『マドリード戦記』 革命賊軍編 17 国境線1
『マドリード戦記』 革命賊軍編 17 国境線1
逃走するクレイド伯。彼はまだ部下を統率し逃走を続けていた。
その巧妙な逃走劇を揺るがす事件が勃発する。
その事件を、ついにガレット伯が嗅ぎつけた。
運命を左右する4月9日が、ついに始まる。
国境線 1
--------------------------------
4月9日を迎えた。
マドリード史上、最大の事件が待っている……。
大型飛行船戦艦<デオトラート>が朝陽を浴び煌々と光る。
木造の大型飛行船である。船底には飛行石が詰められ、鉄の装甲を身に纏っている。推進力はエルマエンジンの他帆による風力も利用する。高度は500mまで浮かび風に乗れば時速100キロは出る。その姿はまさに動く城砦だ。高速は出ないが樽のような形で搭乗人員は多く、対地用の砲台や爆弾をぶら下げている。この時代でもっとも多い飛行戦艦である。
この艦の主人こそ、クレイド=フォン=マクティナス元伯爵である。
今やクレイド軍は崩壊し、クレイドが握る人員は僅か1200。兵士以外の伯爵家使用人など含めた数である。兵力としては1000を少し超す程度でもはや軍というようなものではなく、武装した集団というべきだろう。完全武装したアリア軍には敵うべくもない。それどころか国防軍にすら負けるだろう。乗員たちも、マクティナス家私兵たちも、そして数人の軍指揮官たちも、自分たちの前途に明るい未来を見出せず上ってくる朝陽を不安げに見つめるだけだった。
だが唯一の例外はいる。当主クレイド=フォン=マクティナスだ。
この傍若無人で危機など我冠せず、この後も先もない状況の中クレイドはしっかり7時間睡眠し、朝飯も連れてきた料理人の手で作られたフルコースを優雅に平らげた。
機嫌も悪くない。朝食を食べ終わったクレイドは艦橋の司令官椅子に座ったが、特に何かするわけでなく、まるで平時の日常を過ごすが如く、音楽を聴きながら本を読んで過ごしている。
誰もが混乱と不安に苛まれていたが、クレイドにそれを質す人間はいなかった。
それだけの信頼はあった。というより、この連中にとってもはや頼るべきはこの軽薄才人のクレイドしかいないのだ。そのクレイドが慌てふためき見苦しく騒いでいれば、彼らはより安楽に不安を吐き出すことが出来ただろう。
だがクレイドは変わらなかった。その態度が、なんとか臣下たちの希望を繋ぎ、気持ちを辛うじて支えていた。この逆行の中颯爽と立つ姿を見せ崩壊を防ぐということは、軍人として得難い才能といえるかもしれない。
もっとも……もしこの時クレイドが考えている作戦を知れば、この一団とて大恐慌し大混乱に陥ったであろう。クレイドは臣下や部下たちの事など微塵も考えていなかった。
彼は、ただ自分のみの保全と自分の未来しか考えていない……才覚ある残酷な軽薄人なのだから……。
状況は大いに不利だが、それでもクレイドの計算通り動いている。
解散したクレイド軍……賊軍は、クレイドの忠告を素直に従い、自家の領地から飛行船と私財をかき集めるだけかき集め、国境に向けてバラバラで進発している最中だ。この卑劣で愚鈍な連中が、今アリア軍の追撃部隊に見つかり小規模戦闘を繰り広げている。これはクレイド伯が全て謀った事で計算の内だ。連中は知らず知らずの間にクレイドが逃走するための足止めを勝手にやってくれているのだ。無能無知な連中だが使い方次第では有益になる。
もっともこれだけのことを計画し実行に移しているクレイドも、全知全能ではない。
<鍵>が、静かに動いていた。
時間は僅かに遡る。
4月9日早朝……ガレット=フォン=マクギリス伯爵夫人は所有する飛行船<スプリトーズ>の一室で目を覚ました。
彼女も飛行船を持っている。飛行船は飛行石を使用した旧式のものだが、エンジンだけはエルマ粒子式の最新のものを取り付けている。<アインストック>や<ミカ・ルル>とは比べられないが、飛行石船の中では俊足といっていい。
軍用ではないから武装は一切ない。だが商用に使うため最速の船を持つのは商人としても政治家としても必要不可欠なものだ。このあたりの思考方法はヴァームとよく似ている。
目を覚まし、身だしなみを整えたガレットは、テーブルの上に置かれたメモを一瞥すると、部屋に置いてある炭酸白ワイン水を一口飲み喉を湿らすと、すぐに船の操舵室に向かった。
そこには執事のブラレスが黙って立って待っている。
「キシリア到着はいつ頃?」
「7時には到着予定です、お嬢様」
「もう少し寝ていてもよかったですね」
「アリア様から連絡が来ています。すでにアリア様の部隊がキリシアを掌握、支配下に置いたとのことです」
「さすが最新鋭の軍艦。我が<スプリトーズ>のほうが速くつくかと思っていたのだけど。手頃なら我が商会でも購入してもいいかもしれないわね。私の財産が没収されなかったら、だけど」
ガレット伯がコルベールの政庁を発ったのは昨夜22時。キシリア総督ティクス=フォン=マクレイヤ男爵出奔の報を聞くと同時に移動の決意をし、発った。アリアへの無線連絡はこの<スプリトーズ>から行われたものだ。出発はアリアに遅れること4時間だが、アリア軍は小戦闘などあって一途に向かえたわけではない。ガレットの計算では自分のほうが僅かに早くキシリアに辿り着き、かの地でアリアを出迎え驚いてもらおうと思っていた。しかし戦艦の移動速度というものは商用とは比べ物にならないらしい。
「色々状況を整理したいのだけど、いいかしら? ブラレス」
「何なりとお聞き下さい、お嬢様」
「そもそもティクス男爵は何をトチ狂って出奔なんて大それた事したの?」
ティクス総督が公金と商会の売上金の一部を強奪し、飛行船で逃走した……という情報をいち早く入手したのは、このブラレスだった。状況が状況だけにガレットは詳細を聞かず、ティクスの造反こそクレイド伯に繋がる手掛りと判断し、情報戦の目標をクレイドからティクスに変更した。クレイド伯はガレットの調査にも中々引っ掛らない切れ者で相手をするには些か難があり尻尾をつかむのは並大抵の事ではないが、ティクスのほうは遙かに容易だ。
が……細かい説明まではまだ聞いていない。ブラレスの言葉を全て信じただけだ。
ガレット伯は、アリアとの面会後すぐにキシリアのティクスに連絡を取りアリアへの恭順を説いた。素直に応じれば命の保証だけはすると確約してやった。ティクスはガレットの尽力に平身低頭で謝し大人しくしているはずだった。が、時間を逆算すると、ティクスはその後すぐ何かを仕出かし逃げたようだ。その異変がブラレスの情報網に引っ掛った。
「ティクス殿は、恐らくアリア様には許されないと判断しての凶行でしょう。根性のない男というものは時に考えられない馬鹿をするものです」
「公金横領や賄賂程度なら揉み消してあげたのに」
そのくらいの政治操作はガレットの得意とすることだ。公金横領といっても貴族評議会たちに比べればかわいい範囲だということも知っている。
「政治の問題ではなく私生活のほうの問題でして」
「奴隷娘たちと遊び散らすくらいなんてことないじゃない」
「何人も館に閉じ込め荒淫にふけておられたそうです」
むろん密かに、である。しかしブラレスは以前から知っていたようだ。聡明で分別あるとはいえ年若い妙齢のガレットが知ればきっと嫌悪し、政治活動に差し支えるという思いからこれまで黙っていた。
しかし、その点ガレットはブラレスが思っていたほど初心ではなかった。
「そういう考えが駄目なの。それはこれまでのマドリードでは合法。アリア様がマドリードを掌握した今は違法になるでしょうけど、そこは悔い改めればいいだけの話。心証は悪いでしょうけどそれを許すくらいの器量はアリア様にあるでしょう」
荒淫は男の性だ。しかし矯正できないものではないし、ティクス男爵はガレットの助けもありそこそこ大きな財産も持っている。逃亡すればその半分も持ち出すことは出来ない。
「……アリア様はお許しにならないかと……」
「何故?」
「その伽の奴隷娘たちは……皆……その、アリア様とご年齢が変わらない少女たちです」
「……う」それを聞いたガレットは露骨に顔を顰めた。さすがのガレットも生理的嫌悪が込み上げた。
いや、この時代女性は14歳から結婚は許されていた。アダや奴隷娘であれば罪には問われない。が……それも時と場合があるだろう。アリアだって生理的嫌悪を覚えるに決まっている。当然甘い裁断は下るまい。
もっとも……アリアの純粋さを逆手に取り好印象を与える方法はいくつかあるが、さすがにそんな知恵も度胸もなかったらしい。
「しかも悪い事に……アリア様が革命を成されたと聞き、慌てて少女を処分なされたようで……ティクス男爵は自らの首を自らお締めになられたようです」
「これだから男は駄目なのよ。で、肝心の事が抜けているようですが? どうして当家の情報網にそれがひっかかったの?」
「マクレイヤ家使用人の一人は我が商会の手の者でして……主人の狂気に異常を感じて、奴隷娘の一人を保護して商会に駆け込み、この事態を知る事となりました」
元々間者として送り込んだ使用人だ。この奴隷少女たちに対する荒淫こそ、ブラレスがティクス男爵に対し握っていた弱みで、いつか使える日がくるだろうと黙っていた。
この情報網が生きた。
「成程。そこでクレイド伯と繋がるわけね」
クレイド伯がティクス男爵に逃走に関するいくつかの助力を受けている事、どうやらガエル共和国との貿易ルートを利用している事などは調べてすぐ分かった。ガレッド伯が用意した輸送船もキシリアとクレイド軍の間で運用されていることも分かっている。ただし詳細まではこの短時間には分からなかった。
だが、それも今は手掛りがある。
ティクス男爵の逃亡ルートこそ、クレイド伯の逃走ルートであろう。
自滅しいち早く国外逃亡をしたいティクス男爵は、恐らくもっとも早く確実な手段を選ぶ。とすれば、今現在クレイド伯と合流することが一番いい手だ。クレイド伯だけは武力を持ち交戦能力を残しているからティクス男爵がそこにすがるのは当然の事だ。その程度の能力はあるはずだ。
これらはガレットの腹心でマクギリス家執事ブラレスの手腕だ。ガレットも彼に十分信頼している。彼の存在はアリアにとってのザールのようなものであろう。もっとも彼には軍事の才能はない。
「アリア様が貴族を見限るのも当然ね」
と、ガレットは自虐的に笑った。これからは家柄や身分は関係のない、新しいマドリードが生まれる。この新国家で貴族として名を残すことが出来るのはごく僅かな人間だけだろう。ガレットにとって旧時代でも上手に渡り地盤を築いている。アリアの新生国家は正直迷惑なのだが、アリアは能力を正等に評価する人間だ。同時にこの新国家の中でも生きぬく自信がある。
「今日は忙しくなりそうね」
「すでにアリア様はキシリアを発たれたようですが」
「ミネルバ騎士候が部隊を率いて待っている。ブラレス、相手は騎士候で私と歳も変わらぬ小娘の軍人ですが……ここはかの者の下風に立ち大人しく従う、それが方針よ。アリア様の代理ですし大人しい物知り顔の淑女のほうが、受けはいいから。それも政治よ」
阿諛を擦るときは擦る。それが政治家だ。
ガレットがアリアにだけ心を許していると思われるより、アリアの新政権と新勢力全てに従うという姿をみせるほうが好感を得られる事をガレットはよく分かっている。
その上で手駒としてミネルバの部隊を利用すればいい。
クレイド伯を見つければ、その功績はガレットに帰す。
「まさか私がこんなに愛国心が強いなんてね」
ガレット伯は苦笑した。元々マドリードに対して貴族特権だけを有り難く利用し、あとは独立独歩でやってきた。こんなに政権と密着することになるとは思ってもいなかった。
余談だが……ティクスの虐殺は後に『マクレイヤ男爵家虐殺事件』と呼ばれる。虐殺といっても奴隷娘を8人殺しただけで、当時こういう話はどこにでもあり特別残酷でも特別目新しいわけではなかったが、この事件は長く後世に伝えられた。
というのも生き残った12歳の奴隷の少女ミレイヤは、この事件が縁となり、後に女王となったアリアに侍女として仕える栄誉を受ける事になったからである。
彼女が選ばれたのは奴隷解放の象徴であり貴族主義の否定である政治的理由が一番だったが、ミレイヤはアリアが愛するに足りる聡明さをもち侍女の立場を超え秘書のような存在となった。
アリアは身の回りを世話する侍女を2人しか置かなかった奇妙な女王だったから、侍女ミレイヤの名は後世にまで語られる存在となる。……余談。
『マドリード戦記』 革命賊軍編 17 国境線1でした。
今回アリア様は出番なしです。
クレイド伯が出てきましたが、彼も重要ではないです。
重要なのは、ついにガレット伯がクレイド伯に辿り着く情報に接したということです。
これによってこれから一気に話は動きます。
追撃戦の攻略が動き出します。
ちなみに余談で触れたミレイヤですが、彼女も「マドリード戦記」の続編であり姉妹作の「蒼の伝説」にもアリア様と共に登場します。この少女の存在が「蒼の伝説」至上最大の疑惑の娘……となるのですが、それはまたいつか蒼伝でw 「マドリード戦記」ではただの侍女なのでとりあえず侍女だと覚えてもらえればいいです。
次回はアリア様が出てきますが、新キャラも出てきます。もちろんこの段階で登場するキャラなので重要キャラです。
ということでアリア様革命編の最後の見せ場追撃編に突入です。
これからも「マドリード戦記」を宜しくお願いします。




