裕里の初デート☆彡
それからまた何ヵ月か経ち、音香のギター技術はだいぶ上達していた。
他の教室の事を知っているわけではないが、基本的に、影待の教え方は覚えやすいようだ。 マンツーマンということもあるのだろうが、細かくチェックして音香の短所をしっかり直し、長所をうまく伸ばしてくれる。 ひどく厳しいわけでもないし、上げるばかりの調子者でもない。 丁度良い言い回しで、すごく真面目に授業を進めていくのだ。
『先生としてはピカイチなんだけどなぁ……』
ぼんやりと思いながら爪弾いていると、影待からすかさず忠告が入った。
「テンポが遅くなってる」
だが、影待の愛想のない感じは相変わらずだ。
プライベートなことでも、聞けば教えてくれるが自分からは言わないし、逆に音香のプライベートをわざわざ聞くこともない。 生徒に興味を持つことも必要無いのだろうが、せめてコミュニケーションは取ったほうがいいのではないだろうか?
そんな影待を好く人もいる。
今、音香の後ろの椅子にちょこんと腰掛けている親友、矢岳裕里だ。
発表会以降、ギター教室の見学と言って音香についてくるようになった。 お目当ては影待だと丸分かりだ。 影待もそんな裕里の気持ちに気付いているのかいないのか、見学は大いに結構、と快諾している。
たまに
「ギター、やってみる?」
等と声をかけるが、裕里にはそこまでの興味はないようだ。 両手を大きく振って断っている。 振りながら、影待にデートを申し込む時を虎視眈々と狙っているのだ。 音香は裕里の事を応援するように、黙って見守っていた。
そして音香と通うようになって一ヶ月後、裕里はついに影待に声をかけた。 そして、影待は承諾した。
「オッカ、これは私が努力した結果なんだから、嫉妬しないようにね!」
ケータイの向こうからは、上機嫌な裕里の顔が浮かぶような弾む声が響いた。
「嫉妬なんかしないよ。 ま、うまくいくように祈ってるからさ! 楽しんでおいで!」
音香はケータイを切ると、ポンっとベッドに投げた。 その向こうに、ピカピカに磨いたばかりのギターが立っている。 それを手に取ると、ポロンと爪弾いた。
音香はいつからか、弾くことに貪欲になっていた。 弾きたいと思う曲はほとんど手を付けてきた。 授業でも何曲かを仕上げてきた。
それでも、いつも何か物足りなさを感じていた。
それは発表会の時に感じたあのモヤモヤした感覚だった。
『何が足りないんだろう……こんなにたくさん弾いてきたのに、何かが足りないんだ……楽しいのに、どこか寂しいような……何なんだろう、この感覚は……?』
どこか手持ちぶさたな気持ちを持て余しながら、それでもひたすら弾いていた。 目に見えない何かを掴むように、貪るように弾く姿に、家族が少し心配するほどだった。
そのうちに、裕里と影待がデートする日が来た。
音香は、その夜には何か報告があるだろうと思っていたが、その夜が明けても、次の日も、メールひとつ、届くことはなかった。
『ただふられて落ち込んでるだけならいいけど、もしかして、先生にひどいことされたりとか……?』
音香は心配になって、二日目の夜にメールを送った。
返事は来なかった。
次の日の昼間もメールを送ったが、何の返信もなかったのでその日の夜に電話をした。 正直、友達の事でここまで動悸が激しくなるのは初めてだった。
裕里は見かけは強い子だが、意外に芯は弱い。 それでも恋多き女の子ゆえ、今までだって何度も相談されたものだ。 音香は、裕里の恋愛経験は多分全て知っている。 逆もしかりだ。 それくらい、二人の距離は少しも離れることはなかった。 だからこそ、珍しく連絡がつかない裕里の事が心配でたまらなかった。 裕里の家に行って実際に顔を合わせるのが怖かった。 今裕里の身に起こっていることが分からないのが、無性に恐ろしかった。
トゥルル……トゥルル……
五回コールの辺りで、音香の心臓ははち切れそうに唸っていた。
『裕里、どうしたの? 何故メールを返してくれないの? 何故電話に出てくれないの? 今、どうしてるの?』
八回目のコールで、向こうの受信する音が聞こえた。
「もしもし!」
裕里の声を聞く前に、音香が口火を切った。 裕里の声を待つことに耐えられなかったのだ。
「裕里、なんで連絡くれないのよ? 心配したんだよ。 何かあったの?」
すると、遠くため息をついたのが聞こえた後に、憔悴しきった声が返ってきた。
「……まあね……」
「うっそ、マジで!」
音香は驚いて声を上げた。 隣の部屋の母が不審な目でチラッと覗いたので、慌ててトーンを落とした。
「一体何があったの? 連絡つかないからホントに心配したんだからね!」
「……そうね、オッカが悪いわけじゃないのよ……」
裕里は独り言のように呟くと、音香を近くのファミレスに誘った。
断る理由などまったく無い。 音香は、準備もそこそこに部屋を飛び出した。
音香が住むマンションから車で五分ほど走ると、国道の通りに待ち合わせのファミレスがある。 何かあるといつもそこで夜通し話をする、馴染みの場所だ。 裕里はそこから歩いて三分ほどのところに住んでいるので、一足先に着いて駐車場で待っていた。 音香は急いで駐車場に車を停め、裕里と共に店の中へ入った。
彼女の顔は見るからに憔悴しきっていた。 眠れていないのか、薄化粧の目の下に、うっすらとクマも見える。
店員に案内された席に座るなり、音香は裕里を気遣った。
「……寝てないの?」
裕里は弱い笑顔を見せるとすぐに目を伏せ、小さく頷いた。
「……ダメだったんだ?」
音香は言葉を選びながら言った。 裕里は俯いたままで、もう一度小さく頷いた。
店員がオーダーを取りに来たので、裕里はアイスコーヒーを頼み、音香はアイスレモンティーを頼んだ。
裕里は先にコップの水を一口飲むと、ため息をついた。 そして、呟くようにあの日の事を話し始めた。
「楽しかったのよ、車に乗せてもらってドライブしながら色んな話をして、ホント楽しかったの。 パスタが美味しい店に連れていってもらってね、意外に色んなことを知ってる人なんだって、びっくりした位」
「じゃあなんで……?」
ずっと伏し目がちな裕里は、届いたアイスコーヒーにクリームを入れ、ストローでクルクル混ぜながらフッと独り笑いした。 クリームの白い筋がみるみるうちに濃い黒茶色の液体に混ざっていく。
「途中で、気が付いちゃったんだよね……」
「何を?」
音香は何も聞き逃さないように裕里を見つめながら、アイスレモンティーを一口飲んだ。 その冷たく甘い潤いが、ずっと緊張していた喉に気持ち良く通った。
裕里はやっと音香の目を見た。 黒目がちな瞳が少し揺れた。
「影待さんたら、オッカの話ばっかりなんだもん」
「へっ?」
突然の事に理解出来ないでいる音香を、今度はからかうような目で見返した。
「影待さん、多分オッカの事好きだわ」