音が重なる世界
バンドの初練習日。
音香は緊張しながら、待ち合わせの楽器屋を訪れた。 肩に掛かるエレキギターがずっしりと重い。 手には大きめのバッグに、マサトから借りた譜面や楽器関連の道具が詰め込まれ、これもまた音香の足を重くする。
「お、来た来た!」
楽器屋の入り口で中を恐る恐る伺う音香を最初に発見したのは、ヴォーカル担当のナツユキだった。
本名、片波夏之。 二十四歳。 彼は拓也と同じくあまり背は高くないが、アクションの大きさで、しっかりカバーしている。 直感で物を言うところがあって、まだ付き合いの長くない音香には、たまに理解できないことがある。 それも彼の魅力のひとつで、クロノスの元気印だ。 ライブの時にはかっこよく立てている黒髪のショートを、今日は大人しく寝かせてある。 オフモードとはいえ、はちきれんばかりの笑顔と大きな声は、いつもと変わらない。
傍らには、マサトとユウジも居る。 音香は彼らを見つけると、ホッとしたように小走りで三人に近づいた。
「ごめん! 遅れた?」
「いや、皆楽しみすぎて、早く着いてたんだ!」
ユウジがにっと笑った。
ドラム担当のユウジ。 本名、里田雄司。 二十四歳。 いつもマイペースで、あまり物事を深く考えないタイプ。 とはいえ決して大雑把ではなく、音楽に関してはとても真面目な好青年だ。 背丈はそれほど高くないが、その筋肉質の体型は、その風貌だけでも、ドラムを受け持つにはあまりに頼りがいがある。 ステージの後方からメンバーを支え、安心感を与えてくれるのだ。
何の不安も無いような雰囲気が、三人から漂ってくる。 ごく自然で、いつもココに来ている延長線のような。
そこにギターからベースに替わったマサトが揃い、音香も合わせて【新生クロノス】四人のメンバーが集まった。
「さ、やろうか!」
ナツユキが嬉しそうに拳を上げた。
「よろしくお願いします!」
音香は思わず姿勢を正して挨拶とお辞儀をした。 これからお世話になるメンバーに対する礼儀のつもりだった。 するとユウジは笑って言った。
「そんなに堅苦しくすることないって。 いつも遊びに来てたままのオッカでいいんだよ!」
見ると、ナツユキもマサトも頷いていた。
「俺たちはもうすでに仲間だぜ。 何も気負いすることは無いんだ。 これからは、嬉しいことも、楽しいことも全部一緒だ!」
ナツユキはニッと微笑んで、練習スタジオの扉を開けた。
音香は、初めて入るその部屋に、期待と不安の入り混じった心で足を踏み入れた。
薄暗い練習スタジオの中は、十畳ほどの広さの部屋に楽器屋のものと思われるドラムやアンプ、キーボードなどが所狭しと置かれていて、その空いたところに自分の荷物をそれぞれに置くと、自分の楽器をセッティングしていった。
音香もマサトに手伝ってもらいながら、ギターのセッティングを始めた。 アンプの使い方は、ギター教室で教えてもらっていた。 ツマミをいじりながら、とりあえずの音量に調節して構えてみた。
ジャラーーン……
「おお……!」
アンプからギターの音色が放出されて部屋に響くと、音香の口から思わず声が漏れた。 それと同時に、一気に体中に緊張が走る。 ふと見ると、マサトが微笑んでいた。
「エフェクトはとりあえずやめておいて、素のままの音でやってみようか?」
マサトの提案に、音香はうなずいた。
家で必死に練習してきた。 今までのように、遊びで弾いてきたのとはわけが違う。 これからは真剣勝負なのだ。 なにしろ、金が発生するのだから。
かくして、この小さな部屋で、新生クロノスの初練習が始まった。
部屋いっぱいに三つの音とボーカルが響き渡る。 四人が向かい合わせで音を合わせ、それぞれの気持ちを引き合わせていく。
ベースのマサトも、音香と同じく新人だ。
最初からうまくいくとは思っていなかったが、知らない仲ではないし、なにより、同じ方向へ向かう気持ちはすぐに投合した。
少しずつ新生クロノスの形が生まれていくのを、音香はしっかりと感じていた。
『あたしもクロノスなんだ』
そう思うと、自分たちの音が重なっていく様子に、気持ち良ささえ感じるのだった。
「思ってたよりすんなり行きそうじゃん!」
ナツユキが嬉しそうに言った。 そして、歌い火照った喉を癒すように、ペットボトルの水をゴクゴクと美味しそうに飲んでいる。
ユウジもスティックを置くと、両手を挙げて大きく深呼吸した。
「そうだな。 あとは細かい所さえチェックしていけば、問題なさそうだし!」
「オッカ、しっかり練習してきたんだね、見直したよ!」
マサトも少し汗ばんだ額を拭って微笑んだ。 彼もまた、今日は緊張と不安でいっぱいだったのだろう。 ホッとしたような安どの表情を浮かべている。
「でもさ、練習で上手く出来ても、やっぱ、ステージに上がると違うんでしょう?」
音香が不安になって尋ねると、ナツユキが吹き飛ばすように笑った。
「そんなの、勢いだって!」
「そうそう! ステージに上がっちゃえばなんとかなるから!」
ユウジも笑っている。 皆、くったくのない笑顔をしている。
「ま、俺達はいつもそうやって来たから。 オッカも乗っかって気楽に居ればいいと思うよ。 心配いらないって!」
マサトもベースを肩から下ろして水分補給している。
「そうなんだ……」
音香はそれでも不安を拭えずに、自分のギターを見下ろした。
部屋の小さな照明がボディに反射して眩しい。 そんな照明を、ステージでは体いっぱいに浴びるのだ。
音香にはまだ想像もつかない世界が待っている。
一時間のスタジオレンタル時間はあっという間に終わり、それぞれに片付けをして解散をした。
帰り際、音香はマサトに呼び止められた。
「オッカ、不安なのは俺も一緒だから。 一人で背負い込まないように、いいね? 相談ならいつでも乗るし、他の二人だってきっと、力になってくれるから」
長身の彼に優しく見下ろされて、音香はスッと心が軽くなるのを感じた。
「そうだね。 あたしが沈んでたら、皆にもきっと伝わっちゃうもんね。 ありがとう。 気持ちを切り替えて、頑張ってみるよ」
「そうだよ。 オッカはもう、クロノスの一員なんだから。 それに、『音を楽しむ』んだろ? オッカのその言葉、俺たちも心に染み付いてるよ」
親指を立ててウィンクするマサトに音香も笑顔で返して、それぞれの帰路についた。




