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音香彩々  作者: 天猫紅楼
9/50

音香はどうしてギターを弾くのか

 ベッドに横たわった音香は、さっき貰ったスケジュール表を流し見た。 アルペジオ、スケール、スリーフィンガー、コード……何かの呪文のような言葉が並んでいる。

 音香はわけの分からないソレを指先でつまんでヒラヒラと振りながら、横に立て掛けてあるギターを流し見た。 ギタースタンドにちょこんと乗っているギターは、まだ傷一つ無くピカピカに輝いている。

 それを手に取り構えると、爪弾いた。

 これからたくさんの種類と数々の音楽を聞き、そして観ること。 それも勉強だと言われた。

 音香はなんだか胸が熱くなってきた。 自分が演奏者になることが、実現に向かっている。

 ギターをそっと抱きしめてみた。

『これから、よろしくね』

 音香の音楽生活が始まった。

 

 

 

 数日後、セブンスヘブンでのライブが入った。 音香のバイトの仕事が入ったのだ。

 いつものように、開場時間の少し前に会場入りをして馴染みとなった仲間達に挨拶をすると、受付をする小部屋の準備も滞りなく済ませた。 すぐに開場時間になり受付をするも、だいぶスムーズに客をさばけるようになったと音香は思う。 観客の殺到する開場してすぐの時間帯はさすがにマスターの協力が必要だが、彼も

「手慣れたねぇ」

と巧く乗せてくれるので、音香も嬉しくなってつい調子に乗った。

 

 たいしたハプニングもなく、何十人かの観客を中へ入れると、やがて開演時間となった。

 中で盛り上がるライブの音を小さく聴きながら、音香は小部屋でマスターと二人きりだった。

 音響や照明と違って、受付仕事は中弛みをする。 忙しさがピークなのは最初の受付だけで、あとはほぼ休憩時間のようなものだ。 マスターも中の様子をたまに見に行く位で、だいたいは音香の横にいた。 マスターは椅子に座って長い足を伸ばしながら言った。

「オッカ、ギターの調子はどう?」

 まるで子供の様に興味津々で聞くマスターに音香は、今まで教えてもらったことをざっくりと話した。 そして自嘲気味に、人前で弾くなんてまだまだだと笑うと、マスターも優しく微笑み返した。

「焦らずに、楽しむことが大事だよ。 そういえば、楽器店で影待君と会った?」

「そうそう。 家にあったギターがもう捨てられちゃってて、急いで商店街の楽器屋さんに買いに行ったんだけど、何を買ったら良いか分からないまま行っちゃったから……先生と偶然会えて助かっちゃった!」

 恥ずかしそうに舌を出した音香に、マスターはどこか含んだ笑いをした。

「いい先生でしょう?」

「う……ん。 教え方は丁寧だし分かりやすいし、何度同じ事聞いてもキレずに教えてくれるから、いい先生だと思う」

 マスターは優しく微笑みながら、言葉を選びながら話す音香を見下ろしていた。 邪険に『あの先生、嫌い』とは言えない。 音香なりに、マスターと影待の仲を気遣っていたのだった。

 

 

 マスターが応援してくれるのなら、どこまでも頑張れる。

 少しでも近づきたいから。

 それは『恋』なのかもしれない。

 けれど音香は、その思いは届かない事を知っていた。

 たまに店に来る可愛らしい女の人。

 お洒落で、気にならない程度の香水を付け、緩いウェーブが笑うたびに軽く踊る素敵な人。

 

  マスターは結婚している。

 

 二年ほど経つ新婚さんで、それを知った時、からかうように

「美人さんだね」

と言うと、素直にはにかむように笑った。

 その時は音香も自分の気持ちに気が付く前で、結婚していることにショックを受けることはなかった。 店を持てる位しっかりした人なのだから、恋人がいてもおかしくない。 結婚していたとて、意外な事だとも思わなかった。

 サービス業なだけあって、マスターは誰にでも優しい。 音香がそんな彼に勘違いしてしまうのも仕方の無いことかもしれない。

 音香はマスターが大好きだ。

 それは心に留めて、傍に居られるだけで充分だと思うようにした。

 きっとマスターからしたら、音香はただの客の一人。

 そう思うと切なくもあるが、これも運命なのだと割り切るしかなかった。 素敵な奥さんに勝てる要素があるとは思えなかったからだ。

 だから音香は、月に数回入るライブのごく短かい間、小部屋でマスターと二人きりになれるだけでも嬉しかった。

 時折扉を開けて通り過ぎる客を引き止めて仕事モードに戻りながら、とりとめのない話が出来るのが楽しかった。 いつもバー:セブンスヘブンで呑む時とは違う二人だけの空間がとても貴重で、大切に思っていた。

 そんな気持ちを、いつか歌にしたい。 ギターを触るようになって、いつしかそんな思いが生まれていた。

 

 

 

 それから何ヵ月か過ぎ、試しに始めてみたギター教室も正式契約をした音香はぐんぐんと上達していた。 面白いもので、興味が生まれると覚えも早いものだ。

 手元を見ずに、楽譜を見ながらのコード弾き位は出来るようになった。 そして同時に歌う。 いわゆる弾き語りってやつだ。

 音香は弾きたい曲を影待に耳コピーしてもらい、タブ譜に起こしてもらうと、ソレを練習した。 音香にはまだ耳で聞いて音をコードにするまでの実力は無いので、影待に頼りっぱなしだ。

 そんな影待は面倒くさがらずに音香の持ってきた、自分の知らないであろう曲をスルスルと耳コピーする。 そして授業中、音香の弾き方に「巧い」とも「下手」とも言わない。

 音香が一生懸命練習していることが伝わっているのか、時には時間延長をして、マスターの出勤時間になってしまうときもあった。 そんな時もマスターは怒ることはなく、影待も延長時間代金を請求することもなく、なんとも緩く気楽に授業を続けていた。 これもマスターと影待の仲の良さからくるものなのだろう。 少しでも長くギターに触れていたい音香にとっては、有難いことだった。

 

 

 そんなある日。

 そろそろ授業が終わるという時間に、影待はおもむろに一枚の紙をテーブルに載せた。 そこには『発表会』と大きくタイトルが載っていた。

「発表会ぃ?」

 音香は驚いて声を上げた。 身体中が一気に不安で満たされ、背筋に冷たいものが伝い落ちた。

「やだぁ~……」

 嫌悪感を丸出しに眉をしかめて言うが、影待はたいして気にする風でもなく淡々と言った。

「まあ、いずれはそういう機会を設けないと勿体ないでしょ。 せっかく覚えてきてるのに」

『勿体なくないよぉ~、趣味で弾いてるだけなんだしぃ~』

 音香は心から落胆した。

「大丈夫大丈夫」

と影待は言ってくれたが、いつものように抑揚の無い口調では、全く安心できなかった。

 しばらく経ってそれを知ったマスターも、

「いよいよかぁ」

と瞳を輝かせた。

「まさかマスターも見に来るなんて言わないよね……?」

 音香がおそるおそる聞くと、

「どちらにしろ、此処でやるんだから私は居ますよ」

 

「ええぇ~~っ!」

 

 マスターのその微笑みが初めて恐ろしく感じた。

『発表会か……』

 しかし決まってしまったものは仕方ない。 諦めるように心を決めると、不思議に前向きになれた気がした。 その日からはますます練習に熱を入れた。

 発表曲は二曲。

 自由に決めていいと言われたので、一番簡単で弾きやすい曲を選ぶと、見事に魂胆がばれてしまった。

「簡単だから発表会に自信を持てるっていうのは違う。 あなたが一番伝えたいこと、気持ちを込められるような曲にしないと、見てるお客さんもついてきてくれないよ」

 影待の言いたいことは分かっている。 が、そこまでのレベルに自分が達しているのかどうか、音香には全く分からないでいた。 何より、マスターも自分の演奏を見ると言うのだから、余計に緊張してしまう。

『どうしよう……あたしに出来るのかなぁ……』

 今までは好きに弾いてきて、たまに友達に聞かせたりはしたが、たくさんの人たちの前で披露するような自信も勢いも無かった。

 

 そんな相談をしながら一緒に食事をしていた親友、矢岳裕里ヤタケ ユリが言った。

「やってみればいいじゃん!」

 裕里は音香の小学生の時からの友達で、何を隠そう裕里こそが、セブンスヘブンを音香に教えてくれた人なのである。

 黒目がちな瞳でまっすぐに音香の目を見て話すクセがあるのでたまに怖いときがあるが、隠し事をしない素直な子である。 肩までの茶髪のウェーブが、小さな顔によく似合う。

 裕里は何杯目かのドリンクバーのコーラに入っている氷を、ストローで軽くかき回しながら上目遣いに音香を見た。

「ねえ、オッカはさ、なんでギター弾くの?」

 裕里からしたら、多分とても簡単な質問だった。 ところが、

「なんで……かな?」

 音香は言葉が詰まってしまった。

 

『マスターの為……?』

 いや、そんな理由が通るのか? 一瞬のうちに、音香の脳裏にいろいろな思考がうずまいた。

「誰かのためなのか、ただの自己満足なのか。 私はさ、ギターの事はよく分かんないけど、オッカの声好きだよ。 カラオケ行っても、オッカ結構巧いって思うし。 あ、これは私の個人的な感想だけどね。 だからさ、自信持っていいと思うよ。 オッカがステージに上がってスポットライト浴びるとことかさ、なんかドキドキするなー!」

「あたしの演奏を楽しみにしてくれるの?」

 音香は驚いていた。

 まさか自分に期待してくれる人がいたとは。

 確かに親友であり、いつも相談に乗ってくれて頼りになる存在ではあったが……。

 おべっかで言っているとしても、それは確かに自信になった。

 音香は、とにかく今の自分にできる精一杯のことをしようと思った。そして、裕里に発表会の招待券を渡した。

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