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『マドリード戦記』  作者: JOLちゃん
王女革命編
3/109

『マドリード戦記』 王女革命編 3 戦闘の中で

「『マドリード戦記』 王女革命編 3 戦闘の中で」です。

科学都市マルファトロスとの秘密同盟が成立したアリアたち。

その帰路、たまたま雪で足止めを食ったアリアたちは、小都市ペンドルで宿をとる事になった。

何もない宿泊のはずだったが、些細な事からペンドル守備隊長で国防軍出身のシュナイゼンの目に留まってしまう。予想していなかった窮地に陥ったアリアたちは、町からの脱出を画策するが……

4/戦闘の中で


 パラ歴2335年のマドリード国政府には、二つの軍があることをもう一度説明しておく必要があるだろう。

マドリード国防軍と、貴族評議会軍の二軍である。

 前者は政府公式の国軍。貴族評議会軍は評議会の半公式半私兵軍である。

クリト・エでは貴族の多くが私兵を持ち、いざ国同士の戦いの時は領主を指揮官とし、その私兵団を指揮する私兵団の慣習が残っている。大陸連邦にもその風習が一部残っているが、大陸連邦では私設兵は皆公職であるのに対し、クリト・エのそれは完全に私兵で、軍機も規模が違う。貴族評議会軍は、その私兵団の慣習を拡大解釈させ、一体化させて評議会直属の『貴族評議軍』とし、一応公の存在とした。このあたりの関係は多少前後の事情が違うが大陸連邦の連邦軍と帝軍の関係と似てなくもない。

ただ違うのは、マドリードの場合、国防軍は兵力が約20万とマドリードの内の勢力としては大きいが、その任務は国境警備と治安維持が主で、統帥権は国王にあり王への忠誠心は高く、貴族評議会も建前上命令権はない。国防軍は王と国の私兵、と言ったほうが適当であるかもしれない。

 国防軍のほうも、貴族評議会がどうやら王を傀儡にしているという事を知ってはいるが、基本的には政府の横暴には応じずとも、通常範囲の命令には一応従っている。

そして今、主に国内の治安を担当しているのは『貴族評議軍』の方だ。もっとも、『貴族評議軍』は略奪や腐敗の温床で、盗賊より質が悪く恐れられているが。

 


 シュナイゼン=フォン=カラムは、正式はマドリード公国軍大隊長だが、政府から乞われ『貴族評議軍』に出向している代理の憲兵隊大隊長である。齢24歳、準爵家という下級貴族の出身で、若いがその軍務処理能力と剣術の腕は貴族評議軍の中からも高い評価を受け尊敬を受け、現在、マドリード地方都市ペンドルの憲兵隊長の任にも就いている。

 彼の役目は盗賊取り締まり方だったが、この2335年4月より「アリア殿下の逮捕」が職務内容に加わった。それを彼は無言で請けた。胸中は誰にも分からない。

 ペンドルはアルファトロスとシーマの中間よりややシーマ側にある都市で人口は約5万。アルファシロス・シーマ間で商売する商人たちが一次休息するため立ち寄ることが多い。商業で成り立っている町だ。

 元々は山間部で背に山があり、高地でもあってマドリードの中では雪が多い方だ。マドリード国内の環状線鉄道上にある南部の都市で、シーマとアルファトロスのほぼ中間にあり、小さい都市ながら交通の要所の一つで、国防軍が駐留しているためか、シュナイゼンが一応貴族評議軍の長も兼ね、その厳粛な手腕が発揮されているためかマドリード国内では治安がいいほうで盗賊、人買い、傭兵達も少ない。

 そんな中、アリア達の乗った列車もこの都市に向かっていた。

発端は夕方……天候が悪化し、雪によって一部山間の線路が埋まる自然災害が発生した。

 仕方なく、列車はその手前のペンドルで停車し、天候の回復と復旧を待つ事となった。これでアリアたちの予定が狂った。元々一目を避け夜遅くなるスケジュール組んでいたため、足止めが一時間以上になれば村には帰れず、列車泊となる。

「それだったら、いっそペンドルで下車して宿を取り、翌日ゆっくり戻りますか」

 とザールが提案し、アリアたちは同意した。寒い季節で乗客の多くは駅で止まらず宿や酒場などに向かっている。町は突然賑わった。都市だから一列車分の乗客くらい泊める事くらいなんともないはずだが、やはり偶然というものはあるらしい。たまたまこの時期、行商人などの往来が多く、この悪天候である。中々空いている手ごろなホテルがなく、アリア達は結局一般的な商人用の一泊宿に投宿せざるを得なかった。

 警戒する知恵は十分持っていた。ホテルでなければ、貴族を名乗るのではなく一般市民を名乗る方がいい。ザールだけはさすがに偽名の身分証をもっていなかったので個室で。アリアとナディア、ミタスは相部屋で部屋を取った。

 が、アリアたちも完璧ではない。

 疲労もあったし、アインストックを得た興奮もあっただろう。僅かに油断した。ごく小さな油断ではあったが、そこに色々不運が重なり、思わぬ事件へと発展したのだった。

 


 最初は本当に些細な露見からであった。

「おい、貴族院の方がいらっしゃるようだぞ!? どうする!?」

 ペンドル市軍本部で、貴族評議軍の連絡係とペンドル市の役人が囁きあっているのを、たまたまその場にいたシュナイゼンが耳にした。聞いてみると「伯爵閣下だ。我々で宿を提供すべきではないか」「護衛をお付けしてはどうか」という役人根性のもので、シュナイゼンは呆れて言葉も出なかった。しかし聞き捨てて去るほどシュナイゼンは無責任ではない。

シュナイゼンは「ほっておくがよかろう」と答えたが、さすがに無責任かと思い「伯爵閣下であれば御付もおろう。少人数であるはずがない。高級ホテルにあたればいらっしゃるはずだ。それだけ確認すればいい。先方が頼られないのにこっちからでしゃばっては余計に煙たがられるぞ」と忠告し指揮官室に戻った。

 指揮官室では、副官のミネルバ=フォン=サーシャが帰り支度をしていた。ちなみにシュナイゼンの幼馴染で、同じく準爵の出で国防軍の軍人であり、シュナイゼン同様に出向で来ている。歳は一歳だけ若く23歳。

「コーヒー飲むぅ?」副官だが、他の人間がいない時、二人は幼馴染の関係に戻る。

「ああくれ。なんだ、お前は帰るのか?」

「帰るわよ? あなたと違って私はヒマですから。優秀な上官をもって私は幸せ♪」

 そう言うとミネルバはシュナイゼンにコーヒーを渡し、そしてコートを羽織った。まだ終業時間には早かったが、どうせ仕事らしい仕事はない。

「シュナイゼンは帰らないの? それとも飲みにいく? 今日は寒いからお酒が美味しいわよ」

「そんなにヒマなら仕事をしろ。ちょっと駅に行って、今日の事故で下車した乗客名簿を貰ってきてくれ」

「えっ!? 今から駅!? 外は雪がチラついてるのよ?」

「上官命令だ。それに終業まで30分前、馬で往復すると丁度良いくらいだろう」

「あーあ! コーヒーなんかあげるんじゃなかった」

 そういうとミネルバはコートの前を締め階段を下り、外に出た。階下では貴族評議軍随一の勇者を自称するコールドとその仲間達の笑い声が聞こえた。もう酒が入っているらしい。

(まだ職務中なのに感心できん連中だ)

 噂どおり貴族評議軍の風紀の乱れは酷く、シュナイゼンはあまり好んでいなかったがそのことを口には出さないし、彼自身彼らを好んでいなかったが、有望な事とあまり干渉してこないこともあって、貴族評議軍たちからも人望があった。この程度の事に目くじらを立てるほどシュナイゼンは小うるさい性格ではない。市民に危害を加えないのであれば酒ぐらいのことは大目にみてやることが統率する者の器量だと思っている。

 たっぷり入ったコーヒーをゆっくり啜り、ほぼ飲み終わるという時、電話が鳴った。役所からで、件の伯爵は見当たらないという。なんとなく気になっていたところに、ミネルバが駅から戻り乗客名簿をシュナイゼンに手渡した。そこでシュナイゼンはザール=フォン=ザナドゥの名前を見つけたが、従者らしき存在がいない。

 ザナドゥ家が貴族院に属している事はすぐに思い出したが、伯爵自身とは面識はなく、人柄などは知らない。ただ、マドリードの東北地方の領主であるザナドゥ伯爵家の当主が一人このペンドルに来ているという事に少しひっかかった。

「ザール伯はお一人だったのか?」

「伯爵閣下だって一人旅されるでしょ? 子供じゃないんだから」

「それにしては……この席……」

単独の席を買うのならミネルバの言うとおりだろう。だが4席一緒で、周りは全て市民なのだ。しかもそのうち一人は有名なトジーユン・ミタスである。

「じゃあこの周りの二人の女性が付き人じゃないの? 伯爵閣下がトジーユン・ミタスを雇ったか招いたか……そんなとこじゃない? あ、寒いから私もコーヒーもらうわね」

 と、雪でうっすら濡れたコートを脱ぎコーヒーポットから温かいコーヒーをカップに注ぎ飲むミネルバ。だがシュナイゼンはそう単純に捉えなかった。もしミネルバの仮定通りであれば、役所連中が危惧したように高級ホテルをとるのではないか? いくら今はタイミングが悪くホテルに都合がつかなかったとしても貴族特権というものがある。役所を通せばなんとでもなるものだ。それがよりにもよってホテルにも泊まらず消息が分からないという。

 俄かにシュナイゼンの脳内で警鐘が鳴った。もちろんこれがアリアと結びついているとは思わなかった。思い浮かべたのは、ザール伯がミタス他一行に拉致誘拐されたのではないかと言う事だ。現実的判断と言うべきだろう。それほどマドリード国内の治安は悪いし、貴族の評判も悪い。

勘だ。何か引っかかった。

「緊急招集だ。軍だけじゃなく市の警官も動員願おう。指示は追って出す」

「ほ、本気!? シュナイゼン!?」

 シュナイゼンは誘拐事件の可能性を説明し、警官を市内の探索に走らせるよう役人に命じ、ミネルバには二杯目のコーヒーを注文した。

 役人達は事態を飲み込めず呆然としていたが、シュナイゼンが「急げ」と鋭く言うと、慌てて飛び出していった。

 コーヒーが淹れられるまでの間、シュナイゼンは懐から煙草を取り一服した。彼はコーヒーと煙草が手放せない人間だ。

 ミネルバがコーヒーを差し出しながら怪訝な顔で尋ねた。

「あんたの判断疑うワケじゃないけどさぁ。誘拐って飛躍しすぎじゃないの? トジーユン=ミタスっていえば、英雄よ?」

「ああ。有名な英雄だ。貴族嫌いなことでもな」

 ……だからこそ、危ない……

今マドリード国内の庶民と貴族間の感情は激しく、搾取され続けている民衆の怨嗟は貴族達の認知を遙かに超えて大きい。だから、その民衆に頼まれ、庶民の英雄と言われるトジーユン=ミタスが貴族院に属する貴族を誘拐する……というのはありえる話だ。伯爵がミタスを護衛に雇っている事実が確かであれば問題ではないが、もし反政府組織がミタスを雇い接近しているのだとすれば看過できない事件になる。

「ちょっと待って。じゃあ、私たちの相手はもしかしてトジーユン=ミタスってこと?」

「杞憂であればいいが。ミネルバ、お前は事務所に行ってコールドの奴から酒を取り上げ待機させてくれ。トジーユン=ミタス相手だとすればあの戦闘馬鹿の力を頼らないといけなくなるだろう」

 吸殻を地面に捨て、コーヒーを口に含みながらシュナイゼンは外を見た。時間は7時前……夜と雪はこれから深くなる。

 ……これが、まさかアリア一行と対決になるとは、さすがのシュナイゼンも想像すらしていなかった。



 一方、アリア達の方は、偶然の産物だったが、早くも異常に気付いた。

「やば……ぜんっぜん眠くないっ」

 ナディアが忌々しく呟いたのは、宿の近くの食堂でだった。一行はチェックインし、軽く休んだ後、近くの安い一般食堂で夕食を摂り終えたところだった。時間は8時前だ。

「まぁ今日出発ギリギリまでホテルで寝てたんだから当然だな」

「私はむしろ列車疲れもあるから早く休みたいがね」

とミタス、ザールの二人はナディアをからかう。ナディアは面白くなさそうにプイッと顔を背けた。ナディアも心得ているので、アルファトロスのような場所は別にして、マドリード国内ではタニヤの隠れ村以外アルコールは飲まない。だからアルコールの力を借りる訳にもいかなかった。

「あたしぶらぶらしてこよ~っと♪」

「ナディア! 危険ですよ」

「わかってるって♪ でもまだ8時でしょ? 何か美味しいお菓子でも売ってる店が、まだあるかもしれないし……ちこっとだけちこっとだけ♪ あ、ついでに駅で明日の出発状況とか聞いてくる、それでいいでしょ? ね♪」

 と言ってナディアは先に一人店を出、繁華街の方に向かっていった。大人っぽいがナデ

ィアもまだ17歳の少女だ。夜一人で歩き回るのは色々な意味で感心できないが、隠密行動は彼女が一番長けているのも事実だ。

 が、これがアリア達を救う結果となった。

 30分後、宿に戻ろうと食堂を出たアリア達は、遠くに見える大通りに警官達の姿を見つけ、その異様な雰囲気に気付いた。見れば、ここは脇路地だが人気が全く無い。そして町全体に緊迫感がありただならぬ緊張感がある。

 こういう緊張には慣れているアリアたちだ。

「ザール、姫さんと宿へ。俺は様子を見てくる」

 そう言うとミタスは気配を消し建物の影に入って表通りに向かった。アリアとザールは黙って宿に戻り、ザールも念のため荷物を持ってアリアの部屋で待機した。15分ほどして戻ってきたミタスの表情は険しかった。

「何かわからんが、警官と軍が誰かを探しているようだ」

「私……ですか?」

「いや、姫さんのことが露見したのならもっと騒ぐだろう。ナディアが暴れたのでもないようだ……奴らはまだ動きが悠長だ。目的のものは見つかっていない。犯罪者でも町に迷い込んだか」

 三人は考えるが、心当たりがない。だがもし犯罪者が迷い込み、その捜索を行っているのだとすれば、いずれはこの宿に職質に来る可能性は高かった。その時どう対策するか、考えなければならない。アリアはマドリードの最重要手配者だ。



(どういうこと?)

 駅の中の物陰で、警官達が持っている白黒写真を見てナディアは混乱した。

 そこに載っていたのは、なんとミタスの写真ではないか。どうやらランファンの事件の新聞切り抜きをコピーしたものでかなり粗いが間違いない。そして、警官達はミタスとザールについて確認しているようだった。駅員は、おどおどしつつも事故の詳細や客たちの流れを答えていた。さらに警官達は詳しい情報を聞き出そうと詰め寄っていたが、駅員もそこまではっきり覚えているものでなく、返答に困っていた。

 駅の外を見ると、警官だけでなく貴族評議軍の軍服姿の兵士も見えた。ただの人探しでないことは確実だ。

「バレちゃった……かな?」

 あと一時間もすれば軍によって完全に駅は閉鎖されてしまうだろう。街道があるが、馬車や馬で逃げるには遠すぎるし何より用意も工作もしていない。ましてやこの寒気と雪である。普段動くときは、かなり下準備し、万全の用意とプランで行く。今回も非常用のルートはあったが、このペンドルにはなかった。

 ……このことをアリア様に知らせないと……

 そう思ったが、ふと考え直した。今戻ればもう二度と駅には戻れない。そして駅には無線室がある。

……復命している時間はない……でもどこに救助を……? タニヤに? もしくは一番近い非常ルートだとゴゴロの町のジンジャーに連絡してアーマーで迎えに来てもらう?  ……どっちにしたって戦闘になっちゃうじゃん!! ……くそっ……

 陽動で別の場所で一揆を起しその隙に逃げる……最初はそれがベストかと考えたが、今はまだ戦闘はともかく戦争できる状況にない。そのことは先日アリアとヴァームの会談で二人が言っていたではないか。

(あのヘンタイと昼食なんて無駄な時間とったのがまずかったなぁ) 

思い浮かべ、今更ながら腹が立ってくる。が……ナディアの中で一つの勝機を見つけた。全然愉快ではないが、手はこれしかなかった。幸い、相手は夜型でこの時間でも起きているだろう。

「もう! 腹立つっ!」

 そう言うとナディアは再び駅構内に戻った。こうなれば一刻も早く駅の無線室で用件を済ませてしまわなければならなかった。



 アリア一行の宿にも警官がきたがアリア達に気付かずそのまま去っていった。それを階上で観察しながら、アリア達は現在の状況について推理しあっていた。警官達は宿帳の名簿を確認しただけで客の確認まではしていないようだ。ザールも心得ていて、こういう庶民の宿に貴族が泊まるのはおかしいと思い、宿帳には偽名を書いておいた。

「あまり緊迫した事態ではないな。案外何かの手違い程度か」

 ミタスはそう感想を述べた。もし自分たちが標的であれば客の本人検めを行うはずだ。

 だが、実はそれは警官達がその労を惜しんだ怠惰の結果であったことをアリア達は知る由も無い。

 この日、足止めされたのは列車の客だけではない。街道は封鎖さえされなかったものの雪が深いためここで足を止めた商人が多かったのだ。ペンドルが町の規模に比べ宿が多く、それなりに発展しているのも、雪の待機待ちという面があるからだ。

「交代で睡眠をとりましょう。不眠だと何かあったとき大変ですから」とアリアが提案し、ミタスとザールの一致意見でアリアが最初に眠ることを命じられ……納得いかない顔でアリアが寝室に入った時だった。ベランダからナディアが飛び込んできた。

 ナディアは素早く室内に入り込むと外套の雪を払った。ちなみにここは4階である。

 どうしたのかと聞く前にミタスとザールも入ってくる。ナディアは二人を睨みつけるように言った。

「なんか厄介なことになってるよ」

 ここでようやく、アリアたちは警官達の目的を知ることとなった。そして、ザールは全てが理解できた。ザールは簡潔に状況を説明した。

「なんでアリア様でなくてアンタとミタスなのよ?」

「アリア様のことは露見していない。ただそれだけだ。私が貴族であるのに貴族としての行動を取らなかった。それで役所が余計なお節介を焼いているのだろう。だが警官や兵士を動員してミタスも探しているということは……」

続けてミタスが答える

「列車で同席していることを確認された」

「別に貴族だからって役所に接待を受ける理由はない。単に私がミタスを招待して武勇話を聞きたい……といえば済む話だ。だが貴族評議軍が動いているとなると……もしかしたら想像力豊かな切れ者がいるのかもしれん」

 そういうとザールは苦笑した。

 可能性は二つ。一つはミタスがザールを誘拐したという可能性。もう一つは、ザールが内乱を意図してミタスを雇ったという可能性だ。前者の方がごく普通の思考だが、ミタスが貴族に批判的存在であることは有名だ。わざわざ貴族院に属する伯爵家が招くには理由がいるだろうし、第一ザールのザナドゥ家の領地は北東……アルファトロスの北にある。方向が逆なのだ。さらにネックは二人と一緒に付き添っているアリアとナディアの存在だ。ザールの従者とすればいいのだが、アリアの姿を貴族評議軍に見せるのはリスクが大きい。

「考えても仕方ない。それであれば、簡単です。私とミタスの二人で出頭しましょう。その程度の嫌疑であれば誤魔化せるでしょう」

「そうだな」

 ミタスも同意した。少なくともザールとミタスが一緒にいること自体は法には触れない。例え不審と思われたとしても、アリア+ザール+ミタスという最悪の図式が知られるよりはザール+ミタスの関係が知られる事のほうが被害も無い。





 ザール=フォン=ザナドゥ伯とトジーユン=ミタスの二人が見つかったという報をシュナイゼンが受けたのは夜の9時前であった。二人は町の酒場で警官たちに発見され、今はペンドルの政庁の応接室でミネルバが消息不明だった理由を確認しているらしい。

「私もすぐに行く。丁重にお相手しろ、とミネルバに伝えておいてくれ」

 そう言うとシュナイゼンは防寒コートを羽織り馬に飛び乗った。軍事務所と政庁は近い。

 ……どうも俺の騒ぎ過ぎか……。

 ミネルバの話では、ザールとミタスの関係はいたって良好で、ザールの態度も温和で節度あり堂々としたものだという。連絡をいれなかったのは、そもそもザール個人のお忍び旅行であり、ミタスは客であり用心棒だからだという。シーマに観光にいく途中で小煩いのは苦手だから……ということらしい。簡単にその報告を聞いて、シュナイゼンは自分自身の軍人としての勘が外れた事に落胆した。確かに何か不穏な匂いを嗅いだ気がした。シュナイゼンは自分自身の勘に絶対の信頼を置いていただけに、その報告はショックだった。ザールの説明は「わがままな貴族の旅行」ということで理に適っている。同席した二人の少女はアルファトロスの人間らしく、たまたま意気投合したので同席してもらった、ということでこちらもおかしいといえない。

 ……国情を考えれば、過剰な反応も仕方あるまい……。

 シュナイゼンはそう自分を慰めながら馬を進めた。この町の治安を守る責任者としてこの騒動を起こしたことを謝らねばならない。



 9時過ぎには政庁に着いたシュナイゼンは、他の部下から状況を聞くと、今はミネルバと和やかに談話中らしい。

「ご立腹なされてなくてよかった」

「隊長の考えすぎでしたな」

 この雪の夜に残業させられたのが面白くなかったのだろう……貴族評議軍の兵士はそう無意識に皮肉ったが、シュナイゼンは聞き流した。別に自分の処置が間違えているとは思っていない。

「ところでザナドゥ伯の宿泊は政庁でご用意しているのか?」

「いえ。伯爵閣下はお忍びでの旅……そのような気遣いは不要……と仰いましたので」

「ふむ」

 頷いたシュナイゼンは、やはり違和感を隠しえない。貴族でも自分のように100家以上ある準爵や領土を持たない男爵・子爵家ならともかく、領地をもつ伯爵家の当主にしてはえらく身が軽い。それにトジーユン=ミタスを客として招いているのであれば、上級貴族の見得で発言権が強いと自慢したいため、ここは政庁の申し出を受けるのが普通ではないか? もっとも、これは普通の貴族の話で、一人観光の旅をするような変わり者は、逆に市政の生活がみたいのかもしれない。

 途中部下に言いつけておいた詫びの品のワインボトルを受け取り、シュナイゼンは応接室に入った。そこでは、すでに打ち解け楽しそうに談話するミネルバとザールとミタスがいる。シュナイゼンは敬礼し、まず当夜の無礼を謝した。

「構わない。私も不注意だった。シュナイゼン殿、卿も座って少し話していくかね?」

 ザールは大貴族の風格を漂わせながら、反対側のソファーを指差した。ちなみにシュナイゼンが入ってきたと同時にミネルバは節度を持って立ち上がっている。

「恐縮です、ザナドゥ伯。しかし本官はまだ職務中であります。それに、大方の事情はこちらのサーシャが伺わせていただきました。夜も遅いので、早々に……」

「そうか……今彼女と話が弾んで楽しいところだったんだが残念だ」

「そちらが有名なトジーユン=ミタス殿ですな。卿にも色々失礼を」

 シュナイゼンはミタスに歩み寄り軽く頭を下げた。言葉遣いはザールと違うが、彼が心底謝罪しているのはミタスも分かった。

 が……ここはシュナイゼンである。

 この男の観察眼は、常人ではない。

 ……荷物がない。いや、ザール殿は小さな鞄……あと……壁にあるあの大槍だけか……。

 大槍はミタスの持ち物で、刃の部分は斧のように大きい特製のものだ。傭兵として正規に登録した者は武器の所持は合法で抜き身を堂々と振り回しているのならともかく、ミタスは槍をちゃんと布で包み、一見では何か分からないように隠している。

「他の荷物は宿ですか?」

「ああ。卿の好意は有難いが、こういう機会は滅多にはない。市民の生活というのを楽しんでみようと思っている。ミタス殿の槍は……ふふっ……国内はどこも治安が良くないものですからな」

「成程。確かに」

 シュナイゼンは無表情で頷いた。が、矛盾がある。今、この警戒の町中では少なくとも治安に関しては大丈夫なはずだ。二人とも旅の荷物は全て置いてきたが、ミタスは槍のみ持ってきた。言い分は間違っていないが……見ればザールもミタスも短剣も差している。現状ではこれで十分なはずだ。そして二人とも旅装のままだ。が、旅の荷物はない。

 この点、ザールやミタスにとっても悩み所だった。丸腰では行き難い。場合によっては軍を蹴散らし、二人は賊として追われる覚悟もしている。そのため、防寒コートの上に雪除けの外套を目立たぬよう持って来ていた。

「話は変りますが、そのアルファトロスからの少女たちと途中までご一緒だったとか。彼女たちはどこにいったのでしょうか? てっきりザナドゥ伯の使用人かと思っていましたが報告では違うようですが」

「使用人になってほしい……と誘いはしましたけどね。彼女たちもシーマへの旅行者のようだ」

 ザールは苦笑して知っているとも知らないとも答えない。

 このあたりはザールたちにとっても際どい。ミタスもザールも、他はともかく、このシュナイゼンという軍人が只者でないことに気付いた。今夜の手際もこの男の手腕だろう。

ミネルバとの話では、シュナイゼンとミネルバは国防軍からの出向らしい。とすれば余程優秀だと見ていい。

 ……このままアリア様たちも知っていることにするべきか……

 このままの勢いでは少なくともこのシュナイゼンは宿まできそうな雰囲気だ。宿にきて調べれば、からくりの一角がバレるかもしれない。念のためザールは別室で部屋をとったが、ミタスとアリアたちは相部屋なのだ。

 ミタスも同様の危惧を思い浮かべたのだろう。チラリとザールを見た。

 ザールはわずか数瞬、目を閉じ思考を纏めた。

「卿も無粋だな。どうして私が市政の宿に戻りたいと思っている?」

 クククッと意味ありげにザールは笑って見せた。

「実は、彼女たちも同宿だ。同じシーマへの旅……若い女の子と旅が楽しみたい……とは思わないか?」

「困った貴族さんだ」

 ミタスもすぐにザールの意図に乗り、苦笑して同意する。そういう意味では、二人とも戦術・戦略家だ。

「成程。確かに無粋でしたな」

 さらりと答えたシュナイゼンは、より不信感を強まらせていた。

 あまりにザールたちの返答に澱みが無さ過ぎる。全てこちらの質問を想定して答えを用意しているようで、まるで盤上でゲームしているような感覚だ。理屈に適いすぎて逆に自然さがない。

 これほど頭の切れる若い上級貴族がいたのか? だがザナドゥ伯など、貴族評議会や貴族院で噂になったこともない。若すぎるからか……それとも変わり者か……いや、伯爵位を持つ者で、若く有能な人間は貴族評議会に属している……

「…………」

 シュナイゼンは決断した。

 シュナイゼンは、初めて笑顔を浮かべ「ご足労おかけしました。どうぞ宿にお帰り下さい」と二人を解放した。

ただし……。

「失礼を重ねたお詫びです。私が宿まで送らせて頂きます。馬車を用意しますので、しばしおまちを」



 一方、宿に残ったアリアとナディアは、すでに荷物をまとめ、外套に包み短剣を隠している。

「うまくやったかなぁ? ねぇ? アリア様」

「ザールとミタスさんだから、うまくやるとは思うけど……」

「けど?」

「悪い予感がする。二人がうまくやって二人だけで帰ってくればいいけど……もし誰か連れてきたら、プランBの方ね。私たちはミタスの使用人になるか、旅の道連れになってるか……だけど」

 正直それは拙い。時間が時間だから自分たちは寝ていることにするのが一番だったが、生憎そうすればミタスの部屋がなくなってしまう。ではザールに話を合わせるか……あわせるとすれば話をするのは年長者のナディアのほうだが、ナディアとアリアでは肌の色も髪の色も違うので姉妹では通らない。ザールは軍師だが、アリアを使用人として扱うのには抵抗があるだろう。第一貴族の使用人で若い女が主人と別室というのもおかしい。ということはやはりミタスの仲間か知人という扱いにするだろう。

 幸いナディアの身分証は今回アルファトロス国籍で市民の戸籍を作ってあるから、アダであると責められることはないし、アルファトロス人には警察も遠慮する。

「あたし、様子みてこよっか? なんかザールが出頭したから警官の気配も減ったし」

「もう少し待って」

 アリアもどうしたらいいか考える。

 このままザールの話にあわせるのが一番いい。だが、善後策は必要だ。

 その時だ。ふとナディアは「ポン」と手を叩いた。

「あ!」

「?」

「アリア様ゴメン。実はさぁ……ええっと……すっごく……いいにくいんだけど」

 えへへへ……と頭をかきながらナディアは苦笑した。どうしたのかとアリアはナディアを見た。明らかにナディアは罰が悪いのを乾いた笑いで逃げている。

「何をしたんですか、今度は」

 ツンッと呆れた口調でアリアは尋ねると、ナディアは「ハハハッ」と頭を掻きながら誤魔化している。

「アリア様的には、今回はなんとかなりそう……かな? レベル的に」

「そうですね……多分、誤魔化せると思いますが」

 とはいえアリアはシュナイゼンを知らない。シュナイゼンがいなければ難なく誤魔化せただろう。

「あはははっ だよねーー♪ あはははは……はぁ……ヤバぃ……」

「ヤバい?」

「ゴ……ゴメンっ!! アリア様っ!! ややこしいヤツに助け求めちゃったっ」

 ……堪忍してっ……とばかりに手を合わせるナディア。訳が分からずアリアが問いただすと、ナディアは駅の無線で助けを求めたことを告げた。駅の雰囲気からして、町や街道が封鎖されると判断したナディアが、唯一それを突破し、無事脱出させることのできる手腕と方法をもつ人間は一人しかいなかった。

「あの……さぁ……呼んじゃた♪ アリア様の空前のピンチってコトで……」

「……誰を……?」

「あはははっ……プレセア=ヴァーム……」

「えっ?」

「アルファトロスの政治局の無線番号は覚えてたから……あははははっ……アリア様が危ないから飛行艇でこっそり救出に来てよ! 来ないとコロスって言ったら……めちゃくちゃ文句いってたけど……こっちも非常事態でなきゃアンタなんかに頼むもんかーって……そしたらあいつ大笑いして飛行艇の無線番号教えてきたから、来るンじゃないかなぁ」

「ナディアっ!!」

 思わずアリアは大声を出した。シュンと頭を垂れるナディアを、アリアは抱きしめた。

「へっ??」

「ナディアすごいっ! ……それで最悪の状況はなんとかなるわ! 私とナディアは軍を突破しなきゃならないけど、それでも……今ある案の中では一番よ!」

「あ……え?」

 駅の始発駅はアルファトロスで、不通事故のことはヴァームの耳に入っているだろう。当然ヴァームも警戒していたはずだ。ヴァームは個人所有のエルマ式小型飛行艇を持っていると言っていた。エルマ式飛行艇であればアルファトロスから3時間ほどでこのペンドル地方まで来れる。時間的に考えればあと一時間も掛からぬ内にこの地方に到着しているはずだ。小型船であれば飛行場がなくても離着陸はできる。この雪のちらつく天候で飛行艇はまず追えない。

「私とザールの関係がバレちゃダメ。私とミタスさんとザールの関係がバレてもダメ。でも私がニセの身分証をもったナディアと組んでいることがバレるのは、そう問題じゃないの! だって私はもともと政府からは追われてるんだもの」

「は……はぁ……?」

 ナディアはワケがわからず、眼をぱちくりとしている。だがこの時、アリアはザールたちと立てた計画案とは別の第三案を思いついていた。そして、聡明なザールとミタスであれば、アリアの芝居に適応するだろう。

 こうしてペンドルの夜、第二幕へと移るのであった。

 


 ミネルバは軍事務所に戻った時、守備隊長コールドと出会った。コールド=グラドン中隊長はミネルバから話を聞くと、その大きな体を揺らして落胆のため息をついた。

「なんだよ。トジーユン=ミタスと一戦できるかと思ったのによぉ」 

「戦いたかったワケぇ? ランファンの英雄よ?」

「サーシャ。こうみえても俺ぁ軍では1.2を争う実力者だと自負してンだぜ? へへへへっ……で、どうよ? ランファンの英雄は」

「背はあんたと同じくらいだけど、格段にいい男だったわ♪ あんたみたいに筋肉樽でもないし、会話も礼儀を弁えて魅力的だと思うわ、少なくともアンタよりはね」

「いうぜ、サーシャ殿はよぉ~ ふはははははっ」

「酒臭くもなかったしね」

「へっ これは俺の栄養剤さ」

 コールドはそう言いながら懐からウイスキーの小瓶を取り出し煽った。ただでさえ心なし男臭いのに、それにアルコールが吐息と共に吐き出され、女性にとって余計不快感を感じさせる。ミネルバは露骨に顔をしかめたが、コールドはそんなことなど気にも留めない。結局コールドはそのまま兵舎のほうに戻っていく。戻れば戻ったで、仲間たちで酒盛りを続けるのだろう。

 ふと……ミネルバは立ち止まった。

「ザナドゥ伯たちは酒臭くなかった……?」

 列車が天候事故で止ったのは夕方……二人が発見されたのは9時だ。他の場所で目撃されていないのだから食事したりもしていたのだろうが、見つかったのは中央繁華街の酒場だった。だが二人ともアルコールの匂いはしていなかった。意気投合したといっていたのに酒一つ飲まないのか? もう夜中だ。しかも雪が降り寒い。酒が恋しくないはずがない。

 ……シュナイゼンに伝える……? いや、シュナイゼンは気付いていた!

 シュナイゼンは自分自身見送りに出たが、同時に密かに一個小隊を遠巻きにつける処置を取った。あれはてっきり護衛のためだと思ったが……もしかしたらそう単純ではないかもしれない。

 シュナイゼンが優秀な頭脳を持っていることは、ミネルバが一番よく知っている。

 ミネルバはすぐに指揮官室に向かった。そこには、アーマーの起動鍵が保管されている。おおげさだが、相手が何かしら陰謀を含んでいるのであれば、そのくらいは必要かもしれない。幸い、このペンドルの評議会軍は2機、アーマーを所有していてそのうち1機はミネルバが操縦を許されている。アーマーの倉庫にかけていくミネルバの姿を、コールドはじっと見つめ、そして「フン」と鼻で笑った。



「これは……」

 ザールは唖然と呟く。異常に気付いたシュナイゼンが、懐から拳銃を抜き中に入った。

 そこはザールたちの宿だ。旅の商人向けの宿で、部屋は寝室と簡単な洗面施設しかない宿だ。だがザールが驚いたのはそこではない。部屋の鍵は壊され、中に入るとザールの荷物は荒らされた跡がある。

「この町ではこれほど警官がいても市政の宿では盗賊の輩がでるのかね? カラム殿」

「いや、それはありますまい」 

 シュナイゼンはチラリとザールとミタスを見、中に入る。安いカーペットの上にうっすらと足跡が残っていた。足跡は小さい。

「女か」

「女!? ま……まさか」

 ミタスは声を上げた。そう、彼らは今、二人見知らぬアルファトロスの少女2人と旅をしている。そして彼女たちはミタスと相部屋だ。

 ミタスはすぐに愛用の槍の布を解くと、黙ってシュナイゼンに自分の部屋を指差した。

 シュナイゼンは頷き、銃を構え部屋に向かった。そしてミタスから鍵を借り、中に入り込む。

 中はすでに無人だ。少女たちの荷物もミタスの荷物も見当たらない。

「なんと……あのお嬢ちゃんたちは盗賊か……」

「女盗賊というのはけしてめずらしくはないのですよ、ザナドゥ伯。これが今のマドリード国内の状況なのです」

 その時だった。

 突然ザールの部屋から二つの丸い玉が転がったかと思うと、その玉が割れ、シューッという何かがガスのようなものを凄い勢いで噴出した。

「!?」

 毒ではない。色も匂いもないが確かにガスのようなものはあたり一面に充満している。

 全員がそれに気をとられた瞬間……ザールの部屋、そしてミタスの部屋から二つの人影が飛び出し、そのうち一つ……やや小柄な方がザールの背後を取ると、一瞬にしてザールを締め上げ、短剣をザールに突きつけた。そしてもう一つの人影がシュナイゼンの前に立ちはだかる。

「賊っ!!」

 シュナイゼンは叫び、すぐに引き金を引いたが銃は不発だった。シュナイゼンはハッと床に転がった球を見、その正体を知った。軍で使われている携帯用エルマ粒子発生球だ。

 アーマーや飛行艇、ビームや粒子砲やなどで使われるエルマ粒子は、万能エネルギーだが、たった一つ科学的欠点がある。火薬の化学反応を起こしづらくなり、そのため過敏な雷管が最も影響を受ける。簡単にいえば、対人用の銃火器は使用できない。

 余談だが、これがあるため大陸連邦では対人用銃器に見切りをつけ、代わりに剣術が成長を遂げた。アーマーや飛行艇が飛び交う戦場で、いつ不発を起すかわからない銃器は武器として致命的欠陥になるからだ。これはアーマーや飛行艇がまだ広まっていないクリト・エとは事情が異なる。この携帯用エルマ粒子発生球は10年ほど前からクリト・エにも入ってきている。むろん使用するのは軍のみで盗賊が持っているのはごくごく稀だ。

「賊ではないぞ!」

 少女は機先を制し鋭く叫んだ。

 そう言うと、ザールの後ろの少女は外套を脱ぐ。長い髪がバサリと広がった。

「卿も動くな! この貴族の首が飛ぶぞ」

「カラム卿……」

 ザールは苦しそうに呻く。本気で腕を締め上げられ、鋭い刃が時々ザールの震える首が刃に当たり、薄い傷を作った。

「どういうことだ……小娘。不敬であろう!」

シュナイゼンはそう言いながら銃を捨て、すぐに短剣を抜いた。が、目の前の少女がそれを制するように眼前に短剣を突きつける。ナディアの短剣は普通の短剣よりやや長く、通常の剣と中間の長さがある。

「不敬なのはアンタらよ! この政府の犬!」

「この貴族の命が惜しければ、私の命令に従ってもらうぞ! 残念だが私にとって大貴族など敵でしかないのだから……」

「何をいうっ! ……貴様、少女の身で……少女……だと?」

 その時、シュナイゼンははっきりとザールの後ろにいるのが少女だと気付いた。

 青紫の髪、一房のみ特殊の編……そして、凛とした顔立ち……

 そして盗賊とはとても思えぬ美しい顔立ちと、強い意志を秘めた双眸……そして威厳。

 何より、その顔立ちをシュナイゼンは知っていた。

 ……シュナイゼンは、愕然と見上げた。

「もしや……アリア様……か!?」

「!?」

 アリアたち全員が息を呑んだ。シュナイゼンが気づくのが早すぎる。

 だが、シュナイゼンの驚きは敵意ではなく敬意が混じっていた。

「アリア殿下……ですな?」

 シュナイゼンは敵意が無いことを示すため、短剣を地面に置き、はっきりと言った。

 シュナイゼンの問いかけはもう疑問でも確認でもない。確信している。アリアと面識はないがマドリード政府軍将校として、王と王妃とは謁見している。目の前に少女には、二人の面影が濃厚にあるし、年齢も一致している。

「で……殿下だとっ!! そ……そんな馬鹿なッ!!!」

 騒ぐザールを、アリアはさらに締め上げ、そしてナディアが布テープで口を塞いだ。

「少し静まれ、ザナドゥ伯。だから私は大貴族が嫌いだと言っている」

 その時、シュナイゼンが遅いことに気付いた部下が階下より駆け上がり、事態に驚き騒ぎ出した。だがそれをミタスが先制して戦斧槍を一閃し、部下たちを震え上がらせると、ミタスは不敵な表情を浮かべシュナイゼンに向かって言った。

「実はこういう事だ。俺は貴族より、女の子側なんだよ」

 シュナイゼンは驚かない。この状況でミタスが一切動かないのが何よりの証拠だったし、ミタスは彼女たちと相部屋だった。少女の正体がアリアであれば、ミタスが裏切っても不思議ではない。そもそもミタスは貴族嫌いで有名な傭兵なのだ。

 ……俺の勘通りじゃないか……。

「……引け。屋外で待機しろ。誰も命じるまで入るな!」

 シュナイゼンはそう命じると兵士たちは訳が分からぬまま外に出て行く。ミタスが上がってこないように階段の見張りに立った。

そして、この場には、奥からアリア、人質のザール、間にナディアが入り、そして挟まれるようにシュナイゼン、そしてシュナイゼンの背後と階下への監視牽制のミタスがいる。兵士たちは一階の狭いロビーで固まり、どうすることも出来ずただ見上げている。4階の会話が聞こえることは無いだろう。シュナイゼンは野外に、と言ったがさすがに野外に出るわけにも行かない。が、意味は同じだ。

 ここにきて状況は変り、シュナイゼンの計画も大きく狂っている。もはやこれまでの予想はなんら参考にならない。そして全て納得した。

 今回の事件はただの偶然が重なった事故によって発生した事件だ。ザールが僅かばかりに貴族特権の煩わしさを面倒くさがったため、政庁が過敏に反応し、結果、たまたま居合わせた極秘行動のアリアを窮地に追い込む結果となり彼女はミタスを説得して仲間とし、最悪官憲の手が及んだ場合、ザールを人質にして逃げようと判断した……というところだろう。貴族評議軍からみれば、瓢箪から駒のようなもので、思いもかけない獲物がかかったことになる。

 だが、それを今知ったのはシュナイゼン一人だ。

 本来マドリード政府軍所属のシュナイゼンにとっては、お尋ね者として手配されてはいてもアリアは正等な王女であり、主筋になる。そして現状は、治安責任者としても大貴族のザールが人質に取られている。彼を助けるのが第一任務だ。

 そこは後にマドリード帝国首都防衛司令官兼憲兵長官となる男である。この後においても思慮と節度と冷静さは失っていない。

 彼はまっすぐにアリアを見つめ、自分が政府軍所属であること、王や王妃と一面識あり、今、こうして会話を交わすに当たりその言葉の中にある威厳を感じとり「アリア殿下」であると訪ねた根拠を述べた。

 それを聞いたアリアは、目を閉じ数瞬後……頷いた。

「私はアリア=フォン=マドリードである」

「このような場ですが、殿下への拝謁、恐縮至極にございます。しかし殿下……殿下は今、政府から手配されております。その理由は本官の存ぜぬ事……職務としては、殿下をシーマにお連れせねばなりません。しかし……本官、ただの無知な軍人でしかありませんが、アミル陛下や殿下への敬愛を失ったわけではございません」

「…………」

 そう言うと、シュナイゼンは片膝を付いた。

「よろしければ事情を説明頂けれないでしょうか」

「そんなこと言って! 時間稼ぎしようったってそうはいかないよっ!」

チャキリッ……とシュナイゼンの目前に剣を突きつけた。だがシュナイゼンは動じない。それを見てアリアはナディアを下がらせた。

「父アミル陛下と母、王妃クラリエスは貴族評議会に幽閉され、自由を奪われ、貴族評議会は父を傀儡としています。私は先日、王女の責務として……娘として、母クラリエスを救い出すことは成功しました。そのことによって貴族評議会は逮捕命令を出したのでしょう。もし私が出頭すれば、王妃誘拐犯として処断されるでしょう」

 確かにアリアの逮捕命令が公式に全国に出たのはつい一ヶ月前だ。正確にはアリアたちがクラリエスを奪還したのはもっと以前だが、それは問題ではない。

「カラム卿。卿には卿の任務がある。それは分かります。だが、私には私の果たさねばならない責任があります」

「それは、貴族評議会の打倒ですか?」

「そうです」

「それは内乱となります。軽挙と本官は考えます。アリア殿下、ここは小官を信じて頂き、まずは身柄をお預け下さい。貴族評議にも軍にも引き渡したりはしません。何か方法を考えましょう」

「…………」

 シュナイゼンの言葉には全く偽りは無い。彼は彼の立場で許す限りアリアの力になろうとしているのは間違いなかった。それはここにいる全員が感じ取った。

「ひとまず、ザナドゥ伯を開放して下さい、殿下」

「それはできない」

「ザナドゥ伯に罪は無い筈。殿下、それは殿下も分かっているはずです」

「それは違うぞカラム卿っ!」

 アリアはそう叫ぶと、ザールを言葉の勢いにのって突き放し、それをナディアが受け取ると、アリアはシュナイゼンの前に立ちはだかった。

 じわり……極彩色のオーラがアリアの体から滲み出始めた。

「!!」

「この男の罪は<無為>っ! 国を変える立場を持ちながら、現状に甘んじ、そして自分自身の享楽にしか興味がないっ!! 他の大貴族などさらに酷いっ! 卿は庶民が貴族によってどれほど苦しめられているかご存知か!? どれほど国内が今混乱しているか、それは民と直に接する卿はよく知っているはずだっ!」

 言葉に打たれ、シュナイゼンは呆然と頭を垂れた。

 滲み出る<王覇>が、広がっていく。

「私には王女として、彼らを救う義務があるっ! それは私自身の権力ではない、庶民のため、国のため、そのためには、ここで卿に捕まるわけにはいかないのですっ!」

「……アリア……様……」

 ナディアやミタス、ザールも気付けば傅いていた。無意識のうちに、だ。アリアの<王覇>の力のよるものか……ヴァームの時見せたのとは比べ物にならないほど、今のアリアからははっきり<王覇>が発せられている。

(……なんで俺たちまで畏まってるんだ?)

と、ミタスたちにも理由は分からない。だが直接言葉を受けるシュナイゼンは完全にアリアに服してしまっていた。

 アリアがあげたザールの罪は、シュナイゼンの罪でもある、と暗に告げている。

 ただの軍人なら、それでもいい。

 だが、才能と見識をもつ軍人が何も出来ずただ日々を無駄に職務のみこなしているというのは、アリアに言わせれば<大罪>であった。そして、不幸なことにその理屈をシュナイゼンは理解できる利口さを持っていた。

 アリア、<王覇>を放ちながら、シュナイゼンに一歩近づいた。

「卿には卿の職務がある、立場もある。だが、二つだけ私の願いの叶えてはもらえませんか?」

 アリアはそう言うとシュナイゼンに立ち上がるよう促した。

「条件は何でしょう」

「アーマーを一機お貸し願いたい。このまま市街戦は私も卿も好まぬだろう。 私たちは脱出する。そしてもう一点は……少なくとも朝までは捜索をしないで欲しい。戦闘は避けたいのです。その後、アーマーとザナドゥ伯は残していきます」

「分かりましたが、当方からも条件があります殿下」

「なんですか?」

「人質のザナドゥ伯を今、解放下さい。代わりに、私が殿下の人質となります。そのほうがこの件、私と殿下だけの問題で他の兵士たちに知られず済みますから。私専用のアーマーを私のために使うというのは理に適っていると思います」

「…………」

「アリア殿下。殿下が貴族を恨む気持ちは……」

「貴族の横暴は私個人の因縁ではないっ! 今のマドリード国民総意です!」と、アリアはシュナイゼンの言葉を否定した。シュナイゼンは素直に認め訂正した。

「しかし、直接殿下の仇ではありますまい。私としても、人質をとられそのまま逃げられたというのではザナドゥ伯はもちろん、職務上任務を果たしていると言い難い。私は私の職務として、ザナドゥ伯をお守りしなければならない立場です。この人質交換の件お受け頂けない様であれば、私としても非常の手段を取らざるを得ません」

 アリアはナディア、ミタス……と目でそれぞれの意見を求めたる二人とも反対しなかった。アリアはその件は了承し、「アーマーを今すぐに。アーマーとザナドゥ伯は引き換えにします。カラム卿は申し訳ないが、来て頂きます。卿は信じるに足る男であり、誇りある軍人であると信じていいですか?」

「むろんです。アリア殿下」

「では卿に敬意を表し約束はけして違われぬものと信じ、拘束はしません。それでよろしいか?」

 それを聞いてミタスとナディアは顔を顰めた。さすがに無防備すぎないか……?

だがシュナイゼンには<王覇>の影響が今もかかっているのかもしれない。純粋にアリアが自分を認め、敬意を示してくれたことに感動していた。思えば貴族評議軍で指揮官に納まっているが手腕も人格も彼らはどれだけシュナイゼンを評価していることか……

 今、多少混乱した中にあったシュナイゼンにとって、アリアの言葉は何より重かった。

 シュナイゼンは階下の部下にアーマーを取ってくるよう告げた。アーマーであれば15分ほどで戻ってくるだろう。

 それまでの数分、彼らには時間が出来た。

 緊張はまだ続いているがピリピリした一発触発のムードはなく状況がまとまった階上と、よく分からない階下の雰囲気が違う点が大きな違いだ。すでにアリアの体から<王覇>は発せられていないが、その残り香のようなものは残り、あたかも宮殿内であるかのような錯覚をシュナイゼンやミタス、ナディアたちは感じている。

 シュナイゼンとしては、アリア一行のことはこのまま正体を自分自身胸に秘め、部下たちにも上官にも伝えるつもりはなかった。

 ザールは一応拘束されたまま、ザールの部屋に押し込まれ、廊下にはアリア、ミタス、ナディア、そしてシュナイゼンだけである。シュナイゼンは自らの意志で銃だけはザールの部屋に置いた。

「アリア殿下」

 シュナイゼンは下や部屋にいるザールに聞こえないよう、小声でアリアに尋ねた。

「先ほどのお話だと……アリア様はトジーユン=ミタス殿を雇った。それはつまり……民衆のために起たれると言う事ですか?」

 アリアはすぐには答えなかった。少し沈黙し、虚空を見つめる。その革命を起したときの国内の悲惨な現状を思い浮かべてみた。

「少なくとも、今の貴族評議会のやり方では、あと5年もたたずマドリードという国は分解してしまうでしょう。その後、諸外国に攻め込まれれば……」

アリアは曖昧に答えた。国内事情がすでに限界点を超えていることはシュナイゼンも分かる。

「小官は何もできません。せいぜい、この町の治安を守ることです」

「それは正しいこと、素晴しいことです。それがカラム卿の仕事。今回このようなことになって不本意ですが、二度と無いと保証します」

「……そうですか」

 職務としても個人としてももっと色々尋ねたいことがあったがシュナイゼンは切り上げ、あとは黙った。あまり喋っていると、知らぬ間に気持ちがアリアのほうに傾き、人質ではなく配下としてついていってしまいそうだ。その衝動をなんとか必死に抑えていた。

 小隊たちは小型携帯無線を持って来ていたので、シュナイゼンの命令はすぐに伝わり、20分ほどでホテル前にアーマーが到着した。一般的なマドリードで指揮官用に使われているオリジナル・アーマー、<アージェンス>である。コクピットの中は女性であれば二人入れるだろう。

 アリアは部屋にあった毛布を数枚ミタスに持たせ、さらにミタスとシュナイゼンは外套のように何重にも体に巻きつけた。二人はアーマーの背中に乗る。防寒用だ。シュナイゼンは部下を下がらせ、そしてアーマーの起動キーをアリアに手渡した。アリアとナディアは素早く乗り込み、ミタスとシュナイゼンが肩に腰掛けるように乗った。

「部隊は本部で待機。私は大丈夫だ。私たちが出発したら、このホテルの410号室にザナドゥ伯がおられる。伯を救出し保護しろ。私が戻ってから全ての命令を下すから、勝手に動くな。ミネルバにもそう伝えてくれ。私はけして人質ではない。私がついていくのはあくまで監視のためだ。事情は戻ってから説明する」

 シュナイゼンは小隊長にそう言い、終わった……とミタスに目線で合図した。ミタスはコンコンとコクピットを叩いて合図を送ると、<アージェンス>に火が入り、動き出す。

 そして、アーマーはゆっくりと人気のなくなった雪の町を走っていく……

 コクピットの中では、ナディアが操縦してアリアが抱きつくように入っている。

「操縦、問題ないですか? ナディア」

「あーー……うん。基本ヒュゼインと似たようなものだけから走らせるだけなら簡単」

「ナディアの腕は信用してるわ。無線はついてる?」

「ええっと……あー、これかな?」そう言うと、頭上に並ぶ機器の中から無線を見つけ出し指差した。アリアはヴァームの無線番号を試した。もし近く(半径20キロくらいの範囲だが)にヴァームが来てくれていたら繋がる。運がいいことに、無線は繋がった。

「すみません、詳細はあとで説明します。どちらに向かえばいいですか?」

『こっちは上空旋回中よ。そっちで指定して頂戴』

「では町の北……ええっと……」アリアは荷物の中から地図を探すが、それより早くナディアがこの<アージェンス>のコンピューターの中からペンドル周辺地図を見つけ出し、モニターに表示した。アリアはそれを見て、町の北東になだらかな高原になっており山のほうに5キロほど進めば平原になっている。そこであれば飛行艇の離着陸もできるだろう。

 それを伝えると、ヴァームは『また連絡を。雪で埋もれたくないからギリギリまで上空にいるから。こっちでも見てるから大丈夫よ』と答え、通信は終わった。

 時間は10時、雪がちらつく中だ。道は空いているので、ものの10分で町から出た。

 そして、町を出るとアーマーを止め、シュナイゼンを降ろした。

「ここでよいのですか?」

「この天候です。貴方が遭難しては困ります」

 ここまでくれば問題ないだろう。尾行者もないようだ。町から出たのでシュナイゼンが徒歩で部隊に復帰したころにはアリアたちはヴァームに拾われている。

 アリアはその場でアーマーの乗り捨て場所をメモし、それを折りたたみシュナイゼンに手渡した。

「色々厄介をかけました、カラム卿。このメモは今夜12時まで開封しないで下さい。約束いただけますか?」

「約束します。私がすぐ部隊に戻ればそうもいきませんから、ゆっくり2時間ほどかけて歩いて戻らせていただきます」

「感謝します」

 アリアはそう言うと、笑みを浮かべシュナイゼンに握手を求めた。シュナイゼンは驚き、しばらく呆然としたが、やがて黙ってその小さな手を握り返した。

「アリア様。誤解ないよう申し上げますが次もし貴方がこの町に現われれば自分は逮捕せざるを得ません。必ず逮捕致します。しかし自分が貴方の味方であることは忘れないで頂きたい。私は貴方を持てる能力の全てを尽くしそのお命の安全は保障します」

「貴方……シュナイゼン=フォン=カラム卿に会えた今日を私は忘れません」

「恐縮です、殿下。では、願わくばこれが最初で最後の拝謁になることを願っております」

 シュナイゼンを降ろした<アージェンス>は山のほうへ疾走していった。それを黙って見送るシュナイゼン。<アージェンス>が見えなくなっても、シュナイゼンはしばらくその方向を見つめていた。

 ……自分は一体、何のために軍人をやっているのだ……?

 アリアに出会った事の高揚と感動は未だ消えず胸の中でくすぶり、熱い。雪の冷たさなど感じないほどに……そして、アリアの言葉の意味……彼女は遠からず決起する。自分は敵となるわけだが、現在の立場ではそうだが、マドリード政府軍の立場ならどうなのだろうか……そして自分自身としての本心は……

 そんなことを考えながら、自分で発言した通りシュナイゼンはゆっくりと歩きながら町に戻っていった。 

 



 だが、この『ペンドル事件』には、まだ第三幕が残っていた。




 ペンドルの北はペンドリア山地と呼ばれ、2500mクラスの山々が連なり冬場はマドリード国内でも雪が濃いほうだ。山はなだらかに高くなっていて、中腹には広大な高原や小さい湖がいくつも点在している。夏場は涼しく緑が豊かなので、放牧や木こり、そして野菜農家が点々と存在しているし、湖の畔には貴族の避暑のための屋敷もある。無人の高原ではない。むろん道も作られている。

 アリアたちは途中まではそれらの道を通り、5キロほど進んで道が途切れると、そのまま雪がうっすらと積もった草原に飛び出した。

「ザールは今頃いい物食べてあったかいベッドで寝てるンだろなぁ~ くそぉーっ」

 コクピット内……ナディアはヤレヤレとため息をついた。アリアは苦笑する。

 アリアは本気でザールを締め上げ、軽症だがケガもさせた。ザールは〈軽い放蕩貴族〉の設定で話を進めていたし、自分が王女アリアということ……状況証拠から考えてザールはまず疑われまい。ザールを置き捨ててきたことがザールの潔白を偽装する上では最善だった。もし人質をシュナイゼンでなくザールを連れて行けば疑念を持たれただろう。

 ザールは伯爵で貴族院の一員であり、少なくとも一般的にはアリアとの接点は気付かれていないからおそらく問題ないだろう。ザールのことだ、彼であれば単独でも上手に立ち回るだろう。この点、ザールは唯一身分も偽っていないし、切れ者であるシュナイゼンも、あれだけやればザールは疑うまい。ちょっとした問題は、こうなった以上ザールは恐らく<痛い目に遭った放蕩貴族>を演じ切るため一度領地に戻らざるをえない。一ヶ月は合流できないだろうが、それほどには影響はない。

「あれ? なんだコレ」

 走らせながら、ふとナディアはモニターの端についているランプに気付いた。火気系や動力といったメカニカルなものではないようだ。エネルギーも十分にある。

「どこか触ったんじゃないの?」

「そんなことしてないよぉ~ アレ? なんか初めから点いていた気がする……なんだろ? この表示」

 ナディアはいくつかのアーマーを乗ってきたが、実はこの<アージェンス>は初めてだ。当然機内にアニュアルがあるはずがない。

「ま、問題ないか」

 アリアもこれだけでは分からない。が、意味があった。

 劇的な事件には、やはり劇的な偶然も重なるらしい。


 アリアたちの<アージェンス>を追う一団が迫りつつあった。一機のアーマーと、貴族評議会軍の歩兵一小隊だ。彼らはアリアたちを北から追撃していた。

 ミネルバとコールドである。

 この動きは全て偶然の結果だった。

「シュナイゼンのヤツ嵌められて♪ ふふんっ……まぁ、上司のドジをなんとかするのも部下の仕事だしねぇ~」

 ミネルバはモニター画面に円レーダーを映し出した。そこには赤い点が表示され、徐々に赤いランプは中央ポイントに近づいている。これは、シュナイゼンとミネルバが個人判断でつけた機体認識システムで、双方の居場所が把握できるようになっている。制式ではないのでナディアが気付かなかったのは無理ない。

 シュナイゼンが人質にされた……という報を聞いたミネルバは、独自の判断でシュナイゼン奪還と賊の逮捕の行動に出たのだ。事情を知る指揮官のシュナイゼンは不明のままだ。シュナイゼンは伝言命令として「武装解除、戦闘行動は必要ない」と命じていたが、ミネルバは、これは人質事件で犯人の要求の常套だと判断し独断で奪還行動に出た。その時軍本部にいたのは、酒盛りで盛り上がっていたコールドの小隊しかなく、急ぎの作戦で酔っ払い連中を連れて行かざるを得なかった。それでも白兵戦闘部隊は必要だった。

どうやら敵の中にトジーユン=ミタスが入っているらしいと聞いている。だとすれば、コールドの戦闘力が必要だった。粗野で礼儀知らずで酒にだらしない大男コールドと、エリートであるアーマー騎乗兵ミネルバとは、普段から馬は合わないが、今は仕方ない。コールドも、命令系統でいえばミネルバはシュナイゼンの部下であり直属の上官ではなかったが、ミタスと戦える……という誘惑は強烈で、即決で協力を承諾した。

 ミネルバの立場は当然の行為で間違っていない。シュナイゼンと連絡が取れない以上ミネルバの判断はむしろ軍人として優秀な判断といえるだろう。

「後10分くらいで補足できる!」

 シュナイゼン奪還が一番の目的だが、アーマーで逃走しているのだから恐らく背に乗せているだろう。こちらがアーマーで襲い掛かれば、対応するためには当然停止するだろう。人質奪還の好機はその時生まれる。これも悪い戦術ではない。

「コールド! そこをアンタたちがシュナイゼンを救出! 敵も倒しちゃいなさい!」

「ああ。任せろ……ぐふふふっ!」

 コールドは外套の中で笑い、白い息が広がった。アルコールとアドレナリンのため寒さは感じていない。彼の筋肉も縮まるどころか熱く漲っている。

 こうして、アリアたちには予想外の第三幕が開いた。



「おいっ! 何か見えるぞ!」

 最初に気付いたのは外にいるミタスだった。すでに夜中だが、雪原で月も出ているため街の中より明るい。ミタスは前方右手の奥に動く大きな影を目ざとく見つけた。

「何?」

 ナディアはモニターを見る。が、モニターでは解像度の問題で分かりづらい。

 ナディアはアリアに一言断りコクピットを開け裸眼で周りを見渡した。夜目であればミタスよりナディアのほうが利く。

 ミタスが指を差した方向には林があったが、その林の向こう側の雪原を何かがこっちに向かって来ているのが確かに見えた。

「ミタスっ! 敵っ! アーマーぽいよっ! アリア様っ!」

 ナディアの夜目をアリアは信頼している。ミタスも感じ取ったのだ、間違いないだろう。

 アリアはすぐに開いたコクピットから抜け出て、機体の背に飛び移った。

「ナディア! 相手は一機?」

「多分!」

「じゃあ……」そういうとアリアはミタスを見た。「ミタスさん。私たちは降りて避難しましょう。ナディアが追撃機を撃退します。そのためには私たちは邪魔ですから」

「了解だ」

「ミタスさん! 雪除けの毛布を人の形っぽく丸められますか?」

「毛布なんかどーすんの? アリア様」

「人質の代わりです」

「成程」

 ミタスはアリアの意図を理解した。アーマーの背中にあたかも人質がいるように見せるためだ。そうすればとりあえず最初は敵の火砲を防ぐフェイクにできる。

「ナディア、大丈夫!? 武器はあるの?」

「ん……接近用のアイアンクローはついてる。火砲は……本体にある小口径ビームがあるだけ。だけどなんとかなるっしょ♪」

 そう答えるとナディアはアーマーを止めた。ミタスは荷物をコクピットに放り込み、戦斧槍だけを抱えアリアの手をとりアーマーを降りた。二人が降りたのを確認すると、ナディアはアーマーを一気に最高速まで加速させた。

「大丈夫なのか? ナディアは」

「大丈夫です。ナディアはああ見えて最高のアーマー乗りです。たとえ不慣れなアーマーでも、一対一の戦いなら、まずナディアは引けを取らないはずです」

 そう言うと二人は近くの林に向かった。

 が、

 林に近づいたとき、同じく北のほうから歩兵の集団がやってくるのが見えた。

 伏兵のコールドの小隊である。林の中に潜んでいたようだ。彼らからは月明かりが照らす雪原の二人の動きは丸見えだった。待ち構えているだけでいい。

「まぁ……こうなるだろうとは思っていたけどな」

「……ですね……」

 アリアは頷くと、腰の短剣に手をかけた。が、それをミタスは制した。

「姫さんは下がっていてくれ」

 そういうと、ミタスは戦斧槍の布を剥ぎながら一笑した。

「そういえばまだ見せたことなかった」

「?」

「俺の戦う姿を、だ。俺は……そういえば戦士として雇われたんだったよ。その腕前を、雇い主の姫さんに見せたことがなかったな」

 そう言うと、ミタスは林に入らず雪原の真ん中に立った。

 敵は中央……コールドの巨体が立ちはだかり周りに12人の兵士が身構えている。半分はバトルアックス、半分は剣だ。

「ぐふふふっ♪ きさまがトジーユン=ミタスだな。なるほど、噂どおり出来そうだ」

「援護は無用。……<白紙委任>の腕、よく見ていてくれ」

 ミタスは歩みながらそう呟いた。ミタスの中で、血が沸き立ち、全身が活性化していくのを感じる。ミタスはついに解き放たれたのだ。



「シュナイゼンの機体が速度を上げてきた!? こっちに気付いたってことねっ! 面白いっ!!」

 ミネルバはコクピット内で微笑んだ。彼女もアーマー乗りだ。同一機種での一騎討ちというシュチュエーションには胸躍るものがある。模擬戦の経験はあるが、アーマー同士の実戦はこれが初めてだ。

「こっちはライフル15発……あとは接近戦用だけど、できればライフルで先制一撃っ」

 ナディアの<アージェンス>との武装の違いはこのライフルだけだ。

「シュナイゼンのアーマーだけど……ぶっ壊しても文句は聞かないわよっ!」

 ミネルバはもう一度、敵機との距離を見た。信号の位置からして姿が見えないので相手は雪原の小さな峰を少しずつ接近しながら迫って来ているようだ。もっと前から撃つことは出来たが、ナディア機の背中に人型の毛布が見える。あれが敵の一味かシュナイゼンか判断に迷った。

 だが、ナディアがさらに機を加速させてきたので、ミネルバは毛布がフェイクだと気付いた。人を乗せていられる速度ではない。

「200mまで!」

 200mはアーマーにとって中距離射撃だ。ミネルバの<アージェンス>は遠距離射撃モードから中距離射撃モードに切り替え接近する。

 その時だ。

 これまで表示されていたナディアの<アージェンス>の信号が消えた。ナディアもようやくこの信号の意味を悟りなんとか操作して信号を切ったのだ。

「こんな至近距離で今更っ!!」

 その時だ。突然、前方の雪原が横一文字に巻き上がった。

「!?」

 ナディアが積もった雪を小型ビームで薙いで目隠しにしたのだ。ビームで蒸発した雪は高々と爆発を起こし、舞い上がる水蒸気が辺り一面を包み込む。

「この程度!!」

 一瞬たじろんだミネルバだったが、水蒸気爆発で機体に影響はないとすぐに判断し、そのまま突き進みながらライフルを5連射した。ナディア機はこの水蒸気と雪煙の真ん中だ。当てるつもりではなく牽制だ。弾は雪霧の中を消えていく。その隙に一気に距離を縮める。

 雪霧の直前まで来てミネルバ機は一旦停止したとき、突如ナディアはミネルバの予想外の場所から現れた。すぐ近くの雪の中……下からだ。

「!?」

 ミネルバが気付いた時には、ナディア機は至近距離まで接近していた。ナディアは雪が想像以上に深い事を知り、爆発の隙に雪中に隠れ、その中を潜ぎ進んでいたのだ。

両機、すれ違う瞬間、ナディア機のアイアンクローがライフルを切断していた。

「この程度で、あたしに勝とうなんて甘すぎ!」

 ナディアは叫ぶと、ミルネバ機に蹴りを食らわし、大きく吹っ飛ばした。

「これで条件は五分っ!!」

「くっ!?」

 ナディアの<アージェンス>はさらに飛び掛るとアイアンクローがミネルバ機を襲った。だがミネルバが急停止、急バックしたため及ばず、地面に大きな穴を空けただけだった。その反応はナディアの予想より速かった。ミネルバの動きや反応は悪くない。

「面白いっ♪ 楽しませてもらうわ!」

 ナディアは目を爛々と輝かせた。



「5人目……」

 ミタスの戦斧槍が空気を切る。血が、鮮やかな点模様を雪の上に作った。

 コールドたちは思わず息を呑んだ。

 兵士5人で取り囲み、一斉に切りかかったはずが、ミタスはそれらの攻撃をことごとく受け流し、その巨大な戦斧槍が流れるように兵士たちの間を吹き抜け、あっという間に5人全員を倒してしまった。ミタス本人はまったく息が乱れず、平然とコールドたちに近づいていく。

「おもしれぇ……! さすがは<ランファンの英雄>だぜ! ぶははっ」

 コールドのみが高揚を押えきれず進み出る。

「残り、8人」

 ミタスも戦斧槍を構えながら彼らの輪の中に向かっていく。一人ずつ相手にするより乱戦で一気に片付けてしまう腹だ。最初に圧倒的な強さを見せたことで、兵たちの気は萎縮している。白兵戦は気の乗りで勝敗が大きく変わる。そのことはコールドも知っている。

「<ランファンの英雄>は俺が相手するっ! ……三人っ! お前たち三人はあのガキを捕らえろっ!!」

 命じられ、3人の兵がアリアのほうにむかって走った。そして残り4人が二手に分かれミタスの両方を挟み込み、そして正面からはコールドが迫る。

……姫さんの方に三人か……。

 本来ならアリアの元に駆け寄り彼女を守るのが仕事だ。だが、もしミタスが今その行動をとれば、アリアが主人であるということを認めてしまうことになる。それでは戦いづらい。

……姫さんはシャーマンマスターで、白兵もナディアに次ぐ強さというし町のゴロツキ傭兵たちをあっさり一蹴したのを見ている。兵士も少女相手に本気ではいくまい。

……2分は時間があるだろう。

 ミタスはチラリとアリアを見た。アリアもミタスの意図を解っている。頷いた。

「なら2分で片付けよう」

「なんだとぉ……。ぶはははっ! この状況で! 俺様相手にデカイ口は叩かないほうがいいぜ! トジーユン=ミタス!」

「10秒経過。時間が惜しい」

「やれっ!!」

 コールドを含めて兵士全員が動き出した。

 ミタスは三方からの攻撃、アリアの目前に三人の兵士が迫る。アリアは静かに短剣を抜いた。

「おい、お嬢さん! そんなモン振り回してケガしてもしらねぇーぜ!?」

「俺たちが教育してやるさっ! へっへっへっ!」

「無礼者がっ!」

「!?」

 アリアは大声で一括した。言葉はまるで衝撃波のように全員を貫く。いや、確かにアリアの体から一瞬<王覇>が立ち上り、オーラが波動となって全員を貫いた。それは目前の三人の兵士はもちろん、ミタスの周りの兵士やコールドもだ。動きが一瞬だが止った。

 兵士たちは全員、訳もわからず竦んでしまった。

 ミタスはその瞬間を見逃さず動いた。

 ミタスは長身だが速い。あっという間に左側に回りこむや、まず一人の脳天を叩き割り、すぐに次の一人の剣を弾くと、戦斧槍を旋回させそのまま屠る。

「うおぉぉっっ!!」

 飛び散る血煙が、コールドたちを正気に戻した。

すぐにコールドは大バトルアックスを振りかぶると、ミタスに向け振り下ろした。重量15キロもある、巨大なアックスだ。ミタスはそれを正面から受けた。が、これほど強力な一撃であるのに、ミタスは微動だにしない。凄まじい膂力だ。コールドも自慢の力で必死に叩き切ろうとするが、どういう力加減なのかビクともしない。しかし、これもコールドの作戦だ。

「動きが止った! やれっ!!」

 コールドが叫ぶ。コールドの腕力と大バトルアックスでミタスは押さえ込んだ。動きが止れば数が多いほうが有利だ。すぐに右側にいた兵士二人が切りかかる。が、ミタスのほうが戦闘は遙かに卓越していた。ミタスは右から兵士が襲ってきたのを確認した瞬間、なんと愛用の戦斧槍から手を離した。突然力の均衡を崩されたコールドの大バトルアックスは地面を叩く。その隙にミタスは半歩後ろに下がると、背中に持っていた予備の刃渡り40cmの短剣を抜き、右から切りかかってきた兵士の一人を僅か二合で切り伏せ、もう一人の一撃も受け流すと、その短剣を投げつけた。短剣は兵士の胸板を貫き、短い悲鳴を上げその場に崩れた。そしてコールドが大地から愛用の大バトルアックスを抜いたときにはすでにミタスも自分の戦斧槍を拾い、体勢を整えなおしていた。

「あと100秒」

 あれだけの動きをしたのに、ミタスは息一つ乱れていない。

「テメェ!! 化け物かっ!!」

「お前みたいな酒樽男に言われたくないな」

 ミタスはチラリとアリアのほうを見た。予想通りこっちに気をとられてアリアには手を出していない。

……ならば速攻だ……。

「おいトジーユン=ミタス! 俺をそいつら雑魚と一緒にするなよっ!」

「しないよ」

 そういうとミタスは一笑した。

「脂肪の量が違う。血の気も脂も多い。槍の手入れが手間かかりそうだ」

「ほざけっ!!」

 コールドは叫ぶと大バトルアックスを旋回、大きく振りかぶり渾身の力を持ってミタスに切りつけた。

……さすがのミタスも受け止めれん……回避したが最後そのまま切って返して屠るっ!

 これまでの戦いを見て、ミタスの槍術の根本は俊敏さだと見ている。だがコールドもパワーだけの男ではない。小手先の技能にも自信があった。

 だが……。

「!?」

 ガキンッ……と激しい金属音が響く。ミタスが見事にコールドの大バトルアックスの一撃を受け止めたのだ。しかもさっきの競り合いと違い、拮抗しない。

「うおぉぉぉっっ!!」

 ミタスは叫んだ。その時コールドにとって、信じられないことが起きた。

 渾身の力であり降ろした15キロの大バトルアックスが受け止められ、しかも即座に力で弾き返されたのだ。

「馬鹿なっ!!」

 ミタスのどこにそんな力があるというのだ!? コールドは信じられない。身長は同じくらいだが体重はコールドのほうが倍はある。ならばミタスの筋力は、コールドを遙かに凌ぐということか!?

コールドは我武者羅に二撃、三撃と繰り出すが、すべてミタスに弾かれ、見る見る間にコールドの体勢は崩される。

「くそっ!!」

 コールドは一歩後退し、再び持てる最大の力を振り絞って最高最速の一撃をミタスに振り下ろした。だがその時こそがミタスの狙い目だった。

 コールドの全力の一撃を、ミタスは、今度は受け止めずコールドの懐の中に跳躍した。

「なっ!?」

 ミタスがコールドの横をすり抜けたとき……ミタスの戦斧槍は、凄まじい一撃がコールドを脳天から胸まで叩き割っていた。コールド、即死である。

「2分……終了だ」

 ミタスはそういうと、コールドの屍から戦斧槍を抜き、アリアの前に立ちはだかっている三人を睨みつけた。

「さて……お前さんたちはどうする? うちのかわいい嬢ちゃんもやるぞ? 少なくとも2分は逃げ延びる。……さて、俺がお前たち3人を倒すのに何秒か……計算してみろ?」

 ククッとミタスは不敵に破顔した。彼らにとっては死神の微笑み以外の何物でもなかった。



「意外にやるジャン♪」

「こいつっ! ただの賊じゃない!?」

ナディアとミネルバの一騎打ちは広い草原いっぱいを使って繰り広げられている。すでにミネルバ機には小型ビームを内蔵した左腕が捥がれていた。が、ナディア機もビームはエネルギー切れで撃てない。双方、右腕のアイアンクローのみが武器である。

 両者ハイ・スピードで接触しては離れ接触しては離れる。基本ナディアが回り込もうとし、それをミネルバはなんとか防いでいるといったところだ。アーマーの腕は明らかにナディアのほうが上手だった。ミネルバにとって腹立たしい事実だった。ナディアはおそらく初めて操縦<アージェンス>を、長年<アージェンス>で操縦訓練を重ねてきたミネルバを簡単に手玉にとっているのだ。

「できればこいつも拿捕したいけど……」

 それがナディアの考えだった。シュナイゼンには返すと約束したが、それは今乗ってる機の話でミネルバ機に関しては約束外だ。アーマー乗りのナディアとしては出来ればオリジナルアーマーは欲しい。(とはいえ拿捕してもアリアは置いていけというだろうが)

が、どうやらミタスたちの方は終わったらしい。三人の兵士が退散していくのが見えたのだ。ならば自分もあまり遊んではいられない。ヴァームとの待ち合わせ時間もある。

「……けど、中々手ごわいのは手ごわいんだよね」

「そう簡単にやられるものかっ!」

 ミネルバも必死だ。ミネルバの計算では、ここで時間を稼げば増援がきて情勢が変わるかもしれない。さすがに自分とコールドが出て戻らないと知れれば、駐在している他の軍も動くはずだし、この戦闘音は運がよければ街まで届いているかもしれない。

「できればシュナイゼンのことを聞き出したいのに!」

 だがナディア機の攻勢は尋常ではない。ミネルバは、これまで体感したことのない戦いを強いられている。今の戦闘速度は、<アージェンス>がもつ最高速度で、基本的には戦闘ではなく高速移動用のギア・速度だ。アーマー同士で戦闘でも、ギア・レベルは普通、最高速から2つ下のギアでなければアーマーの反応速度にパイロットはついていけない。だが信じられないことに、ナディアは最高速のスピードで攻撃してくるのだ。

「素人や盗賊がアーマーをこんなに操縦できるなんて!! ありえないっ!」

 ミネルバは思わずブレーキをかけ、ナディアと距離を取ろうとした。だがナディアはそれすら対応した。そして、この隙が決定的な瞬間を作った。ナディア機が、完全にミネルバの背後を取ったのだ。

「しまった!!」

「もらった!」

 ナディアは躊躇することなくミネルバ機の背中にあるスラスターを破壊し、そして第二撃で足を切り落とした。

「!?」

 一連の攻撃は全て最高速度の中でのことだ。スラスターと足を失っては制御ができない。そのままミネルバ機の<アージェンス>は雪原に投げ出され、激しく滑り、そして雪原の中で停止した。コクピット内のミネルバも、その衝撃を受け、コクピットの中で体を叩きつけられそのまま気を失った。

「やった♪ フフン♪」

 ナディアはアーマーを旋回させ、戦闘不能になったミネルバ機に近づきミネルバの<アージェンス>の様子を見た。ミルネバの<アージェンス>の動力は生きていたが、ナディアはエンジンに一撃を加え完全に沈黙させた。そしてナディア自身外に出て、ミネルバ機の<アージェンス>のコクピットを強制解放すると、気絶しているミネルバがいた。頭と腕からは血が流れているが少量だ。生きている。パイロットが若い女性だったことに、少しナディアは驚いた。

「貴族軍はキライなんだよね。でも、ま、女同士ってコトだし、あたしも昔とは違うから……アリア様に感謝しなさいよぉ~アンタ」

 ナディアは短剣を抜いていたが、ミネルバの寝首は掻かず無線機を破壊し、そのまま自分の<アージェンス>に戻ると、アリアとミタスのいる北の林のほうにアーマーを向けた。



 シュナイゼンは単騎で雪原を走っていた。

 ゆっくり歩いて11時26分に軍の陣地に戻ったとき、独断行動に出たミネルバたちの存在を知った。すぐに無線連絡をとったがミネルバに反応はない。

 シュナイゼンは2個小隊を呼び寄せ、情報を待っていたところ、11時47分に三人の兵士が這々の体で舞い戻り、コールド他が闘死したと報告してきた。ミネルバは戦闘中だという。シュナイゼンは無線で報告を受け、単騎その場所に向かった。馬には無線をつけている。

 街を出たあたりで0時となった。シュナイゼンはメモを見なかった。戦闘場所がわかった以上急いで開く必要もない。まずはミネルバたちの確認が先だ。ただアリアの事情があり、シュナイゼンは部下の同行をとりあえず保留にし、単騎向かった。

 0時21分……駆けるシュナイゼンは、北の空に光を見た。

 上空を高速で飛び去る飛行艇だ。機体の大きさは分からない。ただ、飛行艇が発するエンジンの光だけが見えたのだ。

「殿下は脱出したか」

 去っていく光を、見失うまでシュナイゼンはじっと見つめ続けた。どこに向かったのか……飛行艇を使われてはシュナイゼンに追う術はなかった。



 中型のエルマ式飛行艇<ミカ・ルル>の船内。その艦橋にプレセア=ヴァームと、アリアたちの姿があった。アリアは今回の不覚と、救出に来てくれたヴァームにお礼とお詫びを述べた。ヴァームはそれを受け入れた。

「ホント、運がいいのか悪いのかわからない子ね。殿下は♪」

「すみません」

「いいわよ。パトロンになったその日のうちに駄目になりましたぁ~っていうんじゃ笑い話だし。それに遅かれ早かれシーマに行く用事があったから、こうなったら便乗。ああ、このシーマ行きは商務でね♪」

「す……すみません。本当に」

「疲れたでしょ? とりあえず個室があるから皆休んだらいいわ。朝になる前にはタニヤに着くはずよ。夜なら目立たないでしょ?」

「感謝します」

「休憩してきて。ボクもそろそろ休ませてもらうから。あ、ただちょっとアリア殿下にはお茶、付き合ってくれる?」

「ア……アンタまたぁ~!? あたしのアリア様にベタベタしないでくれるぅ!?」とナディアは露骨に不快感を示したが、それをミタスが仲裁に入る。

「疲れてるんだから下らん言い合いは勘弁してくれ」

「別に何もしないわよ、ちょっと殿下に苦言があるだけ」

「あのねぇ~!」

 ナディアはムキになりヴァームを睨んだ。それを見てヤレヤレとヴァームは苦笑し

「ボクは彼女にあの調子で呼びつけられ、夜中にペンドルくんだりまで高速飛行艇で飛ばしてきたのよ? そりゃ苦情だって言いたくなるわ」

「じゃああたしに文句いやいいじゃん!」

「部下の苦情は上司に言うのが普通でしょ? ……別に長々と文句いいたいワケじゃないわ、ちょこっとだけよ。ボクだって少しは眠りたいから長々苦情言わないわよ」

「…………」

 ナディアは最後まで納得しなかったが、ミタスが「もっともな言い分だ」と裏切り、アリアも「仕方ないことです」と苦笑したためナディアはもうどこに何といっていいかわからず、何かいいかけたけど結局飲み込んで用意された部屋に行った。

 その後、お菓子とお茶を用意させたヴァームの部屋にアリアは招待された。

「とんだ一日だったようね」

「本当にヴァームさんにはお世話になって、お礼のいいようがありません」

 アリアも今回のミスは痛い。これまで色々計画をたててきたが、うまくいかなかったことはなかった。自分の運も信じていた。自信が少し挫かれた。

 ヴァームは詳しい事の顛末を聞きたいというので、アリアは自分が知る限りの状況、そして推測を加え説明した。

 聞き終えたヴァームは「アハハハハッ」と声を上げて笑った。

「いい勉強になったわね♪ アリア殿下」

「はい……私は、大きな勘違いしていました。天候のことや運というものもある……それに、敵にだって有能な人はいる」

「そうね。……シュナイゼン=フォン=カラム……名前は聞いたことがあるけど、あまり知らない。将軍ではないようね……でも、統治者の先輩として一つアドバイスしてあげるわ。敵の政治家は馬鹿の集まりだけど、事自分の身を守るための嗅覚と感覚は敏感なはずよ」

「今回の事件で、私の存在と、私が反政府活動を行っている事は露見しましたし、ザールとはしばらく合流できません。ミスです」

 とはいえ、すでにアリアが反政府活動を行っていることは知れているし、ザールのことは誤魔化せた。今回はヴァームが救援にきたが、これは結果としては蛇足のようなものでアリアたちだけでも逃げ切れただろう。

 実は内心ヴァームは、アリアたちの幸運と手腕にむしろ感心していた。

 今回の足止めの事故はアリアたちのせいではない。普通であればこっそり町を抜け出すことも出来た。だがそうすれば騒動はより大きくなり今後の活動に支障が出ただろう。そして、アリアたちの相手は貴族軍ではなく、国防軍から出向してきているシュナイゼンだった。彼の協力的態度を見るにアリアに対して敵対心はないようだ。もしかしたら今回の件も報告すら出さない可能性もある。彼だけかもしれないが、国防軍の多くがアリアに対して忠誠心を持っているのであれば、革命戦争を起こした時国防軍全てが敵になるという事はないかもしれない。政略を立てる上で、今回の事件はいい参考になった。

 さんざん怒られ文句を言ったが、ナディアの即座にヴァームに救援を求めると判断も、凡人には出来るものではない。ザールもミタスも、打ち合わせなどないのにアリアの意図をほんの僅かな異常で察知し、すぐに適応するなど尋常ではない。

ナディア、ザール、ミタス……この三人の判断は的確で、それぞれ独自の判断も状況への適応ができる点、三人の能力が非凡でないことも再確認できた。アリアには人材面でも貴族評議会たちより上だ。

 最初に線路事故が起き、不幸にも混乱が起きた点は運が悪かった。だがそれ以後は、アリアたちは巧みに状況を乗り切り、敵も王家に忠誠心を持つシュナイゼンであったことなど、その後は運も味方している。ヴァームがすぐに救援にきたのも、事故を聞いて悪い予感を感じ、このような状況を想定していたからだ。よほど強運がアリアにはあるようだ。

……やっぱり、この子は天から愛されているのかもね……。

「一先ず無事で何よりだったわ。でもね、アリア殿下」

「なんですか……?」

「本当に革命軍の将として……王になる覚悟はおあり?」

「もちろんです。それが茨の道でも……私は進みます」

「血の道の上を歩くのは、理解しているわよね?」

 ヴァームの声と、一段低くなった。それは冷たく冷酷な目だった。

 アリアは少しの沈黙の後、頷いた。

「分かっています。私は、そのために生きているのだから」

「血塗れになるわよ? それが覇道。今日はどうやらミタスやナディアが貴方のかわりに手を汚したようだけど、それは間違い。彼らが殺した人間は、アリア様……貴方が殺させたの。わかっている?」

「……はい……」

「じゃあ、その血塗れの返り血は……半分は貴方の仲間の血よ」

「えっ」

「覇道を行くのなら……敵の血だけじゃない、味方の……仲間の血も大量に流れるって事。

 今回の件だって、アリア殿下はひとつの判断をして逃げ延びる手もあったわ」

「……それは……?」

「ミタスとザールを悪人にして反乱の罪を全部なつりつけ、二人を囮にして騒動を起こし、その隙にアリア殿下だけは逃亡する手も、場合によってはあったと思うの。そうすればアリア殿下のことはバレないわ。今は貴方のことが露顕しないことが最重要事項よ」

「はい」

 アリアも、ザールもその可能性は考慮していた。ヴァーム救援が確実だという話を聞き、アリアは強行突破しても勝算があると判断したから、アリア自身が泥を被り逃走したのだが、ヴァームの指摘通りになっていた可能性は大きかった。

 場合によっては、市街戦になっていたかもしれない。今回のお供が、アリアにとっては三巨頭といっていい幹部が揃っていなければどうなっていたか分からない。

「王たるもの、場合によっては仲間を切ることで組織を守ることも必要。そういう場面は今後沢山でてくるでしょうね。確かにアリア殿下にとってあの三人は特別でしょうけど、目的のためには切り捨てなきゃいけないときだってくると思うわ。他にも貴方を慕う人間は大勢いると思うけど、王として生きる以上、一人の仲間も殺さず、敵だけを倒して……なんて甘い考えて捨てることね。そんな覇道は存在しないわ。それができないなら所詮貴方は奇麗事だけのお姫様でしかない。そんなの、リーダーとしては有害なだけよ」

「…………」

 アリアは黙って目線を落とした。これは帝王学の基本だ。アリアも分かってはいるが、それはまだ知識として分かっているだけだ。実際それができるのかどうかわからない。これが身分や階級をはっきりとした組織であれば、まだ戦略として決断できるかもしれない。だが今のアリアを応援してくれている仲間たちは、アリアを心から慕い、付いて来ている。そんな彼らを切り捨てられるだろうか?

「ボクの苦言は以上♪ まぁゆっくりお菓子でも食べたらいいわ。なんだったらお土産でさしあげるわよ♪ ちょっと出しすぎたみたいだし♪」

 ヴァームの言うとおりお菓子は大皿に一杯並べられていてどう見ても10人くらいは摘まめそうだ。もっともヴァームは意外に甘党の上偏食で、お菓子を食事の代わりに食べるような男だが。

 アリアはヴァームの問いに返答できず、ヴァームも返答は求めず、すぐに自分のシーマでの商務の話など雑談に切り替えた。

30分ほど話し、二人ともお茶がなくなったところでヴァームが「今日はお開きね。また次のお茶会を楽しみにしてるわ♪」と早々と切り上げを宣言し、アリアに退室を促した。結局アリアはヴァームの帝王学に関する問いには答えられないままだった。

ヴァームはアリアを出口まで送った。

「今回は、本当に有難うございました。お茶もご馳走になって……」

「いいわよ。あー 一つだけご褒美もらおうかしら♪」

「えっ?」

 そういうが早いか、ヴァームはすっと顔を寄せアリアの頬に軽く接吻した。

 アリアの両手はお土産にもらったお菓子でふさがり抵抗もできなかった。

「っ!?」

「本当はアリア殿下がボクの頬に……っていうトコだけど、今日は百歩譲ってこれで満足しとくわ♪ あ、あの煩いミタスとナディアには内緒ね♪」

「ヴァ……ヴァームさんっ!!」

 突然のことで不覚はとったアリアは赤面し、思わず叫んだが、ヴァームが笑顔でさっさと自室の扉を閉じてしまったのでそれ以上文句もいえなかった。結局アリアもそのまま指定されたアリア用の個室に向かった。

 ヴァームはお茶の片付けもせず黙ってベッドに座り込んだ。

「むつかしいものねぇ~……段々アリア様みてると魅かれて行くのよね♪ そのうち、自分が制御できるか不安♪」

 冗談とも本気ともつかない独り言を零し、ヴァームは苦笑した。

「マドリードの内乱……それでどこまで儲けがでるかしらね♪」

 そのためにはやはりアリアの革命成功が鍵になる。

 ヴァームはヴァームで、彼の立場はアリア次第で天に昇るか地に転がり落ちるか大きく変動する。完全中立という国是を犯し、ヴァームはすでにアリア側に自分の駒を置いたのだ。ヴァームが祖誠を口にしないのは、できるだけこの純粋で健気な天才王女の足を引っ張らないためだが、その事までアリア自身は気付いているのか……恐らく気付いているだろう。彼女は幸か不幸か、それほど聡い。それが自分の良心に深く爪を立てていることも。

 それが覇道だ。この重圧と覚悟がない人間に、この道は進めまい。しかし、この道がどれだけ人の心を壊すか……統治者として先輩であるヴァームは、よく知っていた。

そのなかで、アリアの方向がどの方向に向かうか……さすがのヴァームも今はまだ予想がつかない。




「『マドリード戦記』 王女革命編 3 戦闘の中で」編でした。

アリアの覚醒と、ミタス、ザール、ナディアそれぞれが活躍したのが今回の話でした。ミタスとナディアの戦闘力も明らかになりましたね。二人とも、かなり強い戦士です。今回の話数は比較的小さな事件で活躍も大したものとはいえませんが、これはこれから始まる革命戦を描く上で重要になる話でした。

 次回から、ついに革命戦が始まります。

 タイトルから分かるとおり、この作品は戦記モノ……戦争を描くのがメインです。これでようやく本格的に物語に突入することになります。そして、アリア様のハイ・シャーマンへの覚醒も、これから始まります。

 これからも『マドリード戦記』を、よろしくお願いします。

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