感動! ライブって、生きてるってこと!
そういえば、マスターと音楽の事を話したことはほとんど無い。 マスターはいつも、音香のたわいもない話や愚痴を聞いてくれている。 ほとんど自分の事を話さない。
そう考えると、何ヵ月かの付き合いではあるが、全く謎の人だ。
そんなことを考えているうちに、中ではライブが始まったようで、歓声とドラムの音が響いてきた。 音香たちがいる小部屋では、小さい声が聞き取りにくくなった。
「マスター、外には音が漏れる事はないの?」
音香が聞くと、マスターはニッコリとうなずいた。
「案外漏れないものだよ。 試しに、外に出てみなよ」
言われて音香は、外に続く扉を開けて出てみた。 閉めると、なるほど音は全く聞こえてこない。
『へぇ』
感心するようににっと笑うと、小部屋へと戻った。
「ね?」
自慢げに言うマスターに、
「さすがだね」
と答えた。
「中も見てくる?」
マスターが言ったが、音香はそちらにはあまり気乗りがしなかった。
「知らない曲みたいだし、いいよ」
手を振って断ると、マスターはニッコリ微笑んで言った。
「まぁまぁ、ちょっと見てみたら? ここは僕が見てるから」
と推すので、
「じゃあちょっとだけ……」
そこまで言うならと、愛想のつもりで中への扉を開いた。
途端に、音香は別世界に取り込まれたかのように目を丸くした。
「うわぁ……!」
隣の小部屋で聞いていたとは思えないほどの大音量の中で、照明が目まぐるしく点灯し、オールスタンディングの観客たちも盛り上がっている。 その様子は、実にものの数秒で、アーティストと観客が一体になる姿は有名無名に関係ないのだと、音香に伝えた。 心がひどく揺れ動いた。 身体中に鳥肌が立ち、胸が熱くなり、涙が出そうになった。
「格好良い……」
音香は気付かぬうちに、そう呟いていた。
小部屋に戻った音香の顔を見て、マスターも何かを感じ取ったようだった。
「どうだった?」
と聞かれるより先に叫んだ。
「凄い!」
音香は深く感動していた。
ライブを作っているのは、アーティストだけじゃない。 音響や照明がその色づけをし、最高の演出をする。 全てがうまく絡み合い、交ざり合い、ひとつの形になる。 音香が一瞬で衝撃を受けたのは、そんな『見えない力』に圧倒されたからだった。
ただの観客だった頃にはちらりとも思いつかなかった、客観的に観ること。 それがここで体験出来たのだ。
この感動をうまく説明出来ずにしどろもどろになっている音香に、マスターは言った。
「ライブって、カッコいいでしょ?」
音香は
「うんっ!」
と大きく頷いた。 それが今の彼女に出来る精一杯の答えだった。
「このオッカの受付の仕事だって、立派にライブを支えてるんだよ」
マスターの言葉に、音香は俄然やる気が出た。
『あたしもライブの中に居るんだ!』
次に、マスターはもう一つ仕事を伝えた。
それは、「再入場をお断わりすること」。
まだ大きなバンドでない場合、ひとつの場所を丸々借りる事は財政上苦しい。 小さなライブハウスとはいえ、二時間ほどの間、会場と音響や照明、機材道具を借りる形なので、正直学生たちにとってはバカにならない額だ。 だから彼らは、いくつかのバンドを集めて対バン形式を取る場合が多い。
すると客の中には、応援するバンドが終わると帰ってしまったり、バンドが交代する時のステージ調整をするための空白時間のあいだ、外の空気を吸いに出る時がある。 それに中は禁煙なので、吸いたい人にとっては貴重な喫煙時間だ。 喫煙したければ、外に出ずに音香のいる受付する小部屋で吸ってもらうということ。
というわけで、外に出ようとする客を捕まえ、再入場できないことを伝えなくてはならない。
これがまた、慣れない音香にとっては大変な仕事だった。
何しろ、ステージ出場者は出入り自由なので、客なのか出場者なのかを見極めなくてはならない。 マスターはリハーサルや申し込みの時などに顔を見ているので、区別は出来るのだろうが……。
「客かメンバーかなんて、わかんないよ」
と正直に言うと、マスターは微笑んだ。
「僕もよく間違えるから大丈夫。 だいたい、店の薄暗い照明で見ただけの顔を覚えられるわけがないでしょ?」
そう言われると、音香は素直に納得し、とりあえず胸を撫で下ろした。
そんな矢先、最初のバンドが終わり、場内が静かになった。
一人の客が中から扉を開けて外に出ようとした。 するとマスターは慣れた感じで客を止め、
「再入場出来ませんが、よろしいですか?」
と尋ねた。 客は驚いたようにマスターを見上げた。
「あ、はい、大丈夫です」
慌てて答えた客に扉を開けてあげながら、マスターはニッコリと見送った。
「ありがとうございました~」
『たいしたもんだ……』
と他人事のように見ている音香に、マスターはその肩をポンと叩き、
「はい、こんな感じでオッカ頑張って。 ちょっと中の様子見てくるから」
と微笑んで仕事を託すと、足早に場内へと入っていった。
静かになった薄暗い小部屋に一人残された音香は、大きくひと息ついた。 そして金庫が置いてある椅子の隣の椅子に座りなおした。
目まぐるしい時間だった。
開場してからどれほど時間が経ったんだろう?
音香は懐からケータイを取出し、時間を見た。
「あれからまだ三十分ちょっと?」
驚いて呟いた。 今まで味わったことのない濃厚な時間。 音香は次のバンドが演奏を始めるのを聞きながら、改めてさっきまでの事を思い返した。
お客は若い人がほとんどだ。 様々な姿形をしている。 自分と歳が同じような人たちが、自分とは違う人生を歩いている。 そんな人たちが、同じ目的で集まってきている。
『ちょっと楽しいかも……』
音香はひとりでに笑顔になっていた。
「どう、オッカ?」
扉を開けてマスターが戻ってきたので、音香は
「異常なし!」
と警官のように敬礼で答えた。 マスターは軽くうなずいた。
「忙しいのは最初だけ。 あとは金庫番と扉番だよ」
「わかった!」
音香はホッと胸を撫で下ろした。
二重扉は防音に長けているが、両方とも開けてしまうと爆音が外に流れだしてしまう。 店の周りは普通の家が立ち並ぶ住宅街。 近所迷惑だけは避けなくてはいけない。 知らない客が扉を開け放して行かないように、必ずひとつずつ扉を開け閉めしなくてはならないのだ。
「あとは自由にしてていいから」
マスターも金庫を横にずらしてその椅子に座り、休憩モードになっていた。
やがて三組目のバンドが演奏を始めた。 マスターは耳をすませながら呟いた。
「トリだな」
「トリ?」
「最後のバンドってこと」
音香はふと気になってマスターに尋ねた。
「マスターも、バンドしてたの?」
「はい、こう見えてベースを」
初めて聞く。
「今は、やってないんだ?」
マスターは、笑顔で頷いた。
「夢だったんですよ」
「夢?」
「小さなお店を持つことと、ライブハウスを持つこと」
「叶ったんだね」
「叶いました。 だから今は、毎日がとても楽しいんですよ」
「今日は特別明るい顔してるよ」
「多分、音楽が好きなんでしょうね」
「音楽かぁ~~」