異空の迷い人
アスタさん<ダンセンさん>視点です
騎士団の小隊全てをまとめあげる団長、グレイ・アンダーソン氏がこの国では大変珍しい黒髪の少女を持ち帰って来たのは、雪のちらつく寒い冬のことだった。
若い少女がむさ苦しい騎士団の門をくぐるということに浮き足立つ団員の視線を、その目で殺した団長は少女を庇うように団長室へと入っていった。
その後、数日経っても少女の素性が明らかになることはなかった。風の噂で聞いた話だが、なんでも彼女には言葉が通じないらしい。近隣の言語でも無い言葉を話す少女はこの国に時々あらわれる、『異空の迷い人』らしかった。
異空の迷い人というのは、不定期にあらわれる異世界人のことだ。今まであらわれた誰もがこちらの言語が分からず文化も習慣も何もかも違う世界からやってくるというのが分かっている。
何の規則性もなくやってくる異世界の住人達は皆、それぞれの特技や知恵を使ってこの国の繁栄に貢献してきた、とされている。
またやっかいなものを拾ってきたな、とぼんやり思っていた俺に王城までの少女の護衛が命ぜられたのは、少女が騎士団にやってきて2週間後のことだ。
団長室に入った俺を待っていたのは、黒髪の少女と、人殺しのような顔で睨みを効かせているように見える大男こと団長の2人だけだった。
「アスタ・フォン・ダンセン、護衛の命を受けて参上しました」
「ああ、ご苦労。こちらはカスミ・ノザキ、異空の迷い人だ。」
簡潔に紹介され、頭を上げる。
2人は来客用の椅子に向かい合わせで座っており、少女の方はこの人は誰だ?と隠しもせずに首を傾げて見上げてくる。
「アスタ・フォン・ダンセンです。よろしくお願いいたします」
「あ、カスミ・ノザキ、です。よろしく、です。」
彼女は立ち上がり誰かに教えてもらったのか、カタコトながらしっかり俺の目を見て挨拶をした。
おそらく15歳くらいだろう。肩までの黒い髪に黒い瞳、この国の女性平均よりも少し小さな身体は、慣れない土地にもしっかりと床を踏みしめている。
黒い髪、この国ではそれを持って産まれることで一生を通じて「闇人」と呼ばれ恐れられてきた。
もう随分と昔、人型の魔物が現存したころ、それらが皆一様に黒い髪を持っている事から人間の間でも黒髪は疎まれてきたというわけだ。
といってもこの国も数十年前から移民が増加し、今ではその考えは古臭いと考える人の方が多いのも事実だ。
だが、この国でその髪色をしているものはごくわずか。人目を引くことは確かだろう。
ああ、そういえば神殿の彼もこんな髪色をしてたな。
闇人は漏れなく膨大な魔力を保持しているため、幼いころから国に良いように使われてしまう。彼はその1人だ。
挨拶が終わり彼女が椅子に戻ると、団長が俺の目を見据えて言い放った。
「アスタ、先に言っておくが彼女に魔力は無い。」
俺は驚きすぎて彼女の黒髪をじっと見てしまった。だって、この髪色で魔力が無いなど、誰が思うだろうか。
団長は魔術師では無いが魔力をある程度保持しているため、人の魔力量をおおよそ把握できる。その人が無いといっているから無いのだろうが、とてもじゃないが信じられない。
少女は俺が驚いているのを感じ取ったのか、おろおろと団長に助けを求めるように視線をやっている。
「…おいアスタ、見過ぎだ。カスミが困っている」
そのあと、団長から彼女が王城で言語の勉強をすること、彼女はそれを承諾していることが説明された。
もっとも、承諾に関しては身振り手振りのため、おそらく、ということらしいが。
怖い顔をして小さい物や可愛らしいものにとことん甘い団長は、今年で確か42歳だったはずだ。自分の娘と同じくらいの年齢に見える少女をとても心配しているように思える。
そして、渋々王城に行かせるように見えた。
しかしそもそも、王城で言語の勉強など破格の待遇だ。
もしかすると陛下は、彼女が闇人であることを知っていて魔力が高いことを期待しているのかもしれない。
いくら団長が魔力無しと報告をしていても、陛下は自分の目で確かめなければ気が済まないお人だ。
騎士団と神殿、それから王城は王都の中心に位置しており、それぞれが三角になるように配置している。
騎士団から残りの2つの建物に移動するのは徒歩で5分ほどだ。
王城への道のりで気づいたのは彼女は時々ふと暗い目をしているということだ。とても15の娘が出来るような表情ではない。
先ほどの団長室では気づかれないように振舞っていたようだか、団長と離れて気が緩んでいるのかもしれない。
あくまで護衛の俺はその表情に気付きながらも、特に何も声を掛けることなく王城への道を進んだ。
陛下へのお目通りは意外なほど淡々と終わった。陛下も優しく微笑んではいたが、特に少女に執着することなく「ゆっくり学びなさい」とだけ告げて奥へ引っ込んで行った。
これで予想は当たった。陛下には魔力が備わっているため、彼女を一目見て魔力なしと判断したのだ。
部屋へと少女を送り届けたら俺の任務は終わりだ。部屋の前へ到着し彼女の黒い瞳を見て、身振り手振りで告げた。
「私の護衛はここまで、です。あとは中にいる侍女に、任せます。お疲れ様でした。」
ゆっくりを意識しながら、言ってはみたもののおそらく伝わってないだろうなと思い反応を待っていると、彼女は花が咲くように笑った。
「えーっと…、ありがとう、ました!」
少女の初めての心からの笑顔に、少しの間言葉を無くし固まってしまった。
そんな、笑顔ができるのか。
そう、思った。とてもじゃないが先ほど暗い目をしている少女とは別人に思えた。
次の瞬間にはドアノブに手を掛けている少女の腕を取っている自分がいた。
「あの、!俺、また来るから!」
そんなことしか言えず、何を言っているんだと1人赤くなった俺に、また彼女はカタコトながらありがとうと微笑んで、今度こそ部屋へと入っていった。
それから、かいがいしくカスミに会いに通って5年が経過した。
なんとカスミは当時20歳だったらしく、立派な大人であり、少女では無かったというのが一番衝撃的だった。
大輪を咲かすように、とまではいかないものの可愛らしい印象から最近は、大人の魅力が感じられるようになった。
彼女の5年の努力は相当なものだった。約1年あまりで話すことに支障が無いまでになり、2年が経つ頃には文字も完璧にマスターしていた。
あとの3年は騎士団と神殿の書類仕事をほぼこなす要領の良さにあれこれと仕事を押し付けられ毎日忙しそうだ。
21歳だった俺は今は隊長をつとめるまでになったが、彼女は未だにそれを知らない。
闇人のことも、異空の迷い人の事も必要最低限の事しか彼女は知らない。
カスミは、この世界に積極的に関わらないようにしているようだった。
きっとそれは無意識の内にしてしまっているのだろう。彼女はあの時のような暗い表情をすることは無いし明るい女性として騎士団でも大人気だからだ。
事務補佐の決め方だって、俺やニコルの実家の事だって、聞けばすぐに答えるのに全く気にしている素ぶりが無かった。不思議に思いカスミを気を付けて見ていると、ある推測に思い当たった。
おそらく、心のどこかでいつかは元の世界に帰れる、という希望を捨てきれていないのではないか、と思う。
もう二度と帰れないと知った時のカスミを俺は知らないが、きっとこの世界に来て1番絶望したことだろう。
帰りたいという想いを捨てきれないカスミを責めることはできない。
それに気づいた俺は、どんな時もカスミの味方でいようと誓ったのだった。
難産でした。