王女革命編 1
『マドリード戦記』 王女革命編 1。
政変により城を追われた幼き王女アリア。
王を幽閉し、権力を握った大貴族たちの連合、貴族評議会は、国政を自由のまま弄び、その結果国は荒廃し、貴族だけが富み、怨嗟の声は国民の間に満ちた……。
14歳となったアリアは、ついに貴族評議会打倒の革命戦を決意。
彼女は立ち上がる前にまず、『ランファンの英雄』と呼ばれる若き傭兵、トジーユン=ミタスと接触。彼を同志に迎えたいと次げ、その報酬に<白紙委任の契約>を提示する。
「財産が欲しければ財産を、地位が欲しければ地位を! 国が欲しいというのならば……国を! ……貴方に差し上げます」
その強き思いに、後の<帝国三元帥>にして、<マドリード帝国最後の宰相>となるトジーユン=ミタスの心は揺り動いた。そして彼の参加と共に、マリマ軍はついに活動を本格化させる。
こうして、時代はついに動き出す。栄光と不幸、二つの車輪を伴って……。
※ 前半は1章の長さがかなり多いです。ご注意してご覧下さい。
マドリード戦記 第一部
一人の女王について、語らねばならない。
この物語は、最も聡明で気高く華々しい足跡を歴史に残した女王の話である。
彼女は歴史上もっとも偉大な女王であり、その偉業と功績は類を見ないものである。そして今後もこの天才としかいいようのない英雄を超える英雄はいないと断言してもいい。
だが、彼女ほど大きく重い不幸を背負った者もいなかった。
当時も今も、我々は彼女が放つ太陽のような目映い耀き、魅力に目を奪われ忘れがちである。太陽となって人々を導く一方、陰では覇道という名の底無しの地獄を、必死にもがきながら歩んでいたという事実を見落としている。
私は、不幸と栄光の狭間で咲いた、奇跡のような少女の人生を描いてみたいと思う。
(著者 ジョン=ペンドルトン 談)
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序章 白紙委任の契約
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すでに深夜である。宮殿の明かりも少ない。
王女が宮殿を一ヶ月ぶりに訪れたのは一歳の誕生日を迎えた妹と会うためだった。王女が普段生活している町を離れ王宮に帰っていることは特別で、王家に仕える人間か、評議会のメンバーしか知らない。
王城パーツティスは、平穏であった。
そんな王女が、一人……夜の王宮を明かりももたず、足音さえ立てず、しかし真っ直ぐ国王の部屋を目指していた。やがて辿り着いた。
「お父様。お話が……」
王女がドアをノックする。眠っていたのか、王が出てくるまで僅かに時間があった。ドアが開き、寝間着にローブを羽織った王が姿を現すと、彼女は恭しく一礼し、容易ならないことを告げた。
「お父様は、誰かに恨まれておられるのですか?」
まだ7歳……少女というよりは幼女といっていい幼い王女の質問に、王は困惑した。
薄暗い中、よく見れば王女はこんな深夜であるのに寝間着ではなく、ドレスでもなく、一般的な庶民の平服姿であった。王は当然、この訪問に少なからず動揺した。
「どうしてそう思うのだ?」王は冷静に、静かな声で問いかけた。
「この王宮には……悪意を感じます。気持ちが悪いです……そして、この悪意は、お父様に向けられていると思います」
「そうか」
この歳の女の子だ。何か怖い夢でも見たのか……普通ならそう考え、そっと抱擁し、気持ちを落ち着かせるだろう。だが王は違った。真顔で頷くと、黙って寝室の隣にある職務室に消えた。
2分後。王は小さな鞄を手に持ち戻ってくると、その鞄を王女に手渡した。
「本当に私に危険があると感じるか?」
「はいお父様」王女は躊躇なくハッキリと答えた。
「そうか。お前がそういうのなら、きっとそうなのだろうね」
王はそういうと初めて王ではなく父親の表情を浮かべ、王女の赤紫色の宝石ような美しい髪を撫でた。そして、哀しそうに嘆息した。
しばし、間があった。
王の顔色は心なし悪い。しかし王女の表情は何も変化しなかった。本来誰よりも感情豊かな王女なのだ。それだけ事態は深刻だと示していた。
「導師ファルサム殿はどこにいる?」
「裏門で待っています。お父様、すぐに一緒に王宮を抜け出しましょう」
もうすでに王女はこの王宮から抜け出ることを考えていた。その決断の速さと用意周到さに王は驚いた。そして、王女のいう『悪意ある気配』というものは、彼女にとっては漠然としたものではなく確信なのだ。
王には悪意を向けられる根拠があった。今、王と貴族評議会との間には確執があり、双方意見の食い違いは日に日に大きくなってきている。まさかそこまで、と思いはするが、政変が起きる危険も十分考えられる。だがそのことは、国民はもちろん、王女は知るはずが無いはずだ。
「お前は特別だ」
そういうと、王は優しく王女を抱きしめる。
「お前はきっと私を恨んでいるだろうが」
「そんなことはありません。お父様」
だが返事をする王女の声には親愛の情は籠もっていなかった。それでも王は王女の言葉に満足した。
「私は行けない。私が行くと、大きな混乱が起きるだろう。それは駄目なのだ」
「でも悪意は間近に迫っています。さっきお母様とクリスの部屋に来客があったみたいです。多分、悪意ある人たちです。お父様だけでも……」
「そうか」
それはもう悪意ではない。直接的な排除行為で、敵が行動に起こしたということだ。王妃と第二王女クリスは別棟の奥宮に住んでいた。王妃が病弱で、生まれたばかりの第二王女はまだ幼い。貴族評議会との確執や政争に巻き込む事を恐れた王は、執務や政治を行う第一王宮に居住を移し、職務室で寝起きしていた。どちらも警備は厳しく布いていたが混乱や騒動を起こすことなく政敵が動き出したということは、政敵はすでに王家関係者も抱きこんでしまったのだろう。
……その気配に私は気付かなかったのに、たまたま訪れた、この幼き王女は、もう事態に気付いたのか……。
我が娘ながら……という驚きと同時に、王は激しい哀しみを覚えた。
……この王女は、マドリードの最後の希望となるだろう……。
……それがこの王女にとって、幸せなことであるかどうか……。
だが、この聡明な王女にその宿命を課したのは王本人に他ならない。
「行きなさい。シーマの森を通れば、王城パーツティスを抜け首都を脱出できるだろう。あの森は<迷いの森>で恐ろしい幻獣が棲んでいるが、お前の能力と導師ファルサム殿の二人であれば抜けられるだろう」
「分かりました」
王の返答まで見通していたのか、王女は王に再考を求めたり哀願したりはしなかった。
王女は頷くと、その小さな手で王の手を握った。
「いつか、必ずお父様やお母様、クリスを助けます」
「ああ。待っているよ、アリア」
王……アミル=フォン=マドリード=パレはそう答えると、王女……アリア=フォン=マドリード=パレの手を握り返した。が、これが二人の直接触れ合う最後となる。
アリアはすぐに退室し、師である導師ファルサムと共に夜陰王宮の中庭からそのまま王宮の裏に広がるシーマの森に入った。森に入ったとき、一発の銃声が聞こえた。
これが後に『マドリード政変』と呼ばれる、貴族評議会によるクーデターの第一夜だった。これにより、王はその権限を奪われ、国政は貴族評議会議長レミングハルト侯爵等の手に落ち、国王アミルは、民衆の憎しみを一身に受ける傀儡となった。そして、国は貴族たちの暴力を背景にした圧政と重税、弾圧によって国内一気に荒廃した。
パラ歴2327年の出来事である。
そして…… パラ歴2335年。
『マドリード政変』から7年が過ぎた。
「早く帰らないと、そろそろザールやナディアが怒りそう……」
移動する列車の車窓から外の景色を楽しんでいた一人の少女がいた。
彼女はマドリード国第一王女であり、王位継承順位第一位のアリア=フォン=マドリード=パレである。一人で、供もいなければ護衛者もいない。
赤紫色の髪は背中の真ん中まで伸び、左後ろ髪の一房だけ珍しい編み方で三つ編みが作られていた。身長は160cm近くあるだろうか。質素なチェニックに襟巻き、そして地味な革の鞄といった姿でとても王女には見えない。最も、凛とした強い意志を感じる双眸と端整に整った美貌、均整のとれた体型……目を見張るばかりの美少女で、人目を引くには十分だ。
若く美しい少女の一人旅というのは、今のマドリードでは考えられない事だ。それほど国内の治安は悪い。アリアもそれは分かっていて、頭からマントを被って長い髪を隠し、護身用の短剣の鞘をマントの端から出している。アリアは年齢の割に背は高いほうだから一見するだけなら少年に見えなくもない。もっとも、少年が一人でいるというのも不自然なのだが、アリアは世に長けていて憲兵がやってきても無頼な輩が言い寄ってきてもやり過ごす自信があった。偽の身分証もいくつか持っている。王女だと気付く者は事実いなかった。
後世から考えれば、なんとも不思議な光景である。あのアリアが世に溶け込んでいるというのはピンとこないかもしれない。
理由は単純である。アリアは幼年期王城に住まず王都にも居つかず、半ば世を晦まして育ってきた。別にアリアが迫害されていたというわけではなく、第一王位継承者を世間の中で育てるというのがマドリード王国の古くからの伝統であるためだ。第一王位継承者が王女であるということは一定階級以上の国民は知っているが、その王女の名がアリアという名であることを知っているのは政府関係者くらいのもので、さらに顔まで知っている者となると政府関係者でもほとんどいない。彼女の消息は7年間不明のままだから、成長した彼女を知る者はほとんどおらず、まず分かる者はいなかった。
とはいえ、マドリード貴族評議会政府の関係者にみつかれば只では済まない。それに先ほども書いたが、治安は非常に悪い。若い少女が一人で旅をしていいわけではない。
むろんアリアも危険なのはよく知っている。だが彼女は旅に出た。
アリアは仲間の反対を押し切って、隠れ村を飛び出してきた。そこまでしても、会いたい人間がいた。
『ランファンの英雄』。
そう呼ばれるマドリード国内で知らぬ者はいない若き豪傑トジーユン=ミタスという男がいる。
彼は傭兵である。まだ二十代前半で若いが、その白兵戦戦闘力はこのマドリード国でも並ぶものはなしという評判があり、その勇名は他国にまで鳴り響いていた。ランファンでは200人近い強盗団を智謀と武力を駆使し壊滅させたという噂である。しかもただ武勇に優れているというだけでなく、戦術家としても一流で、政治力も持っているという。彼はランファンの他にいくつかの紛争に関わったが、どの案件でも素晴らしい手腕を見せた。単なる武人ではない。
マドリード含め、このクリト・エ大陸は戦国の世である。彼ほどの戦士であれば貴族が放ってはいない。実際、ミタスは何度も貴族たちから勧誘を……それもかなりの高額な報酬、好条件を提示されてきたが、その全て断ってきた。
その『ランファンの英雄』をアリアは一ヶ月の旅の末、ようやくマドリード北部の都市マイレインに滞在しているという情報を入手した。
人口5万の都市マイレインは政府直轄の町である。しかし政府の腐敗によって治安は他領より悪く、荒くれ者や傭兵家業の人間が多く棲み、絶えずいざこざが起こっている。政府の憲兵たちも堕落し、彼らを取り締まったりせず野放しであった。無政府状態と、奴隷や奴隷以下の人としての待遇を受けられない<アダ>たちに対する差別も酷く、治安は悪化の一途で、一般市民たちは、いつ巻き込まれるか分からない不安の中暮らしている。
このマドリードで一番治安が悪いと言われる町の下町に、義賊、仁義の英雄として有名なトジーユン=ミタスは滞在していた。
目立つ男である。
濃い緑の髪に190cmを超える長身に鋼のような筋肉が取り巻いている。だが顔はどちらかというと細面で目鼻立ちもすっきりと眉目も整っていて、長衣に身を包み筋肉の露出を隠せば一見細身に見え、すごい戦士には見えない。しかし彼がいつも子供が木の棒でも持つかのように軽々と携えている愛用の槍は特別製で、これによって彼は名乗らずとも自分がトジーユン=ミタスであると物語っていた。槍としてはかなり変わっていて、150cmほどの長さの鋼鉄の柄に、特殊合金製の巨大な三叉の刃がついている。その重量は10キロを超え、並の男にはとても扱うことはできない代物だ。槍といえば槍だし、バトルアックスといえばバトルアックスにも見える、そんな大きな獲物を彼はまるで小枝でも振り回すように扱う。渾身を込めれば機動兵器アーマーの足をも叩き切れそうだ。
ミタスは特にこの町が好きで棲んでいるわけではなかった。ただ、この治安の悪い町には日雇いの護衛の仕事が転がっていて食うに困らないのと、政府直轄地なので貴族がいないからだ。ミタスほどの勇名と腕があれば、大貴族や大商人の専属になる事もできるが、彼は長期の拘束を好まず、そういう誘いを全て断ってきた。マドリード生まれではあったが、元々この国の貴族は嫌いだった。
貴族は傲慢で我儘で選民意識が強く、正義心に欠けている。これはマドリードだけの問題というより、この時代のクリト・エの貴族は大なり小なりこのような認識を持たれていたように思える。付け加えるならばこれはミタスの貴族観だったが、世間一般の貴族観でもある。
ミタスは、富にも名声にも興味はない。
今は亡き師の言葉……『義と正義のために生きよ』という、ただそれだけのために今は生きている。それでも日々の生活に満足感があるわけではなかった。
自分には才能がある。師から人間として大成するように教えられた。自分にとって相応しい生きる実感を得たい……そう思いつつ、この国に半ば愛想が尽きつつ……それでも何をしていいか見出せず、ただ日々の生活をするためだけにこのマイレインに流れてきた。
……この国を出てみようか……。
彼はまだ若い。そんな事を考えていた。
この日の午後も……彼は町で、二人の少女が町のゴロツキに絡まれているのを見つけた。一人は町の娘で、一人は旅装の少女だった。どちらかが絡まれ仲裁に入っているのか、二人共絡まれているのかそれはよく分からない。ただ、ゴロツキたちの方は知っている。どこかの貴族の私兵崩れで、もしこのまま二人の少女が彼らに連れて行かれれば手篭めにされ、売り飛ばされるのだろう。よくある光景だ。周りの人々も遠巻きに見るだけで何もできない。
ミタスはいつものように、愛用の槍を取ると、その騒動を止めに入ろうと足を進めた。
だが……この日の騒動は少しいつもと違った。5人のゴロツキが、もう一人の旅装の少女一人にあっという間にねじ伏せられたからだ。
「めずらしいこともあるもんだ」
介入するつもりが、その隙はなかった。見物人で終わったミタスは、野次馬の中に混じり珍しそうに見ている。二人は何か会話していた。旅装の少女が何か新聞の切れ端を少女に見せ、何かを尋ねていた。すると、町の娘は何か思い当たったらしくキョロキョロと周りを見渡し、町の下町の方向を指差しつつ、必死に旅装の少女を制止しているように見えた。どうやら旅装の少女は下町に向かうようだ。
だが、町の娘はすぐに何かに気付き、野次馬の中を指差し旅の少女は野次馬を見た。そこには、周りより頭ひとつ大きい大柄の若者があった。ミタスのことだ。その時、ミタスは全ての事情を察した。そして、これがミタスとアリアの最初の出会いだった。
アリアはもう一度新聞の切れ端を確認すると、子犬のように小走りにミタスに駆け寄ってくると、満点の笑みを浮かべ、そっと手を差し出す。
「見つけました!」
周りにいた他の野次馬たちも、当然この挙動に注目した。
いつもならこういう雰囲気を察しそっとその場から離れるミタスだが、あまりにアリアの動きがすばしっこく、ついついそのタイミングを逸した。
アリアは公衆の目を気にすることなく、堂々とミタスの前に進み出て、すぐさま彼の大きな手を握り声を上げた。
「貴方を雇わせて下さいっ!」
「は?」
突然の言葉に、ミタスは唖然となる。
構わず、アリアは笑みを浮かべ嬉々と喋りだす。
「貴方が、トジーユン=ミタスさんですよね? うん、間違いない……うん、ホント噂どおり。大きくて、そして綺麗なオーラを持てますね。よかったぁ~……国中探した甲斐がありました。私、力を貸して欲しくてずっと探してたんです。トジーユン=ミタスさん!」
トジーユン=ミタスはその小さな手をただ見つめ沈黙していた。どう答えたらいいか、すぐには言葉が出ない。周囲の野次馬たちも突然の展開にどうしたらいいかわからず唖然としている。
「あ……ええっと……」
「あ! こんな話をこんなところでするのもおかしいですよね。そうですね……どこか……」
「いや、というより君は誰?」
「!?」
完全に舞い上がり一人喋っていた事を、ここで初めてアリアは気付き、顔を真っ赤にした。それほどミタスを探す旅は大変で、その労苦が感激に変わり、今は感情が昂ぶってしまっている。
アリアは胸に手を置き、何度か深呼吸して、ようやくいつもの自分を取り戻した。
「失礼しました。私はアリア=パレと言います。アリアとお呼び下さい。貴方はトジーユン=ミタス殿で間違いありませんか?」
「ああ、間違いないけど……何なんだ、一体」
ミタスはまだ話がさっぱり見えない。分かった事は、どうやらこの少女は自分を雇うため旅をしてきたらしいということだけだ。
アリアは愛らしい笑顔を浮かべ、じっとミタスを見ている。その様子は年齢相等の少女だが、彼女からは人を圧するような不思議な雰囲気が発せられている。彼女はアリア=パレと名乗った。名が二つということは市民ということになる。着ているものは地味だが、その材質は上等な物、これだけの情報でいえばこの娘は富豪の娘か……?
だが富豪の娘がわざわざマイレインのような危険な町に一人で来るはずが無い。少女は見たところ14、15歳……成人前だ。そして、本人がどれほど隠しても隠し切れないほど人目を惹く美貌に彼女が無意識に放っている高貴な雰囲気……ただの市民とはとても思えない。
今のマドリード国内の治安は最低レベルだ。若い娘は奴隷として売り飛ばされるか身代金目的に誘拐される。しかも貴族直属の軍人がそれを行う事も珍しくない、それほど国はガタガタなのだ。最もこういう世情だからこそミタス達のようなフリーの傭兵がこの国では商売として成り立っているのだが。
……おそらく貴族。それも大貴族の娘ではないか……。
傭兵という職業柄、人を観察する能力には長けている。
だとしたら、きっと厄介事に違いない。
ミタスはため息をつくと、無言で踵を返した。アリアは驚き、ミタスの後に続く。
「どうしたんですか? 突然喋りだして確かに私の無礼は認めますが……話を聞いてはもらえませんか?」
「俺は嘘をつく人間は嫌いだ。そして初めに言っておくが、貴族も嫌いだ。嬢ちゃん、どこから来たかは知らんがわざわざ遠路ご苦労だったな。早くこの町を出たほうがいい。すぐに列車に乗れば隣の町に行けるだろう。この町の宿よりは治安がいい」
「クスクスッ」
「?」
「優しい人ですね、トジーユン=ミタスさんは。私の心配をしてくれるなんて。貴族が嫌いなら、もっと無碍にされるかと思いました。余計に貴方が気に入りました」
「…………」
物怖じしない少女だ。調子が狂う……ミタスは足を止め、再びアリアの方に振り返った。
「確かに私は嘘をつきました。市民ではありません。でも貴族とも少し違います」
「…………」
「話を、聞いてもらえますか?」
アリアは笑顔を浮かべミタスを見つめている。だが、目はこれまでと違い笑っていない。真剣な眼だ。有無言わさぬ何かが瞳の奥で光っている。
その瞳の光に屈したわけではないが、気になった。数秒、沈黙があった。
初めて、ミタスはアリアの話を聞く気になった。
「いいだろう。話は聞こう。だが路上では駄目だろう」
「そうですね……話の内容も内容ですから。どこか安心できるお店はご存知ですか?」
「この町に安心できる店なんかない。ついでにいえば俺は酒が飲めないから元々そういう店とも馴染みがないがね」
ミタスは苦笑し答える。それほどこのマイレインは治安が悪い。それを聞いた時、アリアはこれまでの笑顔が一変し、哀しそうな表情を浮かべた。
「やるせない……ここは政府直轄の町のはず……それがこれほど乱れているのに何もできないなんて……」
意外な憤懣の様子に、ミタスは少し驚く。
「私がさっき助けた女の子も、何も悪いことはしてなかった。ただ、村で得た僅かな果実を売りにきただけ。村の物はほとんど領主に奪われてしまう。だから彼女はこっそり売り歩くしかなかったのです。でも、その僅かな果実さえも町で暴徒に奪われてしまう……そして、最後は彼女自身が売られかけた」
「それは別に特別な事じゃないだろ?」
「はい。特別じゃない。国中でそういう光景を見てきました。でも、これが特別じゃなくなった今の現状が異常なんです」
言いながら、アリアはゆっくりと町の外に向かって歩き出す。
「もしトジーユン=ミタスさんさえご迷惑でなければ、話は郊外でというのはどうですか? この町のすぐ外に小さな丘がありました。あそこはすごく気持ちのいい風が吹いて、自然の匂いも濃くてすごくいい場所でした。私、そこでお昼のサンドイッチを食べたんですよ? この町の中よりいいかもしれません」
「まるで、町には居たくないような口ぶりだな」
「……かもしれません」
丁度集まっていた野次馬が去り、二人だけになっていた。アリアは哀しそうに微笑み呟いた。
「この町を見ていると、心が痛むんです。虐げられている人たちを見ても痛む。そして、悪の道に走らざるを得なかった人たちを見ても心が痛みます。国が……王がしっかりしていれば、彼らだって生まれなかったはずです」
「……君は……」
……まさか……。
その時、ミタスは戦慄を感じた。
彼女の正体はもしかしたら……と、その存在に気付いたのだ。
だとすれば、これまでの彼女の振る舞いや言動も理解できる。そして、自分の力が欲しいという理由も。
ミタスの動悸がさらに高まる。
……もし、俺の予想が当っていれば……彼女は国のお尋ね者だ……。
「そういえば、俺はまだ君の本当の名前を聞いていないな」
自分の動揺を誤魔化しつつ、ミタスは冷静を装い尋ねた。
アリアは立ち止まり、ゆっくり振り向くと小さな笑みを浮かべ答えた。
「アリア=フォン=マドリードです」
「……やはり王女殿下か……」
アリアは静かに頷くと、もう一度ミタスを見つめる。
「私はマドリード王位継承第一位、アリア=フォン=マドリード。貴方の力が欲しいのは……この国を立て直す革命を起こすためです」
「なっ……なんだって?」
「話を、聞いて頂けますか?」
とんでもない事を、アリアはサラリと口にした。
ミタスは驚きのあまり、すぐには何もいう事が出来なかった。
アリアが言っていた郊外の丘はマイレインから1キロほど離れたところで、街道を少し外れたところにある。ススキの草原が広がり、菩提樹の木が所々にあり、花も咲いている。北にマイレインの町が見下ろすことが出来た。
二人は、菩提樹の下に座り話をした。
話……といっても、基本はアリアは一方的に語っているだけだ。自分の身の上と、今の国の政情について、熱心に語っていた。それをミタスが黙って聞いている。
7年前の貴族評議会のクーデターにより、マドリード第22代国王アミル=フォン=マドリードと王妃、第二王女は貴族評議会の手に落ち、王宮に監禁され、王はただ存在するだけの貴族評議会の独裁政権が生まれた。
アリアは幸運にも逮捕されず、その後地下に潜った。元々彼女は民間の中で育ち、後見人や後援組織もあった。マドリードでは、王位継承第一位の人間は帝王学の一貫として成人まで民間の中で隠れ育つ、というがマドリードにはある事はすでに書いた。この伝統のおかげでアリアは貴族評議会に囚われずにすんだ。
アリアは語った。
現在評議会が取り仕切るマドリード国内は重税に貴族の領地の統治放棄や私物化、人身売買貴増加による治安の悪化、弱者切捨ての政策、貴族特権の強化等様々な悪法が傀儡となった王の名前で施行され、マドリードは無法化し荒廃した。
アリアは10歳の時、国内の現状に耐えることができなくなり現政権の打倒を決意した。
それと同時期……貴族評議会もアリアの存在が政治的急所になる事に気付いたのだろう。俄かに放置していたアリアの事を思い出し、国内に<アリア確保の命令>を国内全土に出した。
「表向きは私が他国の勢力に担がれる事を防ぐための保護……ということですが、実際は私を抹殺するのが目的です。私が次代の王になることはすでに公表されていますから」
「…………」
そのあたりの事情はミタスも多少知っている。貴族評議会政府は、この命令を理由に大富豪や中流以下の貴族に言いがかりや圧力をかけ、さらにそれを全てアリアのせいにしてアリアの悪評に結び付けていたりもしている。
最も……アリアの顔を知る人間は、アリアの味方を除けばマドリード国内もほとんどいない。王女の名前がアリアだということを知るのは軍人、貴族階級か貴族世界の業界通くらいで、ミタスもアリアと話していてようやくアリアの名前が王女の名前だった事を思い出したくらいだ。
「だから私は貴方を雇いたいんです。私、『ランファン事件』のことを調べました。それに、他の小さな事件も沢山……トジーユン=ミタスさんは、すごく正義心が強くて、戦術能力、政治判断力、どれも優れたものを持っていると感じました。貴方なら、第一級の指揮官になれます」
「買いかぶりすぎだ。俺はそんな立派な人間じゃない」
「立派ですよ。今日だって貴方は私たちを助けてくれようとしていました。取り囲まれている時、気付いたんです。私たちに向けられた善意と、周りの男たちに対する対抗心があったのを……間に合わなくて、私が結局倒しちゃいましたけどね」
「いや。ちょっと感心したよ。強かったよ、姫さん」
「そりゃ……私は戦争をする気なのですから。私は、ただ後ろで皆に命じるだけの指導者にはなりません。仲間が私のために命を賭ける以上、私も前線で戦います。その覚悟と最低限の力はあるつもりです」
「見た目と違って、随分好戦的だな」
そしてミタスは思った。この王女は甘い幻想や権力欲を抱いてはいない。。
絶対の決意と覚悟がある。そして、アリアが危惧する通り、マドリード国内の荒廃ももう限界点に近いだろう。それはミタスも分かる。
ミタスは黙り込んだ。
僅か数回見せたアリアの色々な表情が、心に焼きついてしまった。
無邪気な少女の顔……悪党に立ち向かう凛とした正義の顔……町の荒廃に心を痛める王女の顔……そして、国のため戦争を決意している指導者の顔……。
彼女には、一片の私心もない。
このアリアの生き方こそが、ミタスがずっと求めていた生き方なのではないだろうか?
「王女だと不満ですか?」
「そりゃ不満だろうさ。それはつまり、戦争するってことだろ?」
アリアは笑みを絶やさぬまま肯定する。自分が今から進もうとしている道は茨の道などと甘いものではない。戦いを生業とする者ですら……いや、戦いを生業にしているものだからこそ分かる<修羅>の道。そんな道に、この14歳の、か細く可憐な王女は笑顔で突き進もうというのだ。
ミタスの心が動いていないといえば嘘になる。
ミタスはすでにアリアに惹き付けられているようだ。ただ、踏ん切りがつかない。覚悟といってもいい。
これまでそんな表舞台など考えたことがなかった。そういう功名心や国への忠誠心を持った事がないのだ。アリアの高潔さに、若干の嫉妬心もあるのかもしれない。
不思議なことに、アリアと話せば話すほど、彼女に惹かれて行くのだ。後の歴史家が『アリア教』と比喩するほど人を惹き込む強いカリスマ性を、天性持っている。嘘偽りない高潔な言葉と態度、一本しっかりと入った理想と理念と意志、そして聞くものを陶酔させ、駆り立てる涼やかな弁舌。なんと魅力的な王女であろうか。
……戦争が恐ろしいのか? 俺は……。
分からない。ミタスは、戦闘経験は豊富だが戦争経験はない。
にも関わらず、今日始めて出会ったアリアは、ミタスに戦争の才能がある、と言うのだ。ミタスがそこにも困惑する。自分では分からない才能だ。
だがアリアにそういわれると、「そうか」と思った自分もいる。
本当に不思議な王女だ。
ミタスは自分自身の困惑を隠しつつも、何も答えられずただただ沈黙していた。
それをアリアは、急かしたりせず、温かい笑みを浮かべ待っている。
ついに、ミタスは喋りだした。
「俺は傭兵だ。だから、条件があえば誰にだって雇われる」
……俺は、何をすごく当たり前のことを口にしているのか……。
適当に断ればいい、と思いはしたのだが、彼女のまっすぐな問いに対して、それは出来かねた。茶化すには重過ぎる内容だ。
「嬢ちゃん、俺を雇うってことは契約するって事だ。むろん期間も無限じゃない」
そういうとアリアは少し目を閉じる。頭の中で計算している。そしてぱっと目を開けたときは自信に満ちた笑みを浮かべていた。
「一年……そう、一年ね」
「一年……か」
ミタスは何気に答えたが、内心困惑していた。
ありえない……この王女様は一年で現在の乱れた国を立て直すつもりなのか……?
「貴方が協力してくれれば、一年で終わります」
「上手い事いうな。じゃあ一年としよう。俺は自分でいうのもなんだが安くない男だ。それを一年間雇うとなれば報酬はどうする? とても逃亡中の王女様が払えるとは思えんぜ?」
そう。アリア=フォン=マドリード=パレは確かにマドリード国の第一王女だ。だが、彼女は現在その国から追われた流浪の王女で、なんら財産や王家としての権利を有していないはずだ。
そのことは、彼女が一番分かっているはずだ。
ミタスの問いに、アリアは初めて表情を曇らせ、そして目を閉じた。
数秒……沈黙が辺りを支配した。
「貴方は……いい人です」
「ありがたい言葉だがね。それじゃあ俺は食えないんだよ」
アリアは顔を上げ、ミタスを見つめた。
「いい人です。私は貴方を雇いたいんです」
「どうやって?」
ミタスが内心の変化を悟られぬようサラリと答えると、アリアは懐の中から一枚の上質な紙とペンを取り出し、ペンでさらさらと何か文字を書き足し、最後に自らの名前を書き込んだ。そしてペンをしまうと、今度は小さなナイフを取り出し、あっと思う間に自分の親指に刃を刺し、その書類に血判し、書状にした。その書状を、ミタスに差し出す。
「これが、貴方との契約書です」
「…………」
サインに血判……なるほど、契約書だ。彼女が今条件を書き込み、書名捺印し、目の前で契約書として完全となった。
受け取ったミタスは、それを一瞥し、困惑した。
その契約書には、確かに「マドリード国発行」と「サインと血判」がある。そして契約条件である「一年の期間をもってアリア=フォン=マドリードに仕えるものとする」と書かれている。
が……肝心の報酬に関しては大きな空欄となって残っている。
そのスペースがないのではない。紙面の半分以上は空欄だ。
ざわざわっ……と、ミタスの中の血が、ある予感を感じ取り、沸騰し湧き上がり、熱い血が全身を駆け巡った。
……まさか、正気じゃないだろう……。
その困惑は、ミタスがこの契約書の意味を理解している、という確証だ。
……やはり、この男は只の戦士じゃない……。
その事実に、アリアは、ミタスの聡明さと自分が見出した相手の質の確かさが嬉しく、自然に嬉しそうな笑みを零していた。一方ミタスの表情は困惑のままだ。
意味はもう分かっている。だがそれを口に出すことがミタスにはできなかった。
「報酬欄が空白だ。嬢ちゃん……アンタ俺に一体何を呉れるっていうんだ?」
平静を装いつつも、ミタスの声が、事の重大さに無意識のうちに低くなっていた。本当は、答えは分かっている。だがそれでも、確認した。
「なんでも」
かわらず、アリアは笑顔で答えた。
「なんでも?」
ついに彼女は自身の口で、契約書の中身に答えた。
「そう。なんでも。……それは白紙委任契約書です。貴方は自分が欲しいものを何でも好きに書いて下さい。私は、マドリード国王の権限として、それがいかなる内容であっても貴方の願いを叶えます。土地でも、お金でも、爵位でも……」
「随分と……」
ミタスは苦笑したまま言葉が発せられないでいた。この契約書がもつ意味にさすがのミタスも圧せられた。見れば、この契約書はマドリード国の刻印も入った完全な王家のみ使用できるものだ。そこにミタスは自らの要望を書き込めばたちどころにそれは国王による勅令の公文書となり、このマドリード国内においてはいかなる要求も正当のものとなる。
いわば、これに書き込むその一瞬、彼は国王の権限を持つのだ。
が、重要な点が一つある。
この書状を公文書にするため、大きな障害がある。
それは、現在この目の前にいる14歳の流浪の王女を国王にしなければならない。でなければこの公文書は空契約であり、何の価値もない。彼女はこれから、内乱を収め、貴族に牛耳られた国政を打倒する革命を起そうとしているのだ。つまり、この革命が成さなければこの公文書は公の効力を持たない。この契約を交すということは、ミタス自身が自身の契約履行のため獅子奮迅の働きをせねばならない。
王の権利であると同時に修羅となること……二つの意味をもつ契約。
驚嘆すべき事は、そんな重大なものを、彼女はほとんど数秒思考しただけで、ほとんど知らない一市民階級の傭兵に、無造作に提示したことだ。愚かなのか天性か……もしこれが計算されたものであればその器と度量はいかほどであろうか……しかも本人には逡巡も後悔も、怯えもない。
……この少女には……王者の資質がある……それも天性に……。
「何でもっていいっていうが、俺がどんなものを要求するかわからんだろ? もし俺がハーレムを作ってくれといったら認めるのか? 国の全財産とか? 土地とか爵位なんてセコイこといわず国を寄越せと書いたら寄越すのか?」
「貴方が望むのならば……」
そういうと、彼女はあるで鳥が翼を広げるように優雅に手を振り上げ、
「財産が欲しければ財産を、地位が欲しければ地位を! 国が欲しいというのならば……」
アリアはしっかりとミタスを見つけた。
「国を! 貴方に差し上げます」
「…………」
「私は国民を守りたい。貴族たちから搾取され、苦しむ国民を救いたい! だから私は、この国を変えます! 王位など、欲しくない。貴方が王位を求めるのであれば、私は喜んで貴方に王位を譲ります。……そのために、まず私たちがすべきことは剣を取り立ち上がることです。トジーユン=ミタスさん……貴方の力を私に貸して欲しい。私のためじゃなくて……国民のために……」
ミタスの中で、波動が走り抜け、ざわざわと沸き立つ。
アリアの一言一言が、波動となってミタスを貫き、それは戦慄と高揚感を起こさせる。
分かる。
彼女の言葉に嘘偽りはない。奇麗事や夢物語を語っているのではない、彼女は本気でそう言っている。そして分かるのだ。彼女であれば、それを成すことができるであろうという予感が。そして、この時、ミタスの心中は完全に目の前の少女に傅いてしまっていることを感じ取った。なんという自然な覇気と威厳だろうか……圧倒的な王者の風格に、ミタスは屈していた。
ミタスは、沈黙した。
「あの……ダメ……ですか?」
「!」
ミタスの沈黙を誤解したアリアが、これまでと一転して……不安げに零す。もう先ほどまでの王者の風格はなく、ただの少女になってしまっている。おかしかった。水面下でミタスは完全に屈していたのに。ミタス自身がそのことに気づき、今とのギャップに、たまらず笑い声を上げた。
……この少女には二面ある。王者の風格と、健気で無垢な優しい少女の……。
それは、配下の者にとってはなんと大きな力か。この二つの魅力を持つ少女のために、老若男女問わず誰もが笑顔で死地に出向くであろう。
……これも運命か……。
ミタスは屈した。
それは彼の人生21年の中で、初めて他人に全面的に屈した瞬間だった。だが、不思議と悪い気分ではない。
「ふふふっ、ふふふふふっ! あはははははっ! まいった。降参だ♪」
「?」
ミタスは腹の底から満足のいくまで笑うと、無造作にその契約書を受け取り、署名と血判を、アリアが喜びの表情を浮かべるより早くさっさと済ませ、懐にしまってしまった。
「契約を結ばせてもらおう」
「!」
「だけどあくまで俺はフリーだ。家臣になるつもりはない。忠誠心は契約にのみ捧げる。王女というキミに仕えるんじゃない、俺はアリア=フォン=マドリードと契約するだけだ」
「ありがとうございますっ! ミタスさんっ!」
「ミタスで結構。だけど俺はキミを<様>付けしないけど構わないか?」
「構いません。ありがとう……そして宜しくお願いします」
アリアはそう答えると、ゆっくりと右手を差し出した。
……か細い手だな……こんな手で、国を救いたいと言う……。
ミタスも、右手をあげ、彼女と握手を交した。予想通り、小さく柔らかい手だった。
だがこの手も、これからは血に染まるだろう。そしてミタスの手も同様に……。
……意外に面白いことになるかもしれないな……。
ミタスはぼんやりと、この幼いといっていい王女を見ながら思った。
「で、これからどうするんだ? 姫さん」
「私の村に案内します。南に行くことになりますけど、とりあえず今夜どこか泊まる場所を探さないといけないかもしれませんね」
アリアは苦笑しながら空を見上げた。まだ4時前だが、もうアリアの目的は果した。
そんなアリアを見、苦笑するミタス。ミタスはゆっくりと愛用の槍を担ぎ、マイレインに向かって歩き出した。
「マイレインの全てが最悪なワケじゃない。ちゃんと安全な宿もあるよ」
「あ、ひどいですねミタスさん。ということは私を騙したんですね、さっき」
アリアは嬉しそうに笑いながらミタスの後について行った。
こうして、二人の関係は決まった。
そしてこの瞬間、歴史は作られた。
後にマドリード帝国元帥として、女帝アリア=フォン=マドリードの一翼となる……そんな未来をアリアもミタスもこの時はまさか予見していなかったであろう。
ただ確実なことは、この日より、トジーユン=ミタスの名は歴史の表舞台に刻まれることになった。
パラ歴 2335年 3月15日……「伝説の邂逅」と「伝説の始まり」であった……。
2/革命の火種
「もうじきです。ミタスさん、疲れは?」
アリアは笑顔をミタスに向けた。むろん14歳の少女よりはるかに体力のあるミタスは微塵も疲れていない。
「しかし……」
むしろ気になったのは今自分たちのいる場所だ。
アリアとミタスが出会ってから二日が経過した。北の都市マイレインから二人は汽車に乗り、大きく西回りに円を描くように南下した。
アリアは、まずミタスを自分の住む村に案内すると言った。ミタスにはむろん異論はない。契約した以上、一年間は、アリアが彼の主人である。
アリアが住む村……という事は、そこは革命軍のアジトということになるだろう。
……王位継承第一王女アリア=フォン=マドリードは、反マドリード勢力によって拉致された。そして豪族や反政府盗賊に利用され略奪、強奪、貴族の殺人など暴力的な一団に利用されている。マドリード政府としては、早く王女の救出に尽くしている……。
アリアの名は政府関係者や軍人あたりでなければ知らない。だから国民には単に『王女捜索手配書』という物を配布している。本気で探し出そうという気は微塵もなかった。
これがマドリード政府の公式見解だ。
救出という言葉を使ってはいるが、つまりは指名手配中なのである。幸か不幸か、アリアは第一王位継承者としてマドリードの伝統に従い成人までは王城パーツティスで育たず、後見人の賢者の下、市民生活の中で育った。7年前、政変が起きて以後、アリアが王城に立ち寄る事はなく、公式な場から完全に姿を晦ました。そのためマドリード政府は幼女の頃の容姿しか知らない。思春期前の幼女と思春期の少女では、どのように成長しているのか……それを明確に予想することは難しく、逆に反乱者に悪用される危険もあるため大々的に手配したくともできない。
それでも、指名手配されている事実は事実だ。
ミタスが困惑の表情を浮かべたのは、進行方向が首都シーマに真っ直ぐ進んでいるからだ。さすがに敵、貴族評議会の巣窟である首都シーマには行かなかったが、アリアとミタスが下車したのは4駅前のゴタタという小さな駅だった。
「ここからはちょっと歩きます。大丈夫ですか? ミタスさん」
「そりゃあ俺は別になんともないが……」
ミタスは訝しげな表情で、先導するアリアについて行った。
ゴタタ地方の山間街道を並んで歩いているが、僻地ではない。このゴタタという地方はゴタタ山地の麓一帯を指すが、首都シーマはこの山地を南に超えればすぐそこなのだ。このあたりは首都圏の中に入っているといっていい。
「ある意味盲点なのかな」
革命を起こそうとしている逃亡中の王女が、随分大胆な場所にいる……ミタスは困惑せずにはいられなかった。アリア王女は恐らく国内もしくは国外の貴族に匿われているという噂が多かった。実際その嫌疑をかけられ、ここ4、5年の間にいくつかの中流、下級貴族が貴族評議会の命令で取り潰されたりしている。
この『アリア王女擁立嫌疑』は、貴族評議会にとって裕福な中流貴族や商人たちから財産を巻き上げる絶好の口実で随分貴族評議会はこの手口を使った。後にアリア革命軍に幹部として参加するクシャナ=フォン=レーデル子爵家も嫌疑をかけられ、一族の財産は奪われ、さらにクシャナ以外の一族は投獄の末獄死……レーデル家は断絶した。今では唯一生き残ったクシャナ本人が公然と『反マドリード政府』を旗印に反乱組織を作り政府に追われている。現在のアリアには関係ないが、一応少し触れておく。
やがて丁度山間の谷間の村に辿り着いた。ここが街道の終着地点だ。山は岩山で、いくつもの穴が開いていた。どうやら炭鉱があるらしい。アリアは嬉しそうにそれらを眺め、そしてミタスのほうを振り返った。
「ここです」
アリアは表情を緩ませながら言った。
「なんだって?」
「ここが私の住む村です」
地名でいえばこのあたりはマドリード首都圏ゴタタ地方タニヤ村という名で地図には記載されている。タニヤの人口約1000人の小さな村だ。基本農業と林業、そして僅かにとれる石炭で細々と暮らしている貧しい村だ。
まるで観光案内でもするようにアリアは説明しながらするすると中に入っていく。
するとどうだろう、アリアが戻った事に外で遊んでいた子供たちが目ざとく見つけると、嬉しそうに声を上げアリアの元に集まった。続いて大人たちが彼女を出迎え、あっという間に人の輪が出来上がった。皆気軽に「アリア様」「姫様」と親しみをこめ声を掛けていた。
……つまりは村全部が彼女の味方ということか……。
ミタスは冷静に分析してみた。成程、革命を起こすというのはただの夢物語ではなく、組織は作られているらしい。よく見てみると、歓迎に出てきているのは女子供、そして老人たちで男の姿はなかった。
10分後……アリアは歓迎団の輪の中からなんとか抜け出しミタスの元に戻ってきた。
「お待たせしました。ミタスさんは村には興味ないでしょ? もう一つの場所のほうに案内します」
「あの子供たちで革命をするのかと思ったよ」
むろん冗談だが、まだ14歳の王女様というイメージ……そこに女や子供に囲まれ愛される少女の姿を見たミタスにすれば、あながち有り得なくもない気がする。
「まさか」
アリアは笑いながら答えると、山のほうを指した。
「あの坑道の中がそうです。少し暗くて埃っぽいですけど……」
「ようやくそれらしい話になってきたな」
「ミタスさん」
「ん?」
「貴方はこの村の子供たちを革命に使うのか、っていいましたよね」
「冗談だよ」
「分かっています。逆ですよ。あの子たちを戦に巻き込みたくない……子供たちには戦争のない世の中を作りたいんです」
「…………」
アリアはそういうと、ゆっくりと歩き出し、ミタスもやや遅れてついていった。
「ほぅ……」
ミタスは、今度は感嘆のため息を漏らした。
坑道の中は予想を遥かに広く、多くの男たちが石炭を掘ったり運んだりしているが、一部の大人たちは軍事品の整備作業をしていた。天井は鉄骨で補強され光源も多く、壁際には刀剣類や銃、弾薬箱、大砲、さらにはバリケード用の特殊金属パネルや加工食品などが積み上げられている。
その中で一番目を引くのは、中央に集められた無数の巨大なアーマー群だった。
二機の真紅と白のやや大きなアーマーが際立っているが、その後ろに見たことの無いアーマーが並んでいた。数は20を越えているだろう。どれも新品同様だ。
これだけの数のアーマーが集まっているのを、ミタスは見たことがなかった。国を挙げた軍の式典などでなければ、これだけの数のアーマーを見る機会はない。貴族たちの私兵軍など、アーマーが3機もあればいいほうだ。
そもそもアーマーとは、<人型汎用機動兵器>の事で、人型をした機械の戦闘用搭乗機で、3~8m前後と非常に大型で、胸部もしくは頭部に当る位置に操縦する人間が入り操縦する兵器である。人間同様、巨大な剣や槍、爪で兵を屠り、巨大な火砲を装備していて敵陣や要塞を破壊する。機体によっては、レーザー砲や粒子砲も搭載している。その戦闘力は、一機で歩兵100人とも200人とも言われた。マドリードの国防軍は10万だが、アーマーは一大隊に5機という具合で70機前後と言われている。
戦場において最も華麗かつ、巨大な戦闘力を持つ兵器……それがアーマーだ。
当時のクリト・エは通常、アーマーに乗るのは隊長か貴族の主人のみが乗る事を許されたステータス・シンボルのようなものであり、逆にそれだけアーマーの数は少ないということでもある。
そうと考えれば、このアーマーの数は際立っている。
2機の真紅と白のアーマーは隊長機だろう。マドリード王家の紋章が胸部に大きく刻まれている。オリジナル・アーマーで機体も大きく、王家専用機で装備もビーム兵器がメインのようだ。だとすればよほど高性能で、希少価値が高いことを示している。それがどうしてここにあるのか……そこはミタスも想像つかない。恐らく王城の宝物庫からどういう方法かで持ち出してきたのだろうが流浪の指名手配を受ける王女がそんな真似はできるものだろうか。それはいいとして、他のアーマー20機というのは、こんな村の炭鉱を利用した秘密基地のような場所で目にかかろうとは思わないものだ。
「どんなトリックがあるんだ?」
「秘密です」
アリアは少女らしい悪戯っぽい笑みを浮かべミタスに振り返った。
その時だ。周りがようやくアリアが戻ったことを知ったのだろう。歓声とどよめきが起こり、大勢の駆け寄る足音が坑道内に響いた。
「おかえりなさい! アリア様」
「アリア様。ご無事で何よりですっ」
「アリア様!」
男たちは集まり敬礼をもって歓待する。みれば村人からただの壮士、軍人らしい態度で接する者それぞれだ。それをミタスは少し離れた場所で眺めていた。態度は違うが、彼らがアリアに示す愛敬は尋常ではない。すでに軍隊組織として出来上がっている。
『マドリード政変』によってアリアが追われたのは7年前だ。
アリアの年齢を考えれば、この組織が作られたのはここ2、3年だろうか? アリア個人の独力では無理だ。この村の経済力でも無理だろう。やはり彼女には大きなバックボーンがあるようだ。
「ミタスさん。貴方をまず紹介したい人間が二人います」
「二人?」
「私の大切な<両腕>です」
「つまり、嬢ちゃん以外の指揮官か」
「そんなものです」と、アリアは少し誇らしげに答えた。
「そんなもの?」
「ただしくは……」
アリアが説明しようとしたときだった。中央に置かれた真紅にペイントされたオリジナル・アーマー……<ヒュゼイン>紅機の方のコクピットが開いた。現れたのは機械油と埃で汚れた作業着を着た、褐色の肌を持つ少女が姿を現した。長い髪は一つに結ばれ、ホットパンツ姿からは美しい脚が見える。背は高いようだ。
「アーーーッリアっさっまぁ~♪」
少女はそういうとコクピットから跳躍し、優雅な身のこなしで地面に着地すると、次の瞬間、アリアに襲い掛かり……。
「おかえりっ!! アリア様ぁ~♪」と抱きつくと、アリアに顔を摺り寄せた。アリアが素っ頓狂な悲鳴に似た声を上げるが、褐色の少女は構わずアリアの顔や胸やお尻やお腹などなで回ってる。
「うーーーん、ちょっと見ない間に少し胸は大きくなったかな? ふむ? でもまだあたしの方がおっきいわねーーー♪ ふむふむ」
「ちょっ……ちょっとナディア……! 離してください、客人の前ですっ! ほんの一ヶ月じゃないですか! 私が留守にしたのはっ!」
突然抱きつかれ、さらにミタスの前での抱擁にアリアのほうが赤面し焦る。
「そんなの関係ないない♪ あたしの<アリア様成分>が満たされるまでは♪」
「ナディア~!」
どうやらこの褐色の少女はナディアというらしい。歳は16か17……アリアより少し上くらいだろうか。濃い蒼髪で髪が長くその長い髪を大きく後ろで束ねている。背も170cm以上はあるだろう。アーマーの整備中だったためか、服装は胸元が開いた半そでのシャツに工具の入ったベスト、そしてホットパンツというラフな格好だ。露出している腕や足は筋肉質で長くしなやかで美しい。見るからに戦士だと分かる。だが、表情はまだどこか幼さを残していた。美少女でもある。
そんなナディアは、客のミタスのことなど完全に眼中なしにアリアとじゃれ合っている。
ミタスがどうしたらいいか戸惑っているとき、今度は背後から黒い長髪の男が近寄り、無言でミタスの横にならんだ。こちらは20代前後か……彫の深い顔立ちで、笑みを浮かべていても、どこか冷然として雰囲気がある。この男だけは立派なマドリードの貴族用軍服に身を包んでいた。
「あの二人は姉妹のように育ってきた、あれはいつものことです。卿がトジーユン=ミタス殿か?」
「そうだ」
「まさか本当に来てくれるとは思わなかった……皆もそれで驚いていたのですよ。私はザール=フォン=ザナドゥ……軍師だ」
「貴族か」
いや、貴族どころか……ミタスは自分の記憶を掘り起こすと、ザナドゥ家というの名前には覚えがある。確か貴族議会院に名を連ねる伯爵家で東に広大な領地も持っていたはずである。
どうやら、アリアがミタスに会わせたい特別な二人というのはこの二人らしい。
ミタスはアリアをとりまく不思議な状況に戸惑っていた。
褐色系の人種は、北の大帝国ザムスジル帝国や、西のトメイル王国……そして大陸連邦と北の大陸の半島王国マルドレイクに多い。ただ、このマドリード含めたクリト・エ大陸の東部・南部では、数は多いが、貴族階級には皆無で、ほとんどが市民以下の農奴階級者に多い。
……あのナディアという少女は、恐らくアダ……。
それが、最高位である王女と姉妹のような関係であるという。もしかしたらアリアが隠れ育った場所は、アダ達の世界かもしれない。そう考えれば、彼女が護衛も付けず一人で旅をするだけの知恵と力量があるのも理解できる。
アダたちは、蔑まれ、住む場所も貴族の領内で奴隷のようにこき使われるか、大都市の貧民街で密集して住んで日雇いや肉体労働の仕事したりしている。刑法も税率も一般市民や貴族と違いアダのそれは最も重く、社会保障も国家はアダには設けていない。マドリードの人口の2割はアダだ。そして、絶対的弱者のアダたちは自衛のため強力な自治体組織を作り、それらが各都市のアダたちの集落と連携し合い横のラインで結ばれていてその結束は高い。アリアは旅をする際、彼らアダの組織力を利用していた。そして、彼らの組織も全面的にアリアを支持していた。結論を先に言えば、アダたちにとって、環境の改善の希望として、アリアという存在があった。そういう背景もあり、マドリード国内でのアダにとって、アリアはむしろ王に最も厚い忠誠を持つといわれる国防軍将校よりも、強い忠誠心と敬愛を受けていた。
そこまではミタスも察する事ができた。
で、あれば……アリアの軍師と名乗ったこのザール=フォン=ザナドゥの存在は異様だった。ザナドゥ伯爵家は上流貴族であり、アダたちとザールが普通に接することなど有り得ない。だが遠巻きの男たちも、ザールが現れたからといって特別敬意を払う様子は見られなかった。ここでは身分制度がないようだ。
……アダに市民に貴族に王族か……身分も何もあったもんじゃないな……。
貴族の利権と特権が強かったこの時代である。かなり異色な風景であった。
「まさか貴族殿がおられるとは思わなかった」
「正直、私は卿を歓迎していなかったのだよ」
「はっきりモノを仰る方ですな」
ミタスも地金は<貴族嫌い>である。
「だが卿の噂はよく知っているよ。『ランファンの英雄』……正義の義賊殿」
ザールはアリアたちには聞こえぬよう、笑顔を浮かべたままミタスを嘲っていた。
「あの姫さんにアンタみたいなのがいるのは意外だ。悪いのは愛想だけか?」
「いや、勘違いしないでほしい。ミタス殿。これからは仲良くしたいと思っている」
「俺はそうは思わん」
ミタスは僅かに不快感を示した。そして「やはり買いかぶりすぎか。姫様なだけあって考えが甘い……人を見る目はまだないんだな」と思った。
ザールはそんなミタスの心の声を表情から読み取り、満足そうに頷く。
「そう通り。あの王女は人を疑うことをしらん。ここの馬鹿な村人は騙せても、政治の世界にいる我々特権貴族は騙しきれるものではない。私はたまたま王女と縁あってここに連れて来られたが……」
そこまでいうと、ザールはアリアから目線を外した。
「卿は話が分かる男だろう? まぁ私に付いておくと得だ。王女の甘ったるい物語に踊らされず、私に従えばいい」
「どういう事かわからんな」
「なに……」ニヤリ、とザールは不敵に一笑した。
「王女なんて飾りだ。あんな小娘、いつでもどうとでもなるということだ。権力を握るのは私だよ」
「!?」
「貴殿もそのつもりでここに来たのだろう? まさか本気であの小娘の戯言に乗せられるほど馬鹿ではあるまい」
「アンタ」
「心配するな。卿には大金を約束する、このことはあの能天気な連中には秘密だぞ」
……この男は……!?
ミタスの顔には明らかに殺気が籠もった。ザールは気付かぬ風で、含み笑いのままゆっくりと振り返り、ミタスに背を向け呟く。
「王女は小娘と戯れ安心しきっている。一方、卿は客人ということで今も武装をしたままだ。この砦内は臨戦態勢にない……我々ならあっという間に制圧できる……そう思わないか?」
「残念だが、思わんね」
ミタスは決断した。
その瞬間、ミタスの左手は背に隠してある短剣を掴むと、ザールに突きつける。が、その直後、突然上から現れた短剣がミタスの短剣を弾いた。
「!?」
ザールとミタスの間に割って入ったのは、なんと短剣を持ったナディアだった。
一体いつの間に跳躍したのか……そしてなんという素早さか……!
彼女からは先ほどまでのおおらかでお茶目な雰囲気は消え、凄まじい殺気を放っている。
二人、短剣を身構える。両者、一部の隙もない。
次の瞬間、ナディアはミタスに向かって跳躍した。
速い。
ミタスは経験で悟った。この少女の得手は短剣術だ。そして短剣では勝てない!
ミタスはナディアの一撃を突き飛ばす勢いで弾き、ナディアが体勢を少し崩した一瞬に短剣を捨て、愛用の戦斧槍を引き抜いた。ナディアは短剣を構えなおした。短剣、といってもこの当時のクリト・エの短剣は大きく刃渡りは40cmから50cmはある。歩兵の基本装備だ。
数合、短刀と槍が交わり、金属音と火花が散る。
両者、互角。
が、それも終わりだった。
時間にして僅か20秒……ぶつかり合うこと20合以上……。
ナディアが、短剣を構えたままにやっと笑う。
「合格♪」
ナディアは笑顔を浮かべ構えを解き短剣を降ろした。そしていつのまにか少し離れた所でザールが穏やかな表情で拍手している。呆気に取られたのはミタスだ。
「……なんだ……?」
「いやぁ~。やっぱアリア様が目ぇつけただけあって強いわ♪」
「それに中々正義心も強い。予想以上の反応でした。ナディアの助けがギリギリでこちらが冷や冷やさせられた。もし間に合わなかったらどうする?」
「多分大丈夫じゃない? この人、多分本気でアンタ刺そうって気なかったと思うよ。本気だったらあたしだって間に合っていたかどうか分からないモン。あーあ……短剣、少し欠けちゃった……。その馬鹿でかい槍、飾りじゃないのね~」
「お前たち……」
ミタスもようやく理解した。
「俺を試したのか?」
なんとなくそんな気はしていたが……ミタスは大きくため息をつく。
「ザール、喧嘩の売り方下手すぎ! なんかあたしが道化みたいじゃん! アンタ、軍師だったらもっと上手に喧嘩売りなさいよ!」
だがザールはなんら反省も悪びれる様子もなく済ましている。
「本気で殺し合いになってはまずいだろう? そもそも『ランファンの英雄』の腕が見たいといったのはお前だ」
「そりゃあたしより弱いヘナチョコだったら困るジャン」
「ナディア! ザールっ! 二人ともなんてことしてくれたの!」
先ほどまでナディアに弄ばれていたアリアが漸く我に返り、目の前で起きた茶番に怒鳴る。ナディアもザールもまったく反省の様子はなく、頭だけは一応アリアに下げる。
「そりゃ試したくもなるわ。こいつは<三人目>なんでしょ? 腕も忠誠心も重要よ」
「この件について私もナディアと同意見です、アリア様」
と二人は全く悪びれない。だがミタスは実感した。この二人の忠誠心は本物だ。それがちっとも嫌味でなく、むしろ二人のアリアへの忠誠心は爽快さがあり、好感を覚えた。
「一歩間違えばザールもナディアも……ミタスさんも傷を負ったかもしれないでしょ? もう少し穏便にできないんですか!?」
「ま♪ 過ぎたことはいいじゃん♪ ミタスだっけ? 改めて宜しくね♪ あたしはナディアよ」
「済まない。我々の座興に付き合せてしまいさぞ不快な思いをしただろう。許して欲しい。だが、分かって欲しい。<白紙委任>を持つ存在というのがいかに特別かということを」
ザールは改めて握手を求めた。ミタスは応じた。
「ということは……あの契約書は……」
「はい。ここにいる三人だけ、他の者は存在も知りませんし、もうこれ以上作りません」
アリアが少し声を落とし、頷いた。
アリアが認める特別な三人……である。
そのことにミタスは内心、ほっとした反面アリアという少女の政治力が確かであることを認めた。あの伝家の宝刀というべき<白紙委任>の効果は大きい。だが乱造すべきものではない。彼女は戦略には使わず人材確保にのみ使った。あくまで彼女は自身の戦略力と政治力で貴族評議会を打倒するつもりらしい。
「と♪ いうことで、あたしたち3人はアリア様の特別隊ってトコよ♪ ようこそ新入りミタスさん♪」
「差し詰め君はお姫様の直属の護衛というわけかい」
「まーね。でも本番は護衛じゃなくて、あたしの専門はあっち」
そういうとナディアの短剣は基地中央にある二機のアーマーの赤い機体の方を差した。
「あたしはアーマーに乗って前線♪ ……だからね。いざ戦争になったとき、アリア様の傍に信用できる腕と能力を持った誰かにいて欲しかったの。ザールはダメ、あいつは頭でっかちの軍師兼魔術師で、そっちのほうはそこそこ出来るけど、剣も銃も使えないもの」
「それで俺、か」
「よろしくネ♪ 新入りさん♪」
ナディアは微笑むと、ミタスに手を伸ばし握手を求めた。ミタスは黙って応じた。少女戦士の手は、思ったより大きかった。
アリアは二人の勝手な行動に頬を膨らませていたが、やがてそれも苦笑に変わり「しばらくしたら別の場所に案内します」と告げ「私も旅装を解いてくるのでしばらくそのあたりで休んでいてくださいねミタスさん」と奥に消えていった。
「じゃあソレはザールにまぁーかせた♪」
ナディアはザールが何かいうより早くくるりと振り向くとそのままさっさとアーマーの方に戻っていったため自然ミタスはザールと二人となった。
ザールは苦笑する。
「では、お茶でも淹れよう。相手が私で申し訳ないが」
「いや、いいさ」
ザールは近くにいた男に命じ、茶の用意をさせ、ミタスを誘った。
「酒のほうがよいか?」
貴族らしく振舞いは毅然としているが、実際はあんな茶番を演じるあたり内面は気さくな性格らしい。
「いや。俺はあまり酒は飲めないんだ」
「あまり……か。まぁ今は飲まぬほうがいいだろう、この後がある」
「?」
ちなみに当時、飲酒は14.15歳で飲んでいいという風習で特に法で定められてはいない。蛇足だが、クリト・エ大陸でもマドリードのある東部地方は下戸が多く、後にアリアたちと行動を共にするアルファトロスの代表プレセア=ヴァームは果実酒一杯も飲めない。ミタスはそこまでひどくはないが、蒸留酒はとても受け付けない。一方、14歳にしてアリアはかなり酒に強く、大人たちと飲みあってもつぶれない。もっとも今はまだ好んで酒を嗜まないが……余談である。
そうこうするうちに熱いお茶と茶菓子が運ばれ、ミタスとザールは近くにある休息用のテーブルについた。
「本当に先ほどはすまなかった。しかし卿を侮辱したことに変わりない。許してくれると嬉しい」
そういうと、ザールは静かに頭を下げた。喋り方もさっきまでと違って軟らかく、態度も謙虚だった。彼が大貴族の出でミタスは市民階級であるという身分差がある事実は変わらない。だが今のザールの態度や声に高慢さはなく、この気さくさが本来のザールという人間なのだろう。よほどああいう芝居は苦手なのか、今も苦笑し続けている。
ミタスも苦笑せざるを得ない。自分でも随分と簡単にあんな茶番にひっかかったものだ……と内心自分の未熟さに言葉もない……という心境だった。
どうしてザールの安易な茶番に引っかかったのか……彼自身が認識している以上、ミタスはアリアという王女に強い関心があり、アリアのことを考えるあまり引っかかってしまったのだが、ミタス本人はそのことに気付いていなかった。
「傭兵はあまり過去のことは気にしないものだ。いいよ、もう忘れたよ。俺もあまりいいザマでもなかったからな」
「そうか。卿はいい男だな」
「おだてても無駄だぜ?」
フッと一笑し、ザールはお茶を引き寄せた。
「どうだ? ここの連中は?」
お茶に蜜を入れながらザールは問うた。
「活気もあるし、姫さんは人気もある。そうだな、いい連中……というべきじゃないか? 特にアンタやナディアのようにクセのある人間もいるのなら心強い」
ミタスは軽く皮肉で返し、お茶のカップを取った。蜜をいれずそのままお茶に口をつけた。ザールは苦笑すると、後ろを振り返る。男達は今もアーマーの手入れをしたり、武器をまとめたりと活発的に動いている。
「兵士として訓練はされているのか?」
「まぁ、中の中程度には使えるだろう」
すんなりとザールは答える。彼らを訓練しているのはザールだ。
「今ここにいるのは約100名……ほとんどが村人だ。他にも三つほど隠れ村があるし全国に小さな組織が点在している。実際組織としてはかなり大きいものだが、兵士ということになると総兵力は現在は500人前後だろう。専任軍人は今のところ50人もいない」
専任軍人とは元々国防軍か貴族軍の下で軍人として指導を受けた兵士たちが脱走したり自己の意志で参加している人間だ。実際運営する場合では下士官といった所か。一応士官レベルの人間もいるがそれは数人しかいない。
「勢力としては立派なものだな。だが、軍隊単位で考えれば最小レベルだな」
一揆を起こすのではない、アリアはマドリード政府の敵となるのだ。マドリード政府国防軍は約10万、主に敵対することになる貴族評議会がもっている私兵軍、貴族評議軍は約8万。500対8~最大18万では話にならない。
ザールもミタスの意見を認め頷く。
「そのために政策と政略がある。アリア様にはその腹案がおありだ。最終的に直接指揮する兵力は4000か5000までにはなるだろう。もし国防軍を引きこむことが出来れば2万ほどだが、私たちの主力は歩兵ではなく……」ザールは顎で奥のアーマー群を指し「アーマーを主軸とする。アーマーの数だけはこちらが有利になるだろう」
20機のアーマーを所持というのは、兵力的には2万の兵団の規模である。しかも20機は同タイプのようだ。紅白の紋章付きアーマーは見たこともないオリジナル・アーマーだ。ミタスは元々アーマーに詳しくないがそれでも傭兵時代国内を渡り歩き、貴族たちや国防軍のアーマーを見てきている。が、貴族達が所有するモノとはデザインが全然違う。
「紅白のアーマーは、マドリード国の国宝機<ヒュゼイン>。王族が出陣の時のみ用いられる歴代引き継がれた旗機だから、一般人はまず見たことがないから知らなくて当然だ。白機はアリア様専用、紅機はナディアが乗る」
「なるほど。貴族評議会の手に落ちなくてよかったな」
「色々あってな。いずれ話そう。だが確かにアレが我々の手にあることは幸運だ。ヒュゼインの性能はオージェンスより遙かに上で戦闘力は段違いだ。そして、アリア様とナディアの操縦技術もこの国一番だと思っているよ。私はね」
アリアもナディアは二人で何度も模擬戦を繰り返し、実戦本位の訓練を何年も続けている。ほとんどアーマーをお飾りくらいにしか活用できていない貴族評議軍や国防軍の兵士達より、アーマーの腕は間違いなく上だ。
ザールは目でその奥に並ぶアーマー群を見渡す。ミタスも同じように見渡した。
「他は全て大陸連邦産だ。トリエ・アーマーと呼ばれている。……確か……機体名は<ガノン>だ」
「トリエ・アーマー?」
初めて聞く単語だ。
「発掘したアーマーではなく、完全自作量産型を<トリエ・アーマー>と呼ぶらしい。アーマーを自作量産するとは、さすが大陸連邦の科学力と生産力だ」
「なんと」
さすがのミタスもその話に驚愕した。アーマーを自作する……それは、このクリト・エでは革命的な事だ。
ここで余談。多少、ややこしいので整理したい。
重複になるが、アーマーの数が少ないことを思い出してもらいたい。
何故かといえば、現時点のクリト・エに限定していえば、アーマーを一から作る技術がないからだ。アーマーは、はるか大昔、一度滅びた『栄光の人類』が残したロストテクノロジーで、それを発掘し、改良などを加え復元し、ようやく使用できるようになる。
やや話がズレるが、必要な余談として説明がいるだろう。
時系列でまとめてみたい。まずはトリエ・アーマーについて触れたいと思う。
2325年、大陸連邦にて、後に第一次世界大戦の原因となるカレドニア公国大公チルザ=バトランが大陸連邦帝王となり、その後自らの直営軍<帝軍>を組織し、治安維持を強化した。その際、歩兵よりも戦闘力のあるアーマーに注目、大陸連邦は自作量産機の開発に力を入れた。大陸連邦の科学力はクリト・エよりも進んでいる。
オリジナル・アーマーを系統で整理し、改良し、やがて2330年代には核である機関部以外は自作で作れるようにもなった。さらに強い改良を加え発展させ、ベースの機体より高性能な機体を作れるようにもなっていた。そしてついに、2332年、ソニアの科学都市ファナスにおいて、アーマー科学技術者トリエ=ロドウィンによって、エルマ粒子をエネルギー源としたトリエ・アーマー第一号タファスが開発され、そのタファスをベースに、チルザ=バトランの母国の科学都市バルバスが開発したのが大陸連邦制式となるガノンである。
以後、自作アーマーはオリジナル・アーマーと区別されトリエ・アーマーと呼称された。2333年のことである。
ガノンは大陸連邦軍では小隊に1機の割合で作られていた。だが、この時期はまだ帝軍は本格的な軍事活動を行っておらず、つまり現段階では一次大戦は勃発しておらず、戦場で使われた事はなかった。そのためアリアが「トリエ・アーマーを主力とした戦術」の先鞭者となるのである。以上余談である。
「しかし、大陸連邦のアーマーがどうしてここにある?」
クリト・エは南半球の大陸で、大陸連邦は北大陸の大国だ。両大陸の間には巨大な大海があり、ほとんど交流はない。クリト・エの商人の一部は小規模に間接貿易しているが、大陸連邦の資本はクリト・エにはない。彼らは知らないことだが、大陸連邦でもアーマーやフェスト剣に関しては完全に政府が管理し、民間への流出は少ないからいくら秘密裏に大陸連邦国内の商人と提携したとしても手には入らない。
が、<ガノン>は現に今ここにある。
「科学都市アルファトロスから手に入れたのです」
この話もまた驚くに十分だった。クリト・エにはマドリード国内に科学都市国家アルファトロス、ザムスジル帝国内にも同様の科学都市国家ロイズと、二つの科学都市国家があるがどちらの科学都市は基本どの国家にも手を貸さず独立を根幹としている。そして両科学都市だけは大陸連邦政府直轄科学都市との提携と技術交流がある。
「あの姫さんの後ろ盾にアルファトロスがあるのか?」
と、すれば……アリアが「革命まで一年」という言葉も嘘偽りではないだろう。
が、ザールはそうではないという。今のところはせいぜい昔の好みと責任、そして好意で、ガノン20機はプレゼントしてくれただけで今は完全な軍事同盟はない、と説明した。
「アリア様はアルファトロスと同盟するつもりのようだ。でなければ、戦争にもならんからな」
「しかし……それでもアルファトロスが好意とは……?」
そんなことは考えられない。恐らく今国政を牛耳っている貴族評議会も知らないだろう。
ザールはそれ以上のことは話さなかった。
「アリア様は色々特別なのですよ」
……何やら秘密の多い王女様だ……。
そう考えると不思議な王女である。
「卿と姫さんはどういう関係だ?」
「簡単だ。私とアリア様は、共に導師ファルサムから帝王学、政治学、兵学……そして魔術を学んだ。私とアリア様は兄弟弟子になる」
「なるほど」
つまり、アリアの両翼は共に兄であり姉ということになる。導師ファルサムはマドリード一と言われる賢者でありシャーマンマスターだ。こっそり数人の弟子がいるらしい、という噂はあった。その弟子がこのザールであり、アリアだったようだ。導師ファルサムは2年前他界した。
「ナディアは弟子ではないのか」
「彼女は私生活のほうだな。アリア様の遊び相手だ。ナディアには魔法の才はない」
「あの姫さんにはあるんだな」
「ある。シャーマン・マスターの私に勝るとも劣らない」
「卿はシャーマン・マスターか」
「一応」
ザールはそう答え苦笑した。だがシャーマン・マスターがアリアを含め二人もいるということはすごいことだ。上級幻獣を2属性以上使いこなせれば「シャーマン・マスター」と呼ばれるが、その数は圧倒的に少ない。当時、魔法大国でもある大陸連邦ですらシャーマン・マスターは50人前後であった。クリト・エではシャーマンの数が大陸連邦より少なく10人前後しかいないと言われている。そのうちの二人がここにいるのだ。
聞けば聞くほど、この革命軍は特異だ。
ミタスは言葉なく残りの茶を流し込んでいる時、同じく茶を飲み干したザールが呟いた。
「アリア様は……シャーマン・マスターではない……かもしれん」
「?」
「ハイ・シャーマンかもしれん」
「……な……」
ミタスは絶句した。色々あったが、最大の驚愕の爆弾であった。
が、直後……
「ザール! ナディア! ミタスさんっ!」
ミタスはその声で我に戻った。奥の廊下にアリアの姿があり、ザールとナディアはすでにそのアリアのほうに向かって歩き出していた。
「挨拶に行きます。ミタスさんを紹介しにいきますが、二人はどうしますか?」
そういったアリアの姿に、「ほう」と声にでない声をミタスは上げた。アリアの服装が歳相応の女物の服だったからだ。ブラウスとスカートで、髪も後ろで止められている。
これまで、アリアの格好は正体を隠す意味もあったのだろうが、チェニックに長い首巻きにズボンといった格好で、旅をする十代の少年の格好だった。顔立ちや体格から見て、どうみても少年には見えなかったが。
だが今目の前のアリアはどこからどう見ても貴族のお嬢様に見えた。これがドレスであれば間違いなく誰が見ても王女に見える。
「キャー♪ アリア様っ!」
一番遠くにいたはずのナディアが声を上げ、跳ねるようにアリアに向かっていった。アリアはハッとし、「静かにして!」と口元に指を当てると、ナディアもハッと気づき、回りを見渡し
「じゃあ、あたしもちょっと顔を洗ってくるから♪ 大丈夫、ミタスを紹介し終えたらおもいっきり思う存分アリア様をナデナデさせてもらうから♪」と嬉々としながら消えていった。
ミタスは特にかわりなく、「伺いましょう」と答えた。
「ミタスさんは、問題ないですか?」
「あ……ああ。構わない」
「では……すみません、武器は全てここに置いていって頂けますか? 武器の類があまり好きではない人なので……」
「構わない」
そう答えミタスは愛槍と短剣を数本、ナイフをテーブルに置いた。
置き終わると、丁度ナディアも戻ってきた。彼女の服装は同じようなものだが、顔を荒い工具のベストは外しシャツを着替えたようだ。
「では、ついてきてくださいミタスさん。ちょっと歩きます」
そういうとアリアは率先し歩き出し、そのすぐ横をナディアが。そしてミタスはザールと共に数歩後ろについて歩いていった。
そこは秘密基地同様坑道を利用した岩山の中だったが、他と違い剥き出し削り出した跡はなく、壁はきれいに刳り貫かれ、ところどころ窓代わりの穴が開き、外気が入り込んでくる。
「ここは居住区だ」
ザールがそうミタスに教えた。成程、確かに雰囲気は基地というより一風変わった集合住宅のようだ。
「基地にその人員の居住区か。よく作ったものだ」
もっともこういう工法がないわけではない。上空浮かぶ飛行岩に住む空人たちはこういう穴倉式の町を築く。しかしクリト・エ大陸には空人は少ない。
「この村は元々マドリード王家のための隠し村で、この施設自体はアリア様の代ではなく、先々代に作られたものなのだ。このことは王家の人間とこの村の一部の人間しか知らぬ秘伝であったからな」
「変わった国だ」
まるで昔から内乱を想定していた用意のようだな、とミタスは思った。それはアリアにもいえることだが……そもそも歴代王位継承第一位の者が王宮では育てられないというのも変な話だ。この風習はマドリード独自のものでクリト・エの他国にはない。或いは国祖であるクエス=マドリードは300年先の未来を予期していたかもしれない。彼は奴隷から国を興した稀代の英雄だった。
アリアたちは基地から岩山の中を移動、5分ほど歩くと、居住区の中でもかなり奥に来た。だが風を取り込む穴は相変わらずいくつも開けられ、太陽の光や外の空気も楽しめる。今までの居住エリアより環境は段々とよくなっている気がする。
やがて彼らは、小さな広場に出た。そこには少ないながら緑が植えられ、小さな泉が引かれていた。そして剥き出しの壁には、タペストリーがかけられている。雰囲気が、一気に高貴なものとなった。
そしてそこでアリアは、中央にある扉の前に進んだ、ここが目的の場所らしい。
アリア一人が前に進み出、さっきまで横で一緒に歩いていたナディアは一歩下がりミタスたちに合流した。
アリアは扉をノックし、「アリアです」と名乗る。するとすぐにパタパタと軽い足音が聞こえると、扉が開いた。
「お姉さまっ! お帰りなさいっ!」
「クリス、ただいま♪」
中から出てきたのは、6、7歳くらいの少女だった。クリスと呼ばれた少女はアリアに抱きつき、二人はしばらく抱き合うと、少女はザールやナディア、ミタスに礼儀正しく挨拶し、そして全員を中に差し招いた。
中に入ると、中央のベッドに30前半の女性が一人、その傍に若い女性が付き添っていた。クリスは真っ直ぐ中央の女性の傍につく。
ザール、ナディアの二人は入口から少し入ったところで立ち止まった。ミタスも少し戸惑いながら従う。アリアだけがその女性の前まで歩み、そして傅くと言った。
「ただいま帰りました。王妃様」
「おかえりなさい、アリア」
そういうと彼女……王妃クラリエス=フォン=マドリードは微笑み、我が娘に手を差し伸べた。アリアも微笑みその手を握る。
「お母様……具合は如何ですか?」
「私は元気よ♪」と、王妃クラリエスは微笑んだ。そして「この子も順調です」と腹部を撫でた。彼女は妊娠2カ月だった。
アリアは凛とした表情で微笑むと、一歩引き下がり立ち上がって振り返った。
「ミタスさん。こちらがマドリード王国王妃、クラリエス=フォン=マドリードです。お母様、あちらがトジーユン=ミタス殿……これから私の力になってくれる方です」
「まぁ。ミタス殿……このような狭苦しい場所で大変失礼を。クラリエス=フォン=マドリードです」
「あ! ……ハッ……お会いできて光栄です」
「アリアのこと、よろしくお願いしますね」
「ハッ」
慌ててミタスは頭を下げ傅いた。よく見てみると、ナディアとザールもすでに傅いていた。ただ、角度は微妙にナディアが深く、ザールは浅い。ナディアの場合、生まれはアダで本来は王族は勿論貴族評議会クラスの大貴族には直接謁見できない。もし同席する場合は一切頭を上げてはならず、回答もしてはならない。本当はこの入室自体ありえない。一方ザールは上流貴族で、傅くにしても片足をつくだけでいい。
もっとも、アリアも王妃クラリエスも気にする様子はない。彼らの仲ではそういう身分の壁もないのだろう。よく見るとザールは貴族にしては傅きが深く、あえてナディアとの差が目立たない配慮をしていた。
……これが絆か……。
アリアが「特別」と言うとおり、彼女達はアリアへの一方的な忠誠関係という訳ではなく、横の繋がりが思った以上に強いようだ。
ミタスはそのことを痛感し、自分もややナディアに近い角度で傅いた。
アリアはそれを見て笑みを浮かべた。ミタスの聡明さが嬉しかった。
クラリエスは頷く。
「みんな、顔を上げて。気を楽に。ここからは、身分は忘れて」
その言葉を聞き、まずはザールが立ち上がり、そのあとナディアが顔を上げた。そして、最後にミタスが顔を上げ、三人は王妃の傍に歩み寄った。そのあとはそれぞれ近況や最近の気候、各々個人の話など雑談に移った。
その夜。
基地で働いていた革命軍の男たちも自宅か基地の居住エリアに戻っていく。
当然それはアリアやミタスたちも同様だ。
ミタスは、仮王宮に区分けされている居住エリアの近くに一室を与えてもらった。中はリビングと寝室で二部屋あり、造りは普通の宿屋と似ていた。食事や入浴施設は共同のものがある。ミタスはナディアから各施設の説明を受けた後、ザールとナディアの二人から夕食に誘われた。むろん、ミタスは快くそれに応じた。
三人が夕食を摂ったのは、個室ではなく皆が使う大食堂だった。食事は米、パクサムという青菜野菜とハムの炒め物、ボイルドソーセージとスープで、このメニューは他の兵士達も同じだ。豪華ではないが、この村の規模や経済力を考えれば栄養バランスもよく立派なものだ。村に家族のあるものは食事を家族分持ち帰れるし、逆に家族もこの大食堂を利用することができた。
村と革命軍が、完全にコミュニティーとして一体化している。
これほどの組織が出来上がっていること自体が奇跡といっていいだろう。
さて、三人はというと……大食堂の奥の一角を陣取っていた。ナディア、ザールといった指揮官が兵士たちと一緒に一般兵士と一緒の食堂を使う事はめずらしくないようで、周りが特に珍しがる様子はなかった。
「アリア様の差し入れよン♪」
と、ナディアはワインのボトル2本と、オレンジジュースのボトル、そしてナッツ菓子一袋を置いた。アリアは久々の帰宅ということで王妃やクリス達家族で過ごしている。
「何故オレンジジュースのボトルなのだ?」とザール。
「私じゃないわよ? 私ワインのほうが好きだもん」とナディア。
「多分俺用だろう。俺は酒があまり強くない」
ミタスは苦笑して答えた。道中そういう話をアリアにしたし、先ほどザールにも言った。ナディアが「見かけによらないわねー」と言いながら、嬉しそうにワインを開けた。
ナディアとザールはワインを、ミタスはオレンジジュースをグラスに注いだ。
「我らがアリア様のために」とナディア。
「ここに新たな仲間を迎えた記念として」とザール。
「乾杯」とミタスが続け、それぞれグラスを煽った。
こうしてささやかな酒宴が始まった。
まず食事が終わり、食器も下げられ、雑談に移っていた。ワインは一本が空でもう一本も半分ほどになっている。
ちなみにミタスも食事の間はオレンジジュースだったが、雑談に入ってからあえて一杯だけワインを注いでもらい、それを舐めている。しかしグラスの半分くらい飲んだところでもうミタスの顔は真っ赤になっていた。
「いや、本当に驚きだよ。何もかも」
ミタスは一口ワインを舐め、つくづくそう思った。
当初はアリアと少しの仲間だけのごく小さな組織かと思った。アリアもミタスを勧誘する際、そういった組織の話をしなかったから当然だろう。だが実際は、兵士の数は少なく不安要素はあるが、それでもこの反貴族革命軍はすでに組織として成立している。ただの不平分子の集まりではない。下地があるとはいえそれを纏め上げここまで完成されたものにしたのはアリアの手腕であるという。
この基地も、完全な施設だ。ボランティアを集めたのではなく、ちゃんと経済も成立させ運営している。聞けば村の収入でまかなっているが、貿易などはアリア達が代行しているらしい。マドリード国内の治安は悪く、鉄道のない村や町は物産を運ぶのも命がけで、途中盗賊に奪われることが多い。アリアは密かにそういう町々に人を手配し、物流の交流など利益をあげ同時に世間の情報を得ている。アリアは密かにミニ国家を運営しているといっていい。すごい政治手腕である。それがなくてはこんな大食堂や共同居住区は作れない。この平等な公共思想は実はクリト・エにはなく、ミタスが驚くのも当然だった。
元々組織の下地はある。ベースは王家の隠れ村だが、そこにアリアの公共施設構想が加わっている。アリアの独創ではない、こういう施設は大陸連邦軍にある。大陸連邦の、各公国ではここまで平等ではないが、大陸連邦政府の直轄基地や一部直轄領では、完全公共化させ住人、兵士、領主まとめて衣食住を共同化させている。アリアはその知識を得、自分達の規模に合わせて創り上げた。そのことを聞かされ、ミタスはさらに驚嘆した。
「大陸連邦が源泉か」
「大陸連邦は我々クリト・エより100年は進んでいるからな」
「でもね~、アリア様の独創もちゃんとあるのよ~」
ナディアは嬉しそうに答えた。それも事実だ。ミタスもそれは分かる。だからこそ感心しているのだ。
「それにしても……」ナディアはワインを舐めながら含み笑いを浮かべミタスを見る。
「まさか『ランファンの英雄』を本当に連れてくるなんて思わなかったわよ、私は。アリア様にはびっくりよ~! あ、アンタの情報集めはあたし達も協力して集めたんだけどね」
ミタスは苦笑した。
『ランファンの英雄』とは、ミタスのことである。
去年のことになる。
貴族領のランファンという小さな町は、貴族達にひどく搾取された結果、どうにもならないほど荒廃し、結果貴族は領地を捨て財産を持ったまま首都シーマに引っ込んだ。領内の治安を預かる私兵も引き上げたため(※評議会の連合軍のために引き抜かれた一面もあるが)ランファンは貴族からも政府からも捨てられ、さらに隣国や周辺から集まった賊によって実行支配された。マドリード公国軍も放置した。元々このランファンは貴族達が初めに搾取し、もう搾取するものがなくなり捨てられた町である。救援などするはずがない。
町の人々は悲観の中、藁にも縋る思いで一人の傭兵を雇った。それがトジーユン=ミタスである。町は苦労の末ミタスと接触することが出来た。傭兵の中には強欲で不誠実な人間も多く、まさに彼らにとっては賭けであった。だが町人達の賭けは予想以上の結果となって彼らを救ったのだ。状況を聞いたミタスは、まず一ヶ月で賊を完全に駆逐し、さらに町の再建にも力を貸した。その後、町自体の今後についてもミタスは見事な政治的手腕を見せた。
やや土地は離れていたが、篤実家として名が知れていた有力貴族フォーレス伯爵家に掛け合い、ランファンをフォーレス家の飛び地にしてもらい、貴族評議会の手が回らないように手配した。それだけ働いて、ミタスが得た報酬は金貨10枚……1000マルスである。これは下層層の、市民の成人男性一人の一月の最低賃金だ。
ミタスの武力、政治的手腕と政治力は、これによってマドリードはおろか近隣諸国まで鳴り響いた。これほど大事件ではないが、他にもこれと似た義賊的活躍をミタスは主にマドリードの南部で行い、国内での人気は高い。
『ランファンの義賊、トジーユン=ミタス』……彼はそう呼ばれた。
むろんフォーレス家や他の貴族、そして政府側の貴族評議会達もミタスを勧誘したがそれらを全て断ってきた。ミタスには地位も名誉も富も興味はない。
一つは、縛られること無く多くの人間を救いたかったし、ミタスは貴族嫌いである。フォーレス伯爵と交流を持ったが、それは政治的に必要だったからだ。
<義に生きよ。力は義にのみ使うものである>。
それが、彼を育てた剣導師ドードレスの教えであった。
そのミタスが、今や王女アリアの私兵革命軍に参加するのだ。風聞でミタスを聞き知っていたナディア達が驚くのも無理はない。
なぜか……と問われればミタスもよく分からない。
だが簡単に答えろと言われれば、まさに「アリアのカリスマ性に魅かれた」ということになるだろう。<白紙委任>に魅かれたわけではない。<白紙委任>を切り出したアリアが、<義>を信条とするミタスからみても眩しく、運命的なものを感じた……そうとしかいいようがない。
「俺は一年、雇われただけだ。だから、一年後はどうかわからん」
苦笑しながらミタスはワインを口に含んだ。ザールとナディアの二人は顔を見合わせ苦笑する。
「確かに一年ぐらいだろう。もう、貴族評議会との戦いは始まっているからな」
ザールはそういってミタスを見た。ミタスも察しはついていた。今日謁見した王妃とクリス王女のことだ。
王家は貴族評議会に幽閉されていたはずだ。それが今ここにいる。そして王妃クラリエスは妊娠していた。それは、つまりここ最近アリア達が王妃と王女を奪還したということだ。すでにアリアは貴族評議会に対し割拠したという事実を示している。
「クラリエス様たちはマドリードの後宮の離れに幽閉されていると分かったの。奪還したのは半月前……私とアリア様、そしてザール……三人だけでね。ま♪ 王宮についてはアリア様の記憶があったし、あたしとアリア様がいれば夜陰に紛れて忍び込むことくらい簡単よ♪」
ちなみにこの作戦時の時のみ、アリアはミタス捜索を一時止めて参加した。さすがに王宮や奥宮の中はアリアにしか分からない。
「君が強いのは分かるが、あの姫さんそんなに強いのか?」
アリアが腕に覚えがあるのは先日のマイレインの騒動で見て知っているが、そんな特殊作戦に参加できるほどの腕があるとは思っていなかった。
「え? あーーー、ミタス、アリア様のことよく分かってないわねぇ~♪ アリア様、強いのよン♪ 少なくともここでアリア様より強いのは、魔術ではザールだけ。白兵戦なら私とミタス……貴方だけだと思うわ。そんじょそこらの兵士にはまず負けないわよ」
「そうなのか!?」
その瞬間だけミタスの酔いが飛んだ。ナディアは自慢げに笑みを浮かべているし、ザールも苦笑している。どうやら本当らしい。
……あの細い腕でそれほど剣術が使えるとは思えないが……。
ナディアも細腕だが、こうして間近で見れば、その筋肉はビンと引き締まりまるで猫科の野獣の様なしなやかさと力強さがある。現に昼、数合短剣でやりあったが、ミタスに一歩も引けをとらなかった。が、アリアまでそれほど強いとは思いもしてなかった。
「本当にたまげた嬢ちゃんだな」
ミタスは一気にワインの残りを飲み干した。が、考えてみればアリアが自分に接触してきたとき一人だった。護衛がいなかった理由は、自分自身の強さにある程度自信があったからだろう。
そう考えると、アリア=フォン=マドリードという少女は何者なのか……。
一軍を組織する能力に経済知識もあり政治力もある。そして存在自体稀有なシャーマン・マスターであり、白兵戦に長けた、多くの人間を魅了するカリスマ性を持つ美貌の少女。年齢はたったの14歳である。
天才……その一言で片付けられるだろうか?
天才だとしても、凄まじい天才だ。しかもその能力の本領が開花するのはこれからだろう。もし彼女が国政を握れば……マドリードはどれほど豊かになるだろうか。
「だから……ハイ・シャーマンか……」
ザールが口にした伝説の<ハイ・シャーマン>の名を、ミタスは零していた。
<ハイ・シャーマン>なら、これだけの才能も理解できる。
……だとしたら、俺の運命も決まるか……。
アルコールが回り、ややぼんやりした頭でミタスはそう思った。
<ハイ・シャーマン>
それはこの惑星パラの歴史を語る上で、燦然と輝く存在である。
シャーマン……魔法使いの上位であることは確かだが、シャーマン・マスターとも違う。ハイ・シャーマンは、英雄の別名であり、絶対の勝利者の証明でもある。
事実、大陸、クリト・エを問わずパラ歴2300年までに起こった戦乱期に、まるでそれを治める宿命を背負うが如く英雄……ハイ・シャーマンは出現してきた。
ハイ・シャーマンとは何か……。
まず、突出した戦闘力を持つ。生まれながらに戦いの才に恵まれ、予知能力と思えるほど感知能力に長け、高いカリスマを持つ。明確な特徴は、魔法の発動媒体である魔晶極石なしに魔法を使うことが出来、人によっては異常なほど魔法の才能を持つ。そして、その存在自体が、人を圧すると言われる特殊なオーラ<王覇>を発する。大きく分けるとこの二つが明確な特徴で、これらはシャーマンとしてどんなに優れていても出来ない。さらに、ハイ・シャーマンの存在自体が別名<歴史の寵児>と呼ばれている。ハイ・シャーマンが属する陣営は、必ず勝利し、新しい新時代と平和を築いてきた。そして大体10代で覚醒する。
だから、『ハイ・シャーマン信仰』というものがどの国、どの時代にもあった。時代が荒廃した時、人々はハイ・シャーマンの出現を願う。そして出現したハイ・シャーマンは自然、時代を担う英雄となる。
ただし……これは蛇足、あえて余談を続けさせて頂くが、ハイ・シャーマンにはさらに二つの特徴を挙げねばならないだろう。
一つは、ハイ・シャーマンは必ず原因不明の膠原病によって命を落とす。それは『英雄病』と呼ばれ、恐らくハイ・シャーマンの特殊能力に体が耐えられないためと言われている。だがこれは平均寿命以上生きたハイ・シャーマンの宿命で、若くして発病することは基本ない。晩年の話である。
もう一つは、『絶対にその時代に一人』ということだ。
これは大陸もクリト・エも区別がない。これまで大陸側に出現すれば例えクリト・エに戦乱が起きていても出現しないし、逆もまた然りである。最近のハイ・シャーマンは200年前、ザムスジル帝国を平定したスキード=フォン=ドノファン、350年前のマドリード初代王クエス=フォン=マドリード、そして500年前の大陸連邦を建国したウェスラー=バトランになる。このように時代は被らない。
アリア=フォン=マドリードが栄光の英雄『ハイ・シャーマン』なのかどうかは、まだ側近の彼らも確証はない。だがそう思いたいという希望を持っていた。
母クラリエスやクリスたちとの食事を終え、アリアは久しぶりに足の伸ばせる浴場で旅の疲れを癒していた。浴場はさすがに大浴場ではなく、王家専用のもので、壁に大きな穴があけられ岩をくり貫き、露天風呂のような造りだ。
ちなみに入浴は、アリアの数少ない趣味である。彼女は疲労した時や思考を纏める時は必ず入浴した。ミタスを探す旅は一ヶ月近く……その間に王妃クラリエス達の奪還……ドタバタしてゆっくりと湯船に浸かり休む機会がなかった。アリアは心の底からたっぷりの温かいお湯を堪能した。
アリアはどっぷり湯に体を沈め、そしてそっと月を見上げた。
「準備は、もう整う」
指揮官は得た。軍の用意も出来つつある。次はアルファトロスとの同盟……これがクリアーすれば、アリアの革命戦が始まる。
……お前は最後までいく覚悟はあるのかアリア……?
……これから進むのは覇道、修羅の道ぞ……?
「分かっている。そんなことは」
……本当に覚悟はできたのか? お前は覇道を行くのだぞ? お前だけの道ではない。お前を目標とし、多くの仲間がそれに続く……お前が道より転がり落ちれば、付き従う友も家族も仲間も一緒に転がり落ちる……分かっているのか?
月は半月……空は晴れている。
「分かっている。だけど私はもう決めたもの」
今ならまだ、引き返せる。このまま静かに隠者として暮らすことも悪くない。王妃クラリエスや妹クリス、そして今母の胎内に宿るもう一つの命……かけがえのない部下であり友であるザールやナディア……そして多くの仲間たち……皆、大切だ。
このまま隠れ住み、余生を平穏に過ごすことも、今ならできる。
……皆の運命、お前に背負えるのか……。
「分かっているはずよアリア。私は決意したの。戦いを選ぶ……それが私の運命なのだから……」
……ならばその身を血に染めることになる……。
「覚悟はしたわ」
……その血は、敵だけではない。味方の血にも我が身を染める覚悟があるのか……。
「分かっている。それでも……私は起たなくてはならない。マドリード国内は荒廃するばかり……私が立たなくては、いずれ周辺諸国に飲み込まれる……」
マドリードは周辺5カ国に囲まれていて、不戦協定を一応結び、国境の要所には政府軍であるマドリード国防軍の基地がある。国防軍は表面上は貴族評議会と一線を引き、国境警備の国防に専念しているので、今のところ外国からの侵略はない。だがそれも貴族評議会の専横が強まり、国防軍が崩壊すればどうなるか分からない情勢だ。さらに西方のザムスジル帝国は常に領土拡大を狙い周辺国との小競り合いが絶えない。
噂では貴族評議会はマドリードを食いつぶした後、ザムスジル帝国へ身売りするのではないか、という噂もある。そうなってはこの国は滅亡する。
だからアリアは、起たなければならなかった。
「私は王女……国のため、民衆のため……戦う義務がある!」
……そこまでいうなら、進むがいい。修羅の道を……血塗られた覇道を……。
……だが忘れるなアリア。……覇道の道は孤独の道。王なる者は孤独となる……。
……その孤独に耐える強さを、持てるか? 心を折ることなく……。
「折れないわ! 私は……私は運命に打ち勝って見せる! それが……私とお父様が背負った運命なのだから」
そういうとアリアは桶で湯を掬い頭から被った。
明日、ミタスさんの立場を決めよう。それから方針を決定しよう……。
アリアはそう決め、目を瞑った。湯気が、心地よくアリアの肌を湿らせた。
マドリード国首都シーマ。
シーマは半城壁都市である。町の北西側には王城があり、北東側には王宮の庭に面した<迷いの森>と呼ばれる幻獣が多く棲む森があり、南は城壁部分が崩れ、そこから町が広がっている。
総人口約40万人が住むシーマだが、王城を含めた中心街が城壁内にあり、マドリードの大動脈であるマドリード鉄道の終点が街の北側にあって都市としてはクリト・エの中でも大きい方だ。それら中心街の外に市民や流入してきたアダ達が取り囲むように街を造り上げている。それがマドリード首都、シーマだ。
王城は王の住む居城であると共に、政治を行う政庁でもある。生活の場である奥宮は一番奥だ。
その中の一室にアミル=フォン=マドリードが幽閉されている。応接間兼執務室と寝室、それにバス・トイレがついている。アミル王はこの部屋から一歩も外に出ることは出来ない。窓が開くのは、手の届かない場所にある小さな窓だけだ。
アミルがここに移されたのは二ヶ月前だった。それまでは奥宮の離れで王妃とクリスの三人だったが、王妃の妊娠が確認されると、王アミルのみ引き離された。
昼食が下げられアミルが一息ついていた時、部屋の扉が開かれ、貴族服に身を包んだ貴族評議会筆頭レミングハルト=フォン=サナル侯爵が入室し、執務机の上に書類を置いた。
「失礼」
王アミルの許可など一切取らず気にも留めていない。
レミングハルトは一応アミルに一礼するが、態度も表情も全くアミルを敬う様子はない。
「陛下。これらの書類に署名捺印をお願いします」
「すぐかね」
「すぐです」
……貴方は内容に目を通す必要はない。サインするだけでいいのだ……。
レミングハルトはあくまで事務的に接するのみだ。アミルは黙って執務机につき、目を通すことなくさっさとサインを済ませた。そして書類を物憂げにレミングハルトの方に押しやる。
アミルは幽閉され、いまや評議会のための飾りでしかない。何の権限も持っていないし、それをどうすることも出来ないが、この生活はもう何年も続いているので今更何も思っていない。書類の内容にも興味はなかった。ただ分かっていることはこれでまた何かしら利権か特権を評議会が独占し、民が苦しむことになるだろうということだ。それが分かっていてももはや直属の軍もなく、王妃やクリスが人質となっているアミルには抗する手段が無かった。
「レミングハルト。今度は何をするのだ」
「陛下には関係のないことですよ」
そういっていつものように何事もなく退室していく。だが、アミルは再びレミングハルトを引き止め、王妃とクリスについて尋ねた。
レミングハルトは一瞬だが不快な表情を浮かべた。
「お元気です。妊娠されたので我々が気遣いもっと安らげる場所に移して差し上げたのです」
「元気かね。会わせて貰いたい」
「元気ですよ。心配はいりません」
「王妃に……」
さらに食い下がるアミルに、レミングハルトは振り返り、卑下た笑みを浮かべた。
「お盛んですな陛下。そんなに女性がほしいのであれば手配しますよ? 王妃より若い娘をね」
「…………」
「いつでも仰ってください。陛下」
そういうとレミングハルトは去った。それをじっと見送り数秒間……アミルは目線を窓の外に向けた。
……恐らく、王妃達はもういない……。
レミングハルトの躊躇や表情でアミルは悟った。彼ら貴族評議会にとって最も厄介な存在は、王位継承権を持ち現在行方の知れないアリアだ。彼女が17歳になり成人すれば、アリアは法的にアリアの判断で、アミルや貴族評議会の意見など無視して王位に就く事が出来る。
アリアがどこに潜んでいるのか、正確な居場所は分からない。だがあの娘は、来る。今のようなマドリードの荒廃を座してみているような娘ではない。彼女にはそれを行うだけの後見者たちや組織があり、何より覇者の才がある。王妃がレミングハルトの手に居ないということが本当だとすれば、もうアリアは行動を移したという事だ。
アリアがどこに潜んでいるのか、正確な居場所は分からない。もしアリアが王妃達を保護してくれているとすれば、アミルを縛る足枷の一つは消える。
アミルは口元に笑みを浮かべた。
……アリアが動き出したのだな……レミングハルト、お前たちの勝手もそう長くはないぞ……。
アリアが天才的な王者の資質を持つことを、シーマで知るのはアミルだけだ。
書類を手にレミングハルトは、廊下で同じ評議会員のクレイド=フォン=マクティナス伯と鉢合わせ、会話を交わすことになった。書類の件やアミルの様子、王妃が攫われたが未だ何の情報も掴めていない事などだ。
「アリアの行方がなぜ掴めん?」
レミングハルトは露骨に渋面を作った。王女アリア及び攫われた王妃の捜索は、この若いクレイドの担当である。彼は貴族評議会が独自に集めた<貴族軍>の総司令官であると同時に首都シーマの警備責任者でもある。
クレイドは苦笑した。
「王位継承権を持つ者は成人までどこかに隠されて過ごす。それが地下に潜ってもう数年ですよ? そう一朝一夕には見つかりゃしませんよ」
「検討もつかんのか?」
「検討くらいはつきますよ。私は馬鹿じゃないですからね」
どこかの貴族に囲われているか、アダの集落で匿われているか、外国に逃げているか。基本その三つだろう。ただそういう噂の類は、火種から見えないところを見ると、よほど巧妙に形跡を消している証拠だ。王妃達を奪っていったのがアリア直属の組織であろうというのは予想がついているのだが、その組織も雲隠れしてしまった。
貴族評議会は、マドリードを囲いこみ、その大地と人々を食い物にしているが、マドリードの全てを完全に支配しているわけではない。
「元々王女の顔を知る者も少ない。それを見つけよというのは無理というものですよ」
フフフッ……とクレイドは自嘲する。
「フン」
とレミングハルトは舌打ちした。
この若くて軽薄で、顔の整った金髪碧眼の貴公子然としているクレイドを、レミングハルトは元々好きではない。だが、彼はこのマドリードでは有力な伯爵家筆頭で、評議会の席も第二席だ。彼が貴族評議会直属の軍隊を握っている。
「何もそう心配されることはないでしょう、レミングハルト侯。アリア殿下がどう出ようとアミル陛下は我々の手中……それに、絶妙のタイミングで王妃が妊娠した」
「……その事実は……多くのものが知っている」
「その子が跡を継げばいい……証人は必要ないでしょう、陛下も、王妃の承認も要らない。我々はどこかで赤ん坊を入手すればいい……」
「……王家の乗っ取りか……」
ようやくレミングハルトはクレイドの言いたい事を理解した。
「レミングハルト侯。これは実にいい状況というべきですよ。アリアや王妃達は王と別れた。王が別の女性との間に子を成してもそれが本当か彼女達には分からないし、それを不満に姿を現せれば捕らえられます。もし我が身の安全のため姿を現さずとも……」
コホン……とクレイドは大げさに手を振り
「その赤ん坊を『王妃が出産した子』とアミル王に認めさせれば……」
「王家は我々の自由……」
「そういうことですよ。ふふふふ」
「卿は若いが……存外と強引な事を言う。いや、それが若さですかな」
強引……というより狡猾な政治手腕だ。レミングハルトは味方ながらクレイドの智謀に背筋が冷える。この時クレイドは30歳、レミングハルトは一回り年長で43歳だ。
「お褒め頂き恐縮です。ですから、我々が焦って王女を探し出す必要はないのですよ。そのまま地下に戻ってもらっても結構、堪らず這い出たところを一気に叩くのも手。侯爵閣下には、その時のため私の方に少し予算を……ね♪」
「伯は食えぬ」
レミングハルトは笑みを浮かべ、再び歩き出した。
大筋の政略としては面白い。成る程、そういうことであれば今は焦る必要は何もない。
まさか一年も立たぬ内に、アリアの壮大な大反攻があるなど、彼らは夢にも思っていなかった。
パラ歴2335年、3月末の事である。
4
パラ歴2335年 7月。
南半球にあるクリト・エ大陸は、冬を迎えていた。
マドリードもむろん冬を迎えている。とはいえ東は海に面し、緯度的には大陸のほぼ真ん中に位置するマドリードの自然はそう厳しくはない。夏は暑すぎることなく、冬も雪は降るが精々山々を白くするほどで埋もれるようなことはない。その点では非常に恵まれた国土であった。
それでも、国の活動がやや停滞するのは致し方ないことだろう。
アリアが本格的に革命活動を始めたのは、そんな季節のころである。
やや時期は遡る……
3月末……
アリアたち革命軍の活動も、軍としての動きはない。
ミタスは将として待遇を受け、ナディア、ザールと共に兵士の訓練を受け持った。それぞれ全体の指揮もするが、専門分野の指導も行う。ナディアは主にアーマー兵、ミタスは歩兵部隊の指導だ。彼らは元々軍人ではない。だが一個の軍として動けるように組織を創り上げておかなければならない。
「戦争は三回です」
アリア革命軍(この頃はまだこの呼称で呼ばれていないが便宜上こう呼ぶこととする)は主要な幹部を集め、会議を開いていた。
召集されたのはミタス、ナディア、ザール、そしてアリアの民政担当であるグドヴァンス、そして民間歩兵隊の隊長のシュラザン=ムードンの五人と、アリアである。
「我々が行う大きな戦争は三回だけです。それ以上は必要ないと考えています」
アリアはそういうと、マドリードの地図を指差した。
「最初に挙兵……そこで貴族評議会を刺激させます。刺激された評議会は軍を動かすでしょう。これが二回戦で総力戦になります。ここでその軍を破り、最後の三回戦、一気にシーマを突きます。合計三回です」
全員黙ってその作戦案を聞いている。後に「アリアの三段電撃作戦」と呼ばれるものだ。
「我々には、三回しかないんです」
アリアは、少し声のトーンを落とし苦笑した。
戦略的にも、決起してから革命まではスピードが命なのは言うまでもない。内戦が長引けばアリア陣営の不利は免れず勝算は薄まる。現在国を食い物にし愛国心の欠片もない評議会は侵略を受けても深刻とは受け取らないが、救国し国力再興を宿命とするアリアにとっては問題であった。長期になれば周辺各国がマドリード領土の侵略にくる可能性が大きい。
つまり、各国が嘴を入れない隙もない間に攻略する必要があった。
そしてアリア軍が組織的に活動できるのも凡そ3回か4回の戦争だ。アリアの手持ち兵力は僅かで、人員の補給はできない。一方貴族評議会は貴族が私兵として持っている私兵軍は約8万前後と言われている。
マドリード政府軍である国防軍は、動かずどちらにもつかない、当面は中立になる、とアリアは予想していることを説明した。通常の革命や反乱であれば、貴族評議会は政府の命としてマドリード公国軍10万を動かすことが出来る。だが貴族同士の私戦という場合政府軍は使用できない。政府軍はあくまで中立を保ち、国境を固める……と、マドリード憲法に示されている。アリアは王族だがその憲法が適応されるだろう。むろん貴族評議会もその点で判断に迷い混乱するのも計算に入れている。
「だから、軍を動かしたら一気に……って事なのね?」
「そう。私達の進軍が早ければ、貴族評議会は私兵軍しか手持ちがない。そこを叩けば、日和見の貴族や国防軍を味方に出来るかもしれません」
元々国防軍は王を統帥とする直属組織だ。アリアが正当な王と認めれば、アリア側に参加してくる可能性はある。
「味方とならずとも、政府軍が動かないのであれば、敵兵力との差は少ない。それだけで十分です」とザールは頷く。
「なるほどな」
ミタスも頷きつつ、内心驚嘆していた。
アリアの計画は、戦略、政略、そして自分自身の能力の限界を把握した完璧なものだ。軍師であるザールの知恵かと最初の頃は思ったがそうではなく、戦略案などは基本アリアが立案し、ザールはそれを修正する……その後、各指揮者の伝え衆議を採るというのがアリアの基本スタイルだった。
……よくもこう冷静にできるものだ……。
それでも王が人質になっている事情は変らない。そして、負ければ敗戦の責任を負うことになるのはアリアなのだ。彼女は反逆者として貴族評議会によって処刑されるであろう。
……一年で戦いは終わる……終わらせなければ、彼女には後がないのか……。
ミタスに示した一年、という期限はそういう意味があった。
アリアは皆を見渡す。
「だから、私に求められるのは必勝です。それまで……ミタスさんやシュラザンは兵の訓練を。ザールとグドヴァンスは皆の保護と政治の方を……ナディア、貴方は情報収集と兵の数をできるだけ増やす工作を」
「ああ、まかせといて♪ 今、ある人を説得中なのよン♪」
アリアの革命軍の拠点はこのタニヤだが、ナディアとグドヴァンスが作ったアダのコミニティーを利用した情報収集組織はマドリード中に張り巡らされており、その精度も高い。ナディアはアリアやミタス、ザールと違い行動を制約されないし、貴族評議会に顔が知られているワケでもない。ナディアは国内に点在する反貴族組織と連絡を取りつつ、有能で誠実な組織の勧誘をしていた。
「今、プノバンスの反政府組織口説いているトコ」
「聞いたことあるな」
プノバンスはマドリード北部にある地方で、元々マドリード北部で傭兵活動していたミタスのよく知っていた。プノバンス地方は多くの小領主が点在していて、多くの下級貴族たちは子爵、男爵で、監督は貴族評議会が直接関与している。準貴族評議会直接統治地と言っていい。それらや貴族評議会政府直轄地や政府監督地の多くは治安は悪く、特に流民や貧困者が多く荒れている地域だ。政府統治者と盗賊の類、双方から毟り取られるのだから溜まったものではない。
ここに小領地を持つ貴族たちはその板ばさみで苦しんでいると聞く。私財を削られ、領民には恨まれる。その怨嗟や不満はむろんマドリード政府に向けられている。
「もしかして<微笑みの魔女>の反政府組織か?」
「うん。さっすがミタス、よく知ってるねー♪」
「すごいな、君は」
ミタスは素直に感嘆した。この反政府組織は過激かつ行動やその存在に対しては慎重で、傭兵仲間の間でも噂は聞いたことがあってもその組織を知る者はいなかった。貴族評議会ですらその詳細を知らないと言われている。
<微笑みの魔女>と呼ばれる若い娘が指揮する神出鬼没の義賊団で、貴族嫌い政府嫌いの組織だ。別名レーデル義賊団ともいう。大体100人前後の規模と言われているが、政府に不満を持つ民や地方領主も抱きこみ、その勢力はけして小さくはない。政府関係へのテロや略奪、貴族政府軍への攻撃を行い、捕らえた政府関係者は容赦することなく殺す。かなり凶悪のテロ組織、反政府組織として、プノバンス地方を中心にマドリード北部を荒らしまわっている。貴族評議会政府が公式の敵として名を挙げている最も有名なマドリード国内の反乱組織だ。彼女の率いる義賊団のテロや略奪の対象は全て悪い噂を持つ大貴族や政府施設で民間には一切手を出さない。政府から討伐部隊が編制されたこともあったが、結局討伐しきれなかった。アリア派の反政府組織以外で唯一匹敵する程の組織だ。
このレーデル義賊団を率いているのが、クシャナ=フォン=レーデルである。まだ二十歳前後の貴族、レーデル子爵家の女性だが、その過激な行動に反してクシャナ本人は普段、清楚で常に微笑みを絶やさない大人しい女性なのだ。それでついたあだ名が<微笑みの魔女>である。元はこのプノバンス地方の小領主家の一つ、レーデル子爵家の長女で、レーデル家の当主、ブルートス=フォン=レーデルは良識ある領主として、私財を投げ打って護民に努めていたが、政府からの要求に窮し極秘に王と政府の在り方を糾弾した。結果、レーデル家は逆に癒着と横領の罪で告発された挙句ブルートス=フォン=レーデル他一族は正体不明の強盗に襲われ死んだ。当時18歳のクシャナだけはその時他国に学業留学していたため無事だったが、レーデル家は断絶となった。クシャナは平民に落とされた。その後彼女は生き残った家僕や領民たちから、件の強盗がどうやら貴族評議会の息のかかった民間傭兵団だと知った。こういう事案はレーデル家だけでなく、この頃他にもありマドリードでは珍しいことではなかった。
しかし、クシャナは外見や経歴のように大人しい少女ではなかった。
生き残った家僕やブルートス=フォン=レーデルを慕う領民たちとともに武装蜂起し、義賊団を作り上げてしまった。貴族評議会は、クシャナをたかが没落貴族の小娘、と判断し初期対応を誤った。クシャナは秀才で、少女ながら武芸にも秀でていた。数度の戦闘で戦闘のやり方を覚え、三ヶ月という時間で文武両道の少女を優れた戦闘指揮者に変えてしまった。今では反政府の領袖の一人である。
ナディアはそれらの事情を調べ上げ、クシャナがただのテロリストではない事を知り、半年前から接触を重ね、アリアの武装決起の件も教え、アリア軍に参加しないか、と時間をかけて説得していた。
まだこの時アリアはクシャナと面識はないが、ナディアは既に何度も接触しクシャナを決起前に引き入れる約束を交わしていたし、反政府の思想の面でも意気投合していた。そして8月、ついにクシャナはアリア革命軍に参加し、やがて彼女もアリアに感化され絶対の忠誠を誓い公私とも掛け替えのない部下となり友人となる。……後のアリア軍第二司令官。
が、今はまだ先の話である。この件の主役はナディアとクシャナでアリアではない。
アリアは、全員の顔を見回した後、地図のある一点を叩いた。
「私はまず、アルファトロスに行きます」
その宣言は、ミタスを驚かせた。
アルファトロス……それはクリト・エ大陸に二つしかない、科学都市国家である。
科学都市アルファトロスは、領土としてはマドリード国内に存在するが、独立した都市国家だ。このアルファトロスは科学技術と商業のみで成り立っている都市国家で、元首は王ではなく<代表>と呼ばれる。アルファトロスには王も貴族も存在しない。学識者や有力者たちで議会を作りその議会によって<代表>は任命される。<代表>は終生任期でその権限は王そのものだ。もっとも存命中に辞任もできる。
現に、つい2年前の2333年。約35年間代表を務めたユイーチ=ロレンクルは突如辞任し、姿を消した。今ではまだ20代の若さだが稀代のやり手と言われるプレセア=ヴァームが代表を務めている。
そして今は7月。
アリア、ミタス、ナディア、ザールの四人はアルファトロスに向かう列車の車内にあった。
マドリードは、首都シーマとアルファトロスを軸として国内の中に、環状線の鉄道を走らせている。アリアたちはその列車に乗り移動していた。
「どうして私たち、みーんなでアルファトロスに行かなきゃいけないの、アリア様?」
ナディアは車内で購入した米パンを食べながら尋ねた。
現在のアリアの仕事は、中立の貴族や政府軍、市民有力者から協力者を集めることだ……それも隠密に。
ということで、基本的にはアリア+護衛者一人……この場合ミタスかナディア……を連れていくだけだ。それが今回は三人共同行を頼まれた。
もっともこの間、軍事活動を起こすわけでもないので、村の方を留守にしてもさほど支障はない。
「アルファトロスとは同盟を組む予定です。だから皆にもヴァーム氏と会ってもらおうと思いました」
アリアは新任の代表プレセア=ヴァームと直接の面識はないが、手紙のやりとりをしておりアルファトロス首脳部との面識もある。
「先代のユイーチ氏がいれば話は早いのだけど……あの人は出奔してしまったと聞いたから期待はできないです」
「<ガノン>の事からして姫さんはえらくアルファトロスと縁があるが、何か特別な事でもあるのか?」とミタス。
だがナディアとザール、二人とも頭を振った。二人とも幼い頃からアリアを知っているが、アリアが2年ほどアルファトロスに身を隠していた時期の事は、アリア本人が固く口を閉ざしていて分からない。
「私は子供の頃、一時期アルファトロスにいたんです」
アリアが小さな声でそっとミタスに言った。
「アルファトロスに? 導師ファルサムが育てたんじゃないのか?」
「正確にはちょっと違います。アルファトロスで育ったというより、アルファトロス周辺、ナディアたちの村、ザナドゥ家領内を色々点々としてたんです。そのある一時期、私がアルファトロスにいたときの事は、ナディアもザールも知りません」
アリアがアルファトロスとの同盟に前向きなのは、元々アルファトロス上層部と深いつながりがあったからだ。但しその内容に関してはナディアにもザールにも語らず、アリアしか知らない事が多く、その点、二人とも不思議に思っていた。
……あいかわらず秘密の多い姫様だな……ミタスがそう零そうとした時だった。
人の接近に気付き全員沈黙した。ザールとミタスが、チラリと目線を送る。
そこには警察官が立っていた。彼はごく事務的に「失礼だが身分証を提示頂けますか?」と4人に尋ねた。
4人はそれぞれ身分証を警官に手渡す。
受け取った警官は書かれた氏名と戸籍登録ナンバーに目を通す。警官はすぐにハッとし、慌てて二枚のカードをザールに返した。
「ザナドゥ伯でありましたか!?」
「左様。ザール=フォン=ザナドゥ……貴族院に属している。こちらは妹のイアン=フォン=ザナドゥだ」
「伯爵閣下。その……どのような御用で」
「無礼であろう! 貴族への礼節も知らぬのか!!」
イアンと紹介されたアリアは、険しい表情で鋭く叫ぶ。その言葉に、警官はビクリと体を膠着させ目を泳がせた。それを見てザールは苦笑し、警官に優しく声をかけた。
「妹は気が強い。そしてあまり世間を知らず手を焼いている。少しは世間というものを知って貰いたくてね、こうして鉄道の旅をしている。すまないね。ああ、こっちの二人は高名なトジーユン=ミタス殿と、そのパートナーのナディア=カーティス殿だ。旅の暇つぶしに、武勇伝を聞かせてもらっている」
「そういうことです。邪魔はしないで下さい!」
アリアがそう声を張ると、警官はあからさまに動揺し、ミタス達のカードのチェックもロクに出来ぬまますぐに返すと、その場から遠く立ち去っていった。
「ぷくくくくくっっっ」
その背中を皆額笑い出すナディア。「まだ近くにいるから」とアリアが小声で窘め、ナディアは笑みを噛み殺し頷く。
「見事な呼吸、さすがの威厳……だが、イアン=フォン=ザナドゥとは?」
ミタスはアリアの名乗った偽名に首を捻った。これまで何度かアリアと極秘に出かけた事があるが、ザナドゥと名乗ったのは初めてだ。
マドリードでは国民戸籍があり皆登録番号を持っている。その番号だけで身分が貴族であるか、市民か、アダか分かるようになっており、国民の把握、行政サービスなどに使用される。これと同様のシステムは大陸連邦とマドリードの隣国、ガエム共和国にもあり、マドリードがこのシステムを取り入れたのは2254年のクセス王時代である。
ナディアのものは偽証明証だがカーティスという姓は嘘ではない。アダは公式に名乗れないだけで皆隠し姓を持っている。そして王族であるアリアは、本来は国民ナンバーを持たない。だからアリアが行動する際、当然だが偽名を使う事になる。「アリア=パレ」と市民を名乗る場合と「クリミア=シュトラート」という完全な偽名の二つを使うことがこれまでは多かった。しかしザールの妹という設定は初めて聞いた。
「しかし……伯爵家令嬢の偽名はまずいのではないか?」
「イアンは本当に当家にいる者だ」
「そうなのか?」
これはミスタも初めて聞く話だった。
「ただし、実際は<弟>だがな。カラクリがあって、今はアリア様の偽名の一つだ」
答えたザールは珍しく面白そうに笑った。ミタスはよく考えればザールの家族構成をまだ聞いたことが無かった。知っているのは、父プレイン=フォン=ザナドゥが早世したため、ザールは若くして伯爵家当主を継いだという話だけだ。
ザールには13歳下の双子の弟がいる。イアンとデュラン……後のマドリード帝国親衛隊とアーマー部隊司令官だが……今は年端も行かぬ少年で領内を出ることはない。ザールは一計を講じ、双子で一つの国民戸籍を使わせ、イアンの方は比較的女性でも通用するのでアリアの偽名用に年齢のみ偽った偽造証を作った。
なぜ貴族の身分証が必要なのか……それは今回のように、ある程度大きな意図を持っての外交や政略の場合、平民のアリアにザールが従っているという図が不自然だからだ。そこから正体の露見を防ぐ目的がある。
「愚弟は基本、領地にいるのでバレることはない」
「しかしザールが貴族院に所属しているとは……初めて聞いた」
ミタスにとってそのことは十分驚きに値した。貴族院は貴族評議会の下地にあたる組織で、いわば敵勢力中枢といっていい存在なのだ。貴族といっても、マドリード国内には約110家の貴族がある。
「伯爵家は15家、その8割は貴族院に属している。我がザナドゥ家がその中にあってもおかしくはないだろう」
ザールは悪びれる風も自慢する風もなくさらりと答えた。
マドリードの貴族院は基本伯爵以上の(一部男爵や子爵もいるが)24家で構成されている。その中から8人の貴族評議会員が選ばれ、国王の政治を補佐する、ということになっている。評議会員任期は4年でその都度選挙を行うのだが、アミル王を傀儡とした後は現貴族評議員たちが独占し、選挙制度は機能していない。他の貴族達も「評議会の邪魔はしない。そのかわり領内について多少の事は目を瞑る」という条件で領内に引き篭もり、私腹を肥やしている者も多い。そこからさらに貴族評議会は色々理由をつけて上納金を取っていき、結果貴族達は、領民達により強い課税や上納を求め、それが現在マドリード国の荒廃と治安の悪化になっている。市民が流民と化し、市民権を売りアダとなってしまうケースも増えた。市民権を売買出来るようにしたのも貴族評議会の悪政の一つで、これによってマドリードは荒廃し政府の機能は停止した。
「でも警官による検問、今日二度目よ~ どうなっているんだろう? あたしら警戒されてんのかね?」
電車に乗って二時間。それで二度という回数は多いと言えるだろう。搭乗時にも身分証は提示している。
去っていった警官の後をザールはチラリと眼で追った。警官は隣の車両で他の乗客を検問しているようだった。
「治安の悪化に対する警戒だろう。が、警官同士の連携が取れていないところみると、警察のモラルの問題かもしれん」
「検閲は公職者にとっていい稼ぎの口実だしね」
とナディアは付け加えた。武器の類や市民の長旅を見つければ、警官達は「不振がある」と言い立て、賄賂を支払う事で目を瞑って貰う……そういうゆすりたかりが警察で横行していた。ミタスもナディアも、アリアも武器は携帯しているが彼らが難を逃れられたのはミタスの勇名とザールが貴族だったからだ。
「それもあと一年……一年で変えるわ。私が……」
アリアは窓の外を見つめながらそう呟いた。こういう事は隠密で国内を動き回るアリアたちにとっても日常茶飯事だったが、今回は直接革命に繋がる外交の途上……いつもよりアリアの心中の不快感は強く、この会話は決意と共に深く彼女の記憶に残った。
マドリード首都シーマからアルファトロスまでは、約10時間。アリア達が乗ったのはシーマから四駅目のタニヤからだから、アルファトロスまで約8時間半というところか。到着の頃には、恐らく日が暮れるであろう。
科学都市アルファトロス。
クリト・エではたった二つしかない科学都市の一つで、陸・海・空、三つに通じている港町でもある。スレ・クル湾に面し、飛行石に帆を張った飛行艇の発着所もある。領土的にはマドリード国内だが、完全自治権を持ち商業も盛んだ。人口は約40万。都市の中央に、<タワー>と呼ばれる約80mの巨大ビルがあり、この建物にこの科学都市の知能というべき『科学技術処』と『自治政治局議会』、それらの関係事務所……そして自治政府直轄の商業局、それに関係する民間会社などが入っている。経済力ではマドリードはおろか周辺国のどの首都圏よりも強いだろう。その科学都市の現在の主が、若干24歳で代表となったプレセア=ヴァームである。
そして、彼が歴史上に登場するのは、アリア=フォン=マドリードとの歴史的な会談からである。
『マドリード戦記』 王女革命編 1話。
とりあえず最初の触りなので……。
ジャンルが「オリジナル戦記」ですので、本格的に面白くなっていくのは戦争が始まってから……というのが本当の面白さがわかるところなのですが、とりあえずはスタートしました。
この『マドリード戦記』というシリーズは、ちょっと変わったタイプの戦記モノといえるかもしれません。
舞台は惑星パラ……という惑星で、地球ではないし、地球に関係する異世界でもありません。
そして、本作は正しく言うと、本編より300年後、ジョン=ペンドルトンという歴史文芸学者が書いた歴史文学……という設定になっています。なので、時に「後世の人間からの見地」があったり、アリア様とは(現段階では)関係の薄い、北の大陸国家、大陸連邦の話が参考であがっていたりします。
「ならなぜ地球の用語が使われてるの!?」
という点ですが、さらに言えば実はジョン=ペンドルトン著作の本作を、さらに日本語訳にしたもの……というのが本文の作りになっています。ややこしくてすみません。作風は人型汎用機動兵器のアーマーや魔法も出てくるので、<SFファンタジー戦記モノ>なのですが、そこに<歴史文芸本>としての面白さを入れたい……というのが作者の意図なわけです。そのあたり踏まえたうえで、最後まで楽しんでもらえればと思います。
ちなみに、グループ壬生犬のJOLちゃんの代表作「黒い天使」と、『マドリード戦記』は同一世界軸です。つまり現代日本の今から500年前の話です。サクラはさすがにいませんが、JOLJUはこの惑星パラにいます。元々JOLJUはこの惑星パラの神様なので……。残念ながらJOLJUが登場するのは『マドリード戦記』ではなく、同時代の大陸連邦側を描いた作品『蒼の伝説』のほうで、こっちにはJOLJUが初々しい姿でチョコマカしてたりします。いつか『蒼の伝説』も書きたいんですが、準備稿の段階で『マドリード戦記』の五倍の長さが……いつか頑張ります……。
一先ず、惑星パラの歴史に触れると言う事で、『マドリード戦記』のほう、宜しくお願いします。