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第六章 〈十四時 昼食〉

 五人が退出して、改めて食事のために外に出たラグたちは、レストランで食事を終えて運ばれてきた飲み物に口を付けていた。

「それにしても、〈デイズ〉ってそんなに制約があるのか?」

 レンに言われて、少しラグの顔が赤くなる。

「〈デイズ〉とは関係ないんです」

「は?」

 少しあわてた様に訂正する様子に、レンとトモヤは呆気にとられた顔をした。

 二人は〈デイズ〉の制約の為、ラグがミズキたちの申し出を断ったとばかり思っていたのだ。

 ラグは、十四歳の時にユリジーニ・デイズ賞をとっており、国際写真集団〈デイズ〉のメンバーだった。

 〈デイズ〉は、世界初の宇宙飛行写真家ユリジーニ・デイズの名を冠して設立され、一年に一度その年に写真を通して活躍した人物、または写真に賞が贈られるのだ。

 そして、ユリジーニ・デイズ賞に輝いた者だけが正式なメンバーとして名を連ねることが許される。

 ラグは日本でたった一人の〈デイズ〉のメンバーだった。

 だが、その賞を受賞したことが公表されたその日は、政界と芸能界を巻き込む大スクープが日本中を包み一ヶ月近く賑わせた為、ラグの記事は二、三行に留まり多くの人の記憶に止まる事はほとんどなかった。

 業界の中では有名な話ではあったのだが、それでもラグと、ラグ・ミランが同一人物だと実際に認識している人間は少ない。

 ラグを知っていても、彼が〈デイズ〉のメンバーだとピンとこないようなのだ。

 各種取材にも、専門誌にすら登場しない幻の存在なのだから、一般世間にとっては、無名に等しかった。

 レンがラグと知り合ったのは三年前。

 その時、偶然ラグが〈デイズ〉のメンバーだと知ったのだが、その時ラグはまだ十五歳だった。

「じゃあ、ポリシーなのか? 芸能関係は撮らないって……。まぁ……いいか。聞くのも野暮だ。第一、ラグは今のところ風景写真とかが専門だろうしな、うん、ラグの写真は本当にいい。俺、最強に好きだ。お前の写真ってさぁ……」

 ラグに理由を尋ねることはせず、ひたすら自分がどれほどラグの写真を好きかを好きな写真を次々と上げて具体的に感想を述べはじめてる。

 語尾にハートマークがつきそうなレンの口調に、トモヤが飲んでいたコーヒーを吹きそうになる。

「でも、あいつらもまんざらじゃないよな。たった一枚の写真を見ただけで素人かもしれないお前に本気で写真を撮って欲しいって食い下がるんだから。いい根性と、いい目はしているよ。この俺様に見向きもしなかった」

「お前の顔を見て恐縮そうに挨拶していたじゃないか。でも、確かにいい根性と、いい目はしているのかもな。あのミズキとアオイの噂はからすると、アイドルにしては骨っぽいしな」

 トモヤも同意する。

「噂って?」

 レンが軽くあくびをしながら隣のトモヤに話すようながす。

「噂だけどな。あるバラエティの収録現場のスタッフがミスをして、といっても大物タレントが自分のミスをなすり付けたらしいんだけど、それでそのスタッフがプロデューサーにガンガン叱られて首にされそうになったらしいんだ。その時、現場に居合わせて状況を目撃していた二人がその場でスタッフの濡れ衣を晴らすために口を出した。ところが、自分に矛先が向いた大物タレントは逆切れして現場放棄するわ、プロデューサーは振り上げた拳を下ろせなくなるわで、大騒ぎ。結局、その場は大手プロダクションに所属している子達だっていうんでぐだぐだで収めたらしいんだが、相手が悪かった。そのプロデューサーと大物タレントの恨みを買って、さすがに干されるまでは行かないけど、『シンクロ』使うな、後輩出演させろって、遠まわしに言ってきたらしい。結果、『シンクロ』はレギュラー番組をおろされ、枠は後輩が引き継いだらしく、かなり出演番組が減ったらしい。純粋に真っ直ぐ生きていくには、生きにくい世界だからな。下のスタッフからはいい奴らだって評判いいから、長くやってればいい日も来るんだろうが、解散期限を切られちゃ厳しいよな」

「ふうん」

 トモヤの視線がちらりと正面のラグを捉える。

「まぁ、運が良ければ道は開ける……かもな」

「え?」

 レンの意味ありげな言葉にグリーンティーを飲んでいたラグは戸惑うようにレンとトモヤの間を視線をさまよわせる。

 ラグは時々どこか浮世絵離れしている存在のようにトモヤは思う。

 人の話を聞いているような、いないような。それでいてあとになるとちゃんと聞いていたことがわかる。

「強運があれば道は開けることもあるだろう。俺みたいにさ」

「うん、レンは強運だよね」

「な」

 その会話にトモヤは肩を震わせて忍び笑いをこらえようと必死だった。

 レンが以前いた会社を、この世界では異例なほど円満に辞めて独立し、今も良好な関係を続けられているのは、ラグのおかげだった。

 ラグ自身は知らないが、ラグとあの時出会わなければ、レンもそして自分もこうして大手を振って仕事をするまでには、まだまだ時間がかかったに違いないのだ。

 多くの人間は、その強運が自分の実力のうちだと思うところを、レンは「ラグ・ミランに会えたこと」と脳裏に深く焼き付けた。ほかの人間が聞けば笑い飛ばされるだろう、その直感は、後にラグとで会うたびに証明されていく。

 だがレンは、出会える「幸運」のためにラグを利用しようとは考えたことは一度もないようだった。

 出会うたびに、ラグ本人の人柄と才能に惚れ込んでいくのをそばで見ているトモヤはよく知ってた。

(猫にマタタビ状態だ……)

「レンさん、お待たせしましたぁ~。十五時からスタートのメドがたちました」

 三人の前に、ジャケットを着たクロサキが現れた。

 食事に行く場所を知らせていたので、迎えに来たのだろう。その表情が明るい。

「と、その前に私もコーヒーを一杯頂いていこう」

 クロサキはラグの隣に座ると、店員にコーヒーを頼んだ。

「いゃあー、まいりました」

 少し血色の良くなった肌で、額の汗をぬぐう。

「詳しい事情は話せないんですが、局の方でいろいろありまして、危うく今日の撮影も中止になりかかったんですよ。それが、たった今、こっちのドラマ班だけは続行していいことになりましてね。いゃあー、良かった」

 深く息を吐き出しそう話す姿は、数時間前に会った時とは別人のようだった。

 三人はアイコンタクトで、ライアン王子の一件がやや軟化してことを感じとった。

(ササヤマカメラマンがタクシーの中から電話をして、流したビデオの落ち度を上層部に説明する。そして、さしかえる新しい写真を届けると対策を伝えれば、原因がわかったことで、原因究明に関わっていた人手は解放される。ドラマ撮影は続行か……)

 トモヤは、時計を見ながらフェニックス・テレビがどう動くかを読み込んでいく。

(ラグが工房作業は一時間といっていたから、早ければ三時時半完成。一時間内でホテルに届けられれば、五時から六時には何らかの結論が出るかもしれない。そのころにはレンの撮影も終盤。ずれ込むことを考えて、八時か九時すぎから食事の予約でも入れておいてやろうかな?)

 いい子でいてくれているレンのためにも、ラグが喜びそうな食の場所をセッティングしておかなければ、と思う。

「レンさんは時間に厳しいとお伺いしていたので、一時間前に入っていただいたのに、さらにニ時間以上もお待たせしてしまって本当に申し訳ありませんでした。でも、こうして待っていてくださって、なんと感謝を申し上げればよいか」

「はいよ」

 レンは苦笑しながら、コーヒーを飲む。

「どんなドラマなの? 僕、最近のドラマとか知らなくて……」

 ラグは現場に来たものの、ドラマの内容に関しては知らないことに気がついた。

「私が説明してあげよう」

 運ばれてきたコーヒーを息を吹きかけて冷ましながら一口飲んだあと、クロサキはミルクと砂糖を入れてディレクターらしい顔を作って、隣のラグに営業スマイルをふりまく。

 ドラマは、人気女性アイドルが主役で、毎回失敗をしながらも成長していくというありきたりといえばありきたりのストーリーに恋愛をからめたサクセス・ストーリーだった。

 新人アナウンサー役のエリカが、相手役の新聞記者ケインとの恋に揺れているという基本設定。

 今回は、潜入取材でホストになったケインの真意を知らずに、ホストクラブに客として乗り込むエリカ。

 女性客の接待をするケインにぶち切れると同時に、優しく慰めてくれるナンバーワンホスト・イブキに惹かれていく。だが、実際はそのイブキこそがケインの追っているある犯罪組織の一味の人間だった、という流れ。

 見処は、各有名店のホストクラブのナンバーワン達が何者かの陰謀により次々に消えて行く中、オーナーが事故にあい休業中だった国内屈指の超一流ホストクラブの不動のトップ「レン」が店に乗り込むことで、事件が表沙汰になるシーン。

 イブキはレンが乗り込んだことと、ケインの取材をきっかけに逮捕され、エリナはケインの真意を知って後悔をし、また見直して恋心が復活する。というのが今回のストーリーだった。

 レンは同名「レン役」で、ナンバーワンホスト「イブキ」のライバル役を演じるのだ。

「ま、ゲスト出演っていっても三シーンだけだ。台詞もほんのちょこっと。最初はイブキ役で話がきたんだが、芝居経験のない人間に無茶振りもいいとこだろ。だから、台詞が少なくて、美味しい役にしてもらった」

 ニヤと笑ってクロサキに目配せをすると、クロサキは「ははぁ~っ」と言うように頭を下げる。

「レンさんのような方は珍しいんですよ。普通はでずっぱりじゃないとゲストに出ないっていう方が多い中で、謙虚というか」

「モデルじゃない奴が一人前のモデル気取ってライトを浴びてカメラの前に現れたら、殺したくなる」

 レンは、コーヒーをぐいと飲み込む。

「許されるのは記念撮影程度だろう。プロの世界に土足で踏み込むなんて軽々しく出来るか。今回はドラマの一日体験、思い出作りみたいなもんだ」

 ラグに片目を閉じてみせるた、その時

「クロサキディレクターぁぁぁ!」

 突然、あの小太りのADが大声を上げながら店内に飛び込んで来た。

 血相が変わっているのは、誰が見てもあきらかだった。

「どうした?」

「トミーさんが帰ってしまいました」

「なに冗談言ってんだよ。ようやく撮影が出来るっていうのに。イブキ役が帰るわけないだろう。トイレにでも行ってんじゃないのか」

 嫌な顔をしながら、汗びっしょりでクロサキの前にで立ち尽くすADを見上げる。

「疲労による体調不良で、今日は撮影できないくらい悪化しているからって、トミーさんのマネージャーは言っていたんですが、どうやら局内の例の騒ぎを耳にしたみたいです。ほかのバラエティ番組や歌番組の撮影現場からもキャスケット事務所は出演者を引き上げさせているようです」

 後半の声がささやくような耳打ちになる。

「ちょっと待てよ」

 さすがに冗談を言っている余裕がなくなったのか、険しい顔でADをじっとみすえ、黙り込む。

 やがて下唇をかみ締めていた顔が上を向く。

「あの事務所ならやりかねないな。例の件でうちの局の立場がやばいと察して早々にお抱えのタレントは早々に引き上げさせたってところか……。わかった、戻る」

 クロサキは立ち上がると、

 レンに頭を下げた。

「申し訳ない。もう少しお待ちいただくことになるかもしれません。とにかくトミーとのからみのないシーンから先撮りできるよう準備してきます」

「いいけど、今日中に終るのか?」

「なんとかします。本当に申し訳ありません。あ、支払いはもちろん私が」

 そう言うと、クロサキはADの背を押すようにして店から出て行ってしまった。

「一難去って、また一難だな」

 同情するようにトモヤが見送る。

「例の件は大丈夫にしても、まだ交渉中だろうしな。それにしても芸能プロダクションは情報網がすごい。すごすぎて気を回さなくてもいい部分にまで気をまわして、それでもとばっちりは局がもつんだろう」

「大変そうですね」

「まあいいさ、時間もできたし話を聞かせてくれよ。今度の撮影はどうだった?」

 レンは嬉しそうにラグの顔を覗き込み、その切れ長の瞳が艶めいて輝く。

「俺、お前の話がさ、ゆっくり聞きたかったんだよ」

(目がハートマークになってるぞ……)

 トモヤは相方の、めったに見られないとろけるような顔を見て苦笑いを浮かべるしかなかった。

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