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第四章 〈 十三時 ササヤマ VS  レン 〉

「ずいぶん長いトイレだったな。体調良くないのか?」

 ラグが戻ってくると、レンは少し心配そうに数本目のタバコを灰皿に押し付けながら、ラグを見上げた。

「ここじゃなく、トイレ付の部屋に替えてもらえって、レンがうるさかったよ」

 トモヤがクックッと笑いながら、ラグを迎える。

「自分の女じゃないのに、独占欲強すぎだろ」

「ごめんね」

 ラグは二人に手を合わせてあやまった。

「ちょっと紹介したい人と会ったんだ。入って、ササヤマさん」

 ラグの後ろから熊のような大男が現れた。

「……」

 レンとトモヤは男を見ておや、というような顔をする。

「ササヤマさんって言って、フェニックス・テレビの専属カメラマンをしている人で……」

「顔は知っている。モデルのドキュメント撮りに現場に来ていたのを見たことがある。熊の肩にちょこんとカメラが鎮座ましましてたのは、ユーモラスで目立ったからな」

 いつも初対面の相手には無愛想なレンが珍しくそう言いながら、ソファから立ち上がり一礼した。

「レンです」

「ササヤマといいます。その節はお世話になりました」

 ササヤマが頭を下げると、レンと一緒に立ち上がっていたトモヤも再度一礼をする。

 レンがこういう大人の対応をする時は、相手に敬意を払っているときだけに限られていた。

 プロにはプロとして接する、というのがレンの持論だ。

 ドキュメント撮影を淡々とこなすササヤマの姿をレンがじっと見つめていたのをトモヤは覚えている。その後放送された番組もきっちりとチェックをしていたのも知っている。

 感じるものがなければ、レンはスポンサー相手にでも傍若無人に振舞う困ったところがあるほどだ。

 けれども……と、トモヤはふと思う。

 ラグが引き合わせる相手なら、例え初対面の相手でも、レンは持論を引っ込めてでも「大人」を演じることがあるのかもしれないと。

「トモヤ、時間はまだあるよね」

 ラグに問われて、ソファに身を預けながら、トモヤは時計を見て頷く。

「ああ」

 その言葉にラグは三人がけのソファに座ったササヤマの隣に座り、二人に向き合った。

「ササヤマさんが、今ここで何が起こっているのか話してくれるって」

 ラグの言葉に、二人は関心のある表情でササヤマに視線を戻した。

「やっと事情がわかりそうだな」

 レンが吸っていた煙草を灰皿に押し付けて、ササヤマを見る。

「まったくあのクロサキって奴、五分おきに現れてはおろおろしながら『大丈夫だから待ってください』と様子見を兼ねて謝りに来るけど、理由は話さない。レンのストレスたまってくるし、ラグは帰ってこないし、爆発寸前で危険なところだったよ」

 トモヤが言うと、ラグはもう一度顔の前でごめんなさいのポーズを作って見せた。

 その様子を見ながら、ササヤマはフェニックス・テレビで起きたトラブルに関して手短に話し始めた。


「つまり、先日WSS(ワールド・ソウル・シンガー)賞を獲得した世界の歌姫のケイリー・デイジーが来日している。歌番組の収録で彼女を特別ゲストに招き、歌のバックに恋人の国の風景を流したところそれが問題になった、と」

「ああ。彼女の恋人がミレドニア国第二王子・ライアン王子というのはもう有名な話だから、歌のバックにその映像を使うのは事前に打ち合わせしていたし、問題はなかったはずなんだ。ところが歌の収録本番中に、彼女のボディガードが突然『その映像を使うな』と激怒して飛び出してきた。それがなんと、お忍びで入国していたライアン王子当人だった……」

 王子の同行など、日本側のテレビ局側の誰一人として知らされていなかったので、当然のことながらその場は騒然となったという。

「聞けば、外務省さえ知らない、まったくのお忍び旅行だったというから、ビックリ仰天状態だ。現場はパニック状態。しかも、王子が怒っている理由は映像にあるらしいが、その原因がなんなのかはまったくわからない」

 ミレドニア国の映像を使ったことが問題だったわけではなく、映像の内容に問題があるようだったのだが、全体構成は風景映像であり問題になるようなものは見つからなかったという。

「何度映像をチェックしても検討がつかない。理由は自分達で考えろと怒鳴られるし、王子はケイリー・デイジーを連れて宿泊しているホテルに引き上げただけでなく、今日中に謝罪と納得できる新しい映像を手配できなければ、日本でのケイリー・デイジーの予定は公演も含めてすべてキャンセルして日本を発つとまで言いだす始末で、お手上げ状態だ」

 ケイリー・デイジーは三日前に来日したばかりで、これから一週間はコンサートも含めて、各局のテレビ出演、雑誌のインタビュー、プロモーション撮影と予定がびっしり詰まっている。これらすべてキャンセルされるということは一局だけの問題をとおりこして、重大な事態に発展する可能性がある。

 各関係企業・団体・個人への巨額な賠償金、他局、スポンサーとの関係悪化。

 世界的アーティストのケイリー・デイジーのドタキャンだけでも一大事なのに、ミレドニア国の王子様がらみ。

 悪くすれば国際問題になる。しかも運の悪いことに知っての通り今は、十三カ国首脳国際会議を日本で行っている真っ最中だ。

「こじれればフェニックス・テレビ一局の不祥事じゃすまない。ロシアナ共和国首相の祖母はミレドニア国王室出身ということもあって、今回の首相来日に合わせて、近い将来、親戚になるかもしれないケイリー・デイジーと初対面するサプライズ企画まで予定されていたんだ。各方面に手分けをして映像の不備、原因を突き止めようとしているんだが、まだはっきりとしたものがわからない。小さな国だから情報が少なすぎてな……」

 ササヤマは、一気に語ると大きく息を吐き出した。

「でね、いろんな国の事情に精通しているレンならひょっとしたら映像の何が問題なのか見つけてくれるかもしれないよ、って連れてきたんだけど。協力してもらえる?」

 フェニックス・テレビに起きた、まだ水面下の深刻な事態に、レンとトモヤの表情も厳しいものに変わる。

「わかった。ともかく、その問題の映像を見せてくれ」

 ラグはササヤマが説明をしている間に、テーブルの上に映像用の簡易携帯タイプ編集機をセットし、控え室の大型テレビモニターに映るようにコードを接続していた。

 局から画像を転送させるといった操作はササヤマが行う。

 すぐに、画像はテレビモニターに流れ始めた。

 ササヤマに指示しながら、映像を繰り返し見ていたレンは、しばらくして顔を上げると嫌な表情を見せた。

「この映像は、四年か五年ほど前のものだな」

「原因がわかったんだ」

 ラグは尊敬の眼差しでレンを見つめる。

 ササヤマは頷く。

「後輩が言うには、確かに撮影は四、五年前に旅番組の収録で撮った時のものだと言っていた。だが、自然風景と王宮や都市の風景ばかりなので問題はないはずと」

「ミレドニア国なんておそらく多くの日本人は知らない小国だ。な、ラグ」

「うん。あの辺りは小さな国と王国がたくさんあって二百年、三百年単位の王家も結構あるよ。もう、国とはいえない規模の国もあるし、注目を浴び始めたのは日本だとここ最近だよね。ケイリー・デイジーの恋人の国って」

 トモヤはうなずいた。

「実はミレドニア国には、ほとんど表ざたにしていない小さなクーデターが勃発したことがある。ほんの短期間だが、政権が軍部に移り、王家の存続が危ぶまれたんだ。この映像はちょうどその王家に反逆した軍部と一部政治家が政権を担っていた時期のものだ。ほら、ここに証拠がある」

 レンが指差したのは、王宮を遠くから映した風景だった。

「本来なら国の主要な建物には王家の紋章入りの旗が掲げられている。だがこの時期は掲げられなかった。王宮のこの部分にもポールがあるから本来は旗が見える場所だ。なのに、ないだろう。王宮にも、市庁舎にも、駅にも、どこにもない。当時の軍部は国連や他国の干渉を恐れて水面下でことを進め、王室廃止を決定してから公にする予定だったから、あからさまにはしなかったが王家の象徴の旗を引き摺り下ろして国民に自分達の力を知らしめた。結局、クーデターは失敗したが、王室は事件が解決しても表立ってのニュースにはしなかった。王家の一部の人間が軍部と手を結んで起こしたこともあり、世間に公表するのは王家の恥になると、いってね」

「観光客は気がつくこともなかったかもしれない?」

 ササヤマの真剣な眼差しがレンに向けられている。

「多分な。欧州では隠し切れずに一部報道はされていたけれど、地味なもんだった。日本では報道すらされていなかったんじゃないかな。この映像は、ミレドニア国の王室や国民にとって悪夢の三カ月だった時代の切り取り映像。ある意味では貴重なものだが、当事者の王子様は激高するだろうな。隠していたい秘密を、恋人の歌のバックにプロモーションとして暴露されたと思い込んだかもしれない」

 ササヤマの全身に鳥肌が立つ。想像以上の深刻な事態と、それを看過したレンの知識量の豊富さにに。

「あんた、すごいな」

 業界では生意気な若造と言う風評があるレンと、実際の本人のギャップにカウンターパンチを受けたような衝撃が走る。

 ササヤマは身を乗り出して、レンの手をとり両手で包み込んだ。

「ありがとう。本当にありがとう」

「レンは凄いよね」

 ラグがニコニコと笑うと、レンは少し照れた表情を隠すようにコホンと咳をしてみせる。

 トモヤは、そんなラグとレンの様子に疑問をもちながら交互に二人を見ていた。

「ついでだから教えてやるが、ライアン王子とケイリー・デイジーの仲は両親王も認めている。だが、なかなか婚約までこぎつけない微妙な関係だ。身寄りがいない彼女の出生を問題視して王室の一部と、政府が承認しないらしい。今回のWSS(ワールド・ソウル・シンガー)賞の獲得を機会に世界から認められれば、政府や国民を説得するいいチャンスになり、正式に婚約出来るかもしれないと言われている。日本とロシアナ国は日本の首相が変わってから、最近隙間風が吹く関係だから、今回の来日に合わせたサプライズ企画で少しはご機嫌をとって友好関係を高めようって計画だったんだろうな。この映像のことが漏れれば、いい顔はしないだろう。クーデターの解決にロシアナ国が裏で一役買ったという噂があったりもするぐらいだ。映像の差し替えだけでことが解決できればいいが、あとは局のお偉いさん次第だろうな」

「レン、破格の大サービスだね」

「ああ……凄い」

 トモヤが珍しい様子で、いつになく饒舌なレンを見る。

 だが、喜んでいたササヤマの顔色は、レンの言葉に次第に顔色を悪くしていく。

 原因が判明したことは嬉しかったのだが、事態が簡単に収拾できることなのかが見えないためなのか、深刻だということを知らされ、気持ちが沈んでいっているようだ。

「で、ラグのほうは?」

 撮影した映像データとアナログ撮り分のフィルムをチェックしていたラグが、トモヤの声に渋い顔をして数本のフィルムの筒を見せる。

「ミレドニアの写真のほとんどは、フィルムで撮影していたから、あとは、ササヤマさんにまかせる」

「おい、ラグ!!」

 フィルムケースごとササヤマに手渡すラグを見て、慌ててレンが立ち上がる。

「フィルムは魂だ。確認していないフィルムを他人に渡すのはやめろ」

 映像著作権侵害が大きな問題となっている時代、映像データはコピーをされることを防止するために涙ぐましいほどの徹底した防止努力をしている。昔と違い、ネガを持っている人間でなくても、撮影者に無断で使用してしまえる。アナログ撮影が残るのは、ネガを手元に残すことで撮影者の権利を守る一つの手段でもあった。

 そのフィルムを託すのは、一歩間違えればすべての努力を無に帰してしまうかもしれない危険な行為だった。

「でも、もう時間がないし、現像所は指定してあるから問題ないよ。現像した写真ををライアン王子に確認をしてもらって、映像に使用する許可をもらうのが先決でしょう? 映像編集、加工、処理はそれから。歌の収録時間を考えてもギリギリだろうし、こんな事態に部外者の僕が一緒に行って事情を説明したりしたら、ややこしくなるでしょう? 第一、超厳誡警備体制だよ、きっと。フィルムを守るのにはササヤマさんが管理をして、王子に直接会うのが条件かな。あとは信じて任せる。買い取りの話は終ったあとでいいよ。現像所には僕が連絡をいれておくから。早く行って」

「ラグ」

 ササヤマは言葉を詰まらせ、涙ぐむ。

「ほら、早く行かなきゃ。王子が怒った原因もわかったし、対策も準備出来る。頑張ってね」

「ありがとうな」

 ササヤマは涙を腕で拭い取ると、荷物を担ぎ大きな背中を揺らして部屋を出て行った。

 その後姿が消えていったドアをレンが渋い顔で見つめながら、うなるようにラグの名を呼んだ。

「ラグ、本当に大丈夫なのか? フィルムなんぞ渡しちまって」

「ササヤマさんは変なことをする人じゃないよ」

「現像所は?」

「大丈夫」

 そういってラグは携帯電話を取り出すとどこかに電話をかけだした。

「シーダ? ……うん、今日帰ってきたところ。今おじいちゃんのところだよね? うん、よかったぁ。ササヤマさんがフィルム持っていくからおじいちゃんに渡してくれる? え? いないの? ……うん……うん。あ、レジー? ただいま帰りました。ササヤマさんが現像所の方に行くので、申し訳ないんですけど、急ぎでお願いします。うん、工房の方でお願い。データもあるけど、ほとんどフィルムだし、王室関係のものだから……うん、まだ見てなくて……。二セット作って……そう、うん……。ありがとう。…………はい。よろしくお願いします」

 通話を終えると、ラグは自分のことのように心配してくれているレンに穏やかな笑みを浮べて大丈夫、と答えた。

「現像所は、おじいちゃんのところだから」

「え?」

「ラグのおじいさんのとこは『ミラン現像所』じゃなかったか?」

 トモヤは自分の知る限りの情報を思い出す。

「でも工房って、言っただろう? 現像所じゃなく」

「工房は、おじいちゃんが友達と共同運営している別のところ。現役じゃない職人さんたちがやってる現像所だからあまり知られていないかな? 内緒みたいなところだから」

 レンとトモヤは、衝撃のあまり無表情のまま固まっていた。

 レンはゴクリと咽をならす。

 もしも、ラグの話した工房が、幻の工房とささやかれている現像所だとするならば、カメラマンの垂涎の的だ。

 本物の色と光を出してくれる職人達の工房があるとは噂で耳にしていた。

 決して規模は大きくはないが、長年の勘と、緻密で正確な仕事を誇りとする。

 世界の王室などの非公開な家族写真も手がけて、決して写真やデータが外部に流出することのない規制がしかれているという、映像データの不正使用不可能な技術を編み出しながら特許をとらずに全世界の使用を許したといわれる、恐ろしいほどの技術と信頼を得ている工房。

 金では決して動かず、工房の職人達が認めたカメラマンのものだけしか受け付けないというプライドの極み。国際写真集団〈デイズ〉のメンバーはその資格を有している。

 現像の失敗したネガを持ち込まれても、ほぼ完璧に再現したという逸話を持つ工房。

 キーワードは、現役退職者、職人、王室、非公開な経営。そして、天才的色彩感覚を持つというレジーナ・ロバートが関わっているというまことしやかな噂。

 世界のどこかにあるという幻の工房。それが日本にあるとしたら……。

 しかも、ラグは〈デイズ〉のメンバーだ。

「お前って……何者?」

 脱力しながら、レンがラグに近づき、抱きしめると笑い出した。

「レン?」

「俺、マジに〈デイズ〉のメンバー入りを狙うわ。幻の工房への扉がお前の背中越しに見えて、ヨダレがでるほどだけど、認められなきゃ意味ないもんなぁ。工房の話は聞かなかったことにする。しっかし、ラグ……お前って……」

 レンはラグの「くるしいぃ~」の声を聞きながらも、抱きしめ続けた。

「それにしても」

 レンの興奮状態が落ち着くのを見計らって、苦笑しながらトモヤはしみじみとした顔でラグを見つめた。

「ローランド・ミランと、レジーナ・ロバートか……。想像外の組み合わせだな」

 トモヤがラグの顔を見るが、ラグはただ笑っているだけだ。

「それはそうとして、だ」

 ふいにトモヤがレンを見る。

「よく、レンがミレドニア国に詳しいって知っていたな」

「ミレドニア国っていうより」

 ラグはニコニコと笑っていた。

「世界の王家マニアなんだよね」

「え?」

 トモヤは初めて聞く相棒の趣味に耳を疑う。

「でも、理由は知らない。レンから聞いてね」

「はーん」

 トモヤは、知らないふりをするレンを見る。

 ほとんどの人間は知らないが、ラグは様々な王室に招かれては時折、家族写真を撮影に出向いている、と王族出身の友人のカメラマンから耳打ちされたことがある。それはレンにも話していない極秘事項だったが、どうやら自分の相棒はその情報をどこからか手に入れていたらしい。

 ラグとの共通項を増やすためなのかと思うと、レンらしからぬ涙ぐましい努力に、トモヤのほうが赤面しそうだった。

「いいことを聞いた。今度、その趣味のきっかけとやらをゆっくり教えてもらおう」

 なんで俺が照れなきゃいけないんだ、と思いつつ、嫌味なセリフを口にする。

 だがトモヤの言葉を無視して、レンは組んでいた長い足をほどいて立ち上がった。

「どうせ撮影もすぐ始まりそうもないし、用意された弁当食ってる気分でもない。ラグ、外に食事に行くぞ」



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