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桜が咲き、柔らかな日差しが差し込む午後。暖かい教室にパチリと鋭い音が響く。
音の元は俺の目の前にあった将棋板。進めた駒から手を離し、王手と短く言葉を告げる。
「……うーん、やっぱりダメか。結構勉強したんだけどな、浅間には敵わないね」
「そう易々と初心者に負けてなるものか。……白神、お前は駒を守り過ぎてるんだ、確かに手駒は多いほど有利ではあるが、このゲームは王様を取られたら負けなだけで、他の駒を取られても負けるだなんてルールはないんだぞ」
「それは分かってるけどね、なんか勿体無いし、捨て駒にされるだけなんて可哀想じゃない? ……負け越しすぎてて勝てる気がしないなぁ、もう」
肩まで伸びた黒髪を振るい、白神は座布団から立ち上がる。
慎重は百六十程、顔も悪くなく、頭脳も良し。陽気な性格も重なり、こいつは良く異性に告白をされる。
だが何をトチ狂ったのか、こんな将棋部に入ってきたのだ。隠れ蓑にされてなるものか、と当時は憤慨した記憶が思い出され、思わず苦笑する。
「あっ、何笑ってるのさ浅間」
「何、お前が入部してきた時の事を思い出しただけだ。そろそろ時間だ、備品を片付けて行くぞ」
高校三年生。三年目の付き合いともなれば多少は親しくなるものだろうが、俺と白神は違った。
白神の下の名前は桜という。だが俺はこの二年間、白神の事を一度も下の名前で呼んだ事は無い。
そして俺も、下の名前で白神に呼ばれた事は一度も無かった。決して意地の張り合いなどをしている訳でもなく、それが当然のように、俺達は過ごしてきたのだ。趣味は合いこそすれ、根底の部分で馬が合うということはないだろう。どうせ高校の間だけの付き合いで、この将棋部の部室でしか話す事はないのだから。
「先に行ってていよ、私は友達と行くから。でも面倒くさいよね、なんでこんな初日から工場の見学だなんてしなきゃいけないんだろ」
「田舎だからな。就職の斡旋先も工場が多いだろう、この高校は。向こうからの要望で入学式が終わった午後に見学を指定されたとしか思えん」
「はー、休みたい。でも日数が……、卒業したら都会に出たいな、東京とか。きゃぴきゃぴした大学生生活、送りたい」
教室から出て行こうとする俺を見ながら笑う白神の姿は、可愛いと言えるものだ。
窓から差し込む光に照らされ、僅かばかり黒髪が明るい茶色のように見え、風が毛先を躍らせる。
「人が多いところ何てごめんだ。……お前みたいなやつは東京に出ても何もなく、あっという間に卒業して働いて、無難に死ぬタイプだよ、きゃぴきゃぴなんて夢見過ぎだぞ」
「堅物ジジイにそんなこと言われるなんて癪だね? まぁいいや、また明日にでも将棋指してね」
「あぁ、構わん」
立て付けの悪いドアを閉め、俺は教室を後にした。
・・・・・
学校発。校門前に止まっていたバスに乗り、大体一時間。海沿いに聳え立つ工場地域へと俺は辿り着いた。深い関わりを持たないただのクラスメイトと、この工場はどんな会社で、などといった話をしながら正門を抜ける。仮入校証ということで、ゲストと書かれたネックプレートを受け取り、奥へと進んで行く。
聞きなれた声が背後から響き振り向けば、白神も着いているようで、普段から仲良く話していた女グループでわいわいと話していた。目線が合うも、お互いに話すことなく、視線を外す。
「あー白神さんって本当に可愛いよな。なぁ浅間、お前と同じ部活なんだろ、紹介してくれよ、性格がいいイケメンがいるって」
「中身は中々捻くれてそうだけどな。それと、性格のいいイケメンなんてどこにいるんだ?」
「ここ! ここ!」
苦笑いをし、俺達は施設の中へと足を進めて行く。管制塔のようなところまで案内され、透明なガラスの自動ドアが開かれた。そこに一歩を踏み出そうとした瞬間に――例えようのない強烈な、嫌な予感が背筋を這う。嫌な予感、不安感。不意に振り向けばそこにいた白神の姿は無く、作業帽子を被った係員が一人だけいた。微笑み、のような対外的な笑みを浮かべたその係員は、俺の行動に疑問を感じたのか、口を開く。
「大きい工場は初めてですか? 私達の工場は作業員の安全を考え、設計建築をしております。この管制塔がいきなり崩れるなんてありませんよ? それとも、気になる建物でもありました?」
「いえ……特には」
「……あぁ! 先ほどの女子生徒さんらは別の箇所の見学に向かってもらってます。あまり人数が多いとこちらでの安全管理も難しくなってきますので、既に出来ているグループ単位で分けさせて頂きましたが……そちらの方に移りますか?」
「結構です。この管制塔から宜しくお願いします」
あんな騒がしいところにいたら精神が磨り減る。勘弁してくれ。ただの勘違いか、そりゃそうだ、ただの予感なんていくらでもあるし、そんなものを一々真に受けてたら仕方が無い――。そうして俺は、管制塔へと乗り込んで行く。
そして管制塔へと入る為に自動ドアを潜り抜けた瞬間。鼓膜が破けるかと思うほどの轟音と共に、視界を白の閃光が埋め尽くし――何かに溶かされて行くように感覚が消えうせ、最後には意識を手放した。
・・・・・
気づけば俺は暗闇の中に一人立っていた。朦朧としたまま首を捻り、辺りを見渡そうとするが全ては黒に包まれている。立っているかさえ分からなくなりそうな暗闇の中、意識が明確になり――最後のあの瞬間が蘇ってきた。一瞬のあの溶かされていくような感覚、ここは夢の中なのか、と考えるが答えは出ないまま頭を捻っていると。
「お待たせ、浅間信長くん。こんな辺鄙な所で待たせてしまって悪かったね」
やけに軽いノリの女の声が響き、指を鳴らしたような音が空気を揺らす。
刹那、暗闇に包まれていた世界は一転。明るい緑の草原、そしてどこまでも透き通った空、平原へと変わっていった。吹き抜ける風は柔らかい新緑の香り、とても夢とは思えなかった。草原へ倒れこんでいた俺を、しゃがみこんで見ていたのは肩より少し伸びた程度の銀の髪を持った女の姿。瞳は髪の色と同じ銀色で、病的なまでに白い肌に白のワンピース姿だ。そんな彼女はこの草原で、一際浮いた――、いやまるで別次元の存在のように感じた。
「……あんたは? 俺の名前を知っているようだけど、ここはどこだ。大概、こういうのは俺が見ている夢っていうのが妥当なんだろうが――」
「ううん、残念だけど夢じゃないんだよね。この香る風も、落ちそうな程に澄んだ空も、そんな夢なんてものに見える? ……名乗るのが遅れてごめんね、私の名前は……シャーリィ。君の道標役として、ここに来たんだ」
「シャーリィか、覚えた。で、夢じゃないっていうのはどういうことだ? 推測だが、俺はあの工場に入る瞬間に貧血、または自分が罹患している事に気づいていない病気のせいで倒れ、こんな白昼夢を見ていると思っているんだが」
「私からは全部話せないけど、簡単に言えば君は死んで、ここに送られてきたの」
困ったような表情をして言うシャーリィ、その瞳に嘘の色は見えない。だが唐突に死んだ、と言われても納得出来るわけが無い。
「そうか。じゃあその証拠となるようなものはあるのか? 悪いが納得できないまま物事を進めるのは嫌な性質なんだ」
「……お勧めは出来ないけど、死体を見るくらいなら見せられるよ。見せるというよりも、五感で死を実感させる、だけど」
自分の死を五感で感じる、か。傑作な夢だ、そんなもの見れるわけなかろうに。
しかし俺はこんな夢を見るほど現実に不満を感じていたのか……?
「あぁ、見せてみろ」
そう、適当に答えてしまったのが運の尽き。
「……君は、壊れないでね」
・・・・
視界が転換される。俺は何かを見下げていた。やけに鼻に付く匂いが辺り一帯に充満している。ここはどこだ?
辺り一面は廃墟と呼ぶに相応しい荒れ具合。鉄骨は刺さっているし、煙も上がっている。廃墟というよりも、現在進行形の事故現場といった方が正しいのかもしれない。そんな中、俺は一つのモノに気づく。判別しずらいがそれは人型のような、もので――。気づいた瞬間に俺の宙に浮いているような視界はぐっと、引き寄せられるようにそれに近づいた。
近づくに連れて、嫌悪感を感じる匂いは濃度を強めていき――一メートル程の距離まで近づいた所で、俺はやっとこの視点の意図に気づいた。この黒いものは俺だと。半身が解け、よく分からないものになっているが、これは俺だ。ぎりぎり残っていた腕に付いている、時計のメーカーで気づいた瞬間、強烈な吐き気が異からせり上がり――嘔吐する感覚が口内に広がった。
・・・・・
「別に見せたのは私だから構わないんだけど。背中なんてさすってあげるんじゃなかった……」
「……許せ。俺にも我慢できないものはあるし、まさかこれが夢じゃ薙いだなんて可能性を考慮していなかった」
どうやら視界が変わっている間もこのシャーリィという女は俺を心配し、背中をさすっていたのだという。そこに俺が吐き気を催し、ゲロをぶっ掛けたと。酸っぱいような匂いが立ち込めていたが、シャーリィがため息と共に指を鳴らすと、嘔吐物の匂い、そして汚れは一瞬にして消え去って行く。
しかし、酷い光景だった。俺であの姿という事は、あの近辺にいた人たちは皆ああなってしまったということか――何故かそう考えると、胸の辺りが傷んだ。
「信じてもらえたところで本題、君にはこのまま死ぬんじゃなくて、ある世界で、ある命題を果たしてもらいたいの」
「……生まれ変わりってやつか。しかし命題、ってなんだ?」
胃はまだ吐き気を訴えているが、大体出したのでもう出るものは無い。
シャーリィは先ほどまでの表情とはうって変わり、凛とした瞳で俺を見据えていた。
「それは――生まれ変わった先の世界を、君が統一して。決して、他の誰にも王の座を渡しちゃダメ、君が統一するの」
「恐ろしく具体的じゃないな。到達点は明確にしてくれ」
「……君が力なり知なりを持ち、他の王となろうとする者たちを全員退けて、君が王になればいいの。期限は君の年が二十を過ぎるまで。生まれ変わった直後は十五歳だから、丁度五年間の間にね」
「笑い話にもならん、却下だ。そんな力も無いし知もない。条件を緩和するのであればその命題の達成に向けて頑張っても構わないが――」
「無理よ、君は必ず次の世界で命題を達成することを選ぶわ」
「……随分と自身有りげだな、シャーリィ。そんな根拠があるのか?」
「ええ、あるわよ。まず一つ、命題を達成すれば君には『願いを現実にする』権利が与えられる。当然、君の死を無かった事にして、君が死んだ原因の事故さえも無かった事にして、日本へ帰る事が出来るわ」
なんでも願いを現実にする、か。それは凄い興味深い。
実際に手にして、実現する事を確かめたい――そんな衝動に襲われる。
「それが嘘か真かは分からんが、いいだろう。その生まれ変わりとか命題とか、乗ってやる。……で、そう決めたはいいが、俺はどうすればいいんだ?」
俺の返答を聞くとシャーリィは嬉しそうに顔を綻ばせ、宙から一枚のカードを取り出し、俺へと手渡した。
「渡したカードがあるでしょ、それは特別なもので、君に力を与えるものだから……えっとね、真ん中の丸いところに指を押し付けてみて」
言われるがままに渡されたカードの真ん中、魔方陣のようなものが書いてある場所に親指を押し付けた。暫くそのままにしていると熱が体の中へと流れ込み――カードが溶けるように消えている。ぐっと握り拳を作ると、普段よりも力が漲っているように感じた。
「出来たね、じゃあ自分の能力を見たいと念じて、オープンって言ってみて」
「……こうか、『オープン』」
自然と、前々からずっと知っていたかのように、脳裏に情報が羅列されていく――。
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<スキル>
1.<固有スキル:衝撃 Lv1>
衝撃を生み出すことの出来るスキル。
2.<身体強化 Lv1>
身体強化。レベルに比例し効果は上昇する。
3.<識別眼 Lv5>
相手のステータスを閲覧可能。閲覧成功・失敗はレベルにより判定される。
4.<固有スキル:魔眼(左目)>
相手の動きを阻害する。
<ステータス>
筋力/E(物理的な力の事)
耐久/F(物理的な防御力の事)
敏捷/E(素早さの事)
技術/D(細かいことを行う力の事)
魔素/A(本人が所持している魔素総量)
魔術/F(行使できる魔術のレベルの事)
精神/S (本人の精神力の事)
固有/B(所持しているスキルのランク)
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「どう、見れたかな。……初めはスキルも少ないけど、君が会得した才能はまだまだあって、それは経験を詰んだり、何かがきっかけになって開放される筈だから頑張ってね」
「……これで玉を取れか、中々厳しいと思うが――そこは戦略でカバーしてやるさ。どうせこの『識別眼』はスキルの深い説明も読めるんだろ、後で熟読するよ」
「ふふ、説明の手間が省けて良かった。それじゃあ今から送るけど、心の準備はいいかな?」
「いつでも構わん。自分の死体を見たんだ、今更どこへ行こうと、あれほどの驚きはないさ」
「君が命題を達成してくれることを祈ってるよ、浅間信長くん」
足元から光に包まれ、意識が少しずつ薄れて行く。
なんとなく分かってはいたが、野暮だと思い質問さえしていなかったことを、聞いてみることにした。
「なぁシャーリィ。……お前って、神様とかの類なのか?」
「おっそい質問だね――そうだよ、とても悪い神様なんだ」
――意識が途絶える寸前に、シャーリィはどこか切なげに、笑って見せた。
何故そんな顔をして笑うのか、聞く暇はなかった。
・・・・・
浅間信長を送った後、シャーシィは草原へとへたり込んだ。どうにか邪魔せずにジョーカーを送り込めた、という安堵感。神様か、と聞かれて、意地悪な神様と応えた自分に、思わず苦笑が零れる。その直後、シャーリィの背後に、宙から染み出すように色が伸び――人の形を結ぶ。そこには燃えるような紅蓮色の髪を持った、筋骨隆々とした男の姿があった。それは優しい笑みを向け、シャーリィへと言葉を掛ける。
「……シャーリィ。良くやった」
「うん、頑張れたよ、アレにも気づかれなかった」
「だがお前が送った人間に持たせたスキルカードは……いいのか、あれは成長すれば、必ずやお前に怨恨を向けるぞ」
「いいんだよ、このままじゃアレに必ず命題を達成されて、丸ごと滅びちゃうもん。それに、『聖典』、『魔皇』、『剣聖』――果てに『英雄』のカードまで取られてるんだ、あれくらい渡さないと命題なんて到底達成できないよ、きっと」
シャーリィは強く拳を握ると、気持ちを奮い立たせ、言葉を紡ぐ。
自分の意思が折れないように、まるで自身を鼓舞するかのように。
「頑張らないと。うん、頑張らないと。でも、彼に事情を伝える事が契約で縛られているのが歯がゆいよ……」
「それは仕方が無い、我々神族は契約で詳細を伝えられないからな。……シャーリィ、無理はするなよ、決してアレに漏れるような真似はするな。もしも漏れれば――」
「分かってる、私は大丈夫だから!」
そして草原に佇む二人は、同時に吹き抜ける風に溶けるように、その場から姿を消した――。
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