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3.2

今日、彼女は男から彼女自身を奪回する。

 玄関口で彼女は、ボストンバッグを床に置いて空いた両腕を目一杯に広げて「わたしは、あいつにとって三分の一は占めているのよ」と言った。

 彼女の目は本気で、語気に迷いはなく自信に充ち満ちていた。

 わたしが、「ずいぶんと強気なのね」と嫌味を言うと彼女は、「三分の一でも足りないくらいかな」と鼻を高くして言った。

 彼女はわたしとの別れ際は明るくできて満足したようだったが、わたしは全然そんなことなかった。

 じゃあね、と玄関の戸を閉めかけた彼女の腕を掴み、玄関のなかにぐんと引き入れた。

「どうしたのよ?」

「わたしも行くわ」

 彼女は戸惑ったけど、でも拒みはしなかったのだった。

 ふうと息を漏らした彼女は、ストローでグラスの氷を掻き回してからからと小さな音を鳴らした。

「ほんとに大丈夫なのに。裕子さんて案外強引なことするのね」

 たぶん世界中探してもなかなかないような強引な手段に打って出た彼女が言うのでは世話ない。

「変な男に捕まらないようにね。いい人を見つけて、わたしがちゃんとした人だって確認したら帰るわ」

今日、彼女は男から彼女自身を奪回する。

 不可解な復讐計画のなかでも一層不可解さを増した最終段階を、彼女はなにかメインイベントのように待ちこがれていた。

「あ、ほら。子供が転んだわ」

 彼女の指さした先は窓の外のオープンカフェのもっと向こうで、小学生くらいと思しき子供が立てひざで顔を擦っていた。

「ほらほら、危ない危ない」彼女は届かない声で注意を促す。

 突風で飛ばされそうになった帽子を、その子は両手で頭に押さえつけた。

「ここのところ風の多い日が続くわね」

 そう言った彼女は、また手元のストローを操って氷の音を奏ではじめた。

「ねぇ、冴恵さん。やっぱり、どうあっても考え直すのは無理なのね?」

 彼女は指揮棒を振り回すのをやめて、グラスから抜き出したストローの下端に口付けした。

「あいつとはもうダメなのよ。こうするのが、きっと一番いい結果を生むんだわ」

 一度思い込んで突っ走りはじめた一直線な女性の砦ほど固いものはない。

 彼女は適当にくだらない男にナンパされて、その男にくっついていってそこで生活するというのだ。

 そんなの馬鹿げていると止めたのに、わたしったらどうして彼女と一緒にのんきにお茶なんてしているのだろう。

「やっぱりダメよっ」

 いきり立って発した声に、来店以来ずっと店内に声を轟かせていたおばちゃん集団がしんと静まりかえった。

 ときを一にして、集団のなかでも特にこってり作りが目立つひとりの婦人が、こちらまで聞こえてくるくらい大きな声のこそこそ話を始めた。

「どうしたのよ、いきなり。他のお客さんに見られてるじゃない」

 わたしの視界からは彼女以外の音も色もすべてが消えていた。

「ダメよ冴恵さん。お願いだから、このまま一緒に帰ろう。わたしの部屋だったらいつまでいてもいいから!」

 彼女は悲しい顔になったあと、今度は明るい笑顔になってわたしの両手を優しく握った。

「ありがとう。こんなに気遣ってくれてうれしいわ」

 彼女はそう言って握る手に力を入れた。

「旦那さんとは別居すればいいだけじゃないっ。今どき珍しい話じゃないわ。ね。本当に、元に戻れなくなってしまうようなことをしてはいけないわ」

 彼女は、ありがとう、ありがとう、と言うだけで、わたしがいくら説得してもそれを聞き入れることはしなかった。

「裕子さん、元に戻れなくなるのはつらいわ。なにかが変わってしまうことも恐ろしいと思うもの。でも、ずっと心配とか不安とかを抱えたままの日々が続くのも心身には負担なのよ」

 彼女は力強いまなざしをわたしに投げかけた。

「わたしが行動を起こすしかなかったの」

 もう止めることはできないんだ、と諦めるのはおとといの夜からこれでもう何度目か知れない。

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