古瀬拓也との出会い
場所を取ったと裕里から連絡が入ったのは、式の二週間前だった。
知り合いを通じて紹介してもらった、郊外の小さな喫茶店を、貸し切りで使わせてもらうらしい。
店内にスピーカーはあるので、配線などが出来るのであればマイクも使用できるとのことだった。 ただし、近隣に迷惑にならない範囲で。
幸いにも裕里の彼が電気関係の仕事についていたこともあって、手助けをしてくれるという。
マイクは、セブンスヘブンのマスターのご厚意で貸してもらえることになったし、本当にたくさんの人に助けてもらって、音香も、それを無駄に終わらせないためにも一生懸命やるだけだと気合いを入れた。
本番二日前、セブンスヘブンにマイクを借りに行くと、マスターはいつもの優しい笑顔で、用意しておいたマイクとマイクスタンドを手渡し、
「仕事がなきゃ、見に行ったんだけどねえ」
と残念そうに言った。
「でも、オッカは絶対やってくれると信じてるから。 頑張って!」
そんなマスターから最高のエールを貰い、音香の大きな励みになった。
前日には、会場となる喫茶店で音香を含めた幹事たちが集まり、最終の打ち合せをした。 裕里に連れられていった音香は、皆と顔を会わせるのが初めてだったので、少し緊張しながらも軽く挨拶を交わした。
喫茶店の店長は気さくな感じの女性で、
「限度越えなきゃ、何やってもらってもいいから」
と、優しい笑顔で背中を押してくれた。
そんななか、新郎側の幹事が、音香に興味深そうに話し掛けてきた。
名前は古瀬拓也といった。
少し小柄な細身の体に、ぱりっとした黒っぽいスーツの中はシンプルな白いシャツを覗かせ、黒髪のショートが清潔な感じで、香水の匂いが嫌味にも感じないほど自然な、見るからに『お洒落な人』に見えた。 少なくとも初対面の印象は良く映った。
音香が、朋美には当日まで内緒なのだが、弾き語りをするのだと聞くと、古瀬は目を輝かせて
「俺もバンドやってるんだけどさ」
と前置きをして話しはじめた。
自分はベースをしていること、バンドを結成してまだ間もないこと、音香が質問する間も与えず話しまくった。 そして、
「君の弾き語り、楽しみにしてる」
と、ニコッと微笑んだ。 しばらくあ然として彼の話を聞いていた音香が、ようやく口を開き
「あの、古瀬さんは何もやらないんですか?」
と聞くと、古瀬は人差し指を口の前に立ててウィンクした。
「俺は、サプライズ担当なの。 手の内を明かしたら面白くないから、教えない!」
音香はその動きに少し動揺しながら微笑んだ。
「楽しみにしてます」
去りぎわ、
「あ、俺のことは拓也でいいから。 よろしくね、オッカちゃん!」
と言い残してその場を離れると、他の人と打ち合せをし始めた。
「オッカちゃんだって!」
不意に声をかけられて驚いて振り向くと、裕里がニヤニヤしながら見つめていた。
「オッカちゃん、顔、赤いですよ?」
まるで教師のように神妙な口調で言いながら、肩を震わせる裕里。 音香は口を尖らせて
「からかわないの!」
と言いながら彼女の腕を軽く叩いた。 裕里は笑いながら音香をうながした。
「ほらオッカ、マイクの位置とかこれでいいかって、タケが」
裕里は彼氏の横尾武徳の事をタケと呼ぶ。 裕里が指し示した先では、部屋の隅でうずくまったタケがマイクの配線をいじっていた。 急いでタケに駆け寄り腰を曲げると、申し訳なさそうに声を掛けた。
「すみません、いろいろ頼っちゃって」
音香の言葉に、タケは顔を上げ、メガネを整えながら微笑んだ。
「いえいえ。 ボクにはコレくらいしか手伝えないから。 一応配線は済ませたので、マイクの位置と高さは、城沢さんが調整してください」
音香よりも少し年下ということもあるのだろうが、タケはいつも丁寧に話す人だ。 音香はうなずいてマイクスタンドの前に立った。 ステージというよりは、店の奥にスペースを取っただけの、高さも客目線な場所だ。 音香がマイクスタンドの高さを自分に合わせていると、不意に声がかかった。
「小柄なオッカちゃんには、低すぎるかもなぁ」
声の方を見ると、拓也が腕組みをして首を傾げていた。
「私もそう思ってたの。 当日は、いくら皆に座ってもらうとはいえ、小柄なオッカにはつらい感じがするなあって。 もう少し目線を上にしてあげないと、オッカがなめられちゃう……」
『なめられるって、どういうことよ?』
音香が心に引っかかっている事もお構いナシに、拓也の言葉に裕里も賛同し、その横でタケもうなずいている。 すると拓也はキョロキョロと周りを見て、
「ちょっと待ってて」
と店の奥に入っていった。 しばらくして姿を現した拓也は、足の長い椅子を抱えていた。
「これで、なんとかならないかな?」
静かに音香の前に置くと、座るようにうながした。 音香は試しにそこへ座り、マイクスタンドを調節した。 背筋を伸ばした音香に、少し遠めに離れて見ていた裕里が勢い良く親指を立てた。
「いいね! 目線も上になったし、バッチリだよ! あとはオッカの気迫頼りだね!」
その横でタケも満足気にうなずいている。 音香は拓也を見ると、礼を言った。
「助かりました。 ありがとう!」
すると拓也も微笑み、うなずいた。
「オッカちゃんは小さいから特にそうだけど、人の前に立つなら自分をどれだけ大きく見せるかも大事だと思うよ。 これは、俺にも言えることだけどね。 ほら、俺も小さいからさ!」
拓也は自分の頭の上に手を乗せ、おどけてみせた。
セブンスヘブンでのリハーサルの時は、少し高みのちゃんとした舞台があったので気付かなかったが、現場で初めて知ることもあるのだと、音香は勉強した。
『場数を踏みながら成長するって、こういうことを言うんだな』
音香は何だか得をした気分で家路についていた。
明日は朋美の結婚式。
そしてそれは同時に、音香の本番の日だ。
朋美はどんな顔をするだろう? 楽しみと不安が渦巻いて、その夜はなかなか眠れなかった。
やがて朝陽が上り、朋美の披露宴当日。
規模はささやかながらも、会場は終始温かい祝福ムードで盛り上がった。
勿論、音香たちも最高のお洒落をして参加させてもらった。 見たこともないような料理が次々に並び、舌鼓を打った。 お色直しが三回、そのたびに違う朋美がライトに照らされ、音香と裕里は盛んにカメラを構えた。
今日は朋美が主役だ。
何十人という人々が拍手と笑顔を送り、温かく二人の門出を祝った。 最後には、いまや定番となった家族との手紙交換。 案の定、涙と感動を誘った。
朋美の、両親に対する感謝の気持ちが、その場に居るすべての人を温かく包んだ。
「オッカ、私も結婚式したいよぅ!」
紅潮した頬で言う裕里に、音香も同じように満面の笑顔で返した。 音香もまた、朋美の大人びた印象の姿に、深く感動していた。
「ホント、今日の朋美、すごく綺麗!」
「今日も、でしょ?」
いつの間にか背後に朋美が居たことに、二人共が驚いた。
「うわぁ!」
「朋美、今日が一番綺麗だったよ!」
慌てて音香が繰り返すと、
「今日も、これからも、なの!」
と笑った。 見たことの無い完璧なメイクが、朋美を別人にしている。 純白のウェディングドレスもよく似合って、綺麗だ。
「二次会、楽しみにしてて。 絶対楽しませるから!」
裕里が言いながら、キラキラした瞳で朋美を食い入るように見つめていた。 その瞬間、音香の胃がキリキリッと痛くなった。
『しまった……緊張してきた……』
それでも笑顔を作りながら音香も朋美に祝福の言葉を贈り、二次会へと誘った。
朋美は幸せいっぱいの笑顔で、
「二次会、楽しみにしてるね。 ほんとにありがとう!」
と言いながら、隣に立つ愛する旦那様と微笑みあった。