ウラノスガイア! マスターの前世は……
しばらく経つと、息急き切って拓也が戻ってきた。
「あっ、あのっ!」
座る余裕もないのか、拓也はカウンターに乗りだす勢いでマスターへと迫った。
「あのっ! もしかして、ウラノスガイアのナオキさんですか?」
音香が
『突然また、一体何を言いだすんだ、この人は?』
と呆れながらマスターの顔を見ると、当の本人は驚いたように表情を固まらせていた。
「まだ、覚えていた人がいたんですねぇ?」
珍しく目を丸くするマスター。
「ウラノス……何?」
二人の表情を交互に見比べながら、恐る恐る音香が尋ねると、拓也は驚いたように答えた。
「オッカ知らないの? 今、芸能界でソロでやってる海斗-カイト-っているじゃん。 あの人が昔組んでたバンドがウラノスガイアっつって、インディー界ではすげー有名だったんだぜ!」
「海斗なら知ってるよぉ。 この間出た新曲大好きだし! 見た目も格好良いしさ、今一番売れてるんじゃないかな? ……って、え、海斗の前のバンド?」
「そうだよ! まだわかんない? 海斗とマスターは、昔同じバンドをやってたんだって!」
興奮しきっている拓也は、何とか心を落ち着かせようと、氷がほとんど溶けかけているカクテルを一気に喉へと流し込んだ。
音香が確認するようにマスターを見ると、
「彼とは、もう今はほとんど連絡は取ってませんけどね」
と恥ずかしそうに微笑んだ。
「へえ~! 知らなかった……マスター、あまり自分のこと話さないんだもん。 マスターの名前も知ったのが昔過ぎて、覚えてないくらいなんだから。 いつも【マスター】って呼んでるから……」
音香はどこか損をした気分になった。
もっと早く知っていれば、マスターを見る目も変わっていただろうか? だがよく考えれば、マスターはそんな過去の事を、言い触らされたくなかったのかもしれない。 芸能界でトップを走るバンド仲間と別れて、今は小さなライブハウスバーで細々と生活しているマスターには、何か特別な秘密があるのかもしれない。
そう気遣うように音香が黙っていると、マスターは拓也に
「よかったら、昔の写真でも見ますか?」
と、酒瓶が並ぶ棚の端から、おもむろに小さなアルバムを取り出してきた。
「違うんかいっ!」
思惑と外れ、思わず声に出してしまった音香は、二人に怪訝な視線を注がれ、
「なんでもないよ! あたしにも見せて!」
と大げさに笑って取り繕い、拓也に寄り添った。
少し経年の擦れが見える小さな紙製のアルバムには、小さなライブハウスで演奏している昔の海斗とマスターが並んでいる写真が何枚も差し込まれていた。
ウラノスガイアは、ギター兼ボーカルの海斗と、ベースのナオキが組んだユニット。 ドラムともう一人のギタリストをサポートに、一時期インディー界を賑わせたという。 たいして都会でもないこの町に、わざわざ遠方から観に来るファンもたくさん居たそうだ。
海斗は昔から目力があったようだ。 眼光鋭い瞳にかかる赤髪のストレートが、白い顔に映えている。 マイクを持つ手の指には、真っ赤なマニキュア。 こう言ってはなんだが、典型的な昔のビジュアル系といった感じだ。
そして、その左にはベースを持ったマスターが映っている。
真っ白な顔に濃いダーク色の口紅。 肩までの長髪は、紺色のストレート。 暗がりのライブステージに立つ二人からは、クールながらもどことなく激しさの中に気品を感じさせた。 今のマスターからは想像も出来ないほどの過去が、確かにそこにあった。
「伝説のベーシスト……」
拓也が呟いた。 その瞳は心なしか潤んでいた。
「俺、今めっちゃ幸せです! ナオキさんに会えて! めっちゃ幸せです!」
震えながら言う拓也に、音香は覗き込んで言った。
「伝説のベーシストなの?」
「お前は……っ!」
と頭をグリッと押さえられ、小さくなる音香。
「とにかくスゲー人なんだって! 東京からスカウトが何人も来て、どれだけ金を積まれても、東京には行かないって断り続けて。 けど、結局はウラノスガイアは解散して、海斗だけ上京した。 二人だったら、もっといけてたと思うんだ、絶対!」
「結構詳しいんですねぇ。 少し違いますけど……」
マスターは御見それいたしました、と微笑んでいた。
「だって俺は、ナオキさんを追いかけてベーシストになったんだから!」
『うわぉ! いきなりの告白!』
音香が目を丸くしていると、マスターは照れたように口元の髭をさすった。
「マスターは、なんで上京しなかったの?」
音香の問いに、マスターは
「さぁ、なんででしょうねぇ」
と、また微笑んだ。 それ以上は何も言わない雰囲気だったし、それ以上は何も聞かせない空気を感じた。
「かっこええ~!」
拓也はナオキ=マスターに感動していた。 酔いも助けて、拓也の感情は弾けることに何の障害もなかった。 他に客が居なかったことが唯一の救いだった。 いつも静かな店内に、拓也の声が響いていた。
「何も言わなくても、分かります! 俺、ナオキさんに憧れて、本当に良かった!」
そして、すでにさっきメンバーとライブの日にちを決めてきたらしく、さっそく予約を取り付けた。
会計を済ませて店を出たが、酔いを醒ますために二人は近くの公園に向かった。 音香が影待に「大嫌い!」と言い放ったあの公園だ。
「オッカ、ありがとうな、今日はスゲー感動した!」
拓也はベンチに座ると、まだ興奮が覚めていない様子で、大きく伸びをした。
「まさかナオキさんに会えるなんて思ってなかったしさ、それに、夢見てたセブンスヘブンでライブまでできるなんてさあ、ホント、夢見てるみたいだ!」
紅潮した頬で嬉しそうに話す拓也の横顔を見ながら、音香も胸が温かくなった。
「クロノスがもっと人気出るといいね!」
「ああ、もう『煽りだけのクロノス』とは言わせねえ!」
拓也は拳を握って誓い、燃えていた。 そんな彼を見ながら、音香はふと疑問に思った。
「ね、なんでウラノスなんとかっていうバンドのベーシストがマスターだったって、すぐ気付かなかったの?」
「ウラノスガイア! 実は、知ってたのは曲だけなんだ。 高校の時、マサトに音源貸してもらってさ、聞いたらスゲー音が聞こえてくるじゃん? その時に、『俺はこの人みたいなベーシストになる!』って思ったんだ!」
「じゃあ、実際ライブを見たわけじゃないんだ?」
拓也は残念そうに言った。
「そうなんだよ……俺が知ったときにはもう、海斗の上京で解散した後でさ。 ……もう少し早く知っていればなぁ……」
必死に探したが、映像のひとつも残っていないのだという。 ただ、その分頭の中でその想像が膨らんでいた拓也は、ひたすらその妄想に向かって追いかけていたのだった。
「ね、実際のナオキに会って、どうだった?」
拓也はふっと笑った。
「やっぱ、現実は違うわ。 最初は、俺の中で全く繋がらなかったよ。 でも、会えてホントに良かった! 新しい、本物のナオキさんは、やっぱり格好良いって分かったから!」
拓也の瞳が輝いていた。 夢を追いかけ続けている姿。
そのとき音香の頭の中で、ぼんやりと歌詞が生まれていた。 それは、いつか拓也に贈ってあげるべき歌詞かもしれない、と、おぼろげに思った。
自宅に戻って寝床に入った音香は、天井をぼんやり見つめながら、さっきまで過ごした濃い時間を思い出していた。 マスターの前では、まるでヒーローに会った子供のようだった拓也が何度も浮かんでは、思い出し笑いをした。
そして
『オッカはライブしないの?』
『楽しいと思うよ』
マスターの言葉が頭の中をめぐった。
自分のレベルくらい分かっているつもりだ。 まだ人様からお金をもらって観てもらうなんていう発想は、おこがましくて口にも出せない。 ただ、ステージで暴れるクロノスや、テレビやライブステージでスポットライトを浴びる他のアーティストたちを観てきて、いつか自分も……と心がうずく瞬間は何度もあった。
『夢……かぁ……』
音香は、拓也のように憧れの人が居ないことに気付いた。
『あたしは、誰かのようになりたいのかな……?』
横を向き、棚に並んでいるCDやDVDを眺めた。
ギターを始めてこの二年、好きなアーティスト以外にも、あらゆるジャンルの『ベスト』と呼ばれる音源を集めて、音香自身の知識を広くした。 だが、それは知識を増やしただけで、好みの対象とはなりえなかった。 むしろ、吸収した知識は音香の中でブレンドされ、『音香の音』として作り出されようとしていた。 果たして音香にとっては、集めた大量の音源も、それだけの存在だったのだろうか……。
音香は、無意識にケータイを手に取った。




