発表会開幕! 裕里は眼鏡フェチ!!
発表会は、ギター教室の生徒だけが集まるのではなく、同じ事務所から派生している他の教室、例えばピアノやドラムやボーカルなどといった教室の生徒達が集まって行われる。
生徒と言っても、学生のような若い子ばかりではなく、子育ても落ち着き、自分の時間を有効に使いたくて始める人、昔やったことがあって再び始めてみようという人など、多種多様だ。
今回は、それぞれの予定が合わなかったりして全員参加は叶わなかったようだが、総勢十五人が集まるという。
「誰かひとりふたり位なら招待していいよ」
と影待が言ったので、一人で発表会参加は淋しいと思う音香は自作の招待券を作り、一番近くの友人である裕里に渡したのだった。
勿論『招待』というだけあって、費用は音香持ちだ。 それでも、一人寂しく参加するよりはずっと良い。
音香は発表会までの数週間、なおも熱の入った練習をした。
裕里が言った『なんでギターを弾くの?』という言葉が時々音香の頭に浮かんだ。
誰かのため……最初は、マスターが勧めてくれたから。 そんな理由だったが、今は少しずつ変わってきている。
今まで生きてきて、色々な場面で貰ってきた勇気や元気や希望を、今度は誰かに伝えたい。 少なくとも、裕里は音香に期待してくれている。 それは確かにプレッシャーではあるが、自分の事を一番分かってくれている裕里に、感謝の気持ちを込めて贈りたい。 そんな、素人にはおこがましいような大それた気持ちが生まれていた。
発表会前日、部屋で静かに練習中の音香に裕里からメールが来た。
『オッカ、明日は絶対行くからね! 気張っちゃダメだよ。 いつものオッカを魅せて。 オッカなら大丈夫! ファン第一号裕里より』
音香は温かく熱のこもった胸に、そのメール文が表示されたケータイを抱き締めた。
「がんばるよ、あたし!」
当日は朝から快晴だった。
だが、窓もなく締め切られた空間のセブンスヘブンには関係の無いことだった。
「昼間にセブンスに行くなんて初めて! いつも夜に呑みに行くだけだもんね!」
と妙にはしゃいでいる裕里と共に中に入ると、すでに七、八人の生徒たちが到着していた。
「やっぱり昼間でも薄暗いのね?」
どこか緊迫した空気が漂う会場で、小さな明かりに照らされている周りを見回す裕里の横で、音香は奥の方に影待の姿を見つけた。 その横には、やはり決まったようにマスターがいる。
「おはようございます!」
二人で近づいて挨拶をすると、マスターは微笑んで言った。
「来たね! オッカ、今日は頑張って! 裕里ちゃんも、応援してあげてね」
その横から影待が、
「席はどこでも良いから」
と店内に点々と置いてある小さなテーブルと椅子を指差し、
「それと、コレ」
と今日のタイムスケジュール表を音香に渡した。
音香はそれを受け取ると、緊張した面持ちで頷いた。
そして二人は遠慮がちに、空いていた隅っこに席を取ることにした。 座るなり、裕里が音香の腕を強く引っ張り、顔を寄せた。
「ちょっと! 今の誰?」
言われて音香はチラッとマスターの方を見た。 マスターの事は裕里も知っている。 と言う事は……
「マスターの横?」
「そう!」
「あたしの先生だけど……」
「えええええ~!」
裕里がいきなり大きな声を上げるので、周りの人たちが一斉に音香たちの方を見た。 音香ははっとしてテレ笑いを浮かべながら周りに軽く頭を下げると、ささやきながら怒った。
「ちょっと! 何、いきなり大声出して!」
裕里は舌を出し、
『ごめんごめん』
と片手を上げて謝ると、また音香に体を寄せて言った。
「オッカったら、あんなイケメンに教えてくれたもらってるわけ?」
「イケ……!」
音香は言葉を飲み込んだ。 そして一旦深呼吸すると言った。
「裕里、アレがイケメンだと思うわけ?」
「超格好いいじゃん!」
裕里は瞳を輝かせている。 音香は影待をチラッと見た。
銀色の細縁眼鏡に、顔を隠すほどのウエーブのかかったチリチリ髪。 細身で長身なので手足は長く見えることから、スタイルは良く見えるのかもしれないが……
「ちょっと! あんま見ないで! 恥ずかしい!」
「なんで裕里が照れるのよ? あぁそっか、あんたは眼鏡フェチだったね……」
そういえば音香も影待の顔をしっかり見たことがない。 授業中は手元と楽譜を見るのに精一杯だし、店の中はいつも薄暗いので、いつ会ってもその表情はよく分からない。
「へぇ、イケメンねえ……」
呆れたように音香が呟くと、裕里は横で恥ずかしそうに小さくなっていた。
人の好き嫌いにケチを付ける理由はないし、とにかく面白そうなので、音香はしばらく様子を見ることにした。
その音香たちの前には、ドリンクやお菓子が並べられている。
そういえば影待が、発表会とはいえ、極度な緊張感を無くして穏やかに楽しく、という雰囲気を作りたいと言っていた。 周りを見ると、緊張した面持ちで楽譜を見る人や、手元を動かしながらエアー練習している人たちが目に入った。
とたんに、音香も緊張感に包まれた。
隣の裕里が居なければ、すぐにでも帰りたくなっただろう。
『招待して良かった……』
と思いながら裕里を見ると、落ち着き無く影待をチラチラと見ている。
音香は思わず吹き出した。
良かった。 少し落ち着いた。
やがて生徒たちが全員集まり、静かに照明が落ちると、静かに発表会が始まった。
ドラム教室の先生が司会だ。 がっしりした腕を見せ付けるようにTシャツの袖をくるくるとまくり、少し緊張した面持ちの生徒達を和ませるように明るく元気な声をマイクに通した。
音香は思い出したように、さっき手渡されたタイムスケジュール表を見て、初めて自分の発表する順番を確認した。
『え! トリだ……』
「!」
音香は思わず影待をにらんだ。 が、それは彼には伝わることはなかった。 彼は音響の席に座って俯き、黙々と仕事をしている。
順番はくじ引きで決めさせてもらうとは言われていたが、せめて決まった時に教えてくれても良いだろう。 音香は大きくため息をついた。
『ひどいわぁ……』
この緊張感を最後まで味わうのかと思っていると、いよいよ最初の発表が始まった。
トップバッターはボーカル教室から、まだ二十歳位の若い男の子だった。 強張った面持ちでステージに上がる。 普通の階段一段ほどのステージが高く感じた。
センターに立ち、スポットライトを浴びる姿を見ると、それなりに形になっているように見えた。
司会に促されて簡単に自己紹介をすると、すぐに本題へと流れていった。 会場に設備されている高級スピーカーからオケが流れると、彼は小さく深呼吸した。
意外にも高く伸びやかな歌声が店内を包み込む。 さすが声楽を習っているだけあって、無駄な遊びのない正統派な歌い方だ。 もしかしたら大学も音楽に関係する勉強をしているのかもしれない。 トップバッターとはいえ、緊張の中に誠実さが押し出されていた。
そのすごく真面目な歌い方に、どこかつまらない印象を持った音香。
それは、次のドラムの発表にも、また次のベースの発表にも感じられた。
『なんだろう、この物足りなさは……』
それが何なのか分からないまま発表会は中盤になり、休憩時間になった。
発表を終えた生徒たちはホッとしたように歓談し、まだ終えてない生徒たちは、自分も負けじと焦ったように練習を繰り返している。
それを横目に見ながら、あろうことか音香は何もしていなかった。
「音香、練習しないの? やるなら今だよ?」
裕里が、まだケースの中に納まっているギターを指差しながら、音香の顔を心配そうに覗き込んだ。
「う……ん……」
なぜかギターを触る気になれなかった。 もちろん自信なんてこれっぽっちも無い。 だが、何故か練習する気にはなれない。 『今更』という気持ちがそうさせるのか、もしくは『意地』なのか、自分でも分からなかった。
『今日はなんだか分からないことだらけだ……』
音香はそっと目の前のドリンクに手を伸ばした。