 こうやって話すのも久しぶりで、今までのモヤモヤが何だったのだろうと思わされた。全然心配することない、こんなに好いてもらっているのに。このケーキみたいに甘いものが体に流れていって、どこかで乾いていた私はとても満たされていった。

 カラン、とカップのなかで氷が鳴って、私が「それじゃあ」とケーキを食べようとすると、千秋くんが呼びとめた。

「その前に、ちゃんと互いのわだかまりをなくしておこう」

 え? と口に出たと同時に、隣に座り直した千秋くんにフォークを持っていた手を抑えられた。

「隠し事は無し、そう約束したよね?」

「隠し事って?」

「とぼけないで。あのコンクールの日から、あからさまに俺を避けてたでしょ?」

「避けてなんかないよ」

「避けてた。少なくとも、俺はそう感じた」

 千秋くんがため息をつくと、さっきまでの甘い空気とは一変する。校門で会った時のような冷たい目で見つめられて、私も息をのむ。

「何があったの。それとも心変わり? あの一年生がよくなっちゃった? バスの中でも仲良く話していたもんねえ」聞いたことのない、後に引くような話し方でまくしたてる千秋くん。

「違う! 私は千秋くんが好きだよ」

「どうだか? じゃあなんでこんなに避けてたの?」

「それは……だって千秋くんが……」

「俺が?」握られた手を引き寄せられ、距離を詰められる。見下ろされて、声にならない震えが身体を襲うと、それを制するように千秋くんのもう片方の手が頭をなでた。

「よしよし、怖かった? ごめんね……」うってかわって優しい声色に、緊張の糸が切れて涙があふれてくる。

「何をそんなに我慢してたの? 俺に話して聞かせて」そのまま抱き寄せられると、耳元で優しく千秋くんが囁いた。

 そのまま背中をなでられながら、私は消えかけていた醜い気持ちを吐き出した。その間、ずっと千秋くんは抱きしめて支えてくれて、私は甘えるように泣いていた。

「そうかあ、そんなに辛い目にあっていたなんて。気づかなくてごめんね」

「そんなことない……矢幡くん経由で緑橋先輩と千秋くんはなんでもないって知ったし、ただ仲がいいだけで妬いちゃうなんて、私自分が幼くて嫌になる」

「そんなことない。今回みたいに抱えて避けられたら俺もつらいけど、むしろ可愛くさえ思うんだから、すぐに言ってくれたらよかったのに」

 それに、ほら見て? と渡されたのは千秋くんのスマホ。画面に映っていたのは緑橋先輩とのメッセージ履歴だった。

 こんな個人情報見られないよ、と私は突き返したが、それも構わず私の手に握らせた。「やましいことなんて全くないし、見てくれていいから」と言って。

 確かに、たまに砕けて会話することはあっても、やりとりされる内容はすべて生徒会のお仕事に関係する事だけだった。とりわけ、私と付き合いだした日からは、余計に避けるようになっている。

「大丈夫でしょ? 安心した?」そう問われて、私は頷く。

「でも肝心なところはここじゃなくて、対面のときのことだよね。確かに緑橋先輩って自分のこと誰にでも好かれると思ってるのか、距離が近いんだよね。俺、結と付き合いだしたって言ってんのになんだかまだ媚び売ってくるし。そんなの会長秘書らしく、矢幡先輩にだけブンブンふりまいてたらいいのにさ。ましてや、結の目につくところでするなんて、最悪」

 信じられないくらい千秋くんから緑橋先輩の悪口が飛び出して私は唖然とすると、千秋くんはにっこりとして私の手を取り、指切りの形をさせた。

「約束する、もう緑橋先輩には優しくしない、なんて言われても、それがいつでも、俺は冷たくあしらってみせるから」

「そんな! そしたらせっかく仲のいい生徒会がぎくしゃくしちゃう」

「別に、仲良くしたくてしてるわけじゃないし、いいんだよ。それより、結が不安になる方がずっといけない」

 千秋くんの意思はとてもかたそうで、私が気にしないでほしいとどんなに言ってもすまなかった。「じゃあ約束」と言いかけて、思い出したように千秋くんは足した。

「あ、代わりにさ、結にも約束、してほしいんだけど」

「何?」

「あの、寺島ってやつと、部活外で仲良くしないでほしい」

「寺島くん? なんで知ってるの……?」コンクールは見に来ていたけれど、まだレギュラー入りもしていない新しい子のことまで知っているとは驚きだった。

「そりゃ、矢幡先輩の弟の友達だし。それに何より、結に近づいてきた人間だもの、みんなマークしてるに決まってるじゃん」

「マークって……」

「知ってるよ……」彼の結ぶ小指に力が入る。「彼が結に気があることも、沖住にそそのかされて、弱っている結に近づこうとしたことも。今なんか、俺から結の隣を奪えてさぞご満悦なんじゃないか? まあ、そんなの一時期だけのサービスだけど」

「そんな……寺島くんはただ優しいだけだよ」

「優しい? 単なる優しさだけで先輩が落ち込んでることにここまで首突っ込むと思う? それも相手は生徒会なんだよ? 変に揉めたくなければ、近づかないでしょう普通。何のために噂流したと思ってんの。ほんと何様なのか……それとも、袋たたきにあうのを待ってるのか知らないけど。俺の彼女に手を出した不届きものっていうレッテルを貼ったら、すぐ潰せるよ? まだ一年だし、簡単にね」

「そんな! 潰すなんて」と私は冗談を笑い飛ばそうとしたけど、笑えないぐらい彼は真顔で言っていた。

「俺もそれだけ嫉妬してたの。結から連絡がおろそかになってきたあたりから絶対に可笑しいと思って学校もたまに覗きに行った。矢幡先輩からも弟経由で話を聞いた。いい度胸だなあと思うと同時にはらわたが煮えくり返ったね。人がいないところで、俺の結を、奪おうだなんて……!」

「千秋くん!」目の前で深い闇に落ちていきそうになる彼を沈めまいと、片方の手で彼の頬にそっと触れた。視線を合わせた千秋くんの目から、一滴涙が伝って私の指を濡らした。

「ああ……ごめん……抑えられなくて」千秋くんはとても苦しそうに言う。

「私こそ……」

「俺だってこんなに嫉妬深いんだ。前にも言ったかもしれないけど、本当は結を誰にも見せたくないぐらい、独り占めにしたいと思ってる。でも、そんなことしたら結がかわいそうだからできない。部活も頑張ってほしいし、応援してる。でも、こればっかりは、耐えられないんだ」

「うん」

「約束、してくれる?」

「わかった」私は仕方なく彼の願いにこたえた。「約束する」

「よかった、指切り、しよう」

 そういって私たちは唱えた。

 指切りげんまん、嘘ついたら針千本、のーます、指、きった……。

「ありがとう、結」そういって彼は優しく口づけた。「さて、ケーキを食べよう、ぬるくなっちゃうし」

「そうだね」

 それから他愛ない話をしながら、甘いケーキを食べた。濃厚なチョコレートケーキで、一切れで十分なほどねっとりした甘さだった。

 今は甘いものを食べているけれど、さっきの約束の通り、いつか本当に針千本、飲まされるような気がして、柔らかい感触を喉で確かめながら、私は彼からのお祝いのケーキを食べた。


 *


 あれから、私は千秋くんに言われた通りに寺島くんと部活以外で仲良くしないように気を付けている。ちょうど夏休みも終わりだったので、部活以外の時間は授業だから、わざわざ会うこともなくなった。夏休みの部活は、練習以外で後輩たちと話をする機会が多くて、その中で寺島くんを避けなくてはいけないのは、とても心苦しかった。

 寺島くんが嬉々として声をかけてきてくれると、どこかで千秋くんが見ているんじゃないかって、見えないはずの視線を探すような日々を送っている。 

 千秋くんの家に行った日以降、私の前の千秋くんに変化はない。前と同じように……むしろそれ以上に彼は王子様みたいに、私には甘すぎるぐらいに優しく接してくれるのだ。

 毎日朝は駅で待ち合わせをして、部活後は待っていてくれた彼と帰る。だから一瞬交わせた4人での下校なんて夢みたいな幻に思えてきていた。

 けれど、器用じゃない私は、部活中だけ仲良くというのが次第に難しく感じるようになった。部活外だけ避けていたのに、部活中も次第に避けるようになってしまった。声をかけられたら心苦しいから、合同練習以外は彼の目を忍んで人の来なさそうなところで自主練したり。あからさまに避けているのを私も自覚していたころ、綾音がそのことを指摘した。

「彼氏がいるのに、ちょっと浮ついてたかもって反省して」と苦し紛れに答えたけれど、綾音は鼻で笑って一蹴した。

「隠さないで」綾音は私から楽器を取り上げた。「わかってるつもりよ、太田が校門で待っていたあの日に何かがあったんだってことぐらい」

 私は何も言えないで黙っていた。千秋くんを悪者にしたいわけじゃない、これはただの嫉妬が招いたことで、そして私たちが平穏でいるために仕方ないということを、どう説明したらいいかわからなくて。

 私が口を一文字に結んでいると、大きなため息が聞こえた。そして冷たい声で彩音が「このクラリネット、折るわよ」と言い放つ。

「そ、そんな冗談きつい……」

「冗談じゃない。本気よ。今のあなたにクラリネットを吹く資格も、ましてやパートリーダーをする資格だってない」

「大げさだよ……」

「大げさじゃなかったら、部活中にわざと人目につかない所で練習するかな? パートリーダーって、たとえその時間が個人練習の時間だったとしても、みんなに目を配って調子を見て、コーチがいなくても順調であれば合わせてみたりして……って、そういうのが普通だったでしょ? どこいっちゃったの?」

「それは、そうだね……」

「それが私の知る長谷川先輩よ。後輩にたくさん慕われているけどちょっと不器用で、一生懸命な、ね」

 そういう言うと、綾音は私のことをのぞき込むようにかがんで言った。

「ねえ、教えて? 私じゃ心許ないだろうけど、一人で抱えているのを見逃せない」

「綾音……」気持ちを落ち着けるために、深く深呼吸をする。「私、どうしたらいいのかな」

 それから綾音に千秋くんと交わした約束のことを話した。そのせいで寺島くんを避けていることも合わせて。

 目も合わせず、どこか物憂げに聞いていた綾音は、話を聞いて頭を抱えた。

「それはどうしたらいいのかしらね。私にわかるのは、解決方法として絶対に間違ってるってことぐらい。あなたも、太田も」

「間違ってる?」

「そう」綾音は力強く言った。「前に、人をダメにする恋愛があるって言ったと思うけど、今の結たちはそれをひた進んでいる感じがする」

 ダメな恋、と言われて、喉に苦いものがせり上がってくる。

「恋って女の子をキレイにするっていうけど、強くするとも私は思ってるんだ。互いに弱い部分を支えあって、怖れないで新しい挑戦ができるようになるっていうのかな」

「支え合う、かあ」

 今の私たちを思い返してみても、お互いがお互いに離れないよう、必死に裾を引っ張りっているような気がする。引っ張り合って前に進めないようにしあっている。

「結は本当に本田のことが大好きだったし、今も大好きだと思うけど、よく思い返してみて」綾音が私の目を見つめて言う。

「結がなりたかったのは、そんな関係だったのかな」


 *


「本田、この後まだ時間ある?」結の彼氏の名前→本田✖太田〇

 この夏に行った部活判定の結果を一人でまとめていると、生徒会長から声がかかった。俺はちらと時計を確認してからニコリと笑って「いいですよ」と答える。

 今は午後四時。コンクールが終わっても息つく暇なく、秋の音楽祭を控えた吹奏楽部は、今でも終わる時間は六時を回る。俺は毎日生徒会の仕事を終えると、音楽室下の図書室に行って、宿題や予習を済ませながら結の部活が終わるのを待っている。

 少し古めの校舎は、音が壁を伝って聞こえてきて、図書室にいてもその様子が手にとるようにわかる。俺ともなると、誰がどんな風に動いて、話して、楽器を響かせているのか大体わかるし、結のこととなればなおさらだ。最近は離れたところで練習しているのか、最後にならないと戻ってこないのが寂しい。まあ、これも俺が結に「お願い」したせいだというのは分かっているけれど。寂しいと思うと同時に、どこかで優越感を感じているのも違いない。

 ともあれ、この仕事が済んでも結を迎えに行くまでまだ時間があるから大丈夫だと判断した。矢幡会長から声がかかるのは珍しいし、普通にビビっている。それは先輩だから、というよりも生徒会長だから、という理由が大きい。それほどにこの学校では生徒会は絶対なんだ。

 だって、各部活動の活動費を決める仕事を普通生徒会がするだろうか? それとなくらしい仕事をして、後は先生へ丸投げという学校だって多いだろう。そんな中できっちり判定シートを書きそれにのっとって部活動の部費から、果ては同好会から部活動への昇格、またはその逆も、生徒会の一言で済まされてしまう。

「初めての査定仕事はどう? 少しは慣れた?」

 俺の手が止まった頃を見計らって矢幡先輩が声をかけてきた。

「いいえ、でも先輩方のおかげで何とか形にはできそうです」

「またまた、謙遜すんなよ。本田が自分で基準を作って判断できることと、冷徹なその目を俺は買ってるんだから」

「そんな、恐れ多いです」さすがに会長、よく見ているな。

「でもなあ、ちょっと最近度が過ぎるというか、何かあったのか? いつもとげとげしい気がするけど」

「そう、でしょうか」

「そうだよ」矢幡会長が俺の前に座り頬杖をついた。「緑橋が特に心配してる。なんだか当たりがきついって怯えていたぞ」

 そりゃそうだ、いい気味――と思う気持ちを必死に隠す。「そうでしょうか。俺は、いつもと変わらず接しているつもりだったんですが、どういうところが怖かったのでしょう?」

「うーん、あいつが言うにはちょっとスキンシップしようとしただけでもすごい手を払われるとか、最近じゃ近づこうとしただけで目線が鋭くなる……だとかかな」

「それは緑橋先輩がスキンシップ激しいから……」

「はは、それは確かに言えてるかも。まあ、それがあいつの戦法っていうか、相手に障りなく踏み込めるのは、あいつの強みだからな」

「俺、彼女いるって言ったんですよ、でもやめてくれなくてちょっとウンザリしてて……」

「彼女――ああ、吹奏楽部の結さんか」

「はい」気安く下の名前を呼ぶなよ。「よく下の名前ご存知ですね、さすが会長?」

「んなわけあるかよ、お前が吹奏楽部のコンクールに視察に行ったときにやたら食いついてるからその印象しかないっていうか。それでもってお前わかりやすすぎ、そんなに結さんのこと好きなのか」

「えっ」指摘されたことと、また名前を呼ばれたことで俺はひどく動揺する。

「だって今もだけど、長谷川さんの下の名前呼ぶだけで、眉が小刻みに動くぜ? 自覚ないんだろうけど」会長は困ったように笑ってる。「そういや、生徒会が終わった後も学校に残って一緒に帰ってるんでしょ。偉いね、俺なんか絶対無理」

「そんなことないです、遅いから心配なだけで」

「嘘つけ、夏休みだって迎えに行ってたんだろ」

「え、何で知って」

「まあ、俺は生徒会長だしそのぐらいできて当たり前――と言いたいところだが、弟から聞いたんだよ」

「ああ弟さんも吹奏楽部でしたもんね」

 徐々に矢幡会長に腹の中を探られているような気がしてくる。懐に割り込んでくるのが緑橋先輩なら、無理に吐かせるでもなく、口からぬるぬると侵入し、内壁をなぞって中身を出すのが矢幡会長だ。

「そう、サックスをしてる」

「サックスといえば、沖住が先輩なのかな。なんか言ってます?」何とか話題をそらそうと試みる。

「ああ、すごく明るくて面白い先輩で、でもやるときは顔が変わるかっこいい先輩なんだって聞いてるよ。長谷川さんととても仲がよくて、上手い二人がアンサンブルをするとみんなが聞き惚れてしまうとも」

「そうですね、確かに二人は仲良しだ」妬いてしまうぐらいに、は。

「弟が言うには、どうも長谷川さんの後輩にあたる寺島くんが、長谷川さんに気があるそうじゃないか」

 プチン、と何かが切れる音がする。

「沖住先輩にチャンスだって言われて推したのに、最近避けられてるみたいだって言ってた」

 プチンプチン。音がするのは、矢幡会長がテグスをカットしているからだと気づく。不快だ。

「避け始めたのって、本田が迎えに来た日かららしいじゃん。なんかあったの?」

 ブチン、と音がなった。

「それって会長に関係ありますか?」

「ないけど……いや、あるのかも? 弟が聞いてみてくれって言っててさ」

 いつの間にか矢幡会長はハサミから手を離して頬杖をついていた。

「へえ、随分と弟思いなんですねえ」

 落ち着け、と思うのに声量が上がるのを抑えることができない。

「そんなことないよ、だって弟が言っていたのが本田のことだったから、気になったんだから」会長は困った顔で笑って見せるも、目が笑っていない。

「本田が迎えに来た時、炎天下の中で真っ白な顔して、死人みたいなのに、目だけは恨むように見てきたって、弟が怯えてたよ」

「死人みたいって、ひどいですね」

「ほんとだな。でも弟がその日、すごい形相で俺に言って聞かせたことだよ。俺も、知り合いが死人のようって言われたら嫌だし、気になるさ」

「それは……」

「もし寺島くんが原因なら教えてほしいって、寺島くんも今相当こたえてるらしくて――」

「そんなやつ、どうだっていいじゃないか!」勢いあまって俺は立ちあがった。

「どうだっていいとは言えないだろう。大事な部活仲間で、俺たちの後輩であることは変わらない」

「あいつは俺の結に近づいて隙あらば付け入ろうとした奴だ。俺がいるとわかっていながら、弱った結に近づいて!」

「彼女が弱っていたのは君のせいなんだろ? 本田」

「そうかもしれない、でもこれは俺と結の問題で、他の奴が立ち入る必要はないんだ!」

「何でだい? 寺島くんも彼氏がいると知りながら、後輩として先輩が心配になって、その想い故に声をかけたのかも」

「寺島、寺島、寺島って! 寺島の肩をなんで会長がもつ必要があるんだ! あいつは俺の結に近づいて結をたぶらかそうとした。正直それをそそのかした沖住にだって腹が立ってるのに! 俺の……俺の、結に」言葉が止まらない。イライラする、感情が止められない、涙が出そうだ。

「そもそも結が一人で抱えてしまった原因は俺にあって、さらに突き詰めれば緑橋先輩のせいで、俺だってずっと不安で仕方なかったんだ。緑橋先輩がいなければよかったのにって思ったくらいに」

「それは違うだろ。嫉妬することは誰にだってあると思うけど、それは互いに理解しあい、信頼関係を築いて解決すべきことなんじゃないか? そんなことじゃ、お前たちの周りに人がいなくなってしわないといけなくなる」

「俺たちは信頼している。俺も結を信頼してるし、結も俺を信頼してる。そこに邪魔さえなければ、平穏でいられるんだ」

「じゃあ、緑橋や寺島くんは邪魔、なんだな?」

「そうだ!」

 ――その時、生徒会室のドアが開いた。


 *


 呆然としていると、見かねた綾音が私の手を引いて立たせた。

「分からないときは聞くしかないね」

「聞くって?」

「本人によ」

 本人――というのは、千秋くんのことだろう。今の時間だと、たぶんまだ生徒会の最中だろうけど、邪魔するのは申し訳ない。

「そんな、今じゃなくたって」と、廊下へ引っ張っていく彩音を引き戻す。

「今じゃなかったらいついうつもり? 明日?」

「うんうん、明日、いう」

「嘘つき」綾音は小さく、でも鋭い声で言った。「私、太田のこととなると結は少し臆病になっちゃうの、気づいてるんだからね。どうせ、前に気まずくなった時だって、結局本人に聞けなかったんでしょ」

 図星なことを指摘されて言い淀んでしまう。つくづく、綾音は何でもお見通しなのだな……と痛感させられる。

「ごめん……」

「私に謝ったってしょうがないじゃない。炎天下の待ち人は、なかなかホラーものだったよ」

「うん」

「それに、その日から様子がおかしいなら余計に」

「うん」

「一人が難しいなら、私がついていく」

「でも、綾音の前でそんなこと言ってくれるかな? 千秋くん、わりと何でも隠さずに話してくれるけど、他の人の前だとよそよそしいっていうか……」

 これは最近気づいたことだ。私にいつも笑いかけてくれる彼は本当に優しい。心の底から愛してるって言われているような、そんな目で私を見てくれる。でも、その表情に見慣れている私からすると、いつもの千秋くんは、笑顔の仮面を張り付けたような、作り物の顔をしている。

「そんなの昔からわかってるわよ」綾音はさも当然のことのように、あっけらかんと言った。「あいつは入学した時からいつも作り物みたいだった。誰にも自分の真ん中は見せないでいる、みたいな。でも、今から行くのは相談とかじゃなくて、どちらかといえば事情聴取だからね。強気でいかなきゃ」

「そんなにわかりやすかった?」

「わっかりやすいわよ! 気づかなかったの?」綾音は私を指さした。「本田は入学してからずっと、結のことばっかりよ」

 私は顔が真っ赤になっていくのを感じた。全然気が付かなかったし、そんな自分が情けなかった。

「やだ、本当に気づいてなかったの?」綾音は伏せる私を覗き込む。「だれがどう見たって両思いだから、背中を押してあげたのよ」

「そっか……」

「やだなーもう。あなたたち、お互いが見えているようで、今も全然見えてないんじゃないの? 互いに考えていることが交錯してそう。そしたら私みたいなのが間に入って、取り持ってあげなきゃだめね」

「仲人さんみたい」

「近いことはした覚えがあります」

 部活に入った時から綾音にはいつも引っ張ってもらってばかりだった。私が先輩のことでうじうじ悩んでいた時も、手を引いて直接聞きに行ったっけ。話してみたら、全然なんともないことだった。

 私は考え過ぎて空回りしてしまう。綾音は考えるよりも足が動くタイプだから、たまに私が止めることはあっても、二の足を踏んでいる間に、綾音が前に突き進んで物事が解決する事も多い。

 今も私一人ではどう付き合っていけばいいのか悩んでしまうところだった。そしたら、また空回りして些細なことで悩んで、千秋くんに心配をかけてしまうのだろう。

「よし、行こう」と、私は言った。

「腹をくくったね」

「まだたったの二か月しか付き合ってないけど、いつも二人でばっかりで、それで誰にも相談できないことがいっぱいあった。だから、私は綾音にもちゃんと知ってもらいたいし、一緒にいてもらいたいって思う」

 どうだろう……と、私は投げかけた。

「そんなの当たり前じゃない」と、待つことなく綾音は言った。

「ここにキューピッドがいるのに、隠れてコソコソするから痛い目に遭うのよ」

「ハハア、それは申し訳ありませんでした」

「まあ、それは冗談だけど……そうねえ、誤解を生ませてしまったというか、ちょっと寺島くんのことでは余計なことしちゃったな、って思ってたから、仲直りには貢献させてくれたら嬉しい。よかったら、みんなで遊園地とか行こうよ。演奏会の後とかに。互いに顔が知れていれば、余計な心配もしなくていいじゃない?」

「遊園地! 賛成!」一緒に帰ることはあってもデートに行くことはなかったから、純粋にうれしい。それに、二人だと緊張して楽しめないかもしれなかったから、ちょうどいい。

「よし! それなら、即生徒会室だ!」と言って、私たちは走り出した。

 走るといっても、廊下は走っちゃいけないから、先生の目を気にしながら早歩きをした。

 気持ちが弾んでいる内に千秋くんに会いたかった。会って、ワクワクした気持ちでこれからのことを話したい。いろんな人を巻き込みながら、前を向いて堂々と手をつないで歩きたい。

 生徒会室が見えてきたところで、私たちは呼吸を整えた。まだ暑い空気がのどを焼きそう。近くにあった冷水機でのどを軽く潤して、呼吸も整えると、生徒会室に入った後、仕事の中の彼をどうやって連れてくるかの段取りを確認して、ドアに手をかけた。

 するとその時、千秋くんの怒鳴る声が聞こえた。

 それは今まで私が耳にしたことがないような、暴力的な強い声で、なんて言ったかさえ聞き取れず、扉の前で私は固まった。

 聞き取れなかったんじゃなくて、耳が拒絶したんだと思う。

 ――緑橋先輩がいなければよかったのに! って、彼は叫んでいた。

 私が固まっていると、後ろから綾音が手を伸ばしておもいきり生徒会室の扉を開いた。

 立ち尽くす私たちと、手を口で押えた矢幡生徒会長と、振り返って目を見開く千秋くん。

「沖住――に、結……」

「あの、今のってどういうことですか?」私が立ち尽くす中、綾音は矢幡会長に詰め寄った。「私の聞き間違えじゃなければ、今の会話、本田が周りの人間を排除しても構わないって聞こえました」

 矢幡先輩は綾音から目をそらした。何を言うか、考えているのだろうか。

 その視線が千秋くんに移る。千秋くんは何も言わぬまま、私を見つめている。その目は「どうしてここに?」と言いたげで、唇はわなわなと震えている。

 カチ、カチ、カチと、時計の音がする。

 静かな室内で、擦れた笑い声がどこからか聞こえた。

「……そうだよ、俺は、結さえいれば、いいんだ」

 彼は泣きそうな顔をしているように見えた。でも、それよりも、いつも張り付けていた仮面が脱ぎ捨てられたような、何も隠していない様子がうかがえた。

 彼は私を呼んで、手を伸ばしてきた。

 近づいてくるその手は、お化けみたいに恐ろしく思えた。

 この手に捕まっちゃいけない……私の中で、警鐘が鳴っている。全身から熱が奪われ、頭の中は波が引いたようにスッカラカンで、それでも私は後ずさった。

「結?」と聞かれて、ハッとすると、私は後も見ずにその場から走り出していた。


 *


 息も絶え絶えになって、私は今図書準備室の机の下に隠れている。

 私が駆けた後に、すぐ千秋くんや綾音が追いかけてくる音がした。すぐに追いつかれるかと思いきや、さっと理科室に入るとなぜか見失ったようで、私の名前を呼ぶ声が遠のくのを聞いて、その声を避けながら逃げてきた。

 膝を抱えていると、生徒会室での光景がフラッシュバックする。

 千秋くんの罵声、張り詰めた空気、諦めたような乾いた笑い、私を呼ぶ泣きそうな彼。

 でも、今の状態の千秋くんに会いたいとは思わないし、正直これからも彼に向き合っていけるかわからなかった。今の彼に触れたら、そのまま奈落に引きずり込まれてしまうような恐怖を感じた。

 誰にでも優しくて、生徒会役員として忙しい身でありながら余裕があって、いつだって親切で、カッコよかった千秋くんは、どこへ行っちゃったんだろう。

 ――いや、最初からそんな人はいなかったんだ。私はそれが、彼の仮面であることをなんとなしに知っていた。付き合う前は気が付かなかったかもしれないけど、付き合ってからは彼に二つの顔があるのを理解していた。

 私に向き合う彼と、他の人に向き合う彼との温度差に気が付いていた。

 それでも千秋くんはカッコいいままだった。だから私はヤキモチを焼いた。カッコいい彼がいつ他の人になびいてしまうかわからなくて、自分じゃつり合わないことが苦しくて。

 この先どうしたらいいんだろう。とりあえず綾音に連絡を取ろうか……でも、悲しいことにスマホはバックに入れて練習室に置いてきたままだ。

 練習室はこの上の階。みんなのところへ行けば、とりあえず大丈夫な気がする。

 机の下に隠れてから、何分経っただろう。隠れてからはここに近づいてくる足音も、声もなかったから、諦めて戻ったのかもしれない。

 私は意を決して机の下から這い出した。椅子に当たって、ガリガリと引きずる音が響いた。

 するとその時、ガラッと準備室の扉が開いた。

 私は、扉を開けた主と目が合って、椅子を引きずりながら後ずさった。

 ゆっくりと私に近づいてきているのに、距離はすぐに縮まった。彼はかがんで、私の腕を掴んだ。

「いや!」と叫んだ。叫んだし、その手を振りほどこうとした。でもびくともしなくて、私はそのまま彼の腕の中に抱きしめられた。

「離して!」精一杯の声を出した。誰かが気付いてくれるかもしれないと思って。

「落ち着いて、大丈夫だから」と、千秋くんはいつもと変わらぬ声で言った。

「大丈夫じゃない! 私は綾音のところへいく! 離して!」

「ダメ、行かせない」もがく私を抑えるように、さらにきつく千秋くんは抱きしめた。

 身じろいでも、びくともしない。このままじゃ本当に奈落に落ちてしまう、そんな危機感が全身を駆け巡る。

 私はボソッと「別れたい」と言った。

「今なんて言った?」という声は、まるで聞いたことのない声で、それが千秋くんの声だとわかるのにしばらくかかった。凍てついて、唸り声みたいな、低い声。

「ねえ、なんて言ったの?」言葉の端々に、引きつるような笑いが挟まる。

「『好き』って言ってくれたのは結だよね? 俺はずっと待ってた……結が俺を好きになってくれるのを。そのために、勉強だって運動だってなんでもうまくこなしたよ。カッコいいって言ってもらえるように。それから、生徒会にも入った。今後の二人に支障がないように。でも、その生徒会でまさかトラブルが起きるとは予想してなくて……結に辛い想いをさせたね」

 彼が話す言葉は真なのかもしれない、嘘をついたことは一度もなかったから。でも全然信じることができないのはなぜなのだろう。

「結……ねえ、何か言ってよ」抱きしめた腕が少し緩んで、私たちは向きあう。緩んでも、その手はガッシリと私の腕を掴んで離さない。

 私は何も言えないでいた。言葉が見つからなかった。とにかくここから出してほしい、でもそれを言ったらどうなるのかわからない。さらに離してもらえなくなるのが怖くて、頭の中でうまい言い訳を探してる。

「結?」いつも通りの優しい声を出す千秋くん。

「何かすごい考えているみたいだけど、言葉にしないと俺もわからないよ」そういうと、千秋くんは耳元に口を近づけて言う。「まあ、なんと言おうと、結と、結の気持ちを手放す気は一ミリもないけどね」

「そんなの私次第じゃない!」叫んだつもりが、全く声量は出ていなかった。かすれた声が宙に漂う。

「ねえ、教えてよ。それなら、結が好きだった俺って何だったの?」私の意思とは関係なく、がっちりと肩を掴まれ、近距離で頭をなでられる。

「教えてくれたら、その通りになってみせるから……結の好きな俺に。だから、もう少しだけ時間をちょうだい。もうこんな怖い思いさせない、結がいてくれれば、俺、なんにでもなれるから」

 私はどこかでもう、別れることを諦めてしまっていた。彼が元に戻ってくれるなら、理想に近づいてくれるなら、という希望を抱き始めていた。

 だから、綾音と話していた「理想」を話した。

 みんなと一緒に過ごせるカップルで、悩みも考えもなんでも話せて、みんなで遊園地だって楽しめる、開かれた関係を築いていきたい。

 私が途切れ途切れにそれを話すと、彼は考える様子もなく「分かった」と言った。

「本当に分かったの?」

「分かったよ。結は、俺と二人じゃなくて、みんなといっしょ、でいたかったんだね?」

「うん……まあ、二人のことも二人で考えすぎないで、みんなにも相談したらよかったんだなって気が付いたの。私たちだけじゃだめだ、って」

「分かった。じゃあ、これからは他の人も一緒に遊びに行ったりしよう。帰りだって、後輩たちも交えて構わないよ」

「え? いいの?」こうもあっさりと受け入れられると拍子抜けしてしまう。

 私が素っ頓狂な声を出すのを見て、クスリと笑うと、彼はまた微笑みという仮面をかぶって私の前にいた。

「いいよ。俺は、結が隣にいてくれるって約束してくれるなら何だっていいんだ」

 約束してくれる? と千秋くんが聞くので、私は頷いた。

 千秋くんは心の底から「良かった」と言って抱きしめた。催促されて、私も千秋くんを抱きしめ返した。

 離れて見つめ合うと、初夏の教室で向かい合った〈優しい顔の〉千秋くんがそこにはいた。

「結……仲直りに、キス、させて?」


 *


 あれから、結と太田は順調なように見える。

 二人の世界に拘っているようだったのに、結が走り出したあの日以来、二人は他の人を交えて行動することが多くなった。本当に、それまでとは全く正反対に。

 遊園地にも行った。どうなることかと思っていたけれど、寺島くんにも紳士的に接していたと思う。太田は絶対に結の手を離さなかったけど。

 それから、太田は秋に生徒会長になった。彼が生徒会長になって、結の名前が瞬く間に全校生徒に知れ渡ったことは言うまでもない。

 彼らの周りには人が絶えなくなったし、それはよかったと思うけれど、前よりも太田は結の傍にいることが多くなった。授業と部活以外は絶対に傍から離れない。ぴったりとくっついて、離れない。まるで、子どもが好きなぬいぐるみを手放さないそれと同じように、太田は結を手放そうとしないのだ。

 あと、目に見えてスキンシップが増えたかもしれない。基本的に太田が求めていて、結がいつも止めているけれど。傍から見れば微笑ましい熱々な光景なのかもしれない。けれど、彼らのことを知る私からすれば、それで結が良いのかどうかが気がかりなところ。

 結は太田のことを「理想の彼氏」としきりに言っていたっけなあ。

 私は心配なので、定期的に結に状況を聞くようにしているけど、基本的に太田がピッタリと寄り添っているので二人で話せる機会はそうない。必然的に部活中に話すことが多いのだけど、練習が中心なことに代わりはないからゆっくり話す機会はないし、心なしか結はそれを避けているように思う。

 前に話した日の翌日、結の首に絆創膏が貼ってあったのが気になった。

 この学校では結と太田は切っても切れない関係として知れ渡っている。彼らを邪魔しようとする人はきっといないだろう。

 ただ、どこか作り笑いしかしなくなった結のことが、私は気が気でならない。


ヤンデレ界隈では囲い込みされることが多いわけなんですが

そのためには社会人で養えるぐらいの稼ぎがあったり

高校生等の未成年では金持ちの歪んだお坊ちゃんであったり

そのあたりが王道かなあと思います。


そこであえて普通な高校生のヤンデレを書いてみました。難しかった。

ヤンデレの束縛方法として「傷」をつけることも多いと思うんですけど

まあ、私が目指すものはそちらではないので、じわじわくるものを目指したかった。


千秋くんは、純正培養ヤンデレ(なんだそれは)なので、生まれてこの方ヤンデレです。

だから最初から病んでいるわけなんですけど、別に親が金持ちでもない普通の高校生。

彼がやっとの思いで両思いになった彼女を縛り付けるまでの過程を考えてみました。


本当はこんな短編では足りないぐらい紆余曲折が必要だった気がします。

わりと千秋くんは一生懸命で好きなので、せいぜい幸せになってほしいと思う作者でした。


最後に、寺島くん、当て馬にしてごめんね。



それではまたどこかでお会いいたしましょう。

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