業務内容
5年前、建築会社で事務員として働いていた私は、交通事故に巻き込まれた拍子に魔術が盛んなこの異世界に迷い込んだ。
言葉も通じず途方に暮れていたところに王騎士の方に拾っていただき王城で保護された。
それから、過去にも私の様に迷い込んで来た日本人が数人いた事例があるということ、またその誰もがこの世界で天寿を全うしている事を知った。
二度と元の世界に帰ることの出来ない私を哀れに思った国王が、しばらくの間王城で暮らす事を勧めてくれた。
王城ではこちらの言語や文化を学んだり、騎士団や神殿などで書類業務を手伝ったりしているうちに、あっという間に5年という月日は流れて行った。
「カスミ、ちょっといいか」
神殿に特別に作られた事務室で午後の休憩にと紅茶をすすっていると、ドアノックの直後、私の返答も聞かずに、その人はズカズカと入って来た。
「私、休憩中なんですけど見て分かりませんかね。あなたの書類を処理した後の美味しいお茶なんですけれど?」
赤髪で短髪の、いかにも騎士様っぽいイケメンである、アスタ・フォン・ダンセンさんは昨日の業務終了間際になって締め切りギリギリの処理を私になすりつけたお方だ。
私のこの嫌味ったらしい言い方も今日ぐらいは許されるだろう。
騎士団や神殿では戦闘や魔術などに特化した方が集まっているため、書類業務などのデスクワークには向いていない人達が多い。
そのため、私はその人たちのいわゆる会計だとか、プレゼン資料だとか、資料探しといった雑用のお手伝いしているというわけだ。
していることは日本での仕事と変わらないため、ほぼ支障なく業務は行えている。
「いつも悪いな。いや、その礼にと思って城下の菓子を買って来たんだ。」
ダンセンさんは真面目なのに不器用だから、ギリギリまで粘って自分でなんとかしようとする。
そのため、期限寸前になってやっぱり出来ないと私に渡して来ることが大変多い。
今まで何度この人のせいで事務室で夜を明かしたか分からない。
でも、私がブチギレるとこうして、ご機嫌取りに何かしら私が喜ぶものを買って来てくれる。
いやあ、さすがに昨日の「こんな書類いつから握ってたんだクソがあああ!!」は言い過ぎたかもしれない。
すっかり機嫌が直った私はダンセンさんを誘って、2人では少し狭く感じる事務室で向かい合って座った。一応、この部屋にも来客用の部屋が続きであるんだけれど、ダンセンさんなら、まあいいやといつもこの部屋で駄弁っている。
程よく甘い蜂蜜で出来たお菓子を噛み締めると自然に頬の筋肉が緩む。うあー徹夜にこの甘さは染みるぜえー、と浸りながら背もたれにばふんと沈むとダンセンさんが整った眉を寄せて心配した表情で私を見た。
「いや、本当にすまなかったな。あのくらい自分でなんとかなると思ってしまったんだ。その、徹夜か?」
「いつも言ってるじゃないですか。あの類の案件は何も考えずに私まで持って来て貰えれば、私は徹夜しなくて済むんですって」
なかなか酷い事を言っていると思う。しかし、この世界には労働基準法なんてもの無ければ、労働組合的なものも無い。
そのため、文句の矛先はついつい依頼者になってしまうのだ。
もちろん、言える人と言えない人とに分かれるけれど。
ダンセンさんは26歳と私の1つ上という事もあって、同期みたいな親密さだからガンガンに言える。
でもこの人意外に凄い人で、王様直々に護衛に指名した騎士団の数少ない1人なのである。
まあ、これは別の騎士団の方から聞いた噂話で本人に聞いたら困った顔で、「まあ、そんな感じだ。」とハッキリしない答えをもらったから、本当かどうかはわからない。
「そういえば、ナーチル殿がカスミを探しておられたぞ。」
「うげえ、あの人に頼まれてた緋の魔術本まだ探せてないんだよなあ」
そういうと、ダンセンさんはフハッと愉快そうに笑った。
神殿のトップ2の肩書きを持つ、ロイ・ナーチルさんは、堅物が服を着て歩いているような人で、腰まである黒のサラサラストレートヘアが特徴。
歴代でもトップクラスの魔術師であるナーチルさんは、まだ若干29歳にしてお弟子さんが何人もいて、その人達に魔術を教えるため様々な種類の魔術本探しを定期的に依頼してくる。
魔術なんてちんぷんかんぷんな私でも分かるように、図書室に振り分けられている棚番号と本のタイトルを書いて依頼してくれるので、スムーズに探すとことができる。
が、時々指定の棚番号に行っても見つからない事があって、そう行った際は期限まで図書室に篭り死に物狂いで探すのだった。
だって、あの人表情ほとんど変わんないから怖いし。見つからなかった時の顔見れないし。美形の真顔って背筋凍るのよ。
それに、私がこの世界に来てこちらの言語を習得するまでの言語や文化の先生だったりもするわけだ。
というわけで言わずもがな、ナーチルさんは私が文句の言えない依頼者の1人だ。
そんなことを話しながら20分ほどしたころ、ダンセンさんがパッと扉の方へ目をやった。
どうかしましたか、と問うより先に扉が軽くノックされ、低い声が聞こえた。
「ノザキ様、ナーチルです。今お時間よろしいでしょうか。」
「うあっ!はい!だ、ど、どうぞ!」
突然の事に驚きすぎて持っていた紅茶を少しこぼしてしまった。それを見たダンセンさんが吹き出す。
「ふふっ、じゃあ私は騎士団に戻るから。またな。」
そう言って立ち上がり、扉へ向かうダンセンさんの背中を恨みがましく睨みながら、すれ違いに入室したナーチルさんを迎える。
この人はいつ見ても綺麗だな。とその容姿を見て思う。黒髪ロングのサラサラストレートに目を奪われたかと思うと次はその人間離れした美形に目が止まる。特に、藍色とも青色とも言いにくい、海色の瞳を見ていると吸い込まれそうになるのだ。
「こんにちはナーチルさん。緋の魔術本の件ですか?ごめんなさい、まだ上巻しか見つかっていなくて、」
「ああ、いえ、今日はその事ではなくて」
「…?別のご依頼ですか?」
「まあ、はい。そういうものです。」
珍しい、珍しすぎる。こんな歯切れの悪い会話はナーチルさんらしくない。いつもならこの間に依頼内容と指示の紙が出てくるのに。
どうしたのだろうか、よっぽど言い出しにくい依頼なのかな。表情はいつもの如く真顔全開だけども。
「あ、立ったままですみません、こちらへどうぞ」
詳しい話を聞こうと、来客用の部屋へと通し、お茶の準備をする。
先ほどダンセンさんにもらったお菓子もお茶請けとして添えて、改めてナーチルさんに話を伺うことにした。
「えーと、ご依頼内容を聞かせてもらえますか?」
私が座ってもナーチルさんは机の角の一点を見つめたまま何も話さない。
仕方なく私から切り出すと、彼は少しの間目を閉じて息を静かに吐いてから海色の瞳をこちらに寄越した。少しだけ苦しそうなその顔は私が初めて見る顔だった。
「私のパートナーとして、夜会に出ていただきたい。」
「は?」




