二次会で会いましょう♪
「すっかりやられちゃったね!」
裕里がまだ興奮している様子で言った。 声に熱を帯びている。
披露宴は滞りなく終わり、朋美たちはロビーで飴の入ったカゴを手に、皆を送り出している。 投げられた花束は、朋美の親戚の女の子がしっかりとキャッチして、騒がしく喜んでいた。 会場のロビーは祝福ムードに包まれていて、その熱は下がる気配を見せない。 その温かい幸福に満ちた雰囲気を、家に持ち帰っていく参加者たちの高揚した表情を見送りながら、音香はキリキリと密かに疼く胃の痛みを感じていた。
「じゃあ、また後で」
裕里と軽く交わすと、二人はせわしなく次の仕事に走った。
音香は家に帰ると急いで着替えてメイクも直し、もう持ち出すだけにまとめて部屋の隅に置いておいた荷物をひっつかむと慌しく家を出た。 頭のなかは、自分の演目でいっぱいだった。 車の中で発声練習をして喉を慣らしながら、二次会会場へと急いだ。
駐車場の一番端に車を停め、いそいそと『本日貸切』と貼り紙があるガラス張りの扉を開けると、すでに何人かがちらほら集まってきていた。 椅子席に一つ一つ参加者の名前を貼ったり、壁に飾り付けをしたりと、最後の仕上げに汗を流していたが、その表情がどれも楽しげだった。
それらを横目に奥へと進み入った音香は、マイクスタンドと楽譜台、椅子を会場の端っこへと寄せ、ギターもギタースタンドに立てた。 そしてひとつ深呼吸をして見回した。 シンプルな喫茶店の店内が、見る見るうちに飾られていく。
不意に、レイアウトを確認しながら指示を出している拓也と目が合った。
『そう言えば拓也も披露宴に来ていて、友人達とカラオケを披露していたっけ』
バンドをやっているとは聞いていたが、なるほど歌も上手かったし、その明るいパフォーマンスで会場も沸いた。 そんな事を思い出しながら、音香が
「あたしも手伝おうか?」
と声をかけると、彼はいいよ、と手を振り、
「オッカちゃんは自分の事やってて。 こっちは大丈夫だから。 任せて」
と親指を立てた。
音香はお言葉に甘えて、ギターのピッチを合わせたり楽譜を確認したりしながら時間が来るのを待った。 やがて裕里の手も空き、雑談をしていると、参加者が続々と集まり、主役の二人も着き、いよいよ二次会が始まった。
マイクを持つ司会者は拓也だ。
「はぁい! 皆様、本日は佐藤聡、朋美夫妻の結婚祝いに駆けつけていただき、まことにありがとうございます! お二人の門出を祝って……とか堅苦しい話は無し! 今日は二人に、思いっきり楽しんでもらうからね! 覚悟しとけよ!」
場慣れしているのか、事あるごとに笑いを誘い、会場はすぐに暖まった。 バイキング形式での食事やビンゴゲームが進み、皆が楽しんでいる。 朋美も、旦那である聡と事あるごとに目を合わせながら、とても楽しんでいるようだ。
音香はそれを見ながら、
『なんだかプレッシャーかけられてるみたい』
と不安に襲われた。 こんなに盛り上がっている空気を台無しにしてしまうんじゃないかと、心が折れかけていた。 そんな気持ちを察したか、隣の裕里がそっと肘で突いてきた。
「オッカ、緊張してるの?」
「あ、あはは」
音香は笑顔を見せたが、その本心は裕里に伝わったようだった。
「オッカ、大丈夫! いつものオッカなら何も心配要らないんだから!」
全く……裕里のこの自信はどこからくるのか……すっかり信じ切っている顔だ。
「それがプレッシャーなんだってば……」
音香は余計に追い込まれた。 裕里は音香にグラスを持たせた。
「オッカ、楽しもう! 音楽好きなんでしょう? 朋美の幸せのお祝いをしてあげたいんでしょう?」
『そうだった。 自分に出来ることで、結婚という未知の海原を行こうとしている朋美の背中を押してあげたい。 そう思ってたんだ。 朋美を楽しませてあげなきゃ』
「そうだね!」
思いなおしたことで、音香はやっと心が軽くなった。
「そうよ、気楽にやればいいんだって」
裕里は肩をポンと叩いた。
『楽しむだけだ!』
音香は、自分なりにこの空間を楽しもうと思った。
やがて、司会の拓也が大きく手を挙げてコールした。
「さて、今日のメインイベントはぁ! 新婦朋美さんの友人である、城沢音香さんによる弾き語りです!」
案の定、朋美は驚いたように目を丸くしていた。
音香は手の中に収まっていたグラスの中のドリンクをクイッと飲み干し、立ち上がった。 素早く椅子やスタンドをセットして、音香はギターを構えた。
皆が音香を凝視している。
以前経験したセブンスヘブンでの発表会の時は、ライトの眩しさに観客の姿は見えないほどだった。
だが今日は真逆だ。
皆の顔がしっかり見える。 眉毛の一本一本まで見えるほどの近さで、音香が何をやるかと待ち構えている。 音香を知らない人たちがほとんどだ。 自分の力試し。 そう言うにはあまりにも過酷な状況だった。 その時だった。
『城沢、音楽っていうのは、音を楽しむって書くんだ。 楽しめ。 音に乗れば、そのまま泳げばいい。 間違えたと思っても止まっちゃダメだぞ。 ただ楽しめばいいんだ。 そうすれば、客にも届くはずだから』
不意に影待の言葉が思い返された。 発表会での出番前、楽屋に入った途端に緊張して凍り付いていた音香に対して影待が言った言葉だった。
『楽しむ……』
音香は心の中で、ゆっくりと繰り返してみた。
『そう。 リハの通り、気楽にやれば大丈夫!』
その時に見た影待の笑顔が、再び音香の心に和みを与えた。
『ありがとう、先生……』
音香はそっと礼を言い、唇をきゅっと結んだ。
「それでは、後は音香さんにお任せします。 どうぞ!」
という拓也の言葉でスタートするはずだった。 だが、いつまでたっても拓也の声がしない。 探すと、彼はなにやらを皆に配っている。
『?』
なんだろうと思っていると、拓也がマイクを持った。
「今皆さんに配ったのは、これから披露する曲の歌詞です。 もし知っていたら、手拍子でもよし、一緒に歌うもよし、皆で盛り上がっていきましょう! それでは、後は音香さんにお任せします。どうぞ!」
『歌詞を配るなんて聞いてないし!』
と動揺しながらも、音香は気を取り直し、ギターを構えた。 そして一呼吸置くと、マイクに向かって顔を近づけた。
「皆さんこんばんは、城沢音香です。 今日は朋美の祝いの門出に、あたしから三曲、贈りたいと思います。 これからの二人が、幸せでありますように……この曲から、聴いてください」
弦の上を指が踊る。 明るくテンポのいい前奏。 朋美が、
『あっ』
という顔をしたのが、視界の隅に見えた。
それは、朋美と初めてカラオケに行ったときに音香が歌った曲。 朋美はそれを痛く気に入ったらしく、何度もリクエストしてくれた思い出の曲だ。 音香にとって大切な曲であり、これは必ず自分の演奏で朋美に贈りたかった。
皆は最初こそ静かに聞いていたが、二曲、三曲になるにつれて拍手や一緒に歌ってくれる声が増えた。
何より、率先して盛り上げてくれたのは、拓也だった。 おかげで次第に音香は緊張感から解き放たれ、心から音を楽しみ、皆と一体になる感覚を覚えた。
音香はこの瞬間が、楽しくて仕方なかった。
音に乗って、そのまま泳いでいた。 今度は自分ひとりじゃなく、観客たちと一緒に楽しんでいる感覚が、音香の体全体を震わせていた。
「朋美、聡さん、今日は本当におめでとうございます! 皆さん、ありがとうございました!」
椅子から降りて深々と礼をする音香に、拍手の雨が降った。
二次会が終わった。
片付けが終わり、荷物をとりあえずひとまとめにすると、音香はまだ興奮冷め止まぬまま店の外に出た。 ほてった顔に、夏も終わりを告げる優しく涼しい風が撫でる。 音香は店を出たところの段差に座ると、ケータイを取出した。
トゥルル、トゥルル……
五回も鳴らないうちに、向こう側から声が聞こえた。
「もしもし?」
呟くような静かな声は影待だった。 音香は反対に、いまだ興奮しきった感じの声で勢い良く声を放った。
「先生? 今、二次会が終わりました! 楽しかったよ!」
もはや報告というか感想に近い叫びだったが、ケータイの向こうでは、ホッとしたようにつく息が聞こえたあと、
「そうか、楽しめたのなら良かった」
と優しい声が続いた。
「先生、ありがとうございました!」
音香の声に、影待は少し戸惑ったような声で
「いや、城沢が頑張った結果だから」
と顕著な答えが返ってきた。
音香はひとまずの挨拶を終え、またギター教室で、と告げると、パタンとケータイを閉じ、やっと落ち着いたようにほうっと長い息を吐いた。 その顔には清々しい笑みが浮かんでいた。
「彼氏?」
不意に背後から声がかかり、振り向くとそこに拓也が立っていた。 昼間からハイテンションを持続していたにも関わらず、少しの疲れも見せず、むしろ楽しくて仕方ないといった風に笑顔を湛えていた。 音香はそんな拓也のタフさに驚きながら答えた。
「いえ、ギターの先生です。 今回の弾き語りを色々指導してくださったので、今お礼を言ったところです。 お疲れさまでした、拓也さん。 あ、今日はありがとうございました。 まさか歌詞を配ってくれるなんて思ってなくて……」
すると拓也はスッと隣に座り、いいえ、とうなずいた。
「あの後、裕里ちゃんから色々聞かせてもらってさ、皆が知っていそうな曲をチョイスしたって聞いたから、じゃあ皆で歌った方がいいんじゃないかと思ってね。 それで、こっそり歌詞をコピーして配らせてもらったんだ。 もしかして、余計なことしちゃったかな?」
少し眉を寄せて心配気に首を傾げる拓也に、ううん、と首を横に振ると、音香ははっとした。
「もしかして、この間言ってたサプライズって……この事?」
拓也は何も言わずに微笑んだ。 それが本当でもそうでなくても、拓也の小さな気配りに胸が鳴るのを感じた。
彼は、素直で嫌みのない笑顔を音香に近づけて言った。
「俺、オッカちゃんのファンになってもいい?」
音香はそんなたいそうなものじゃないよ……と謙遜しながらも、頬を赤らめて小さく首を縦に振り、しばらく後には、連絡先を交換していた。