王子のサンドイッチ
王子に仕える側近視点です。
第一王子は今日も膨大な執務を前に黙々と作業を続けている。
こんなに天気の良い昼下がり、どこかへふらりと散歩に出かけるわけでもなく、便所へ行くと行って城下町へ降りることもなく、本当に勤勉で働き者だ。
それはそれはこちらが心配になるほどに。
「殿下、そろそろ休憩なさってはいかがでしょう?」
「…もう少し待て」
「しかしながら、今日は朝から一度も休憩されておりません。そろそろ昼食を」
「分かっておる。この書類が終われば食べる」
このやり取り本日三度目だ。もうすっかり昼食という時間では無いがそろそろ本当に休んでもらわなければ。ここが爆弾の落としどころか。
「ああ、そういえばカスミ様がナーチル殿の夜会の誘いを受けられたとの情報が入りましたよ。」
ガタガタッと大きな音がした。殿下が急に立ち上がって椅子を倒したのだ。斜め後ろに控えていた私がすぐさま椅子を所定の位置に戻す。
「それは、本当か…?」
「はい。神殿の者からの情報ですので間違いないかと、このあとナーチル殿ご本人が陛下へ謁見される予定です。」
「そこでパートナーの報告もする、ということか…」
ひどい落ち込みようだ。ガリガリと動き続けていたペンは書類の上に投げ出されているし、ガタンと椅子に再度座った殿下の頭ももうすぐ机に着きそうだ。
「さあ、昼食を食べましょう。準備させますね。」
ようやく休憩していただけることに安堵し侍女を呼びつけ準備させていると殿下に「お前俺の昼食のために嘘を…」とジト目で呟かれたが、残念ながら本当の事だと告げると、またしても落ち込まれてしまった。
この調子だと昼食後は使い物にならないかもしれない。
カスミ・ノザキ。今この国でこんなにもこの王子をダメにしてしまえる唯一の女性だ。
見ての通り、殿下はカスミ様にたいそうご執心だ。この王城でいまや知らぬ者は誰もいないだろう。
5年前この国に突然来られた「異空の迷い人」である彼女と殿下が初めて出会われたのはこの王城だった。
カタコトで話される彼女の言葉にいつも首を傾げながらも会話に付き合っていた殿下が懐かしい。あの頃の殿下は当時14歳で今ほど忙しい身では無かったし、そもそも殿下は時間を気にされなくなるほど働き者ではなかった。
というかどちらかというと怠け者のように見えていた。実際はまあ、色々あったのだが、いつからかこのように膨大な量の執務をこなし、時間があれば街の偵察や歴史書の解読などを通じて王族としての勉学に励まれるようになったのだ。
おそらくカスミ様と何かあったと踏んでいるが、詳しくは知らされていない。
分かっているのは、殿下がカスミ様の姿を見るだけで赤面し話せばしどろもどろになってしまうようになった時期と同時期ということだけ。
人が変わったように仕事に打ち込むようになった殿下は性格までもが激変しなんというか、とても大人になられた。
元々優しい性格ではあったが、気に入らないことがあると周りに当たることの多かった殿下が何に対してもまず冷静に対処されるようになったのだ。自然と周りへの対応も優しいものだけになり、仕えている者はそれはそれは大喜びだった。
その影響か今までも少なく無かった縁談話が溢れるように舞い込むことになった。しかし、陛下からも王子の婚姻については急かす事はないと言われているし、殿下からは全て断るよう言い渡されている。確実にカスミ様が原因だろう。
カスミ様は現在、騎士団と神殿の事務作業に特化した業務に就かれている。全くこの国の言葉が分からなかった彼女がたった数年で専門用語が飛び交う2つの仕事をしている事が信じられない。
しかも聞くところによると騎士団、神殿ともに大変助かっているとのこと。今や彼女の後継人を育てるべく騎士団から人を派遣しているほどだ。
彼女の周りには常に人がいる。あの奇跡の黒と呼ばれ、この国で1番の魔術の使い手であるナーチル殿や、最高爵位で最年少小隊長のダンセン殿、そして目の前でサンドイッチを手づかみで食べるこの国の第一王子。
他にも騎士団の若手やナーチル殿の弟子など彼女に近づきたい者は男女問わずたくさんいると聞く。皆が皆、殿下のように恋慕の対象というわけでは無いだろうが彼女には何かしら人を引き寄せる力があるのではないかと思う。
それにしても、
「濃いメンバーですな」
「は?なんだ?」
「いや、こちらの話です」
迂闊にも心の声が漏れていたようだ。危ない危ない。
さあ、この後もどんどん仕事は舞い込んでくる。落ち込まれたままでは困るのだ。もう一つ爆弾を投下しておこう。
「殿下、再来週ですがカスミ様がダンスの練習をしに王城へ来られるようですよ」
良かったですねというのは王子のプライドの為に心にしまった。
2年ぶりの再会に王子はまた執務と勉学に励まれることだろう。