『マドリード戦記』 王女革命編 13 それは哀しみのなかで ①
『マドリード戦記』 王女革命編 13 それは哀しみのなかで ①
第二次リィズナ会戦に完勝したアリア。
敗軍の将クレイド伯は、敗戦に落ち込みことなく、なにやら策謀を巡らし去っていく。
国防軍増援を得て増強されたアリア軍だったが、
予想もしていないところから、予想外の訃報が届く……
9/それは哀しみの中で 1
20日 午後17時00分。
リィズナの南側に陣取った国防軍陣地で、国防軍大隊長シュナイゼン=フォン=カラムと中隊長カルレント=フォン=バーダックの二人が静かにクレイド軍の撤退を見守っていた。
二人とも下級貴族で国防軍出身という点は同じだが、階級はシュナイゼンの方が上で、この独立国防軍もシュナイゼンが司令官である。もっとも年齢はカルレントの方が5つほど上だが。
「さすが……というべきですかな、アリア様の手腕は。我々の出現があったとはいえあっという間に勝機を掴まれた。ふふふっ……俺はそのアリア様に負けた人間で偉そうにはいえないが、やはりあの方は違う」
カルレントは嬉しそうに苦笑した。僅か3日前までカルレントはファーム地方でアリアと戦ったばかりだ。それが結果として今やアリア軍の陣営に参加する形になっている。カルレントは数日前の敗軍の将で多くの部下を失ったが、アリアに対する敬意はむしろ高まった感があった。そしてそれは部下の国防軍全体の気分も代弁している。この一件だけ見ても国防軍は明らかにアリア軍のほうに傾いている事が分かる。
多弁なカルレントと違いシュナイゼンはコーヒーを飲み黙って彼の話を聞きながら、停戦の風景を眺めていた。
「シュナイゼン殿。我々はこれからどうします」
「リィズナに入ることになるでしょう」
すでにリィズナにミネルバを連絡官としてアリアかザールを訪ねるよう言い含め走らせている。ミネルバはアリア他ミタス、ナディア、ザールたちと一面識があるから話の進みは早いだろう。相談内容は編成や人事の希望などだが、別に彼らは今回の戦勝を手柄に特に高い地位を求めるつもりはない。対応はリィズナのほうで判断するだろうし今はアリアの処置を待つだけだ。
その時、半壊し墜落していた<パルモ・セルドア>から、クレイドが騎馬で出てくるのが見えた。「おおっ」とカルレントは声をあげ、双眼鏡を手にした。
「クレイド伯は腕を負傷しているようだが命には別状ないようだ。しかしアリア様はクレイド軍を全員返すようですな」
「ふむ」
……それはそうだろう……とシュナイゼンも思う。
捕虜を得るのは勝利の証だが、捕えて彼らを養うとなると大変だ。リィズナ要塞の保持、そして国防軍を受け入れるだけでもかなりの物資が必要になる。この上捕虜まで養うことは無理だろう。第一ここまで徹底的に負けた貴族評議軍は、今後も戦意が上がるはずがないし、恐らく他の戦場同様『戦闘行為への放棄』を書面で記録するだろうから捨て置いた所で障害にならないだろう。
一応余計な説明を入れると、この『戦闘行為放棄の誓い』というものはまだ国同士緊張感と領土確保の小競り合いが続いているクリト・エ大陸において共通する戦時ルールで、国家間から国内貴族同士のいざこざにまで使われる。一度これを交わすと、経済制裁やサボタージュなど含めたあらゆる敵対行為は許されず、何者の命であっても従ってはいけない。もしその誓いを破ったものは露見すればいかに王族貴族といった高貴な者でもアダに落ち、次は一切の人権を認めず抹殺……ということになっている。アリア軍は革命軍であると同時に、新王による護国再生軍でもある。捕虜の扱いは貴族軍、国防軍関係なく極めて丁寧で、無益な殺戮や残虐な行為は一切行われなかった。アリア軍が圧倒的科学戦力を有し高度な作戦によって運営されているといっても捕虜が一人も出ないことはない。現にこれまで18人が一時的に捕虜となったが、どの戦場でも最終的にアリア軍が制しているので彼らはすぐに解放され原隊に復帰している。ちなみにあまりない事だが、カルレント他一部国防軍たちのように、捕虜にならず背走した部隊は『戦闘行為放棄の誓い』は交わしていないのと、原隊ではなく転向者に関してはルール違反ではない。余談。
「自分は、戦って確信したのですよ。シュナイゼン殿」
双眼鏡を置き、少し気恥ずかしそうにカルレントは笑いつつ、それでも顔を上げ、遙か遠く、クレイドと対峙しようとしているアリアを見つめた。
「アリア様は……ハイ・シャーマンではないだろうか……と」
「…………」
ハイ・シャーマン……その言葉は特別な意味と響きがある。
歴史の寵児、絶対的英雄の存在。ハイ・シャーマンとは戦乱の世に現れる救世主的英雄で、超人的な戦闘力に加え圧倒的なカリスマを持ち、世界の争いを収めるため世界自体が生む歴史の勝利者の事だ。ハイ・シャーマンはひとり残らず歴史に名を残している。才能でも血統も全く関係なく、突然出現する。先天性でなろうと思ってなれるものではない。
アリアの天才的な政治と戦略能力、圧倒的な存在感を放つカリスマと強運。そして彼女の言葉と共に放たれる相手を圧倒する極彩色の不思議なオーラ<王覇>……これらの特徴を持つ者は、伝説のハイ・シャーマン以外にはいない。
ハイ・シャーマンと共に戦いたい。それは時代を超え、どの軍人も抱く憧れだ。
「ハイ・シャーマン……か」
そういうと、シュナイゼンはカップに残ったコーヒーを一気に飲み干し、答えた。
「自分も、考えた」
最初に出会った時から、シュナイゼンはアリアに魅せられていた。だが国防軍大隊長という彼の立場がずっと彼の行動を制してきた。それが吹っ切れた。もう彼は自分の思うがまま、自分の正義を貫くことが出来る。
自由になったシュナイゼンは、迷うことなくアリアのために力になるべき……と判断した。特に疑問すら覚えなかったが、思えば接する人全てにそう思わせるのは見えない力の何か……なのかもしれない。
「この国はこのままでは保たない。アリア様がハイ・シャーマンであれば……このマドリードは誇りある平和な国になるだろう。そんな国を守る事が、我々国防軍の責務だ」
シュナイゼンはそう呟くと、再び部下にコーヒーの追加を命じた。カルレントもそれに便乗しコーヒーを求めた。おそらく自分たちがリィズナへの収容が完了するのは夜になる頃だろう。今は急ぐことはなかった。
一方、この地を去る側もけして暇ではない。
停戦自体はアリア軍も受け入れたが、条件は『戦闘行為放棄の誓い』の他、全火器火砲、アーマーの放棄、<パルモ・セルドア>の放棄という条件がついた。その代わり上級指揮官クラスであるクレイドたちに対する『戦闘行為放棄の誓い』は条件に挙げられなかった。どうせクレイドはまた歯向かって来る事は分かりきったことで意味がない。また、他の将軍クラスは後に転向してくるかもしれない、そのための政治的な温情処置だ。クレイドとしては自身が事実上捕虜であり戦争としても敗北した以上従う以外選択肢がなかった。
まず兵士たちが引き上げていく。負傷兵は騎馬戦車で運ばれ、重傷者はリィズナでの治療後これまでの捕虜同様後日どこかの都市の病院に移送されることになった。全ての指示が終わった後、敗軍の将となったクレイド=フォン=マクティナス伯爵が白馬に乗って<パルモ・セルドア>から現れた。
外ではアリアが見送りのため出て来ていた。その両脇にミタス、ザール、ナディアの三人が付き従っている。他にユニティア、クシャナの両人も加わり、アリアの取巻きを形成していた。
クレイドはアリアを見つけると、馬を降り、大仰さな身振りで会釈した。敗軍の将とは思えない清々しいほどの笑みを浮かべている。
「ご機嫌麗しく。アリア殿下」
「……」
「実際見てみると真に美しい。会えて光栄ですよぉ~アリア殿下。ああ、実は初対面ではありません。今から大体10年前……殿下は5歳かな? その時王宮の新年会にてお会いしております。まだ私が社交界にデビューしたての頃かなぁ……さすがに覚えてないでしょう? いや、そのことはどうでもいいんですよ。ちょっと伝えたかっただけでしてね。ああ……伝えるといえば、一つ重要な事をお伝えしなければなりませんねぇ~。2327年の政変……王宮の武力制圧を指揮したのは私です」
「!?」
アリアとザールの二人以外の全員が驚きの表情を浮かべる。このことは正にこの時初めて知らされた秘密だ。あの王宮を襲った事件で、王宮警備の国防軍出向の親衛隊120人、侍従、親王派の官僚など合わせて約180人が逮捕、殺害された。その指揮をしていたのは、本人が語ったとおり当時25歳のクレイドである。その後の貴族弾圧、国民弾圧、そして国防軍との折衝など抜群の働きを見せた。その見事な手腕により彼は若いながらもレミングハルトに買われ、伯爵家筆頭として貴族評議会に参加し実質貴族評議会ナンバー2になったのだ。
だがアリアは表情昂ぶらせる事なく、静かに告げる。
「クレイド伯。私が卿に自由を与えるのは、貴族評議会……特にレミングハルト侯爵にこれ以上戦いの無意味さを認識してもらうためです。そしてこの言葉を伝えてもらいます。『今、全面降伏してシーマと先王を当方に引き渡すのであれば、命だけは保証する』と」
このリィズナでの勝利によって、アリア軍はマドリードの東から中央まで確保したことになる。首都シーマはマドリードの中央やや南にあるから、もう喉元まで来たといっていい。事実、アリア軍の次のターゲットは最後の攻略地となる首都シーマである。
その言葉をクレイドはまるで他人事のような顔を聞いていた。アリアが言い終わると、しばらく何か考え、再び「フフフッ」と笑い出した。
そして、そっとミタスを指差す。
「『ランファンの英雄』……」
そして今度はザールを指差す。
「ザナドゥ伯……」
その後はアリアの取り巻きたちをそれぞれ差して行く。
「俺を射抜いた女……フォーレス家の令嬢……そしてそこの褐色の女……ここにはいないがローゼンス子爵にウェールバルト伯……あとは裏切り者の国防軍の馬鹿たち二、三名……といったところかな? 俺は何が言いたいか? ふははははっ! わからないのかい、馬鹿なんじゃないか?」
クレイドは冷酷な顔で笑いながら言う。
「公開処刑台の数だよ。そんな事もわからないのかい、馬鹿だね」
「なんですって!!」
ユニティア、クシャナ、ナディアの三人が飛びかかりそうになったが、それぞれミタスとザールに止められた。そしてアリアも「挑発に乗らないで。あの人はああいう軽薄な人、怒るだけ無駄です」とそっと諌めた。アリアもさすがに宿敵といえるクレイドには礼節を保つだけで親愛の感情は持っていない。彼を生かして返すのはあくまで政治的理由があるからだ。
クレイドはあくまで楽しそうにその光景を見ている。
そして再び馬に乗ろうとしたとき、ふと思い出し懐から一枚の封筒を取り出した。
「これは真面目な手紙です、アリア殿下。よかったらどうぞ♪」
そういうと、自然にアリアに手渡そうと歩いていく。だが、ザールが歩み出てくると、ごく自然な仕草でその封筒を受け取る。
「殿下ではなく、<陛下>です。クレイド伯」とザール。
「中々興味深い手紙ですよ、アリア殿下」クレイドも優雅な笑みを浮かべ返す。
「残念ですがアリア様への手紙は全て検閲させて頂いておりますのでご容赦願いたい」
そういうと、ザールはその場で封筒の封を切った。
クレイドは特に執着なく苦笑しながら馬に戻り、騎乗した。
「その手紙は私からアリア様へのラブレターだったんだけど?」
「尚更検閲の必要がありますな。あまり見苦しいものをアリア様に見せたくないので」
「いやだなぁ……見苦しいなんて」
そういうとクレイドは振り返って不敵な笑みを浮かべた。
「見苦しいなんていう表現は、随分不敬に当るンじゃないかな? ザナドゥ伯」
「?」
中には数枚の写真が入っていた。その一枚を封筒から半ば出した時、ザールの目が大きく見開かれ、その手が止まった。
手紙ではない。入っていたのは写真だけだが、その内容は異常だった。そしてその写真はアリアやアリア軍全体にとって脅威となる政治的、道徳的意味のある物であった。ザールの表情は変わらず冷然を保っていたが、背中には冷たい汗が流れるのを感じる。もしアリアが受け取りこれを見たらどうなっていたか……さすがのアリアも冷静が保てた保証はない。
政治的な意図も、クレイドらしい性格の悪さを感じる、悪質かつ狡猾な写真だった。だが幸いにも、それを最初に手にしたのはザールであった。
ザールが事の重大さと衝撃で我を忘れていたのはごく数秒だった。
すぐにザールはいつもの表情に戻ると、懐から魔法の発動体である魔晶極石を取り出し、仲間たちが止める間もなくその場で炎を生みだした。写真は一瞬で燃え尽きる。
「残念ですが、あまり洗練されたものじゃないので破棄されてもらいました。こんなものを持っていると人格が疑われますな。クレイド伯」
「あはははははっ。中々面白いじゃないか、ザナドゥ伯。君とは話が合うかもね。断っとくけど、原本はシーマにあるからね」
「心得ておきましょう」
「…………」
「じゃあアリア殿下。今度はシーマで会いましょう。待っていますよ」
それが、クレイドがこのリィズナで残した最後の言葉だった。
それを黙って見送るアリア軍の一同。
この時ザールが知った情報は、後にアリアも知る。そして、貴族評議会の陰謀を知ることになる。だがザールは、今はあえてその内容をアリアにも告げなかった。アリアもザールを信頼しているからあえて中身が何だったのかこの場で問うことはなかった。
その後、シュナイゼンが面会を希望しているという報告を受け、アリアは戦場の後始末をクシャナに命じ、リィズナに引き返した。リィズナでの仕事は山のようにある。
だが運命というものは、時に残酷である。
アリアはシュナイゼンとの面会の随行者として、シュナイゼンと面識のあるザールとミタスを指定したが、その直前ザールの元にミーノス大尉が青い顔で駆けつけ席を外し、ザールは面会メンバーから抜けることになった。
ザールは人払いし、ミーノス大尉と二人きりとなった。ミーノスは古参のタニヤ出身の男だ。
ミーノスの報告に、ザールは無言で目を閉じただけだ。
「ザール殿……よろしいのですか?」
「今はまだ無理だ。今伝えるのは早すぎる」
「しかし!!」
ミーノスが声を荒げたため、ナディアが気付き二人のところにやってきた。現在アリア軍司令部の中で突撃隊長兼親衛隊長のナディアは急ぐ仕事もなくヒマを持て余し歩き回っていたのだ。
「ミーノス兄ぃ、どうしたの? そんな血相変えて……」
「い、いや……何でもない」
ナディアとミーノスは付き合いが長い。共に同じアダの村で育った。歳が離れているので幼馴染というほど親密な関係ではないが仲はいい。ナディアは人のいないところでは年上のこの穏やかなミーノスのことを「ミーノス兄ぃ」と気軽に呼ぶ。
ナディアを見たミーノスの表情がますます悪くなり黙りこむ。
「ナニ? どーしたの」
ザールとミーノスの二人は、最初は、何か適当な理由でやり過ごそうとしたが、ザールはともかくミーノスは上手く誤魔化す言葉が出ず、ナディアの質問攻めの前に為す術がなく、ついには黙り込んだ。ここまでくれば、ナディアだって異変に気付く。
ザールは「仕方が無い」と目を瞑った。それを見てミーノスは決意した。
「ナディア……あの……絶対他言無用に頼むよ」
「な……何、ミーノス兄ぃ……何があったの?」
「実は、昨日タニヤから無線連絡があったんだ。そしてさっきも無線が届いたんだよ」
「タニヤ? え? どうして今、タニヤ?」
それだけではナディアも何もわからない。
タニヤはアリア軍の秘密基地だ。今でも情報基地としてクロイス、アルファトロスと共に情報管理基地として動いている。タニヤが担当しているのは首都シーマに関する情報だ。ナディアも最初はシーマで容易ならない事があったのか、と思った。丁度クレイドとザールが怪しい挙動があった後だ。
だがすぐに考え直した。それであればこんなにミーノスが顔色を変えるはずがない。
そう考えた時、もう一つの重要なことをナディアは思い出した。
ナディアは「あっ!」と顔いっぱいに喜びの笑みを浮かべると周りを見渡して周りに人気がないのを確認して両手の指を折りながら数えていく。丁度両手の指がカウントで埋った。
「キャーー♪ うわっ! もしかして……もしかして?」
ナディアは嬉しさのあまり上気し頬が紅潮していく。躍り上がりたい衝動を抑えつつ瞳を輝かせた。
時期がぴったりだ。そしてザールとミーノス二人だけの話ならば案件は一つしかない。
が……すぐに疑問にぶち当たった。どうして二人の表情が暗いのか……?
その時、ナディアはついに二人が隠してきた事実に勘付いた。喜べない理由がある……とすれば、反転してそれは最悪かつ巨大な悲劇ということになる。
「ま……まさか……何かあったの? 王妃様に。産まれたんじゃないの? え……ちょっと待って……御出産じゃないの?」
「いや、ナディア。その……合ってるんだ。御産まれになられたんだよ。18日……いや、正確には19日の未明……姫殿下だそうだ。アリア様には新しく妹君が出来た」
「やったじゃん!! よかったぁ……アリア様きっと喜ぶね!! 戦いにも勝ったし、その王女様は天性の戦いの女神、幸運の証ってカンジじゃん!」
「ああ……ああ、そうなんだ。だけど……」
ミーノスはその先を言うことが出来ず、そのまま頭を垂れた。嫌な予感がナディアの中で再び浮かび上がる。ザールが、そっとナディアに体を寄せると、強い力でナディアの肩を掴んだ。
「王女殿下は無事御生まれになり、健康だ。……だが……王妃様は現在危篤中だ……」
「え?」
ザールの言葉に、ナディアの表情に浮かんでいた笑みが凍りついた。
「ついさっきミーノスが受けた報告では、クラリエス王妃様は分娩時大量出血を起こされ、現在治療中だが……意識が戻らず、ついに危篤となった」
「嘘……」
ミーノスはついに狼狽を隠さず頭を振り乱すと、これまで溜め込んでいた感情が一気に爆発し、話を始めた。
「か……確認を何度も取ったんだよ、ナディア。だけど……王妃様の危篤は……間違いない……タニヤの医者では手に負えない。もう祈ることくらいしかできないんだよ」
「そ……そんなことって……」
ナディアも驚愕のあまり愕然となった。そんなナディアの動きを制するようにザールの手に力が籠もる。
「これは我々しか知らないことだ。今アリア様に知らせるわけにはいかん」
「そんな事言ったって! アリア様のお母様だよ!? 王妃様だよ!? 一大事でしょ!?」
「今、軍にとっても一番重要なときなのだ!!」
ザールが苦しげに吼えた。彼が感情を爆発させることなどナディアが知る限り初めてのことだ。
「今はダメだ。せめて今度参加する国防軍の処置が決まるまでは! アリア様には王として、指導者としての責務を果してもらわねばならない! ナディア! 私も同じ気持ちだ。アリア様の事、そして王妃様の現状を考えると胸が痛む。だが……だがもう少しだけ堪えてくれ! アリア様のために!」
「だって!!」
「この判断の責任は私が取る!! このことでアリア様に恨まれても私は構わん!! だが、恨まれても今は知らせるわけには行かないのだ!! でなければ、アリア様がこれまでやってきた全てが無駄になる!」
「ザ……ザール」
ザールの慟哭に、ナディアは飲まれた。ザールの、ナディアを掴む力は強いが、さっきからずっと震えている。彼はずっとこの件で心を痛めつつ、アリア軍のため、アリア自身のため必死に耐えた。その辛さをナディアは理解した。
もし戦争中この報を聞けば、アリアがどれほど苦しんだだろう……もしかしたら、奇跡的といっていい第二次リィズナ会戦の勝利はなかったかもしれない。
ナディアは込み上げる涙を拭くと、大きく深呼吸し、ザールに囁いた。
「ホントにさぁ……ホントに、このままほっておくの? あたしたちに出来ることはないの?」
「この件は私がアリア様に話す。お前やミタスやクシャナ、ユニティア殿は落ち込むアリア様をサポートしてくれ。責任は私が取る……私だけがな」
それが自分の役目だ……そうザールは決めている。姉のようなナディアまでが知っていて黙っていたと知ればアリアのショックや怒りは大きい。こういう役のためにザールがいる。アリアのために、アリア軍のためにあらゆる負と泥を被る……それで少しでもアリアの気が休まるのであれば、彼にとって本望だ。
「だからナディア。お前は、個人としてアリア様を支えてくれ。三人で約束したではないか。表はミタスが支え、裏は私が支える。そして個人としてナディア……お前がアリア様を支えていく、と」
「わかった。でもザール……アンタ一人で抱えるには大きすぎるよ。何か案があるの?」
ナディアはそっと自分を掴んでいたザールの手を握り締め、落ち着いた様子で尋ねた。ザールは、珍しく苦笑し首を横に振った。
「難しいな」
「難しいよ、コレは……」
そういうと、今度はナディアがザールの肩に手を置き、静かに言った。
「ミタスにも相談しよう。あたしたち三人で相談すればいい方法が浮かぶよ」
「かもしれん」
ザールは苦笑しながら頷いた。それを見ていたミーノスが「では、俺はミタスさんを呼んでくるよ。そうすれば……アリア様には今、初めてタニヤから報告が届いたという形がとれるかもしれないし」と言い、そっとその場を後にした。
二人は黙ってミーノスを見送る。
10分後……ミーノスに連れられミタスが合流した。
そこで初めてミタスはタニヤでの問題を聞かされた。
さすがのミタスも驚いたが、二人が考えているよりミタスは冷静だった。
「実はタニヤ出発前、俺は王妃様から頼まれていたんだ。もし自分に何かあっても、姫さんの仕事に支障が出るようなら構わない……と。だから王妃様は気にされてはいない。ザール、卿が気に病む事もない。それが王妃様の意志なのだから。それに元々王妃様は御身体が強くないしストレスもある。不幸なことが起きるかもしれないが、自分より姫さんの事を一番に優勢してくれ、と御言葉も頂いていた。スマン、個人的な頼みだったから二人にも黙っていた」
「ホント?」
「そういう方だろ? クラリエス王妃様という方は。いや、それより問題は姫さんの方だが……国防軍の再編入は、それほど問題はないようだ。どうやら彼らは国防軍本部とは無縁の集団参加者で、その意志は確かだし彼らの中ですでに軍隊としての指揮系統も整えてきている。純粋に第四軍として編成すればいいだろう」
「そうか。それならば問題ないな」
今回のシュナイゼンたちの参加は、これまでの国防軍脱走部隊と違い兵力も軍備も編成も整った完璧な軍団だった。アリアもザールもミタスも、国防軍本部ペニトリー将軍の意図から出たのか、あくまで独自の意志の結果なのか、誰か政府関係の貴族の意図があってのことか……その点疑問に思っていため、扱いをどうするかが悩みの点だった。もしかしたら内部分裂を意図した大規模潜入部隊の可能性も大きかったからだ。それほど彼らの登場のタイミングは良かったし、軍隊運用も毅然としたものだった。実際はいくつもの国防軍脱走組をシュナイゼンが芸術的といっていいほどの手腕で再編成し、一軍として組み立てなおした。シュナイゼンは元々秀才軍人として貴族評議会も一目置いていた男である。だが彼は規則や規律に拘りが強く貴族評議会は同時に彼の造反も恐れ自由な権限は与えなかったためその裁量を発揮する機会がなかった。彼は国防軍を脱走したことでついにその才能を開花されたといっていい。ミタスは僅か30分ほどの事情説明でそのことを知りシュナイゼン貴下の国防軍を信頼できると判断した。
今、アリアはシュナイゼンたちの処遇や当面について相談しているはずだが、ミタスが口にした通り、これまでのようにアリア軍の中に混同させるのではなく、シュナイゼンをトップに第四軍を設立される方針を採る方向で話は進んでいる。ミタスはつい先程までアリアとそれらの相談をしていたところだ。
「シュナイゼンとの面談が終わったら三人で報告しよう。いや、もしかしたらシュナイゼンが立ち会っている方がいいかもしれないな。彼は生粋の王家忠誠派で……確か王妃様とも面識がある、と言ってなかったかな?」
「なるほど。そうであれば、むしろシュナイゼン殿にもこの一件知らせる方が良いかもしれん。アリア様の留守に彼の協力を得やすくなるし彼の力量も重要だ。その後全幹部にだけ知らせれば、アリア様の留守中に内部問題は起きづらいな」
ザールもミタスの意見に賛同した。そして、自嘲する。
「どうも私は、人が悪いようだ」
さっきナディアと会話していた時と違い、ザールはいつも見せる自嘲っぽい苦笑を零した。結局、ザールは今回の一件も味方の人心掌握に結びつける方向に状況を作り上げていく。このあたり、アリアの人心掌握法が飽くまで光のような明るい表の印象があるのに対し、ザールの場合は腹芸の要素が大きく、どこか闇を感じさせるものだ。もっとも、どちらも間違った方法ではないが……。
そう決まれば、彼らにはやることがある。
この三人には、アリアがどのような反応をするか……次にどんな命令が出るか、そこまで分かっている。
「アリア様の荷造りはあたしがしとく」
「じゃあ俺も用意しておこう。ザール、卿はヒュゼインの状況と<ロロ・ニア>の修復予定を貰って来てくれ」
「どうやら三人同じ意見のようだ。了解した。出来るだけ急ぐとしよう。夜の移動の方が安全性は高いからな」
三人は頷きあうと、それぞれ動き出した。
アリアは恐らく、ヒュゼインで単騎タニヤに戻るだろう。その場合、ミタスとナディアの二人が随行することになる可能性が高い。そしてザールが留守司令官となるはずだ。
この三人が出した予想は、見事に的中する。
『マドリード戦記』 王女革命編 13 それは哀しみのなかで ① でした。
前回の後書きで「分かる人には分かる」と言った意味は、丁度王妃様の妊娠から逆算すると10カ月後……という点ですね。作中ナディアも逆算していましたが。
ということで、次回はアリアが訃報に接する事になります。
実は次回の話は、戦争はないけどアリアにとって人生を変える大きな出来事になります。
日本史でいえば……織田信長と豊臣秀吉が出会った……! くらい重要な話になります。
まぁ……ここまで前振りがあると王妃様の結末は分かってしまうようなものですが、それ以上のエピソードが秘められているわけです。
ということで、次回も楽しんでもらえたらと思います。
これからも『マドリード戦記』を宜しくお願いします。




