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第八章 〈 十六時二十分 リハーサル 〉

「リハーサルはじめます」

 ADの合図で出演者たちと代役のラグがセットの中に入った瞬間、現場の空気がさきほどまでのテストの時とは異なっていることを、その場の善意が感じていた。

「君、ラグ君なの?」

 クロサキが、紺色のスーツに身を包み前髪を軽く分けてスタジオに姿を見せたメガネなしのラグの顔を見て呆然とする。

 シャワーを浴びて、ヘアメイクさんに顔をセットしてもらったのだと、ラグが照れながら話した。

 それはクロサキだけではなく、エリカやケイン、そしてほかのスタッフも一様に同じ表情だった。

 艶のあるストレートの栗色の髪と、穏やかで優しげなこげ茶色の瞳、整った顔だち。180センチ近くはあるだろう長身。

 優しげな面差しが、ライトの中でさらに引き立つ。

「ラグのメガネは、この二枚目顔を隠すための伊達メガネだからな」

 レンがおかしくてたまらないといった表情を隠しつつ、周囲の唖然とする反応に内心受けまくっているのがその瞳から感じ取れて、ラグは困ったように瞳にかかる前髪をかきあげる。

「レン。僕はモデルじゃないから、おだててもノリノリのポーズはとらないよ」

 誉められても自分への真の賛辞と受け取ることがないようだった。

 カメラマンの世界では、海千山千の誉め言葉テクニックがあきれるほど飛び交っている。

 内情を知りすぎて、「誉め言葉」が真意とは、とても信じられないようのだ。

「素敵……」

 エリカが頬を赤らめ、両手を胸元で合わせてラグを凝視する。

「おだてなくても、ちゃんとやりますから」

 クロサキはラグの困ったような表情にも、胸の動機が高鳴るのを感じた。

 見ると、カメラマンも親指を立てて、モニターを指差しているのがわかる。

 クロサキと撮影監督の二人は、モニターをチェックして、感嘆のため息を吐き出した。

 ライトを受けてまぶしそうにたつラグの姿は、スタジオ内の空気を新鮮で温かみのある空気に包み込み、支配すらしているようだった。

 テレビドラマ経験の浅いケインはもとより、モデルでもあるレンすら霞んでしまう存在感と人間味のある優しく温かな美しさが確かに感じられるのだ。

 そして、時折見せる少し現実離れした遠くを見つめる視線が確かにスター性を感じさせずにはいられない。

「驚いた。目の前に逸材がいたのに、どうしてわからなかったんだろう」

 クロサキの言葉に撮影監督も喉をごくりとならした。

「いっそのこと、このまま本番いってもいいかもしれないな……」

 それは誰にも聞き取れないほどの会話だったが、二人の瞳には、本気の思いがこもっていた。

「じゃあ、ケインのシーン、そしてイブキ役のラグがエリカちゃん演じるエリーを接客している時に、レンが店に乱入してくるシーンと続けて行くから」

 全員が本番同様の衣裳に身を包み、配置につく。

 スタッフたちの瞳が輝き、高揚感に包まれていくのがわかる。

 誰もが、ラグを見つめていた。

「スタート」

 店の中を一巡するカメラ。

 ホストと客が行きかい、やがてホストとして潜入捜査しているケインと客の女性のシーンが始まる。

 その場面が問題なく終わり、次にそのケインの視線が店に入ってきたエリカをとらえ、エリカがラグを指名し席に着くシーンに移る。 

 エリカが席に座り、そこに現れたラグがテーブルについて輝くような笑顔を浮べる。

「待っていたよ。エリーに会えるのを楽しみにしていたから」

「ねぇ、イブキ。私、イブキだけは他のホストの人たちと違うって信じる。私だけのイブキだって、信じていいのよね」

「もちろんだよ。俺も同じさ。この世界に入って本当に好きな人に出会えることがあるなんて考えたこともなかった。俺は君だけを大事に思っている。君じゃなければこんな気持ちにならなかったよ」

 ラグが棒読みながらセリフを読むと、スタジオが水を張ったような静けさに静けさに包まれた。

「…………」

 目の前のエリカも、次のセリフを言わないままラグを見ている。

(うわっ……なにか、変なことやっちゃったのかな?)

 ラグが固まっていると、「一旦、カット」の声が入った。

「あの……」

 恐る恐るラグがクロサキを見ると、クロサキを筆頭とするスタッフがわれに帰ったように目を瞬かせた。

「いや、ラグ君は悪くないんだ。エリカちゃんがセリフを言うのを忘れちゃったみたいだ。っていうか、全員……ちょっと驚いてね」

 クロサキは感嘆を禁じえない表情でラグに歩み寄ると、その両手を包み込んだ。

「デビューしないか?」

「はぁっ?」

 突然のクロサキの言葉にラグは目を大きく見開いた。

「だから、お世辞はいらないですよ。もう、みなさん素人に気を使いすぎです。普段どおりに進めてください」

「俺は本気だ。イブキ役としてトミーの復帰は絶望的だが、それは天が俺に味方したとしか思えない。ラグ君、頼む。俺を救うと思ってこのまま本番に出てくれ。いや、出てほしい、お願いだ」

 告白しているようなクロサキの熱っぽい言葉と表情に、ラグは予想しない展開に言葉を窮した。

 その時、やや甲高い女性の声がスタジオに響いた。

「イブキ役が到着したわよ。代役はここまで!」

 それは紛れもなくルアシの声だった。

 ラグは思わずソファから立ち上げると、その姿をさがした。

「ルアシ」

 ラグをはじめ、出入り口の方から響いた声の主に視線が集中する。

 そこにはなぜかバッド・ボーイズのトップ・スターであるショウと、マネジャーらしき人物。

 そしてポニーテールに丸いサングラス、ダブダブの甚平に膝上のGパン姿というやや奇妙ないでたちをした、だがすらりとした肢体をもつ女子高校生らしき少女、の三人が立っていた。

「ラグっ」

 Tシャツに紺色の甚平を羽織ったルアシが駆け寄ってきて、エリカのそばから引き離すように割り込み、ラグに抱きついた。

「お帰りなさい」

「ただいま」

 ラグが胸に深く抱きしめ両頬に挨拶のキスを軽く落とすと、ルアシは満足げにサングラスの奥で微笑み、ラグを見上げた。

 ホスト役に仕立てられたラグの姿を全身見つめなおしてから、頬を染める。

 突然飛び込んできた美しい少女は、どうしてとんでもない格好なのだが、アイドルのエリカの存在を忘れるほどの華をもっていた。

 束ねられた美しい金色の髪、ミスマッチな甚平姿でもなぜか流行ものといわんばかりに着こなしてしまっている。

 まるで、ファッション雑誌の表紙から抜け出してきたようなツーショットがそこにあった。

 そんな二人を周囲は何が起こったのかわけがわからず茫然と見ていたが、それを打ち破ったのは、ショウのマネージャーだった。

 クロサキに歩み寄り挨拶をする。

「バッド・ボーイズ事務所ショウのマネージャーをしていますフランクです。クロサキさん。フェニックス・テレビのプロデューサーと事務所で話がつきましたので、トニーの代役として、イブキ役はショウが務めさせていただきます」 

 フランクは携帯電話を取り出し、どこかにかけると「あなたの上司です」と言ってそのままクロサキに渡した。

「はい、はい……」

 クロサキは通話を終えると、信じられないといった表情でフランクとショウを交互に見つめる。

 きっと先ほどの電話で、専務が手配をしてくれたのだと思うと、こみ上げるものがあった。

「本当にいいんですか? ゲストといっても女と仲間を裏切るヒール役ですよ。しかも撮影は今日と明日もありますし」

「スケジュール調整は出来ています。取り直しの分もOK。決まったことだからいいんですよ」

 ショウは微笑むと、軽く口笛吹きながらラグに近づき、握手を求める。

「突然の代役ご苦労様。いや、今モニターを見てあせったよ。このドラマで、君にシンデレラボーイとしてデビューされたら俺の地位が危ないところだった。そこの青い目をした美しい天使が、未来のスターの芽は今のうちに摘み取れと、アドバイスをくれたんだよ」

 最後の言葉はささやくようにいいながら、ショウはラグの顔をまじまじ見つめる。

「本当はデビューしたかったり、するかい?」

「いいえ。助けていただいて本当にありがとうございます。危機一髪でした」

 ラグは握手をしながら隣に立つルアシに微笑みかけ、そしてショウに礼を述べる。

 その言葉にショウは安心したように息を吐き出す。

「今の言葉は、正直な俺の本音。他の人間のモニターに映る姿を見てあせったのは初めてかもしれない。芸能界のトップとか踊らされてるけど、君と会って気が引き締まったよ。芸能界なんて釣堀のような狭さなんだってね」

 視線をラグから横に立つルアシに移すと、腰に手を当て意味ありげな言葉を告げる。

「それにしても、俺も驚いた。こんな緊急出動はデビュー以来初めてだよ。それにしても……俺を代役に出来ちゃう君たちって何者なの?」

 ショウの言葉に、ルアシもラグも、ニコニコと微笑むだけだった。

「あのさぁ。どうなってるんだ」

 セット裏で、待機していたレンが、ショウの登場に戸惑ったように現れる。

「いや、ショウさんがイブキ役の代役として見えられまして」

 クロサキがしどろもどろに説明をするが、自分自身でも現状認識がちゃんとできない状態で混乱しているのがわかる。

 急展開についていけないのだ。

 ショウはB.B事務所だけではなく、芸能界のトップスターだ。

 ドラマ出演は二年以上前から交渉を始めないとスケジュールは組めないといわれている。

 今回のフェニックス・テレビに起こった緊急事態といい、ショウの業界としてはありえない登板にクロサキは異常性を通り越して、畏怖すら感じ、全身に震えが来るのを感じていた。

「ショウなのか? おいおい、かっこいい方の役に交代してやろうか?」

 レンもクロサキ同様の驚いた表情を一瞬浮かべたが、すぐになにかを悟ったようにチラリとラグを見ると、笑みを浮べて、茶目っ気のある言葉を続けた。

「ありえねぇー、ってか」

「さっきも話していたんだけど、演技の幅を広げるには敵役が一番なんだよ。それにちょっとした話題になるだろう?ドタキャンした俳優に代わってピンチヒッターにショウ。しかも、悪役登板って。あ、レンの俳優デビューのお祝いのための友情出演っていうのも、ちっちゃく端に載せてもらおうか?」

「デカデカでいってくれ。俺の格があがって助かる」

 新聞やスポーツ紙の記者がいるわけではないのだが、さすがに業界のトップ・スターらしく、笑いで和ませると自分のペースに周囲を巻き込んでいく。

 レンとは顔なじみなのか、アイコンタクトが互いの間で交わされているのをラグは楽しそうな笑顔で見ている。

「さすが、商売上手な事務所だ。面子より実をとるか。しかし、マスコミが大騒ぎするぞ。」

「そ、仮病をつかった他の事務所の若手俳優の穴を、レンの初ドラマ出演のためにショウがスケージュールをこじ開けて緊急友情出演。みんな勝手に宣伝してくれるわよ。あたしがスポーツ新聞に売り込んでこようかしら」

 トモヤの言葉にルアシがのると、ラグが肩をすくませてみせる。

「だから、ね」

 ルアシが無邪気な笑顔をラグに向けた。

「ラグの出番はここで終わり」

 そう言ってラグのそばにぴたっと寄りそうと、ラグの隣で呆然とことの成り行きを見守っていたエリカの視線からラグを引き離すように、自分の腕をからませて連れ出した。

「あ、ラグ……く、ん」

 エリカと、クロサキがあせったようにラグを見る。

 レンの切れ長の瞳がルアシをとらえ、何かを思い出そうとするように目を細めた。

「だって、ショウが来たんだもの。素人の出番は終わりでしょう?」

 そのルアシの言葉を受けるように、ショウがうなずくとパンパンと両手を高く掲げてたたいた。

「飛び入りで申し訳ないですが、イブキ役を演じさせていただくショウ・ストラウドです。よろしくお願いします」

そう言って丁寧にゆっくりと頭を下げる。

 スタッフたちの間から自然と拍手が沸き起こった。

 エリカとクロサキ、他の出演者、スタッフは、ルアシに連れられてスタジオをあとにしようとしているラグの姿に名残惜しそうな視線を送りながら、それでもショウと仕事が出来るといった幸運なチャンスに完璧以上の仕事を見せようと、気合をいれて自分の持ち場に着き始めた。

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