連絡事項
あれから私の休日は、ダンスの練習とリリィが教えてくれる礼儀作法の練習へと消えていった。
しかし、リリィともダンセンさんとも気兼ねなく話ができるしダンスも作法もやってみれば、さほど難しいものでも無かったのでゴロゴロと寝て過ごす休日に比べたら楽しく充実した休日だったと思う。
ただ、今日は練習最終日だというのに朝からたいへんに憂鬱だった。
「大丈夫ですわ。ナーチル様もきっとダンスがお上手ですから。カスミ様のこと上手くリードしてくださいます。」
「そそ、そうなんだろうけど…」
「なにをそんなに緊張することがある。ほら、もうすぐナーチル殿も来られるぞ。」
ダンセンさん、そうやって余計に緊張させるのやめてほしい。
今日はダンスの最終確認としてナーチルさんに来ていただいて2人で実際に合わせてみるのだ。緊張しない方がおかしい。
あの、透き通るような儚げな美形とダンス。周りにはどう見えるのだろう。最近ずっとそんな事を考えては今更だが断れないかと思う日々だ。
ダンセンさんだってイケメンだけど、やっぱり気兼ねない相手とそうでない相手とでは全然違う。
とりあえず今日は、ステップを間違えないことに集中しよう。
と、今日の目標が定まったところでナーチルさんが練習場へ入って来られた。
遅れてすみませんと謝る顔も、うん、安定の無表情。
でも、美しいんだよなあ…。
「お久しぶりです、ノザキ様」
「お、お久しぶりです!」
見惚れていたところに声を掛けられて驚いたわけではない。断じて。
慌てて上擦った声で返事をしたけど、それでも何か言うわけでもなくナーチルさんはこちらへ進んでくる。
私の目の前に立つと、彼の眉が少し下がった。気が、した。多分。
「せっかくの休日を潰してしまい申し訳ありません。」
「いえいえ!久しぶりに体を動かしたり講師のお二人とお話できて楽しかったです。しかも休日手当までいただいてますし、謝らないでください。」
ナーチルさんは私を無理やり誘ってしまったと陛下に申し立ててくださって、練習中の休日手当と夜会での特別手当をいただけることになっていた。
もらえるものは貰っとかないとと承諾したが、今思えばとっても厚かましいことこの上ない。なんだかお金のために頑張って練習しているようで…
だからナーチルさんに謝られると私の良心がギリギリと痛む。
「さあさあ練習しましょう!何か気づかれることがあれば遠慮せずに!じゃんじゃん!言ってくださいね!」
これ以上私の心が悲鳴を上げる前にと練習を不自然ながら促したが、定位置に着いてから、そういえばとっても緊張していたのだったと思い出してしまい顔に熱が集まる。
ダンスの定位置に付く際、男性は女性の腰に片手を回し、女性も軽く男性の腰に片手を添えて、もう片方の手は軽くにぎり合う。
そう、とにかく距離が近い。ようやくダンセンさんで慣れたと思ったところでのナーチルさんである。
定位置に付いて曲が始まるまでの数秒間で手汗がどっと噴き出して来た。
あ、私赤面し過ぎて顔色おかしいかも。
パチパチパチパチと2人分の拍手のあと、やっとのことでひと通り踊り終えたのだと分かった。
ゆっくりとナーチルさんから手を外すと彼も体を離した。2人の間を通り抜ける空気が少し冷たい気がして、私達の距離がいかに近かったかを教えてくれる。
ダンス自体は初めこそ照れと恥ずかしさでどうにかなりそうだったが、踊り出すとそれどころでは無くなって飛びそうになるステップに夢中にだった。
無意識の内に本日の目標をクリアしていたわけだが、実際のところ、途中何度も間違えそうになると、ナーチルさんが軽く手や腰を引いて自然と次のステップへ促してくれるので間違えずに済んだのだ。
「お二人とも大変お上手でした」
リリィが満面の笑みで褒めてくれると、ダンセンさんは何も言わず彼女の言葉を肯定する様にニッコリ笑って頷いた。
「ナーチルさんがうまくリードしてくれて助かりました。ありがとうございます。」
終わった後から、どこかぼーっとしたように動かないナーチルさんに不思議に思いながらそういうと、ハッとしたように視線が合った。
「…いえ、こちらこそ。こんなに上達しているなんて驚きました。何も問題無さそうです。」
「あ、本当ですか?良かったです」
なんとかナーチルさんの合格は貰えたようだ。
ほっと胸を撫で下ろして、まだ少し熱の引かない頬に手を当てて冷ましていると、そういえば、とリリィが話し始めた。
「あの、カスミ様の当日のドレスや装飾品のことなんですけれど…」
彼女の控えめな言葉にぎょっとした。そんな事頭の片隅にも無かったからだ。確かに夜会なんだからそれなりのドレスは必要だろう。しかもあのナーチルさんのパートナーなのだから少しでもマシに見えるものを用意しなくてはいけない。
「あ、そうか全く考えてなかった…リリィ貸してくれる?それともこういう時って買わなくちゃいけないのかな…私全然こういうこと分からなくてまだ何も用意してないんだ…」
そう言ってリリィを見ると不思議そうに首を傾げて話を続けた。
「いや、カスミ様に聞いたのでは無く…、ナーチル様ご用意はされていますか?当日のカスミ様のご用意は私がさせていただきたいのですが」
「ああ、用意している、ちょうど誰に頼もうかと悩んでいたところだ。助かる」
「それでは事前にカスミ様に試着していただいてサイズ確認をいたしましょう」
「分かった。では次の練習日に…」
2人は私を置き去りにしてポンポンと話を進めている。
え、待って私思考が追いついてないよ。
「な、な、何故ナーチルさんが私のドレスを?」
何が何だか分からなくて動揺丸出しだ。私の声が転がるように溢れたが、2人には聞こえなかったみたいで話を続けている。
でもダンセンさんには聞こえたようだ。
「ああ、カスミは知らないか。夜会での女性のドレスや装飾品はパートナーが用意することになってるんだ」
「えええ!そうだったんですか?」
「ああ、だからこの国では夜会でのドレスのセンスはパートナーである男性が握っているんだ。ほんと大変なんだよなあ…」
やけに実感がこもっているが、おそらくこの人は何度も女性のドレスを選んできたのだろう。
しかもおそらくダンセンさんはそういったセンスに欠けている気がする。パートナーの女性にキレられでもしたのだろうか。
と、若干ダンセンさんに失礼な事を思っていると、先ほどの2人の話が終わったようだ。
「ではカスミ様、来週はドレス合わせをいたしましょう。ついでに髪型とお化粧も本番に合わせましょうね。」
「え、でも…」
「私の練習も兼ねてますから、よろしくお願いしますね」
「あ、はい」
有無を言わさないオーラに押されて、素直に頷いてしまったが、普段から髪型もメイクも適当な私には少し憂鬱だった。
でも何だかいきいきしている雰囲気のリリィが可愛いのでまあ良いとしよう。
私の生まれて初めての夜会は、2週間後に迫っていた。