『マドリード戦記』 王女革命編 5 内戦
「『マドリード戦記』 王女革命編 5 内戦」
ついに進軍を決めたアリア。そこに、アリアの演説を聞きアリア軍に参加を申し出た貴族とその私兵団が合流してきた。
それらを組み入れ、一気に兵力が増えたアリア軍。
しかし、攻略予定はマドリード国内最大の軍事基地、リィズナ要塞であった。
兵力差4000対3万……
アリア、初陣。アリアの軍事的才能がついに花開く……
内戦1
アリアがクロイス一帯を占領してから1カ月が経過しようとしている。
その間、貴族評議会は声明を出すでもなく軍事行動を起こすでもなく、ただひたすら沈黙……アリアたちを無視した。討伐軍を起こす動きは評議会でも出たが、クレイド伯が「時期ではない」とそれを不可とし傍観の立場をとったのでレミングハルトもそれに同調した。アリア軍がクロイスで立ち枯れするのを狙ったものだ。
……クレイドはより深慮だったが……今は語らず進む。
「予想外でしたな、アリア様」
「ええ。てっきりすぐに貴族評議会が動くと思っていたのだけど」
アリアやザールの計算では、10月中に貴族評議会は軍を動かすと見ていた。だが実際は放置され、今は11月19日だ。
クロイスは、景気が多少落ち込んでいるものの、治安や経済は安定している。
「相手が動かないのなら、こちらが動くしかないですね」
相手に合わせる道理はない。アリアは予定を切り替え、軍事行動を起こす事を決断した。
クロイスの政庁で、アリアが幹部を集めたのは19日の夜である。
ミタスも戻ってきていて、幹部全員が揃っていた。
集まったところで、アリアは即、次の方針を発表した。
「作戦の第一段階、決起と宣言は完了しました。本格的な軍事行動はこれから……もっとも困難な、敵主力部隊を撃破することです。まずその第一歩として、橋頭堡となる敵軍事基地を占領します。場所は……」
そういうと、アリアは卓上にマドリード地図を広げ、そして一点を指差した。
クロイスからシーマへ向かう場所の中間地点の、やや南に位置するマドリードの国内で最大の規模を誇る軍基地……リィズナである。
「リィズナ……ですか!?」
予想以上に大きな攻略目標に、クシャナは思わず立ち上がった。軍基地を襲う事がいかに大変かは、アリアより先に武力決起していたクシャナが一番判っている。リィズナはマドリードのほぼ中央に位置する貴族軍と国防軍共同の要塞化した基地で約2万人の兵士が駐屯している軍事拠点だ。
「このまま我々がシーマを攻めても、このリィズナから背後を襲われ挟撃されれば我々に勝算はない。リィズナは元々攻略予定の場所だ」
ザールが説明を加える。
「今のところ、リィズナに貴族軍の増援が入っているという情報はない。貴族軍もまさか我々がリィズナを攻略するとは思っていない。その虚を突き、攻めるのだ」
「これは元々の計画案からあったことです。このクロイスを戦場にするわけにはいきません。我々は前に進まなければならない。そして軍の拠点とするにはクロイスは不向きです」とアリア。クロイスは成程防衛には向いているが、都市であり戦場にすれば市民の被害は避けられない。精鋭とはいえ寡兵のアリア軍で大都市を本拠にするのはあまりに分が悪い。
「しかし兵力差が大きいですわ?」
「なので、我々もクロイスには最低限の守備兵を残し、全軍でかかります」
「…………」
「今度は私たちにも損害がでるでしょう。しかし、勝算はあります」
そうアリアは断言したが、不安はクシャナだけではなく他の幹部たちも同様に感じていた。当然だろう。アリア軍の総兵力は、当初の兵に加え、クロイスで加わった民兵、志願兵もあって、歩兵は約2500、アーマーは60機+オリジナルがヒュゼイン2機とクロイスで鹵獲した1機、そして戦艦<アインストック>。機動兵器はともかく、歩兵の数は1/10以下だ。
皆、アリアを信じていないわけではないが、考えれば本格的な戦争は、次のリィズナ攻略が最初になるのだ。
「大丈夫。勝ちます」
アリアがそういうと、不思議と彼らの中の不安も和らいでいく気がする。
もっとも、全く不安を抱いていない人物もいる。
「だいじょーぶ大丈夫♪ あたし一人で千人分なんだからさ♪」
そう気楽に体を伸ばし発言するナディア。彼女は本心から負けると思っていなかった。
「あたしとアリア様だけでもそんな基地潰しちゃえるよ♪」
「……ナディアさん」思わず嗜めるシュラゼン。だがナディアは笑って気にも留めない。
「心配しすぎ♪ 無謀なことアリア様がやらせるわけがないでしょ? あの悪知恵働くザールと我らのアリア様が作戦立てて、一騎当千のあたしたちが戦う! 負けるはずないじゃん♪ なぁーによぉ~ ミタスはそう思わない?」
ナディアはごく当たり前の持論として思ったままのことを言ったにすぎない。ナディアのアリアに対する心酔はほとんど宗教的だが、彼女自身に聡明さがありヘンに人を説得させる安心さがあって周りもおかしいとは感じない。むしろ感化されてしまう。
「俺は正直不安だが……」そう言いミタスは一笑した。
「成程、計算方法が違ったわけだ。俺たちが一人で千人相手し、アーマーが一機で200人相手するとすれば数は拮抗する。その上、俺たちには最新戦艦がある。そう考えれば負ける要素はないか」
と、ミタスも見事にナディアに感化されたような言葉を述べた。
理屈にはなっていないが、結論としてアリアと三人の一騎当千の猛者がそれぞれの理屈で勝算はある、と断言した。クシャナたちからも自然不安は消え、彼らも強気で部下たちの士気を上げることができそうだ。
仲間たちの様子を見てアリアはザールを目で促し、攻略作戦の説明を行った。
今回は野戦だ。主力はアーマーなので第一軍がまず先制し、その後第二軍が続くというのが基本作戦である。そこに細かい作戦を各隊長の仲間に伝え、疑問や質問などあればアリアがそれに答えた。作戦会議はそれで終わりである。前線の兵士たちの配備や戦闘は各隊長たちの裁量に任される。移動は全軍、戦艦<アインストック>で移動する。
クロイス出発は11月23日と定められたが、実際アリアたちが出発したのは25日のことだった。若干の変事が起きたのだ。
20日、突然クロイスに二隻の飛行艇と共に現れた。軍も住民も騒然となったが敵ではなかった。彼らはアリア軍に参加希望の貴族たちであった。ナムルサス公爵家、フォーレ
ス伯爵家、ウェールバルト伯爵家、そしてその三貴族家の私兵軍約2000人である。
アリア軍は突然現れた友軍に歓喜し士気は上がったが……アリアたち幹部は少しの戸惑いがあった。すでにリィズナ攻略の作戦は出来上がっていたからである。
「貴族たちの参加は予想していたけど、リィズナの戦況結果からかと思っていました」
政庁前広場に着陸しようとしている貴族私兵団を見つめアリアは、その後隣にいるミタスとナディアを見た。ザールとクシャナの二人は、まずアリアの代理として面談するため下に行っている。
アリアが困惑している理由は、作戦が出来上がっているということだけでないことはミタスもナディアも分かっていた。報告では三貴族家連合ですでに軍団として出来上がっているという事、参加貴族が意外に上級貴族であったことが問題だった。
上級貴族が参加する可能性を考えていないわけではないが、一歩扱いを間違えばアリアは民衆のための決起ではなく単に権力奪還のための革命と捉えられかねない。
現在のアリア軍には身分の上下はない。全て階級で仕切っている。だが、貴族軍の貴族たちにはその認識は薄いだろう。アリアは上級貴族だからといって特別扱いする気はなかった。何せ後にアダ制度を無くし、<貴族潰し>を行い、貴族特権を全て廃してしまうくらいだ。だが今はまだそういうわけにはいかない。
状況としては追い風だし、兵力はアリア軍にとってなんとも欲しかったモノだ。予想より遥かにアリアにとって有利になったことは間違いではない。しかし政治的問題は全体の戦略に響く大事である。扱いを間違えばアリアにとって最大の強みである民衆が離れてしまう危険がある。
「姫さんでも困ることがあるんだな」
傍でからかうミタスの声もあまり覇気がないのにアリアもナディアも思わずミタスを見た。兵力増加はミタスも賛成の意思を示しているのだが、ミタス個人としては罰の悪そうに苦笑している。アリアはミタスが元々貴族嫌いの英雄である事を思い出し、その事についてミタスの機嫌を取るよう色々戦略的有利を説明したが、そういうワケではないようだ。首を傾げるアリアとナディアに迫られ、ついに耐えられずミタスも話しだした。
「他はどうでもいいんだが、フォーレス伯の軍が……ちょっと、な」
「どしてよ? アンタ<ランファンの英雄>で、フォーレス伯のところで最後は決着させたんでしょ? 知り合いじゃないの?」
ミタスは苦笑しながら頷き、「そこなんだよ」とため息をついた。
「知っているだけに、面倒なのさ。クルーゼル=フォン=フォーレス伯爵は貴族にしておくには惜しい徳人で、俺も世話になった。有能な人だが、伯爵は高齢だ。おそらく、ユニティア様が軍を率いているだろう」
ユニティア=フォン=フォーレス伯爵令嬢……篤実家である当主クルーゼル=フォン=フォーレスの孫娘であり、ミタスとは一面識ある。
「え? ナニナニ? ミタスぅ~ アンタもしかしてその伯爵令嬢と……?」
「ナディア!!」
「美人で頭の良い有能な方だよ、ユニティア様は……ただし、完璧な貴族の令嬢様で、自己主張が強い。身分にも礼儀にも煩いお嬢様でね。悪い人ではないし優しい人ではあるが」
「ちょっとちょっとミタスゥ~ アンタおかしくない? なんでその伯爵令嬢様を話すときは敬語で、アリア様には普通に喋るのよ? 身分でいえばアリア様のほうがもっと上、雲の上の人だよぉ~」
明らかに不審げにミタスを見るナディア。そのナディアの指摘にまったく気付いていなかったらしく、聞いてから思わず酢を飲んだような顔をし、そして一笑した。
「そういうことだ。ユニティア様は まぁ……典型的な貴族令嬢様で、庶民の俺とは馬が合わない。つまりは姫さんとは正反対のタイプなんだ」
「どうせ私は令嬢ではありませんから」
と、めずらしくアリアは拗ねた。それを見て今度はナディアが大笑いする。
「まぁまぁ……そういう令嬢様相手はザールやクシャナがやったらいいじゃん♪ あたしたちは、あたしたち♪」
「そうもいかないの、ナディア。あれだけの兵力、貴族が三家も参加となれば本軍にも組み込まないと後々軋轢になる。下手したらただの烏合の軍になってしまう……統一した軍にするためには、私たちのルールの中に組み込まないと駄目なの」
「そうだな」
そのことはミタスも分かっている。ということは、自分の配下になるという事だ。
ナディアはいい。アダであるということは言わなければバレないし、彼女は親衛隊でありアーマー部隊の指揮官であり、エースだ。アーマーの操縦能力ではアリア以外に負けない自信があって身分のことは開き直っていて怖くない。事実マドリード屈指のアーマー乗りであることは誰もが認めるところだ。何せ王族直属機に乗るのを許された身分だ。
「どっちにしても俺の出番ではないな」とミタスは笑みをうかべたままアリアたちに背を向けた。
「姫さんに任せた」
そういいミタスは立ち去っていった。
政庁の一室に通された三貴族の代表はまずアリアと接見することとなった。
代表者はナムルサス公爵家から遣わされたレイトン=フォン=ローゼンス子爵、フォーレス伯爵家からは孫娘のユニティア=フォン=フォーレス、サザランド=フォン=ウェールバルト伯爵の三人だ。彼らはザール、クシャナからアリア軍の編制の事、軍事行動目的はすでに聞かされている。
「大陸連邦の組織体系を全面採用、とですか」とレイトン。
「へぇ……随分細かいのですね」とユニティア。
「そんなことより俺はどの階級にしてくれるのかね?」と言ったのはサザランドである。
ちなみに彼が34歳、ユニティアが18歳、レイトンが26歳で、サザランドだけは伯爵家当主本人ということで自然この三貴族の中で主導の立場をとっている。
「サザランド伯。改めて確認させていただくが、皆さんはアリア軍に軍人として参加されるのですね?」
とザールが慇懃に尋ねるとサザランドは大口あけて笑い、ドンと胸を叩いた。
「おうよ! そのために俺ぁ北マドリードの領地から東の果ての、このクロイスまで来たんだぜ? アリア様に忠誠を尽くすために!」
あまり上級貴族らしくない威勢の良さでサザランドは豪快に笑って答えた。他の二人は丁寧な口調でサザランドに同意した。
「そのために当家も飛行艇<プラーサム>を提供し、皆を引き連れてきました。ザール伯、我らの志を疑われますか?」と、レイトンは静かに答えた。今回、三家が移動用に使った飛行艇は二隻で、大型飛行艇<プラーサム>と中型飛行艇<ロ・ドルーゼ>だ。どちらも飛行石をメインとし、予備エンジンとしてエルマ式エンジンを一つだけ搭載した飛行石型の大鑑で、それにそれぞれ火砲を搭載し戦艦の形としている。エルマ式前面バリアーなどはなく飛行スピードも高速とはいえないが、この時代のクリト・エではこのタイプが一般的な戦艦である。
ザールは笑みを浮かべたまま、この中にいる筆頭のサザランドのほうを向いた。
「では、御三方はそれぞれ新マドリード軍の軍の編制に組み込まれることになる事を了承、でよろしいですね。ユニティア伯爵令嬢……伯爵令嬢も構わないのですか? 我々は戦争を行うのですよ?」
「子供扱いなさらないで下さい、ザナドゥ伯爵閣下。私はアリア様の崇高な意志に心打たれ、微力ながらも力をお貸しすることができれば我が伯爵家最高の名誉ですわ」
ユニティアは幼さが残る端麗な微笑みを浮かべ優雅に会釈した。年齢は18だが小柄で、年齢より若干幼く見える。
「ユニティア様はお若い。戦争経験はないでしょう? アリア様には政治をサポートする人員も必要ですが」
「それじゃあ目立たないじゃない♪ 私は武功を立てたいの! 煌びやかに着飾ってアリア様とお茶を楽しみたいわけじゃないの! 若いというけど……」フンとユニティアはクシャナをアゴで差し「クシャナさんも私とそう変わらないと思います。なのに部隊を率いて戦われるのでしょ? 14歳のアリア様が陣頭に立たれるのです、私が分不相応とは思えません。私は未成年ではないわ、自分のことは自分で選びますわ」
まるで舞踏会にでも出るかのように自らを売り込むユニティア。さらにサザランドが
「指揮官には知恵と経験をつんだ大人が必要だ。俺から見ればユニティア殿も、そちらのクシャナ殿もヒヨコだぜ? だけどこの心意気こそ好し……その分、大人がガッチリしねぇーとな。その意味でも、俺が参上したことはアリア様にとってプラスだったと思うぜ? ザナドゥ伯」
サザランドは豪快に笑い、ポンポンとユニティアとレイトンの肩を叩いた後、対面しているザールとクシャナの肩も叩いた。ザールは落ち着いた風貌と物腰から実年齢より歳は上に見られることが多く年齢不詳の落ち着きがあり、同じ伯爵家当主であり爵位も同じということでザールだけは大人の枠内らしい。確かに事実、アリア軍司令部の平均年齢は信じられない事だが、20歳前後なのである。
サザランドの言い分もユニティアの言い分にも、元貴族ではあるが大の貴族嫌いのクシャナは内心面白くなかったが、ザールが静かにクシャナを制し、そして改めて三人を見て宣言した。
「分かりました。私は皆さんの意志を確認しただけです。皆さんの御意志が軍人としてアリア様を支えるという強い覚悟が確認できた以上、何も申しません。アリア様もじきこちらに来られることでしょう」
と、慇懃に一礼した。三人とも、満足そうに頷いた。
ザールは顔を上げ、その後を続けた。
「では、私のことは以後、伯爵ではなく大佐という階級でお呼び下さい。軍に入る以上は、立場は全て関係なく軍での階級が身分の全てです。以上ご理解、お願いします。大佐という階級は先にお渡しした通り将軍ではありませんので軍務上においては<閣下>ではないのであしからず」
「…………」
三貴族はザールの言葉に僅かに当惑した。まだ大陸連邦式の軍制が理解できていない。
丁度そこにアリアが部屋に入ってきたので、ザールの言っていた軍制に関する疑問は忘れて彼らはアリアとの接見に気を引き締めた。当然だろう。アリア軍ではアリアは気軽に分け隔てなく接しているが、軍務を離れれば王位継承第一位の王女で本来は雲上人だ。
三人に対しアリアはまず馳せ参じてくれたことを謝し、ここに至るまでの労をいたわり、そして貴族評議会の非と、革命の趣旨などを演説した。それらを全て語った後、サザランドが代表してアリア自身の演説に対する感銘と忠誠を誓った。
そこでアリアは公式な対面は終わりとし、緊張を抜いて笑顔を見せた。
「皆さん、多くの兵士をお連れになっています。丁度私も出陣前のゆとりを兵たちに与えようと思っていたところでして……もしよければ、皆さんも慰安会に加わりませんか?
あ、慰安会といっても質素な食事とお酒で、野外で気兼ねなく宴を開く……その程度のものですが、いかがですか?」
「それは光栄です! 是非っ」と大きく頷くサザランド。
「私も構いませんわ。兵たちは喜ぶでしょう」と澄まして答えるユニティア。
……ただ自分はもう少し華やかな会を幹部や貴族の方たちで……と、ユニティアは思ったと思われるが、そこは礼儀として言葉にはしなかった。
レイトンのみがやや頭を捻り
「光栄でございますが、我々の兵は合わせて2000人です。急にこれだけの人数がふえて大丈夫なのですか?」と当然の疑問を投げた。
だがアリアは「大丈夫です。ご安心下さい」と笑顔で答え、「宴は18時より政庁前の広場にて行います。兵士の方は都合の許す限りご参加下さい。私の兵士たちとうまく打ち解けあってくれれば嬉しいです」と、笑顔で説明した。
その後、アリアは「兵士の方々の処遇はザール大佐から改めて聞いて下さい」と事務的なことを言ったあと……思い出したようにそれぞれの前に立ち、「宴の前に……できれば個人個人、色々お話の機会を下さい。私も御三方、それぞれについて色々知りたいですから」と笑顔で告げ、深く一礼し一先ずその場を去った。面白いことにサザランド他三人とも、アリアが現れた瞬間からアリアの存在に飲まれ、ほとんど現状に関しての質問らしいことは言えなかった。アリアはまさに天性の人蕩し、<人望家>であろう。
ザールも、この雰囲気を上手く利用した。厄介な軍制についての発表は翌日にする、と説明し、後はクシャナと二人で雑談の輪に三人を入れ、時を過ごした。
アリアとの個人面談は、まずユニティアからで、その後がサザランド、レイトン……となった。
アリアは、後世「アリアの人蕩しり名人芸」と畏敬と感動を込めて讃えられるだけあって、個人面談に際して個々人に沿った機微を利かせている。
ザールとクシャナの二人に雑談を当たらせて各々の性格や趣向を知った。ユニティアに関してはミタスから大体の人間性を聞いている。そして報告を受けてすぐにそれぞれの性格に合ったセッティングを決めた。それぞれ、持て成し方が違い、ちょっとした工夫も込められていた。
ユニティアとは、政庁ではなく、近くのホテルの最上階スイートルームで行われた。部屋は花で飾られ、お茶と菓子を用意させた。ただし、案内は軍服のクシャナを当てた。
迎え入れられたユニティアは、待っていたアリアに伯爵令嬢として完璧な挨拶を行い、席についた。そしてクシャナは退室し、二人きりとなる。アリアは珍しく軍服ではなく、非常に珍しい事に、シンプルだが歳相応の少女らしいドレスを着ていた。
相当緊張していたユニティアの手を、アリアは温かくて無邪気な笑みを浮かべ、気軽に手を取った。
「ユニティアさん、とお呼びして構いませんか?」
「もったいなきお言葉ですアリア様。そのように親愛を示していただき、このユニティア、身に余る光栄ですわ。実はアリア様とわたくし、これが初対面ではないのご存知ですか?」
「本当ですか?」
それはアリアも初耳だった。
だが当然のことで、二人が会ったのは貴族評議会にアミル王が拉致される半年前の貴族晩餐会の席で、その時フォーレス伯爵家令嬢としてユニティアも参加し、当時7歳のアリアと会っている。さすがのアリアも7歳の頃の記憶までは自信がない。ただユニティアの顔に覚えがなくても、貴族晩餐会で出会っていただろう事は予想がついた。
「晩餐会の時ですね。……すみません、失礼しました」
「仕方がありませんわ♪ アリア様は確かまだ7歳のころですもの。私も11歳、それからお互い成長しましたから」
二人は和やかに談笑した。アリアがここまで歳相応の少女らしさを持って他人と話をしているなど、彼女の全人生でごく数回しかない。
「ここまで大変ではなかったですか? 軍艦を率いて色々お疲れではないですか? 今夜はこのお部屋を使ってゆっくり疲れを癒してください。バスルームも広いみたいですから、ゆっくりくつろげますよ」
「そ……そんな、もったいないお言葉。この部屋はアリア様のお部屋では?」
「いえ。私は政庁で仕事もありますので、政庁の一室を使っています。警備の関係もありますから」
「アリア様と同じで私は構いませんわ。私はこのようにお茶を楽しみにきたワケではありません。アリア様の正義の実現のため微力なりとも力になるため馳せ参じたのですから」
ユニティアはあくまでアリアには礼儀正しく忠誠心も高く言葉も丁寧で、真心も籠もっている。ミタスが言ったとおり、良くも悪くも貴族の令嬢なのだ。戦闘能力は、ミタスの話では護身術として短剣術が多少使えること、作戦通り兵士を指揮する能力はあるということだ。ただしミタス曰く「偏見なしで、クシャナの半分の半分くらいかな」と評している。クシャナの半分の半分……というが、それでも普通の軍人以上の能力である。ユニティアはただ着飾っただけの貴族のお嬢様というわけではない。彼女自身優秀な知能と判断力を持ち、度胸もあり、かつ貴族魂……という言葉が正しいかどうかわからないが、強い忠誠心と責任感は持ち合わせている。
「光栄です。私には、多くの人が私を助けてくれています。ユニティアさんが、姉のように私を支えてくれるのならこれほど心強い事はありません」
「任せて下さい、アリア様」
「ただ、軍に入るのは大変です」
そうアリアは少し表情を引き締めた。
「今のマドリードの体制は古いのです。普通に戦ったのでは烏合の衆になります。聡明なユニティアさんなら、お分かりになられると思います」
「も……もちろん……今の堕落した体制ではいけませんわね」
ユニティアはなんとなく答えた。アリアの言葉の真意が正直完全にはわからなかったが、それを口にするのは彼女のプライドが許さなかった。それに、現在のマドリードの貴族制度や政府の制度が国にとっても民にとっても貴族にとってもおかしいことはユニティアも分かっている。
「ありがとうございます。一緒に頑張りましょう」
そうアリアが明るく優しく笑みを浮かべ、ぎゅっとユニティアの手を握った。その瞬間、ユニティアは上気し、これによって彼女の正義感とロマンチシズムは大いに刺激され舞い上がってしまい、連れてきた兵士の扱いなど重要な話をアリアから聞かされたが、頷くばかりだった。
次はサザランドの番で、彼は政庁の一室で対面が行われた。時間は18時30分からで、眼下の政庁広場では、宴が始まっていた。宴はアリア軍で都市警備兵を除いた約1800名、そして三貴族の2000名、さらに政庁事務員や非番の警察官、そして、市民にも食事とワイン一杯が振舞われるということで、ざっと1万人ほどが集まっていた。お酒は全てワイン、食事はクロイスのいくつかのレストランに依頼して祭り用の野外料理を何種類か作っている。サザランドはまずその風景を待つ間に見、楽しそうに感嘆した。
出発前の景気づけ、仲間内の宴と聞いてそう思っていたが、実際は市民一同合同の祭りなのだ。所々で歌を歌っている者たちもいるらしい。始まって30分だが酷く賑やかだ。
「成程。そりゃあ2000人程度増えてもなんともないわけだな」
こういう祭りは豪快なサザランドの好むところで、領内でも年に二度ほど領民たちを集め祭りを行っているが、最近ではその規模も小さくせざるえなくなっていた。経済的理由からだ。
サザランドが窓の外に関心を示している時、アリアが軍服姿で訪問してきた。サザランドはそれに気付き向き直ったが、アリア自身は軽く会釈した後、サクサクとサザランドの横までやってきて同じように窓の外を見下ろした。
「皆、楽しんでいただけていますかね?」
「あ……はい。こんな盛大な宴は久しぶりに見ました。旨そうに食べてますな」
「サザランド殿もこのあとあちらで楽しまれますか? 粗雑な宴で華やかさはないですが、ワインはアルファトロスから買い入れたもので質は悪くないし、料理はこのクロイスの方々の名物料理でシーフードがすごく美味しい」
「ほう、シーフードが旨いのはいいですな。ワインが進みそうだ」
サザランドは山の多い北マドリードの出身で、海の幸に恵まれていない。そしてワインは彼の好物だった。
アリアはサザランドが宴に好印象を持ってくれたことに微笑みで満足を示し、話し合うためテーブルのほうに促した。サザランドも気分よく移動し、ソファーに深く腰掛けた。それを確認し、アリアもソファーに座り、手を叩いた。するとクシャナが一本のボトルとグラスワインを手に入室し、アリアにワインを、サザランドの前にはグラスを置き、ボトルをあけ琥珀色の果実蒸留酒を注いだ。カザンという名前の高級酒だ。
「部下の方から聞きました。お酒はお好きという事で、お口にあえばよいですが」
「いやぁ……恐縮です! ほう、カザンとは……久しぶりだ」
「遠慮なさらずどうぞ」
「はっ……では……」
そう答えるとサザランドはグイッと一気にカザンを煽った。喉の中に果実の甘みとアルコールの爽快感が駆け抜けていく。
「旨い」
「気に入ってもらえてよかったです。どうぞそのボトルは差し上げます、サザランド殿の寝酒にでもして下さい」
「ふむ、至れり尽くせりですな」
サザランドは満足そうに頷いた。
と、それまで絶えず微笑んでいたアリアの表情が、ほんの僅かだけ引き締まった。
「私はせいぜい甘いワインを舐める程度でお酒の価値はあまりわかりませんがカザンは結構値が張る、稀少なお酒だと聞いています」
「ふむ? 確かにそうですな。俺もここ数年、飲んでおりません」
「どこで手に入れたと思います?」
「どこです?」
「このクロイスで。酒屋ではありません、バハム公爵の政庁執務室で見つけました。8本ありました」
「ほう」
「バハム公爵は他にも色々……宝石、現金、お酒、美術品……それに市民から強引に借り上げた借金の覚書など沢山……困ったものです」
そう呟き、アリアは真剣な表情でサザランドを見つめた。
「市民が私を受け入れてくれたのは……バハム公爵他貴族評議会に対して、クロイスの人たちの失望と反感が強かったからだと思います。もう、クロイス……いいえ、国内全体がそうなのです」
「ふむ」
「だから、私は戦う道を選びました。だけど今回、サザランド殿や他お二人を見て、この国もまだ捨てたものではない、と希望がもてました」
「それは?」
アリアは嬉しそうに笑みを浮かべ答えた。
「領民の私兵団の方々は、サザランド殿たちを慕うが故今回国のために起たれたわけではないですか。それはサザランド殿たちが、私同様、領民を思いやり正しい正義を行う人であるから、と私は思うのです。だからこそ兵はついてくるのだと」
「そ……そういっていただけると……なんと答えて言いか分かりませんな」
アリアを前では、食わせ者と呼ばれるサザランドも苦笑せざるを得ない。
サザランド……無頼の感があるが、伯爵として領民のことや国のことを憂う心と、正義感は人一倍強い。が、貴族評議会の前にどうすることもできず領地で鬱屈した生活を送っていた男だ。彼がアリア軍に参加を決めたのはその鬱屈を払い、正義を取り戻し、さらに自分自身の能力の限界を試したいという男らしい気分からだ。そのサザランドの男気を数分の対話でアリアは理解した。こういう男はロマンと現実を織り交ぜ当たるのがいい。サザランドも、アリアが只の御姫様でないと知るだろう。
その後アリアはサザランドの私兵団の内容を聞き、今後はアリア傘下となる以上、分け隔てなく<アリア軍>として編制に組むこみ旨を伝えた。それに対しサザランドは数人の長年仕えた馴染の腕自慢の部下の名前を挙げ、それらの人間は自分に配置してほしい旨を伝えた。アリアはそれを享けた。そして両者の面談は終わり、サザランドは宴に参加する事を宣言し、退室していった。
レイトンとの面談は20時00分で、宴がほぼ終わりつつある時間だった。
当然レイトンも宴に参加していた。もっとも、サザランドのように楽しむでなく、ユニティアのようにくつろいでいたわけでもない。彼はじっと観察していた。
20時ということだったが、アリアは少し遅れていた。
だがその理由もレイトンはすでに察しがついている。
アリアは宴のいたるところに顔を出し、直接兵士たちと会話を交し、小隊長格の者たちとは必ず挨拶をしていた。自軍だけでなく、三貴族の率いてきた小隊長たちにもだ。時々、ミタスやナディアが傍についたが、驚くべきことに一人の時もあった。
……ザナドゥ伯爵の傀儡というわけではないようですね……。
実はレイトン、そしてナムルサス公爵は、アリアを操っているのはザール=フォン=ザナドゥ伯だと思っていてザールを全ての元凶と見ていた。あの演説のアリアには確かに衆目を集め人の心を打つ威厳と強さがあったが、何せ未だ齢14歳の少女なのだ。演説の時アリアの後ろにザナドゥ伯爵の姿を見た大貴族のほとんどは、ザナドゥ伯爵の傀儡である王女……という図式を想像した。実はサザランドもレイトンもそう思っていた。が、その認識は間違っているようだ。
この数時間の観察で、ほぼレイトンはそのことを確信した。間違いなくこの軍を率いているのはアリア本人だ。
……それにもう民衆の心を掴んでいる……。
アリアは市民にも無償で食事を振る舞っていたが、むしろ市民たちのほうが色々な食べ物、酒などを手に持ち差し入れてきた。無償で200人前の料理を持参したレストランもあった。彼らに対しアリアはほとんど自ら対応し、感謝と歓迎で市民たちに応じていた。もはや完全にこのクロイスはアリアの領土だ。
……しかもこの宴の資金はアリア様の懐から出ている……。
軍を動かす経費に比べれば大したことはないだろうが、それでも20万マルスはかかっただろう。アリア軍はバハム公爵の財産に関しては接収したが、クロイス市の予算には手をつけていない。ということはどれほど軍事費を確保しているのか……。
……この決起は暴走ではない。周到に計算の上、ということですか……。
そう判断するしかないだろう。
14歳の少女が……と思うと驚くより呆然たる思いが強い。国の情勢や準備期間を考えれば、少なくともアリアは何年の前から、これだけの計算を立てていたことになる。周りが優秀だとしても、物事の決定権は彼女が握っている事は間違いない。
と、そこに17分後れでアリアが部屋に現れた。この時も服装は軍服だ。
「レイトン殿。後れて大変申し訳ございません」
「いえ、アリア様。多忙な中大変でございましょう。お気になさらずに」
「すみません。そういっていただけると助かります」
アリアが一礼して座った時タイミングを計ったようにお茶を運んできたのは、なんとザールだった。レイトンはザールが来たことに少し驚きを見せたが、質問する間もなく、ザールはお茶を置き、そして懐から書面を一枚取り出しアリアに渡し、ほとんど無言で退室していった。
最初に口火を切ったのはアリアだった。
「実は心配しているのです。ナムルサス公はどうなっているのですか?」
レイトンは貴族評議会員の一人であるナムルサス公爵の代理として今回参加している。 アリアが気にしたのはそこだった。サザランド伯やフォーレス伯は評議会員ではなくユニティアはフォーレス家血縁者だ。だがナムルサス公爵とレイトンとは一応一族の者だが、独自の子爵位を得ている独立貴族で、立場がやや異なる。
「ナムルサス公は現在シーマにおられます。形としては、あくまで僕の独断ということになっていますから」
「成程」
「ナムルサス公はレミンドハルト候の独裁やアミル王への処遇に納得されていたわけではありません。これまではどうすることもできませんでしたが、アリア様が起たれたと知り、今こそ正道に戻る切欠だと判断され、僕の派遣を決められたのです。なので、公爵閣下の意を汲んで頂ける様お願い申し上げます」
「了解しました。このアリア、ナムルサス公爵殿の件、確約いたしましょう」
そう答え、アリアはお茶に口をつけた。甘い匂いが広がる。
「実は……これは後日発表するものですが、どうやらザール大佐はもう編制を終えたようなので、まず、レイトン殿にはそれをお知らせしようかと思います」
そういうとアリアは先ほどザールがもってきた書面を広げた。
「今回皆さんの参加の意志を確認しました。ザールが説明したと思いますが、我々はこの後すぐ、軍を前進させる予定です。その編制と役職を決めたところです」
「早いですね」
「色々考え調整をとってみました。説明したとおり、この階級の名称、その立場や権限は大陸連邦軍のものを基本としています。軍はあくまで一本化し、一兵士にいたるまで階級によって統制していきます」
「異論はありません」
「実は……レイトン殿を最後に面談をセッティングしたのは、最初にこの編制を見せたかったからなんです。レイトン殿には重要な役職をお願いしようと思っています」
「僕、ですか?」
「ご覧下さい」
そういうとアリアは書面をレイトンに手渡した。レイトンはそれを一読し、思わず目を見開いた。
総司令官 アリア=フォン=マドリード 中将
戦艦部隊指揮官 レイトン=フォン=ローゼンス大尉(一戦後少佐昇進含む)
親衛隊隊長兼第一軍大隊長 ナディア=カーティス大佐
第一軍第一分隊指揮官 ミーノス=サムン大尉
第二軍大隊長司令 トジーユン=ミタス 大佐
第二軍参謀長 ユニティア=フォン=フォートレス大尉
第二軍副司令兼分隊指揮官 クシャナ=フォン=レーデル少佐(一戦後中佐昇進含む)
第三軍大隊司令 ザール=フォン=ザナドゥ大佐
第三軍副司令兼分隊指揮官 サザランド=フォン=ウェールバルト少佐
第三軍分隊指揮官 シュラザン=ムードン 少佐
クロイス代理長官 グドヴァンス=サードル 中佐
見事な編制だった。三貴族はそれぞれアリア軍と混同され、バランスもよく階級も配分されている。通常指揮官は貴族が占めるというのがマドリード……いや、クリト・エの方法で、アリアは最初に「身分の差は基本考慮せず能力によって軍制に組み込む」と言ったとおり配置しているが、サザランド、ユニティア、レイトンが不満を起さないよう、レイトンにはアリアが、ユニティアにはクシャナが、サザランドにはザール……という具合に貴族には貴族の押さえも置いている。
「レイトン殿は特別な役職をお願いしようと思っています」
アリアはお茶を置き、少し真面目にレイトンを見た。最初レントンは分からなかったが、すぐに意味が分かり絶句した。
レイトンは、アリア直営の第一軍所属で、立場は第三位である。
だが、彼が指揮するのは、戦艦の艦隊なのだ。これにはアリア軍虎の子の<アインストック>も含まれる。現在のアリア軍のみならずクリト・エにおける最新最強戦艦である。他三貴族が乗ってきた二隻、合わせて三隻の艦隊になるが、戦闘力は<アインストック>一艦で並みの船隊10隻に匹敵するだろう。この艦隊はアリア軍内で最強の破壊力を持つ。
「アリア様があの最新鋭戦艦にのって総指揮を取られるのではないのですか?」
「いいえ。私は<ヒュゼイン>で地上部隊第一軍を指揮します。むろん事前に戦略作戦案は指示しますが、その範囲内でレイトン殿に戦艦部隊の指揮をとってもらおうと思います」
「は……はい」
レイトンがこの地位になったのは、三貴族の所有する二隻の飛行船を指揮してきた手腕を買われての事だ。彼自身、飛行船操縦ができるという話だ。
「<アインストック>の性能については、艦長のプレシード大尉に聞けば大丈夫かと思います。聞けばレイトン殿は、二隻の戦艦の指揮をしてここまで率いてこられたと聞きました。私たちも戦艦部隊の指揮官の人材に困っていたところです」
「いや……しかし……本気ですか?」
さすがのレイトンも言葉に詰まった。動悸が乱れ、冷たい汗が背中をぬらした。
アリア軍が、まだ噂でしか聞いたことのない純エルマ式最新鋭大型戦艦を所有している、ということに驚いていたところだが、それをこともあろうか重要な初戦に、突然現れた助っ人のレイトンに指揮させるという。この一隻で10の戦艦、一万の兵力に値するだろう。
アリアが自分をここまで信頼してくれるという光栄さが心を響いた、ということもある。
だが実際のところ、彼の絶句は別にあった。
彼はスパイなのだ。
ナムルサム公爵からしてアリア軍に賛同したのではない。ナムルサス公爵はクレイド伯爵に言い含められアリア軍への間諜としてレイトンを送り込んだのだ。このことはナムルサスとレイトンしか知らない。
が、ここに来て早々ザールと接するうち、どうも怪しまれていることは察した。いや、怪しいと疑われるのは当然だ。アリアもおそらく疑っているだろう。だがそんな素振りも見せず、アリアたちが打って来た手は、アリア軍の虎の子を預けるということだ。
レイトンの背中は冷え切っている。
思わず、レイトンは苦笑し、思いもかけない質問が滑り出た。
「アリア様。……大変有難いことですが……もし、僕が貴族評議会のスパイだったらどうするのですか? あの最新鋭戦艦は盗られてしまいますよ?」
レイトンは笑みを浮かべあくまで冗談を装いつつ、聞いてみた。この発言自体、アリアレベルの洞察者からみれば自白に等しいのだがレイトンは分かっていない。
「その時はどうなされるのですか?」
……なぜこんな質問をする……!?
とレイトンは自問するが分からない。
アリアは……即答するかと思ったが、即答せず、これまで威厳ある表情から一変して普通の少女の顔になり、「うーん」と考え込み始めた。
その態度に、レイトンのほうが困惑した。
「ア……アリア様?」
「それは……困りますね」
「そりゃあお困りになるでしょう。……その時はどうされるのですか?」
「困ります」
「ええっと……困るだけですか?」
レイトンがそういうと、アリアは頭を捻りながらあっさり頷いた。
「困っちゃいます。お手上げです。私はそうなっちゃうと道化ですね」
と、まるで他人事のようにアリアは言った。それにはレイトンも言葉がない。
アリアは優しい笑顔を浮かべた。
「レイトン殿を信じています」
「…………」
「レイトン殿は、私たちにとって重要な方です」
……この姫様は全てお見通しか……?
……だとしても、なんという手を打つんだ、この姫様は……。
アリアの意図が完全に分からない。純粋に彼女はレイトンを信じる態度を見せることで彼を自軍に篭絡させようとしているのか……もしくは……実は<アインストック>を奪われてもアリア軍にとっては痛くないのか……実は見せていないだけで、<アインストック>と同様の戦艦をあと二、三隻有しているのか……そういう推察すら成り立つ。この推察をレイトンがナムルサスに報告すれば、貴族評議会は仰天するであろう。
……そこまで考えてのこの面談か……?
レイトンは無意識のうちに窓の外の、宴の様子を見た。どうして自分が最後に、しかも宴が終わろうとする頃呼ばれたのかも理解した。アリアは自軍の結束な強さと経済力を見せたかったのだ。そして感心しているところに本題をぶつけ、自分の反応を見たのだ。
そう……今、絶句していることが、レイトンがスパイとして送り込まれていることを自白しているようなものだ。
無意識なのか作為なのか……対面するかぎり無意識にみえる。だが、これまでのアリアを観察するかぎり、彼女は聡明であり、世間のことも経済も軍事のこともよく知っている。
とすれば……考えれば考えるほど螺旋のように思考が戸惑う。レイトンは不幸にも、そういう政略を察することが出来るほど優秀なのであった。アリアはレイトンの優秀さを悟り、こういう話を持ち出してきたのだ。アリアが尋常ではないだろう。
「ご尽力、頼めますか? レイトン大尉」
アリアはまっすぐレイトンを見つめ、彼の心境にとどめを刺すかのように……口調だけは優しく……そう言った。うっすらと、彼女のまわりから極彩色のオーラが滲んでいる。それがまるで周りの空気の中に解けるようあたりを包んでいる。
アリアは気付かない。レイトンも初めは気付かなかった。心の中でアリアに対する警戒心がなくなったとき、はじめてまわりの空気が異様な状態であることに気付いた。
……不快さはない。苦しくもない。だが、気持ちが萎えていく……。
屈した。レイトンはアリアの提案を全面的に受け入れ、
「僕の能力全てを、アリア様に捧げましょう」
すらすらとそんな言葉まで出た。
「ありがとうございます。期待しています」
アリアがレイトンの答えに、嬉しそうに少女らしい笑みを零した時、その不思議な極彩色の空気……王覇は消え、レイトンはその場から解放された。
その後、アリアはここまでの道中の話や、彼ら三貴族の上級身分者たちが今夜どうするのか、そういう差しさわりのない会話を10分ほど交し、レイトンとの面談を終えた。
翌日正午。
政庁の中の大会議室に士官は全て集められ、アリアの口からリィズナ攻略のための軍制が発表された。驚きや不満も出たが、アリアはこの編制にいたる理由を述べ、さらに一点、付け加えた。
「私の親衛隊長でありアーマー隊の隊長であるナディア=カーティス大佐を除いて、他の方の階級、部隊編制は変動的です。現三大佐が司令の立場なのは、少なからずその戦闘指揮能力を私は知っていて、実績があるからです。もし適材だと判断すれば、随時階級の繰上げを行います。階級の決定権は私にのみ有します。以上の点、ご理解下さい」
アリアがそう宣言すると、一同静まった。そして、粛々とリィズナ攻略についてアリアは全員に説明し、それ作戦案の説明はおよそ1時間で完了した。
こうして11月25日……アリア軍約4000名、アーマー57機、戦艦3隻がクロイスから出陣した。一部のタニヤと、地下ゲリラ予備兵部隊を除いたアリア軍のほぼ全軍である。
2
マドリード国東部のほぼ中央にあるカマルー平原に、マドリード国内最大の軍事基地、リィズナがある。
国境基地や都市隣接の基地と違い、完全独立の基地だ。通常の基地在兵力は約15000人、最大収容は約30000人……飛行艇やアーマー開発部署、武器弾薬倉庫などあり、マドリード東部の要の軍基地だ。基本マドリード国防軍の基地だが、現在は1万人の貴族評議会軍も入り込み、約2万の兵力を有している。
このマドリード最大の大基地を、アリア軍は僅か4000人で攻め落とすというのだ。
パラ歴2335年11月27日……後世『リィズナ会戦』と呼ばれる会戦である。
異変は突然現れた。
午後1時18分……リィズナ基地の正面に二機の大型オリジナル・アーマーが出現し、基地内部は騒然となった。二機のアーマーは、マドリード国兵士なら誰もが知っている、マドリード国宝機、ヒュゼインだ。
その紅白のヒュゼインは基地の前300mで停止し、やがて大きなマドリード国旗を持った少女がコクピットから出、立ち上がった。アリアである。
「リィズナの貴族評議軍! そしてマドリード国防軍に告げる!! 私はアリア=フォン=マドリードであるっ!!」
アリアの声は拡張機によって基地にも届いている。当然、貴族軍大隊長コーキトス=フォン=ブラウム子爵、国防軍ミザエル=フォン=サムン将軍の耳にも。二人とも苦虫を噛み潰したような顔で、別々の部屋でモニターに映ったアリアを見ていた。
「両軍とも聞くがいい!! 私アリア=フォン=マドリードは命ずる!! 貴族評議軍は直ちにこの基地より去れ。この基地は当方が接収する。マドリード国防軍聞け! ペニトリー=フォン=グレース将軍は中立を宣言されている。よって他の国防基地に向かわれよ! これは命令であるっ! 基地司令官の即刻回答を求める。猶予は本日午後3時!」
「くそぅ……小娘め……図に乗りおってっ!!」
大隊長コーキトスはアリアの一方的な通告に怒りを表し、目の前にいる二機のアーマー迎撃をしたかったが、実行に移すことは出来なかった。同じ司令室内に国防軍大隊長ミザエル=フォン=モトリナの目があった。国防軍は中立を宣言しているが、その大半は親王家の一派だ。彼らが、国宝機に乗るアリアへの攻撃を許すはずがない。が、かといってアリアの命令に応じられるはずがない。
どうするか両大隊長の間で意見が交わされたが、国防軍は「動かない」という立場は変わらない。ミザエルの表情も厳しい。
「ミザエル殿! 結論を先に言う。我々はあのような勧告に従うつもりはないっ! アリア殿下はザナドゥ伯他一部の邪悪な貴族共に踊らされた、王家と政府に謀反を企てる犯罪者共である! 我々はそれら不貞貴族や愚民を一蹴しアリア殿下を逮捕するっ! 文句はあるまいな!」
「…………」
コーキトスは怒気まじりに叫んだ。協議する意志もないし必要もなかった。
ミザエルはうんざりとした表情を浮かべる。
今コーキトスが叫んだ内容は、元々先月のアリアの宣言に対して吐かれた言葉そのままで、もうあれから何度も聞かされている。
しかし、先月の場合と現状は違う。放送の時と違い、アリア本人が目と鼻の先にいる。
国防軍も政府軍である。アリアには政府から公式に逮捕命令(国防軍では逮捕ではなく保護命令になっている)が出ている。
「異論はあるまいな! ミザエル隊長」
ミザエルは苦々しく頷いた。
ミザエルの立場は中立だが、事自分が管理する基地にやってきて宣戦布告に等しい宣言を受けた以上、コーキトスを支持せざるをえない。そのことはミザエルも部下の隊長たちと相談し、一致した意見となった。とはいえ、前面に出て戦うということまでは決断できなかった。ミザエルたち国防軍の結論は、「アリア様の身柄を確保という貴族評議軍の意志には同調する。ただしペニトリー将軍の中立宣言もあり、アリア様に剣を直接向けることはできない。専守防衛の立場によって貴族軍の援護をする」というものだった。コーキトスはそれを聞き最初は怒ったが、ミザエルたちもこれ以上の譲歩はできないと毅然とした態度で断言したので、コーキトスも止む無く了承した。そしてそのミザエル大隊長の意志を尊重し、後方支援と援護のみ確約を結んだ。
これほど愚かな戦略案はないだろう。
これでは結局リィズナの兵力2万は連動する事もなく、しかも統一軍として運営されない。その上、そもそも国防軍の戦意は低い。貴族評議会は国防軍を敵に回したくなかったため、このような中途半端な同盟関係となった。貴族評議会が戦略戦術以前に、軍というものをまるで理解していなかった証拠である。もし貴族評議会に少しでも政治と軍備に精通した独裁者や将軍がいれば、国防軍を取り込み一本化したはずである。(もっともレミングハルトやクレイドには別の思惑があったのだが)
アリアは宣言した後、ヒュゼインに乗り込み後退した。
午後1時30分ころからだろうか……基地前方にアリア軍第一軍、約1500人の歩兵部隊が出現。アーマーはヒュゼインの他、前衛に2機のアーマーが見える。右翼左翼にそれぞれアーマーが1機ずつ。これは指揮官機だろう。他に騎兵の集団が両翼に300ずつ、計600人ほど。
これがミタス率いる第一大隊で、基本兵力は歩兵と騎兵である。ミタスは騎馬、そしてその傍にオリジナルアーマー・ローゼスに乗るユニティアがいる。右翼にはクシャナの部隊で、クシャナ本人も愛用の短弓とその矢をアーマーのコクピットの中に入れ、指示を出している。アーマーは鹵獲したオリジナルアーマー・アージェンス改だ。
リィズナ側から見えているアーマーは、ヒュゼイン2機とこの4機で全てだ。
アリア、ナディアのヒュゼインは中央に陣取り沈黙しているように……見える。兵力としては対した兵力ではない。
すでにアリアの大胆な作戦は始まっていた。
アリアと、この第一軍は囮である。
後方2キロのところに、アリアは第一軍のアーマー部隊、ガノン40機をメインとしたアーマー部隊を伏せていた。この部隊は、ザールが魔術で作った即席の塹壕の中に潜んでいてリィズナからは見えない。
この大胆な展開にリィズナ側が気付かなかったのは、派手なアリアとナディアの単騎突入とアリアの演説に気を取られていたためだ。その僅かな時間にミタスたちは静かに兵士を前進させた。そして今度は展開したミタス隊を目隠しにし、ザールが魔術で塹壕を作りあげ、アーマーを配置し終えていた。
午後2時前後に、戦闘準備に入った貴族評議軍たちの目に、1500人のミタス隊の存在をようやく確認した。同時にアリア軍が思いのほか少ないことにコーキトスは安堵した。あれが全兵力でないとしても、中央の布陣を見る限り別働隊がこの本隊を超えるとは考えられない。最大兵力は3000程度と判断した。2万の兵力を持ちリィズナという砦を持つ貴族軍の圧倒的優位は変わらない。この洞察は的を得ているといえるだろう。事実アリア軍は4000人なのだから。ミザエル大隊長が「後方支援のみ」と決めたのも、リィズナ側の優位は目に見えて分かっていたからだ。
が、作戦面では雲泥の差がある。全てはアリアの戦略どおりに進んでいる。
午後2時36分。コーキトスは一方的にアリアの勧告を拒否すると宣言し、砦周辺外壁に20門の火薬式火砲と銃撃部隊を展開し、その銃口をアリア軍に向けた。
「どうやら先方も始めるようだな」
ミタスは馬上で一笑に、隣のユニティアに作戦開始を指示する。
「わかりましたわ、ミタス大佐。アリア様に報告、指示を仰ぎますわ」
「お願いする」
全部隊の隊長各は全員無線を搭載したアーマーか戦艦に乗っていて、連絡は全てアリアから直に受けられるようになっている。唯一の例外はミタスで、ミタスは騎馬で白兵を担当するので、ユニティアがフォーレス伯爵家宝機の<ローゼス>に搭乗しアリアと直接繋がっている。これはアリアがユニティアとミタスの人間関係を考えての処置だ。形式的には軍の指揮権はミタスにあるが、アリアの命令はユニティアが中継する。誇り高いユニティアは階級や役割はミタスの補佐だが、ユニティア自身は「アリアの代理としての自分」と思い込んでいる。
「ユニティアさんは貴族のプライドに誇りを持っている人です。いきなり身分無視のアリア軍には馴染みづらいと思うのです。ですが、ユニティアさんは賢い方。ミタスさんが上手に手綱を引けば、すぐに我々の趣旨を理解し順応してくれるはずです」
開戦前、ミタスはアリアにそう説得された。ミタスは「姫さんは無邪気な笑顔で存外残酷なことをいうよ」と苦笑し承諾した。
そしてアリア軍は対陣を固め終わった午後2時53分、ついに会戦の火蓋は切られた。
ミタスの第一軍が600mまで迫った時、火砲と小銃による射撃戦が始まった。撃ったのはリィズナ側で、アリア軍は一切撃たず、銃声が聞こえると共にミタスは第一軍全員その場に伏せるよう命令した。火砲は用心が必要だが小銃は射程距離外だ。
そして、アリア、ナディアの二機のヒュゼインは二機だけで前進し、エルマ粒子砲による応戦を始めた。
二機は6門のエルマ粒子砲を装備している。高速横移動しながら、エルマ粒子砲を乱射し続けた。一応基地砲台めがけ撃たれているが、命中率はそう高くはない。基地の砲門の陣が並び各砲門は集中的に狙ってくるが、高速移動するヒュゼインを基地側も捉えることはできない。
そんな砲撃戦が、5分近く続いた時異変が起こった。
「なっ……なんだこれは!?」
貴族評議軍砲撃隊を指揮する隊長たちはすぐに異変に気付いた。
火砲は約120門、小銃約2000挺の引き金が引かれたが、なんと4割は不発、無事飛んだ砲弾や銃弾も至近距離といっていい500mという距離であるにもかかわらず、弾はあさっての方に飛び、またははるか遠くに飛び越えと思う場逆にはるか手前に落ちる。
ほとんどの砲が、思い通りに撃てない状況に陥ったのだ。
基地側の砲撃が弱まると、ヒュゼイン二機の射撃の命中精度が急によくなった。
アリアとナディアの作戦通りであった。
最初の5分間の乱射は、砲台破壊を目的にしたものではない。エルマ粒子を基地周辺に散布するのが目的だった。エルマ粒子の特性で、濃度が上がれば火薬を使用した火砲は制御不安定になる。逆に純エルマ粒子を使用するヒュゼインの粒子砲には影響は受けない。この科学反応はクリト・エでは10年ほど前に知られるようになった事で、軍人とはいえその知識が浸透しているわけではなかった。だがアリアは知っている。
火砲と小銃が封じられたリィズナ側は、初戦から混乱に陥った。
そして、アリアとナディアのヒュゼインが猛烈なビーム攻撃を加え、僅か3分の間で貴族評議軍は混乱し、リィズナ側は大きな被害を受けた。ヒュゼインはマドリードの国宝機で性能はクリト・エで屈指の性能を誇る。メインの装甲には薄く機体は大きさのわりに加速が速い。その上装甲にはビーム・コーティングが施されていて、最も破壊力を誇るエルマ式荷電粒子砲の少々の被弾はダメージにならない。
砲撃戦はアリアたちの独壇場だった。不確実な火砲の作動に戸惑っている上に、素早く動き強力な砲撃を撃ってくるヒュゼインを固定砲台では捕らえられない。リィズナ側も目標を敵本陣にすればいいのかヒュゼインにすればいいのか……混乱はさらに増している。
「この程度であたしたちを倒せると思っているのかしらねっ!」
「ナディア! 油断はしないで!!」
「あいあいさー♪」
「レイトン大尉っ! 聞こえますか!?」
『はい、アリア様。なんでしょうか』
無線の先でレイトンが静かに答える。<アインストック>他二隻、合計三隻の艦隊は、現在さらに後方の5キロ上空にあり、接近しつつあった。
アリアはレイトンに、上空からリィズナ基地の動きを上空から監視するよう命じた。
この砲撃戦はリィズナにとって損害しか出ていない。
<アインストック>には、味方機の信号を受信、地図と照合し表示する戦術モニターや、遠くを観察する遠距離望遠装置も搭載していて、この距離でもリィズナの様子が良く見えていた。これらも最新機器でリィズナ側にはない。
『リィズナの砲台位置をしっかり確認しておいてください! レイトン大尉』
「了解です」
(この戦艦といい今回の作戦といい……こんな戦い方もあるのか)
レイトンは表情静かに感嘆していた。
さて、アリアたちの戦闘は10分を過ぎようとしている。
基地前方は大きく開かれた平原だ。アーマーは動き放題で、リィズナ側は固定砲撃……ましてや不発や乱照準……では当るはずがなかった。アリアたちの腕とヒュゼインの性能もあるが、高性能アーマーは、巧みに扱えばこれほど有力なのだ。
余談になるが、北の大陸、大陸連邦の第一次世界大戦でも似たような実例がいくつかある。ほとんどが2338年から2340年の間で、白銀の騎士フィル=アルバートと蒼竜アーガス=パプテシロスの記録である……。高速移動するアーマーを固定砲台で撃墜することはそれほど難しく、「撃っても当たらない」という心理は砲台側に大きなプレッシャーとなる。その差異が大きいほど混乱は大きいのだ。翻って、高速移動しながら射撃できるようなエース・パイロットにとってその混乱こそが付け入る隙で、ますます戦果を上げる。高性能アーマーで敵陣に単騎突入した場合、歩兵も敵アーマーも取り付けず、下手に攻撃すれば同士討ちが生じ一方的な被害を出る。これに対抗するためには、素直に撤退するか、戦闘戦艦による精密艦砲射撃か、アーマー部隊を投入しアーマー戦の混戦に引き込まなければならなかったが、この対応案が採用されるのは一次大戦末期であり、むろんこの時代のクリト・エにはない。以上余談。
「そうか! エルマ粒子か」
開戦20分が過ぎた頃、よくやくミザエルは火砲不発の原因がエルマ粒子の特性である事に気付いた。そして彼なりにアリアの行動の意味を悟った。
アリアとナディアが異常接近して、ゆっくりと宣言を流し、さらに回答をもとめ時間を稼いだ間に、周辺一帯にエルマ粒子を散布させ、さらに砲撃戦の最中も散布させながら動き回っているのだ。アーマーが活動すれば自動的にさらにエルマ粒子の濃度は上がる。もはやこのリィズナ前方の周辺は、火薬式火砲がその性能を発揮できないほどの濃度までエルマ粒子が充満しているのだ。
ミザエルははっきりとアリアの意図を悟った。
「コーキトス殿に伝えろ! 火砲や小銃はもはや使い物にならん! 白兵部隊を押し出す以外にはないだろう、と!」
ミザエルの副官はすぐに走った。それを聞きコーキトスもすぐに砲撃戦をやめ、基地内で待機させていた歩兵部隊へ出動を命じた。ミザエルは「基地の守備は国防軍が担当しよう。ただし我がほうから率先して攻撃することはない。それでよければ、とコーキトス殿に伝えよ」と伝令を走らせ、そして今度は自分の部下にその命令と部署の指示を命じた。国防軍は粛々とそれに従い動いた。
命じ終えてから、ふとミザエルは思案した。
「とても14歳の少女の戦術ではない。作戦がまさかこれだけではあるまい……周りによほどの軍師がいるのか。歩兵軍を引きき摺り出すのがアリア様の作戦だったのだろうが、あの兵力数で1万の歩兵部隊とどう戦うのだ? アーマーの数も6機ある……兵力では圧倒的に上なのだ。だがそれはアリア様もわかった上でのこと……」
……アリア様がどのような手を考えているのか……ミザエルはしばらく考えたが、結論は出なかった。
午後3時31分。
ついにリィズナの貴族評議軍8000人が動いた。アーマーは6機。陣の先頭は長槍隊で、この長槍は特別にコーティングされたものだ。乱戦に持ち込み敵アーマーの足を止めさえすれば、装甲の薄い間接部や装甲の薄いコクピットを突き刺すことが出来る。まずそれら長槍部隊2000人が、100人で一つの密集陣を作り、アリア軍に目指して駆け込んでくる。その後方にボウガンや小銃を持つ狙撃部隊があり援護する、そして指揮官であるアーマー(貴族評議会軍使用<ローゼンス>。国防軍の制式アージェンスの姉妹機)が直立し、進む。その後ろが歩兵たちだ。
リィズナの扉が開かれ、兵が出てくるのをアリアはじっと観察した。アリアの作戦は、彼らを一網打尽にすることだ。ここは待たねばならない。
アリアはコクピットの中で無線をとり、オープンチャンネルでナディア、クシャナ、ユニティアに命じた。
「敵が動き出すと同時にクシャナ少佐は作戦通り私と共に殿を! ユニティア大尉、ミタス大佐は共に撤退を! ナディア大佐は私と同じく、ここは一度後退します」
命じ終わると、アリアとナディアは再び二機連なって動き出した。今度は敵陣の中に踊りこまず、一定の距離を計りながら砲撃戦を始めた。リィズナ軍もすぐに応戦する。リィズナ軍は二機のヒュゼインの攻撃に隠れる場所はなく、果敢に接近すれば、アリアが砲撃の時はナディアが、ナディアが砲撃している時はアリアが、突進してくる長槍隊をアーマーの突撃で薙いでいく。
その間にミタスの本隊はボウガンなどで交戦しながら徐々に後退した。
さらに、クシャナ率いる騎兵中心の300騎は、アリアとナディアが討ち洩らした敵兵を急襲し、さらなる進軍を防ぐ。
この完璧な連携の前に、リィズナ側も手も足も出ずにいた。
堪らずリィズナ側も<ローゼンス>部隊を前進させ、最も厄介に暴れまわるアリアとナディアのヒュゼインにぶつけ、アーマー戦を展開させた。
間違いない一手だと確信していたコーキトスは、その結果に愕然となった。
アリア軍ヒュゼイン一機に対し、リィズナ軍は二機。二対一で戦いを挑んだにも関わらず、戦況はヒュゼインが圧倒的だ。
「馬鹿な!! 相手はアーマー二機だぞ!?」
それは圧倒的な機体性能とパイロットの腕の差だ。オリジナル・アーマーとはいえ、
<ローゼンス>の性能はオリジナル・アーマーの中では中の下で、この時代屈指のヒュゼインとでは差がありすぎた。国防軍とはいえ、実戦でアーマー戦を挑むような経験はなく、国宝機の性能を知らなさ過ぎた。さらに操縦するアリアとナディアのパイロットとしての錬度の差はさらに大きく、お互いの動きでお互いの考えが分かるほどアリアとナディアには信頼感があり、二機の完璧なコンビネーションの前に四機のパラデンスは翻弄され、相手にならなかった。
しかも、<ローゼンス>が出てくることもアリアの作戦通りだった。アリアは敵アーマーと交戦を始めると、戦闘パターンを対アーマー戦に変え、それによって後続リィズナ軍の進軍の足を止めたのだ。目前で6機のアーマーが暴れられては、砲撃も出来ず歩兵たちは危なくて進めない。
それでもアリア軍本隊は数が少なく、アリアとナディアの二人を除いては、全体的にリィズナ軍は押され後退していった。
「逃がすなよ!! 敵は少数だ! 押しつぶせ!!」
コーキトスはさらに強行進軍を命じた。その結果、ミタスの本隊は後退アリアとナディアの二人は孤軍となった。……もっともこの二人の戦闘力がアリア軍では一番強く、様相はまるで羊の群れの中で暴れる竜のようではあるが……。
アリアたちは情況の不利を知り、これまで足止めのため弄るように相手をしていた<ローゼンス>をあっさり撃墜し、リィズナ軍を蹴散らしながらだが、ついに後退した。
一見すると、戦闘はリィズナ軍優勢に展開した……ように見えた。
リィズナ軍が完全に基地から出撃し、戦闘域の中心が基地前方1キロというあたりまで移動した時、アリアはついにアーマー本隊の出撃を命じた。
突然、ミタス隊は左翼に……クシャナ隊は右翼にと退避したかと思ったその直後、突然中央に現れたのは、40機のガノンの部隊である。
リィズナ軍は初めてみるアーマーと、そしてその数に軍全体が足を止めた。
ヒュゼイン・紅機のナディアは反転し、ガノン部隊の先頭に立った。
「蹴散らせっ!!」
ナディアの叫びのような号令に、40機のガノンは6000人近くにまで減ったリィズナ軍に襲い掛かった。ガノンには、遠・中距離用のビーム砲と、接近戦用の巨大ランスを持っている。そしてアリアが発案した3機で一小隊、相互に連携しながら大きな両翼の陣を作り、先頭のナディアが中央に陣取った。
そして両軍、激突した。
いや、このアーマーのみで構成されたアリア軍はただの軍ではない。激突したかと思った次の瞬間には文字通りリィズナ軍は粉砕された。
「すごい。なんという統一された陣だ。これをアーマーで行うなんて」
レイトンはモニターを見ながら感嘆した。これほど見事な戦術は見たことがない。
すでにレイトンの指揮する戦艦隊も戦闘領域の上空に来ていた。アリア軍の芸術的なまでの戦闘をもっともよく見えるのは上空からだ。
そして、ここからがレイトンの出番であった。
二隻の飛行石メインの飛行艇戦艦は援護射撃をしながら右翼、左翼にと分かれ、そして両脇に着陸すると、第三軍を地上に降ろし、第三軍も戦闘に加わった。第三軍本隊の右翼はザールが指揮し、左翼はサザランドが指揮する。彼らは第一軍の本隊の援護であり、両脇を囲む警備軍となる。どちらにも2機ずつアーマーがあり、飛行艇戦艦の援護もある。
これによりリィズナ軍は地上において完全に囲まれた。
アリア軍の戦艦隊に気付いたコーキトスとミザエルは、基地内にある飛行艇戦艦を発進させる命令を出したが、それは完全に遅く、リィズナの頭上は<アインストック>が完全に到達していた。
飛行石をメインに使用している飛行戦艦は、稼動まで時間がかかる。また、対戦艦用装備も<アインストック>とは比べるべくもない。
「艦砲射撃。まずは敵飛行戦艦群に!」
レイトンは手短に命じ、<アインストック>の主砲は巨大なビームの雨を降らせた。結果は一方的である。<アインストック>が搭載している大型荷電エルマ式ビーム砲は、飛行戦艦の装甲を完全に貫通する威力を持っている。もともと飛行石で浮かぶことを前提につくられている飛行戦艦は、装甲を厚くすることはできず、防御力は<アインストック>からみれば紙のようなものだ。
リィズナには貴族評議軍、国防軍合わせて大小12隻の飛行戦艦を有していたが、<アインストック>一隻の攻撃でその全てが飛行不能……7隻は完全に破壊され宙に浮かぶことなく撃沈した。
続いてレイトンは、上空より基地にある火砲、砲台を砲撃し、瞬く間に沈黙させた。反撃も受けたが、小銃弾や小口径のビームはすべて<アインストック>のバリアーに弾かれた。まるで相手にならない。この効果にはレイトンも驚いた。クリト・エ大陸で、防御エネルギー・フィールド……バリアー能力を有した戦艦が戦闘を行ったのは、クリト・エではこの『リィズナ会戦』が初めてである。
「なんだ……!? 一方的じゃないか」
レイトンは長い髪を巻くしあげ、感嘆のため息を零した。デュアル式の戦艦の戦闘力についてはアリアから説明は受けていたが、まさかこれほど一方的な結果になると誰が思ったであろう。数値でみる性能は飛行戦艦の5倍……というところだが、実戦では性能の差は10倍以上のものだ。
この<アインストック>の投入が完全に戦争の勝敗を決することとなった。
リィズナの貴族評議軍は、ガノンの投入に軍としてのまとまりを保つことが出来ず大混乱のところ、突然現れ、見たこともない最新鋭戦艦の圧倒的な攻撃力に、軍としての秩序と戦意は崩壊した。生き残っていた兵の一部は降伏し、ほとんどは恐慌状態で上空から砲撃を受けているリィズナ基地に逃げ戻った。
「すげぇなぁ……あの戦艦は化け物だぜ」
サザランドは自分のアーマー(彼のアーマーもアージェンス改)からリィズナを見つめ零した。想像以上の戦果だ。
その直後、アリアの命令が無線を通して全部隊に届いた。全軍、リィズナ前方400mところに集結、飛行戦艦は上空にて<アインストック>と合流せよ、ということだ。
その命令の後、今度はサザランドにザールから命令が届いた。
「サザランド少佐。降伏した敵兵を貴官の隊で管理してもらいたい」
「何人ぐらいだい?」
「ざっと1200人ほどのようだ。負傷兵は別にしておいていただきたい」
サザランドは一笑した。ほとんど自分の部隊の兵力と変わらない。
「戦争だぜ? 皆負傷してるだろうがよ」
「軽傷者は負傷兵にいれなくて構わない。頼みましたぞ、サザランド少佐」
そう命じられた直後……サザランドが部下に指示しようとコクピットから出ようとしたとき再び無線の呼び出し音が鳴った。無線を取るとアリアからでサザランドは少し驚いた。
「サザランド少佐、すみません。降伏した兵士は敵ではなく守るべき国民です。大人で正義親の強いサザランド少佐でなければ扱えないことです。どうぞお願いします」
「…………」
アリアの用件はそれだけだった。彼女は他にも忙しく、会話するでなくただそれだけをサザランドに伝え、通信は終わった。そんなアリアに、サザランドは頬を緩めた。
「惚れそうだぜ、姫様よ♪」
サザランドは哄笑すると、命じられたとおり降伏兵の対応に入った。その後、降伏兵は一気に膨れ上がり彼は激務に見舞われることになる……。
アリアは軍全て集結させた上で、再び、リィズナの明け渡しを迫った。
ミザエルは、厳しい表情を浮かべ、モニターごしにアリアを見つめている。
隣には、顔面蒼白で言葉を発することができないコーキトスが来ていた。もはや彼が指揮する兵はいない。死傷率は7割、残った3割も戦意を喪失し兵としては使えない。
後リィズナに残っている兵力は国防軍だけだが、貴族評議軍が僅か1時間弱で壊滅したのを見た後だ。戦意があろうはずもない。
アリアのことをあくまで政府発表の通りの賊とするのであれば、ここまでやられた以上国防軍としてのメンツもあり戦わざるを得ない。だがそれは実行不可能だ。アリアの宣言を有効とみるのであれば、降伏するべきである。
だが、それも隣のコーキトスを見ると出来ない。政治の事情がありけして仲がよかったわけではないが、それでもこの状況で彼を売り渡す事は彼の武人としての心情が許さなかった。
リィズナ司令部は敗戦の雰囲気で重苦しい空気が充満している。
ミザエルは事実を受け止めると、歳若い通信兵の一人を呼び、彼にアリアの元にいくよう命じた。通信兵は「アリア」の名前に身を硬くした。緊張と、敗戦の状況下で敵将に会うという緊張と恐怖からだ。困惑した。当然といえる。
ミザエルは、そんな若い通信兵の背をポンと叩いた。
「アリア様にお伝えせよ。私は一方的な降伏を享受できない。話し合いしたい、と。心配するな、アリア様はお優しく聡明な方だ。卿に危害は加えぬ」
「分かりました、大隊長」
若い通信兵……ポートマス=フォン=クルセリは敬礼し、そのまま毅然と部屋を出て行った。彼はこの後アリア軍のほうに参加し、アリアの傍で通信兵となる……。
ミザエルはそっとコーキトスに近寄り、呟いた。
「コーキトス殿。ご安心なされよ。卿の生命の保証はこのミザエルが確約しましょう。だが、もはや我々が味方であるとは考えないほうがよろしかろう。そして、アリア様の実力をよく評議会で論されるがよい。願わくば、マドリードの内乱がこのリィズナで収まるよう努力されることですな」
そういうとミザエルはコーキトスから離れ、廊下に出た。アリアと会う以上、身なりを整えようと思ったのだ。背後でコーキトスが罵声か悲鳴か分からないものを喚くのが聞こえたが、もうミザエルは彼を相手に話しをするつもりはなかった。
会談……一応会談ではあるが、どう判断してもそれは降伏だった。
ミザエルは副官一人、アリアはザールとユニティアを連れ両者は対面した。
会談場所はリィズナの基地から出た200mのところで、立ったまま行われた。アリアがユニティアを指名したのは、彼女の心を完全に掴むためだったと思われる。本来であればその役はナディアであっただろうが、ナディアはヒュゼインのコクピット内で臨戦態勢を解かず不測の事態を警戒していた。ミタス、クシャナも同じだった。<アインストック>の砲門もリィズナの砲台や軍事司令部の建物に向けられ、少しでもアリアに危害を加える気配を感じたらアリア軍は一斉に容赦ない攻撃を加えリィズナを完全に陥落されるだろう。むろんミザエルには、その雰囲気が分かっている。アリアが、ただ優しく聡いだけの少女でないことをミザエルは痛感した。
アリアは、可憐で美しく優しさと聡明さを持つアイドルとしての王女の顔と、徹底したリアリストである冷静な優秀な軍将……いや、覇王というべきか……天才的な軍人の才能を持っている。その才、計り知れない。人材も揃った。指揮官全員がいざというときの適応能力や独自の判断で動ける才覚を持っている。
そういう事情から考えると、ユニティアがアリアの随員となったのは、純粋に手持ち無沙汰であったというのも理由かもしれない。どっちの理由もあっただろう。
両者対面した時、ミザエルは、複雑な思いをもった。実際目の前にしたアリアは思ったより幼いものの、その威厳はアミル以上のものがあるのではないだろうか……。
ミザエルはその場で拝礼し、自らの名を名乗りリィズナの敗北を認め、当初にアリアが提案した条件を受諾する旨を伝えた。
ただし条件として……現在残っている国防軍の保有する武装に関してはそのまま国防軍が持っていく事。負傷兵に関しても国防軍が面倒を見る事。コーキトス他貴族軍幹部に対して、戦争責任を問わず、その身柄はミザエルが預かることなど述べた。
そして……。
「アリア様。当方には未だ国防軍を中心に1万近い兵力を有しております。我々はアリア様と戦わない理由は政治的理由であって敗北したわけではない……そのことを了解いただけますでしょうか?」
ミザエルは厳しい表情のまま、小さな声でゆっくりとそう言った。この点、ミザエルたちの要求は体面の保つ多少甘えたもので、降伏した軍の条件ではない。
が、驚いたことに、アリアは即答した。
「了解しました」
あまりに早い即答に、ミザエルは目を見開いた。
「ただし一点、こちらから注文があります」
「なんでしょう?」
「こちらの攻撃で、飛行船はすべて使い物にならないのではないでしょうか? それは上空の我が軍戦艦<アインストック>で確認しております。今、大隊長殿は『1万近い兵力を有している』と言われました。一万人の兵士を徒歩で……というのは大変でしょう。当方の飛行戦艦を一隻お貸しします。最寄りの町まで、送らせていただけますか?」
「ふ……船をお貸し頂けるのですか!?」
さすがにミザエルは驚いた。船、と簡単にいうが、貴重な軍事兵器ではないか。
「勝敗が決し、私の勧告を受け入れてもらった以上、大隊長殿の部下は私の国民でもあります。負傷した兵や戦闘に参加した兵は疲労していることでしょう。私がこのリィズナにやってきたのは大隊長殿たちを皆殺しにすることでも、貴族評議軍憎しでもありません」
「アリア様!」
アリアの毅然とした言葉にミザエルは絶句した。歴史を振り返っても、戦争前の軍指導者の口上など建前だけのもので、それを信じる軍人などいないし勝利者となればそういう口上など何の意味もない。が、アリアにとっては違うらしい。
マドリード国防軍はともかく、貴族評議軍の兵はまた部隊に復帰すれば、また敵となって立ちはだかるのである。クロイスのとき同様「今後戦闘には参加しない」と約束を取り交わすべきだ。が、アリアはそれも今回はしなかった。(恐怖を広めさせる意図があったが)
彼女は戦闘に圧勝した軍将であり、さらにこの場においては全ての人間の生殺与奪権を持っている神に等しい権限者だ。にもかかわらず、なんと無欲なことか。これにはミザエルも後ろに控えるユニティアも感動した。ロマンチシズムなユニティアにとって、この強く高潔な王女の存在は、彼女の中で絶対な存在となりつつある。
もっとも、アリアはロマンチシズムではない。毅然と言葉を続けた。
「当然のことですが……船は当方が運用しますし、監視として戦艦もつけます。移送中は兵士たちの武装は解除して一箇所にまとめて下さい。単なる喧嘩でも不平でも、少しでも騒動を起せば反乱したと判断して船ごと撃墜します。了解いただけますか?」
ミザエルは了解した。これで会談は終わりである。アリアたちは悠然と自分たちの陣に戻り、ミザエルもゆっくりとリィズナに戻った。
リィズナが開城したのは11月27日 午後6時21分……と公式記録では記載されている。この時間に完全にアリア軍が戦闘後の始末を確定させたということだろう。どちらにしても、アリアは僅か6時間でマドリード国内の最大規模の軍事施設リィズナを陥落させたのだった。信じられない戦果であり、それ以上に信じられないことに、これがアリアにとって初の<戦争>……初陣であった。
3
パラ歴2335年11月27日 午後7時34分。
執務室でその日の職務を終え、チョコレート菓子とコーヒーで一息ついていたアルファトロス代表プレセア=ヴァームに、アリア軍のリィズナ勝利の報が届いた。アリア軍から無線で直接<タワー>の代表事務局に届いたものだ。
「詳しいデーターは、後日レポートにして届ける、との事です代表」
スワマンの報告に、ヴァームは笑みを浮かべた。
「ふぅーん……ま、リィズナくらいは陥としてもらわないと、僕としても困るけどね♪ あれだけの兵器差があったんだもの♪ ……詳しい報告は後日として……大体の結果は?」
スワマンはヴァームがそういうのを予期し、すでに手元の書類をめくり終えていた。
「リィズナ、貴族軍の死傷はざっと7400名。国防軍の死傷は2200名。ほぼ5割が死傷といったところです。そのうち死者は大体2000から3000といったところだと」
「予想以上に被害与えているのね」
国防軍は基地を守り率先して出陣はしていない。それでも2200名の死傷者を出したというのは、アリアたちの基地に対する攻撃が苛烈だったことを意味する。
「で、アリア軍の被害は?」
「死傷56人。うち死者は12人です」
「…………」
ヴァームは沈黙した。
アリア軍のあまりにも予想外の被害の少なさに言葉を失ったのだ。初めは桁が1つ少ないのでは、とも考えたが、几帳面なスワマンがそんな些細な間違いを報告するはずがない。
しばらくの間の後、ヴァームは黙って驚きが自分の中で落ち着くのをまち、その後はこれから起こるであろうアルファトロスの動きについて思案をまとめた。
「代表?」
スワマンが遠慮がちに声をかけたとき、ヴァームはいつものヴァームに戻った。
クスクスクスッと不気味な笑い声を零すと、立ち上がった。
「食料や武器弾薬、そして人夫……他にもいろいろアリア様は必要になるでしょうね。その手配をしといて頂戴。手配は今夜のうちにね、折角のお得意様だもの。待たせたら損よ」
「はい」
当たり前だがこれら補給物資は有料提供だ。最も、代金はヴァームの個人資金から出ていたのだが。
「中々面白くなりそうね」
ヴァームはそういい立ち上がった。これからマドリードがどうなっていくか……それを考えると胸が高鳴るのを感じていた。恐らく、今後のマドリードがどうなっていくか正確に洞察しているのは、アリアとザール、そしてこのヴァームだけだろう。
もっとも、ヴァームにとっての関心はマドリードではない。このマドリード内乱によって、アルファトロスがどれだけ利益をあげるかということだ。そのためには、アリアに負けてもらうわけにはいかない……というのがアルファトロス代表であり、アリアの個人的なスポンサーとなったヴァームの意志だった。
戦闘だけが戦争ではない。戦後処理が大変だ。
まずアリアが手配したのはミザエル大隊長との会談で決まった移送を速やかに行いつつ、自軍の被害について手を打つことだ。ミザエル側の対応はザールに任せ、自軍の負傷者と補給に関しては<アインストック>を至急クロイスの病院に送ることを決めた。
アリア軍の死傷者は驚異的なことに56人、そのうち死者は12人だ。44人の負傷兵のうち22名が重傷者だった。アリアは一人を除いた43人を重傷軽傷問わず至急クロイスに移送することを決め、<アインストック>の指揮をそのままレイトンに与えた。
「クロイスではグドヴァンスが病院の手配をつけています、レイトンさん。レイトンさんは戻ってくる時に食料、医者と医薬品、宿営用用品を受け取って戻ってきてください」
「了解です、アリア様」
リィズナ内にある飛行場でアリアと対面したレイトンはアリアの命令を直接受けた。
こういう命令はナディアやクシャナ、ユニティアを代理に立ててもいいようなものだが、レイトンだけでなく命令は基本アリア本人が直接行う。だからアリアは忙しいのだが、疲れも苦労している様子も見せない。
「今度は、輸送戦艦の指揮ということですか。了解しました」
「すみません、このようなお仕事ばかりお願いして。本当は色々私が手配しなければならないのですが、今はリィズナがこの始末ですから。もしレイトンさんとグドヴァンスで良かれと判断すれば上記の予定以外のものも輸送してきてもらって構いません。アルファトロスのヴァーム氏から何か届いていたら、それも持ってきてもらって構いません。まずないとは思いますが、もし途中戦艦が攻撃してくれば、反撃行為の判断はレイトンさんに任せます」
そこまでアリアは一気に説明し、「質問はありますか?」と尋ねた。
「そうですな……」
レイトンは腕を組んだ。
「もし僕がこのまま<アインストック>を持ち逃げしたらどうします?」
戦闘前交した冗談をまた口にした。もっとも彼にとってはどこまで冗談かは分からない。
が、アリアの答えもそのままだった。
「困ります」
「困るだけですか?」
「そうですね……」少し考えるアリア。だがこのあとの言葉は、前回と違っていた。
「負傷兵さえ無事送り届けていただければどうぞご自由に。負傷した兵士は大事ですが、<アインストック>は私が損するだけですから」と、アリアは冗談っぽく明るい声で答えた。
が、今度もレイトンの背中は凍りついた。冗談めかしているが、容易ではない会話内容だ。アリアは自分が損、といったが軍にとって損失とは言っていない。
……この方は、全てお見通しか……。
だとしたらその器量はどれほどのものだろうか……想像も出来ない。
「冗談ですよ、アリア様。ではそろそろ僕も出発の準備をしてまいります。恐らく明日の夜には戻れるかと思います」
「宜しくお願いします」
「では」
一礼し立ち去ろうとレイトンを、「あっ」とアリアは何か思い出し、呼び止めた。
「なんでしょうか?」
「忘れていました。クロイスでグドヴァンスから新しい軍服を受け取って下さい、レイトン少佐」
「……あ……」
そういえば最初の会談のとき、本戦闘の後昇格させるという話があったような気がする。レイトンはほとんど忘れていたが、アリアはしっかり覚えていた。<少佐>という階級の重みはまだよく理解できてはいないが、反乱軍の将として部隊を率いたクシャナが少佐だということを考えれば大隊長格と言っていい。アリア軍の中では高級指揮官となる。
レイトンは複雑な表情で再び一礼し、<アインストック>に向かっていった。レイトンの中で、本当の上官が誰なのか、彼自身分からなくなってきていた。
アリア軍の幹部たちは多忙を極めていた。
ミタスとユニティアの二人にはリィズナ基地内の掌握と、今後の利用計画立案を任せてられ基地内を飛び回っている。ミーノスとシュラザンは基地の警戒と警備を担当し、サザランドは自分の部下たちを使い、アリア軍の宿営場所の割り当てと全兵士の食事の手配を命じられていた。ナディアは兵器の戦利品などの掌握、管理。ザールは先に述べたとおりミザエルら国防軍の処置で手一杯だ。
アリア自身は全体の監督であり、幹部への命令は直接口頭で行った。それと同時に休まずそれぞれの進行を巡察し、兵士たちに会えば、階級関係なく士官から一兵士に至るまで、今回の戦いを労っていった。
部下、兵士たちを労う……という任務というよりは人心を得るための行動を任されている人間が、もう一人いた。44名の負傷者のうち、唯一ケガしているにもかかわらずここに残った人間だ。
アリアはその問題の人物に辿り着いた。
彼女は軍服のまま負傷した腕を吊り、テキパキと自軍の死者の確認を行っていた。
「大丈夫です? クシャナ」
「あ、アリア様。私は大丈夫ですわ。アリア様はお疲れではないですか?」
「私は大丈夫です。それより……クシャナのほうが心配です」
「ドジですよね」とクシャナはニコッと微笑んだ。「アーマーに乗っているのに、飛び出していってこんなケガしちゃうんですもの♪ 大丈夫ですわ♪ 病院で治療が必要なほどではない……と軍医も仰ってくれましたから」
「本当に?」
「本当です♪」
クシャナは笑顔でアリアを迎えた。
クシャナは今日、第一軍の騎兵部隊を率い、強襲部隊としてアーマー部隊を除いては、一番の活躍をしたが被害をもっとも出したのもクシャナの部隊だった。負傷者の半分はクシャナ隊であり、死者も12人のうち8人はクシャナ隊だ。何より指揮官のクシャナ自身が負傷した。
「自業自得ですわ。馬鹿みたい……ホント、私……戦闘になると熱くなっちゃって」
クシャナが負傷したのは搭乗していたアージェンス改が攻撃を受けたからではない。
強襲作戦で乱戦中、クシャナはコクピットから躍り出て、愛用の弓で自ら攻撃に参加し、その結果流れ弾が左腕を掠りその後砲撃の爆風で叩きつけられ軽い打撲を負った。予定通りアーマーに乗り続けていればこの負傷はなかっただろう。だがその後も結局彼女は常にアーマーの中で閉じこもって戦うことはせず、同じように機会があれば外に出て戦った。
愚かとはいえない。彼女が姿を見せ部下を指揮し鼓舞することで騎兵部隊の士気は上がり、予想以上の活躍を見せた。
「無茶は感心できないけど……クシャナらしくていいんじゃないですか?」
「アリア様も十分無茶をしていますわ」
「全くです」
そういい合い二人、クスクスと笑いあう。
クシャナは一見、清楚で大人しそうな女性だ。アリアのような気高さや威厳、ユニティアのような高貴さをみせたりしないが、女性らしさと優しく当たりのよい人格は皆から愛され現在のアリア軍において要となっている将校の一人だ。だがクシャナは優しいだけではなく、むしろアリア軍の中ではナディアやミタスと並ぶほどの好戦的行動者なのだ。元々多くの部下をもち反政府ゲリラを組織しそのリーダーを務めていた経歴は偽りではない。クシャナはアリアとよく似ているかもしれない。そのせいか、アリアとクシャナは実際まだ出会って半年も満たないが長年一緒だったかのように仲が良く、戦争状態でないときは、ナディアとクシャナにとってアリアは可愛らしい玩具であり妹だ。アリアも可愛がられるまま、けして文句を言い立てる事はない。そういう意味でも可愛くてしょうがない存在だ。
「でもせっかくの軍服を血で汚してしまって……すみません、アリア様」
「そんなことは気にしなくていいわ。クシャナ中佐」
「?」
「本当は、無茶をしてケガをした暴れん坊な人に与えたくはないけど、クシャナは今回、頑張ってくれたし、今後人も増えてくるので……クシャナ。貴方を一階級昇進して<中佐>に命じます。ケガした勲章だとは思わないでね?」
「光栄ですわ♪ アリア様」
クシャナの昇進も実は元々戦闘前から人事のバランスの関係で決めていたことだったが、クシャナが今回負傷してくれたことで他の幹部たちには説明しやすくなったという事実はあった。今回の戦いで、幹部で昇進したのはクシャナとレイトンの二人だけである。
そしてアリアはクシャナから敵の死者の収容と、味方の死者について報告を受けた。
すでにアリア軍の死者は収容が終わっている。敵については現在収容中だ。
敵味方問わず、戦死者は身元が分かるものを集め、名簿を作らせていた。ここでは5名の国防軍の中隊長も呼ばれていて、基地内での死者の名簿作成に協力もらっている。
およそ3000名の遺体だ。戦時中だからそれぞれ家族の下に帰す事はできない。
「遺品は国防軍に渡して、遺体は火葬にしようと思います。そのための場所も基地の一角に確保しました」
「そうですか。できるだけ、丁重にお願いします」
「分かっていますわ」
個別の墓を作る余裕はなく、これから夏になるので土葬もできない。アリアたちができる唯一の処置だった。ちなみに戦死者(隊長クラスや大貴族は除く)は現地で火葬する、というのは半戦国時代といっていいクリト・エの基本的な方法だ。余談だが、大陸連邦では、階級章の下に名前が彫ってあり身元はそれで確認し、戦闘が激しい場合は土葬もしくは火葬し、慰霊碑を建てる。余裕がある場合は一人ずつ母国に送られる。もっとも、数年後アーマーや飛行艇がメインの戦争になると戦場は広域化し撃墜されると機体は爆発炎上するので死体も残らない場合が多くなり、生死の確認は本部のコンピューターで行われるようになる。以上余談。
アリアは、歩き出した。自然な形でクシャナが随行する。
やがて腐臭と人が焼ける死臭が漂う火葬場にやってきた。
これには死体処理をしていた兵士たち全員が驚愕した。大の大人でも酷く損傷した屍や死臭の中にいることを敬遠する。死体処理を行っているのは同胞であった国防軍の捕虜が多かった。基本この手の仕事は通常アダが行うことが多い。
そんな場所に最も高貴な王女と屈指のうら若い貴族の女指揮官が現われたのだ。
何をするのかと思ったら……アリアが行ったのは、火葬されていく敵兵士たちに黙祷したのだった。これにはクシャナも、立ち会った5人の国防軍中隊長たちも驚いた。
さらに彼らを驚愕させたのは、死んだ自軍の兵士12人、全員の遺体に手を触れ、彼らの名前を呼び、個別に感謝と冥福を込め黙祷したことであった。いくら部下想いであるとはいえ、死んだのは皆末端の一兵士たちばかりだし一軍の将……王女がそこまでする必要はない。アリアの行動が演出でないことは、死んだ彼らを特別に扱ったりしなかったことだろう。おそらく現場にきて、思わず行動に出た。それが誰の目から見ても、神々しく心を打たれる劇的な絵になった。
アリアはまだ若い少女であり、高貴な身分の王女だ。遺体は戦争の死者だから、中には目を覆いたくなるような酷い状態もある。だがアリアはそれを大げさに嘆くではなく、嫌がるのでもなく、ただ静かに彼らの冥福を祈った。その自然さが、演技ではない本物のアリアの真心を伝えていた。
それぞれ黙祷が終わると、アリアは国防軍の中隊長たちの元に行き、死んだ兵士たちの冥福をもう一度伝えた。中隊長たちは直立し、それをただ享けた。アリアは余計なことは一切言わず、それが済むとクシャナにごく事務的に「なにか必要なもの、要望はありますか?」と尋ねた。クシャナの感動はそれで冷め、すぐに「遺体収容は時間がかかるので、追加人員を。兵に休憩を交互にとらせたいですわ」と伝えた。アリアは頷き、すぐに手配する、と答えた。
「ただし、私からも命令がありますよ? クシャナ」
「なんですか? アリア様」
「彼らにも休息と食事を。あとはクシャナ、貴方です。あなたはケガ人です、今夜は必ず休んでください。ミタスさんかシュラゼンと交代してもらいます」
「ありがたいお話ですけど、私は大丈夫……」
「クシャナは大丈夫かもしれませんが、クシャナを心配して私の気が疲れます! 私のためにもクシャナは交代すること。でないと二度とお茶会もお風呂も一緒には入りません」
「そ……それは……困りますね♪ クスクスクスっ」
そういわれればクシャナも頑なにここにいる、と言い切れない。お茶会やお風呂など単なる言葉遊びだろうが、アリアにそういわれると、その貴重な時間が失われるというのはクシャナにとって何より大きな罰だ。
アリアは忙しく、すぐに次の場所に向かった。クシャナはその背中を苦笑しながら見送った。
「なんだかヘンなカンジですね……アリア様」
苦笑しながらクシャナは一人呟いた。人間としての差だろうか……クシャナからみても、アリアは別次元にいる特別な存在に思えた。
翌日、アリア軍もようやく集団として休息をとれるほど落ち着いた。元々後方支援用の大型飛行艇<プラーサム>と中型飛行艇<ロ・ドルーゼ>の二隻には当面の食料と医薬品、テントや毛布などの宿営品は積んでいたので、全兵士はリィズナの敷地内で十分な状態を維持することができた。
アリアはミタス、ユニティア、ザール、サザランドの五人で協議し、軍を大まかに5体制に分け、それぞれ交代で休息、警備、基地整備活動の役割をローテーションさせることを決めた。そしてそのままこの場にいる人間が責任者となった。アリア、ミタスとユニティア、ザール、サザランドである。
最初に休息をとることになったのはアリアが負担する部隊で、貴下はナディア率いるアーマー部隊とクシャナ隊である。アリアは自分が最初に休むことに難色を示したが、その他全員の意見ということで押し切られた。
「そんな顔すんなよ姫さん。ナディアとクシャナを休ませるためだ。姫さんが休まないとあの二人も休まないからな」
「その姫さんという呼び方は不敬です、ミタス殿」とユニティアはチクリとミタスを睨む。
「その通りだぜ、アリア様。アリア様が疲れた顔して仕事していると、俺たちも気が抜けねぇ、全員緊張したままだぜ。ここは大人に任せて、嬢ちゃんたちと一緒に休んでくれよ」
サザランドはアリアに敬意を示しつつも、彼からみればアリアもナディアもクシャナも子供だ。アリア軍の中の大人を自負するサザランドにしてみれば、戦闘に関してはともかく急を要しなくなった今は、子供は無理せず休め……と言いたいようだ。
アリア自身子ども扱いされるのを好んでおらず、軍を束ねる者としての責任感から素直に従えなかったが、トドメにザールが
「それともアリア様は我々が信用できませんか?」と言い、それを聞いてミタスと二人でわざとらしく落胆するような表情を作ったので……アリアも言い返すことができず、素直に従うことにした。
アリアには軍本部の貴族用宿舎の一つがあてがわれた。おそらくコーキトスやミネザル用の将軍用の部屋があったのだろう、内装はホテルの一等室と変らない。こういう特別室が5部屋あった。ミタス(と、この場にはいないがクシャナ)は辞退したので、部屋割りはアリアとナディアは共同で一部屋使い、他はザール、ユニティア、サザランド、レイトン用に割り当てられた。
「アーーーリアさまぁぁ~! 疲れたーーっ♪ 休息休息っ♪」
休息の命令と部屋割りを直接アリア本人から聞いたナディアは、徹夜の疲れなど微塵も感じさせない満天の笑顔を浮かべアリアに抱きつく。アリアも苦笑しながら抱擁を受け止め、部屋に向かった。
「ゆっくり足を伸ばしてお風呂に入れればいいけど……」
ナディアと二人だけになったのでアリアも気が抜け、ついつい願望を零した。アリアの数少ない娯楽的趣味は入浴だ。潔癖症なのではなく純粋に彼女は大きな風呂や温泉に入るのが好きでほっておけば二時間くらいは入浴している。一人で入るのも好きだしナデイアやクシャナたちとわいわいと入るのも好きだ。ただし軍を動かす者として、兵士たちの手前そのことはいえない。
「部屋についてるんでしょー? お風呂」
「あるけど、ここは軍施設だから、そんなに大きなものはついてないわ。兵士たちは共同シャワーなのに、私だけそんな贅沢はできません」
「ふぅーん……アリア様は王女様なのにね」
「そういう特権階級的な扱いは嫌いです。入るのなら皆平等に入れる施設を作るべきです」
「いいんじゃない? 女性専用の大きなお風呂つくっちゃうとか? それなら皆一緒に入れるじゃん♪」
アリア軍は、正規軍ではなく革命軍だけあってクリト・エの普通の軍に比べ女性兵士や女性隊長が比較的多くいる。確かに女性兵の慰安を考えれば、特設の浴場はあってもいいのかも……と一瞬アリアは考え、すぐに打ち消した。そんな大浴場作っても入るのは結局アリアとナディアとクシャナの三人が入るだけで、ユニティアは恐縮するだろうし、伯爵令嬢の彼女は個人でゆっくり入りたいだろう。他の女兵士たちは恐れ多くてアリアと一緒に入浴というわけにはいかないだろう。
ちなみにアリアの入浴好きというのは、変な効果をもたらしている。アリア軍では入浴時間の確保はかならず行軍中でも作戦企画内に入っていた。その結果、軍としての入浴率は史上最も高く、結果として大陸連邦や他の諸国にもないほど兵士たちの衛生管理はよく、病気になる兵や精神を病む兵は少なく負傷兵の回復も早いという特徴があった。クリト・エ諸国の軍でここまで入浴を気にする国はなく、大陸連邦でも各自の判断でシャワーを浴びる程度だから、この点アリア軍の特徴といえなくもない。当然風呂やシャワーが作戦の基本に入っているから、水や食料の補給計画も精密になる。
ちなみにアリアは入浴の願望はナディアとクシャナにしか零さなかったが、周りはアリアの入浴好きをよく知っていたので、後日アルファトロスから輸送船が届いた時、組み立て式の建築材と組み立て式の大浴場の素材が入っていて10日後には大浴場が作られた。ヴァームの判断か、ミタスかザールかがこっそり発注したのかは、送り主のヴァームが沈黙を通したので分からない。
クロイスの政庁の無線室。
周辺に人気はない。灯りさえも落としている。
そんな暗い無線室の中で、レイトン=フォン=ローゼンスはいた。すでに無線機はダイヤルされている。
「ご無沙汰しております、公爵様」
『卿も壮健そうで何よりだ、ローゼンス子爵』
「公爵様もお元気そうで何よりです」
相手はナムルサス公爵、場所は首都シーマの王宮内無線室だ。そこには評議会員ナムルサス公爵とクレイド伯爵がいて音声はスピーカーになっている。
『アリアがリィズナを陥した。卿も活躍したようだが……我々が思っていたよりアリアが強いのはどういうワケだ?』
「武装でしょう。アーマーの数と飛行艇はリィズナ側より多く充実していました。あとは…………」
『あとは?』
「……いえ……脅威というほどではないですが、ザナドゥ伯爵が民衆の優秀な人間と組んで軍を以前から組織していたのは間違いないようです。どうして政府は気付かなかったのですか」
『ザナドゥ伯爵が腹黒いのだよ。奴は放蕩貴族を装い国内を遊び歩いておった。思えばそれが表の顔で裏では反乱の準備をしていたことか。まさかこれほど大掛かりなことができるとは思ってもおらんよ。そもそもザナドゥはどうやってそんなアーマーを集めた?』
「分かりません」
『探れ』
「はい」
『レイトン』
「はい」
『アリアは卿や私を信用しておるか?』
「はい。彼女はあくまで人形です。特に害はないかと」
『そうか。クレイド伯と相談して……』
その時、これまで沈黙していたクレイドが突然発言した。
『ローゼンス子爵。私はクレイド=フォン=マクティナス伯爵です。声だけで失礼だが、こういう形で知り合えたこと、運命を感じますね。私が貴族評議軍の総指揮を任されているわけですよ』
「光栄です、マクティナス伯爵閣下」
『次の連絡までに、軍の全容を細かく調べて置いて下さい。むろん、次の軍の作戦、貴方の配備もです』
「はい」
『期待してまいすよ♪ ローゼンス子爵♪ くふふふふふっ』
『そういうことだ。レイトンよ、頼んだぞ。卿の貢献は、奥方や幼い子息にとっては何よりの栄誉となろう。頑張ってくれたまえ』
「はい。では……」
レイトンは静かに無線を置いた。
背中には冷たい汗が流れていたが、アリアの時と違い、変な不快さが残った。
ふと……。
レイトンは今の自分の報告を思い返し、自分の報告の曖昧さに気付き目じりを押えた。
……果たして自分はどこまでこんな役目を勤めていけるだろうか……もうレイトンにはそれが自分でもよく分からなくなってきていた。
「思った以上にアリア殿下は優秀……か」
「何? 何だね、クレイド君……どうかしたのかね?」
シーマ。王宮無線室のソファーにクレイドは身を沈めつつ苦笑した。
意味の分からないナムルサス公爵を横目で見ながら、クレイドはレイトンが置かれている状況をおぼろげながら今の会話で察した。
……アリア殿下がへっぽこ貴族に御しえるお方か……
あのビデオの演説は間違いなくアリア自身の意志から出たものだ。踊らされていたものではない。そしてアリアの才能に関しては父アミル王も保証した。リィズナの戦いの報告も聞いたが、全ての兵士が一丸とならなければできない戦術だ。戦術だけならば誰かが授けお膳立てすることは可能だろうが、アリアのヒュゼインは今回前線で戦い続けた。その戦果も侮れない。アリアが可愛い操り人形であればそんな危険なマネはさせないはずだ。
とすれば……内通者レイトン=フォン=ローゼンスの報告に矛盾がある。
クレイドは軍、戦略のプロだ。そして切れ者である。
そもそも評議会関係者を送り込む……アリアに疑われることは当然前提にある。その上でレイトンによってアリア軍に疑心暗鬼と混乱を起すこと……クレイブの狙いはそこにあったが、どうやらアリアはうまくレイトンの丸め込んでいるようだ。
「面白い殿下だ。楽しいよ」
「クレイド伯?」
「どうせなら、ある程度手応えがないと……私の活躍も目立たないですからね。しかし、どうも予想よりはるかに手強そうですけど」
クレイドは笑みを浮かべたまま立ち上がって、ナムルサス公爵の肩を叩いた。
「アリア殿下には、戦争の恐ろしさと絶望感を体験してもらいましょう。私自ら戦場に出て叩き潰しますよ。その際、ローゼンス子爵には色々言い含めてもらって……ふふふっ」
「そ……そうか」
鬼才の戦略家、クレイド=フォン=マクティナス伯爵が大規模な三方包囲作戦をもってアリア軍を粉砕することを決めたのは、まさにこの瞬間であった。
『マドリード戦記』 王女革命編 5 内戦 でした。
アリア様の軍事的才能開花の飾ったのが今回でした。ほとんど神がかった、チートといっていいくらいの勝利でした。でも実際のところ、才能も大きいですが、アリア様の勝利は研究と努力が一番で、けしてご都合主義ではないわけです。逆にいえば、余談で出てくる北の大陸、大陸連邦がそれだけクリト・エ大陸に比べ進んでいて、かつクリト・エ(マドリード含め)鎖国的であったか、という事なのですが。もちろん、アリア様は大陸連邦を模するだけではなく自分自身の戦略戦術を組み上げていく才能が突出しているからこそ、彼女は英雄たる資格をもっているわけですが。
一応本作は「ハイ・ファンタジー」になっています。アーマーや魔法が出てくるからファンタジーといえばファンタジーですが、これからはまさに戦記モノの本道、戦争編に突入します。政略と戦略、戦術、そしてアリア様の人格的魅力が全面に出てきます。
これからもアリア様という英雄の成長を、一緒に歩んでもらえると嬉しいです。
今後も「マドリード戦記」をよろしくお願いします。