第一話:出会いは悪臭の後に
「……おい、見ろよあれ。あんなところで寝てる奴いるぞ」
「うっわ、マジじゃん。というかただの酔っぱらいじゃね?」
「あんまり、じろじろ見るなよ。変な因縁つけられたらたまらないからな」
繰り返し鼓膜を揺らす無数の足音と話し声。
それが、少しずつ俺の意識を覚醒させていく。
それに加え、鼻をつく嫌な臭い。
というか、生ゴミと吐瀉物の臭いがする。
体の周りには湿った生暖かい感触。
なんだか嫌な予感した俺は、一気に覚醒して飛び起きる。
そして、唖然とした。
「あの女! よりによってゴミ捨て場スタート地点にしやがった!!」
ちょっと、ほんのちょっと可愛いところがあると思った矢先にこれだよ。
これだから、ツンデレは!(ちょっとこれはツンデレ関係ない気もするが)
しかも、何だよこの服装。
まるでぼろきれのような焦げ茶色の衣服。余りにも酷い待遇に俺は涙が出そうになる。
しかし、これから始まる我が冒険譚に比べればこんなこと些細な問題だ!
前向きに行こう。
それにしても、重い。
湿った衣服がずっしりと体にのしかかってくる。
どうやら、チートというのは身体能力が上がるようなものではないようだ。
俺は無駄に重ね着状態になっていた上着を脱ぎ捨てる。
ここはどうせゴミ捨て場だから捨てたって誰にも文句は言われないだろう。
さてさて、それでは早速、貰ったチートでも使って無双でもしますかね!
某小説投稿サイトの流行に乗って!
時代は最強系主人公なり!
などと意気込んではみたものの、俺は自分の能力など知らない。
それに、ここはどこなんだ。
期待通りの西洋風ファンタジーの世界であることは間違いはなさそうだが。
周囲を見回すと、レンガ造りの建築物が立ち並んでいる。
遠くに見える高台には大きな城が立っているようだ。
なんにせよ、少しブラブラしてみるか。
俺は新しい人生を歩みだした。
――湿り気と悪臭とともに。
大通りに出る。
通りの両脇には露店が立ち並び、中央付近ではひっきりなしに馬のような動物が荷車を引かされている。見ると、通りの一方は城、もう一方は街の外へと通じているようだ。
先ほどから度々目に付く掲示板には地図が張られていた。それはどうやらこの町の地図であるようで、ざっとではあるが街の構造を把握することができた。街のどこにいても目に付く大きな城は中央に建築されており、そこを中心として四方に伸びる大通り。さらにはそれらの通りを繋ぐように同心円状に街路がつくられているようだ。
まさに計画的に作られた城下町ってところなのだろう。
正直、この街並みを見るだけでもしばらく時間を潰せそうだ。
本当に別の世界へと来てしまったのだと、少しずつ実感が湧いてくる。
しかし、それと同時に湧き上がってくるのは、自分はここで生きていかなければいけないのかという不安だった。知っている人もいない、お金も物もない、この世界についての知識もない。このままだと、世界を救う勇者になるどころか、そこら辺の道端で飢え死にするのがオチだ。最低限、生きていくための術を獲得しなければ。
一度現実的な思考に陥ったが最後、そこからは簡単に抜け出せそうにはなかった。
先ほどまでの旅行気分で浮かれていた自分を呪いたくなってきた。
こんな状況を抜け出すには、あの女神が自分に与えたというチートの内容を把握するしかないだろう。
そう思い立って、改めて自分の懐を物色してみる。
もしかしたら、このぼろきれ見たいな服のどこかに何か説明みたいなものが入っていたりしないだろうか。小説なんかだと大体神からの説明書きがあるものだろう。
期待を胸に、いくら確認してみても、それらしきものは見つからないかった。
これは、本当にやばいのでは。
焦燥感から体温が上昇したため、軽く腕をまくる。
すると、自分の前腕に痣のように『35』と数字が浮き出ていることに気が付く。
「何だ、これ」
しばらく数字を眺めていると、『34』に減る。
これは一体何を表しているのか。
考えてはみるものの、全く手掛かりがないのでどうしようもない。
とりあえず一旦保留するしかないか。
疑問を放置したものの、行く当ても特にはない。
とりあえず泊まる場所を確保したいがお金も持っていない俺は宿には泊まることはできないのだろう。
しかし、不幸中の幸い、この世界の文字は元の世界と同じなようだ。宿屋にはしっかりと『یادۆیا』という看板が掲げられていた。
何にしても文字が読めるというのはとても安心だ。
街の人たちの会話を盗み聞ぎしていたため、言葉を理解することができることも確認済みだ。一先ずコミュニケーションすら取れないという最悪の事態は避けられそうだった。
しかし、ここで一つの疑惑が脳裏によぎる。
もしかして、チートって、この「ほんやくコン〇ャク」のことじゃないよな。
だとしたら、本当に絶望的だぞ。
とりあえず、お金が必要だ。
仕事は探すにしても、まず数日間暮らすために最低限の金が必要だ。
その上で、仕事を探さないと。
この世界にも金貸しくらいはいるだろう。
街の人に聞いてみようか。
そう思って近くの人に声をかけようと思ったのだが、なぜか避けられる。
臭いからか、やっぱり臭いからなのか!
ちらと腕を見ると数字は『31』になっている。
これ、死へのカウントダウンだったりしないよな。
ま、まさかな……
後の俺はこのとき盛大なフラグを立てたことを呪った。
あれから、数時間が立った。
こちらに来た時には昇る途中だった太陽は既に沈みかけている。
この世界でも太陽と時間の関係は変わらないのか。
しかし、そんなことは今の俺にはどうでもよかった。
見知らぬ土地で暗くなることほど不安なこともないだろう。
しかも、無一文で泊まるところすら決まっていない。
疲労に空腹、さらには悪臭までもが俺を襲う。
日が落ちてくるにつれて地味に冷えてきたし、何だか泣けてきた。
というか、この街の人間、おかしい。
いや、俺が臭いのはわかる。臭いのは十分承知しております。
だけども、それにしてもだ!
数時間声をかけて一人たりとも話を聞いてくれないのはどういうことだよ!
女性に近づくと悲鳴を上げられるし。
犬みたいな動物には吠えられるし。
何か聖職者みたいな人に白い粉振りかけられるし。
臭い耐性低すぎないか。
こんなんじゃシュールストレミング一缶で街が壊滅するぞ。
それに加えて腕の数字のことだ。
結局何かわからないまま数が減っていき、遂に『11』にまでなっている。
本当に何なんだよ。怖いんだけど。
あっ、『10』になった。
「――ぅがっ」
その瞬間、心臓を締め付けられるような激痛が俺を襲った。
あまりの苦痛に一瞬思考が真っ白になり、地面に横たわる。
何とか痛みから意識を逸らせようと全身に力を籠めるが、無意味に終わる。
「……何、だよ、これ」
本当に、ふざけている。
あの女、俺で遊んでいるのか。
理不尽な理由で俺を殺して、チート付きで転生させるなんて嘘ついて、結局また殺すのかよ。
ふざけてやがる。
これだから、ツンデレは――
「――キミ、大丈夫?」
不意にかけられた声に、俺は何とか顔を上げる。
一人の少女がこちらを見つめている。
時が止まったかのように、苦しさを忘れ、俺は彼女を観察する。
肩に届くか届かないか程の青みがかった白髪は淡く光を帯びているように見えた。
こちらをのぞき込む緑の双眸に俺の心は射貫かれた。
――後になってから、確信した。
このとき既に、俺は彼女に惹かれていたのだと。