#05 サクラの季節
#〇五 サクラの季節
あたしが逃げ出して、三年。
東京に出たあたしは座長の紹介で、声の仕事をさせてもらって、生きている。声優さんなのだ。演劇とはちょっと違うけど、あたしにはこれの方が天職だと思えるようになれた。演技というところでの、差異はないんだし。
そして今は四月。幸運にもレギュラー番組をもらっているあたしに、この時期休みなどないのだが、どうも大人の事情でぽっかりと四日間の休みができてしまった。
だからってわけじゃない。実家に帰ろうと思ったのは、きっと三年っていう時間のおかげだ。
あたしは結局、朔良ちゃんを失くしてから、一度も泣いていない。きっとそれはとっても薄情な事なんだろう。大好きな人を亡くしても、逃げ出しただけで、涙のひとつも流さないんだ。
鬼だろう。
「ふぅ……」
あたしは駅からの長い坂道にうんざりしながらも、近付いてくる天辺のピンク色の塊に心を躍らせる。ウンちゃん(自転車)は東京にあるので、徒歩なのだが坂道ってトコを除けば、それもまぁ悪くない。いつも風にでもなったかのように走りぬけるだけだった景色さえ、なぜか新鮮。とても二十年も見続けていたとは思えない。まぁそのうち十年くらいは記憶も曖昧な子ども時代だけど。
時折吹く、春特有の強めの風に乗って桜の花びらまで飛んでくるんだから、それも仕方ないか。
三年っていう時間は色んな機会をくれた。残念ながら泣けなかったけど、色々考えられた。
あの時、朔良ちゃんはあたしが男の子でなくて、残念だって言った。でもあたしは女の子でよかった。
多分、あたしの好きに違いはなかったと思う。でもあたしが男なら、毎年のお墓参りは欠かさなかったはずだ。そしてその度にお墓にしがみついて泣いただろう。
でもあたしがしたのは命日にお花を贈る、お盆にお供えをする。そんな社会人の一般常識で終っちゃうような事だけ。
なんてドライなやつだろう。まったく……おじさんおば様にばったり会っちゃったら、どんな顔すればいいのだ?
「疑問の通り、この足も少しは迷ったりすればいいのに、最短ルート選んでるもんな」
あたしは坂道を途中で折れて、長い階段を選ぶ。ウンちゃんの時は選択できなかったけど、徒歩ならこのルートがいいだろう。
それは丘の上にある、朔良ちゃんのお家近くの公園に直接繋がる階段なのだ。坂道の崖の途中に突然現れてる魔法の階段みたいなもんだ。
「よ、ほ、や……と」
階段の一つ一つの隅っこに桜の花びらが吹き溜まっていて、それこそ夢心地。最近ここいらは雨も降っていないらしく、花びらも綺麗なままだ。
いくら坂道を大胆にショートカットしてるといっても、長いのだ。やっと頂上が見えてきた頃には、薄っすらと額に汗が張っていた。
化粧っけとかないあたしは、大胆にカットソーの袖口でおでこを拭う。
この公園は立地が最悪で花見客など昔からいない。そもそも子どもの遊び場としての色が強いので、そんなことはしないのだ。
だから実は、隠れた最高の桜名所でもある。公園を取り囲むように、バカみたいに桜ばっかりが植えてある。まったく誰の趣味かは知らないけれど、昔から感謝してるのだ。
だから、段々と迫ってくる視界の開ける瞬間に期待が膨らむ。階段をのぼったその先は一面の桃色世界なのだ。そして、その中では春休みの子どもたちが遊んでいる。
「それはちょっと、期待していい平和な景色でしょ?」
あたしは気味悪く独り言にほくそえんで、期待を溜める。
だが、それにしたら聞こえてきてもいいだろう子どもたちの笑い声がないぞ。
あたしは期待に少しの不安雲がかかってしまったので、最後の二段をすっ飛ばして頂上に至った。
出会った景色は想像の通り。小さな頃から見続けてきた春の定番。ただ、年々少しずつ小さく見えるようになるだけで、変わらずにいてくれる景色。
ただ、期待した子どもたちの遊ぶ姿はなかった。みんなインドア派なのか。
「ん……?」
でも、たった一つ視界に影があった。
あれ、でも大きな影からちっこいのが離れて、こっちにくるぞ……。
「わ、わ……」
それはあっという間にあたしの真下までやってきて、ロールアップジーンズの足にしがみついた。頼りない足取りのくせになんて速いんだ。
そしてあたしが固まっていると、奥からこの赤ちゃんを呼ぶ声がした。
「セツカちゃ~ん、雪花ちゃん~」
ん、間違いないだろう。この子の事だ。ん~でも何だろう、すごく聞き覚えのある声だぞ。
「ああ、どうもすみません。ご迷惑を……あ、あら! 雪緒ちゃんじゃない!」
「あ……」
それはおば様だった。会ったらどうしようって思ってた人に、一番最初にご対面。まったく神様はあたしが嫌いなのか?
「あの、お久しぶりです」
「本当ねぇ……三年かしら? 毎年事ごとに、お供えありがとうね……あら、でもご実家には戻ってないって聞いたわよ」
「あはは、ちょっと忙しくって……」
と、のん気に世間話をしているが、この雪花ちゃんだっけか、あたしのジーンズの裾を離さないんですけど。
「まぁ、雪花ちゃん。やっぱり雪緒ちゃんが好きなのかしら」
「んあ、やっぱり?」
いや、初めてこの子を見たのに、やっぱりっていうのはおかしいんじゃ…………。
なんてさ、逃げるのはもうよそうよ。
あたしはこの子が誰なのか、知ってるでしょ。そして、やっぱりの意味だって。
「ほら、おいで」
おば様は後ろから雪花ちゃんをつかまえて抱きかかえる。
「雪緒ちゃん、この子ね、朔良の娘なのよ」
「うん、そんな気がしてました」
あたしはかっこ悪くニヤニヤして、汗で湿った髪の毛をかいた。
「名前はね、雪花っていうのよ。朔良ったら、ノートに名前残してたのよ。男の子ならこれ、女の子ならこれって。ちゃんと意味までかいてあるの……面白いわよね」
「朔良ちゃんらしいです」
「それで、字が雪に花って書くのよ。どうしてもあなたから一文字もらいたかったのね……」
「え…………」
少し風が吹いて、花びらが散って、あたしの尻尾が揺れた。
「ねぇ、抱いてあげてくれるかしら?」
「あ、はい……」
わけのわからないまま、あたしは雪花ちゃんをわたされる。自慢じゃないがあたしは赤ちゃんなんて抱っこしたことない。だから、抱き方がわからない。
でもそこはおば様のほうが一枚上手で、あたしは手を出すだけでそのまま、胸に入れてくれた。
ふっかりと柔らかくてすべすべで、体温でとろけそうな冬季限定チョコレートみたいな感じだった。
そして、目が合った。
あたしは見知らぬ人だし、きっと泣き出すだろうと思っていた。
「あ…………」
でも笑っていた。
もしかしたら、あたしの背後にある桜をみて笑っていたのかもしれない。
でも笑っていた。
笑っていたんだ。
朔良ちゃんと同じ顔で。同じ仕草で、同じにおいで。
「朔良ちゃんの花びらだ、この娘は……」
自然とそんな言葉が出ていた。そして、声が震えていた。意図的に作った震えじゃなく、気持ちが奥底から湧き出てきて、勝手に感情や表情を侵食しちゃうもの。
「朔良ちゃん……」
あたしは花粉症じゃない。春も秋も年中大丈夫。
でも風が目に染みて、桜の匂いが鼻をくすぐって、朔良ちゃんを呼び起こす。
ずっとずっと逃げていた。
この街……朔良ちゃんと巡った場所はほとんどない、朔良ちゃんとの場所は、あの部屋だけと言ってもいい……けど、ことある度に朔良ちゃんを思い浮かべていたあたしの心には、目には……この街のどこにでも朔良ちゃんとの想い出が張り付いてたんだ。
だから、逃げたんだ。
そんなあたしのほっぺをもみほぐそうと伸びてきた、小さな小さな手がぺたりと触れる。
そしてまた笑い出す。
あはは、だっておかしいよね、おかしいもんね。
こんなに濡れてるんだもん。びちゃびちゃだもん。でもね、これ止まらないみたい。どんどん、どんどん溢れてくるんだ。
きっと三年分だから……メスシリンダーで測りたい気分。
普通、抱っこしてる人がこんなに泣いちゃってたら、泣くでしょうに、雪花ちゃんは笑ったまんまであたしのほっぺをぺちぺちしてる。朔良ちゃんと同じ笑顔で遊んでる。
だからあたしの涙は止まらない。
あたしは三年かかってやっとこの奇跡を認めたんだ。
そして三年かかってやっと、奇跡の終わりも認めたんだ。
ごめんね、こんなにもかかって。
ごめんね、ずっと嘘ならいいのにって信じてた。
ごめんね、怖くて戻ってこられなかった。
ごめんね、ごめんね、ごめんね。
大好きだった人がいなくなって、泣くのに三年もかかってごめんね。
ありがとう朔良ちゃん、奇跡を残してくれて。
ありがとう朔良ちゃん、この娘に逢わせてくれて。
朔良ちゃんがあたしを愛してくれたみたいに、雪花ちゃんも、愛するからね。
朔良ちゃんがいっぱいいっぱい愛してくれたみたいに、あたしも雪花ちゃんをいっぱいいっぱい愛するからね。
奇跡をくれてありがとう。それが続いていくものだって教えてくれてありがとう。
さようなら、大好きだった朔良ちゃん。
こんにちは、大好きな雪花ちゃん。
二人分なんて大それた事言えないけど、いっぱいいっぱい大好きをあげるからね。
思わず頬に摺り寄せた桃尻頬。それこそ、溶けるようになめらかだった。
「にぎゃ!」
でも、雪花ちゃんはあたしの尻尾をすかさず思い切り引っ張った。そしてそのままお口へインサート。
ひとしきりもぐもぐして、また笑っている。
うん、本当に朔良ちゃんの残してくれた奇跡だ。お母さんと同じものが好きらしい。
ちょっと、元気過ぎて手強いかもしれないけど、挫けずに、大好きをあげることにします。
あたしが朔良ちゃんにもらったもの、きっとあたしが朔良ちゃんにあげられたもの。
全部伝えていきたい。
全部伝えて生きたい。
あたしのこれからも全部、
伝えて、生きたい。
「ゆ、き、お……?」
胸に抱いた奇跡が、天使の詩を春風に乗せた。
(了)