内容確認
普段から慣れているはずの来客室の空気がいつもと違う気がした。なんだか、少し蒸し暑いような…?そーかー春ももうすぐ終わるもんねー。
目の前の彼の言葉に動揺して、固まってしまった私は一瞬でそんなことを考えていた。現実逃避とも言える。
「えーと、夜会に、ですか?」
「はい。」
「夜会ってあの、ダンス踊ったり立食したり、オホホウフフな会話をするあの?」
「正確に言えば少し違いますが、だいたい合っています」
「んと、その夜会にナーチルさんと、私が、パートナーで出席ですか?」
「…」
気を取り直して、頭の中を整理するためにいくつか質問すると、即答でハッキリと答えてくれたのに、最後の質問だけは、少しの間があったあと無言でコクンと頷かれた。
やっと内容に頭が追い付いた私は、勢いよくブンブンと首を振った。
「いやいやいや!何をおっしゃってるんですか!私なんかが夜会に出れるわけないでしょう?私、ただの平民ですよ!?」
そう、日本から迷い込んだ私は一度は王城にて保護されたものの、こちらの言語をある程度習得した段階で、神殿と騎士団の事務員として働くことになったため、国から特別に市民権を頂き、王都の街でくらしているのだ。
一度は貴族の養子として受け入れられる事になりかけたのだが、私には大きい話すぎて丁重にお断りしたのだ。だって貴族ってことは、結婚相手も貴族でしょ?20オーバーなんて貰い手も無けりゃ、礼儀作法だって覚えられやしないよ!無理無理無理。
ということで、庶民として身の丈に合った結婚をすることを当面の目標に、コツコツと事務仕事に勤しんでいるわけだ。
それなのに、夜会だなんて…
しかも、あのロイ・ナーチルのパートナーとしてだなんて!目立つこと必至。絶対に無理だ!
ブンブンと首を振る私をチラリと見たナーチルさんは、全く表情を変えぬまま言葉を発した。
「そう、言われるであろうと思っていました。ですが、少し話を聞いていただけませんか?」
表情は、ほぼ変わっていないけれど何となく切羽詰まっている感じが声色から感じ取れた。
ひとまず首を振るのをやめて向き直れば、ありがとうございます、と小声で発せられた後こう続けた。
「私も本来ならば、夜会に出られる出自ではありません。名前からも分かるかと思いますが、私も平民ですので。」
「はい、確か貴族の方はファーストネームとファミリーネームとの間に貴族名が入るんでしたよね。」
例えばさっきの、アスタ・フォン・ダンセンさんは、アスタが名前でフォンが貴族名、ダンセンが苗字だ。
そう、なんとあのダンセンさんがお貴族様なのだ。なんとも似合わない。
だから一応、私があんな口の利き方をしているのは周りには内緒にしていたりする。
「そうです。私は生まれた時から魔力量を多く保持しておりまして、たまたま今の地位にいますが、本来ならば庶民で夜会などとは縁が無いものなのです。そのため、今まで何度もお断りしていたのですが…」
「さすがに断りきれなくなったと、いうことですか…」
「はい、国王からの招待ですから特に」
心なしかグッタリして見えるナーチルさんが少し可哀そうに思えてきたが、まだ質問は終わっていない。
「あの、なぜ私なんでしょうか?ナーチルさんのパートナーでしたらいくらでも見つかりそうなものですが」
これが最大の疑問だ。なぜ、こんなしがない事務員をパートナーにしたがるのか、意味がわからない。
だってこの国1番の魔術の使い手で、この美形だ。
いくら表情が無いからって引く手数多なのでは無いのだろうか。
「単純に、連れて行くだけなら幾らか当てはあるのですが、私は神殿から下るまでは結婚しないと決めておりますので、その…」
「ああ、夜会後に妙な期待を持たれては困る、と」
「はい。その通りです。」
神殿で仕える方々は、一応結婚は自由になっている。神職だからといって結婚しないというのは少し古い考えらしく、今では約反芻の人が既婚者だとか。
まあ、日本の僧侶とか神主とかもそうだよね。同じクラスにお寺の息子とかいたもんな。
ただ、ナーチルさんは神職を降りるまでは結婚を考えていないから、一度夜会でパートナーになったら、その方がその後、彼との結婚に躍起になるかも、ということか。
それに引き換え、私は自ら庶民を選んだ。自分と結婚など、とは考えていないと思ったのだろう。
「それに、当てのある方というのが皆さん貴族の方でして、貴族名を持っていないのにパートナーになれば、ますます周りから囲われそうで…」
これは昔貴族と何かあったな、と思わせる遠い目をしたナーチルさんがそれでも表情はそのままに言った。
「それに、ノザキ様は庶民とあれど、一度は国王陛下に保護されたいわば、この世界の客人です。貴族に一番近い庶民と言っても過言ではありません。」
一応、庶民になった今でも陛下には目をかけてもらってる。もっと言えば2週に1回の割合でここに遊びに来るし。勿論内緒だ。
私は若干ボケっとしながらアーモンド型の澄んだ海色の瞳を見つめる。
「ですので、私の特殊な地位においてもパートナーとして不思議では無いのではと考えたのです」
そこで、一旦のひと区切りだったのか、ナーチルさんはすっかり緩くなった紅茶を、いただきます、と呟いて手に取った。
ちなみに、私はというと、普段見たことがないナーチルさんを連発されて少し動揺していた。
だって、この人この部屋でお茶を飲んだことも無けりゃ座ったことさえ無いのだ。
いつも勧めても結構です、と短く断りさっさと事務室から出て行く。
それが、こんな長い時間私と話している。
これ、どう考えても説得されている。
「ナーチルさんが、どれだけ困っておられるのか分かりました。しかし、私は夜会での礼儀作法からダンスまで何も知らないのです。そんな私にパートナーが務まるとは思えないのですが…」
「そこに関しては問題ありません。それらの講師を用意することができますので、手間かとは思うのですが学んでいただければと」
どうしようそこまで考えてあるのか、この人なんだかんだ周りを固めてからここに頼みに来てるんじゃ無いだろうか。
ナーチルさんにはまだ私が上手く話せない時、親身にこちらの言語を教えていただいたという恩もあるし、受けても良いんだけど、でもあのナーチルさんのパートナーって…荷が重すぎる…
うんうんと唸る私にナーチルさんは何を思ったのか、その長い黒髪を携えた頭をスッと下げた。
「どうか、お願いします。その代わり、あなたの条件や報酬は全て望み通りにしますので」
私は慌てて立ち上がりナーチルさんの側まで行くとしゃがみ込んだ。
「あああああ!!やめてください!貴方のような方に頭を下げさせるだなんて!私が死罪になります!!」
これは嘘でも何でもない。ナーチルさんを魔術師として惚れ込む人はこの国にごまんといて、その中でも神殿の方達は心酔しているレベルなのだ。
こんな事がバレたら秘密裏に殺されてしまう。うん、冗談抜きにして。
それでも頭を上げないナーチルさんに私は観念した。
「わ、わっ、わかりました!!お受けいたします!なので頭を上げてくださいいい」
最後は半泣きだった。