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第一章 〈十時 国際空港  レン&トモヤ〉

 多くの人が行きかう国際空港のロビーは午前中だというのに奇妙な空気が流れていた。

 夏休みを利用しての、気ままな撮影旅行の帰り。

 高校生三年生のラグ・ミランは、飛行機を降りて、荷物を受け取り、カメラケースやいくつもの荷物を肩からぶらさげ、カートを引きながら、バス乗り場に向かって歩いていたのだが、その奇妙な空気に思わず首をかしげる。

 やがて、それも空港内に設置されているテレビモニターに映し出されるニュースを見て解消される。

『十三カ国首脳会議で提案された内容は……』

 画面に流れていたのは、アナウンサーの生真面目な表情と、世界の首脳達の談笑するシーン。

(そっか、今回の首脳会議は東京が開催地だったんだ……。ということは、厳戒態勢で道路も渋滞かなぁ……)

 ため息を吐き出し、気を取り直してと歩き出したとき、突然背後から肩をガッシリつかまれた。

「よぉ、カメラ小僧」

 くるりとその手に操られる様に体が百八十度回転する。

 目の前に長身のやたらと男前な二人組みが立っていた。

 プロカメラマンのレンと、彼のマネージャーのトモヤだ。

 レン・レイドリックス。

 端正な顔立ちと鋭く甘いルックスで、今や撮る側から撮られる側へと活躍の幅も広めつつある二十三歳の新進気鋭のカメラマン。

 今までに何度か、会ったことのある顔見知りの人たちだった。

「あ、こんにちは」

 ラグは、ニコリと笑った。

 軽く挨拶と近況を話して、「じゃあ」と別れるつもりだった。

 ところが、ラグが夏休みを利用して撮影に行ってきたことを話した途端、「夏休みなら、たっぷり時間はあるんだろう。帰る方向は一緒だ。乗っていけよ」と、レンが唐突に言い出した。

「僕はバスで……」と言いかけたが、その言葉は無視される。

「世界中のお偉いさんたちのおかげで、道路はあっちこっち渋滞だ。バスも混んでるし、荷物も重いだろう」と、半ば強引にラグの荷物を奪い取り、それをトモヤに渡すと、自分はラグの肩を両手で押さえて背後から逃げないようにと言うようにガードする。

 そしてそのまま、待たせていたらしい黒いタクシーにラグをひきずるように連れて行き、後部座席に押し込んだ。

「俺さ、今日これからちょっとだけ都内でドラマ撮影なんだ。ゲスト出演ってやつでさぁ。面白いから付き合えよ。な」

 レンは、その鋭い色香のある切れ長の眼差しで、誘うような流し目でラグに微笑みかける。

「あは…は…」

 男の僕にそんな熱い流し目を送られても……と思いながらラグは苦笑いを浮べる。

 同じカメラを手に仕事にする同業者だが、それほど親しいというほどの間柄ではない、はず。と、ラグは思っている。

 なのに、どういうわけか「一匹狼」然を気取って、他のカメラマンやモデルたちともなかなかつるまないレンが、ラグを見つけるたびに兄貴分気取りで食事や遊びに誘ってくる。

 今日だって、こんな風に強引に誘われる理由はまったく心当たりがない。

「悪いな、ラグ」

 タクシーの助手席から、レンのマネージャー兼アシスタントのトモヤが振り返り、詫びるように片手を胸元に持ってきて、片目を閉じる。

「撮影終ったらさ、好きなだけ食って飲ませてやるから付き合え。な。お前、なかなか捕まらないし、ここであったが百年目って、奴だ」

 レンはラグの肩に腕を回して、逃がさないぞとばかり上機嫌でラグの顔を下から覗き込む。

「意味が微妙に違いませんか?」

「いいんだ、って。細かいことは気にするな。俺にとってのシャッターチャンスって奴だ」

「はぁ」

 ラグは、目の前のきれいな顔立ちを見ながら不思議だなぁと思う。

「なぁ、いいだろう」

 女殺しと異名をとる眼差しで、念を押すようにラグをじっと見る。

(きれいな瞳をしているなぁ)

 真っ直ぐな黒髪と金色がかった茶色い瞳は、男のラグから見ても魅力的だった。

(どうすればこんな目になるんだろう。輝き方が野生の獣みたいで本当にきれいだ)

 至近距離で見つめられると、ちょっと得をした気分になって思わず笑顔になってしまう。

 女の子じゃないけど、これって口説かれているのかな?と思いながら。

「おい、レン」

 トモヤがタクシーの助手席から心配そうに声をかける。

「お前、顔近すぎ。キスでもする気か? それに、ラグだって旅行から戻ったばかりで疲れているだろうに。笑顔でいてくれるからって、甘えたら気の毒だぞ」

 サングラスにあご髭をたくわえたトモヤがあきれたように、レンの後頭部を人差し指でつっつく。

 黒のタンクトップに黒皮のジャケット、黒革パンツと黒尽くしが基本のスタイルのトモヤは、たまにその筋の人と間違えられる。

 一見こわもてなのだが、その性格は細かい心配りが出来て、他人の心の動きに敏感な、いい人という言葉がぴったりなのをラグは知っている。

 人当たりがよくてその実、冷静で計算高いトモヤは、金銭に無頓着で人付き合いの悪い真逆なレンとは相性がぴったりだと業界では評価されている。

 ムラな性格のレンをコントロールできる人間など、そうそういない。パートナーとしてこれ以上の適任はない、と。

 レンが二年前に会社を独立する時には、所属会社の社長に土下座をして頼み込んだという話は有名だった。

「ラグ、疲れているのか?」

 ぼんやりとそんなことを思い出していると、トモヤの邪魔にもめげずに、レンが心配そうに耳元に低音の響きを問いかける。

「うん。疲れてるかな」

 ラグはくすくすと笑いながら、助手席のトモヤに片目をつぶって見せた。

「でも、少しだけならつきあってもいいよ。その代わり、長引いたら途中で適当に帰るね」

「いい奴だな、カメラ小僧。俺はお前も、お前の写真も本当に好きだぞ」

 ラグの帽子をとって両手で包み込むように頭を撫でつけ、嬉しそうに抱きついてくる。

 そのおかげで、肩までのびているラグの軟らかい茶褐色のストレートヘアーは、ぼさぼさになってしまう。

「長旅でホコリだらけなんだから、服が汚れちゃうよ。レン」

「気にするな。俺は気にしないぞ」

 夏休みを利用した三週間がかりの野宿に近い撮影旅行からの帰りなので、ろくにシャワーも浴びていない。

 服も作業着同然のTシャツにGジャンでほぼ着たきり状態。自分でもかなり汗臭いし、ひどくほこりっぽいとラグは思う。

 なのに、レンときたら新調したブランドのスーツが汚れてしまうことなど構わずに、ひたすらラグをかまい続ける。

 レンは、世界的報道カメラマンの父を持ち、女優の母を持つサラブレッドだ。

 父親は戦場で彼が幼い頃に亡くなっている。その反動からか、カメラを手にしても撮るのはライトを浴びてオートクチュールの衣裳に身を包み、ステージを歩く美しいモデルたち。ファッション誌を主な活動の中心においていた。

 世界中で活躍する美しい女優やモデルたちとの華やかなロマンスは絶えない一方、一匹狼を豪語して、あらゆる人間に唯我独尊を通す。

 酷評されても、仕事を失いそうになっても、苦言を呈されてもねそうした声に一切耳を貸さず、ポーカーフェイスを崩さない。またそれ以前に、素の自分をみせようとしないのだ。

 そのレンが、ラグを弟のように可愛がる。その理由をトモヤはよく知っていた。

 ラグ自身は身に覚えはないにしても、戸惑いつつも決して嫌がる様子を見せないし、レンとのつながりを声高に言うこともなかった。

 タクシーの後部座席で、意味もわからず弄ばれ続けている姿にやや申し訳ない思いつつも、感謝の気持ちを込めてトモヤはラグに心の中で頭を下げる。

 「それに、こんなひどい格好でドラマ撮影のスタジオなんかに入れないんじゃあ……」

 ラグは帽子をかぶりなおしながら困ったように言う。

 お気に入りのメジャーリーグのキャップに、茶色いフチありメガネをかけたラグの姿は、その年齢、服装からお世辞にもカメラマンには見えない。せいぜい、レンの助手の助手、使いっ走り程度だろう。

 レンは当然としても、最近ではマネージャーのトモヤとのツーショットが注目を集めはじめている。

 モデル兼売れっ子の美形カメラマンと、モデルでも通用しそうな体型容姿をもつマネージャー。

 ぶっきらぼうで機嫌が悪ければだんまり無口を決め込むのレンのサポート役として、テレビのトークショーや雑誌のインタビューには、トモヤにも同席してほしいとオファーが来るほどだった。

 最近は女性週刊誌が、レンとトモヤの隠し撮りツーショットを毎週のよう掲載している。

 そんな二人なのだから、新入りの助手がいたとしてもおかしくはないのだが、トモヤのようにファッションモデルばりにびしっと決めていなくては売れっ子の一流カメラマンのスタッフとしては不適格だ。

(レン達と一緒にいてこの格好じゃ、オタクの追っかけみたいに見えるかも……) 

 ラグは撮影所に連れて行かれている自分がちょっと「変かも」と首をかしげる。

「平気、平気。いろんなものを見て感性を磨くのは俺らには大事なことだろう」

 レンはラグの頭に手を置きながら、ポンポンと優しく叩く。

「はは……。論点がずれてる」

「気にすんなって。な」

「まあね。もう、僕、タクシーに乗っちゃってるしね」

 ラグは自分がおかしいのか、コロコロと笑っている。

(ラグは心が広いなぁ……)

 レンが楽しそうに笑っている姿を見ながら、トモヤは「心配ないか」と内心ほっとして、前に向き直った。

 朝のレンはここ近年にないほどの不機嫌のピークだった。

 ことの起こりは、昨夜。

 仕事で泊まっていたホテルに、付き合っている中の二人の女が突然現れて、修羅場になったのが始まりだった。

 しかも、その修羅場の最中に、化粧品会社のコマーシャル撮影の仕事が急遽、若手に変更されたという連絡が入った。

 さらに、届いていたドラマの台本のセリフが突然書き書き換えられたので、新しいセリフを覚え直してて欲しいという連絡とFAXあり。

 トドメは、写真コンクールの審査員に、レンを毛嫌いしている男が選ばれ「せいぜい頑張りたまえ」と嫌味の挨拶の電話をわざわざかけてきたことだ。

 レンは怒りを爆発させた。

 「今日の撮影も、明日の仕事もすべてやめる。当分仕事は全部キャンセルして休業する」と、宣言をしたのだ。

 朝の約束の時間になっても電話にも出ず、ホテルの部屋から出てこないのを、フロントマンに頼んでマスターキーで開けてもらいベッドから引きずり出した。

 そしてホテルから押し込むようにタクシーに乗せ、空港から飛行機の座席に押し込むと、さすがに観念した様子を見せたが、不機嫌なオーラーを周囲に撒き散らし、口を開かず、沈黙を決め込んだ。

 負けじと、トモヤもポーカーフェイスで淡々と自分の仕事をこなしていく。

 一緒に仕事をし始めてからトモヤはレンの不機嫌さに対しては完璧に無視する能力を身につけていた。

 機嫌のいい日の方が少ないのだ。

 そんな時だった、飛行機が着地し、不機嫌そのもののオーラを発散して鋭い瞳で睨みつけるレンの胸倉をつかむように空港のロビーを歩いていた時、ラグを見つけたのだ。

 レンは待ち焦がれた恋人に会ったように、さきほどまでの不機嫌を手放してラグを追いかけていた。

「おい、カメラ小僧」

「あ、おはようございます」

 何も知らないラグのさわやかな笑顔が、二人に向けられた。

 あの時、トモヤは「悪い」と思いつつ、心の中でガッツポーズを決めていた。

(ラグを確保できたということは、多分、今日はついている。どんなことがあっても結果的に平和な一日になる。俺にとっても、レンにとっても)

 トモヤにとり、それは確信に満ちた予感だった。


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