帝国の傲り
「な……なんだ、あれは……?」
帝国の者たちは混乱していた。
突然現れた、正体不明の銀のドラゴン。それは、これまで味わったことのない畏怖と、絶対的な力の差を感じさせる存在だったから。これまで“最強”の国家として、多くの国々を落としてきた彼らにとって、龍神という未知の存在は、黒皇竜が登場した時以上の衝撃だった。
シュベリアの同盟国でも噂が流れている程度で、事実であるなどとは思っていなかった。ガルドが他国には、たとえそれが同盟を組むほどの仲であっても話さなかったためである。
ゆえに、両陣ともに、指先ひとつ動かすことができず、ただ空に浮かぶドラゴンを見ているだけだった。
ただ一人、黒皇竜メアリー・レイドだけが、恭しく跪く。美しいドレスも、漆黒の艶のある長い黒髪も地面につくが、それを全く気にせず、当然のように行動に移した。
――六皇竜の一角が跪く――
これがどれほどの事態なのかを理解できないほど、ヒトはバカではない。
動揺・畏怖・恐怖・羨望――様々な感情が渦巻く戦場。龍神はそんな光景を目にとめ、口を開く。
『――貴様ら、ここで何をしている』
決して怒鳴ったわけではなく、ただ、普通に質問をしただけ。しかし、全身から発せられる威圧感が、そう感じさせはしなかった。
『答えよ、人間。貴様らはこの地にて、何をしている』
誰も答えられない、答えることなどできるはずもない。だからなのか、あらかじめ決まっていたことなのか、メアリーが跪いたまま答える。
「……我らが王、龍神様。私は、黒皇竜、メアリー・レイドと申します。……恐れながら、私がお答えさせていただきます」
小さく、それでいて戦場中にとおる澄んだ声。誰もが耳を傾けた。
「……ウェスペリア帝国が私欲の為に、シュベリア王国に侵攻を。我々は……その阻止のため、現在抗戦をしております」
その言葉に、龍神は黄金の目を輝かせ、ギロリと帝国に目を向ける。
『なぜ、他国に攻め入る?見たところ、貴様ら帝国は立派な技術と人材を持っているようだが?他国を攻めてまで、貴様らは何を求める』
「……例え龍神とはいえ、答える義理はないな。我々は“覇”を唱えているだけだ」
さすがは将軍クラス。龍神から発せられる威圧を浴びながらも、気丈に答える。
しかし、内容はかなり無礼なものだ。もちろん、これに思うところのあるリュートだが、今はそれどころではない。
シュベリア側からどす黒い怒気を放つ女が一人。これは止めなければ、今すぐ死人が出ることは間違いがないだろう。
『……抑えよ、黒皇竜』
「……申し訳ありません」
なんとか抑えてもらい、話は続く。
「ひとつ言っておこう、龍神、黒皇竜。もう、竜がこの世界の頂点である時代は終わったのだ。時代はすでに、ヒトのもの、いや、我ら“帝国のもの”なのだ!古き時代は消え去るがいい!」
先ほどの男が声高々に意思を示し、それにつられて1人、また1人と同調する兵士たち。中には自分の心を無理やりあげるために行ったものたちも多いだろう。しかし、帝国の者たちは今、完全に士気を取り戻した。
「聞けば、“ウロボロス”という竜を殺す神器を持つ者たちもいるらしいな!今はもう、ヒトが竜を狩る時代。竜など、もはや恐るるに足らず!」
龍神は何も言わず、ただじっと聞いている。そのことに押されてか、ますます勢いが止まらなくなる。
「そして、我らにはその力がある。この――――巨大魔導収束砲“ウルスラグナ”がな!」
彼が指差すは、空に浮かぶ魔導船。その威力はすでに身をもって知っているシュベリア側の兵士たちは、委縮してしまう。確かあの威力なら――そう考えてしまう者たちもいるほどだ。
「龍神ほどの存在を消したともなれば、帝国の名に更なる箔がつき、この世で帝国に勝る力はないと証明できる!貴様には、ここで死んでもらうぞ‼」
将軍の声で巨大魔導収束砲ウルスラグナが機動を始める。魔力タンクにためられていたある魔力を凝縮・装填し、発射準備が完了する。
「ま、またあれが放たれるのか……ッ!」
シュベリアの者たちは完全に委縮しきっており、恐怖に顔が歪んでいる。
対して、帝国の者たちは怒号のような声をあげ、その瞬間を待つ。すなわち、帝国が誇る最強兵器が銀の竜を撃ち取る時を。
「――――放てぇぇッ‼‼」
獰猛な笑みを浮かべ、叫ぶ。
帝国の期待が、希望が、野望が詰まった魔導砲は、目を焼かんばかりの光と轟音と共に発射され、龍神へと直進していく。シュベリアの者たちは気付く。これは、自分たちが喰らったものよりも威力は上だということを。
そして龍神は、避けるそぶりも見せず、その場から全く動かなかった。視界を埋めつくすほどの閃光の中で気づいたあるものに目を見開かせ、そして――――
――――巨大な爆発が起こった。
離れていても感じられる熱に、爆風に、耳をつんざくような轟音に、下にいる兵士たちは吹っ飛ばされる。
「――ははッ……やった、やったぞ。――――――龍神を、撃ち取ったぞぉぉおおおおーーーーッ!!」
その者は勝利を告げる。
表情は、片や喜悦、片や恐怖。
帝国の者たちは確信した。やはり、我々こそがこの世で最強なのだと。ドラゴンは、もはや恐れるだけの存在ではないことを。
――――まったくもって、愚かな考えを持っている……。
ある兵士が気づく。煙の中にある、大きな影に。それに釣られ、他の者たちも次第に注目していく。
“まさか”“ありえない”そんな感情が心を占めていく。喜びが疑問に、そして恐怖へと変わっていった。
煙の中から現れたのは、全く変わらず、威風堂々と浮かんでいる龍神の姿。
所々に裂傷が走っているが、それが逆に、龍神の凛とした姿、戦場にて雄々しく浮かぶ凛々しさ、そして爆風によって雲がすべて吹き飛び、太陽の光が後光となって射す神々しさを惹き立たせていた。
みるみる傷が治っていき、数秒とせずに完全に修復した。先ほどの爆発がまるで嘘であったかと思うほどに、そこには変わらぬ姿があった。
「……ぅ、嘘だ……これは、ゆ、夢だ……」
「は、は……そうだ、その通りに違いない……だって、こんな――――」
「こんなこと……あっていいはずが、ないんだ……」
帝国の者たちにとっては悪夢だろう。しかし、純然として事実が目の前に浮かんでいる。その悪夢の、続きが始まる。
『我が鱗に傷をつけたその魔力……そうか貴様ら、【竜滅の神器】の者たちとつながっているな?確かに奴らなら、竜を殺すことも可能だろう。その為の武器を持っているからな。
だが……――――――――我らを舐めるなッ‼この程度の威力で我を殺せるなどと、思い上がるでない‼』
龍神が咆えた。大地を揺るがし、空気を震撼させるその声には、どのような感情が込められているのだろうか。兵士の中には、両陣関係なく、泡を吹いて失神する者が続出している。
龍神の体から魔力が漏れ出し、それが凝縮し、様々な属性へと変化する。それらが地面を一直線を走る。そうして出来上がったのは、両軍の境目をはっきりとさせる溝。大きく、底の見えない溝である。
ゴクリと唾をのむ音が聞こえる。それが誰の者かなど、わからない。周囲から聞こえてきているものでもあるだろう。自分のものかもしれない。それがわからないほど、彼らの頭は恐怖で働かなかった。
『さて、これも邪魔だな』
次に狙いを定めたのは、ウルスラグナ。睨まれ、ようやく認識した操縦者たちは、這う這うの体で騎竜に乗ってその場を離れた。
その直後、ウルスラグナを銀の柱が包み、次の瞬間には何もかもが消え去っていた。
もはや笑うしかない。この理不尽すぎるほどの力に。悪夢に。初めて味わう、“死”を超えた恐怖に。
『これで自覚したか?己がいかに傲慢だったかを。これでわかったはずだ。貴様らは、自分たちの力が及ぶ範囲のみで争っているということを』
崩れ落ちる帝国の兵士たち。完膚なきまでに負けた事実が、絶対に勝てない存在がいるという事実が、もはや戦う意思をもぎ取っていった。
――――しかし、彼らは知らない。
――――龍神の正体が、悪戯が好きなドSだということを。
――――彼が、この程度で終わらせるわけがないということを。
『まだ終わっていないぞ?なに、安心しろ。我が知る言葉に、“喧嘩両成敗”というものがあってな。最後は両方に等しく逝かせてやる』
え?という声が聞こえる。何を言ったのかわからないという表情で見上げる彼らの表情は、なんとも間抜けで面白い。
龍神は一瞬、メアリーに目で合図をすると、再び魔力を集中させた。
先ほどの言葉と併せて考えれば、誰でもわかる。次は、自分たちを狙ってくるのだということを。
逃げ始めるものが出る中、龍神の準備は完了した。
『――――龍神の息吹ッ』
龍神のみが扱える属性――それは混沌。すべてを消滅させるその特性ゆえ、帝国軍が急速で展開した魔力防御陣など無意味である。
銀の輝きが、両軍を襲った。
…
……
………
「――――あれ?」
「お、おい。俺たち……生きてる?」
「それともここは、あの世……ッ!?」
自分の体や意識がまだあることに気付いた者たちが、そっと目を開ける。意識が覚醒してくると、感覚が戻ってくる。
彼らは奇妙に思う。身体が異様に軽く、そして何故か、肌寒い――と。
周囲を確認できるほどになったとき、彼らは目を見開く。周囲の者たちは――――裸だったのだ。
「ぎゃあああああああああああッ!?」
「うわああああッ、お、俺の武器が、鎧があああああッ‼」
「おええええええええええッ」
龍神のはなったブレスが消滅させたもの、それは、兵士たちの「装備」だった。武器、鎧、そして衣服までのすべてが、きれいさっぱり無くなっていたのだ。
ちなみに、メアリーの服は消えてはいない。リュートの目の合図により、一瞬、別の地に影転移していたためだ。せこいと思われるかもしれないが、メアリーでもあの魔力を防ぐことはできず、また、女である為に、服が消えるという事だけは避けたかったのだ。これは仕方があるまい。
もうひとつ言うと、リュートのナイスコントロールにより、被害は帝国軍甚大、シュベリア軍極小となっているのだが……現時点でそれを気づく者はいないだろう。
「お、俺の魔剣が……」
そう、問題はここだ。帝国軍の将軍クラスの者たちは最高ランクの魔剣を、それ以外の者たちでもかなり精巧な作りの武器を持っていた。それらがすべて消え去った――――精神的にもダメージが半端ではないだろう。
『命だけは勘弁してやろう。その状態では戦いなど不可能だろうし、何より生涯背負っていくだろう恥をもったのだ。大人しく国に帰るがよい』
気軽に残酷なことを告げ、龍神は翼をはばたかせて、はるか上空へと飛び去って行った。
後に残ったのは、視界一杯を埋めつくす裸の大の大人という、ある意味で地獄絵図の光景だった。
メアリーも消える。理由はただ一つ。
「……ここ、汚い……」
……だ、そうだ。
***
戦争があっけない結末となったその時、戦場の近くの森では二人の男がいた。一人は笑い、一人は仏頂面。
二人に共通しているのは、まるで気配がないという事だけ。まるでそこに存在していないかというほどに。
「……おいおい、あれが“龍神”ってやつかよ……。いろいろぶっ飛びすぎだろ……。ありゃ確かに俺たちにどうこうできる存在じゃねえな」
彼は両手に黒い手甲を付けていた。その顔は笑っているが、声はどちらかというと緊張を含んだもの。龍神という存在を目の当たりにして、その力の絶大さに冷や汗をかく。それは、もう一人も同じ事。
「それにしてもよ、おい。じじいたちが頑張って造ってた……なんだっけ?ウルスラグナ?が、いとも簡単にやられちまったじゃねえか。どんな気分だ?なあ、どんな気分?」
「……やかましいわ。殺されたいのか?」
わずかに怒気の含んだ声は、普通の一般人の心の底まで凍らすかのような冷徹なもの。しかし、その声を向けられた男は笑っていた。
「カカッ。ざまあみろ、くそじじいが」
「黙れ……。わしはもう戻る。次の作戦に入るでな」
「そりゃごくろうなこった。せいぜいマシなものを造るんだな」
「貴様を殺せるほどの物なら、簡単に造れるわ、小僧が」
「ほざけカスじじい」
最後にいつもの如く言い合いをしたと思ったら、一人の男が消えた。しかし、まだ一人が残っている。彼は考えを巡らせる。ある素材を見つけたからだ。
「……うん。なかなか使えそうだし、あいつで別にいいだろ。新しい仲間は、前の奴と違って壊れにくいものにしねえとな」
もう一人もその場から消えた。彼が向かう先は――――――帝国である。
これで戦争編は終わり……というわけではありません。まだまだ続いております。
皆様も予想しているであろう、あれがあります。
お楽しみに!




