冬の散歩道
いつか、そのトンネルから抜け出せるよ。
降りしきるぼた雪が、重たげに山茶花の濃い緑の垣根に覆い被さる。
山茶花の赤が、ぽつぽつと灯り、いつもの散歩道を照らす。
それはまだ山茶花が固い蕾の頃、僕はしばらく仕事を休み静養するよう、医師に告げられた。
「え…。」
絶句する僕をちらりと一瞥すると、医師は皮肉な微笑を口元に浮かべ、
「焦ることが一番、障ります。ここはゆっくり休むことです。」
と言った。
「でも…家に居ても休まりません。何処にも居場所が、ないんです。」
と悲痛な声を絞り出した僕に、医師は、
「じゃあ、何処でも。あなたの気持ちが少しでも休まる処で、ね。」
と無下もなく言い放った。
家に居ても休まらない。
定年を迎えた厳格な父。体面を気にする母。始終、堀炬燵で微睡む年老いた祖母。
たまらず、僕は流浪の旅に出る。
毎日、小一時間の散歩道。
家から真っ直ぐ商店街を抜け、坂道を上り、小さな神社で手を合わせる。踏切を渡り、立て込んだ住宅街の中へ。
そして、いつもの山茶花の垣根の小道を通る。
毎日、毎日、お決まりのコース。
性懲りもなく、神社で手を合わす僕は、一体何を祈っているのだろうか。
仕事と家の往復。これと言って趣味もなく、強いて言えば、古い外国映画を毎週金曜の仕事帰りにレンタルし、自室でゆっくり鑑賞することが唯一の楽しみの僕。
ある日、映画を観るのが恐くなった。
画面に映る主演女優が、まるで無声映画のように、音もなく砂漠を上っていく。
その孤独な様が自分を象徴しているようで心底ぞっとした。
それからは、何を観ても自分の荒涼とした心象風景と重なり、数分と直視できず、気付けば、通勤電車の中でブツブツと独り言を呟き、職場では、上司、同僚、後輩、全ての人間が敵に見えた。
もちろん、家族も例外ではない。
僕は居場所を失った。
結果、飛び込んだ精神科で言い渡された、静養。
僕は、焦燥に駆られ、又、白い頓服薬をズボンのポケットから取り出そうとした。
「あ。」
取り出した白い錠剤がコロコロと道端を転がった。
急いで拾い上げようと腰を屈めた目の先に、赤い小さなズック靴。
小さなおかっぱ頭の女の子が、素早く錠剤をつまみ上げる。
「おくすり?」
大きな目をぱちぱちさせて、女の子は首をかしげる。
「ごめん。返して。」
あわてて手を突き出した僕に
「魔法のくすりね。」
と、女の子がいたずらっぽく微笑む。
「きっと良くなるわ。」
女の子は大人のように小声でつぶやくと、僕の手のひらに錠剤と何か赤い物をのせた。
「お・ま・じ・な・い。」
驚いて顔を上げると、そこにはいつもの山茶花の垣根。
手のひらに、大きな山茶花の花がぽっと光っていた。
サイモン&ガーファンクルの楽曲名「冬の散歩道」からインスパイアされた作品です。
「スカボロー・フェア」を聴きながら書き上げました。
苦しい気持ちを抱える全ての人へ。
ご一読ありがとうございました。
作者 石田 幸




